1月9日〜1月16日
いよいよ国境越えの日が来た。だんな(昭浩)は昨日から緊張気味だ。
今朝は7時前から起きてごそごそやっている。私もまだ暗いのに起こされてパッキングし早々に出発した。
バスターミナルには7時半ごろ行ったのに、8時のバスは席がないといわれた。
すると、ちょうどそこにいたリクシャの兄ちゃんが、モーハン行きのバスが出るところまで行ってくれるようだったので、すぐに乗っていった。ミニバスはすぐに出発し、モーハンへ向かった。
9時すぎには、まさに国境のゲートの前で降ろされた。
そこには、怪しげな両替のおばさんたちがたむろしていた。
ためしに100元(1500円)分だけ両替してみた。でも、後からレートがあまりよくなかったと気付くのだった。
出国・入国ともに何事もなくスムーズにいった。
ラオスの国境の町、ボーテンはとても小さな町だった。バスターミナルがよく分からなかった。
しばらく歩くと、トラックがたくさん停まっている所がある。それがバスターミナルらしい。
バスとはいっても、トラックバスで、トラックの荷台に、座席と屋根をつけただけ。
しかも、ラオスの道は舗装されていないところが多いので、土まみれになる。
ボーテンからルアンナムターまでは、道はでこぼこだけど、とても景色がよかった。
高床式の家がたくさんあって、ガンランバーの数倍よかった。
特にルアンナムターに着く前の直線道が、開けていて、田んぼが広がっている大地に、小屋がぽつぽつ立っていて、私は気に入った。ルアンナムターからムアンシンまでは、道が悪くて、景色どころじゃなかった。
しかも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態で乗っていたのでつらかった。
やっとたどり着いたときにはもう夕方だった。とても長い一日だった気がする。(映子)
朝7時ごろ、マーケットに行った。
中国との時差が1時間あるので、7時だともう明るい。
揚げ菓子がいろいろあって、これがなかなかおいしい。
少数民族も、噂に聞いていたとおり、民族衣装を着ている人が多い。
でも、「写真を撮っていい?」とだんな(昭浩)が聞くとお金を指差した。せちがらい世の中だ。
彼女たちに罪はないのかもしれない。
ただ一生懸命伝統を守ろうとしているだけなのか、それとも本当に貧しくてお金が欲しいのか、私には分からない。
もっと仲良くなれればいいのだけれど、その方法が見つからないのだ。
ちょっとさみしく、切ない気分になる。
ムアンシンの町はとても小さくて、メインストリートを少し歩くともう町が終わってしまう感じだ。
とてものどかで、いいところだ。
豚とか鶏とかたくさんいる。だんな(昭浩)はまた豚を追いかけて喜んでいた。。
人々は愛想がよくて親切な気がする。
子供がたくさんいて走り回っている。道行くとき目が合うと挨拶してくれる。
物売りもたくさんいて、ブレスレットやネックレスを持って寄ってくる。アカ族のおばちゃんが多く、結構しつこい。
昨日の夜、激しく雨が降り始め、雷もなっていた。
朝もまだ降っていたけれど、アディマゲストハウス行きのバスが出るころにはやんでいた。
バスはでこぼこ道を大きな穴を避けながらジグザグに走って、横揺れ、縦揺れ両方ひどい。
でも、ほどなくゲストハウスに着いた。
昼食後、アカ族の村とヤオ族の村に行った。
歩いて5分でアカ族の村に着いた。
次に行ったところは、ヤオ族の村だったので、帽子も衣装も違っていておもしろかった。
衣装を作っているおばさんもいた。この衣装をフルセットで作るのに1年かかるらしい。
最後に一軒の民家を通り抜けて、犬にほえられながらアディマに帰ってきた。
レストランのカフェで日記を書いていると、物売りの少女たちが集まってきた。
だんな(昭浩)は、いろいろ話しているうちに情が移ってきたのか、買いたそうにしていたので、ずーっとそこで話していた2人の女の子から、手作りのキーホルダーを1個ずつ買った。
とってもかわいいヤオ族の女の子だった。
「村に行く?」と片言の英語で言われたので、さっき行った村にもう一度行った。
帰りは夕焼けがきれいだった。山の後ろ側がずっとピンクだった。
そして、夜はこぼれそうな星空だった。(映子)
ムアンシンから8時半のバスに乗った。
人がいっぱいだったけど、なんとか前の方のイスじゃないところに後ろ向きに座ることができた。
しかも、トラックバスじゃなくて、ちゃんとしたバスだったので、だんぜん楽チンだった。
揺れは確かにひどいけど、前のトラックバスで来たときの道と同じとは思えないくらい快適だった。
ルアンナムターに着いた。
ルアンナムターで何泊かするつもりだったのに、
ツーリストオフィスに行くとすぐに、だんな(昭浩)はラフティングツアーに惹かれしまった。
急だけど明日出発することになった。
そこで、今日のうちに近くにある滝を見に行くことにして、
レンタサイクルを借りた。
簡単にいけると思っていたけれど、途中で曲がる所を間違えたらしい。
水浴びをしているおばさんに聞くと、戻ってぐるっとまわれというようなジェスチャーだった。
戻って右に曲がると小さな村があり、みんな「サバーイディー(こんにちは)」と口々に挨拶してくれる。
タイ・ダム族の村だった。
ちょっととまると子供たちが寄ってきた。
「滝はどこ?」とラオス語で聞くと後ろからついてきて案内してくれた。
途中から自転車を置いて歩いていった。滝は奥の方にあって、小さめだった。
子供たちと滝の前で一緒に写真を撮った。
帰りに彼らは違う道に行ってしまったので「コップチャ―イ(ありがとう)、ソークディー(さようなら)」と言って別れた。(映子)
1日目 朝9時にツーリストオフィスに集合。
イスラエル人カップルとイギリス人カップルとガイドのラオス人チャイとキャプテンの8人で出発した。イギリス人の男の人がカヤックをやるということで、ラフティングは7人だった。
ラフティングは出だしからあまり激しくなかった。
利根川のラフティングとは全く違っていて、時間が止まったかのように静かだった。
まわりは熱帯の森、ジャングルという感じで、かえるの鳴き声や鳥の鳴き声が時々聞こえる。
途中まで何もせず、流れにまかせてボーっとしていた。
さすがに遅いので、ちょっとは漕がなきゃと、みんな漕ぎ始めた。時々、少しだけ流れの速いところもあった。
昼食後、カヤックは女性の方と交代した。
しばらく順調だったのに、流れのある所で、岩にぶつかってカヤックがひっくり返ってしまった。
私たちは、みんなで必死に逆方向に漕いで、戻っていって彼女を救出した。その後、だんな(昭浩)もカヤックに挑戦した。私たちのボートの後ろの方から、みんなの心配をよそに遅れてついて来ていた。
ランテン族の村と、カムー族の村に立ち寄った。ガイドがいるとみんなの歓迎ムードが全然違う気がする。
ランテン族は、中国から200年前くらいに移ってきて、文字は漢字を使用するらしい。
特徴は藍染の衣装と、成人女性が眉をそっていることだ。
カム―族の村では、ラオハイというお酒を飲んだ。薄いワインみたいで、まあまあいけた。
私たちが宿泊したのは、川沿いにある村だった。電気はないので夜は本当に暗かった。夕食はそこの村人の家で、家庭料理という感じのものだった。
ラオス料理をいろいろ食べて、そのあとラオハイ飲み大会が 始まった。
壺にストローが2本ついていて、2人で2杯飲むというものだった。このときのラオハイは、昼間に飲んだものより強くて途中で何度もくじけそうに なった。1回目は村の人と、私たち外国人の組み合わせで飲んで、2回目はカップルでペアになって飲んだ。
2回目はかなりつらかった。ふらふらになって、そ のあとすぐに眠りについたのだった。
2日目 コケコッコ―がかなり近くで聞こえてきて目が覚めた。耳元でささやかれたくらいの声だった。
まだ6時ごろだった。しばらくはゴロゴロしていた。
朝食までやることもないので、起きて散歩をした。
村はすぐに一周できてしまう。
朝は霧が出ていて、ジャングルっぽい雰囲気がいいとイスラエル人のロイは言っていた。
朝食まで、村の子供たちとデジカメで写真をとったりして遊んでいた。
みんな人なつっこくてかわいい。
撮った写真をすぐ見せるとすごく喜んでもっと撮って欲しがるのだ。
ラオスはどこに行っても子供が多い。
そして、みんな愛想がよく、ボートから手を振るとすぐ答えてくれるし、
向こうから「サバイディー」と手を振ってくれるので楽しい。
そうして、私たちも子供たちに手を振りながら出発した。10時半ごろだった。
今日は、なぜかみんなガンガン漕いでいる。
相変わらず流れはゆるやかで、おだやかな川だ。
かえるの鳴き声と、鳥の声、そしてどこまで行っても山、山、山だった。
そしてその山あいに暮らしている人々の村がある。
すごい崖っぷちの所にマーケットがあった。
昼食後しばらく行くと、もうラフティングは終了だった。
イギリス人2人とはここで別れて、私たちはモーターボートに乗り換えた。
モーターボートとは言っても、木のボートに文字通りモーターをつけただけだ。
走り始めてすぐに「これはラフティングよりスリルがあるぞ!」と思った。
水しぶきが時々かかるし、ボートの木のすき間から水も入ってくる。水面もさっきより近いのだ。
そうして、楽しんでいるうちは良かったのだが、流れが速く、岩が真ん中に出ている所でその事件は起きた。
船の後ろでモーターを担当しているおじさんと、前で船の向きを調節している男の子との意見が食い違って、急に曲がろうとしたために船が岩に乗り上げてしまったのだ。
「岩に乗れ!」というガイドのチャイの指示で、イスラエル人カップルと私たちの4人は、流れの真ん中にある岩に乗り移った。
船は、その岩と向こう岸の間に引っかかった状態だった。
船員の2人とチャイは向こう岸に渡って何とか船を出したけれど、
私たち4人は岩の上に取り残されてしまった。
幸い船は壊れてなかったようで、30分くらいでいろいろやってがんばって戻ってきてくれたので助かった。
あぶないところだった。
その事件で、遅くなってしまったため、予定の所までいけなくて、ナーレという町に泊まることになった。そして、明日は予定より1時間くらい早く出るそうだ。(映子)
僕は、カヌーを大破させた経験があるのでとてもよくわかるのだが、
今回のように水の流れをせき止めるようにボートがひっかかった場合、船は普通水の圧力でバラバラになってしまうものだ。
今度の場合は、岩への乗り上げ方が半端じゃなかったので、惨事はまぬがれた。
ボートの上にはバックパックものっていたので、
船から荷物が流れて、そのなかにあるコンピュータ―が水没したらどうしよう、
と僕はかなり怯えていた。(昭浩)
3日目朝7時に出発した。
昨日のボートは座礁前からエンジンの調子が悪かったので、途中で乗り換えた。今度のボートは、大丈夫そうだ。
昨日のことがあったので ちょっとこわかったけど、船頭のおやじもベテランっぽくてたのもしい。
いくつかある難所も難なく乗り越えた。
昼からはいつものように天気が良くなって、日 ざしがあたたかく、船が止まると暑いくらいだった。
みんな疲れてきたのか、気持ち良さそうに寝ていた。
私も少しうとうとしたけれど、何だかもったいない気 がして、景色を見ていた。
最初から最後まで、山ばっかり、熱帯の森林、ジャングル の風景は変わらないけどなんかいいのだ。
自分がここにこうしているというだけでうれしくなる。
そして、いくつもの村を通り過ぎ、「サバイディー」と手を 振って、
鳥を見て、蝶を見て、木を見て、空を見て、一日が終わっていくのだ。
私もごくごくシンプルに生きていこう。そう思った。
ここで、走り回っている子供たちのように、好きなことをして、食べて、寝る。それだけでいいのだ。
きっと。
パクターについたのは、もう4時半だった。
イスラエル人カップルとガイドのチャイに別れを告げて、岸辺に降り立った。
ムアンシンより少し小さいくらいの村だった。
メコン川で、水浴びしている人や、サッカーをしている少年たちもいた。(映子)
昨日川岸で得た情報によると、10時半に向こう側の船乗り場から、スローボートが出るということだった。
まずは向こう側の船乗り場まで、モーターボートで行った。朝、まだ9時ごろだった。
ところが、だれに聞いても、「スローボートはない。ファーストボートだ。」と言う。
そして、ファーストボートはすぐ出るようだったので、とりあえずパックベーンという所まで切符を買って乗ることにした。
でも、ファーストボートのおやじが、
「今日ルアンパバーンまで行かなければ、2、3日ボートはない。」
というようなことを言っている。
まあ今日中にルアンパバーンに着くならそれもいいなと思って乗った。
ファーストボートが走り出すと、まずものすごい爆音に驚いた。
そして、時速80キロと聞いてはいたけど、それを肌で感じると、すごく速く感じる。
さらに、船の厚みがあまりないので、水が近くて安定感がなく、
狭いスペースに体育座りで動けないのがとてもつらい。
背中が仕切りのヘリに当たって痛いし、足も動かせないので力が入ってつりそうだ。
不快だ。
とても不快だ。
爆音で耳が痛い。「おろしてくれー!」と、マジで思った。
これで、ルアンパバーンまで6時間は無理だ!!と思った。
パックベーンに着いたらスローボートを探そう。
「スローボート、スローボート」と心の中で唱えながら耐えていた。
ファーストボートは1時間ごとに休憩があった。
多分それくらいが限界じゃないかと思うくらいつらいのだ。
どうしてこんな乗り物をつくってしまったのだろう?
「メコン川の流れに乗ってゆっくりと行きたいよー。」と、マジで思った。
パックベーンで食事休憩したけれど、やはりスローボートはなかった。
覚悟を決めた。
今度は一番前の席で景色が良く、耳栓をしたので音もましだった。
でも、さらに3時間はやっぱりつらかった。
背中の痛みは限界にきていた。
ルアンパバーンに着いてからの楽しい事を考えることにした。
着いたら久々にホットシャワーが浴びれるのだ。
「ホットシャワー、ホットシャワー」と心の中で唱えていた。
パークウーの洞窟が見えてきたのでもうすぐだ、と思ってからがまた長く感じた。
だんだんと街が、夕日の中にシルエットで見えてきた
。山の上にお寺のような建物がある、そんなシルエットがルアンパバーンの街だった。