雨はもうほとんどやんでいた。厚い雲がまだ空をおおってはいたけれど。アルヘシラス発タンジェ行きのフェリー乗り場で、2人の日本人女性と出会う。バルセロナから急に思い立って来たという、なつみさんとやすこさん。船室でいろんな話をしたり、情報がないというのでガイドブックを見せてあげたりして、時間はあっという間に過ぎていった。
時々甲板に出てみるのだけど、風が強いし、ずーっと見ていたいような景色ではない。自分がヨーロッパとアフリカの間にいるという実感がない。船から見ると、ヨーロッパもアフリカも同じに見えるのだ。あきちゃんなんて、「ここが伊豆だよ、と言われてもわからないくらいだ」と言い出す始末。そりゃちょっと言い過ぎだろー!!
船は10時45分頃出て、1時頃モロッコに到着した。いやいや待てよ、時差があるので12時か。1時間時計を遅らせて、両替も済ませて、バス乗り場でなつみさんとやすこさんとはお別れか。と思ったら、そこの時計はもう1時間遅い。スペインはまだサマータイムだから、モロッコ時間はもう1時間遅かったのだ。
ご飯を一緒に食べたあと、3時のバスで2人は行ってしまった。2人は仲がよいのか悪いのかよくわからないけれど、モロッコに行こう!と突然思い立って来てしまったという、勢いだけはすごくあるので、きっと大丈夫だろうと思う。私たちは、ガイドブックを持っていただけなのに、情報が得られたことですごく感謝されてしまった。重いガイドブックをたくさん持っていたカイがあったな、と思った。
それにしても海を渡ったとたんに、何もかもがガラッと変わった。町並みも、人々も、宿も、物価も。そしてコーヒーから紅茶へと変わった。フレッシュなミントがそのままたっぷり入っている、ミントティーだ。白人は、ここでは目立つ。アラブ人、ベルベル人の国だと感じた。ヨーロッパの街は、よく犬のウンコが落ちていたが、なんだかんだ言ってもきれいだったなと思う。宿に戻って、またその汚さにブルーになった。(映子)
タンジェからフェズ間は6時間のはずだった。しかし遠かった。
まずティトゥアンに寄り、シャウエンに寄り、ここまではまだよかった。外も明るい。日が完全に沈んだ後、6時ごろにバスは止まる。それは30分の食事休憩だった。バスは山道を登ったり下ったり、とろとろ進む。もうこんなんでいつ着くんだろう?
大きな町に着いた。メクネスに寄ると思っていたので、そうかな?と思ったらそこがフェズだった。突然到着してしまった。しかし12時に出たバスが、8時過ぎに着くなんて。昨日3時に出たバスは、何時に着いたのだろう?
フェズの街はもうすっかり夜。レストランも閉まり始めている。そんな中での宿探し。あるホテルで、変な男に出会ってしまって、ホテル探しは難航した。そのホテルでおっちゃんに値段を聞いていると、後ろからその男は現れた。そこからしてあやしい。堂々と前から来い。まず、聞いてみた。
「あなたは誰?ここで働いているの?」
「Yes」
しかし、他のホテルを紹介してくる上に、今度はツーリストインフォメーションのものだと言う。これは私の仕事だとか、金は要らないとか、悪いことを考えるな、などと畳み掛けるように言ってくる。挙句の果てに、
「君たちをこんな夜中にほうっておくことはできない、危険だ。」
とまで言い出した。お前こそ危険だ。そんなに危険な街なら警察が何とかして欲しい。
結局、やつが言ってくる宿を1軒だけ見に行ったが、そのあと何とか断って、振り切って逃げた。
やっと見つけたホテルは、きれいとは言いがたかったがもうあきらめた。疲れていたのだ。宿が決まってすぐに雨が激しく降りだした。(映子)
ユダヤ人街、メンラーに宿を変えた。
不思議なことに、ここは前の宿より部屋はせまいし値段も安いが、なぜか落ち着く。宿の人も良い人だ。思ったよりいい宿にめぐり会えた。
さて、フェズのメディナはと言うと、「ウザイ」の一言に尽きる。
まず、ブージュールド門の前で声をかけてきた男。そしてメディナの中でも、少年から青年くらいの若者が多い。
ノーガイドとかノーマネーとか言ってくるので怪しいやつはすぐわかる。
ノーと言ってもしばらくはついてくる。子供だと思ってちょっと相手していると、そのうちいい気になってきて、しつこくつきまとう。
一番うざかったのは、「なめし革」だ。
本当は、革を染めているところを見たかったけれど、どうしても自分たちでは行かしてくれず、うるさくつきまとう男がいたので、もういやになって行くのをやめた。
これでも自称ガイドは減ったとガイドブックには書いてあったから以前はよっぽどひどかったのだろう。
マドラサ(神学校)も2つみたけど、1つは2階があって、さらに5DH(65円)払わなければ見せないと言われるし、なんだかやな感じ。
そこの彫刻は確かに素晴らしく、人間業とは思えないと言うのも大げさじゃないなと納得できたけど、人のいやーなところばかりが見えて、私たち二人はうんざりしてメディナを出た。
マリーン朝の墓地から見るメディナはよかった。あんなちっぽけなとこで、なにをごちゃごちゃやってたんだろうと思う。フェズの印象はそんなこんなでめちゃ悪い。タンジェの方が全然マシ。ただ、宿の兄ちゃんとスープ屋の兄ちゃんはいい人だった。それだけが救いだ。(映子)
フェズからメクネスへは電車で行った。しかし、ツーリストインフォメーションで聞いていた時間と全然違うのには参った。(昨日せっかく聞きにいったのに意味ねー。)
電車はきれいだが、コンパートメントが個室みたいになっているので、1人だと他に知らない人が入ってきたときこわいかも。2人でも、ほかにもう1人乗ってきたとき、あきちゃんはかなり警戒している様子だった。
メクネス・アル・アミール駅から少し歩いたところからプチタクシーに乗った。
タクシーって、どこの国でもいつもぼられないかな、目的地までちゃんといってくれるかな、と心配になるけれど、このプチタクシーにはびっくりだ。
目的地にはもちろんちゃんと着いたし、この安さ。え?6DHって60円くらいだよなー。こんなんで食って行けるのだろうか、この人は。と心配になるくらいの安さだ。これからは、プチタクシーを大いに利用してあげよう。
プチタクシー大好き、プチタクシー万歳!(映子)
晴れているので久々に洗濯した。日本語を少し話せるフランス人に会った。モロッコは昔フランスの植民地だったので、ほとんどの人がフランス語を話せる。だからフランス人が多いのだ。
メクネスの見所はそんなになかった。あきちゃんがなぜか行きたがる風の道。そこは壁にはさまれた長い一本道があるだけだ。あきちゃんもそれを見て感動しているのかどうかは不明。ただ写真だけは撮っていた。
それから、マンスール門。確かにきれいだが、北アフリカNo.1かどうかは不明。
ムーレイイスマイル廟へ行くが、昼からじゃないと入れないと言われる。
仕方がないので12時過ぎに再び行くと今度は3時からだと言われる。おかげでメディナでハリラーを食べることもできず。あきちゃんは腹が減ってどうしようもなくなってきたらしい。話しかけても目がうつろ。
3時過ぎに3度目の正直でムーレイイスマイル廟へ。ここは、非ムスリムが入れる唯一の廟というだけあって、欧米人(多分フランス人)観光客がちらほら。なぜかみんなガイドを雇っている。
色とりどりのタイル、幾何学模様、木のドアの模様もきれい。浮き彫りのようになって文字や模様が細かく刻まれていた。(映子)
ミデルトへ向かう9時発のバスに乗る。そこであきちゃんは、おやじと荷物代でもめた。どうしても法外な料金は払いたくないが、「No!」と大声を出すあきちゃんにはびっくりした。
バスの方は、ほぼオンタイムに出発。早起き疲れか早々に寝る私。
気がついたらすごい景色の中にいた。おおっすごいぞーー。(あきちゃんはまだ寝ていた)
チベットを思わせる大平原。だんだんと乾いてきた。砂漠に近づいてきた。
ミデルトでは、アトラス山脈が見える素敵な部屋を見つけた。テラスからの眺めもいい。
この街にはちらほら客引きもいて、レストランもなんとなくツーリストプライスっぽい。でも人々はおおむね親切だった。(映子)
サハラ砂漠を見るため、リッサニという町に向かっていた。
その道の途中にあるエルラシディアという町でバスが停まる。そこは道の分岐点となる町なので、しばらくバスは停まっていた。客の半分はそこでバスを降り、その変わりに新しい客が何人か乗り込んできた。
「ハロー ハウ アー ユー?」
1人の若者が何気なく声をかけてきた。
「うん、元気だよ。」
一応答えた。
「フェアー アー ユー フローム?(どこから来たの?)」
「・・・」
答えなかった。こいつはガイドだ、そう気づいたからだ。
「メルズーカ(もうひとつの砂漠に近い町)に行くの?それともリッサニに行くの?」
「・・・」
そこで、手に小さな袋を持った別の青年が僕たちに忠告してくれた。
「こいつはガイドだから気をつけて!」
僕たちの前の席にいつのまにか座っていた別の青年も続いて言った。
「ガイドはよくない。オレもガイドは嫌いだ。」
そう言われて悪者にされたガイドらしき若者はバスから出て行った。
さきほど忠告してくれた手に袋を持った親切な青年は、自分は先生をしている、と言った。
たしかに手に袋をもっていて、町に買い物に来たその帰りといったようにも見える。そしてこう続けたのだ。
「僕はこれからメルズーカに戻るから、君たちのためにメルズーカを案内してあげるよ。」
これは、すべて奴らの茶番だった。
自称先生の彼が、一番初めに声をかけてきたガイドとバスの外で話をしている現場を見てしまった。その辺りにいる若者、僕たちの席の近くに座ってきた3,4人みんなガイドだったのだ。
手の込んだことしやがって・・・
彼は一生懸命親切そうに、案内する、といってきた。
僕らは誰にもガイドしてもらうつもりなんてなかったから、断った。
そして、途中からウザイので無視をつづけた。
すると、それまでニコニコしていた表情がとても憎たらしい形相に変わって、
「お前らなんかトラブルに遭え!」
と捨て台詞を残してバスを降りていった。
むかつくー。
正直、砂漠なんてどうでもいいから早くこの国から出たいとマジにこのときは思った。(昭浩)
数多くのウザイ客引きの誘いを片っ端から断った。
そして、サハラ砂漠の近くまでグランタクシーと呼ばれる乗り合いタクシーで行った。
さすがに砂漠が目の前にあるところまでは客引きはやってこない。やっと静かなところに来られた。
やしの木の林の向こうには大きな砂丘のいくつも連なっていた。
僕たちは一番大きな砂丘を目指す。すぐ近くに見えた大砂丘は案外遠かった。
大砂丘の前に見えた凸凹は近づくとそれもひとつの小さな砂丘だった。
その小さな砂丘を登っては下りる。
たまには砂丘を迂回したりしながら、砂の海を必死に歩いていた。漂っていた、そっちのほうが表現として的確だ。
砂丘と砂丘の間に入ると視界がさえぎられ自分たちがどこにいるのかわからなくなってしまう。
砂丘のなかには自分たちふたりだけだ。
誰もいない無数の砂丘のなかを自分の足で、ガイドもなしで、歩き進むというのはつらい反面楽しいことでもあった。
ちっぽけな冒険者になった気分。
大砂丘の上からは恐ろしい景色が広がっていた。
こんな壮大な芸術ってあるんだ。
小さな無数の砂丘が作る陰影が自然の美しい幾何学模様となって、はるか遠くまで続いているのだ。
自然の創るデザインほど人間を魅了するものはないんだ。どんな天才デザイナーでもこれにはかなわないだろう。
形、色、大きさ、広がり、奥深さ、そのすべて、素晴らしい波動を発していた。
サハラに来てよかったと思う。(昭浩)
リッサニという町にいたとき、そろそろかなあと思って人に尋ねてみた。
「ラマダンはいつからですか?」
「明日じゃよ。」
そんな答えが返ってきた。2日前のことだ。
ラマダンは去年トルコとシリアで経験している。トルコではほとんどの人が昼間からレストランで食べていた。
シリアでも昼間レストランはひっそりと開いていて、しかも中に入ると暗い店内の隅のほうでコソコソと食べているシリア人を発見したりした。
だからモロッコも問題ないだろうとタカをくくっていた。大間違いだった。
アラブ諸国のなかで最もインチキくさいモロッコ人なんだけど、なぜか、本当になぜか、ラマダンを忠実に守っていた。
誰も太陽が出ているうちは飲まないし食べない。レストランも閉まっている。
砂漠から帰ってきたばかりの僕らは朝から何も食べられずにいる。
とりあえず、クッキーとリンゴをみつけてそれで昼はしのいだ。
夜は僕らが泊まっているユースホステルのオーナーがファミリーのやっているレストラン(その日リッサニで唯一開いていたが昼は何も出さない)でラマダンブレックファーストをごちそうする、と誘ってくれた。
なんで夜なのにブレックファーストなんだ?腹が減っていたのでそんな疑問も流して聞いていた。
ハリラーと呼ばれる味噌汁のようなモロッコ風スープとナツメヤシをごちそう(?)になった。
メインのごちそうはいつくるのかな?とずっと待っていたが、そんなものがやってくることはなかった。
ラマダン中は昼と夜の食生活が逆転する。後で知ったことだ。
だから日の出前の早朝にいわゆるディナーを食べる。メインはそこだ。
日没直後のブレックファーストは、ハリラーとなつめやしを食べるのが習慣なのだ。日本的にいえば、味噌汁と漬物だけですますようなもんだ。
これから一ヶ月ラマダンは続く。僕たちがモロッコを旅行する間ずっとラマダンということだ。
これから先もこんな調子なんだろうか?トホホ。
ラマダン中は肉が食えないというのも本当なんだろうか?
考えただけでもめまいがする。 (昭浩)
リッサニのユースホステルのオーナー、アブドゥンラーは、「また来い」みたいなことは決していわない。
日本人が何人も「また来るよ」と言って日本に帰っていき、もう一度モロッコに来たためしがないからだ。
ただ、「Good luck」 と言って少し寂しそうに送り出してくれた。
その方が私にとってはなんだか寂しく感じた。
もう一度、私がここに来る可能性は限りなくゼロに近い。
11時発ティネリール行きのバスに乗る。荷物代でまたもめた。
リッサニのバスターミナル周辺をうろついている輩が、金をかすめとろうとしているのだ。
絶対にそんなやつらには負けたくない。他の乗客の兄ちゃんも味方してくれた。
それでも奴はしつこく言い張るので、あきちゃんは負けそうになった。
なのになぜか、奴はあきらめてバスを降りた。
その後、私たちはバスの係りの兄ちゃんに、正しい荷物代を払った。
カスバ街道と呼ばれている道をバスは走った。
右手に山脈が見える。雪をかぶった山も見える。
ものすごいスピードのバスに揺られながら、何枚か写真を撮った。
私営バスはよく停まるので、バスが飛ばしても飛ばしてもやっぱり時間がかかった。
バスを降りると早速ホテルの客引きがいてうんざりした。
この町も客引き、怪しげな奴、変な日本語で話しかけてくる奴が多い。
「コンニチハ」とか、「ジャポン」とか、「ドコカラキタノ」とか、うるさいうるさいうるさーーい。
英語がしゃべれる奴もこの国では怪しい。普通の人はフランス語かアラビア語しか話せないのだ。
だけどツーリストインフォメーションの人とかが、英語しゃべれればいいのに。
なんだかこの国は、力を入れるべきところを間違えている。なんかずれてる。
リッサニのユースホステルにいたモロッコ人にあきちゃんはこう言われた。
「(モロッコ人の言う)アリガトウはショクラン(アラビア語のありがとう)という意味ではない。ギブミーマネーという意味だ。」
そんな風に言われる日本人ってなんだか悲しい。
それを聞いてからモロッコ人に「アリガトウ」といわれるたびに背筋がさむーくなるよ。
だって、何もありがたいことしてないのに、会うなり「アリガトウ」と言われることがよくあるんだもん。
だからモロッコ人は嫌いだ。(映子)
トドラ渓谷へ行った。
宿をとっているティネリールの町から16キロ離れたところにあるトドラ谷までタクシーを使い、そこから帰りは歩いてティネリールまで、ちょっとしたハイキングだ。
断崖絶壁にはさまれたトドラ谷、なかなか迫力がある。ロッククライマーも多い。
ここのトドラ谷の間を流れる川は、少し下流にいくと開け、そこに緑のオアシスをつくる。
乾いた茶色の大地の切れ目に広がる緑。素晴らしい!
オアシスにそって点在する古い村。クサルと呼ばれるその村がそこの風景になじみすぎていて、これもまた素晴らしい。
4時間以上にわたるハイキングで、もうじゅうぶんすぎるほどオアシスの美しさを堪能した、そんな一日だった。(昭浩)