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オーバーランドツアー旅行記

7月2日〜7月23日

メンバー紹介

●ビヨーン(ドイツ・28歳くらい)
アリーシャの恋人。長身で細身、まあまあかっこいい。動物があまり好きじゃないらしくサファリのときつまらなそう。政治や経済など難しい話が好き。16歳のときに米国に留学。アメリカ人より英語が上手というのが自慢なだけあって、英語は堪能。しかし、早口でまわりくどい言い方をよくするので日本人ふたりには理解不能。専門は法律。

●アリーシャ(ドイツ・27歳) 
キャメロン・ディアス似でかなり美人。身長も高くモデルみたい。人当たりもよく第一印象はたいへん良いが、わがままぶりがだんだん目についてくる。プライドも高い。大食いで特に肉が好物。恋人のビヨーンとしょっちゅう激しくちちくりあっている。基本的に仕事が嫌い。

●トーマス(ドイツ・38歳)
オーケストラのクラリネット奏者。日本にも来たことがある。

●ステファニー(ドイツ・30歳)
トーマスの奥さんのような恋人。同じドイツとあってアリーシャと仲がいい。
●ハルガー(ドイツ・30歳)
法律事務所で働いていたが、やめてケープタウンの法律学校に通っている。アリーシャやビヨーンと同じ学校。愛嬌のある奴で意外ともてる。ツアー中に出会った、他のツアーのきれいなドイツ人女性をみごと口説き落としていた。彼はケープタウンに黒人の恋人がいて、途中その恋人がゴネたかなんかで、急遽ボツワナからツアーをリタイアしてケープタウンに帰っていった。

●イアン(イギリス・28歳)
元モトローラーのエンジニア。只今、失業中。ケントデリカット似。彼もマイペースでやや天然の気がある。くったくなく誰とでも話しかける。英語のわからないスペイン人にもかまわず英語で話しかける。日本にも旅行に来たことがあり親日的。

●アレン(イギリス・19歳)
ロンドン出身。「私はロンドンっ子よ」と自分で言っている。天真爛漫で少しはじけている。声が高くて大きい、しかもよくしゃべる。アリーシャに「黙って!アレン」と怒られたこともある。トレーニーのワーナーに恋をする。
●レンジー(イギリス・19歳)
アレンの友達でいつもいっしょにいる。レンジーのほうがおとなしめ。シャイであまり話さないがとても性格のいい女の子。
●マット(イギリス・23歳くらい)
大学を卒業後1年働いた後旅にでた。2004年5月まで1年間旅をする予定。アレンとレンジーとはこのツアーに参加する前の知り合いでこの3人はいつもいっしょだった。人見知りをするため人とあんまり話しをしないが、礼儀正しい好青年。
●ウェンディ(オランダ・29歳)
オランダの田舎町で先生をやっている。よく働くが少し説教くさいところがある。マイペースで自分の意思を曲げない。やや頑固。イギリス人の若者たちと仲がよいが、ドイツ人たち、特にアリーシャと仲が悪い。

●ポール(オランダ・28歳)
力持ちで働き者。あまり多くはしゃべらないが物静かでいいやつ。オーバーランドのツアーは2度目。恋人のスーザンが行きたい、といったのでまた来たのだとさ。

●スーザン(オランダ・21歳)
ブルック・シールズ似の美女。彫が深く、目鼻立ちが大きいので、きつい印象をうけるが、静かで遠慮深いいい人。
●ミヘル(オランダ・30歳)
長身でなんでもソツなくこなすように見えて、けっこうどんくさい。オランダ出身なのにデジカメをはじめメカの扱いに大変弱い。動物を見るときなど、背がバカ高いくせにすぐ前に行こうとするので少し迷惑に感じるときもある。
●ハナ(オランダ・30歳)
ミヘルの恋人。ケープタウン郊外のステレンボッシュに留学していた。この秋からインターナショナルな広告代理店で働き始めるらしい。ハナという名前が日本語でフラワーを意味するということをうれしく思っている。

●フワンチョ(スペイン・38歳)
スペインのサラゴサのテレビ局に勤めている。少数民族に興味がある。英語が堪能で、他のスペイン人3人は英語がほとんどわからないので通訳係となっていた。スペインに行ったとき大変お世話になった。

●クリスティーナ(スペイン・37歳)
フワンチョと結婚したばかり。今も現役でテレビのレポーターをやっている。マイケルジャクソンがスペインにきたとき、彼女をインタビューワーとして指名したらしい。英語を話さないのであまり他の国の人との会話は少なかったが感じはいい。

●フリアン(スペイン・49歳)
ビルバオの造船所で働いている。バツイチ。エリック・クラプトンに似ていてしぶい。歌もうまい。ひとりでよく旅行に出かけるのが好きなのだが、今回友達のイニャキと一緒に参加。昼も夜もワインをたくさんのむ。食後は葉巻でしめるのが日課。後に僕らがしばらく居候させてもらう。

●イニャキ(スペイン・45歳)
フリアンの近所でタバコ屋をやっている。独身。歌や踊りが大好き。動物も大好きでとくにカバが好き。一丸レフカメラとビデオカメラ両方持って動物を撮りまくっていた。彼もワインをよく飲む。ビルバオにいったとき大変お世話になる。

●テッド(南アフリカ・22歳)
ドライバー。大学では観光学を専攻していたらしい。格闘技体系をしていて顔もややいかついが笑うと愛嬌がある。こんな仕事をしているわりにあまり気が利かない。
●ターニャ(南アフリカ・22歳)
ツアーの料理係兼ガイド。料理は彼女が全部つくる。ツアーの仕切りも彼女がほとんどやる。実質的リーダーといったところ。他のスタッフもそうだが、ツアー客との距離のとりかたがうまい。
●ワーナー(南アフリカ・20歳くらい)
研修のため見習いとしてツアースタッフにはいっていた。気の弱そうな甘いマスク、線が細そうな印象も受けるが、人当たりはとてもマイルドでみんなの受けはたいへんよい。将来いいスタッフになるにちがいない。アレンは彼にほれていた。

一日目  出発の日―ケープタウンからセダーバーグへ

集合時間は、7時45分。私たちは遅れ気味に8時ごろ着いたが、まだまだ出発しそうな気配はない。おとといの出発前のミーティングであった人は4人だけ。他の人たちと、仲良くなれるかな?どきどきしながら黄色いトラックに乗り込む。窓からケープタウンの街を見ていると、ああ、いよいよケープタウンともお別れなんだと思えてきた。

ショッピングセンターでの買い物タイムがあった。特に買うものがない私たちはヒマ。ピザを買い食いした。そのおかげでお昼ご飯の時間になってもあまりお腹がすいていなかった。

 宿に着いたのは、3時半ごろ。道中はほとんど寝ていた。テントを張ってしまえば、宿でもやることがなくて、時間をもてあまし気味。裏山に上ってみるが特に景色がいいわけでもないし、何もない。かといって、下のほうに降りていって、川のある方まで歩く元気もない。宿のソファで私は日記を書き、あきちゃんは買ったばかりのコンピューターを早速使ってみることにした。

 寒くなってきたので、外の火のそばに行ってみた。みんな火を囲んで、思い思いに話したり、くつろいだりしている。そこに1人で座っているのも意外と居心地がいい。誰かとしゃべろうとか、がんばろうとか、無理しなくて良いのだ。しゃべりたいときしゃべりたいことがあればしゃべればいいんだ。そう思うと少し楽になった。

夕食の時、自己紹介があった。みんな英語ですらすら言うので、緊張緊張。日本語だってこういうの苦手なのに・・・でも自己紹介を終えた後は、前より打ち解けた雰囲気になって、近くに座っている人と少し話ができた。こうして初めての夜は、楽しい感じでふけていったのだった。(映子)

テーブルビューから見たテーブルマウンテン。ケープタウンともお別れ
みんなで火を囲んで肉が焼けるのを待っている、初めての夜

自己紹介―その成功と失敗
 今晩、自己紹介があるということは知っていた。それが憂鬱な気分にさせていた。僕は人前で話しをするのが苦手だ。日本語でそうなのだから英語ならなおさらのこと。しかし、自己紹介のときには、自分でも驚くぐらい落ち着いていた。相手が外国人だから逆に開き直りが早かったのだ。

 自己紹介は成功した。うまく自分を印象づけできたと思う。簡単なことだった。名前と年齢をいって、これまでの旅の経緯を(要は旅してきた場所)を言っていけば、それだけでほとんど全員の関心をひくことができたのだから。
 それとは反対に映子は、最後までいろいろと悩んでいたわりに、思うようにできなかったようだ。途中、頭のなかが真っ白のなってしまったと言っていた。(昭浩)

二日目  アフリカの風景―セダーバーグからオレンジリバーへ

 朝は5時起き。まだテントをたたむのに慣れてないから、準備に時間がかかる。初めてのテントの夜は、結構寒かった。6時に朝食、7時半に出発した。

8時過ぎから、日が当たり始めて暑くなってきた。そしてまぶしい。もう寝るしかないという状況。外の景色もあまり変わらない。遠くにごつごつした山々、近くは石ゴロゴロで、短い草木がボコボコ生えてる。チベットを思い出させる雄大な景色だ。しかし、道は、最初のころすこぶる良いと思っていたら、ナミビア国境に近づくにつれて悪くなってきた。ガタゴトの土の道。久々にアフリカの旅が始まったという感じだ。

 南アフリカとナミビアの国境にあるオレンジリバー。なぜそういう名前がついたかは知らない。水は冷たいらしい。泳いでいる人が約2名いた。国境越えは明日だ。(映子)

何もないアフリカの風景のなかを黄色いトラックは走る
オレンジとオレンジリバー。きれいだが、泳げるような季節じゃない

●いちゃつくドイツ人に戸惑う日本人
僕たちの前の席にいるドイツ人カップル、ビヨーンとアリーシャ。バスの中でふたりはいつもキスをしている。しかもディープなやつ。ヨーロッパ人は大胆だなあ、なんて最初は思っていたがだんだんムカついてくる。四六時中ぶちゅぶちゅ音をさせて淫靡なふたりの動きは目障りでしかたない。明日は席を移ろうと思う僕たちだった。(昭浩)

三日目  夕焼け―オレンジリバーからフィッシュリバーキャニオンへ

午前中はカヌーに行く人と行かない人に分かれた。私たちは行かないので、シャワーを浴びて、川べりでリラックス。
昼食後はいよいよ国境越えだ。まったくストレスのない、スムーズな国境越えだった。本当に国が変わったのかなあと疑ってしまうくらい、何も変わらなかった。道が土になったのも昨日からだし、景色も変わらない。そして人がほとんどいないので、どんな人が住んでいるのか分からない。

まっすぐに伸びる土の道と青い空。これがナミビアだ
雲が泳ぐきれいな空。変わった形の木が生えていた

今日のキャンプ地に着くと、日没までにフィッシュリバーキャニオンに行くため、急いでテントを張った。日没は4時45分ごろ、ぎりぎり間に合った。フィッシュリバーキャニオンの夕日は、きれいだった。最初はトルコのカッパドキアで見た、ローズバレーの夕日のほうがきれいと思ったけど、ずっと見てると、この広がりのある谷がいい感じだなあと思うようになった。アフリカはとにかく景色が大きい。夕日は沈む前より沈んだ後のほうがきれいだと思う。そして、沈んだ方と反対の方向を見ると、ピンク色でこれまたきれい。

今日はそこで夕食だった。暗くなってきてよく見えないし、キャンドルライトは風ですぐに消えてしまう。そんな中で、アレンとウェンディが歌を歌い始めた。そしていつの間にかみんなで大合唱になった。(映子)

フィッシュリバーキャニオンの夕日の美しさ、写真では伝えきれない

● 日本の歌を歌う・その1
夕食のあと、日没の渓谷で歌がはじまった。日本でもキャンプファイアーのとき歌を歌う、そんなノリに似ている。しばらくイギリス人とオランダ人が中心となってビートルズを歌っていたのが広がって、みんなが歌っている。だんだんテンションがあがってきたところで「スペインソング歌って」イギリス人のアレンがリクエストする。
(イヤな流れだ)
陽気なスペイン人4人は陽気に歌う。
次にドイツ人が指名される。ドイツ人たちははじめこそ少し照れていたが、5人で軍歌のような歌を胸をはって勇ましく歌う。
そして予想どおり日本の歌のリクエストが来た。

困った。ドイツの後に来るであろう、それは予想できたことだが、何を歌えばいいか決まらないままでいたのだ。
(上を向いて歩こう、にしようか、それとももっと日本ぽい感じのものにしようか)

僕たちが歌いはじめたとたん場がしらけたのがすぐに感じられた。僕たちは明らかに選曲に失敗した。しかし一度はじまったものを途中でやめることはもっとみっともないことなので、最後まで続けた。映子も恥ずかしがりながら振り付けをやっている。その情景を思い出すだけで、今でも赤面する思いだ。書いていてもサムイ。ゾクゾクする。

「夏もちーかづくはーちじゅーうはちや トントン・・・」

どうリアクションしていいのかわからない西洋の人たちは、だんまりとして歌を聴き、アクションを見ている。半分ヤケクソの僕の歌声だけが、乾いた夜空に吸い込まれていた。(昭浩)

四日目  ナミビアで―フィッシュリバーキャニオンからナミブナクルフトパークへ

朝5時半起床。今日もロングドライブだ。早く出発できたので、ごぼうびに8時半ごろコーヒーブレイクがあった。爽やかな朝だった。トラックの中では、今日席替えして後ろの席へ行った。ここはなかなかいい。

「Welcome to Namibia. I’m not begging money.
と言っている。このおやじに会って初めて、ナミビアに来たんだなと思った。しかし、こんなに酔っ払っているのに、意外とマトモなことを言っている。物乞いじゃなくて、しかも物乞いと思われてるということも自分で分かっているなんて・・・不思議なおやじだった。

初めてナミビア人に出会って、ナミビアを感じたところ
昼食のサンドイッチを食べた、鳥が巣を作ってる木があるところ

車窓の風景は、今日もあまり変わらないように見える。乾いた大地に、短い草が生えていたり、木もところどころ生えてる。ナミビアは、そのほとんどがフラットな土地なのだそうだ。時々、岩々の山もある。スプリングボックやオリックスなど動物も見られる、楽しい。

スプリングボックに注意!」の看板
砂ぼこりをあげながら走る黄色いトラックを激写

夕方、昨日とは別のキャニオンへ行く。今度は谷の下に下りて谷間を歩く。全然期待はしてなかったが意外と面白い。絵になる風景が幾つかあった。夕日の写真を取るために車は止まった。夕日はどこでもそんなに変わりはしない。けど沈む方の反対側のほうがきれいだと知ったのは、この旅に出てからだなと思った。(映子)

夕日が沈む反対側の景色。私の好きな風景
谷間にある人の横顔みたいな岩の前で一枚

●集団行動はやはり苦手だった
どうも集団行動に僕たちは向いていないようである。異国の人たちとの集団になると、言葉も文化も違うからよけいに、集団の中でどのように行動しなきゃいけないのかよくわからなくなる。気を使うべきなのか、マイペースでいくべきなのか。そういうのは日本人らしい悩みなのかもしれない。気を使うべきときに気を使い、そうでないときは好きなようにやるのがいいのだろうが、そのさじ加減僕たちはあまり上手でないようである。はたから見れば僕たちはチグハグな行動をしていたにちがいない。

たとえばあいさつひとつにしてもそうだ。グッドモーニングやグッドナイトをどういうときに言ったらいいのかわからない。言うぞ言うぞ、と緊張してそのタイミングをはかっていると、言うべきタイミングを逃して、とても間の悪いときに言葉を発してしまって、発した言葉が宙に浮いてしまう。そんな時決まって自己嫌悪に陥ってしまう。なんとかならないものかなあ。(昭浩)

五日目   ナミブ砂漠―ナミブナクルフトパークからスワコプムンドへ

今日は、前半のハイライトとも言える、ナミブ砂漠へ行く日だ。早起きしてDune45で日の出を見た。大きな大きな砂丘だった。砂はアプリコット色できれい。上まで登るのは結構大変で、息切れがすごかった。日の出は遠くの岩山の向こうから、まもなく昇ってきた。

朝食後、ソススフレイへ行った。4WDの荷台に乗り込んで出発。ガイドは黒人のブッシュマン。なまりはあるが、英語はぺらぺら。そして砂漠の砂の中からくもの巣を見つけたり、虫を見つけたりするのがうまい。まるでマジックのようだった。植物のこと、虫のこと、ブッシュマンのこと、いろいろ説明してくれた。

 ナミブとは、Nothing(何もない)という意味。一見砂漠だけで何もなさそうなところ、だけどここにはたくさんの生き物が住んでいる。10年に一度しか雨が降らない。それでも木は水を蓄えてるし、根が40〜50メートルくらいだから生きられるのだそうだ。

砂漠の風景は、どこをとっても本当に絵になる。写真をとにかくたくさん撮った。砂丘の急な斜面を駆け下りるのも楽しかった。しかし、砂漠は暑くてのどが渇く。ここナミブ砂漠は世界一乾いているところだそうだ。
一度キャンプサイトに戻ると、なぜか1時間半休憩。今日は朝早かったからか、時間があまっているようだ。泳いでる人もいたけど、私たちは、泳ぐ気もなくヒマなのでビールを飲んでのんびり。

 昼食後、トラックで再び走り出したが、なんと前のタイヤが大パンク!!今までいろんなところでパンクをしたことが何度となくあったけど、こんなにひどいパンクは初めてだった。そのぐっちゃりなったタイヤを取り替えるのに1時間くらいかかった。おかげでスワコプムンドに着いたのは夜8時ごろ。夕食を作る時間もなく、ファーストフードで夕食後、宿にチェックイン。ブリーフィング後は、日記もそこそこに眠りに着いた。(映子)

ナミブ砂漠からの帰り道で見たアフリカのサンセット。その色はまさに自然のおりなす奇跡

6日目   

今日はみんなそれぞれ好きなオプショナルのアクティビティに参加する日だ。私たちは、スペイン人のフリアンとイニャキと1日ツアーでケープクロスへ行った。
 10時に町を出て、風の強い、平地の一本道を行く。見渡す限り乾いた大地をしばらくいくと、左側に海が見えてくる。右は相変わらず果てしない平地。途中で止まって、水をかけると生き返る、リケンという草を見た。

  さらに30分くらい走ってケープクロスに到着。町からは1時間くらいといったところだろうか。そこには無数のアザラシたちが、ぎゃあぎゃあ言っていた。そして特筆すべきはそのにおい。車を出た瞬間から、ものすごくくさい。思わず行くのやめようかと思うけど、だんだんと慣れてくる。ぎゃあぎゃあ言うのもうるさいが、これも慣れる。

近くで見るアザラシはかわいい。特に赤ちゃんアザラシ。横たわっているアザラシたちはほとんどメスでそれぞれに何匹かで赤ちゃんアザラシの世話をしているらしい。オスはどこかに行ってしまい、夜になると帰ってくるかも。でも子供を作ってそのままいなくなるのもいるそうだ。アザラシはかなり遠くまで泳ぐことができるが、生まれたところに帰ってくるというのは本当らしい。

海辺で昼食を食べてから、帰途に着く。帰りは長くて退屈なドライビングで眠くて疲れてしまった。アザラシを見られたのはよかったが、ちょっとお値段高めだな、ということでガイドのおっちゃんにチップはあげなかった。スペイン人の二人もそういうところは結構シビアだ。(映子)

七日目   夜の象―スワコプムンドからエトーシャへ

朝はゆっくりのスタートだった。しかもいろんな雑用でトラックは2カ所よっていくところがあって、時間がかかった。おかげで「今日は予定より3時間遅れだ」と途中で宣言されて、トラックの中で昼食を食べた。パンに野菜とチーズをはさむ、いつものサンドイッチである。
 今日も相変わらずのロングドライブだった。私は音楽を聴いたり、本を読んだりしていた。本はもう読み終わりそうなほどに進んだ。車の中で本を読むことも以前に比べて得意になった。

 エトーシャ国立公園に着くと、すぐそのままゲームドライブだ。キャンプ場につくまでの間だったけど、5〜6頭の象と、キリンを見た。
 皿洗い当番の私は、ビヨーンと2人でお皿を洗った。少し会話をしたけれど、彼の英語は速い。そのうえよくしゃべる。それが、皿洗いよりも何よりも私をぐったり疲れさせた。

  それから、ウォーターホール、つまり大きな水たまりに動物を見に行った。もう日はすっかり落ちていて、辺りは暗い。そこで私が見たのは、象の大群だった。一瞬これは仕組まれた、セッティングされたものかと思った。けど違う。野生の象なのだ。そのウォーターホールでライトに照らされた象は、30頭近くいた。象はそこで水を飲んだ後、次々と帰っていった。

 いつものように火を囲んで夕食を待っているとアリーシャが興奮気味にやってきた。「ライノーとジラフがいる。」
すぐに何人かで見に行った。それは多分ブラックライノー。そして、象がいたときは後ろに隠れていたキリンもやっと水を飲んでいた。(映子)

夜の闇の中に光る、ライトアップされた野生の象たち

●緊張感のない旅
最近まるで緊張感がない。安全な場所でぬくぬくとしている。何もしなくてもいろんな場所に運んでくれる。泊まるところを決めたり、今日は何を食べようかを決めたりする必要もない。来るものをただひたすら受け入れている。そして安全だ。こんな楽な旅行生活に浸り、すっかり緊張が緩みきっていて、シャバに出られるのだろうか。頭では一瞬心配がよぎっても、からだの芯からすっかりたるんでいる僕たちだった。(昭浩)

八日目  ウォーターホールとゲームドライブ―エトーシャ・次のキャンプ地へ

 日の出前、5時半に起きた。テントを片付けたころに日の出、そして6時半過ぎに出発した。まずはスプリングボックを近くで見て、写真を撮りまくった。しばらく走ると、なんとライオンだ。雌ライオン4頭と家族ライオン、みんなで仲良く狩りにでも出かけた様子。私たちはその動きを一部始終見ていたので、おそらく1時間くらいかかっているだろう。その後、オリックスやヌーを見てやっと朝食だった。

  ところが、トラックのタイヤがまたパンクしていた。取り替えようとして、スペアのタイヤをダメにしてしまい、今度はタイヤ待ち。そんなこんなで2時間くらい待っていた。だけど、それでよかった。暇だなあと思ってウォーターホールに行ってみると・・・いるわいるわ、動物たちがたくさん。シマウマ、オリックス、スプリングボック、ヌーなどなど、ひっきりなしに水を飲みにきては去っていく。その様子を見ているだけでも飽きないもんだ。

次のキャンプ地へ行く途中にも、象やキリン、クドゥなどがいた。みんなところどころで疲れて寝ていた。
今日のウォーターホールは、サイがいた。昨日のような感動はなかったが、動物いっぱい見れた一日だった。

朝一の大物、雌ライオン。これから仲間を引き連れて狩にでもいくのかな?
キリンの模様がはっきり見えるくらいの近さに感動!
スプリングボックが駆け回っている。ヌーが水を飲みに来た。後ろにはオリックスたちも控えているぞ!!
シマウマのなかに、オリックスが一頭迷い込んでいるのかな?
再び見た象お大群。小象がかわいい

今日の一言
ドイツ人チーム:「明日は早くキャンプ場に行ってゆっくりしたい。」
ウェンディ  :「私は、象の写真が撮りたいわ。」

8日目にして早くも意見が分かれる。もうサファリはいいからリラックスしたいというドイツ人。せっかくここまで来たのだからもっともっと動物を見たいと主張するオランダ人。バケーションはリラックスする、そんなドイツ人気質がその主張に現れていた。同じヨーロッパでも違うもんだ。

" 九日目  レオパード―エトーシャ・最後のキャンプ地へ "

朝のゲームドライブに6時半に出発。しかし今日は眠いし、たるい。うとうとしながらトラックに揺られている。突然、アリーシャが、
「チーター!?」
と叫んだ。それは、レオパードだった。かなり近い。アリーシャはちょうど私の後ろの席だったから、そのレオパードは私が乗っているほうにいるのだ。起き上がって夢中で写真を撮った。レオパードは木に登り、そして降りてきていなくなった。すばやい動きだった。こぶりだが、かっこよかった。

 レオパードの興奮冷めやらぬ中、エトーシャパンを見ながら朝食を食べた。ここには、あまり動物がいないと言っていたけど、オーストリッチがいた。
今日のキャンプ地まで、ゲームドライブ。クドゥ、シマウマ、象、スプリングボックなどが、いたるところにいた。(映子)

やられた。外人のオーマイゴット攻撃に。
せっかくレオパードが間近にいるんだから静かにシャッターを切る、それって基本でしょ。なのに
 「オーマイゴット!!ワォー!
なんて大声あげたもんだから、すぐにレオパードは逃げちまった。

 でもレオパードをバッチリ見れたから良かったけどね。(昭浩)

これがレオパード!スタッフ3人も初めて見たというから、かなりラッキーだったかも
エトーシャパンは干からびた湖。雨季には大湿地帯になる
雄のインパラのファイティング。自分のハーレムを守るために戦うのだ
「クドゥは世界一きれいな動物だと思う。」
ドライバーのテッドは言った

●今日の一言
Where has she been?(彼女は今までどこにいたんだ)」
昨日ウェンディが象の写真を撮りたいといっていたことに対して、ドイツ人のハルガーはそう言った。なぜなら、僕たちはそれまで何十頭もの象に会っていたし、たくさんすぎるほどそのシャッターチャンスはあったのだから。

ウェンディは1人だった。今日のウォーターホールには何もいない。でもずっと座って見ていた。ケンカでもしたのか、珍しくイギリス人チームと一緒にいない。

十日目  イアンの誕生日―エトーシャからウイントフックへ

今日はイアンの誕生日ということで朝からみんなが「Happy Birthday!」と言ってはイアンと握手をする。アリーシャなんか、ほっぺにチュッチュッだ。しかし、私はそういう習慣がないので、なんとなく気後れしてできなかった。スペイン人チームはまだ暗いうちから歌を歌ってお祝い。本当はその歌でイアンを起こそうと早起きしたのに、イアンのほうが早く起きてしまっていたのだ。 日本式の誕生日の祝い方ってなんだろう?と、考えたけれど、よくわからない。「おめでとう」とは言うけれど、握手やキスはしない。バースデーケーキは西洋のものだと思うし、日本的なものって何も思いつかなかった。

朝は、ゲームドライブというより、公園の外に出る道のりをただドライブしたという感じ。動物は一匹も見なかった。
ウイントフックには、3時ごろ着いた。そこで2時間自由行動。久々の都会に感動して、カプチーノを飲んだ。
夜は、イアンのバースデーパーティーと称して、レストランへ食べに行った。パーティはなかなか盛り上がり、みんなで歌ったり、机をたたいたり、大騒ぎだった。(映子)

 「それ (オーバーブッキング) は、彼らのミスよ。もう一度交渉してみて!!」 

ウイントフックではテントではなく宿に泊まることになっていた。その宿がオーバーブッキングのためドミトリーのベッドがとれなかったのを聞いて・・・
美人のアリーシャは鬼のような表情で怒りをあらわにしている。そして、それをなだめる恋人のビヨーンであった。

オランダ人教師ウェンディは言った。
 「ジャーマニーレディ(アリーシャのこと)は、おとといトラックがパンクしたときも文句を言っていたわ。彼女はこのツアーが一日400キロ、500キロ移動するってことを(ハードなものだってことを)知らないのよ。」

結局、追加料金を払わないと部屋には泊まれないので、僕らとイギリス人グループ、そしてウェンディは庭でテントを張って寝た。それにしても、ツアーも後半になるにつれ、我というものが見えてくるからおもしろい。

十一日目


 朝6時半頃出発。昨日遅くまで遊んでいた人たちはつらそうだ。ボツワナへの国境を越える前に、買い物タイムがあった。

  周りに何もない国境だった。このツアーでなくて国境を越えるのは大変だろう。ていうか、どうするの?っていう感じ。私たちは、ツアーなので、またしてもストレスのない国境越えだった。しかし、国境を越えたというのに、風景は何も変わらない。この国は、お金持ちだというけれどどうなんだろう?道行く人々を見ているだけではわからない。

  途中の道で、トイレ休憩があった。何もない大平原だ。隠れるところすら見当たらない。クリスティーナと2人、「どこでやればいいの?」と顔を見合わせた。(映子)

●今日の一言
 今日の皿洗い係のアリーシャはガイドのターニャにきっぱり言った。

「電気がなくて暗いからお皿洗えないわ。」     :アリーシャ(独)
 「彼女はお皿を洗いたくないだけよ。」      :ウェンディ(蘭)
 (そうだ、そうだ。ウェンディよくぞ言った)       :映子の心の声
 「そ、そんなことないわよ」
 みんなの前でアリーシャはバツが悪そうであった。

十二日目  空から見るオカバンゴ―ガンズィーからマウンへ

7時半起床、8時半にトラックの上へ全員登って記念撮影。そして9時ごろやっと出発した。でも今日のドライビングは短い。牛やドンキーが横切る道を行く。今日も屋外トイレタイムがあった。
 マウンには、1時ごろ到着。ここで、ハルガーは急遽ケープタウンへ向かうことになり、そしてフアンチョとクリスティーは、当初の予定通りエチオピアへと向かう。今朝の写真撮影は、ツアーのメンバーが揃う最後の機会だったのだ。

  私たちは、4時半からシーニックフライト。6人乗りのとても小さな飛行機だ。プルプルと音を立てて、飛行機が動き出した。こんなに小さくても滑走路を走るらしい。滑走路に入る前に、パイロットは窓を閉めた。そしていよいよ離陸。ふわっと浮いて、そして揺れる。左に旋回、右に旋回、そのたびに飛行機は斜めになる。

  象が見えた。あんなに大きな象が小さく見える。水は、思っていたより少ない気がした。とにかくデルタのその範囲が広いのだ。
 バッファローの群れだ。上から見るのもなかなか迫力がある。しかし速すぎて写真が撮れない。
 キリン、アンテロープ、ゼブラ、水の中のカバ。上からだけどかなり近い

  ボートが見えた。飛行機はそれに向かって急旋回。きゃーーーーと思ったのもつかの間、すぐにまた上へ上がっていく。ちょっと気持ち悪くなってきた。
 バッファローの群れがまたいた。ヌーも見た。ここは、人間がなかなか来れないところ、まさに野生の王国だなと思った。オカバンゴデルタ―動物たちの楽園、豊かな水と緑に恵まれたこのアフリカの大地はとてもとてもきれいだった。(映子)

はるか遠くまで続くサバンナとそこに枝分かれし絡み合いながら蛇行を繰り返している大小さまざまな水流。そこは人を寄せつけず、見えるものは自然と野生動物だけ。最もアフリカを感じる光景だ
飛行機の中からもこんな風に動物が見れるなんてすごい!!遊覧飛行は感動の連続

●2度目の皿洗い当番withビヨーン
この辺りではドイツ人旅行者が多いね、という話をした。
オランダ人も多い。ドイツ人とオランダ人、見た目ではわからないが、言葉も文化も全然違うそうだ。オランダ対ドイツのサッカーは日韓戦のように盛り上がるそうだ。なるほど、両国の対立は歴史的な背景もあるようだ。

●映子、通訳になる。
スペイン人のなかで唯一英語のできるフアンチョがいなくなってしまった。そこで急遽映子が通訳係となったのだった。日本人の映子が英語とスペイン語の通訳をすることになろうとは、僕をはじめ誰もが予想しえないことであった。(昭浩)

十三日目  海に出ることのない川―マウンからオカバンゴデルタへ

 今日は8時に絶対出ると言ってたターニャとテッドが寝坊。それでも8時半ごろには出た。水をたくさん買い込んで、一度休憩を挟みつつ、トラックは12時半まで走り続けた。
 止まったところで昼食か?と思ったら、トラック乗換えだった。屋根なしのトラックの荷台の真ん中に、背中合わせに座れるようにイスがある。荷物を積んでさあ出発。ガタゴトのサバンナの中の道を行く。牛がいたり、ドンキーがいたり、水のあるところを走ったりした。サバンナの風が気持ちいい。
 2時ごろに着いた場所で昼食。そこから「海に出ることのない川」は始まっていた。アンゴラから流れてくるこの川は、カラハリ砂漠へと吸い込まれて、決して海に出ることはないのだ

モーターボートに乗り換えて、1時間くらい走る。途中で、蛇を見て、カバを見て、クロコダイルを見て、象を見た。アフリカンフィッシュイーグルも遠かったけどはっきり見えた。川の両岸には1メートルくらいのホウキを逆さにしたみたいな水草が生えていて、川幅はモーターボートぎりぎりしかないところが多かったので、顔をそのホウキではたかれることが何度かあった。

 湿地が見渡せるきれいなところに出た。
「きれい!」
白いハスの花も所々に咲いている。

 湿地の中の、小さな島に到着。私たちはそこでテントを張る。地元の少年たちに現地の言葉を教えてもらう。やっぱりこういうのが旅の楽しみだ。彼らはこの辺りに住んでいて、今が一番きれいな季節だという。ボツワナの人はわりと人なつっこいなと思った。しかし、夕食時みんな一緒に火を囲んでいたのに全然会話なし。きっと彼らは私たちより英語がうまいはずなのに・・・。白人と黒人ってやっぱり距離を置いてしまうものなのかな。それともただ単にシャイなだけなのか?(映子)

海にでることのない川を行くボートからの眺め。きれい、きれいの一言。ここは大自然の宝庫だ
小さな島に上陸して向かえた夕暮れ。何もない、静かな静かな夜がやってくる
白いハスの花を摘んで首飾りと作る人もいた

十四日目  モコロ―オカバンゴデルタ滞在

 丸太をくりぬいて作った小さな舟モコロで、今日は朝8時ごろ、2人ずつ乗って出発した。覚えたての言葉を使って、現地の少年たちに挨拶をした。するとそのうちの1人レッズが、「僕のボートで行きたいか」と聞く。別に誰でもよかったんだけど、断る理由もないので行くことにした。どうやら彼は、リーダー格らしい。
 舟は、安定感があまりなくて最初フラフラして怖かった。次第に慣れてくると、すべるように進むその小さな舟が心地よくなる。座るとちょうど頭の高さくらいの草がたくさん生えているので、遠くの景色はあまり見えない。

 アンテロープと鳥を見て、景色を楽しんだ後、小さな島に上陸。象のフンがたくさん落ちていて、ライオンの足跡もあったから、もしかして・・・と思ったけど、実際に見たのはワートホッグとバブーンとアンテロープだけだった。アンテロープの群れはかなり近くて見れて大迫力。水の中を歩くアンテロープはきれいだった。

休憩中にモコロに挑戦
モコロが近づくとピョンピョン跳ねて逃げていく。その姿も美しい

夕方4時から再びモコロトリップ。象の大群を見た。20〜30頭くらいはいただろうか?大きな一頭が川を渡り始めてから、他の象も渡り始め、バシャバシャバシャバシャとすごい音を立てて渡る。小さな象も後ろから押されながらがんばって渡っていた。

島に上陸しても象が両側にいて、私たちはほとんど動けなかった。帰りに舟の上で、夕日を見た。夕日が辺りをオレンジ色に染めていく中で、飛び跳ねて駆けていく一頭のアンテロープの姿が、今も目に焼きついている。(映子)

● 日本の歌を歌う・その2
オカバンゴデルタに浮かぶ小さな島で火を囲んでいる。そして、いつしか歌がはじまった。ビートルズ、スペインの歌、オランダの歌、ドイツの歌、しかし日本の歌はあのフィッシュリバーキャニオンでの失敗で、誰もリクエストしようとしない。そのことは、寂しく情けない気分にさせるが、ありがたく助かったという安堵も与えてくれる。

 ところが、意外なところから声がかかる。モコロガイドのレッズである。彼は僕たちの失態を知らない。
 「アキ、歌を歌え。日本の歌だ。」

 上を向いて歩こう、を歌った。みんな聞き入っている。今度は成功したみたいだ。面目躍如である。さすがスキヤキソングという名で全米チャート1位に輝いた歌だけある。 イギリス人のマットからあとで言われた。
 「とってもいい歌だね。」
 それがとってもうれしかった。(昭浩)

十五日目  

 昨日と同じように8時頃、モコロで出発。アンテロープを追いかけながら、小さな島に上陸した2グループに分かれて歩く。レッズ率いる私たちのグループは、すぐに象に出会う。いまさらながら、象はでかい。少々遠くでも見えるからいい。ましてや歩いていて見れるなんて・・・。その後は、なんとかバックという鹿の大きいのを見て、サルを見た後は何もなし。ひたすらブッシュの中をひざくらいの高さの草をかき分けて進む。

 鳴き声がした。というか、うなり声という感じだ。ライオンだ。足跡もすぐ近くにあって、新しい。声のする方向へと歩いていく。声はかなり近い。怖い。けど見たい。ドキドキしながら、抜き足差し足で歩く。みんなの間に緊張感が走る。しばらくライオンを追って歩いた。でも結局、ライオンを見ることはできなかった。別のグループは象すら見れなかったらしい。

 昼食後、モーターボートで島を出て、もと来た川を戻っていった。そして今日の宿泊地である別の島に4時ごろ着いた。(映子)

●今日の会話
 ウェンディと僕が一緒にお皿をあらっている。
 「皿を洗剤で洗ったあとすすぐよね?」     :昭浩
 「すすがないわよ。」                 :ウェンディ

 「皿に残った(泡泡の)洗剤は洗い流さないの?」 :昭浩
「洗い流さないわ。」                   :ウェンディ

「いや、でも、日本ではいつもすすでいるよ。」 :昭浩
「ふきんでふきとるから大丈夫よ。オランダではみんないつもこうやっているの」:ウェンディ

 生活習慣のちがいにいまさらながら驚く昭浩であった。

十六日目  ナミビア再入国―マクウェナからカプリビへ

 今日はほとんどが移動だった。国境を越えて再びナミビアに入ったけれど、特別な感動はない。スタンプがまた1つ増えたおかげで、ページがまた少なくなってしまった。しかも上下逆に押された・・・。
 ナミビアに入ってしばらくすると、象をたくさん見て、一時「おーっ!!」という感じになったが、すぐに眠りにつき、その後は何にもなかった。(映子)

十七日目  

 朝5時起き。真っ暗で、おまけにヘッドライトの電池がなくなって何も見えない。ろうそくを灯して何とかパッキングしたけど、出発時間の6時半になってもまだテントをたたんでいるという事態になった。幸い皿洗い当番の人たちが、まだ食器を洗っていたので、テラスへカバとワニを探しに行く余裕もあった。

朝日の中、きれいな朝焼けの中、トラックは今日も行く。再び国境を越えてボツワナへ入る。しばらく行くと、象が道を横切る。おおっさすが象7万頭の国だ。

  3時半頃からチョベ川のクルーズに出かける。男性陣はみんな女装させられている。もちろん、あきちゃんも・・・。
 クルーズでは、オオトカゲ、鳥、サルに始まって、バッファロー、象が見れた。バッファローは見ててもただの牛じゃんって感じで感動があまりない。象はやっぱりいい。何頭見てもまた写真を撮ってしまうくらいに。そして、今日またしても象の川渡りを見た。女装したり、ビールを飲んだりときゃあきゃあはしゃいでいた私たちのグループも、この時ばかりは静かになった。マラウイで、「見たい!」と思っていたのに見れなかった象の川渡り、ボツワナでは2回も見れた。
  他にはカバときれいな鳥、フィッシュイーグル、とにかくたくさんの鳥を見た。トカゲの舌は、二股に分かれていた。(映子)

目と耳だけだしているカバたち。こういうの見ているだけでワクワクする。かわいいなあ
牛のように群れているバッファロー。これでも一応ビッグ5の一員である
ついに見た!!象の川渡り!こういう写真が撮りたかったのよ

十八日目  雷鳴のとどろく水煙―チョベからビクトリアフォールズ(リビングストン)へ

7時起き、8時半出発。ボツワナ側の国境越えはとてもスムーズ。9時半ごろ、ザンベジ川を渡るため、フェリーを待つ。トラックや車がいっぱいで2つフェリーがあるけれど、結構待たされる。渡ってからも、ザンビアのイミグレは長蛇の列。待ち時間にあきちゃんと押したり引いたりする遊びをした。すると、フリアンがスペインの遊びを、トーマスがドイツの遊びを教えてくれた。11時半ごろやっと国境越えも無事終わり、ザンビアにタダで(ビザ代がかからなかったラッキー!)入ることができた。

ザンベジ川を渡るしょぼいフェリー。頼むから沈まないでーと祈りたくなる

 私たちのツアーの終点、ビクトリアフォールズへ着いた。遠くからも舞い上がるしぶきが見える。近づくにつれて音も聞こえてくる。そして見た瞬間、思わず言葉を失う。
「きれい!!」
とやっと言えるまでにどれだけ時間がかかっただろう。こんなに大きな滝を今までに見たことがない。

  遊歩道みたいなところを歩いていくと、歩いても歩いても滝が続いていて、その大きさに驚かされる。滝が近くで見えるがけっぷちまで行くと、土砂降りの雨に打たれたようにずぶぬれになる。滝のしぶきが舞い上がって、少し上で雲のようになり、風に吹かれてこっちで雨になって落ちてくるのだ。その水量も半端じゃない。レインコートも傘も用意してこなかった私は、なめていた、この滝を。さらに崖と崖をつなぐ橋を渡るときが一番濡れる。でもそこでは虹を見ることができる。

  さらに歩いてもまだ滝が続く。いったいどこまで続くのだろう。先は見えないのだ。ジンバブエ側もまだ、長い滝が続いているのだろう。滝の上は静かな川で、ずぶぬれになった人々が日向ぼっこをしていた。(映子)

ゴォーッゴォーッ 滝は深く細長い地の裂け目に吸い込まれていた

十九日目  解散―リビングストン滞在

 今日がツアーの最終日、まだしばらくここにいる人がほとんどなので、さよならするという実感はあまりない。テントもそのまま使っていいということなので、何も変わらない。ただ、やることがないので、フリアンとイニャキに誘われるままにリビングストンの街へ行った。

 日曜日だったので、人が少なくて閉まっているお店も多い。偶然入ったツーリストインフォメーションで、リビングストンミュージアムは開いていると聞いたので行ってみた。ザンビア人の生活様式、動物、地図など、小さいながらも見やすくてよかった。私が一番気になったのは、部族の地図。ザンビアの中でもマラウイ近くにチェワ語を話す人が住んでいて、タンザニアの近くはスワヒリ語だったりする。これは、イギリスなどの国によって勝手に国境が引かれたということを表しているんじゃないだろうか?フリアンが「バスクはスペインとフランスによって二つに分けられた。」と言っていたのを思い出した。2人はどんな思いで見ているだろう?と思ったけど、英語の説明がよくわからないので素通りしているようだった。

その夜、同じツアーのメンバーはほとんどレストランで一緒に食事していた。私たちは、リビングストンで食糧を買い込んできたので、2人でしんみりサンドイッチを作って食べた。後で、バーに行ってみると、まだみんな飲んでいた。私たちも加わって、メールアドレスを交換したり、ハグしたり、握手したりして、お別れを言い合った。明日帰ってしまう人たちが半分くらいいる。いよいよこのツアーも終わりなのだ。(映子)

●ツアーのおわ
 今日がみんなと過ごす最後の夜だ。バーでみんなと別れを言い、握手を交わす。あんまり好きになれなかったドイツ人カップルのビヨーンとアリーシャもいい人のように感じる。
 オランダ人のポールが言った。
 「オレは、今まで日本人に会ったことがない。君たちがはじめてだ。オレは日本人が好きだ。」
 その言葉は胸に響いた。

 僕はあまり積極的にみんなの輪のなかにはふみこんでいかなかった。どうせ英語で話してもあんまり理解できないから・・・そう斜に構えていた部分もあったと思う。ポールのそんな言葉を聞くと、もっとみんなといっぱい話しておけばよかったかな、と少し悔やまれる。そんな感情がわいてくるのは、少し感傷的になっているのかな。
 こうしてひとつの旅が終わった。(昭浩)

二十日目  期待はずれのラフティング―リビングストン滞在

 あきちゃん待望の、まさに待ちに待ったラフティングの日が来た。私はちょっとびびっていてドキドキ、あきちゃんもドキドキしているとは言うけど、うれしそうだ。ラフティング出発地点までは、30分くらいの長いドライビング。そして車が止まったところから急な崖を歩いて降りる。かなり急で危険な下りだった。レンジーは2〜3回(もっとかも)ずるずると転んですべり、ジャージのズボンのお尻のところが破れて2つも穴が開いていた。

 ラフティング出発時に「あれ?」と思ったのは、ガイドが「グレード4までしか行かない。」と言ったことだ。案の定、激しい所はあまりなく、見た目でびびっていても中に入ってみるとチャポチャポ。水しぶきがパシャンと来たり、レンジーやアレンは川に落ちたりしたけど、何かが違う。同じツアーのメンバーでちょうど7人いたので、一緒に行けたのは楽しかったし、よかったと思う。けれど・・・・
 激しいところ、いつ来るかな、いつ来るかなと思っていたのに、結局なかった。コントロールできないほどの激しいところは。

 あきちゃんの落胆ぶりはもっと激しく、「だまされたー」とか、「ちゃんとコースを聞いていけばよかったー」と繰り返す。今回は激しいところ、ラピッド1〜10は行かなかったのだ。挙句の果てに「ジンバブエでもし行けるんだったら行く」とまで言い出した。(しかし、翌日ジンバブエで聞いたところ、この季節は激しい瀬は水量が多くて危険なので行かないのだそうだ。スタートする国は違っても川は同じなのだ。)

  昨日もたくさんの人たちにお別れを言ったけれど、今晩こそが、私たちにとっては本当に最後の夜だ。フリアンとイニャキにバーで一杯おごってもらった。その後さらに2本のワインを4人で空けた。そして、いろんな話をした。この旅で得たものはたくさんあるが、この2人と出会えたことは大きい。おかげでスペイン語が少し上達した気がする。英語のほうはさっぱりダメだったので自信をなくし気味だったけど、スペイン語は自信がついた。人との関わり合いというか、接し方というのか、みんなとなじむのってとても難しいし、自分は苦手だと感じた。でもこの2人とは、他の誰よりも仲良くなれたと思う。 (映子)

 朝7時に起きてパッキング、そしてテントを片付ける。あきちゃんが先にレセプションへはがきを出しに言ってしまったので、イアンに手伝ってもらってテントをしまう。そして小さい荷物だけ持ってレストランへ行った。大きい荷物はあきちゃんが持ってきてくれるというので待っていたが、なかなか帰ってこない。

 コーヒー冷めちゃうよ、と思っていたら、あきちゃんが両脇を支えられて、さらに2人の従業員に荷物を持ってもらって現れた。大きい荷物を持って転んでしまったらしい。左足は捻挫、右足はすりむいて血が噴出している。コーヒーどころではなくなって、すぐに氷で冷やし、消毒。ここの従業員はみんな親切で気が利く。おかげで助かった。

 すぐに出発の時間になった。私は、まだテントのところにいるイアンにお別れを言いに走っていった。イアンは少し寂しそうだった。
 フリアン、イニャキ、ウェンディの3人は私たち2人と一緒にホテルのミニバスでジンバブエに向かう。国境越えはバスの中、手続きはすべて運転手がしてくれた。ジンバブエは、あっけないほどすぐ近くで、すぐにお別れのときは来てしまった。
9月にまた、ビルバオで会おう!
そう言って、ハグして別れた。3人はそのまま空港に行って、同じ飛行機に乗ってロンドン経由で帰っていくのだった。(映子)

オーバーランドツアーを終えて

このツアーの大きな見所として、ナミブ砂漠、エトーシャ国立公園、オカバンゴデルタ、ビクトリアフォールズ、この4つがあげられる。ビクトリアフォールズをのぞく他の3箇所は、どこも交通アクセスが悪いため、個人で行くのは大変むずかしい。レンタカーかツアーでいくしか手段がない。このツアーはそれらを効率よくまわってくれる、そこが魅力だ。

トラックを改造しているとはいえ、乗り心地はよく、車内にはクーラーボックスがあって、水やジュース、ビール、ワインなどいつでも好きなときに飲める。基本的にテント泊だが、キャンプ場はどこもホットシャワー完備のきれいなところなので、下手な安宿より居心地がいい。
ツアー料金をはじめ聞いたとき正直ひるんだが、移動と食事と宿代、そのほかもろもろ考えると高い金額ではないと思う。

欧米人との共同生活、これには−欧米人のなかに入っていってうまくその輪に入れるのだろうか?−そんな不安が頭をもたげる。というかそれだけが唯一の懸念だ。結論を言えば、20日間も一緒にいるのだから無理しなくても自然と仲良くなれる。それに、同じヨーロッパでもそのお国柄や考え方の違いなどが少しずつ見えてきておもしろい。みんなそれぞれ自分の好きなように楽しんでいるからまわりをいちいち気をつかっていてもしょーがないということに気がつかされる。

このツアー、僕たちがこれまでやってきた個人の旅とは異質のもので、旅が日常となっている僕たちのなかでこの旅は非日常の旅であったといえる。アフリカの自然もさることながら、いろんな国の人々との生活のなかで新しい発見があり、すばらしい出会いがあった。

  そしてその出会いはその後の僕たちの旅に大きな影響をあたえるのだった。(昭浩) 完

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