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インド旅行記 カジュラホ・アグラ・エローラ・ブッダガヤ編

11月29日〜12月22日

インドへ・・・2年たってもインドはやはりインドだった 11月29日

インドとネパールの国境の町スノウリ。この町の宿はとてもボロかった。見たかんじもその中味も根本的にボロかった。
トイレの水を流しては便器の中から水が外に噴出し、洗面台も水を流したその真下からジャージャーと激しくもれてズボンをぬらす。そしてここには蚊がいっぱいいた。そこらへんに飛んでいる。カトマンズやトレッキング中の山の中にはいなかったので、久しぶりの蚊にたじろいだ。また、あたたかいところに来たのだなあと感じた。昨晩のことだ。

僕たちは朝6時に起きてネパールで最後の朝食をとり、インドへと向かった。宿から歩いて1分のところにあるネパールのイミグレーションで出国スタンプをもらい、そこから徒歩2分のところにあるインドのイミグレーションでインド入国のスタンプをもらった。カトマンズで余ったネパールの通貨をインドの通貨に換金していたので、「チェンジ マネー?」といってくる怪しい輩を相手にする必要もなかったこともあって、スムーズな越境だった。

僕たちは国境から聖なるガンジス川のほとりにあるヴァラナシに向かうのだが、それがなかなか一筋縄ではいかない。来て初日だというのに、すべてがインド的というか、この国独特としかいいようのないこの国のすべてのものに、驚きや感動やいらだちや怒りまたは喜び、そんなすべてをひっくるめたものを感じずにはいられなかったのである。

イミグレーションを出たあと僕らはヴァラナシ行きのバスを探しに歩く。国境の町には1本の道しかない。その1本の道にはトラックやらバスやらが無造作にとまっていて、その脇をすり抜けながらとにかく探すのである。厳密に言うと探すと言う表現が的確かどうか、それは疑問だ。インドでは極端な話3歩進めば誰かしらが声をかけてくる。インド人というのは基本的に観光客であるぼくらをそっとしておいてくれない。無関心ということばはヒンズー語にはないのだろうし、そういう概念も多分理解されない、そういう精神性を持っているように感じる人たちだ。だから、僕たちは次から次へとやってくる客引きに対して、ノーといって断る作業を繰り返していた。

「僕たちはヴァラナシヘ行きたいのだ」
そうたずねても人によって答えが違う。
ヴァラナシ行きはもう出て行ったから今日はもうない、と言う人もいるし、まだあると言う人もいる。しかし、どのバスがヴァラナシに行くかというのは誰も教えてくれなかった。

ヴァラナシ行きはあそこだ、と言われていったところは、
「サイババ・ツアーズ」
と書かれた旅行代理店だった。

「ヴァラナシまでダイレクトに行くツーリストバスは8時半に出発する、チケットはここで買いなさい」
サイババ・ツアーズの人はチケット購入を促す。でも僕らはためらった。なぜならサイババ・ツアーズの人の人相がよくなかったからだ。

人を見かけで判断してはいけない
小学校の先生はそう教えてくれたが、それは間違いだと思う
その人がこれまでやってきた行いというのは人相に必ず現れるものだ。これが世界を旅してきた僕らの結論だ。
僕たちはとりあえずサイババ・ツアーズの前でバスが来るのを待った。
「席を確保するためにもチケットを今のうちに買っておいたほうがいいぞ」
サイババ・ツアーズは世界にありふれた営業トークでチケット購入を催促するが、僕らは「ノープロブレム」とインド的に答えてあくまでも待つ姿勢だ。

「いかにもインド人にだまされそうな欧米人が来たで!」
偵察に出かけていた映子は足早にサイババ・ツアーズで待っている僕のところに戻ってきて言った。

「これからヴァラナシへ行くのか?」
少し抜けた感じのする小太りの欧米人は僕を見て言った。
「うん、今バスを待っているところ、でもチケットはまだ買ってないよ」
僕がそう答えたのを聞き流し、その欧米人は客引きに連れられてサイババ・ツアーズに入っていった。

中の様子をのぞきこむと、小太りはなにかしらのチケットを代理店の人に見せている。想像するに国境のネパール側の町で買ったヴァラナシ行きのチケットなのだろう。たぶんそれはだまされて買わされたチケットにちがいない。僕は少しだけ小太りに同情した。そして出てきた小太りに僕はたずねた。
「いくら払ったんだ?」
「ネバー マインド」(お金のことは気にしていないよ)
汗をかきながら不安といらだちの表情で小太りは答えた。
「ネパール側で600ルピーのチケットを買ったんだけど、ここではその半額をエクストラで払った」

ちなみに国境からバラナシまでのチケットの正しい料金は150ルピー。サイババ・ツアーで言われた値段が230ルピー。サイババー・ツアーの人が言った230ルピーも高い、と思ったが、小太りはものの見事にだまされてここで300ルピーも払ったというのだ。
ネバー マインド?お金のことは気にしていない?
そんなんでいいのか?インド人にだまされてへらへらしていてネバー マインドでいいのか?小太りへの同情は一瞬にして消えた。

そうこうしているうちにバスはやってきた。ボロいバスだった。しかもローカルの人もすでに乗っている。
「これはツーリストバスではなくて普通のローカルバスだろう?」
僕が悪人顔のサイババ・ツアーズにきくと、彼はこう断言したのである。
「これはエキスプレスだ。しかもガバメント・エキスプレスだ
ガバメント?政府公認?すべてが怪しい国インドでは、政府公認ということば信用を得るために使う言葉だ

映子がこっそりとこのガバメントエキスプレスに偵察にいった。ドライバーにヴァラナシまでいくらかたずねるがドライバーはわからないという。サイババ・ツアーズに口止めされているらしい。バスに乗っているお兄ちゃんに聞いても料金は言ってくれない。人によさそうなお兄ちゃんはいいたくても言えない、そんな様子だったようだ。

「バスに乗っちまおう!そして走り出したらバスの中でチケット買ったらええねん」
映子の力強い提案どおり僕らはサイババ・ツアーズではチケットを買わず、そのままバスに乗り込むことにした。
サイババ・ツアーズの悪人顔たち(合計4人)がバスの乗降口に立ちふさがって口をそろえてこう言ったのだ。
「オフィスでチケットを買わないと乗せなーい」
その様子が遊戯の「通せんぼ」みたいで、僕は笑ってしまった。それはあまりにも子供じみていた。国境を越えてインドにはいった瞬間はじまったインド的なやりとりが、あきれると同時になんだかおかしくてしかたなかった。

僕らはどうしようか迷ったが、いったんゴーラクプルという町までいって、そこでバスを乗り換えてヴァラナシに向かうことにした。サイババツアーズなんかの世話になってたまるかって心境だ。
何かを買うとき、いくらで買うか?ということよりも、誰から買うか?ということのほうがはるかに大切なことである。それも旅の中で学んだことだ。

バスの窓からの風景は山ばかりのネパールと違いずっと平坦な田園がつづいていた。畑では男たちが種を蒔いていた。
4人が横並びで歩きながら麻袋から種をつかみだし、前を向いたままの姿勢でそのまま後ろに放り投げる。
あまりにも原始的な種まきの光景。そんなはじめてみるささいな景色に僕はとても感動してしまった。ああやって機械を使わず人の手で種を蒔き、人の手で育てられた食べ物はさぞおいしいだろうなと思った。

夕方あまりにもヒマなのでバスの一番後ろの席からバスの後方をぼんやりながめていた。すると走っていたサイクルリキシャー(自転車で引く人力車)の男(リキシャーをひく人のことをリキシャーワーラーと言う)と目が合ってしまった。そのリキシャーワーラーは僕の目を見つめ、あごを少しあげて「乗っていけ」と目で言った。こっちは走っているバスの中にいて、リキシャーなんか乗るわけないのに「乗っていけ」と確かに言っていたのだ。ものすごい説得力で

ただの空き地にしか見えないヴァラナシのバスターミナルでバスは停まった。バスを降りるとそこにはリキシャーワーラーとホテルの客引き、その他大勢いろんな客引きがバスの出口のところで待ち構えていた。獲物を見つける嗅覚には驚かされるばかりだ。

サイクルリキシャーに乗ってゴードウォリアというガンジス川の近くに向かったのだが、リキシャーは途中から細く暗い道へと入っていった。
「どこへいくんだ?ゴードウォリアか?」
僕がリキシャーを停めてリキシャーワーラーに迫ると
キョンシー!
というわけのわからん答えが返ってきた。
「てめぇ、ゴードウォリアにいけっていってんだろ!」
か細いリキシャーワーラーの胸倉をつかんで怒鳴るとしぶしぶと普通の道へ戻りはじめた。それでも不安なので、通りにいた金持ちそうなインド人のおじさんにゴードウォリアの行き方をたずね、たよりにならないリキシャーワーラーに道順を伝えてもらい、それでようやく目的地のゴードウォリアに到着したのだった。
リキシャーワーラーがわけのわからない動きをするのは以前も今もかわらない。

ゴードウォリアに着くとホテルの客引きがやってきた。いくら振り切っても30mおきに客引きがやってくる。なかにはずっとついてくるインド人もいて本当にウザイ。外国人がバックパックを背負っているというのは、インドの客引きにとってみればカモがネギしょっているのと全く同じことなんだろうと思う。

今日は朝からいろんなインド人が僕らのまわりにやってきては、こっちを困らせたり、イラだたせたり、時には笑わせてくれたり、深い感銘を与えてくれたりする。喜怒哀楽の振幅が広いそんな一日だった
インドは楽しいところだ。あらためて思った。悪人は映画にでてくるように悪人顔をしており、小銭を稼ぐためにウソをつく。リキシャーワーラーはもっと金をくれといつでもいっているし、でもよく道を間違えたり、間違ったフリをする。エラそうなインド人はエラそうなヒゲなんかはやしちゃって、エラそうにふるまい、客引きはどこまでもウザイ。まるでみんなが喜劇役者のようだ。キャラクターといい立ち振る舞いといい、面白くてしかたがない。旅の最後の最後にこんなおもしろい国にまた来ることができてよかったと思った。

前に来たときも泊まったヴィシュヌ・レストハウスというガンガー(ガンジス川)ぞいの宿をとり、夜のガンガーを見ていると、見覚えのある人影があった。カズさんとヤスコさんだ。中米で会い、カトマンズでも会って、そしてインドでも会えた。縁があるのだろう。でも、明日ヴァラナシを発つという。
いろんなことがあってなんだかうまくまとまらない、そんな一日だけど。それがインドなのだろうと思う。(昭浩)

ヴァラナシで見えた36歳 11月30日

 昨日会ったばかりのカズさんとヤスコさんを見送った後、店頭でサモサを揚げている食堂にはいった。
サモサ1個1.5ルピー(3.6円)、それを4つとチャイを1杯ずつたのんだ。サモサは銀のプレートにのってでてきた。プレートにはサモサの他にとうもろこしとカレーのようなものがはいっていた。
サモサにしては豪華だなあ。1個1.5ルピー(3.6円)でこんなに豪華だなんてラッキー、と思ってハッとした。インドはそんなに甘くないのだ

「サモサ4個だから、これ全部で6ルピー(14円)なんだよね?」
プレートを指さして僕はたずねた。
「12ルピー(30円)だ」
平然と答える店員。
僕らはサモサしか欲しくない、といっても
「12ルピーだ」
平然と答える店員。
「じゃあいらない、帰る」
そういって帰ろうとしたら店員しぶしぶそのプレートを下げ、サモサだけを机の上においた。まったく油断できやしない。

朝食の後、ガートと呼ばれるコンクリートで階段上に固められたガンガーの土手を歩く。ボートの客引きやら物乞いやらいろんな人が声をかけてくる。
マッサージをやらないか?
こんなマッサージの勧誘もとっさにノーといって断る。
日本人もやっているぞ、といって少し離れたガートの上を指さしたが、興味ないから、といって断った。
客引きが握手を求めるように手を差し出してきたので、彼の手を握ると彼は僕の手をモミはじめた。あわてて手をひっこめるが、もしあと2秒手をひっこめるのが遅れたらお金を要求されたことだろう。ちょっとスキをつくるとこれだ。

そんな油断もスキもありゃしないところも、心をなごませるのどかなところもヴァラナシは以前と変わっていないなあと感じた。
でも逆に強く感じたのは、自分は変わったなあ、ということだった。ヴァラナシは変わってないのに、再びこの地にやってきた自分は明らかに以前に来たときとは違っている。どう違うのかうまく説明できないけど、たぶんこういうことなんじゃないかと思う。
以前の来た時の自分は宙ぶらりんだった。世界一周という目標はあったが、いったい自分はどういうふうに生きていくのか、どこにどのように根をはり、どのような花を咲かせ、どのような実をつけるのか、そういうことが宙ぶらりんであった。
ヴァラナシはそんな宙ぶらりんの魂を癒すにはもってこいの場所で、10日いても足りない、いる気になれば2ヶ月でも3ヶ月でもいたい気が2年半前はした。しかし、今はしない。

今の僕は少なくとも日本での生活に積極的で、日本でこんなことがしたいあんなことがしたいという思いもある。全然具体的ではないが、やりたいことの方向性は見えている。映子にそのことを話すと
「見えてない34歳だったのが見えた36歳になったんだね」
そう言って笑っていた。

今回ヴァラナシは一日で十分と思った。何日ものんびり過ごす必要はないし、そうしたいとも思わなかった。今回は自分の変化に気がつくためにやってきたようなものだなと思った。(昭浩)

ヴァラナシの不思議    12月1日

 

ガンガーの朝もやの中から昇る太陽を見ながらチャイを飲む。長野の村で自給自足をしているという青年がやってきたので、しばらくいろんな話をした。彼は4月から新聞記者として働くらしい。彼はとてもきれいな目をしている。本を40冊持ってきたというのには驚いた。そしてマザーテレサハウスに行くといって去っていった。

いつものサモサ屋で朝食を済ませてからガートを歩いてネパール寺院まで行った。昔来たことあるなあと思った。でも前はお金がかかるから昔は中に入っていない。
中はネパールにありそうな小さなお寺。彫刻いっぱいの柱と壁、そして窓。ガンガーが見えるベンチがなかなかGood。おじさんはネパール人だという。ボートの客引きの青年も現れたけど、私たちはまったくやる気がないので、すぐにいなくなった。
参拝者は時々やってきて、カンカーンと鐘を鳴らして手を合わせる。
不思議なことだけど、ヴァラナシに来ると、自分が浄化されているようなきれいになったような気がする

ガンガー沿いにあるいきつけのチャイ屋いもちゃんのところへ行くと、カトマンズ行きの飛行機がいっしょだったタケシくんに会った。気功をやってる通称気功さんもいた。その隣に座っていた風変わりな青年はピカちゃんといって、かなり濃いキャラクター。さらにアラスカ在住の夫婦もいて、楽しくなってきた。これがヴァラナシだなあと思う。いろんな人との出会いがあって、その中にいる自分がとても居心地よく、幸せな気分だ。みんな気功さんから手に気を送ってもらっては「うわぁー」と言って喜んでいる。

毎日が出会いと発見の連続で、それは何もしなくても訪れる。みんなが1人、また1人と去っていくと、さみしいけれど、何かそれ以上のものが心の中に残っていて、幸せな気分はずっと続くのだ。(映子)

ガンジス河のガートの柱に描かれた神様の絵
青とうがらしをいためるターリー屋の兄ちゃん
ガンジス河を散歩するのは毎朝の日
いもちゃんのサインも2年の間にすっかり風化していた
旅人にかわいがられていた子犬たち

オームとの再会―さよならヴァラナシ―  12月2日

 昨夜も早く寝床に入ったのに、今朝も眠くてなかなか起きれなかった。6時半の目覚ましがなったのも気づかず、洗濯の音も気づかず、よく寝ていたのだ。

ガンガーの朝もやの中から、少しずつ姿を現す太陽を今日も見ることができた。この時間が一番好きだ。澄み切った朝の空気と、まだ誰もいないガートのチャイ屋いもちゃん。私だけのガンガーがそこにある気がする。団体観光客を乗せたボートは毎日たくさん行き交っているけれど。この時を過ごすために、朝弱い私もがんばって早起きしているのだ。
いもちゃんとゆっくり話ができるのもこの時間。いもちゃんは5人兄弟の2番目で、ほかの兄弟の名前を教えてもらった。そして2年半前は私たちが泊まっていた宿で働いていたオームという青年について聞いてみた。
「オームを知ってる?」
「彼は今ゲストハウスをやっている」
「え?」
ヴァラナシに着いた日に、カズさんとやすこさんに勧められた宿、「オームレストハウス」は、なんとあのオームのところだったらしい。

早速オームの会いに行く。すると、自分で飲むつもりだったのかチャイが用意してあって、すぐに出してくれた。オームは再会を喜んでくれた。ヒンズー語をたくさん教えてもらったのにすっかり忘れてしまい、メールするねーと言ってたのにまったくせずに2年もたってしまったけれど・・・。私たちもうれしかった。
オームは日本に来るチャンスを逃してしまい、シルク屋もやめて、韓国の映画に出たらしい。それでまとまったお金ができたので、ここを買って改装するのに1年かかって、やっと2ヶ月前にオープンしたばかりだそうだ。14室あっていつもフルで、ビジネスはなかなか順調らしい。

今日の夜行列車で私たちはカジュラホへ向かう。夕食後、再びいもちゃんへ行った。ヴァラナシの生活はいもちゃんなしには語れない。いもちゃんに「また来るよ」と言って別れた。荷物を背負ったまま、オームのところにも寄ってみた。そしてお別れを言って、夜のベンガリートラを歩く。ゴードリヤー付近からサイクルリキシャーに乗った。
夜のヴァラナシの町はとてもひっそりとしていて、車や人も少なく、怖いくらいだった。夜の闇の中に吸い込まれそうな、そんな深い闇がそこにあった。(映子)

カジュラホへ 12月3日

インドでの移動はつらいなあ。今日、つくづくそう思った。
列車で直接いけるような場所だったらいいのだけれど、僕たちの目指すカジュラホというところは、ヴァラナシから電車で6時間、さらにバスで4時間走ったところにある。
そもそも列車で6時間というのはとても中途半端だ。
夜行列車に乗るのなら8時間以上かかってくれたほうがありがたい。なぜなら深夜発の列車を選ばないと暗いうちについてしまう。逆に昼間の出発だと列車が遅れたりすれば夜の到着となってしまう。見知らぬ土地で暗いなかうろつくのはできるだけ避けたい。迷ったあげく僕たちは夜中11時半の列車に乗ることにした。

ヴァラナシともしばらくお別れだ。ぼーっとモノ思いに浸りたい時、忙しい毎日に忙殺され魂がにごってしまった時、自分に輝きを取り戻したい時、またヴァラナシに来よう。いつか、来たとき、変わらない悠久の流れのガンガーを見て、多分、救われるのだろう。

列車は予定時刻より2時間ちかく遅れてやってきた。インドではある意味「予定どおり」ともいえる
しかし、はじめから2時間の遅れとわかっていたらまだいいのだが、いつ来るんだ?と常にそわそわしながら結果的に2時間待たされるというのは困ったもので、その間にもいろんな列車がホームに滑り込んできて、そのたびにチェックしなければならない。頼れるものは駅に流れるアナウンスだけで、ざわざわと騒がしいインド人で混み合っているプラットホームの上で、アナウンスが流れるたびにヒンズー語と英語のアナウンスに耳を澄ますのである。いつも自分たちの乗るべき列車が行ってしまったらどうしよう、そんな不安を抱えながら待つのである

遅れてやってきた列車に乗り込むと、やはり中は混んでいた。出入り口のところにも人がいっぱいで、通路にも人が寝ている。予約していた僕たちのベッドにはすでに先客が寝ていた。僕のベッドに2人、映子のベッドにも2人。予約したチケットをベッドを占領していたインド人たちに見せると彼らは不機嫌そうに場所をあけた。僕は3段ベッドの中段に大きなバックパックと靴をのせ、あまったスペースに体を丸めるようにして横になった。インドの列車で荷物や靴がなくなるのはめずらしいことではない。インド人もみな盗難防止のためチェーンでカバンとつなぎとめている。

朝、突然僕たちが降りるサトナー駅に到着した。ダイヤが乱れていて到着時間がよくわからなかったので、僕たちにとってはとても突然だった。インドの列車では列車内放送なんてものはないので、駅に着かないとどの駅についたのか断定できないのである。このとき映子はまだベッドの上で眠っていた。

あわててサトナー駅で降りると今度はリキシャーひきの男たちが10人くらいで僕たちのまわりを取り囲むように殺到する。みんな口々に、どこに行くんだ?バス停か?などといっている。駅からバス停まで少し距離があるのでリキシャーに乗っていかなければならないのだが、寝不足の僕には、殺到する男たちのなかから1台選ばなければならないというのはとても苦痛の作業だった。そんなささいなことでもやたらエネルギーを必要とする、それがインドだ。

選んだリキシャーでバス停にいくとすぐにカジュラホ行きのバスが見つかった。というか、リキシャーがバス停に着くとバスの客引きが待ち構えており、その流れのままバスに乗っただけのことである。

バスの中ではほとんど寝ていた。しかし、そこは常に混んでいて、常にカバンに注意を払っていたので、熟睡できない。バスはよくいろんなところで停車し、その度に人は乗ったり降りたりした。たった4時間とはいえかなり疲れた。寝不足ということもあり体が参ってしまった。そんな時朝ごはんに食べたサモサと揚げ菓子を食べ過ぎたせいか、胃がもたれて気分も悪い。カジュラホ行きだと聞いて乗ったバスは実はカジュラホ行きではなく、結局その手前の町で降ろされ、そこでも客引きに囲まれた。カジュラホに着いたら着いたでそこの宿の客引きや宿と提携しているリキシャーの男たちが群がってくる。

ひとつの町からひとつの町へ。ただ移動するだけなのに、なんかとてつもないエネルギーを消費してしまったようだ。映子は、「インド人ウザイ!もうイヤッ」とややヒステリックな状態になっている。

僕たちのインドでの移動はまだまだ続く。それを考えるととてもブルーな気持ちになるのだった。(昭浩)

カジュラホ村と寺院たち  12月4日

 

昨日は「もうヴァラナシに帰りたい!」と思うくらいにカジュラホの人たちがうざくてたまらなかったけど、朝歩いてみると全然違っていた。朝はいい気が流れているのだろうか。そういえば、ヴァラナシについた翌朝もそうだったなあ。ただ単に自分がほんの少しだけこの地に慣れたということなのだろうか。
お昼も1人でターリーを食べる。アリフという青年とラジャという少年と知り合った。うざいのは、しつこく付きまとってくるスーパーマリオと名のるお土産物屋のおやじだ。お土産物屋のおやじだけでなく、インターネットや電話屋、そして小さな商店のおやじまで、とにかくツーリストを見ると、声をかけずにはいられないようだ。これも一種の病気だろうか?電話をかけたいときは自分から電話屋に行くし、水が欲しいときも言われなくても買いに行くよ。そんなにやいのやいの言うなよな。高いから買わないんじゃなくて、いらないから買わないのだ。

さて、カジュラホの見所である寺院めぐり、今日はメインの西群をまわった。
最初のでかい寺はラクシュマナ寺院。保存状態もよく、エロティックな彫刻もある。けど思ったほど多くない。戦いや狩猟の場面のほうが多いみたい。象や馬もよく出てくる。ラクシュミ寺院から見ると、寺院全体がきれいに見えた。
次はカンダーリア、マハーデーヴァ寺院。ここもかなりたくさんの彫刻にとにかく圧倒される。
デーヴィジャガダンビー、チトラグプタ寺院、この辺りまで来ると、だんだん寺にも飽きてきた。だからあんまし印象はない。
最後のヴィシュワナータ寺院はシヴァ神を祀るところだけど、外は女の彫刻が多いらしい。向かい側にあるナンディン像の周りのベンチに座って眺める寺院はなかなかよかった。(映子)

これがかの有名なカジュラホのエロティック彫刻。
寺院とエロはミスマッチに見えるが、なぜか違和感がない。
ウマと?・・・というのもあって、いろんな意味で興味深い
映子、ただいま、エロいレリーフに夢中
レリーフばかりに目がいってしまうがお寺そのものもなかなかのもの

悪がきに鉄槌を   12月5日

カジュラホには昨日訪れたたくさんのお寺のほかに、東の寺院郡、南の寺院郡というのもあって、とにかくたくさんのお寺がある。もともと85のお寺があったというから昔はこんなもんじゃなかったのだろう。
寺院やレリーフにほどほどしか興味を持たない観光客―それはつまり僕のことなんだけど―にとってはそれらを見て回ることがだんだんしんどいなあと正直思ってしまうのである。それなら無理して見なきゃいいじゃん、て多くの人は言うかもしれない。わかっていてもそれができない。つらくても、見たところでたいした感動がないとわかっていても、いってしまうのが観光なのである。そして僕らは自転車を借りて東と南の寺院郡をさまよい巡ったのである。

最初こそエロティックなレリーフに衝撃を受けこそしたものの、似たような寺院が続くとその感動も薄れてくる。似たようなものをたくさん見るということはただ単に感動や印象というものを希薄にしていくだけの行為なのかもしれない。感動には、一瞬の、一期一会的な濃密さが必要なのだろう。

僕は東へ南へとお寺を訪れるたびに少しずつ疲れていった。のどかなインドの田園風景の中でのサイクリング、それが楽しめればいいのだけれど、寺につけばポストカード売りが集まってくる、自転車で走っていても、村の子供が、「村を案内するぞ」「村の学校を見せてあげるぞ」としつこくまとわりついてくる。日本人がインドの小学校を訪れインドの子供たちとふれあう・・・村の学校を見せてやると言われて、そんなほのぼのする光景が目に浮かぶ人はかなりおめでたい人だ。基本的に、村の案内、村の学校ときたら、それはイコール「寄付をよこせ」というふうに解釈しなければいけない。しかもそれが本当に寄付ならいいんだけど、それは案内した子供のポケットマネーになるだけだから、ようするに、「金をよこせ」と言っているのである。

子供というのが実はあなどれない。最後に訪れたお寺では、寺を見学している間にガキ(たぶん5歳くらい)がカギを壊して僕の自転車を盗もうとしていた。それを発見するとガキは逃げた。少し距離があったのでガキは追いかけてこないだろうと安心していたが、僕は鬼の形相でしかも全力疾走でガキを追いかけた。ガキは持っていた空のバケツを放り出してビャーという泣き声をあげながら逃げていった。あえて捕まえないで僕は執拗に追いかけ回すという陰湿なやりかたで、ガキに恐怖を与え続けた。モノを盗むと怖いを思いをする、ということをトラウマになるくらいガキの心に刻みつけようと思ったのだ。

最後に悪がきに天誅を与え、そこで僕たちのカジュラホ観光はすべて終了した。(昭浩)

足のとげを抜いているところ?
らしい・・・
のどかなインドの田舎に立つ寺院。こういう景色が好きだ
寺院めぐりにお疲れ気味
エロティックだけじゃない。こんなピュアなレリーフもある

インドでキセル容疑  12月6日

朝7時のバスに乗った。バス停の売店のおやじは、「ジャンシーまでノンストップだからミネラルウォーターを買っていけ」と言った。しかし途中で止まりまくりである。1時間に一回くらいはバスターミナルに入って、10分以上は止まっている。途中でサモサを買って食べた。
それにしてもインドは道が悪い。アスファルトが穴だらけでぼこぼこだ。そしてそのアスファルトも車1台分くらいの幅しかないので、対向車が来るたびにガタガタと横によってよける。それはなかなかにスリリングである。もっと道幅を広くすればいいのに・・・。案の定、事故ってる車があった。私たち2人は前の席だったので、対向車が来るたびにどきどきした。しかしバスの運ちゃんは、さすがに運転がうまいな。私には無理だな、この道は。
ジャンシーには12時過ぎに着いた。バスターミナルから駅まで、乗り合いテンプーで行った。同じバスだったドイツ人は、「やつらは5ルピーと言ってくるが、3ルピーで行ける」と自信ありげに言っていた。しかしそのドイツ人カップルはそこでは降りなかった。そして乗り合いテンプーは4ルピーだった。

電車のチケットを買おうと予約窓口に並んだが、やっと順番が来たと思ったら、
「今日の切符は買えない。コンダクターから買え、電車の中で」と言われた。そうか、やっぱりもう乗っちまえばいいんだ。と思って、別の場所で乗り場を聞いて、そこで電車を待った。電車はそんなに遅れなかった。遅れはせいぜい15分くらいのもんだった。
適当にスリーパーに乗ってみる。すいていた。余裕で座れた。「なんだ、ついてるな、ラッキーじゃん」、なんてあきちゃんがうれしそうにほほえんだ。
ところが、コンダクターがやってきてから問題発生。なんとチケットを持たずに電車に乗ると、ペナルティを払わなければならない。しかも追加のペナルティがチケットの2倍の料金、つまりは全部で3倍払わなきゃいけないってこと
日本でもキセルをすると3倍払わなきゃいけないから同じと言えば同じ。だけど別にキセルをしたわけじゃない。チケットを買おうと思ったら窓口のおっちゃんが電車の中で買えといったのだ。それを何度も説明するのだけれどらちがあかない。しまいにはボスみたいな、ちょっと偉そうで早口のおやじが来て、窓口のおやじも間違っていないしあなたも間違っていない。でも違う窓口に行ったんだ。
だから払え、とにかく払え、これがインディアンルールだ
と一歩も引かない。私もかなり粘ったんだけど、もう岩のように動かないこのおやじには負けた。まわりで通訳してくれたインド人や野次馬インド人がいっぱい集まってきてたけど、私たちがお金を払うとすーっと引いていった。そして気まずい沈黙が残った。

心の中はずっと納まらなかった。キセルをしたわけじゃないのに、500ルピーも払わされて、これは2人の1日の予算に匹敵する大金である。金額的にも、精神的にも、痛手は大きかった。もうこんな思いをするのはいやなので、アグラー駅に着くとすぐ予約オフィスに行って、次のチケットを買った。3日後のものなのに、すでにWating List48である。でもとりあえず買ったから安心。席がなくても勝手に座ればいいだけのこと。

次はホテルまでのリキシャー探し。これはやっぱり大変だった。一番悪名高い観光地だけあって、声をかけてくる客引きの多いこと。リキシャーワーラーと直接交渉したいのに、すぐ横から割り込んでくる。でも今回はそれでよかったみたい。リキシャーワーラーの兄ちゃんは純粋すぎるほど純粋な人だったけど、英語がまったくわからない。2〜3人ついてきた周りの男たちに通訳してもらうことになってしまった。しかも兄ちゃんは、タージマハールもよくわからないらしい。どうも遠回りしているようだ。アグラーフォートの横を通った。夜のアグラーフォートはいい感じではあるが、兄ちゃんは大変そうだ。少しずつ上り坂が続くようで、自転車から降りてリキシャを引っ張る。

タージマハールは近づいてきたように思う。ツーリスティックな感じになってきたからだ。客引きもちらほら近づいてくる。リキシャのお兄ちゃんは2〜3回、道を聞いた。やっと目標としていたポリースステーションに着くと、ホテルはもうすぐそこだった。お兄ちゃんは汗だくだ。しかしアグラーのリキシャワーラーでタージマハールを知らないなんてどういうことだ?純粋なのはいいけど、何も知らないのも考えものだ
宿のオーナーと名のる老人はとてもフレンドリーに日本語で話しかけてきた。日本に行ったことがあるそうだ。宿はボロいがまあまあ快適そうだ。

レストラン選びは慎重にしなければならない。保険金目当てに毒を盛られるなんて話の多いところである。ローカルな安食堂に入り、やっぱりターリーはうまいなあなんて大満足したまではよかったが、おかわりのチャパティ代を追加で取られて不満爆発。あきちゃんは、「やっぱりあのおやじは人相が悪いと思った」という。インド人って本当に信用できない。そしてどこまでもうざい。子供から大人までみんなうざい。今日はやられっぱなしで、本当の本当に疲れた。(映子)

タージマハールとリキシャーワーラー   12月7日

 僕たちがインドでやり残していたこと、それはタージマハールだ。いろんな偶然が重なって前に来た時にいけなかった。もうこれは、縁がなかったとしかいいようのない。
インド=タージマハールと思っていた僕たちにとって、いくらパキスタンとインドが核戦争になる危機があったとしも、タージマハールを見ずしてインドを去ってしまったことは悔やんでも悔やみきれない大きなしこりのような思いとなって残っていたのだった。
だから、朝、宿の屋上からもやのなかに浮かぶように佇む世界一なめらかで美しい曲線のタージマハールの白のシルエットを見たとき、ただ美しいという以上の、どこか救われたような安堵感をともなった感動があった。

タージマハールを訪れる前に僕たちにはするべきことがあった。両替だ。T/C (トラベラーズチェック)を両替のために銀行に行くのだが、宿のある場所からは少し距離があるのでリキシャーを利用することになる。道端できょろきょろしているとサイクルリキシャーが近づいてきた。
君たちは朝一番のお客さんだから好きな金額でいいよ
えらい気前のいいことを言っている。でも、この言葉を間にうけるのはよっぽどのおバカさんか、英語を間違って理解した人かのどちらかだろう。

「銀行まで15ルピー(邦貨で36円:まあ距離からして妥当な金額)を払おう、そのかわり途中でお土産屋などに寄り道するのはなし、ダイレクトに銀行にいってくれ、もちろん追加料金もなしだ」
さんざんそう念を押して乗ったにもかかわらず、サイクルリキシャーは少し走ったところにある私設両替所の前で、ここのほうがレートがいいから、といって停まった。一応レートだけ聞いて再び銀行に向かったのだが、10秒ほど走ったところでまたしても別の私設両替所で停まる。
(この野郎・・・)
そう思いながら一応レートだけは聞いて再び出発。

「銀行にいかないんならもう降りる」
そう言ってようやくサイクルリキシャーは本格的に銀行に向かって走りだしたのだ。
走りながらサイクルリキシャーはこの通りは、モールロードだ、とか説明しはじめた。
「説明はいらない、ガイドも必要ない」
映子が冷淡にクギを刺す。ガイド料をよこせ、なんていうに決まっているからだ。

サイクルリキシャーとのささいなやりとりを繰り返し、僕たちはようやく目指すインド銀行に到着した。
到着するといかにも疲れたという表情をしながら言った。
5キロ以上は走ったなあ・・・長い道のりだった・・・ローング・ウエイ・・・
とてもじゃないけど15ルピーじゃ足りないとでもいいそうだったので、僕は逆襲した。

そんなに遠くなかったから10ルピーで十分だよな・・・はい10ルピー
そう言って10ルピー渡すと「ロングウエイ!」と叫んでお金を受け取ろうとしない。しようがないなあ、じゃあ、といって、5ルピーを追加して渡す。もちろん最初から15ルピー渡すつもりで、少しからかってみたかっただけのことだ。
リキシャーワーラーは、お前は頭がいいな、と頭を指すジェスチャーを見せ、苦笑いの表情を浮かべていってしまった。

せっかく来た銀行だったのだが、そこの両替業務担当のおやじはまったく仕事やる気なし。ここにいったらどうだ、と私設の両替所の名刺を出してくる始末。どうなってんだこの国は。
両替した現金を渡してくれるカウンターのおやじは、小銭がない、といって自分のポケットから小銭を取り出して僕たちに渡していた。よく見ると人から預かった金も机の引き出しにポイと投げ入れている様子だし、はっきりいっちゃえばズサンなのである。日本のように1円単位でミスがないか毎日チェックするなんてことこの国ではありえない。こんなんでもも成り立っていることがとても不思議に感じたが、あまり厳密にやらずどんぶりにやっていてもうまくできちゃうもんなんだな、とも思った。この国ではいい加減なことよりも、几帳面すぎるほうが悪なのかもしれない。

夕方になり僕たちはようやく念願のタージマハールのゲート前に立つことになる。

2年半前、バラナシからタージマハールのあるアグラー行きの列車のチケットを買って、いざ行こうというときになって、僕が高熱を伴うゲリの症状に襲われたため、その列車に乗れなかった。そこからタージマハールは僕らからどんどん遠ざかっていった。ゲリが治ってからもう一度行けばいいだけなら話しはシンプルだけど、僕らは満月の夜、月光に映えるタージマハールの神秘的な姿を見るため、満月に合わせた日程で列車のチケットをとっていたのだ。僕がゲリから復活したものの満月は終わってしまっていたので、先にデリーやダラムサラを観光した後にタージマハールに行こうということになった。ところが、デリーに滞在中泊まっているホテルに日本大使館から電話があり、インド・パキスタンとの核戦争勃発の危険があるので即刻インドから出国するようにとの退避命令を受けてしまい、なくなくタージマハールを見る夢破れネパールへと逃げた。ビザと日程の関係もあり、2ヶ月を予定していたインドの旅はわずか2週間で終わってしまったのである。

僕らはインド人の20倍もする高い入場料を払って中に入った。二つのゲートをくぐったところで、タージマハールの姿が見えた。さすがにきれいだなと思った。これは人類史上最高の大理石建築物の傑作のはずだ。誰もがはじめて見たとき、その感動は禁じえないものにちがいない。しかしだ。少し辛口になるが、タージマハールの感動はこの門をくぐったところでピークを迎え、徐々に見慣れていくにつれ、少しずつ時間とともに感動は薄まり、その中に入ると、あれれ?といった感じでガクンと落ちるのである。

大理石職人の旅人と会ったことがある。彼が言うには、あんなに大きくてきれいでパワーをもった大理石はなかなかないですよぉ、そんなすごい大理石がふんだんに使われているんですよぉ、とタージマハールでの感動を僕に語っていたのを思い出したが、まあ大理石職人でもないかぎり、終始感激できるもんでもないなあというのが僕の率直な気持ちである。ただ、本当にその言葉どおりではあるが、一見の価値はある、ということは間違いない。

僕たちは3年がかりでタージマハールの夢を果たし、とても満足な一日であった。でも、今この日記を書いていて思ったのだけど、満月の夜へのこだわりはどこへいったのだ?あの満月への執着はなんだったんだ、と今更ながら思ってしまった。(昭浩)

赤い要塞、アグラー城。迫力ある外観
アグラー城から見たタージマハル。どうみてもお墓には見えない
タージマハルを見るという悲願がかなった。ここまで長い遠回りだった。だって地球一周してようやくたどり着いたのだから

ファティープルスィークリー  12月8日

インド人は毎日何を食べているのだろう?

ファティープルスィークリーに着いてから考えてしまった。ターリーを食べたくてもレストランが見当たらない。英語で○×Restaurantと書いてあるツーリスティックなところしかない。そういうところはどうしてもいやなので、行ったり来たり、フラフラとかなり歩いた。プーリー屋はたくさんあって、人だかりができている。朝も昼もプーリーかよ。好きだけどさあ。でもよく考えたら、朝、昼、夜、何を食べても、つまるところ、結局はカレー味なのである。プーリーもサモサもドーサも、もちろんターリーも。インド人はカレーしか食べないと言うのはある意味真実であると言える。

ファティープルスィークリーも「観光地」という感じで、ウザイ客引きやガイドが群がってくる。でもアグラー城やタージマハールほど人は多くないみたい。ここまで遠かったもんなあ。40キロといっても1時間では着かない。すでに中に入ったときには疲れていた。でも体の疲れよりも精神的な疲れのほうが大きいかも。あきちゃんにそんなことを言ってみた。すると「ノイローゼ?」と言われた。
私は弱い人間なのかもしれない。インドは2回目だけど、実は全然慣れてないし、余裕もないのかも。ただ思うのは、1つの場所に長くいると、その良さがわかってくるんじゃないかということ。どこでもそうだけど、特にインドはだいたい初日は「もういや!」と思うけど、次の日から少しずつ体になじんでくるというか、体が慣れてくるというか、そんな気がする。だから今回のように2、3日で移動というのを繰り返すのが一番つらい。体も心も疲れる旅の仕方なのかもしれない。

ファティープルスィークリーで印象に残ったのは、アクバル大帝がチェスをしたところ、5階建ての塔、そしてトルコのスルタンの部屋の浮き彫りのきれいなこと。ぶどうやざくろの模様がきれいだった。他にも浮き彫りがきれいなところはたくさんあって、ヒンズー教や仏教、キリスト教の融合を表したものもなんとなくわかった。

モスクの中の白い大理石でできた、聖者の墓は、そこだけ特別な何かがあった。願い事を3つした。外に靴を脱いで入るので、靴の見張り役としてあきちゃんと交替で入ったんだけど、「願い事した?」と聞くと、「あ、忘れた」という。そしてもう一回中に入っていった。何のために来たんだろう。この人は。でもこの人の願い事はいつも同じなのである。

モスクの前で座っていると、白人のおばちゃんにしつこくチェスセットを売りつけようとする少年がいた。おもしろいので、ずーっと見ていると、おばちゃんに断られてこっちに来た。またずーっと見ていると、「欲しいだろ?」みたいに言ってきて、一言「No」と言うとびっくりしたようで、少年はちょっとひるんだ。しかし5ルピーは安すぎて怖い。さっきのおばちゃんには2ルピーとまで言っていた。

それから、小汚い女の子が、ペン?とかシャボン?とかボンボン?とか、ルピー?とか言って付きまとってきた。かなりしつこかった。あきちゃんはキレかかっていた。

次はチャイ屋で別の小汚い女の子に会う。Tシャツを表裏逆に着ていて、前後ろも逆で、しかもパンツの中に少しすそを入れていて、見ちゃいられないので、すそは出してあげた。本当はTシャツをガバッと脱がせてちゃんと着せたかったけど、一応女の子だしなあ・・・とできなかった。彼女は「ハローマネー」とずっと言っていた。私たちのことは金にしか見えないのだろう。彼女の両親は何をしているのだろう。こんな子供たちを何とかすることはできないのか。私は、「バイバイマネー」と言って彼女と別れた。しばらく付きまとってきたけど、いつの間にかいなくなっていた。

帰りのバスで、ピーナツをボリボリ食べていたら、
「まるえは変わった。ごみをバスの中に落として・・・」とあきちゃんに言われた。自然に帰るピーナツの殻、バナナの皮などはいいのである。ちゃんとバスの外に落としてるし。ビニール物だけは抵抗あるので、ゴミ箱に捨てるようにしている。

アグラーに戻ってきて、バスを出るとまたたくさんのリキシャワーラーや客引きやなんだかよくわからない男たちに囲まれる。でも乗り合いテンプーを乗り継いで帰る方法を思いついた。でもアグラー城まで行くテンプーは客もグルでぼってこようとするし、隣に座ってたおばはんは、「どこに泊まってるの?私の宿は○×ホテルよ」とか言ってくるし、それだけで、もう十分にうんざりした。こんなやつらしかいないのか、この国は。

でも夜に行ったカレー屋はとても素朴な人たちがいたので、ちょっと救われる思いだった。(映子)

この建物の上から見て、アクバル大帝はチェスをしたのだ
イスラム建築の中にも、仏教寺院みたいなところも見られる
王様にでもなったつもり?でたたずむ男
トルコのスルタンの部屋に残る、ぶどうの彫刻
これがファティープル・スィークリーだ!という景観。この門の前にはたくさんの物乞いや物売りなど怪しげな輩がうろうろしている

僕はインドには住めないと思う 12月9日

僕はインドには住めないと思う。
排気ガスと埃による空気の悪さ、まずこれに耐えられない。喉は常に痛み、喘息のような咳が出る。そのうち呼吸困難で死んでしまいそうだ。
それに僕はインドの食事があまり体に合わないみたいで、よく下痢をする。下痢なんてこれまでしょっちゅうやっているが、インドでは食事や水に気をつけているのにもかかわらず下痢をするし、映子と同じものを食べていても自分だけ調子が悪いということもある。多分辛いものに対し、胃腸はそんなに強くないのではないか。
僕はカレーをはじめとする辛いものが大好きだから辛さにたいしてはけっこう強いと自負していたが、実はそうではないのではないかという気がしてきている。逆に、辛いのぜーんぜんダメ、と言っていた映子が最近では、辛いのがいいわ、とまで言い出しているのである。前回来た時はターリー嫌い、と言っていたのに、今回はターリー食べたい!ターリーやったら毎日いや一日2食でもいけるで、とまで言い放っているのだ。
女の適応力というのには恐れ入る。女はいろんな経験を積んでいくにしたがっていろんなことに適応していき、強くなっていく。やがて、手に負えない図太いおばはんになっていく。

今日もお腹の調子がイマイチだったので昼はバナナ3本ですませた。映子はもちろんターリーだ。そんなそれぞれの昼食を食べたあと僕らは駅へ向かうべく宿を出た。
駅へ行くのにオートリクシャをつかまえなければならない。宿を出た瞬間待ち構えたようにやってきたオートリクシャは40ルピーと言い張り、交渉決裂。このやりとりを少し離れて見ていた別のオートリクシャは、はじめから35ルピーと指値を言ってきたので、即決した。インド人はいい意味でも悪い意味でも抜け目がない。だからといって、最初から安すぎる金額を言ってくる奴はとても信用がおけないので、そんなのにも絶対のらないんだけど。

するどく指値を言ってきたオートリクシャに乗っても僕らはしばらく警戒はしていた。
途中で1人のインド人を僕らのことわりもなしに乗せる。(おいおい、乗り合いかよ)と僕は少しムッとしたが、実はそれよりも(大丈夫かな?)という不安のほうが大きい。この乗ってきた男とリキシャーの男がグルになって、何か悪巧みをしていないか、そんな風に考えてしまう。
そういう、何でも疑ってしまう自分がときどきイヤになるが、インド人というのはいかにも人をだましそうな顔をしていて、本当に人をだます。いかにも悪巧みしそうな顔をしていて本当に悪巧みをしている。それがインド人なのだから仕方ないといえば仕方ない。
もちろんいい人はいっぱいいる。だから、できるだけ人相のよさそうな人を見つけるようにはしているが、観光客にまとわりついてくるインド人は圧倒的に胡散臭い顔つきが多いので困りものだ。結局いろいろ疑ったが無事何事もなく駅に着いた。途中から乗ってきたインド人も駅に着くと金も払わずどこかへいってしまった。なぜタダ乗りなのだ?と一瞬でも思ったが、この国ではいちいち細かいことに、なぜ?と不思議がっていたらキリがない。

僕らの乗る列車は16時35分にアグラを出発し、翌朝11時40分にアウランガバードというところに到着する。19時間の列車の旅だ。しかし、実は僕らは寝台社であるスリーパークラスを予約したもののシートはまだ確定していない。どういうことかというと、ウエイティングリストに名前がのっているだけ、すなわちキャンセル待ちのような状態だ。
キャンセル待ちといっても、オーバーブッキング防止のため予約の際、かなりの席を鉄道側は確保しているので、ウエイティングリストでも10番以内ならほぼ100%席は確保できる。しかし、僕らの今回のウエイティングリストは48番と49番。この番号が果たして当選確実かどうかまったくわからない。列車がやってくる前に駅の掲示板にその結果ははりだされることになっている。そこで、僕たちは合格発表を待つ受験生のような気持ちで結果を待つのだが、なかなか張り出されない。僕が見に行き、そして映子が見に行き、と交互に落ち着きなく見に行くのだが、いっこうに張られない。そうこうしているうちに16時35分になってしまった。

絶対遅れるのがインドの列車。しかし、驚いたことに今日は時間どおりにやってきたので僕らはあわてた。そして結局僕らは自分たちが当選したのかどうかもわからないまま列車に乗り込んだのだった。(昭浩)

インドの電車  12月10日

 

昨夜、アウランガバード行きの電車に乗った。今回はなかなか快適な列車の旅だな、と私は思っていたけれど、あきちゃんは下に置いた荷物が気になって、あまり眠れなかったらしい。私は一番上のベッドでしばらく本を読み、機嫌よく眠りに着いた。寒さ対策のために寝袋で寝たので暑いくらいで汗を少しかいた。近くのおやじがまたいびきをかいていたけれど、そんなことはものともせずに眠った。

朝起きると、中段に寝ているはずのあきちゃんがいない。ええっ!びっくり。なんと荷物が気になったので、一番下に移動したらしい。そしてまだ寝ていたいらしい。周りの人たちは起きて活動しているというのに、私たちはだらだらだらだらしていた。
電車の中はかなり空いていて、もう私たちの天下という感じである。やっとおきだして朝食を食べる。電車の中ではいろんなものを売っている。サモサ、イドリー、チャイ、しょうもないおもちゃ、etc・・・チッキーというから、チキンかとおもったら、ナッツを使ったお菓子だった。サンドイッチもあった。

掃除をしては金をくれといってくる男もいた。おかまちゃんもやってきた。目の前でパンパンと手をたたいて、10ルピーくれと言うので、いやーな顔をしてムシ。すると、もう1回、パンパーンと手をたたいてきて、挑戦的だ。負けるもんか。インドのおかまちゃんはサリーを着ていた。ちょっと笑った。
同じコンパートメントには、おばちゃんとその娘、そして生まれたばかりの赤ちゃんがいた。まだ生まれて8日目だというのに、こんな電車に揺られていいのか。その娘がお母さんなので、おばちゃんはおばあちゃんである。うれしそうに赤子をあやしていた。(映子)

結局、寝台のベッドで寝れるのか、それとも通路で寝るのか、その結果もわからぬまま列車に乗り込んだ僕らは、しかたがないので、人のベッドをすこし詰めてもらいそこに座らせてもらった。自分の予約してあるベッドに他人が座ってきたら、なんだよ図々しいなあ、と嫌悪感を表すのがわれわれ日本人ではあるが、インド人はその点おおらか。何もいわずにこやかに迎えてくれる。これは僕らが外国人だからというワケではなく、相手が誰であろうと席のとれない人のために少し席を分けてあげる。自分がそうする側のときもあるし、される側の時もある。こういうことが日常的にあって、多分お互いさまといった感覚があるのだろう。人に迷惑をかけるな、と教育する日本人に対し、人が自分に迷惑をかけても我慢しろ、とインド人は子供から教育するらしいが、もしかしたらそういった道徳観からなのかもしれない。
僕たちは結局3時間程、インド人の好意に甘えたおかげで、ずっと立っていることもなく、ハッピーな気持ちで過ごすことができた。そのうち列車のコンダクターが僕らのシート番号を告げにやってきたので、僕たちは自分たちのシートに移った。
翌朝、シートをシェアしてくれたダーバンを頭に巻いたシーク教徒のお兄ちゃんは、爽やかな笑顔を僕らに向けて、とある田舎駅で降りていった。(昭浩)

エローラ遺跡  12月11日

素晴らしい!石を彫りぬいて作り上げたエローラの石窟寺院。
石を彫ってこれだけ巨大なモノを造るなんて現代の常識ではとうてい考えられない。
人手と年月をかけたもののパワーを感じる

やはり観光に向いていないのではないか!僕はアジャンタで気がついた 12月12日

 今日はアジャンタ遺跡の近くにあるファルタプルという村まで荷物を持って移動し、それからアジャンタ遺跡観光を同日に済ますという、怠惰な僕らにとってもは大変ハードなスケジュールとなっている。昨日のエローラ遺跡に続いて、2日連チャンの遺跡観光だ。しかし、観光もこれで最後。
「タイのバンコクで水上マーケットに行きたい!」
映子はまだまだパワーが有り余っているらしくそんなことを言っているが多分これが長い旅の中で、観光と呼ばれるものの最後となるだろう。
僕はお腹の調子がまだ不安なのでバナナ2本だけ食べて出かけた。昨日と今日でバナナ3本しか食べていない。そんなんでエローラとアジャンタ、合わせて50以上ある石窟寺院を見ようというのだから、それは「最後の気合」のなせる業である。

アジャンタ遺跡に到着すると日本人団体客が2,3グループいた。みんなリタイアした人たちのグループだ。昨日のエローラにも他の日本人団体客がいたから、多分ものすごい数の日本人ツアーがインド観光に、いや世界中の世界遺産に訪れていると思われる。お金をヒマをもてあましている引退した人々を相手に日本の旅行会社はホクホクだろう。しかし、ツアーを引率する若いツアコンの子は表情が疲れていた。僕には絶対ツアコンなんてできない。自分が観光するだけでも疲れるのにいくらお金をもらえるからといったって、他人の観光につき合ってられない。

アジャンタには26もの石窟があるが第一窟と第2窟を見ただけでもういい、充分、って気になった。それから先は石窟を訪れるたびに疲れが増していく。アジャンタの石窟は壁画で有名なんだけどそのうち壁画なんてどうでもいいじゃんって気になる。僕らはこれまで観光を目的にずっと旅してきたけど、僕はどうやら本当の意味で観光が好きじゃないのではないかということに今更ながら気がついてしまった。おそい!もっと早く気づけ!と 映子に言われたが、まったく映子のいうとおりだ。
僕は未知のものが好きなだけなのだ。未知のものの対象として自分の知らない世界をこの目で見たかった。自分の知らない世界の人や文化や自然や遺跡というものが見たかっただけなのだ。だから今回来たアジャンタにしても1つ2つ石窟を見て、なんとなくアジャンタってこういうかんじじかあ、というのがわかったらそれでほとんど満足なのである。その反面、映子は違う。映子はまるで勉強でもしているかのように壁画を見、その壁画に何が描かれているか丁寧にチェックし、ふむふむと1人納得しているのである。

「私の趣味は勉強」
映子が昔そう言っていた時、変な女だな、と思ったが、まさに彼女にとっては観光は勉強なのである
「世界一周する前に予習をしておこう」
映子がそういって旅行主任者の通信教育を世界旅行に出る前にはじめたのは、まさに映子らしい行動といえよう。

最後の観光を終えて僕らはファルタプルの小さな村へと帰った。ここはとても小さな村でツーリストもそれほどここには泊らないらしく、村に入ると子供たちの僕たちへのカラミかたが尋常ではない。ものすごい勢いで声がかかる。ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ハロー、ひとりの人間が何度もハローハローを言ってくる上、なにせ人口の世界で1番か2番目に多い国インドだから、その言葉どおり絶え間なく声がかかる。はっきりいってちょっとウザイ。そして僕らの後をついてくる。

そのうちのひとりの子供が僕らに話しかけてきた。
「What is your country?」
「ジャパーン」
やる気なく答える僕。
What is you work?
「?・・・」
僕は少し考えてしまった。
「What is your job?」
僕が問い返すと少年は
「What is your job? What is your job? What is your job? …」
とつぶやきながら急にまじめになって考えこんでしまった。そんなところちょっとかわいい。

今日の昼間、映子と遺跡を見ながら話していたんだけど、子供に限らずインド人ってとてもおかしい人たちだと思う。
何がおかしいかって、インド人のテンションの異常なほどのテンションの高さ、これは普通じゃない。子供ならまだわかるけど大人も子供以上にテンションが高い。僕が想像するにインド人がよく手のひらで一生懸命コネて口の中にいれているやつ―それはごま塩みたいなやつだったり紙タバコみたいなやつだったり、いろいろある―の中に何か入っているんではないか。たぶんアッパー系の何か。それか、ヒンズー教の習慣で何世紀もの間マリファナを体内に取り入れていたのでその成分が遺伝子に組みこまれているのではないか。そうとしか考えられないよ、あのテンションの高さは。いろんな世界の人を見てきたがやっぱりインド人は絶対世界一おかしな人々、それが僕らの結論だ。(昭浩)

シヴァと奥さんの夫婦像
アジャンタ遺跡。僕らはどれだけの世界遺産をめぐったのか
アジャンタの壁画。その良さが僕にはわからない、それが問題だ
アジャンタはインド人観光客でいっぱいだった
アジャンタの涅槃仏
どろぼう注意のサイン?インドらしいといえばインドらしいが・・・

眠れない夜行列車の旅  12月13日

 電車は30分くらい遅れてきた。私たちのコンパートメントには、顔を黒いベールで覆ったムスリムの女の人と小さな息子、そしておじいちゃん2人、さらにおじさん1人、これでちょうど6人だ。最初もう1人、お兄さんが座っていたが、すぐに降りていった。
あきちゃんは、上のベッドで午睡をむさぼっていた。私は、本を読みながら、たまに子供の相手をしたり、サモサを食べたりしていた。ふと上を見ると、あきちゃんが物欲しそうに私のサモサを見ていた。でもあきちゃんは、胃が小さくなってしまったのか、最近全然食べない。すぐ胃重になるし、下痢をする。私はインドのスパイスが体に合ってきたらしく、ターリーもドーサも少々辛くてもいけるし、絶好調だ。
夕食は二人ともしっかり食べた。でも私はちょっと物足りないくらいだった。夜全然眠れなくて、それで余計におなかが空いた。

まず、同じコンパートメントの子供がぎゃーぎゃー泣きわめいてうるさく、それがやっと静かになったと思ったら、隣のコンパートメントでは子供がいっぱいいて、ガヤガヤキャーキャーと話している。さらにその後はおやじたちのいびき。ガーガーと断続的で、しかも1人や2人じゃない。数人で、ガーピーガーピーと大合唱。気にせず考え事でもしようと思ったら、考えすぎてますます眠れない。やっと眠れそうになったころ、おやじが起き出してべらべらしゃべる。そしてまた寝たと思ったら、いびきの大合唱。もういいかげんにしてくれー。(映子)

アララハバードの聖地サンガン 12月14日

 インド人はよく手ぬぐいをかかしのように頭にかぶっている。悪い言い方をすれば、よく漫画に出てくるどろぼうのようだ。そんなおっさんがロビーのフロントに立っていた。5階建ての僕らが泊るところにしてはきちんとしたなりのホテルだ。掃除のおっさんがたまたまいるのかな、と思ったら、そのかかしスタイルのおっさんは、そのホテルのフロントマンだった。「ありえねぇー」と心のなかで叫びながら、 映子が「田吾作」と命名したそのかかしスタイルのフロントマンに部屋まで案内してもらった。

僕らは今日の早朝に夜行列車でこのアララハバードに到着し、今日の深夜またまた夜行列車でアララハバードを発ちブッダガヤへと向かう。一夜も過ごさないわけなのだが、夜行列車のレンチャンでは体がもたないということもあり、ホテルをとったのだ。昨夜はいびきおやじのおかげであまり眠れなかったので、ふたりして部屋にチェックインするなり爆睡だった。

夕暮れ迫る頃、観光に出かけた。アララハバードというところはあまりツーリストにはなじみのないところであるが、ヒンズー教徒にとっては大聖地なのである。
聖なる河ガンジスと同じくインドでは聖河とされているヤムナ河が合流するサンガンと呼ばれるポイントがあるためだ。大きな祭りでは、あまりの多くの巡礼者が押し寄せてきたため、350人の圧死者が出るという事故まで起きたことがあるくらい、とんでもなく集客力のある聖地なのである。聖地好きの僕らがいかないはずはなかろう、といったところだ。

聖地には、聖なる気がながれ、聖なる波動を感じる。聖なる空気に魂が洗われ、心も体もすべて浄化され、救われた気分になる。

と、まあこのように絵に描いたような聖地ならとてもうれしいところなのだが、そこには沐浴するため半裸になった毛むくじゃらで太鼓腹で濃い顔のインド人たちがいて、服を着ているインド人はボートに乗って合流地点までいかないか、と執拗に声をかけてくる客引きばかり。河の水は茶色に濁り、時おり白い布で巻かれた人の死体が流れてくる。霊をひろってこないように、僕らは慌ててその場から逃れる。とてもじゃないけど、魂の洗濯にはならない

ただ、真っ赤な夕日だけが印象的な大聖地サンガンであった。(昭浩)

この夕日のなかで、ぼんやりともやのかかる聖地であった

ブッダガヤへ  12月15日

今回の長い旅のなかで、結局最後に訪れる目的地、それがブッダガヤだ。ブッダガヤの後、カルカッタ、バンコクと日本に行くまでの間に訪れる都市はまだあるが、目的を持って訪れる場所は ブッダガヤが最後である。

2年半前にインドを訪れたとき、もちろんブッダガヤも訪れたい場所リストのなかに入っていた。ブッダにまつわる4大聖地のうち、ルンビニ、クシナガル、サールナートの3つをすでに行っていた僕らが、最後に行き残した場所、それこそ、ブッダガヤだったのだ。

ブッダガヤに着いてまず目についたのがチベタンキャンプだった。パオのような外観のチベタンレストランが立ち並ぶチベタンキャンプ、僕はそれをみただけでうれしかった。ほっとしたといってもいいだろう。僕はすべての食べ物がカレーもしくはカレー味であるインドの食事にほとほと飽きていた。インドのスパイスにすっかり疲れていた僕にとって、カレー以外の食べ物が食べられる、という期待感、それだけで、「ブッダガヤ最高!」といいたくなるだけの説得力があった。最近下痢続きだった僕にとってまさにそこは「救いの場所」だったのだ。

ブッダガヤの町をぶらりとひとまわりした。ルート・インスティチュートという場所では、毎朝無料のメディテーションのレッスンがあったり、日本寺では毎日朝と夕方に自由に参加できる座禅の時間があったりとなかなか充実した時間が過ごせそうである、しかも、いろんな国のお寺があるので寺めぐりもできる。近くには苦行の時乳粥をもらったスジャータ村がある。ブッダがその下で悟りをひらいたといわれる菩提樹だってある。
ちょっとにぎやかな田舎の村といった様子のブッダガヤ、なんだかいいことがありそうな予感のさせる場所だ。
そして、その日の夕方、入ったレストランで不思議な人に遭った。(昭浩)

●不思議な人のハナシ

不思議な人のハナシをどのようにまとめていいのか、とてもとまどってしまう。僕自身もよくわけわからないことを言うので「不思議ちゃん」と呼ばれるので人のことはとやかく言えないが、レストランで会った「不思議さん」のハナシをつらつらと書いてみたいと思う。
不思議さんは多分年齢40歳。7年前に仕事は引退。30代前半にしてセミリタイア生活。もうすでにこの時点で普通ではない。セミリタイアしたのは、これからの人生を真理の探求のために使いたい、ということらしい。

たぶんここまで読んだところで、多くの人は、この不思議さんって人はイッちゃっているヒト、という風に想像するだろうが、見かけはとてもマトモだし、話し方や人との接し方も10年近く社会人を経験しているだけあってかなりしっかりしている。早い話、話の内容以外はとても普通な人なんである。

うーん、彼の言うことはどうしてもきれいにまとめることができないので、断片的に書いていきたい。話を直接聞くととてもよくわかったような気になるのだが、紙にするとうまくまとめられないので、行間を読んでニュアンスをつかんで欲しい。

不思議さんのハナシ・・・

これまで真理を研究してきて、カルマの原理、ココロの原理というものがわかった。真理というものを一生懸命これまで探していた。一生懸命さがしたけど見つからなかった。でもそこにあるということに気がついた。それは、たとえるなら、ネックレスを衣装懸命さがしている女性がいる、しかし、ネックレスは首にかかっていた、そういう感じだ。

人生は偶然か必然か?人生は必然でもあり自由意志によって可能性も開けてくる。

人は潜在意識でつながっている。欲というのは宇宙エネルギーの現れ。社会貢献、自己実現、家族、etc・・・人によって人生に求めるものは違っている。それらはすべてプログラムされている。みんながひとつのことに集中していたら(たとえばみんなが社会貢献のためにボランティアに走ったりしたら)世の中うまくいかない。

結局自分自身のやりたいことをやっていくしかない。でも、本当にやりたいことは何か。心の欲することは何か。魂の欲することは何か。そういったものを見極めなきゃいけない。自分は何に対して何を感じるか、というのを見極めなきゃいけない。

・・・・・といったような内容の話しだったと思う。実際、不思議さんはもっと深くそして興味を刺激しながらそんな話をしてくれたのだと思うが、僕が覚えている部分というのはこんなものだ。

ふむふむ、とか、なるほど、とかいってわかったような気になる部分もあったが、わかるようなわからないような、なんだかとても不思議な気持ちになった。
不思議さんは、インド人の作ったパンケーキにシロップをたっぷりかけ、とてもきれいに平らげたあと、
私は歩きながらも禅の状態にあるんです。」
といって、ゆっくりとした足取りで夜のブッダガヤの闇へと歩いていってしまった。不思議な人だった。(昭浩)

ブッダガヤで座禅を組む 12月16日

 その日の朝、どうして萩原和尚がそんなことを言ったのか、よくわからない。たまたまその時の気まぐれだっただけなのかもしれない。でも、僕たちにとっては意味のある言葉だった。

「座禅はどれくらいの時間やればいいんですか?」
座禅のやり方をひととおり教えてくれた和尚に僕は質問した。気軽にした質問だったが、帰ってきた答えは深いものだった。

「座禅は何時間やればいいというものじゃない。長ければいいとか短ければ悪いという価値感ではないんです。座禅は結果であって、座禅しようとして座ったことに価値があるんです
僕はこの言葉にとても救われた気持ちだった。
僕が抱いていた、この旅に対するもやもやしてものからすべてふっきってくれた言葉だった。
この旅にいったいどんな価値があるんだろう。3年間も旅をしていて何を得たのだろう?プラスになったことはあったのか?
多分、あると思うけど、それって何だろう。不明瞭で、もやもやしている。
それが和尚の言葉でクリアになった。
世界一周をしようと2人で決めて、世界一周に出発した。このことに価値があるんじゃないか」ってこと。

「世の中には時間を決めてやるタイプの座禅もあるが、自由にする座禅は、すべて本人の自由、1秒でも5秒でも自分がいいやと思えばそれがやめ時なんです。いい加減・・・これは、てきとう、といった意味でなくて、たとえばお風呂のお湯加減で、熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうどいい湯加減をいい加減というような意味でのいい加減が一番いいんです。それはその人が、もういいや、と思えば、たとえそれが1秒でも5秒でも、それがやめ時なんです。それがその人にとってのいい加減なんです」

3年以上も長い間旅をして何を得たのだろうか?といった問いなんかにはまったく意味はない。旅は旅をすること自体に意味があるってこと。
僕たちは旅をしたくて旅をした。ただそれだけ。だからそれでいいじゃん。何かを得るために旅をしてきたわけじゃないんだ。
それに、3年だろうが1ヶ月だろうが、それはあまり大きなことではない。僕たちには3年2ヶ月という時間が必要だっただけで、それだけの時間がいい加減だっただけのことだ。

僕は33歳という働き盛りの年齢で旅にでたわけだが、それだってあまりその価値には関係ないことで、僕にとってたまたまそのタイミングが33歳、映子にとって28歳というタイミングだっただけのことで、すべては個人差なのだ。他人がどうだとか、一般的にどうだとか、世間体がどうたとか、というのはまったく関係のないことで、時期、期間すべてひっくるめて、それが自分たちであり、自分たち自身なのだ。

「日本人はまわりの目を気にする人が多いのか、まわりの人が座禅をやめないと自分ひとり座禅やめたりしにくい。また逆にみんなが座禅を終えていくと自分も終わったほうがいいのかなと思う人もいる。けれども、そんなこと気にしなくていいです。
人間関係でも相手に気をつかって言葉を選んでみたり、顔色をうかがう必要なんてないんです。それで人間関係壊れるなら、そんなもの壊れちゃっていいんです。それだけの縁だったんです。自分の主人は自分だけなんです。」

和尚はイヤな人とは無理してつきあうな、と言い切っていた。イヤな人でもある程度は我慢してつきあったほうが、人間の許容量が大きくなっていいんじゃないか、という考えもあると思うが、ここまで和尚に言い切ってもらえると聞いていてとてもすがすがしい。イヤな人と無理してつきあう必要がない人生・・・なんていい響きなんだ!

「人間は誰だってミスをするんです。それでいいんです。ミスしたら、ごめんなさい、といってあやまればいいんです。同じように他人もミスをするんです。ごめんなさい、とあやまってきたら許してやってください。人はみな許されて生きているんです。誰にも許されず生きている人なんていないんです。誰だって自分がかわいいんです。自分を大切にしてあげてください。」
和尚の話は続く、そしてその教えは明快だ。

「身を粉にして人に尽くしている、といっている人がいますが、これはどうも胡散臭いですね。子供のために自分は身を粉にしている、という親がいますが、ほとんどの場合結局は子供のためといいながら自分のためにしている。人の子供より自分の子供の方がかわいい、これは普通です。しかし、これは自分の子供だからかわいいいんです。それは結局自分がかわいいからなんです。だから、他人だって自分がかわいいんだということを理解してあげてください。自分を幸せにできない人が他人を幸せにすることなんてできないんです。幸せそうな笑顔だけで人は幸せになれるんです。」

こういう話というのは、もしかしたらこれまで人生のなかで、どこかで聞いていたり、もしくは、本のなかで読んだことがあるそんな内容なのだと思う。だけど、僕はすっかり、じーん、と来てしまった。自分の内なるものに響いた、そんな感じだった。ブッダが悟りを開いた場所ブッダガヤの日本寺でのことだった。(昭浩)

瞑想と禅  12月17日

今朝はルート・インスティチュートというところでメディテーション(瞑想)をした。英語の説明は聞き取りづらく、分かりづらい。理解度50%くらい。それと足が冷えてしびれてきた。瞑想は悪いものを体から出したり、動機を考えたり、海を想像したり、考えなければいけないことがたくさんあって大変だ。私は禅のほうがあってるなと感じた。

今日は初めてメインのお寺の中に入った。中にはお経を唱えている人たちがいた。朝や夕方にこのメインの寺から流れてくるサンスクリット語のお経は歌うような調子がいい。日本のお経とはまた違う。

夕方の座禅で1つ質問をしてみた。手の組み方の意味について。なんていう名の印かわすれたけど、印にはすべて意味があって、座禅のときは禅定、つまり精神統一とか、安定した状態というような意味があるらしい。右手を上にするのと左手を上にするのとで宗派が違うそうだ。

座禅の途中で一度停電した。真っ暗になってろうそくの光だけで見るお堂も雰囲気ある。目が慣れてきたら、だんだん見えてくるのが不思議。

禅とはこだわらないことである」というのを本で読んで、なるほど、だから萩原和尚はあんなにサバサバしているのかあと、妙に納得してしまった。禅のことは学べば学ぶほど楽しい。

「腹が減ったら飯を食い、眠くなったら横になる」これが禅だそうだ。簡単そうに見えてなかなかできないことでもある。(映子)

ブッダガヤでの日々 12月18日

ブッダガヤでの一日はシンプルだ。

朝5時起床、そして日本寺に向かい6時から座禅、これが一日のはじまりだ。

日本寺で座禅→メイン寺(ブッダが悟りを開いたところ)をコルラ(一周すること)→朝ごはん→道端でチャイを飲む→部屋で休憩→再びメイン寺にいって今度は菩提樹の下で座禅→昼ごはん→チャイを飲む→日本寺の図書室で読書→日本寺で座禅→夕ごはん→メイン寺コルラ→チャイを飲む→宿に戻って日記を書いて就寝

一日が座禅、コルラ、ごはん、チャイ、読書というたった5つの構成でしかない。
シンプルライフだ。でも充実している。毎日楽しい。
日本寺の図書館に行っているが、ある本は仏教関係の本が多い。僕はマンガを読みながら仏教についての知識をつめこんでいるが、わかるところもあれば、よくわからないところもある。

「そのままでいい」「ただ座るだけ」「ただ歩くだけ」「今何ができる」
いいキーワードはいっぱいある。でもよくわからない。まだまだ世の中には学ぶことがたくさんあるのだなと思う。
読書の後は夕方の座禅だ。座禅が心地よい。お寺の中の空気ががいいからか、いいエネルギーをもらっている感じがする。


これから先、なんかブルーな気持ちになったり、閉塞感を感じたりしたら、ブッダガヤでのシンプルな日を思い出そう。今日のような日が、将来の自分を救ってくれたり、パワーを与えてくれるのだと思う。(昭浩)

この橋の向こう側にスジャータ村がある。ブッダもこのあたりウロウロしていたのかな。昔と景色はだいぶ変わったのだろうか
全く水が流れていない枯れ川、向こうにうっすらとブッダがこもった山が見える
スジャータがブッダに乳粥を渡しているところ

ルート・インスティチュートとカルマパ   12月19日

ルート・インスティチュートはチベット仏教の教えを中心として、メディテーションやヨガなど様々なワークショップを行っている。私たちは、今日ブッダガヤ最後の日に1日ワークショップに参加した。

最初のメディテーションは、前に来たときと同じ先生で、今回ははりきって一番前に座ったので、声もよく聞こえてわかりやすい。なーんだ、私の英語力不足じゃなくて、ただ単に前回は聞こえなかっただけか。ちょっと安心。

基本的に悪いものを取り除いて、いい物を体に入れていくというものらしい。前回よりは成功した。足のしびれも少しですんだ。(でもやっぱりしびれる) 大切なのは、姿勢だ。もちろん瞑想だから一番大切なのは精神的なものなんだけど、そのためには肉体的安定が不可欠なのである。まだまだ修行が必要だ。

2時間目はフランクが仏教の基本的な考え方を教えてくれた。何事も原因があって結果がある。幸福も不幸もすべて原因は自分にある。というのが主な話だ。そしてどういう行動をしていったらいいかという話をしてくれた。

次に瞑想のときの先生に戻って、7つの実行することについての説明。実際に祭壇を作ることもした。

昼から30分ビデオを見た後、チベットの人たちがよくするように、五体投地(というお祈りの仕方)をやってみる練習をした。これがなかなかつらい。チベタンは大変だ。こんなことをしょっちゅうやって。これが浄心のために必要らしいが、体力いるなあ。でもちゃんとしたやり方がわかってよかったと思う。

その後、Medicine Buddaのプージャ(お祈りの儀式みたいなの)。私は、休憩のたびに飲んだ紅茶が聞いたのか、さいしょのころからずーっとトイレに行きたいのを我慢していた。本を見ながらお祈りの言葉を唱えるんだけど、後どれくらいで終わるんだろう。後、10ページぐらいある。気が遠くなった。

最後の授業は、Light Offering。まず、瞑想して気持ちを落ち着け、いい気分になってから外に出て、ろうそくに火をつけて、ストゥーパ=仏像の周りに置く。きれいだった。なんだかとてもいい気持ちで今日一日のプログラムは終わった

ところで、話がつながっていないようつながっているんだけど、カルマパはどうなったんだろう?まず、知らない人のために、カルマパについて説明すると、チベットといえば、ダライラマが有名だけど、そのダライラマが亡くなって転生するときにその間の期間、ダライラマの代わりをする人が、カルマパ。その人が、今日ブッダガヤに来ていて、講演をするという。そして、今日のこのプログラムの最後に、カルマパが来る!というようなことが書かれていたので、このプログラムの最後に出てくるのかと思っていたのだ。

なのに何事もなく、カルマパという名前さえも出てこずにこのワークショップは終わってしまった。そこで、どこに行けばカルマパに会えるの?と思い切って聞いてみた。すると、シチェン寺で講演をやるけど、事前に取得した専用のIDカードがないと入れないとか。
でも行って聞いてみると入れるかもといわれたので行ってみた。思ったほど人が並んでいなかったので、本当にココであるの?と思ったけど、お寺の中は、すでに人がいっぱいだった。私たちは中に入れなかったので、外から見た。意外とよく見えたし、声も聞こえた。でも行ってることはよくわからなかった。カルマパはチベット語で話して、英語と中国語の通訳が順番に訳していくという形なので、ひとつの話にとても時間がかかる。最初は抽象的な話、MindとSenseの話などをして、Six senseの映画がどうとか、冗談ばっかり言っては笑いを誘っていた。最後のほうに、自由をあきらめないといっていた。でも暴力とか、戦争とかは望んでないから軍隊は持たないというようなことを言っていた、と思う。多分。理解度30%以下かも。カルマパもダライラマと同じように転生して、今は中国政府が決めたカルマパと(本物の?) チベットのカルマパと2人いるらしい。今日私たちが会うことができたのはもちろん本物である。

帰りに数珠をもらった。私たちは、会場の中には入れなかったので、きっともらえないだろうと思っていたけど、帰ろうとしたらおじさんが呼び止めてくれて、私たちにも数珠を渡してくれた。とてもうれしかった。(映子)

コルカタへの長い道のり   12月20日

昨日カルマパの講演を聴いたあと、宿にもどってすぐに支度して、さあ行こうと思ったら、宿を仕切っているおじさんに呼び止められる。その辺りからちょっとやばかった。 この先の不運を暗示しているような感じすらした

おじさんの言うことには、
「車頼んでないの?今から行ってもないよー。何で早く言わなかったのー?」

困った私たちは、どうしたらいいのか聞いてみたけど「車はない。嘘じゃない。」と繰り返すばかりで埒が明かない。解決方法を示すわけではなく、ただ、車はない。というばかりのおじさんには、いい加減嫌気が差して、宿を出た。さらにそのおじさんの捨て台詞といえば、
もし車がなくても、宿に迷惑かけないで。」
である。なんて人だろう。

とりあえずオートリクシャがいつもたむろしている辺りへ行ってみた。すると、1台オートリクシャが現れた。しかし、めちゃ高い値段を言われた。値切ったけど150ルピー(360円)までしか下がらない。アシがあるだけラッキーを思うべきなのかな。車を頼んだら500ルピー(1200円)とか、宿のおじさん行ってたもんな。(そりゃ高すぎー。宿で頼まなくてよかったー。)

何はともあれ、私たちは無事にガヤ駅に到着した。夜10時ごろだ。電車の時間までまだまだ時間があるなーと、歯を磨いたりして待っているときはまだよかった。そろそろ電車が来るかなあ、とホームに行って待っているけど、一向に電車が来ない。だんだん眠くなってきた。1時間待って、2時間待って・・・。一緒に待っていた家族が、ついにどこかへ行ってしまった。
誰かが、「電車は5時間遅れている。」と言った。
ええー?ということはあと2時間はここで寝れる。ついに寝袋を出した。いい加減寒いし、眠いし、お腹も空いてきたし、どうにかして欲しい。しかも蚊が多い。そんな中で、私は眠った。朝の4時ぐらいだっただろうか?欧米人がやってきて、コルカタ行きの電車は来ないという。何かプロブレムがあったらしい

日付が変わった途端にプロブレムだ。近くに座っていたインド人に聞くと、「パトナーに行け。」と言う。私はまだ寝ぼけていて、何がナンやらよくわからない。見ず知らずのそんなインド人の言うことを信じていいのか?しかし今はそれ以外に情報もなく、パトナー行きの電車はすぐそこに来ていて、超満員だ。私はトイレの近くのスペースにかろうじて立っていた。立ったまま寝てしまって、時々膝がガクンとなった。つらかった。でもこんなつらい思いもいつかは終わる。そう思ってがんばった。
周りは男たちばっかりだった。しかもよくトイレに行く。多分、うんこだろう。長いし臭い。でもそれがそんなに気にならないくらい、私は疲れていたし、つらかったのだ

パトナーに着くと、その電車から降りる人が多すぎて、ホームと階段がすぐに人でびっしりいっぱいになった。私たちの電車はどこに来るんだろう。そして本当に来るんだろうか。それすらわからない
あきちゃんがどこかで、だれかに聞いて得た情報によると、来るらしい。1番ホームで待った。1時間、2時間・・・遅いなあ、本当に来るのかなあ。普通にパトナーを通る列車も5時間くらいは遅れているようだ。ちょっと聞いてくるわ、とあきちゃんが席を離れたそのとき、その列車はやってきた。本当にやってきた。奇跡的にやってきた。そう思った。だってもう12時間も遅れて、しかも本来は通らないはずの駅へ、本当にやってくるなんて・・・。

これはインドの電車のいいところなのかもしれない。結構粘り強いところあるよなあ。12時間も遅れたら、もう他の電車で行ったほうがいいんじゃないの?と思うし、その電車は放棄したくなるけれど、運転手さんはがんばってここまで来たんだ。
でもインドの電車の困ったところは、普段の列車の案内は英語もあるし、遅れるときも言ってくれる。なのになにか大きな問題のときは、英語のアナウンスがないのである。なぜかヒンズー語だけになるのだ。そういうときこそ、英語で言って欲しいのに。

私たちの席は別々で、私の席はちゃんと空いていて、コンパートメントに人は少なかった。あきちゃんのところはなぜかいっぱい。私の席ではちょうどシーク教徒のお兄さんがターバンを巻いていた。どうやって巻くのかじーっと見ていたかったけど、あまり寝てない私は、あまりにも疲れていて見れなかった。もう11時で、私の中段のベッドはたたまれている。だから座ったままで死んだように眠った。1時間くらいは寝ていたと思う。その後、上段のベッドで寝たら?と同じコンパートメントの人にも言われたので、上に上って、2時間くらい寝た。

それから、下へ降りて座り、列車の窓から入ってくる風を受けていると、なんとも言えず、気持ちよかった。途中の駅で、みんないろいろなものを買っていた。私は寝る前にサモサを食べて、お腹膨れていたので何も買わなかった。だけど、同じコンパートメントの女の子が、親切にピーナツやらバナナやら、綿菓子みたいのやらクッキーやらいろいろくれた。彼女は両親と姉と4人で乗っていた。その家族と少し話した。他にコルカタの見所を教えてくれたおじさんもいた。シーク教のお兄さんとは話さなかった。ずっと隣に座っていたけど。ターバンの巻き方教えてもらいたかったけれど。

インドの太陽は、赤い月のように、霧の中に沈んでいった。コルカタへの道のりは、それからまだまだ長かった。同じコンパートメントのお父さんは、「9時ごろ着くよ。」と言った。お父さんの言うとおり、9時過ぎに、列車はやっと、本当にやっとと言う感じでハウラー駅に着いた。ホームのすぐ出たところに、車がたくさん止まっていて、ホームなのに、そこはすでに駐車場。不思議な駅だ。

私たちは、外へ出た。外へ出る前に、日本人の女の子が、声をかけてきて、タクシーをシェアすることにした。すると、どこからともなく、日本人の男の子が現れて、4人でタクシーに乗って、サダルストリートへ行った。
目当ての宿はいっぱいで、2軒目でボロボロの、愛の逃避行チックな部屋に落ち着いた。とりあえず、一晩寝るだけだ・・・。(映子)

あのカルカッタは今はコルカタに 12月21日

 インドといえばカルカッタ。多くの旅人が、昔カルカッタにたどり着いた時のすさまじさをよく口にしたものだ。 汚い、くさい、牛、と物乞いの数がハンパじゃない、とにかくすさまじく、そしてパワーのあるところ。みんなたいていそんな感じのことをちょっと自慢気に口にする。沢木耕太郎の深夜特急でも強烈な印象が描写されている。はじめてそれを読んだ時、そんな強烈な世界が同じ世の中に存在するということに、とても驚かされたものだ。

そんなすさまじい街へ行ってみたい・・・15年近くもの間、強烈なカルカッタに僕の好奇心は強く惹かれていた。

しかし、現実はだいぶ違っていた。そもそも、カルカッタというのがコルカタという呼び名に変わっているだけで、「ダメじゃん」て思う。やはりカルカッタはカルカッタであって欲しい。コルカタだと全然違う場所のニュアンスだ。

以前から噂には聞いていたが、実際のコルカタは牛や物乞いがかなり減っていた。牛においては探してもいない。インドの町ではたいていそこらへんをウロウロしているのにコルカタにはいないぞ。

コルカタ市の方針で牛と物乞いが減ったのだそうだ。そして、今となってはちょっと都会なインド。ディープなものはなにもない。古きよき (?) ものというは、失われていくのだなとしみじみ思う。世界はどんどん変わり、たぶんこれから先、決して同じ景色は見られない。
僕らの旅ももうすぐ終わり。同じ場所に来たところでもう二度と同じ景色は見られないということだ。あのカルカッタが誰も二度と見ることができないように。(昭浩)

こぎれいになったサダルストリート
見よう見ようと思って結局劇場で見れなかったインドの映画

ベルーマート   12月22日

 

「ベルーマートへ行け」と、コルカタ行きの電車の中で出会ったおっちゃんは言った。は?ベルー???そりゃあ一体なんだ?名前すらはっきり聞き取れず、何度も聞き返して、それでもわからなかった。幸い持っていたガイドブックに載っていたので、それがどういうところか、どこにあるかわかった。そして別のおっちゃんは、「カーリーテンプルも近い。」と言っていた。

ガイドブックをよく読んでみると、ラーマクリシュナという人の寺院らしい。ラーマクリシュナという名前は、ブッダガヤであった不思議さんから聞いていたので知っていた。すべての宗教は一つである、という宗教の合一性に気づいた人である。
私たちは、この3年間いろんな宗教を見てきたけれど、結局真理というものは1つなんじゃないかと思いはじめていたので、ここは行っておいたほうがいいと思った。そしてカーリーテンプルは、彼が宗教の合一性に気づいた場所。

ベルーマートは、ラーマクリシュナの弟子が作った教団の活動拠点で、博物館を見たり、ビデオを見たり、新興宗教チックな感じだった。カーリーテンプルは大きなヒンズー寺院。両方とも特に私にインスピレーションを与えてはくれなかった。ただ、ベルーマートからカーリーテンプルに移動するときに乗ったボートはよかった。ガンガーの支流、フーグリー川をボートで渡る。なかなか旅情をかきたててくれる。来てよかったと思った。(映子)

ラーマクリシュナがインスピレーションを得たカーリーテンプル

昼ごはんをハウラー駅の近くの食堂で食べた。もちろんターリーだ。

「これが最後のターリーやね。あれほどターリーをイヤがっていた映子がターリーのとりこになるとはねぇ」
「味覚が変わったんとちゃうかな」

確かにその通りかもしれない。日本の食事というものを3年間食べていないとさすがに味覚も変わるだろう。甘いものに鈍感になり、辛いものへの抵抗力がついてくる。それ以外にも細かく言えばいろいろあるだろう。味噌汁の濃さだって今じゃぜんぜんわからない
その分、よくもわるくもこの3年間さまざまな味を体験してきた。

いろいろな食体験をして感じるのが、食べ物は食べ物以上の存在だなあということだ
たとえば外国では食べ物の屋台が道端によくあふれていて、そんなおいしそうな食べ物が並んでいるのを見るだけで、とても楽しい気分にさせてくれる。要するに存在しているだけで人を幸せにする光線を発しているってことなんだ。
それに夫婦のコミュニケーションにおける影響力も大きい。僕たち夫婦の話題でもっともよくあがるのは、食べ物のことだ。いつも昼ごはん何食べる?その後は夜ごはん何食べる?寝る前には明日の朝何食べる?といった会話がほぼ毎日繰り広げられる。
旅の楽しみの半分以上は食べ物かもしれない。大袈裟かもしれないけれど、そう思えるほど旅の食べ物は毎日の楽しみだった。
食の思い出は欠かせない。食べた場所の思い出、いっしょに食べた人々、その時の感情・・・食べ物といっしょにいろんなものを思い出す。食べ物ってやっぱり食べ物以上の存在なんだ。

今夜はインドでの最後の夜。映子はドキドキして眠れないといっていたが、5分くらいでもうすでに眠っていた。この時期のコルカタの夜は暑すぎず寒すぎずで、蚊もほとんどいない。とても気持ちよく眠れる。そしてたくさんの夢を見る。長い旅もあと1週間もたたずに終わってしまう。いよいよ旅も終わり・・・そんなモードだ。(昭浩)

花市場?ガンガー沿いでのビビッドなこの光景に目が釘付けになった
インドのタクシー。ノスタルジックな車が今でも使われている
路面電車は、コロニアル時代の名残を感じさせる
ネパールl旅行記2004VOL2世界一周からの帰国

インドのインデックス

インドの食べ物インデックス

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