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チベット旅行記 カトマンズからラサへ

6月22日〜26日

1日目 国境越え 6月22日

 朝6時ごろカトマンズを出たバスは、お昼くらいに国境の町コダリに着いた。バスから荷物を降ろして、10分くらい歩く。ガイドにパスポートを渡して、レストランで待っている間にお昼ご飯を済ませ、パスポートを受け取ってまた歩く。橋を渡るとそこは中国。いきなり漢字の世界。懐かしいような気持ちになる。と同時にまた来ちゃったなと思った。それからトラックの荷台に荷物と一緒に詰め込まれて、立ったまま30分、ガタゴト道はつらかった。

橋の向こうに見える「中華人民共和国」の漢字

 ダムの町で入国を済ませてから、バスに乗り換え、ニェラムまではさらに2時間。だんだん標高が上ってきて、寒くなってきた。山深い道は、とても景色が良かった。麗江の虎跳峡を思わせる。ニェラムはすでに標高3,800メートル。少し息苦しい。でも、夜は久々のおいしい中華を食べて、お茶を飲みまくった。

谷は深く緑が濃い。ちょっとスリル

このカトマンズからラサに行く5日間のツアーでは、日本人は、私たちのほかに、2人。同じバスに乗っているのが、今朝「初めまして、東園と申します」と、風のようにさわやかに現れた、ゾノさん。そして、ランクルに乗っているのがゆうこさん。あとは、みんな欧米人ばかりだった。(映子)

那智の滝みたいに水が落ちるような中バスは走る。断崖絶壁の谷間を登り、登りきったあとは乾燥した平原に変わる。このダイナミックな景色とその変化には驚かされるばかりだ。着いたニョラムの村には黒い衣装を着たチベタンがゴロゴロいる。男の人は赤い糸といっしょに髪をみつあみにしている。そんな人々に見つめられながら小さな村を歩く。夜は、半年ぶりのおいしい中華を食べに行く。感激の連続の1日だった。でも少し頭が痛い。(昭浩)

 

2日目 チベット 6月23日

 今日はいよいよチベットに来たという感じがした。風景がとても雄大だった。果てしなく続く乾いた大地、山々・・・ほんとに果てがない。大きすぎる。しかも、こんなに標高が高いのに、平原が広がっていて、ヤクやラバがいて、モンゴルを思わせる風景。
 チベットの人々は、愛想がいいのか何なのか、すぐに手を振ってくる。そして、物乞いが多い。彼らは何が欲しいのか、全くわからない。食べ物という仕草をする人もいる。ただ手を出してくる子供も。そして、全裸で、広い大地に立ち、手を出していた少年・・・。中国人の作った、お金が欲しいのだろうか。本当に欲しいのは、中国からの解放ではないのか?でも今は、そんなことを思っている人は少ないのかもしれない。ただ毎日、その日その日を必死に生きているだけなのかもしれない。
 ティンリーに着いて、エベレストが見えるかと思ったら、雲が出ていて全然ダメ。がっかり。
 チベタンの村をいくつも通り過ぎた。家々はチベタンだけど、学校とか公安とかは中国っぽいつくりで、支配されているという感じ。ラツェの町も、漢民族っぽいつくりだった。(映子)

チベット側から見たヒマラヤ。山の向こう側は昨日までいたネパールだ

何にもないところに描かれた一本の道、そこをバスは進む。細かい溝や凸凹があるため振動が激しい。それが何時間も続く。腰をやってしまいそうだ。世界一周するのもなんだか大変だなあと思ってしまう。しかも、このバス登り道になると必ず途中でオーバーヒートする。その度に川からバケツで水を汲んできてバスのフロントからラジエーターにぶっかける。こんな道中を10時間以上走る。ツアーといっても泥臭い旅なのだ。(昭浩)

果てしなく広がる空と大地。そこに続く一本の道。地球を旅していると感じる瞬間

3日目 タシルンポ寺 6月24日

 昨日の夜眠れなかった。息が苦しかった。全然寝てないような気がしたけれど、夢をいくつか見たので、浅く眠っていたらしい。高山病かな?
 それでも、朝の出発はなぜかさわやかだった。しかしみんな、8時に出ると言っても、8時に集合したためしがない。時間にルーズな欧米人たち。日本人の私たちはいつも一番に集合している
 バスの中では、音楽を聴いていたけれど、すぐにまた、眠ってしまった。風景は相変らず果てしなく、ずーっと同じなので、そのうち飽きてきて、こんなすごいとこにいる!!というのも忘れて寝ていた。

こんな風景を見ながらいろんなことを考える。それこそ「旅」というものなのだろう

 今日はどこにも寄らず、一気にシガツェ行きだった。でも、ゾノさんは高山病で、ダイアモックスを今朝飲んだので、トイレに行きたくなり、2回もバスを止めた。少しずつよくなってるといいけど。バスの中でずっと寝ているので心配だ。
 シガツェに着くと、なぜか、チベタンがたくさんいる。ただ単に都会だから人が多いのかと思ったら、そうではなく、明日、タンカフェスティバルがあるらしい。そして、今ちょうどパンチェンラマがサマーパレスに来ているらしく、チベタンたちが行列を作っていた。
 タシルンポ寺には、世界一大きい弥勒仏がある。確かに大きかった。やさしい青い瞳が印象的だった。五体投地でお祈りする人々がいた。次に行ったお堂は、ナムギェル・ラカン。パンチェンラマを祀っていて、壁いっぱいに絵が書かれていた。色とりどりの絵はなかなか見ごたえがあった。そして、中庭のあるお堂、クンドゥン・ラカンに行った。自分がどこにいるのかよくわからず、近くのチベット僧に聞いてみたら、たくさんのチベット僧に囲まれてしまった。みんな、あーでもない、こーでもない、と言って、結局よくわからないので、もと来た所へ戻っていった。帰りに桃とリンゴを買って、ゾノさんとゆうこさんと4人で食べた。(映子)

タシルンポ寺。とても有名なお寺らしい

チベットのお寺の第一印象、それはバターの香りだ。中に入った瞬間からバターバターバターバターの匂いなのである。バターろうそくだらけで、またその火をずっと絶やさないようにしているからだそうな。(昭浩)

4日目 タンカとパンコル・チョルテン 6月25日

 朝、タシルンポ寺のタンカを見た。昨日何もなかったタンカ台に、色鮮やかなタンカがかかっているのを見た時は少し感動した。近くまで行ってみると、真ん中に大きい仏像、左右に小さい仏像が4つずつくらいある絵だった。たくさんのチベタンたちが五体投地している。私たちは少し出遅れたので、タンカの絵が出てくる瞬間(黄色い幕が上っていったそうだ)は見れなかったけど、1年に1回というこの貴重なタンカを見れて良かった。

大タンカ開帳!

 シガツェからギャンツェまでの道は、途中からガタゴト道に入って、もしかして道に迷ったんじゃないの?と思うくらい道が悪かった。4時間くらいでやっと着いて、ガイドに連れて行かれたレストランで、まずい昼食を食べた。そのレストランは、小奇麗だけど、私たちのほかには誰もお客さんがいない。団体客を連れてきてもらって、それで儲けている。そして、ガイドにマージンを払っているのだろう。そういうわけで、高いのは仕方ないのかもしれないけれど、まずいのが許せない

 パンコルチョーデというお寺に行った。お寺に入って、まっすぐ歩いたところでは、たくさんのお坊さんたちが、修行なのか、お経を読んでいた。
 次に、あきちゃんが「一番行きたい!」と力説していた、パンコル・チョルテンに行った。8階建ての建物に、75の部屋があり、1つずつ見ていく。それは、悟りの道を形にしたものなのだ。最初は仏様と悪魔みたいなのが交互ぐらいに現れて、同じようなものが多かった。4階で、僧がたくさん出てきた。5階には、4つの仏像と、壁のマントラ、いよいよ悟りを開いたぞという感じ。6階の暗ーいところに、男女が抱き合っている絵があった。ここまで来るともう密教の世界だ。6階より上には行けず、外に出ると、町が見渡せて、いい感じだった。悟りが開けたかどうかはわからないけれど、ここまで来て良かったと思った。(映子)

75もある各部屋に壁画がある
パンコル・チョルテン。ぐるぐる回りながらてっぺんに向かう
パンコル・チョルテンの上の部分。ブッダの目がある

5日目 いよいよラサへ 6月26日

 今日は全体的に景色が良かった。白い雪に覆われた山が見えてきたり、湖があったり。すごくきれいな湖、と思ったら、そこはダムだった。その中にお城みたいなのがなぜかあって、大きくて、きれいなところだった。ダムに向かって、上から石を投げているスコットランド人がいたけど、なかなか水面に届かず、あきちゃんも、ゾノさんも、そしてドイツ人のギーもむきになって投げている姿がおもしろかった。

湖のまん中に浮かぶ古城。歴史的価値はあるのだろうか?

 次にカローラ峠を越えて、その後氷河が近くで見れるところがあった。どちらの場所でも、チベタンがヤクに乗れと言ってくる。そして、お金を払わされるのだ。欧米人は結構喜んで乗っていた。ヤギを抱いた女の子が、写真を撮れといってくる。そして、それももちろんお金のためだ。
 チベタンは、物乞いが本当に多い。いつからそんな風になってしまったんだろう。中国に支配されてからだろうか?物乞いにお金とか物をあげるのは、やっぱりその人のためにはならないと思う。それがその日のその人を救ったとしても、次の日はどうするのだろう?結局は無責任なのだ。あげてもあげなくても。誰もあげる人がいなかったら、少しは考えるかもしれない。他に生きていく方法はないだろうか?と。写真を撮らせて、金を儲ける方がまだましだ。かといって、そうまでして写真を撮りたいとは、思わない。やっぱり抵抗があるのだ。一旅行者である私に出来ることはないのだろうか。

カローラ峠から見た景色。7000m以上ある目の前の山の斜面には氷河が
チベットには欠かせない動物ヤク。背景の空とヤムドク湖の深いブルーがきれい

 カトマンズを出てから、この5日間で、私の気持ちの中で、1つの変化があった。最初から「チベットに行ったら、絶対にカイラスに行きたい!!」と言うあきちゃんに対して、私の気持ちは、カイラスに向いていなかったのだ。でも、バスの中で、チベットの風景を見ているうちに、カイラスに行ってみたくなった。カイラスに行く道もこんな感じかなあ、とか考えて、「きっと今が一番体力も気力も充実しているから、これを逃すと一生行けないかもしれない」と思うようになった。高山病も、あきちゃんに比べたら、私は大丈夫だし、最近下痢することも少ない。カイラスが呼んでいる気がした。(映子)

ポタラ宮  6月28日

 セブンイヤーズ・イン・チベットを見た後でも、私はまだ、ポタラ宮にダライラマが住んでいると思っていた。ダライラマ14世が過ごした所。シンプルで、わりと狭い部屋とベッド。そこを見ると、その映画を思い出した。その他にも、広い空間に、所狭しと仏像や歴代のダライラマの像、ストゥーパがあるのを見て感動したりしていた。ここは、ただのお城ではない。聖なる場所という気がした。しかし、そこはすでに完璧なまでに中国人に支配されているのだ。高い入場料を払わないと中に入れないし、博物館のように整備されているのだ。そして、外で五体投地しているチベタンは中に入るお金がないのではないだろうか?すごく立派な所だけれど、少し哀愁を帯びていて、悲しい気持ちになる。そんなところだった。(映子)

ポタラ宮のなかには、廟、ストゥーパ、住居、祠が詰まっている
ポタラ宮のなかではタンカを広げていた

ジョカン 6月30日

 朝起きたら雨が降っていた。最近いつも朝夕雨が降る。特に朝から雨が降っているとやる気をなくす。本当はガンデン寺に行こうと思っていたけれど、予定を変更して、宿から歩いてすぐのジョカンに行くことにした。
 ジョカンというお寺は、かなり古そうなところが良かった。本殿に入る前に、人が並んでいて、門前払いされる人もいるのを見て、こりゃ大変そうだぞと思っていたら、観光客はすんなり入れるようだった。中は薄暗い感じで、中央に大きな仏像が2つある。そして、周りにたくさんのお堂&仏像がある。それぞれの場所で、いつものように旅の安全と世界の平和、そしてみんなの健康を願ってお祈りした。
本殿を見終わった後、その周りをコルラした。1回目はマニ車を回しながら、2回目は壁画を見ながら周った。その後屋上みたいな所から、ポタラ宮殿を見た。
外に出てから、八角街をコルラした。そこには、おみやげ物などいろんなものが売っている。たいしたものはなかったけれど、昨日の夕方1人で行ったときより、人が多くてにぎわっていた。(映子)

この付近では五体投地してお祈りするチベタンをよく見る
八角街。チベタンのコルラする姿が目立つ

チベット医学とノルブリンカ 7月1日

ゾノさんの調子が良くない。ラサに来るまでの高山病から、ずっとだ。もう頭は痛くないみたいだけど、熱がある。一緒にガンデン寺に行こうと思ってたけど、とても行けそうにないので、チベット医学の病院に行くことにした。あきちゃんも下痢だから行く!と言って、一緒に行くことになり、私もついていった。

まず受付で、あきちゃんは胃腸科、ゾノさんは内科のカードをもらったので、別々に診察室に入った。お医者さんは、チベット語か中国語しか話せないみたいで、私たちは2階の部屋に連れて行かれて、偉い先生に見てもらった。おかげで20元(300円)も余計に支払った。とても親切にしてくれたのでよかったけど。ゾノさんは中国語が出来るので、問題はなかったみたいだ。
 チベット医学の薬、ハーブを使ったものを、あきちゃんもゾノさんも3種類ずつもらった。朝、昼、夜の三種類だ。豆みたいな黒い粒で、とてもまずいらしい。二人とも、もう「飲むのがいや」というほど苦しんで飲んでた。効くといいけど・・・。

昼からノルブリンカに行った。自転車を借りて、快調に飛ばしていった。あきちゃんは、なぜか眠そうだ。中に入ると、とにかく木がたくさん茂っている。森の中のようなところだ。ポタラ宮やジョカンと同じようにバターのにおいがするお寺に入ってお祈りした。ダライラマ8世と13世の所を見た後、メインの14世が住んでいた所を見た。壁画とか彫刻は確かにすごいと思うけど、住んでた所は質素な感じがする。ベッドは小さいし部屋も狭い。チベタンのおばちゃんたちは一生懸命五体投地している。主を失った館はなんだかさみしい。そして、そこにやってくるチベタンたちを見てると、切ない気持ちになる。マニ車を回しながら、コルラしているおばあちゃんに何度も会った。(映子)

ダライラマ14世の別荘ノルブリンカ。中はシンプル

チンギス君とセラ寺   7月2日

 それは、不思議な出会いだった。朝お粥を食べた後、芋を買って帰ろうと、私たちは芋を揚げてるお姉ちゃんの前で立ち止まった。後ろから男の人が無言でやってきて、私たちの前に立ち、先に芋を買った。私は、思わず「あ、抜かされた」とちょっとムッとして言った。すると彼は、驚いたことに「日本の方ですか?」と聞いてきたのだ。絶対中国人だと思ったのに、日本人だったのだ。さらに彼は、「一緒にチャイでも飲みませんか?」と言う。私は、「抜かされた」とか言っちゃって、気まずい感じだったのでどうしよう?と思ったけれど、何となく断れずにチャイ屋に行くことになった。

 そのチンギス=ハン似の彼(以下チンギス君)は偶然にも私と同じ和歌山県出身で、京都の大学にいっているが、休学して旅行をしているらしい。悪い人ではなさそうだけど、あまり話が会わない気がした。ジェネレーションギャップだろうか?チンギス君は、その薄暗いチャイ屋が大好きで、毎日のように来ているらしい。そして、今日もチャイを3杯も飲んだ。でも、私たちにとっては、ヤクミルクのチャイはあまりおいしくなかった。多分2度と行かないだろう。1時間くらいいろんな話をした。ドイツ人の彼女がいたと言ってたけれど、その彼女には当時彼氏がいたらしい。それは、彼女というのだろうか?不思議なキャラクターだ。だけど、憎めない感じの人だった。

 2時半くらいから、セラ寺へ向かった。さっきチンギス君が「問答」の様子を、まねて見せてくれたので、中庭に行ったとき、「これだ!」とすぐにわかった。二人一組になって、一人が問題を出して、一人が答える。でも、いちいちポーズを決めて、手をたたくのでおもしろい。そして、サボっている人もいたリ、楽しそうにやっていたり、真剣にやっていたり、いろいろなのだ。まわりでは、観光客が写真を撮ったりビデオを撮ったりしている。なんだか独特の雰囲気の所だった。(映子)

ラサ観光では欠かせない問答風景。15時頃からはじまる

朝の出会い  7月3日

 朝、いつものお粥屋に行くと、テーブルがいっぱいだったので、「いっぱいだねー」とあきちゃんと言っていると、手前の女の人は日本人らしく、「どうぞ、どうぞ」と言ってくれた。ゾノさんも加わって3人で、そのテーブルの所に座った。

 「お食事中にすみませんが、サムイエってパーミットいるんですか?」彼女は突然聞いてきた。「いりますよー」という話から、いろいろ話したところによると、彼女はペントックゲストハウスがきれいすぎるので、バナクショーホテルに移ったらしい。そして、チベットでヒッチハイクもやったことがあるらしい。そのうえポタラ宮に安く入るため(?)変装用の服も買ってあるとか・・・。聞けば聞くほど変わった人だ。彼女が見たバスの事故の話も、笑ってしている。彼女はお粥のほかに肉まんを4個もたいらげ、最後はさわやかに「良い旅を」と去っていった。
なんだか複雑な気分のまま、昨日のチンギス君といい、ラサには変わった人が多いねと、私たち3人は話していた。ということは、私たちもその中に入るのだろうか?(映子)

サトシとの出会い   7月4日

 あきちゃんとゾノさんは、先日チベット医学の病院に行ったにもかかわらず、ちっともよくならないらしい。片方は下痢、片方は熱。相変らず二人とも連日ゴロゴロしている。私は毎日どこにも行かない日々についに嫌気がさし、一人で自転車を借りて出かけた。いつもの通りを離れると、山がぐんぐん近づいてきて、その下にキチュ河があった。橋を渡ってみたりした。もう1回大通りに出て、ノルブリンカの方の川に行った。そこは泳いでいる人もいた。

 ちょうど1時間くらいで戻ってきて、ジョカンの前のみやげ物売り場を見に行った。実は欲しいものが1つだけあった。それは、マニ車のネックレスだった。このあいだ、あきちゃんとゾノさんと3人で行って、15元(225円)までしか下がらなかったので買わなかったけど、もう一回トライしてみよう!と思ったのだ。このあいだの店に行ったけど、やっぱり同じ。

今度はその近くの店にトライしてみた。同じように35元(525円)から始まって、15元(225円)まではすぐ下がった。でもそこから下がらない。そこのおばちゃんと、「15」とか「10」とか言ってるうちに仲良くなってきて、おばちゃんが私の腕を離してくれなくなった。おばちゃんの名前は「サトシ」、34歳。とてもそんなに若くは見えないけど・・・。店の中まで連れていかれて、しばらく座っていた。店の中から外を見ると、ちょっと景色が変わっておもしろい。サトシとは、言葉は全然通じないけど、なんだか心が通じてる。そんな気がした。その日は買わずに、「また明日来るよ」と言って別れた。(映子)

カイラス出発前夜  7月5日

 「まぶしい!」まだ夜が明ける前、2時半頃に思わず叫んだ。あきちゃんがゴソゴソ起きだして、ヘッドランプをつけて本を読み出した。眠れないらしい。そのヘッドランプがもろに私を照らしていたのだ。ゾノさんも起きてしまって、その様子を見て笑っている。
「眠れないなら、羊でも数えてなよ!」
起こされた私は不機嫌になってそう言った。するとあきちゃんは、外へ出ていって、廊下のソファで本を読んでいる。でも、私とゾノさんは、それから眠れなくなってしまった。あきちゃんはしばらくすると戻ってきて、眠れない3人は「怖い話しよっか」ということになった。ゾノさんが中国で本当にあった怖い話をしてくれた。それから、あきちゃんとゾノさんは、治安の話をしはじめ、私は少しずつ眠っていった。

 お昼頃、宿の旅行代理店の人に聞いたら、ずっと待たされていたパーミッションがやっと取れたという。いよいよ明日、カイラスへ出発するのだ。そこで、サトシの店にあきちゃんと2人で行った。サトシは大歓迎してくれた。一緒に写真を撮った。そして、ネックレスは、12元にしてくれた。明日、カイラスへ行くと言うと、ちょっとさみしそうにしてた。「また、来るよ」とバイバイした。

 夜、私は興奮してか、なかなか寝付けなかった。ゾノさんは、出発が決まったと聞いて、さみしそうだったけど、すぐに寝てしまった。隣の部屋の欧米人の話し声が聞こえてきて気になる。毎晩のように、ゾノさんと3人で、「銭湯に行ったらどこを隠す?」とかたわいもない話で盛り上がって、ワイワイガヤガヤ話してたのにね。そして、バスとか車とかに乗っていると、眠くなくても寝てしまうのに・・・そんなことを考えながら1時間くらいでやっと眠りについた。(映子)

会う時、サトシー!エイコー!と言ってふたりは抱き合う
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