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ネパール旅行記 2度目のネパール編

 

6月7日〜

再びネパールへ 6月7日

朝、まだ暗いうちからバスに乗った。見慣れた、何回も通ったような道を走って、ついにまたカトマンズに戻ってきてしまった。バスを降りたところになぜかホーリーランドゲストハウスのハリがいた。そして、「なんで、ローカルバスで?」と驚いていた。  懐かしい街、懐かしい人、戻ってこれたことにうれしい気持ちもあるけれど、私はまだ気持ちの整理がつかないでいる。本当にこれでよかったんだろうか?インドで2〜3日様子を見ても良かったのかもしれない。今まで順調に来た旅だっただけに、こんな形で予定を狂わされたのがどうも納得いかなかったのだ。きっと旅の途中で予定が狂うことなんてよくあることに違いない。予想もしなかった事態に巻き込まれることもある。でも結局、すぐにネパールに行こうと決めたのは自分なのだ。インドとパキスタンの情勢が良くないので、「すぐに帰国の準備をしてください」と言ったデリーの日本大使館のお姉さんのせいにしながらも、結局は自分の決断に納得がいかないのかもしれない。どうも行き場のない思いだけが私の中で渦巻いていて、とてもサッカーの試合をなんて見る気になれない。カトマンズのここ、タメル地区では、いたるところで歓声が聞こえる。みんなワールドカップサッカーを見ているのだ。ここは平和だ。何日かここにいれば、この気持ちもおさまるかも知れない。 (映子)

朝いつも通っていた懐かしいドーナツ屋

パキスタンビザを取る  6月10・11日

パキスタン大使館へ行った。情勢はあまり良くないので行けるかどうかわからないけど、行けるなら行きたい。パキスタンには「風の谷のナウシカ」のモデルになったフンザというところがある。だけど、もし行けなかったときには、違うルートで、シベリア鉄道に乗ってトルコに向かおうかと思っている。大使館に行った後、古本屋でシベリア鉄道の旅の本を買った。どちらも魅力的。片方取れば片方捨てることになる。人はすべてを手に入れることは出来ないのだ。  その古本屋で、バラナシのガートで出会った千春ちゃんと再会した。お昼を一緒に食べてから、ダルバール広場に行った。雨が降っていたので、雨宿りも兼ねて、屋根のあるところで座っていろんな話をした。ネパール人が何人か話し掛けてきて、おもしろかった。その辺にいる子供もかわいい。日本人と同じような顔立ちをしている。  あきちゃんの調子はカトマンズに来てからすぐれない。昨日までほとんど1日中寝ているし、下痢だし、今日もお昼を食べてから宿に戻ってしまった。カトマンズの乾燥した汚い空気のせいか、喉がやられているようだ。私はインドから絶好調なのに・・・。大丈夫かなあ。  パキスタンビザは、翌日取れた。でも、昨日、本を買ってから、気分はシベリア鉄道だ。とにかく、ここ、カトマンズから動き出さないことには、どこにも行けないので、チベット行きを申し込むために、旅行代理店に行った。(映子)

パタンとマチェンドラナート祭   6月13日

今日は久々の観光、早起きしてパタンへ行った。パタンは思ってたよりずっと近かった。そして、カトマンズからちょっと離れただけだけど、すごくいい感じ。ダルバール広場は、カトマンズより広くて、お寺がたくさんある気がする。  まず、その広場で、自称学生という青年が近づいてきた。ここでチケットを買うんだとか、パタンはこういうところとか、あなたはラッキーだ、今日はお祭りだよとか、説明してくれる。ガイド料はいらない、お金じゃなくて、日本から一枚のポストカードを送って欲しい。京都に友人がいるが、彼はポストカードを送ってくれない。そんないじらしいことを言ってきた。確かに悪い人ではなさそうなのだが、私たちは、ネイティブじゃないから、英語を聞いたり話したりするだけで疲れて、せっかくのきれいな街を見るどころではなくなってしまう。それは、あきちゃんも同じ気持ちだった。自分たちだけで行きたい、ハネムーンだから・・・なんてあきちゃんはうそをついて、彼とはバイバイした。  最初に入った建物、ムルチョークは、すごくいい感じだった。ネワール建築、そして、彫刻がふんだんにほどこされていて、見ていて飽きないし、落ち着く。しばらくその中庭のような広場の一角に座っていた。空の青と、雲の白と、建物の赤茶色がいいコントラストだ。まるで夢の中のような、現実とはちょっと違った空間だ。  ネワール人は、木の彫刻だけでなく、石や金属にもいろんな柄を彫りこんでいる、しかも細かい。職人さんたちには頭が下がる思いだった。  ゴールデンテンプルを通り過ぎ、シヴァの寺院を見て昼食。そこでもまた、英語を話す別の青年に会った。最初の青年が言っていたとおり、今日はお祭りらしい。その後、寺をいくつか見てから、さっき聞いたお祭りの山車があるというところへ行った。  道の端で立って見ていると、隣におばあちゃんが来た。目が青っぽくて、顔は日焼けしたのか地黒なのか真っ黒、でもなぜかうちのおばあちゃんに似ている。何か言ってるけど、よくわからない。少し悲しそうな顔をしているようにも見える。疲れてきたのか、足が痛いのか、お祭りがまだ始まらないので、座りはじめた。と思ったら、男の人たちが、大勢で山車を引っ張って、山車が少し動きそうになった。おばあちゃんは座るときも私の足を支えにしていたので、立ち上がるときも手を貸してあげた。すると、それからずーっと私の腕を持って立つようになった。おばあちゃんが、私のおばあちゃんに似ているように、私も、おばあちゃんの娘か孫に似ているのかもしれない。なんとなく、おばあちゃんがそういうことを言っているような気がしてきた。  お祭りの方は、山車が向きを変えるところで、すごい盛り上がりを見せた。それまで、ちょっとずつしか動かなかった山車が、一気に動いたのだ。そして、みんな山車と一緒に練り歩き始めたので、私たちも一緒に動いた。おばあちゃんとは途中ではぐれてしまった。山車を引っ張る人たちは、特別な人たちではなく、たまたまその辺にいた男の人という感じがする。そして、もう1つ小さい山車が後ろにあって、そっちはちびっこたちが引っ張っている。  私たちは、かなり前の方まで歩いたのだけど、終点まで行くと大変だから、途中で帰ろうと思っていた。すると、ピンクの服を着た男に、お前たちはこっちに行けないから、あっちへ行け、みたいに言われた。彼のラリっているような口調がとてもいやな感じだったのですぐに帰りたくなった。でも、人が多くて身動きとれない。2つの山車が通過するのを見送ると、だいぶ、すいてきた。ちょっと戻って小道に入り、バス停に向かった。  いろんな人に出会った。物売りの8歳の少年、サッカーの試合を見ているお店をのぞくと、見ていけとか、座れとか言ってくれるおじさんたち、そして、英語の話せる青年、客引き的な人も多いけれど、いい人が多かった。年に一度のお祭り、マチェンドラナート祭が見れたのもラッキー。楽しい一日だった。(映子)

今日はマチェンドラ祭。5階建てビルより高い山車がでる
パタンのダルバール広場

ラビンとハリのダルバート   6月14日・15日

私たちが泊まっている宿で働いている、ラビンとハリ、2人はいつも交代でダルバートを作っている。私が屋上で日記を書いていると、屋上のキッチンにやってきたラビンは、「ご飯食べる?」と聞いた。何となく「うん。」と答えると、本当に、お皿にご飯とカレーを入れてくれた。それは、とてもおいしいカレーだった。1人で食べてちゃ悪いので、あきちゃんも呼んできて、半分コした。  夜も、ラビンがダルバートを作ってくれた。4階の空いてる部屋で、一緒に食べた。量が多かったけど、おいしくて全部食べた。彼らはいつもこれを食べているのだ。さすがにおいしい。ピザとか食べないの?と聞くと、食べないと言う。  ラビンは日本に行きたいと思っているみたいだけど、なかなか難しいらしい。お金もいるし、保証人もいるみたい。こんなに日本語がうまいのに、なんだか切ない。私たちは、英語もましてやネパール語なんてできないのに、どこにでも行ける。この差はなんだろう?そして、もっとがんばらなきゃいけないんじゃないかな、と思う。日本は遅れていると思う。語学に関しては、めちゃくちゃ後進国だ。そして、国際的な感覚とか、考え方も。サッカーを見ていても、ネパール人は、「日本を応援してる、同じアジアだからね」と言う。そういう考え方が、日本にもあるだろうか?  翌日の昼は、私たちが材料を買ってきた。ちょっと奮発してチキンも買った。そして、今度はハリが作ってくれた。ラビンはいつも謙遜して、「ハリさんのほうが料理はうまい」と言うけれど、2人ともうまい。特に、今日はあきちゃんが塩加減をしたために、辛く仕上がってしまったので、ラビンの方がうまいんじゃないか?と感じてしまった。ごめんよ、ハリ、やっぱりいつも作ってても、失敗する日もあるよね。2人が作っている姿を見て、いつか日本でもダルバートを作って食べようと思った。(映子)  ハリとラビンは年間365日ほぼ毎日昼と夜このダルバートを食べている。まあ彼らの大好物なのだからいいのだが、よく飽きないでいるもんだと不思議に思う。(昭浩)

宿の屋上でハリと一緒にダルバートを食べる

彫刻の町 バクタプル  6月15・16・17日

カトマンズから、1時間くらいで、バクタプルに着いた。バスを降りて歩き出すとすぐに雨が降り始めた。途中チャイ屋で雨宿りした。宿に着いてからも、まだ雨が降っていたので、部屋でごろごろしていた。  夕方雨がやんできたので、散歩に出かけた。ダルバール広場とトゥマディ広場、どちらも雰囲気が良くて好きだ。五重塔へと登る階段には、レスラー、象、ライオン、グリフィン、女神が2つずつ対になって並んでいる。登ったところの縁側みたいなところで、しばらく座っていようと思ったら、上にはハトがいーっぱいいて、いつフンを落とされるか、ハラハラドキドキなので、早々に引き上げた。  宿に戻ると、屋上に上がってみた。ダルバール広場も、トゥマディ広場も見える。景色が良くて、いつまでも見ていたい気がする。五重塔の屋根に付いている風鈴みたいな鐘が、風に吹かれてチリンチリンなっている。(映子)

この町は、美しい。しかし、町に入るのに10ドルは高すぎ!

翌朝、起きてすぐに窓の外を見るとものすごくいい天気で、山がきれいに見えて、ピカピカと白く光っていた。「あきちゃん!山がきれいに見えるよ!」と言ったのだけれど、次の瞬間、あれ?と目が覚めた。夢だったのだ。起き上がって窓の外を見たのは多分現実。でも見た映像は・・・。  実際は、真っ白な雲に覆われた山だった。天気は曇りである。ちょっとがっかりした。でも、何となく屋上に行こうと思って行ってみると、ほんの少しだけど山が見えた。少しは現実だったのかな。でも窓から見えるのはその山とは逆方向である。やっぱり寝ぼけてたんだ。あれくらい山がきれいに見えたらな。トレッキング中はいつも見てたのになあ。  気を取り直して、チャングナラヤンへ行った。ローカルバスで約20分。田園風景が広がる中を、細いでこぼこ道を行く。なんだか楽しい。ウキウキとした気持ちになってくる。  チャングナラヤンのお寺には、10ルピー札に印刷されているヴィシュヌとガルーダがある。その他にもいろんな彫刻が盛りだくさん。お寺は修復中のようで、入ってすぐの見た目はイマイチ。反対側から見るとわりといい感じ。そんなに見るところは多くないので、しばらくいろんな彫刻を見て楽しんだら、もうやることないので、バクタプルに戻った。(映子)  チャングナラヤンは派手さはないが雰囲気はいい。地味だけどこれでも世界遺産。(昭浩)

チャングナラヤンは、のどかな緑に囲まれた山の上にある

昼から、ガイドブックに載っていた、バクタプルウォーキングツアーをやってみた。出だしから道を間違えて、縁側にたむろするおじさんに聞いてやっと正しい道にきた。その後も、これでいいのかな?やっぱり違ってた、なんてことがたびたびあった。そうして、いくつもお寺と神社をまわった。バクタプルの街は、レンガづくしである。レンガの道、レンガの家。そして、車が走っていない小道が多いので、空気がきれい。街全体とてもいい感じ。だけど、子供は「キャンディー」とか「1ルピー」とか言ってくるのが多く、人は、私たちを見ると「ガイドいるか?」とか「タンカペインティング」とか、「タクシー」とか、声をかける。それ以外の人に声をかけられることは、残念ながらなかった。  バクタプルツアーは、坂道を下りて、川を渡り、再び川を渡ってトゥマディ広場に戻ってきて終了。五重塔を見て、やったー戻ってきたーとガッツポーズ。そんなに長い歩きではないけど、やり遂げるとうれしい。なんだか盛りだくさんの一日だった。 宿の屋上で夕日を見た。今日で最後だと思うと寂しい。夜はネワール音楽が聞こえてきた。(映子)

バクタプルウォーキングツアー。なかなか楽しめる

翌朝は、昨日と同じサモサ屋で朝食をすませ、散歩をした。タチュパル広場まで歩いて、また孔雀の窓を見た。すばらしい彫刻は何度見てもいい。というより何度も見たほうがいいのかもしれない。ずーっと見ていると、新しい発見があるし、感動が湧き上がってくる。昨日見た時とは明らかに何かが違う。ダルバール広場とトゥマディ広場ももう一度行って、彫刻を見た。  Pottery Squareにも行った。そこは思っていたほどではなかったけど、焼き物にするつぼをたくさん並べて乾かしていた。  ダルバール広場に戻って、ゴールデンゲートから王宮の中に入った。タレジュチョークはヒンズー教徒しか入れないので、私たちは外から見るだけ。だけど外側も、彫刻がすばらしかった。青とか緑とか色がついている。でも写真は撮れないのだ。奥には沐浴場があった。  バグバティ寺院の階段を登って上でしばしなごんでいると、1つ行き忘れたところを思い出した。そこは、中庭があって、パタンのムルチョークに似たつくりだけれど、もう少しこじんまりしていて、中はごちゃごちゃしている。そして、なぜか亀がいた。そこには拷問の彫刻がある。耳に釣り針みたいなものを引っ掛けられている人と、蛇を首に二重に巻かれて、剣で刺されそうになってる人の彫刻が印象的だった。  帰りのバスは、エクスプレスだったので早く着いた。カトマンズに着いてびっくりしたことが1つある。空気が汚いのだ。排気ガスの味しかしない。思わずタオルで口を覆った。住んでいると気付かないけど、東京もこれくらい、いやもしかしたらこれ以上に空気が汚かったかもしれない。(映子)  バクタプルは、エクステリアがすばらしい。レンガの建物が並ぶなか、石でできた置物、レリーフなんかがちりばめられている。博物館みたいな町だった。ここが撮影場所に使われた映画「リトルブッダ」を見てみたい。(昭浩)

孔雀の窓
孔雀の窓

温泉とチベタン姉妹    6月19・20日

チベットに行く前に温泉に行きたいね、と前から話していた。出発まであんまり日がないので、今日行くことにした。この間同じ宿に移ってきた千春ちゃんと3人で行った。  宿から歩いて15分くらい、ちょっと銭湯にでも行くような気分。入り口でタオルとムームーみたいなお風呂の中で着る服を貸してくれる。健康ランドを思い出してうれしくなる。中は、シャワー室と更衣室と、庭にある小さなお風呂2つだけ。思ってたよりちゃっちい。でも、2時間くらい出たり入ったりしながら過ごした。途中で、チベタン3姉妹が入ってきてにぎやかになった。千春ちゃんは、マッサージしてあげたりして、仲良くなっていた。一番下の妹はよくしゃべる。英語が堪能だ。まん中はおとなしめ。一番上のお姉ちゃんは、ネパール語で話してくる。みんなで一緒にお湯につかったり、出たりして、楽しいときを過ごした。  帰りに座敷でくつろいでいると、3姉妹がきて、うちに遊びに来る?と聞いてきた。私たちはあまり日にちがないので、明日行くことになった。思わぬ出会いだった。チベットに行く前に、チベタンに招待されるとは!!  次の日、あきちゃんは調子が悪かった。ずっとあまりよくないので、今日は大事をとって行くのをやめた。私と千春ちゃんは、3姉妹が住むボダナートへ向かった。  バスを降りて、一番上のお姉ちゃんに電話して、しばらく歩いた。聞いた住所を頼りに、人に聞きまくってやっと到着。上のお姉ちゃんと、下の妹が迎えてくれた。そこは5階建てくらいのビルで、お姉ちゃんがそのビルを持っているらしい。一番上に住んでいて、屋上からの眺めは、最高に良くて、あきちゃんも来れば良かったのにと思った。ボダナートも、空港も見える。そして、ゴージャスな部屋で、モモをごちそうになった。本当にモモだけいっぱい出てきたのでびっくりした。  彼女たちは、今までにいろんな国に行ってるらしく、ドイツに行ったときに、ドイツ人の家に招かれて、とてもHappyだったので、私たちも招かれたらHappyかなと思って招いてくれたのだ。本当にいい人たちだ。最後に屋上でおいしいダージリンティーを飲み、楽しい時間はすぐに過ぎてしまった。再会を誓って別れた。またいつか会えるかな。(映子)

チベタン姉妹とモモを食べる

さよなら、ネパール   6月22日

朝4時半、まだ暗いうちからパッキングを仕上げて、前の部屋の勇人君たちに手紙を書いて、出発した。千春ちゃんはといえば、コンコンとノックしてみたけど、やっぱり寝てるみたいなので、そのまま起こさずに来た。宿のハリは、風邪をひいてたけど、「気をつけて」と見送ってくれた。  バスが来るはずの所には、道の両側に、待っているらしき人が合計3人。もうすぐ5時半なのに少ないなあ。バスが来るとすぐ、私たちは前の席を確保した。と、向こうから、千春ちゃんが歩いてくるのが見えた。見送りに来てくれたんだ。うれしかった。そして、「いい旅が出来ますように」と赤いティカをつけてくれた。千春ちゃんに手を振りながら、バスは出発した。  バクタプルを通ったとき、なつかしかった。ドゥリケルを過ぎると、バスはぐんぐん山道を登っていった。その時、向こうの方に山が見えた。ヒマラヤだ。昨日雨が降っていたせいか、今日はきれいに晴れていて、パノラマで山が見える。千春ちゃんがティカつけてくれたおかげかな。本当にいい旅になりそうだよ。ありがとう。ネパールにはじめて来たときは、あきちゃんが「ネパールが好き」と言うのを聞いてもなんでかよくわからなかった。でも、いろんな人に出会って、私も少しずつ、じわじわと、ネパールが好きになってきた。私は、いろんなものを、千春ちゃんからも、出会ったたくさんの人々からももらった気がする。それは、物質的なものだけでなくて、気持ちの中で、自分らしく生きる大切さとか、うまくいえないけど、勇気なのか、元気なのか、わからないけど、体の中からこみ上げてくるものがある。本当に出会えてよかった。(映子)

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