イスタンブール 9月20日〜10月1日

テヘラン発イスタンブール行き後編 9月20日 9月21日

イランの地は不毛の荒野だったが、トルコの大地は豊かな恵みのエネルギーに満ちていた。豊かといっても緑が青々と茂っているわけではない。 −それは、もしかしたらかぼちゃかもしれないし、またはきゅうりかもしれないけど−ここでたくさんのじゃがいもがとれるのだろうと容易に想像できるような耕された畑が遠くまで続いている。

トルコの列車に乗るのははじめてだが、トルコの景色ははじめてではない。でも、生まれて初めて見たトルコの大地のような気がした。前にこの国に来たときは、何を見ていたのだろう。以前イランからイスタンブールへ駆け抜けたバスの車窓の風景を僕はまったく覚えていない。それは、昔の自分の一部がどこかへいってしまったようだ。人は記憶にでさえ過去を留めておくことはできないのだ。その時の自分に「見えるもの」しか見ることができないのかもしれない。 (昭浩)

ワン湖はフェリーで渡る。荷物の入ったコンテナ車両はそのまま船に乗せる

イスタンブール到着 9月22日

夜、イスタンブール駅に着いた。僕たちの列車が着いたのはイスタンブールのアジア側の駅だったので、旧市街のあるヨーロッパ側へはフェリーで渡った。
イスタンブールの夜景は僕たちの心をときめかせた。船から見たライトアップされたモスクの風景がそうさせるのか、ボスボラス海峡をフェリーで渡ってアジアの旅にピリオドを打つということに酔った心がそうさせるのかはわからない。
旧市街に入るとますます僕たちのテンションは高まる。それは、アジアを旅してきた全ての者が感じる心の高揚だと思う。
ここはヨーロッパやで
映子の言葉だ。イスタンブールはヨーロッパだった。家並み、人々、サービス料を取るレストラン、路面電車の走る石畳の坂道、どれもヨーロッパに思えた。アジアの旅が終わった瞬間だった。 (昭浩)

街中を走る路面電車を見ただけで感動してしまった

両親との再会

イスタンブールに9月23日までに到着すること、これは私たちが、8月の初めに掲げた目標だった。その理由は、私の両親がイスタンブールに来るからだ。当初の予定より、2週間も早まったと聞いたときは、正直あせったし、無理かも・・・と思ったりしたけれど、なんとかたどり着くことができた。そして、今日、ついに再会の日がきた。

大きな観光バスが、ホテルの前の狭い道に入ってきた。両親の姿はすぐに見つけることができた。母は、再会をとても喜んだ。父は、いつものように淡々としていた。それから、2人の部屋で2時間くらいいろいろ話した。持ってきてくれるように頼んであったたくさんの荷物を受け取った。両親の荷物の半分は、私たちのためのものだったのだ。そして、明日また来ることにして別れた。
翌朝、ホテルに行って、ガイドさんにその日の予定を聞いた。ブルーモスクから、観光すると聞いたので、ブルーモスクの前で待つことにした。ブルーモスクの前は、すでにたくさんの観光バスが来ていた。私たちが待っている間にも、何台も何台もやってくる。日本人観光客を乗せているように見えるバスも5台くらいはあっただろうか。
40分くらい待ったところで、あきちゃんが「今のバスやったかも」というようなことを言った。そのバスは、ブルーモスクの前で止まらず、通り過ぎていったのだ。それから、急に不安になって、「もしかしたら、もう別の入り口から入って、ブルーモスク観光終わってるかも。次のアヤソフィアか、地下宮殿に行ってるかも。」と、思い始めた。
後から考えたら、どうしてそんなにあせってたのかと思うのだけれど、いてもたってもいられなくなって、ブルーモスクにも入らずにアヤソフィアに向かった。アヤソフィアの中を観光したのだけれど、両親を探すのに必死で、あまり集中して見られなかった。
そして、地下宮殿も続けていった。でも、両親には会えなかった。やっぱり、ブルーモスクの前で、待っていればよかったのだ。最後にもう一度、アヤソフィアの前で待った。すると、父の姿が見えた。よかった。やっと会えた。念願だったブルーモスクの前での記念撮影もできた。一緒にまわれなかったけど、この一瞬だけでも会えたことがとても貴重に感じた
両親はすぐに、昼食を食べに行き、そのままトプカプ宮殿に行った。私たちは、夕方5時頃もう一度、ホテルへ行った。母は、疲れてぐったりしていた。父も多分疲れているんだろうけど、一緒にビールを買ってきて、部屋で飲んだ。久しぶりに会って、話したいこといっぱいあるはずなのに、実際に話すことといえば、たわいもないことなのだ。父は、カッパドキアで買ってきた小さいワインをすでに飲み干し、私たちは、久しぶりのビールですぐに真っ赤になった。

両親と過ごせる最後の日がきた。今日こそは失敗しないように、ガイドさんに予定を聞いて、11時にグランドバザールの入り口で待った。11時半になってもバスは現れない。不安がよぎる。でも、前回の失敗を教訓にバスのナンバーも控えていたし、入り口はここだとわかっていたのでぬかりはない。案の定バスは遅れて到着した。
自由行動がほとんどなかったこのツアーで、最後にやっときた自由時間は、2時間だった。ツアーには食事も全部ついていると思っていたら、この日だけはついてなくて、一緒に食べることができた。
父は、「なんか欲しい物ないか」と、しきりに聞く。重い荷物いっぱい持って、ここまで来てくれたんやからもう十分やよ、お父さん。こうやって過ごす時間が短ければ短いほど、めちゃくちゃ貴重なものに感じる。もう少し時間があればなあ。ご飯を食べた後は、グランドバザールでお買い物。母は小さなお土産をたくさん買った。そして2時間はあっという間だった。

「あぶなかったら2人で帰っておいで。」と、別れ際に母は言った。電車で行くから間に合わないかもしれないけど空港に見送りに行くから、と言って別れた。父はさよならも言わずにもうバスに乗ってしまった。いつも見送るのも見送られるのも嫌がるのだ。だけど、バスが動き出して、私たちがトラムの駅から手を振っていると、2人して私たちのその姿を写真に撮る。なんだか笑ってしまった。
空港には思っていたよりは早く着いた。ガイドさんに会ったときは、間に合った、と思った。ところが、「今、入っていきましたよ。会えなかった?」と言われたときは、がくんときた。なんだか、最後の最後まで、今回は失敗ばっかりしてるなあ。せめてあの時、ブルーモスクの前で待っていれば、とか、タクシーに乗って空港に行けばよかったのかな、とか、いろんな後悔が頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていた。そして、夜、母にメールを書きながら、泣きそうになった。私も日本に帰りたい。初めて、本気でそう思った。(映子)

鳥の日

両親とイスタンブールで別れた後、僕は目標を失った鳥だった。

両親がイスタンブールにやって来る、そのことを中国のカシュガルで知った。それからは、9月22日までにイスタンブールに行って両親に会うこと、それがひとつの目標となっていた。その目標がなくなった今、僕はまさに目標を失った鳥の状態なのだ。
世界一周という大きな目標はあるのだが、結局僕は身近にある小目標がなければダメな人間なのだ。小目標を達成した僕は、大袈裟に言えば、東大にうかった東大生がよくかかるらしい五月病にかかった状態なのだろう。
積年の夢をかなえ、今その夢の中にいる幸せな状況にあっても、多少の躁鬱の波はあるようだ。まあ、明日になれば元にもどることだろう。(昭浩)

下痢のゆくえ

「もうアンタいい加減ゲリゲリゲリ書かんときー」
なぜか映子は関西弁に戻ってそんなことを言う。
「読んでいる身にもなってみぃ。気分悪いわ。」

僕が、下痢になったことをこのホームページに書いている時のことだ。それも今は昔の話。近頃すっかり調子がいい。チベットのカイラスへの旅の途中から調子は上向き。パキスタンまで来ると生水をガンガン飲みまくっていたのに絶好調。イランの脂っこいケバブ攻勢にも僕のおなかはくじけることを知らない。
おなかの調子をいい状態でキープする秘訣はヨーグルトだ。毎日ヨーグルトを食べている。トルコでは、アイランという名の塩味のドリンクヨーグルトは毎日欠かせない。

思い起こせば5月下旬、ヴァラナシーでひどい下痢をしてから断続的に2ヶ月続いた下痢。一時は
俺は一生下痢なのかも・・・
と思い悩んだ時期もあった。
「これからは下痢とうまくつきあっていかなきゃ」
と下痢との歩み寄りも考えた時期もあった。
それも懐かしい話だ。

のべ日数にすると1年のうち3ヶ月は下痢をしていた。そこからカムバックした僕に、最近、どうしたら下痢が治るのか、相談しに来る人がいるのは別に不思議なことではない。今では、かなりのスペシャリストになっていると思う。
もしかしたら、下痢で悩んでいる人がいるかもしれないので、ここに記しておく。

ポイント1、水分をたくさん摂る。水ゲリの時は飲めば飲むほどトイレにいかなきゃいけないのであまり水は飲みたくないのだが、とにかく水分を摂る。水分でベストなのはポカリスエットなどのスポーツ飲料。しかし、これは売っている国は少ない。これがない場合は、リハイドレーションソルトというポカリと同じようなものがインドやネパールには売っている。
どちらもない場合、そのときは水1リットルに食塩小さじ1杯と砂糖大さじ5杯とレモン適量を混ぜたものを作って飲む。とにかくたくさん飲む。下痢が止まらなかったら、下痢が透明な水のようになるまで飲んで出し続けるべし。

ポイント2、現地の薬を買う 僕はいろんな国で薬を買って試してみたが、大体は効果があった。たしかに日本の薬に比べて強いとは思う。薬を飲んだ副作用で胃が少し痛くなったことはあったが、それ程たいしたものでもない。ひどい下痢の場合、正露丸はまずあてにならない。正露丸を飲んでもなかなか効かないのでついたくさん飲んでしまいがちであるが、正露丸をあまり飲みすぎるのは体によくない。それなら現地の薬を買ったほうがいい。しかも、アジアでは、薬は驚くほど安い。

3、食わない これは、一番の秘策かもしれない。 外国にいる場合(特に中国)、何かを食べようとすると必ず油ものになってしまうので、少なくとも油、牛乳、卵は控えるというのは、まず基本ではある。
僕の場合、丸一日なにも食べない。または、ヨーグルトだけとかパンだけ食べるといったように、摂る食べ物を一時的に減らす。長期に渡って続いた下痢はこれで治った。
食べないでいると、ゲリはだんだんと透明になってくる。水分を摂りまくって水ゲリをしまくっているうちに、腸が洗われるのだろう。水ゲリと一緒にに悪い菌も洗い流してしまうのだ。丸一日そうやって様子を見ると、僕の場合はだいたい変化が現れる。おならが出始めるのだ。そうしたら、ヨーグルトを食べて胃腸にいい菌を体内にいれる。これでOK。ただし、あんまり食べないと体力が落ちるので、そのあたりのメリハリはうまくつける必要がある。
医学的に何の根拠もないのでこれを実践するかどうかは、個人の判断にまかせる
あまりひどい場合は、現地の医者に診てもらって薬をもらうのが一番。だけど、それがなかなかできないんだよね。(昭浩)

ライスプリンの感動

「ライスプリン」------中学の英語の教科書“NEW HORIZEN”にはじめてこの言葉を見た時は、カルチャーショックを受けた記憶がある。
日本人のエネルギーの源、米。これを甘いプリンにしてしまうなんて、アメリカ人はなんて乱暴な奴らだろうと思った。
そんなに甘い物が好きなら砂糖でも食ってろ!
そう言ってやりたい気分だった。

あれから20年の月日が流れ、僕はここイスタンブールでライスプリンと出会ってしまった。表面が少しきつね色に焦げたホワイトグラタンに似ている。よく冷えている。甘くておいしい。一言で言えば、ホワイトカスタードクリームブリュレ。クリームのなかにごはんが入っていて、このややモチッとした食感のアクセントがたまらない。
日本人にはなかなか発想しにくい食べ物だと思う。このライスプリン、作った人はエライ!日本でも人気が出ると思うのだが、どうだろう。(昭浩)

日本大使館のレターの疑問解明する

ビザを取るために日本大使館のレターが必要な国がある。
しかし、日本大使館のレターって何だ?どういう手紙なんだ?
これは、僕の長年の疑問である。

その疑問解明の時来たり。イスタンブールでシリアのビザをとるために「日本大使館のレター」が必要だったのだ。
レター取得の手続きは簡単。日本領事館に行って、レターが必要な旨を伝えて、必要書類に記入すれば、翌日にはレターを発行してくれる。
そこに書かれてある内容としては、
「この日本人がそちらの国のビザ取得を申請したいといっているのでよろしく」とA4の紙にワープロ打ちされ、大使のサインが入っている。たいしたものではない。期待して損をしてしまった。しかし、それを手にした時、レターがないとビザもとれない国にいよいよ入るのだ、と自分が自分の知らない世界へと進んでいっている気がして軽い興奮を覚えた。(昭浩)

イスタンブール観光

イスタンブール観光14年前の僕はほとんど観光なんてものはしなかった。ただ自分の足跡を残していく、そんな旅だった。その頃の僕は、根拠のない自尊心と自分への自信のなさ、この2つの気持ちの間でいつも揺れ動いていた。だから世界を旅して自分の軌跡を世界地図の上に刻んでおきたかったのだろう。何かを成した証が欲しかったのだと思う。
今回は違う。ガンガン観光してやろうと思っている。楽しかろうがつまらなかろうが、いろんなものを見て、なんでも吸収してやるのだ。トルコ最大の観光地イスタンブールで、僕たちの観光旅行がはじまった。

アヤソフィア

はじめギリシャ正教の総本山だったのが、後にジャミィ(モスク)に変えられた建物。ビザンツ建築最高傑作らしいが、どの部分のどういうところが最高傑作なのかはよくわからない。ただ中の雰囲気はすばらしい。キリスト教会とイスラム寺院をうまくミックスするとこうなるのか、と感心させられる。とてもいい按配に2つの宗教色が混じっている。ジャミィの天井に描かれたイエスが窓からの光で

輝いている。美しく崇高なその絵に見とれてしまう。僕が一番気に入っている場所。(昭浩)

光の入り方がいい感じ
このキリストの絵が良かった

ブルーモスク

噂どおり、ブルーのタイルとステンドグラスがきれい。そして、下に敷いているカーペットが素足に心地よい。ここは独特の空間である。私は好きだ。でも本当は、近くの公園から見るブルーモスクの姿が一番好きだ。スルタンアフメット駅を降りて、その公園からブルーモスクが見えたときは感動した。(映子)

イスタンブールのシンボル、ブルーモスク
中はブルーの空間美

地下宮殿

「地下宮殿」なんとすばらしいネーミングだろう。「貯水池」としなかったトルコ観光省は賢明である。地下宮殿なら高い入場料がとれるが、貯水池じゃまず無理だろう。実際入ってみると微妙だ。作った目的は貯水池だけど、池にしてはよく出来すぎている。コリント式にデコレートされた柱やメデューサのレリーフ。宮殿というネーミングはまあ許そう。しかし、イスタンブールでここが一番良かったと言う人に出会ったが、それは理解できない。(昭浩)

立派な柱が並ぶ地下宮殿

ドルマバフチェ宮殿

ガイドブックのこの宮殿の紹介の仕方は弱いと思う。宮殿の豪華さ、当時のスルタンの生活やオスマン帝国の繁栄を感じるのなら、トプカプ宮殿よりこっちの宮殿だろう。ドルマバフチェ宮殿もガイドブックのモデルコースにぜひ入れてほしい。バカラのクリスタルをふんだんに使ったビックリするほどでかいシャンデリアのある大ホールだけでも見る価値がある。初代大統領アタチュルクがここに執務室を置いたのもうなずける。(昭浩)

宮殿の表にある時計塔

トプカプ宮殿

ここは、14年前にイスタンブールに来た時唯一行った観光地。2回も行くくらいだからよほど良かったのだろうと思われては困る。2回行って、2度落胆したところ。しかし、2回行って2度感動したものもある。それは「スプーン屋のダイヤ」と言われる86カラットのダイヤモンド。宝石を見るのが目的ならいいが、宮殿を見たいならドルマバフチェ宮殿のほうが数段いい。(昭浩)

トプカプ宮殿は、とにかく入場料が高い。それはいただけないと思う。でも学生証があれば、入場はただ、ハーレムのみ5ミリオンTL(375円)必要なので、ぜひハーレムを見てほしいと思う。そこ以外の見所は、本当にダイアモンドくらいのものだ。
ハーレムは、青を基調とした模様の入ったタイルで飾られていてきれい。宦官の部屋、大広間、ツインルーム、などたくさんの部屋がある。壁がタイルなのが、ドルマバフチェとは違って、トルコっぽい感じがする。スルタンの母は、一番権力があって、広い部屋に住んでいた。庭はとても広くて、プールもある。海が見えるテラスもいい。
もう一つ、私の印象に残ったのは、ムハンマドの遺品だ。ムハンマドの足型と、サンダルがあった。どうやって手に入れたんだろう?どうしてここにあるんだろう?と思った。そして、ムハンマドという人が、本当にこの世に存在したんだなあと思うとなんだか感慨深い。(映子)

ハーレムには王妃や王女 たちの間がいっぱい

ガラタ塔

昔、このあたりはかなり怪しい雰囲気だった。今はすっきりとして閑静なたたずまいになっていることに少し驚いた。塔の上はイスタンブールで最も眺めのいいところだと思う。旧市街からボスボラス海峡まで見渡せる。イスタンブールの複雑な地形がここからだとよくわかる。ここから見る夕暮れの景色もいいかと思うが、写真を撮るなら逆光にならない午前中のほうがいい。毎週月曜日は、入場料が半額。(昭浩)

ガラタ橋と海に囲まれた旧市街が一望
小高い場所にあるガラタ塔

ボスボラスクルーズ

黒海から地中海へ続く重要な水路の一つボスボラス。世界地図を広げて何度確認してもそこが海峡になっているのかどうかわからない。海峡が細すぎて世界地図のスケールではわからないのだ。船からながめたリアルなボスボラス海峡は、海峡というより川。このあたりは漁に適しているのか、漁船が目立つ。ロシア国籍船なんかが通るあたり、やはりこの水路は黒海に続いているのだろう。昔から確認したくてできなかったアジアの西端の輪郭をなぞって確かめるようなクルーズだった。(昭浩)

川のように狭いボスボラス海峡

アナドル・カヴァウ

ボスボラスクルーズの終着点は、昔の要塞だったところアナドル・カヴァウ。山の上にある要塞でボスボラス海峡の端とその先に広がる黒海の入り口を見下ろせる。ボスボラスクルーズのハイライト。とても晴れた日だったので、東欧諸国やロシア側が見えるかなあ、と目を凝らしてみたが、水平線が遠くまで続いているだけだった。黒海は大きかった。その色は黒ではなく、不透明なエメラルドグリーンに輝いていた。(昭浩)

昔は重要な砦。今はのどかな場所

エユップ・スルタン・ジャミィ

イスタンブールにあるジャミィのなかでここが一番好きだ。なぜなら、祈っている人がいるから。ブルーモスクをはじめ、観光化されたジャミィは、お祈りの時間と観光の時間をしっかりと区切っているので、ジャミィのなかで祈る人々と出会うことはない。単なる好奇心でお祈り風景を見たいだけではない、ジャミィの自然な姿が見たいだけなのだ。旧市街から少し離れているため、ほとんどツーリストのこないここには、生活と密着したジャミィの自然の姿があった。(昭浩)

グランドバザール・エジプシャンバザール

グランドバザールは、団体観光客がバスで乗りつけるところなので、かなりツーリスティック。キーホルダー類など小物も結構売っているので、義理みやげを買うのにはいいかも。それ以外は少し高そう。エジプシャンバザールのほうが歩いていて楽しい。グランドバザールよりは庶民的。僕らは冷やかしているだけなので、安いのかどうかはよくわからない。(昭浩)

スュレイマニエ・ジャミィ

オスマン帝国の大建築家によってつくられたジャミィ。イスタンブールに着いた時にブルーモスクと間違えた。ガラタ橋の方から見ると良く目立つ。ジャミィの中は、がらーん、としている。この近くにあるイスタンブール大学周辺は、食べ物が安い。大学と反対側に下りていくと下町っぽいエリアになる。そこは食べ物がとても安いくておいしい。(昭浩)

ガラタ橋から見たシュレィマニェジャミィ

ベリーダンス

リンボーダンスと勘違いしていたオイラは戸惑っちまったよ。だって、ノリのいいダンスミュージックが流れると、下着のようなコスチュームのおねえちゃんが飛び出して腰ふり乳ふりで踊りだすんだよ。隣には妻がいるからおおっぴろげには喜びの表情は出せないが、心の中はワクワクドキドキさ。チップを渡した隣のアメリカ人は、水着の中のおっぱいさわらせてもらってご満悦の様子。オイラだって本当はチップ渡しに行きたかったけど・・・悶々としたサタデーナイトだったんだ。

いい思いしたきゃチップをはずめ
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