10月28日〜11月6日
ジリ1955m→シヴァラヤ1770m (所要4時間)
朝6時ごろから同宿のハンガリー人たち10人のグループはバタバタしていた。私たちはゆっくりスタート8時過ぎから。とにかく初日からムリはしない。ゆっくり行こうと決めていた。
宿の人たちに別れを告げていざ出発。人々がバドミントンをしているバスパークから人が誰もいない道に入ったとき、ちょっと不安になった。でもそのうちポーターやトレッカーが増えてきてトレイルはにぎやかになってきた。ロバ隊や牛も歩いている。女の人でもものすごい荷物を背負って歩いている。たくましい。
私たちが出会ったトレッカーはバスで一緒だったスイス人3人とカナダ人3人、それと1人でガイドと一緒に歩いているおじさんもいた。
歩いていると、ギブミーペン、ギブミーチョコレート、ギブミーキャンディー、ギブミー10ルピーと、子供が言う。やっぱりここでも誰かがあげているのかな。私たちは空のペットボトルが要らなかったからすぐあげちゃったけど、よかったのかな?と考えてしまった。
マリまでかなり順調に来たので、デオラリまでいけるかな?と思ったけどやっぱりムリはしないことにした。つり橋を渡るとそこはシヴァラヤ。カナダ人3人はさらに先へと歩いていったけど、私たちはシヴァラヤで泊まることにした。
シヴァラヤまでずーっと下り坂が続いたので、なにげに足が疲れた。今日のコースはアップダウンも少しあったけど、平坦な道もあったのでわりと歩きやすかった。でも初日なので荷物を背負って肩が痛くなった。そのうち慣れるかなあ。
昼からは予想通り雨が降った。乾季のはずなのに毎日雨が降る。こんなんでエベレスト見えるのかなあ。(映子)
シヴァラヤ1770m→バンダル2190m (所要5時間)
今日のコースはとにかく登りが多い。アップ、アップ、アップ、ダウン、そしてアップ、アップ、ダウン、アップ、アップ、アップ、ダウン、ダウンで到着という感じ。
最初の登りはとても急でシヴァラヤの木の橋を渡ってから登りっぱなし。少しなだらかになっても、少しずつ登っている。たまに下りになるけど、ヒザに負担が来てこっちもつらい。
同宿のスイス人3人は先に出て、もう追いつけないかと思ったらすぐに追い越した。ちょうど、鶏を一羽持った話好きのネパール人のおやじが休憩しているのでぶっちぎった直後だった。それからはずっと私たちの独走状態だ。
あきちゃんはかなりゆっくりペース、私は今日も調子よくすいすい歩いた。ただ、デオラリ峠を越えてから下り坂になると足がつらくなってきて、すべってこけたり、足をひねったりした。デオラリ峠にはマニ壁が3列くらい並んでいた。
バンダルにはゴンパがあり、ストゥーパが2つ立っていた。雲行きはだんだん怪しくなっていき、私たちがご飯を食べ終わった頃からポツポツ来た。そしてまた雨が降り出した。本当に近頃天気が悪い。だけど今日は夕方になると再び晴れ間が出てきた。
スイス人3人のほかにもフランス人カップルが現れて、宿の食堂はフランス語圏と化していた。白髪のおじいさんも私たちより前に到着していて、ポーターとマンツーマンで豪華な食事を取っていた。ご飯の後はみんな早めに床に着いた。(映子)
山の中はヒマだ。トレッキング2日目にして気づいてしまった。歩き終わった後、とくに夕食前のひとときはとてもヒマである。
電源がないのでコンピュータでHPを作成することもできない。持ってきている本は1人1冊しかないので今の段階から読み始めるとすぐにでも読み終わってしまいそう。とてもじゃないけど、トレッキング2日目から貴重な本に手はつけたくない。
昼寝でもするのが一番なのだが、今寝ると夜寝付けなくなりそうなのでがんばって耐えているしかない。
この日も僕はとても眠たかったが、それ以上に映子はもっと眠そうだ。ほとんだまぶたが閉じかかっている。
超大型台風23号で川が氾濫し、洪水でバスに取り残された乗客らがバスの天井の上で一夜を明かしたというニュースが、僕らが出発する直前テレビから流れていた。そのとき、バスの上で一晩中お互い励ましあったり、歌を歌ったりしてきびしい一夜を過ごしたという。
そして、映子はベッドの上でうとうとしながらつぶやき続けたのである。
「あきちゃん、励まして・・・歌、歌って・・・」 (昭浩)
バンダル2190m→セテ2575m (所要6時間半)
6時に起きた。食堂には6時半過ぎにみんな集合していた。私たちは朝食が先に出てきたので、さっさと用意して一番乗りに出かけたんだけど・・・出だしから道を間違えて結局一番後になった。
今日のケンジャまでのコースは楽勝だと思ってたけど実はそうでもなかった。アップダウンが結構あって疲れた。それでもケンジャには早く着いたので、ご飯休憩を取らずに先を急ぐことにした。
ケンジャには社会主義のマークみたいなのがついた旗が立っていた。これはマオイストのマークかな?ケンジャで休憩していたスイス人3人はもしかしてマオイストにお金を払っていたのかもしれない。彼らの前で領収証みたいなのを書いている人を見た。銃を持った若者も何人か見た。
そんな様子とは裏腹に、ケンジャにはバナナがなっていた。田んぼもあってお米が豊かに実っていた。のどかな田舎の風景である。
物資を運ぶシェルパの人たちが行き来するので、細いトレイルがすぐ渋滞する。彼らはすぐに泊まって休むので、渋滞し、追い越せないようなところで 停まるので困りもの。でもそのうち追い抜いて私はどんどん登った。
女の子が1人、「ペン」と言ってしばらく付いてきた。ちょっとストーカーみたいでこわかった。いろいろ言ってくる子供はうざいけど、ちゃんと「ナマステ」と手を合わせる子供は本当にかわいい。
後半は本当に登りばかりで、どこまで登るのだろう?と思った。けど、その山の頂上には行かなかった。かなり高くまで登った気がするけれど、まだ上には上があるのだ。最後の登りで、あきちゃんは放心状態だった。やっぱり荷物が重いのか?それとも年のせいか?
宿に着くと、スイス人3人組もすぐ追いついてきた。今日は夕方も雲が多いながらも日が出ていたので、しばらく外の陽だまりで座って日記を書いた。風が冷たい。
夕方の少し暗くなってきて、肌寒い時間帯が一番困る。本を読もうにも暗すぎるし、こんな時間に寝ると夜眠れないし。結局2人で寝袋にくるまってあーでもない、こーでもない、と話しているしかないのだ。暖炉に火が入ってからは、スイス人とほんの少し話した。夜は星がきれいだった。(映子)
テーマは健康。
僕らはトレッキング初日からそう唱え続けている。とにかく体調を崩すと辛いし、下手をすればそれで停滞を余儀なくされることもある。だからどんなにゆっくり歩いてもいいし、何度休憩してもいいので、とにかく健康を第一にと僕らは細心の注意を払っている。
僕らが健康のため具体的にしていることはこういうことだ。
1、イソジンうがい薬で1日2回のうがい
2、夜はマスクして寝る
3、足を冷やさないように足をほぐすマッサージをする
4、ヨガをする
5、トレッキング中は基本的に肉を食べないベジタリアンで通す
このなかで5番目の項目は肉食獣である僕には一見辛いように思える。しかし、ネパールの山の中の肉に対して懐疑的になっているためあまり食べる気になれない。ネパールでは冷蔵庫というものが普及していない。しかもネパール人はお祭りの時以外はあまり肉を食べない。ということは、宿やレストランで肉を僕らが注文すると新鮮でない肉を出される可能性が大きいのではないか。そう思ってしまうのである。結局、昼はたいていインスタントラーメン、夜は毎晩ネパール定食であるダルバートを食べているので自然とベジタリアンになってしまう。
とにかく、テーマは健康。それの優先順位を最も高くして、僕らは日々歩いているのである。(昭浩)
セテ2575m→ジュンベシ2680m (所要7時間)
ラムジュラ峠まで、登りが多かった。でも急な登りがなかったからか、体は楽だ。毎日のこの歩きにも慣れてきたのかもしれない。
途中で休憩していると、銃を持った男たちと出会う。
なにやらネパール語で話しかけてきたけど分からず、ジャパニーズだという話だけして、どちらからともなく立ち去った。ちょっと怖かった。マオイストか?撃たれるか?それとも金を払わなきゃいけないか・・・ドキドキもんだった。
しかしその後、さらにたくさんの銃を持った男たちに出会った。彼らはかなりフレンドリー。「ハロー」「ナマステ」「ハワユー」とか、「ウェルカム・トゥ・ソルクーンブ」とか、言ってくれた。1人の男は「誰かに金を払えと言われたか?」と聞いてきた。とにかく彼らは礼儀正しくてフレンドリーでそして人数がかなり多かった。緑や水色の迷彩服を着ていた。アーミーの人たちかもしれない。
ラムジュラ峠の手前でお茶してクッキーを食べた。この辺りはかなり雪が積もっていて寒い。そして道が凍っているので滑りやすい。トロトロと進んだ。雪道は慣れてないので苦手だ。峠に着くと、雪がなかったのと、意外と低かったのでがっかりした。
峠の後1時間くらい下って、再びお茶した。日本のその辺にいそうなおじさんとチベタンのおばちゃんがやってる小さな店だ。それからジュンベシまではほとんど下りでラクだった。大きなマニ石が見えれば、そこはもうジュンベシ。チベタン色の濃い、ゴンパの多い町だった。(映子)
気になったことがある。
今日会った銃を持った人たちが果たしてマオイストだったのか、それともアーミーだったのか。
それともうひとつ気になっていたことがある。昨日ケンジャという村でスイス人に領収証を書いている人を僕らは横目でさっさと通り過ぎてしまったが、あれはマオイストによる通行料だったのではなかったのか。
マオイストというのは日本の新聞なんかでは毛沢東主義者と訳されていてなんだかわかりにくいが、まあ言えばネパール最大のゲリラのことである。ここ数年活動がさかんで、車や建物を爆破したり、軍隊との衝突なんかはしょっちゅうやっている。全国にストを呼びかけストに応じないバスやお店は爆弾をしかけると脅し、ネパールを騒がしている。
今日山道でライフルを持った私服の若者が僕をニラミそして話しかけてきた。
出た!マオイストだ!と思った。
かなりドキドキした。足は少し震えていたかもしれない。
マオイストらしき男は何か僕に言ってきた。でもネパール語なのでまったくわからなかった。
僕は誰が見てもネパール人にしか見えないルックスをしているので、男は僕のことをネパール人だと思ったのだろう。
「ア・・・アイ アム ジャパニーズ」
震える声でそう言うのがやっとだった。幸い男はすぐに立ち去っていった。
機関銃を担いだ私服の集団が通り過ぎ、少し間をおいて今度は迷彩服の集団が現れた。迷彩服の人たちはやたらフレンドリーなので少しは安心したがそれでも緊張感がある。彼らも武器は持っていた。バズーカ砲もある。ゲリラというよりはネパールのきちんとした軍隊といった風にも見える。しかし、
「あなたたちはマオイストですか?それともアーミーですか?」
なんてとてもじゃないけど聞けない。
僕たちは疑問と不安を抱きつつ機関銃の集団に愛想をふりまきながら山道を歩き続けるしかなかった。
「はじめに歩いていた私服の人たちがマオイストで、あとから来たのはアーミーだ。マオイストをアーミーが追っていたのだ」
後日、他のトレッカーのガイドにそう聞いた。そして、同じルートをいくスイス人たちに話を聞くとやはりケンジャの村で彼らはゲリラに通行料を払ったのだそうだ。
「君たちはラッキーだ。多分顔がネパール人に似ているからネパール人だと思いこんで通してくれたんじゃない」
僕たちが通行料は払わず通り過ぎたことを話すとそのガイドはそう言って笑っていた。
後で振り返ればば、ゲリラに会ったということはちょっとしたネタにもなるが、逃げるマオイストと追うアーミー、そんなものとはあまり遭遇したくないものである。 (昭浩)
ジュンベシ2680m→ヌンタラ2330m (所要8時間)
朝、山の向こうに雪山がちょこっと顔をのぞかせていた。7時15分に出発。ゴンパで写真を撮り、マニ車を回した。今日も一日無事トレッキングできますように。
橋を渡ると登りが続く。急じゃないけれど長く登ったので、結構疲れて前半からばててしまった。中国の虎跳峡を思わせる深い谷を見ながら山の中腹よりちょっと上の方を歩く。いい感じだ。
エベレストが見えるビューポイントまで、2時間くらいかかった。しかもエベレストはすでに雲の中。それでも他の雪山たちがきれいに見えたのでよかった。これがヒマラヤ、やっと見えたね。山の名前は全く分からなかったけど、とにかく見えたことがうれしかった。
山々を見ながら歩くと疲れも忘れる。サルングで休憩した後、リングモまでがんばった。橋を渡ってからの急な登りがきつかったけれど。リングモでアップルパイ休憩を取って、50mのマニ壁を通り過ぎてさらに登る、登る。峠のチョルテンまでずっと登りだ。
タクシンドゥ峠の向こう側にはヒマラヤの山々がバーンと広がっているはずだったのに、雲でほとんど見えない。楽しみにしていたチーズファクトリーもどこだか分からずに、タクシンドゥの村まで下りて、さらにヌンタラまで今度はひたすら下っていった。
最近の傾向として、登りは私、下りはあきちゃんが先頭を切って歩いている。今日は他のトレッカーの追随を許さず、荷運びのシェルパたちをごぼう抜きして、一番乗りでゴールインした。
ルクラ行きの飛行機が時々見える。ジリから歩き始めたときから見えていたけれど、今日は雪山と木の繁った山の間に飛行機が突っ込んでいくように見えた。ルクラはもうすぐだ。
天気が安定してきたのか、今日も雨は降らなかった。(映子)
ヌンタラ2330m→ブプサ2350m (所要6時間)
朝から泣いちゃった。
昨日から痛かった耳をしもやけだと思って一晩中こすり、水ぶくれになってしまったのだ。
あきちゃんが、しもやけは凍傷だというので、
「耳を切り落とさなきゃいけないの?」
「ひどくなったらね」
という会話を交わし、耳を切り落とすのはイヤだー!と一生懸命こすったのだ。
あきちゃんは、
「おれはもう何も言わない。おれのせいにされる」
と言って怒り出すし、結局痛いのは私だと思うと何とも言えず悲しくなった。
その後、顔を洗うところからきれいに山が見えたので、少しは気分が晴れた。歩き始める頃にはもう雲がかかっていたけれど。
耳が痛かったのは、結局日焼けのせいだったらしい。野球帽をかぶってずっと歩いていたので、耳がずーっと日に当たっていたのだ。だから今日はぐるっとつばのある帽子に替えた。
ジュビンという村まで、下りが多かった。しかしその村はあまりにもしょぼかった。3軒くらいしか家がない。この村はシェルパ族ではなくて、ライ族の村らしいが、ライ族ってこんなに少ないのかな。そこで出会った人は目が細めだったので、私の中でライ族の人は目が細いという印象。でも基本的にシェルパ族も変わらない気がする。もちろん、日本人にも似ている。
そこからはひたすら登り。日差しが強くて、標高も低いので暑い。汗ダラダラ。だけどなぜか鼻が出る。かんでもかんでもずるずるみずっぱな。まるで花粉症のようだ。以前のトレッキングでもやたらに鼻水が出る村があった。ここではカリコーラの村が鼻のピークだった。ロッジもたくさんあってわりと大きな村だった。
さらに橋を渡ってからの登り1時間はつらかった。でも今日も一番乗りでついたのでちょっとうれしかった。私って負けず嫌いなのかな、と思いながら、ヒィヒィ言いながら登ったのだ。後ろを見てフランス人カップルが遠くにいるのをみてほくそえんでみたりして・・・でもやっぱりつらかった。(映子)
「耳しもやけやわ」
そんな一言からはじまりそれから映子は昨晩とくとくと語った。それが悲劇のはじまりだった。
「小さい頃よく耳がしもやけになったんよ」
そんな小さい頃の話までもちだしてとくとくと語った。この小さい時の話が悲劇を避けられないものとした。
とくとくと語る映子に僕はアドバイスした。
「しもやけやったらもんだほうがいいよ、しもやけは凍傷の一種やからなあ」
「凍傷なんやったら切り落とさなあかんの?」
「ひどい凍傷やったらな」
これがよくなかった。この一言が決定的な一撃だったともいえる。
そして今朝になって映子はうらめしそうに僕をにらんでいった。
「ずっと耳もんでたら水ぶくれができてしもたわ。しもやけじゃなくて日焼けやったみたい。あきちゃんのいうとおりもんだらひどいことになってしもた」
「俺、医者じゃないもんわからへんよ。しもやけや言うたから、もんだほうがいいよって言っただけやのに・・・」
僕がそう言うと映子は泣き出してしまった。
こんな時、男はどうすればいいのだろう。
たぶんあやまったところで、全然気持ちがこもってへん、といって怒り出すに決まっている。しかも、全然気持ちがこもっていない、という指摘は困ったことにたいてい当たっている。気持ちの伴わない謝罪はまるで逆効果だ。賢明な男性ならわかっているとは思うが、ここでヘタななぐさめの言葉、同情の言葉は禁物である。こういう時、静かに嵐が収まるのを待つという以外にいい対処があったら教えてほしいものだ。
(昭浩)
ブプサ2350m→チャプルン2660m (所要8時間)
昨夜12時ごろ、子供たちがキャーキャー遊びまわる声で目が覚めた。外は月明かりで明るく、ゴンパからはお経のようなものが聞こえてきた。なんだか眠れなくて外へ出てみた。月明かりに照らされた雪山がきれいで、そして満天の星空もきれいだった。カシオペア座とオリオン座を見た。それから再び眠ると、驚くほどよく眠れて、疲れもすっかり取れた。
朝のスタートは快調でよかったんだけど、今日は歩きが今までで一番長くて疲れた。
プイヤンまでに1回休憩、プイヤンのあと、スルキェまでも1回しか休憩せず、何かにとりつかれたかのように歩き続けた。肩が痛い。2日前くらいから虫にやられたところが何ヶ所かあるが、歩いている時は気にならない。耳もよくなってきた。足もだんだんと鍛えられてきたのか、調子がいい。ただ下りの時はヒザに来る。
時々、雪山が見えてきれいなところであきちゃんが写真を撮った。ルクラに行く飛行機はもうかなり近い。ルクラの町の下の道を通ってチャウリカルカに着き、もう少し歩くと、チャプルンに着いた。
予定より早く着いて、最初宿には誰もいなかったんだけど、今日も客を呼んでしまったようだ。ジリから一緒のイギリス男とネパーリーガイドの他に下りてきたトレッカードイツ人3人組がやってきた。
暖炉に火が入ってから全員で火を囲んで、チャンというネパールのお酒―どぶろくみたいなの―を飲んで、話に花が咲いた。といっても話の中心はドイツ人のおじさんで、少子化の問題、移民の問題、税金のこと、などなど言いたいことがたくさんあるようだった。(映子)
今日の行程は長かった。
4時間登って1時間下り、そこからさらに2時間登る。書いてしまえばたったの一行にも満たない。でも、本人にすれば日中ずっと何時間も歩いているのだ。
僕らはもう山歩き7日目で毎日登ったり下ったりしているんだけど、それでも4時間の登りというのは聞くだけでゲゲッとなる。
しかし、ホントいうと登りというのは、登り始めてペースがつかめちゃうとそれほど辛いものではなくて、実はそれより下りのほうがキツイのだ。
今日だってそうだった。4時間の登りはいいペースで楽勝だったのだが、そこからの下りがたいへんだった。だいたい1時間ずっと下りっぱなしだと、だんだん膝がガクガクして、そのうちヒザに力が入らなくなる。集中力も途切れそうになってつまずきそうになる。肉体的にも精神的にも忍耐の連続なのである。
そこでシャクなのが膝ガクガクの僕らの上空を飛ぶ飛行機だ。多くのトレッカーはカトマンズからルクラという、ちょうど僕らが歩き始めて7日目にして到達するところまで、飛行機で一気に飛んでくる。7日間の歩いたところをたったの1時間で飛んでくる。
トレッキングどころかロクに運動していない僕らにとってはジリからの歩きはトレーニングであり、足慣らしなのだ。ヘタレの僕らにはちょうどよかったのだ。そう自分に言い聞かせるしかない。僕らは今日ようやく他のトレッカーにとってスタート地点である場所にたどりついたのだった。(昭浩)
チャプルン2660m→モンジョ2840m (所要4時間)
朝出かけるときにあきちゃんを待っていたら、彼は別のところで待っていたらしくてすれ違い。「バカ、バカ」といいながら出発する。
マニ石がいっぱいある。マニ車も回した。
「無事にカラパタールとゴーキョに行けますように」
川を渡る。山がきれいに見えてきた。何ていう山だか知らないけれどとてもきれいなので、たくさん写真を撮った。
荷物を運ぶヤクたちがたくさん通るので油断ならない。牛よりも角がでかいのでささりそう。体も大きくて毛が長い。トレッカーも増えてきた。もっぱら下りてくる人にしか会わないけれど、ナムチェからは登る人ももっと多くなることだろう。
パクディンにはよさげなロッジがたくさんあるし、団体のツーリストがいっぱいだ。いよいよエベレスト街道と呼ばれる道に入ったということか。モンジョまではあっさり午前中についてしまった。
この辺りから、宿もご飯も高くなる。でもここまでがんばってきたから、今日はたくさん食べて、久々にシャワーを浴びた。といってもバケツシャワーでちょっとつらいのだけど、虫にやられた体をどうしても洗っておきたかったので仕方ない。
宿には温室のようなダイニングルームがあっていい感じ。太陽が出ている間は天国だった。でも日が沈むとやっぱり寝袋にくるまっているしかなかった。
今日も宿に一番乗りだったけど、客を呼んでしまったようで、スイス人3人の他に新たにカナダ人カップルと韓国人のおじさんが現れた。(映子)
夜中の3時に目が覚めてしまった。それから眠れなくなってしまったので昨夜ドイツ人が語っていた少子化問題について寝袋にくるまりながら思いをめぐらせてみた。
未来は明るいと根拠なく確信しているが、やはり少子化の問題は現実の問題としてやってくるのだろうなあと思う。
僕の行きつけのダイビングショップは都内大手だったのにもかかわらず、一番の顧客である成人男女の減少のおかげでつぶれてしまった。
これからもっともっときびしい現実として少子化というのはやってくるのだろう。
移民を受け入れるとあっという間に中国人によって日本は埋め尽くされるだろうし、とりあえず子作りにはげむしかないのかなあと結婚6年目子なしの夫は思うのであった。
ところが、子作りの決意の翌日に映子とケンカだ。理由は実にくだらない。
いざ出発という時、映子はトイレ行くから先に行っているね、といって部屋を出て行き、遅れて部屋を出た僕は映子がトイレから出てくるのを外で待った。映子はトイレに行くと言ったのに、トイレには行かず、よく見えない階段の下で僕を待っていた。要するに二人とも違う場所で相手を待っていて、いつまでたっても来ないのでジリジリしていただけなのだ。
「どこ行ってんのよー」
「そっちこそどこ行ってんだよ」
それから1時間お互いがお互いを罵り合いながらの山歩きとなった。
3時間ほど歩くと山の間からその大きな姿をのぞかせる山々があった。
真っ青な空にまっ白な稜線で刻まれた美しいシルエット。今回はじめて間近にせまった大ヒマラヤの一端だった。今、これからまさにヒマラヤの懐へと入りこもうとしているんだなあと実感した瞬間で実に感動的だった。
時間はまだまだ早かったが、今日は標高3500mのナムチェまで一気にいかず、2850mのモンジョというところで宿をとる。高度に徐々に慣らしておこういうことだ。なかなか慎重な僕たち。なんぜ今回のトレッキングのテーマは「健康」なのだから。(昭浩)
モンジョ2840m→ナムチェ3440m (所要3時間)
昨夜―といってももう日付は変わっていたから今日といってもいいかな―トイレに行くとびっくりした。雪山と星がきれいで、すぐそこに迫ってきている感じ。
「きれい」
と思わずつぶやく。トイレにきてよかった。部屋に戻ると、あきちゃんは私がバタバタ起き出したせいで、案の定起きていた。
「今すごくきれいだからトイレに行った方がいいよ」
と教えてあげた。
今朝は歩きが少ないのでゆっくりスタート。国立公園の入り口で1000ルピー(1500円)払った。つり橋を2つ渡った。つり橋の下の小さな橋も渡った。この辺り、トレッカーが多くて混雑していてイヤになった。小さな橋のところで、こわがってとろとろ渡る欧米人がいて大渋滞。
橋を渡ってからしばらく登ると、みんなが休憩している。何かなと思ったら、そこはエベレストが見えるところだった。
ジリから歩き始めて9日目ではじめて見たエベレスト、右にはローツェも見える。もっと雪でまっ白かと思ったら岩肌が見えていて黒い山という感じ。
エベレストはまだまだ遠い。これから近くに行くんだな。
そこから先の歩きはずっと登りだった。左前と後ろに雪山がどん、どん、どどーんと見えて、特に後ろがきれいだった。前の山もだんだん近づいてきて、よく見えるようになってきた。そしてもうナムチェだ。
ナムチェはチベタン村という印象。建物も人も。チベットで見たようなちょっと薄汚い本物のチベタンがいた。洗濯は川で、氷水のような冷たい水でキャーキャー言いながら、しもやけになりそうだ。だけどみんなここで野菜を洗ったり、服を洗ったり、おまけにサンダルで水の中にガシガシ入っていったりしていた。
昼食後、シャンボチェの丘に登った。しかし道を間違えてかなり左の方へ行き、途中から道なき道を行くハメになった。アンナプルナのトレッキングのときに、マナンでアイスレイクを求めて歩いたことを思い出した。あの時はこんな感じで、道なき道をハアハア言いながら歩いて、結局たどり着けなかった。けど今回は何とかたどり着いた。
シャンボチェの丘には、滑走路のような平らな空き地が一応あるが、本当にここに飛行機が降りられるのか、はなはだ疑問である。
シャンボチェでお茶して、カトマンズで買ってジリからここまで長い間あたためていたプリングルスを食べた。窓からは山々がパノラマで見える。太陽がまぶしすぎるくらいだった。
帰りは急な下り坂で、ちょっと気を抜くとずるずるっと滑りそうだ。登ってくる人も下りてくる人もいるので、どうやらメジャーなルートみたい。
ナムチェに下りてからは、土曜市とチベタンマーケットを見に行った。明日が本番の土曜市だけどすでに人がいっぱいで、ジリからとか、遠くから運んできた品々が並んでいた。でも私たちが買いたいと思うようなものは特になし、食べ物が多かった。
チベタンマーケットは衣類中心、こちらも特にほしいものなし。古着市やガラクタ市のような感じだった。(映子)
9日目にしてやっと見えたエベレスト。それは遠く、とても世界一の高さというものは伝わってこない。しかしこれが僕の生まれてはじめて見るエベレストの完全な姿だ。
2年前チベットのエベレストベースキャンプにいったときはあいにくの天気だった。
雲の隙間からチラリとエベレストの尖頂は見たといっても0.03秒ほどの一瞬だったので、今思うと幻だったのではないかと思えてくるのである。あまりに見たいがために自分が作り上げたエベレストの姿だったのではないかと。
それだけに今日見たエベレスト、なんとも感慨深い。
エベレストを見たからトレッキングもこれ以上しなくていっか、カラパタールまでいったって疲れるじゃん、堕落の叫びが自分の中から沸いてくる。しかし、エベレストの麓からエベレストを見るというのが夢であり目標なのだからやはりカラパタールにいかなくてはいけないのだ。
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その日の夜、宿でカラパタールから帰ってきた日本人に会った。
「いやー辛かったですよぉ」
30才前後の彼は精も根も尽きたといった表情で言った。
「ヘリでカトマンズに運ばれていた日本人もいましたよ。50万円くらいかかるらしいッスよ。一緒にいたイギリス人もリタイアしてましたし、僕もカラパタールまで登ったけど朦朧としてよくわかんなかったですよ」
精も根も尽きた人の話というのは、聞いているだけで疲れるものだ。僕の精も根もすり減ってくる気がした。
でもこれは、慎重にいけ、ということなのだろう。とりあえず、明日は休養だ。(昭浩)
今日の歩きは散歩みたいなもの、なんと言っても荷物がないので楽だ。シャンボチェの丘へは急な登り、途中まで昨日と同じ道、今日は間違えないですんなりたどり着く。朝からのどが痛かったので、ここで小休止、ホットレモンを飲んで一息ついた。
そこからゆるやかに登っていくと、眺めのいい峠に到着。エベレストが昨日より近くに見えた。そして今日の目的地、クムジュンの町もすぐそこに見えていた。
町に入るとすぐにマニ壁がずーっと長く続いていて、その終点にチョルテンがあった。周りのマニ車を回しながら歩く。さらにゴンパまで歩いて、マニ車を回した。
今日はナムチェでもチョルテンとゴンパのマニ車を回したな。願掛けのように何度も何度も回した。
「とにかく無事にカラパタールとゴーキョに行けますように」
エベレストビューホテルへ行こうと思ったら、また道を間違えて、道なき道を行くハメに。
でもそこからの景色はかなりよかった。エベレストもローツェもアマダブラムもかなり近くに見えた。
エベレストビューホテルのレストランからの眺めも確かによかった。しかし、何もかもが高すぎてとてもじゃないけど手が出なかった。すごすごと引き下がる。まったくただのひやかしになってしまった。
それからまたシャンボチェの丘に戻って、昨日と同じ滑りやすい下り道。この道はもう二度と来たくないな、でもチョーラパスの練習にはなるのかな、とか思いながら、注意して下りた。
宿に戻った頃からかなり雲が出てきて、天気が悪くなってきた。だからもう外へ出るのはやめて、宿で少し食べることにした。と、そこに日本人のトレッカーがやってきた。彼は山好きのようであきちゃんと気が合う。バイクで1年半かけて日本を一周したとか、おもしろい旅の話をいろいろ聞いた。ひまにまかせていろんな話をし、一緒にダルバートを食べた。
明日はいよいよ上へと向かう日。今回は体調を万全にして、楽しんで歩きたいと思う。幸い高山病の症状もなく、ここまで順調に来たので、この調子でがんばりたい。(映子)
山を歩いている間というのは普通あまり会話を交わさない。登りのとき話をすると息がきれてくるし、下りのときは足元に集中している。
ただ今日のように荷物をほとんど持たず、しかもなだらかな丘あたりを歩くときはよく話をする。
荷物のないラクな散歩程度の山歩きだと自然と心も軽くなるからかもしれない。
今日の話題中心となったのは、結婚前と結婚後では相手の印象はどう変わったか、というテーマだ。
「例えていうならこんな感じかな・・・」
こうして僕が最初に口火を切った。
「空に向かって進んでいったらいつの間にか宇宙になっていて、青だと思った空は真っ黒だった」
「私は黒ってこと?」映子は僕を睨む。
「いやいや僕は青も好きやけど黒も好きや」睨む映子に慎重に答える僕。
「別の言い方にしよう、チョコレートアイスだったと思ってかじったらバニラアイスが中から出てきた、こんな感じ」
「あんたそんな表現力で、よう広告の仕事やってられたなあ」とまでは言わなかったが、映子は不服そうな顔して、
「イマイチ」とつぶやいた。
映子はどうなんよ、と僕が映子の意見を聞くと、しばらく考えてからうれしそうに映子はいった。
「あっ おいしそうないちご!と思ってそれをとって裏を見てみるといちごの裏側は腐っていた、そんな感じかな」
「・・・・・」
会話終了。
そうこうしているうちに丘の上に到着した。そこからは、かなり大きくエベレストやローツェか見える。その世界で最も高い山たちの美しい景色に驚き、ただ感動するばかりだ。
僕はエベレストの近くまでいかないとエベレストなんてしっかり見えないものだと思っていたので、ナムチェから1時間そこそこでいける散歩コースにこんな絶景ポイントがあるとはまったく予期していなかった。
本来は高度順化のためのハイキングのつもりだったのだが、僕たちはその日一日、見上げればいつもヒマラヤの絶景、といったハイキングコースを楽しんだ。
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ハイキングから帰って宿でくつろいでいるとき、僕らがこれから目指すカラパタールから戻ってきたばかりという日本人の男の子と話をした。
昨日の疲れ果てた日本人とは別の人だ。彼は日本語の話せるガイドをつけていた。ちなみにネパールトレッキングではガイドをつけるのがごく普通で、ガイドもポーターもなしでトレッキングする人は稀である。
そのガイドはなかなか気の利く笑顔のかわいいナイスなガイドだった。アンナプルナ、ランタン、そしてエベレストとずっと同じガイドでトレッキングしているのだという。カトマンズに戻ったときも一緒に遊んでいたらしい。
「お金を払って友達を買った、そんな感覚ですね」
そう言っている彼をうらやましく思った。ガイドはハズレをひくと最悪だけど、いいガイドにあたると本当にトレッキングの楽しさが何倍にも大きくなるのだなあと思った。
宿の中ではガイドやポーターがトレッカーのお世話をする。
ごはんのオーダーをとったり、運んできたり、話し相手をしたり。多分宿が客を連れてきたガイドやポーターには寝る場所とごはんを無料で提供しているかわりにガイドやポーターたちは宿のお手伝いをし、そしてトレッカーをもてなしているのだろう。ガイドやポーターのいない僕たちに対してもおもてなしをしてくれる。そしてフレンドリーだ。気さくに話しかけてくる。これから僕らがいくコースのこと、日本のこと、ネパールのこと・・・お互い母国語でない英語での会話なので、話しはすぐに尽きてしまうが、でもそういうのってなんか楽しい。
いろんなガイドやポーターとのふれあい、これもネパールトレッキングの魅力だと思う。
準備も整い、体調も万全。いよいよヒマラヤの高みへ明日向かうのだなあ。
少し興奮。少し緊張。
どんなに緊張しても眠れてしまうのが僕らのいいところで、すぐにふたりとも眠ってしまった。zzz・・・。
そして、ここまではすべてが順調だった。(昭浩)