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コロンビア旅行記 カルタヘナ・ボゴタ・サンアグツスティン編

3月17日〜4月1日

コロンビアの地図

コロンビアへ   3月17日

宿のおばちゃん、グアダルーペにタクシーを頼んでおいたので、朝5時半にタクシーが来ると思っていた。が、ロビーには誰もいない。ソファで寝ているデイビッドを起こして、グアダルーペを呼んでもらう。すると、なんとグアダルーペが自ら、車で私たちを空港まで送ってくれたのだ。
有料道路を使うと、空港までたったの17キロ。めちゃくちゃ近いやん。6時ごろ出発しても、余裕で集合時間の6時40分に間に合った。

しかしおかしい。係員は誰もいないし、カウンターの看板には9時半発、モニターには10時20分発と書いてある。私たちは旅行代理店で「8時40分発だから、6時40分に集合。」と聞いてきたのに。だいたい航空会社が「インテルコンチネンタル」だなんてホテルみたいな名前、聞いたこともない。いったい何時に飛び立つのだ?

2時間くらいはここで待つことを覚悟していたら、7時半ごろ、係員の兄ちゃん登場。「何時に出るの?」と聞くと、片言の英語と、スペイン語でなにやら言っている。結局のところ、「カリからの飛行機が8時半に着いて、45分止まるので9時15分に出る。」ということらしい。

私たちは順調にパナマ出国を済ませて、15番ゲートで待っていた。しかし、15番ゲートの表示はなぜか「リマ行き」となっている。
飛行機はオンタイムにやってきた。しかし、15番ゲートには接続されずに、近くに止まって、乗客は階段を下りて出てくる。
いよいよ乗るのか、という時になって、あきちゃんは緊張したのか、
ウンコしてくる。」と行ってしまった。
なんでこんな大事な時にのこのこウンコしに行くのだ!まったくタイミングの悪い男である。係員が呼びに来ているというのに!!

私たちは、15番ゲートからではなく、横の階段を下りて、いったん外に出てから歩いて飛行機へと向かう。そしてその案内してくれるお兄ちゃんは、さっきカウンターで搭乗手続きをしてくれたお兄ちゃんだった。ここまで走ってきたのかなと思うと笑ってしまう。

飛行機は小さいけれど、サンブラスへ行ったときのプロペラ機のほうがかなり小さかったので、そんなに気にならない。むしろ立派だなとすら思う。ただ、自由席だったのには驚いた
飛行機はほぼ定刻どおりに、というか、お兄ちゃんが言ったとおりの時間に飛び立った。機内では軽食 (ほんとに軽い!) が出た。食べてしまうともう到着という感じ。飛行機は経由地のサンアンドレス諸島へ着いた。

サンアンドレスの海はきれいだった。噂に聞いていただけのことはある。いや、それ以上かもしれない。エメラルドグリーンのリーフ。飛行機からでも海の底が見えそうなほどである。
私たちは、一度飛行機から降りて、入国手続きを済ませた。手荷物の中身も開けて調べられた。ボディチェックもあった。でも預け荷物の検査はなし。
カルタヘナでも、申告の紙を書いたけど、中身のチェックは一切なし。それにしても申告書はスペイン語だし、係員もスペイン語しか話せないのでかなり苦労した。到着したばかりで混雑していたその場所も、私たちが記入を終えたころには、すっかり人がいなくなって、私たちだけになっていた。

両替を済ませて、空港を出る。カルタヘナの空港はパナマよりは大きくて立派だと思ったけれど、外に出るといきなり下町の雰囲気。庶民的なバスは走るし、タクシーも安い。すぐにタクシーに乗って、旧市街に向かう。タクシーの運ちゃんは、調子づいてきて、ラジオに合わせて大声で歌い始めた。と、思ったら、車が故障、いきなり動かなくなった。あと少しのところ。何とか復活してたどり着いたけど、あの後おっちゃん、大丈夫だったかな?(映子)

トトゥモ火山で泥浴の巻   3月18日

火山で泥浴ってどんなんだ?実際想像つかなかった。写真で見ても本当に行ってみるのとはやっぱり違う。
それは、小高い山の上にある。木の階段を上っていくと、泥だ。泥のお風呂だ。
入ってみてまたびっくり。これは底なしとちゃうか?底なしの泥沼だ。こわっ、どうしよ。沈んでいって浮き上がってこれなかったら・・・しかし、そんな心配はご無用。人間ってちゃんと浮くんです。

係りの兄ちゃんに浮き輪のように押されて、マッサージするおっさんの手に私の体は入っていった。
おっさんのマッサージはと言えば、マッサージしたいのか体を触りたいのか(特に足)よくわからない。慣れない泥の中で、私もリラックスしているのかしていないのか、よくわからない。仰向けに寝ていると、耳に泥が入ってきそうだし。そんな状況でさらにうつぶせになってマッサージ。あきちゃんの方は、私よりも後で始めたのに先に終ってしまった。私もやっとおっさんから解放されて、さて・・・と動こうと思うけど、思うように動けない。他に4人くらい入ってきたので、私たちはなんとか出口まで手でかいて泳いで、泥風呂の外へ出た。

しばらく外で乾かしてから、湖へ体を洗いに行く。そこで、体洗い係の女登場。あきちゃんの方の人はよかったが、私の方は最悪。荒いし、爪でひっかくし、もうやめてーーー!と思わず言った。
しかし、泥浴の効果はあり。お肌つるつる、すべすべになった。これだから泥はやめられない。(映子)

小さな火山。ガイドブックによると火口はマグマにつながっていて、火山灰のかわりに泥を噴出しているのだと言う
底なしの泥沼なんだけど、あら不思議、ぷかりと浮いてしまう。そしてそのままマッサージに突入

カルタヘナのボリーバル広場 3月19日

カルタヘナは植民地時代の名残の残るコロニアルシティ。コロニアルシティなんて中南米に腐るほどあるけど、海と城壁に囲まれた色とりどりの壁の街並は中南米一の美しさの呼び声が高い
そのカルタヘナ、散歩していても楽しいのだが、僕らはこの町の中心にあるボリーバル広場でほっこりと佇むのが大好きだった。ベンチに座ってコンデンスミルクのたっぷりかかったカキ氷を食べ、小さなプラスチックのカップにはいったおいしいコロンビアコーヒーをすすり、人々を眺めているのが楽しい。

隣のベンチで座っていたおじいさんは1杯たった9円くらいのコーヒーをツケで買っていた
「コーヒーいくらかね?」
「200ペソです。」
「お前さん名前はなんというのかい?」
「マルコポーロです。」
「マルコポーロ、200ペソと書いておいたからのぉ」
安いコーヒーくらいキャッシュで買えよ、と思うが、じいさんが自分の手帳に売り子の名前と金額をメモしている姿はなんともほほえましかった。

公園のベンチで座っているといろんな人がモノを売りにやってくる。弁当屋、コーヒー売り、靴磨き、アイスクリーム屋などなど。そして、みんなとても気持ちのイイ連中だ。  断っても親指を立てていい笑顔を返してくれるから、そんなことでさえ幸せな気持ちにさせてくれる。

絵描きのおっちゃんがやってきたときのことだ。僕は絵を買う気はまったくないので、いらないよ、というしぐさを見せると、見るだけ、とばかりにおっちゃんは自分の目を指さして勝手に持っている絵をめくりはじめる。
セピア色のカルタヘナの街のデッサンはとても上手だった。昔のカルタヘナを想像して書いた、そんな風な絵だった。温かくて、透き通った輝きのようなものが感じられるそんな絵だった。持っている絵を全部見せ終わるとおっちゃんは「ビエン?(よかったか?)」と一言聞いて、僕たちがうなずくととても満足そうに帰っていった。

僕はこのカルタヘナの街がとても好きになった。ベンチに座っているだけでほのぼのとした幸福感が味わえるからだ。こういう日常ってとても素敵だなと思う。(昭浩)

南米一美しいコロニアルシティ・カルタヘナ。とても気持ちのいい町だ
バルコニーの赤やオレンジの花が黄色の家壁に良く映える

気になるゲリラ 3月20日

コロンビアを旅する人でゲリラのことを気にならない人はいないと思う。
年間3000人ゲリラによって誘拐されている。これはワールドレコードだ。昨年の9月にも外国人が誘拐されていていまだに軟禁されている。ゲリラによる爆弾テロなんかもあるらしい。どっちもイヤだ。

年間3000人ということは一日あたり8.2人。結構な数字だ。バスでの移動中にゲリラに遭遇するという話はよく聞く。
コロンビアという国は、国土のすべてをコロンビア政府がしっかりと掌握しているわけではなく、その国の一部はいくつかのゲリラの管理下にある、そういう国なのだ。国の一部といっても面積的にはかなり広範囲に及んでいて大丈夫そうなエリアよりやばそうなエリアのほうが多いくらいなのだ。だからバスで移動する場合ゲリラの管轄エリアをかすめることが多々ある。かすめるどころか、モロつっきることだってある。
それに僕たちが乗ろうとしているバスは、昨年9月外国人が誘拐されたところの近くのエリアを通るのだ。

飛行機で飛んじゃえばまったく問題ないではないか、と思うでしょう?それはまったくそのとおりだ。
しかし、バスが走っている以上バスを使ってしまうのがバックパッカーの性というもので、多分大丈夫だろう、と楽観的にイージーゴーイングしてしまうのもバックパッカーの特性なのである。
せめて夜行バスは避けよう!これはバックパッカーの間でいわれていることなのであるが、広大なコロンビアでそんなことはとうてい無理な注文。カルタヘナからボゴタまで20時間もかかるのに夜行を使わずどうやっていくっていうのだ。途中の町や村に泊まって・・・と思うかもしれないがその途中こそがゲリラの管轄エリアであり、そんなところで泊まるほうが危ないんじゃないの?と思う。僕らは躊躇なくカルタヘナからボゴタ行きの夜行バスのチケットを買った。

ゲリラだって毎日働いているわけじゃないし、毎日誘拐しているわけじゃないんだから、あんまり心配しすぎてもしかたないじゃん、と言いながら少しビビっている僕たちに朗報が入った。
バス会社はどうやら自分たちのバスに危害を加えないようにとゲリラたちにお金を払っているというのだ。通行料みたいなもんだな。それはいい。それなら利用する側としては安心して乗れる。しかし、あんまりよくない情報も耳にしてしまった。どうやら払っている会社もあるけど払っていないバス会社もあって、払っていないバス会社のバスはたまに襲われるらしい。どのバス会社がゲリラに献金しているのかが明確であればいいのだが、そんな看板でているわけでもないし、わからない。僕の旅先で知り合った旅行者もコロンビアで夜ゲリラにバスを襲撃され焼かれた体験を持っている。そして、ゲリラのように装って、バスを襲い、金目のものを盗むという盗賊団みたいなのも出没するという。不安材料を挙げればキリがない。

さんざんゲリラに気をモミながらもふたりともしっかりバスの中で爆睡して、気がついたら朝だった。ノーテンキに過ごした夜だったがそれでも僕は一夜ゲリラ地帯を抜けて、ゲリラと一線交えた気分だった。勇者になった思いさえした。
思い起こせば去年の3月19日、その日もケニアのゲリラ地帯をすり抜けた日だった。誕生日の翌日はそういうめぐり合わせの日なのだろうか? (昭浩)

モンセラーテの丘とボゴタの街  3月21日

ボゴタ市内の見所としてあげられるのがまず黄金博物館、次にボゴタの街が一望できるモンセラートの丘だろう。金や宝石にまったく興味がない我々ふたりにとって黄金博物館は、ふーん、で終ってしまった。ちなみに国立博物館にも行ってみたが、まったく印象にない。やばいぞボゴタ。
モンセラートの丘だけが救い、だったはずなんだけど。景色はよかった。たしかに。しかし調子にのりすぎた。
昨日食べ過ぎたのが響いている。昨日夜行バスでボゴタに着いて、いきなり2人してバカ食いしてしまった。たぶんいきなり2800mの高地にきての食いすぎで体長を崩したものと思われる。一種の高山病みたいなもんだ。一夜あけてまだ体調も完璧でもないのにさらに500mも登ってしまったからよけいこたえた。しんどい。体が重い。
ただボゴタは都会だった。その印象は強く残っている。 (昭浩)

モンセラートの丘にある教会。日曜日、丘の上はコロンビア人でにぎわう
麻薬組織が暗躍し、ゲリラによる爆弾テロが頻発するボゴタの中心街。高層ビルの林立する大都会だ

サン・ホセ祭の日   3月22日

今日はサン・ホセ祭で休みということに、昨日ロンリープラネットを見てはじめて知った。ツーリストインフォメーションのお姉さんは、月曜日?開いてる開いてる、銀行もお店も全部開いてるよー、と言っていたが、全然ダメ。そういえば、ヒロコさんがメールで3連休だと言っていた。その意味がやっと分かった。
私たちは、宿を変えてから町に繰り出した。基本的に町は人通りが少ないが、大通りだけが急ににぎやかになる。車が走らず、自転車やローラーブレード野郎がビュンビュン走っている。

今日、かろうじて開いているボテロの美術館へ行った。そこにはたくさんのボテロの作品の他にもピカソ、ミロ、ルノワール、シャガールなどなど、有名どころのすごい作品たちがたくさんあった。
ボテロの絵に出てくる人たちは、みんな太っている。でもやわらかくてやさしくて暖かい。人も果物も馬もギターも木もすべてが、見ていて幸せになれるような絵だ。ブロンズ像の人も太っている。丸々と太っていて、そして幸せだ。肩を組んだカップルの後姿、手にフルーツを持った女の人ビーナスなどなど。

隣接している貨幣博物館も見てみた。おもしろかったのは、ブラックライトのあるところ。そこで自分のパスポートのスタンプやビザを照らしてみるとびっくり。いろんな透かし模様や文字が入っていた。南アフリカのビザのシールにライオンの絵が浮かびあがった時はびっくりした。

しかし、サン・ホセ祭というお祭りは一体何だろう?街は日曜日と同じ感じでお店や銀行は閉まっていたけれど、特別な催し物は何も見なかった。しいて言えば、広場に舞台が設置されていて、おそらくバンドの演奏なんかをやるのだろう、といったところだ。(映子)

ボゴタのボリーバル広場。おいしいものが屋台で売られているお楽しみ広場だ

侍やで考えたこと  3月23日

ボゴタにある日本食レストラン、「侍や」ヘ行った。オーナーの高橋さんは、よくしゃべる。自分では言語障害だ。なんて言ってたけど、とにかくわかってもらいたくていろんなことをたたみかけるようにしゃべってしまうのだそうだ。話に取りとめもないように見えて、なにげにいいことを言っていた。
気を入れれば何でもできる。」とか。

高橋さんは30年コロンビアにいるけれど、自分の中にある日本語というのを取り除かない限り、スペイン語は完璧にはなれないと言う。そうなのかな。自分の持っている入れ物の大きさと言うか、受け入れられる範囲はかわらないのかなあ。私はもっともっといろんなものを詰め込んでいきたいし、入れ物の大きな人になりたい。

20歳くらいから30歳くらいまで旅をして、いろんな経験が豊富な高橋さんは、伝えたいことがたくさんあるらしい。自分も一回離婚を経験しているからと、夫婦仲よくいられるための秘訣みたいな話もしていた。

話している途中で、「日本料理について知りたい。」という、若者と母親が来て、話は終ってしまった。私たちが、そろそろ帰ります、と言うと、
また、来たらいいのにね。」と、少し寂しそうに言う高橋さん。
またいつか、ボゴタに来ることがあったら、ぜひ来たい、と思った。ただ、話が終りそうにないので、今日みたいに時間に余裕を持っていかないとな。鰹節でもお土産に持っていこうかな。(映子)

岩塩教会   3月24日

SALINAと呼ばれている、塩の教会を見に、シパキラヘ行った。トランスミレニアムという都会的な乗り物に乗って、その終点からシパキラ行きのバスに乗った。
バスを降りたところから、教会まで結構歩く。親切な人が道を教えてくれた。私たちは、今日断食1日目なので、ふらふらしながら歩いた。パワーが出ない。歩くのがつらかった。

教会の中は興味深かったので、歩くのはそんなに苦にならなかった。まず、14の洞穴みたいな部屋がある。これはビアドロローサの14枚の絵とかけている。どの部屋も十字架がかかっていて、人が座れそうな椅子が、数えるほどしかない。ドーム型の天井が、ブラックライトで照らされているところまで来ると、キリストが昇天したんだなあと思う。
そこから階段を下りていくとまだまだ部屋があって、ついに大聖堂に出る。この辺りまで来ると、男の人が歌う声がスピーカーから流れてきて、それがなんとも言えず、幻想的な雰囲気をかもし出している
大聖堂の隣の塩の結晶が壁一面にあるところがよかった。キリストとか、神とか、確かにすごいんだろうけど、自然の力にはかなわないと思う。まあ神と自然は結びついているのかもしれないけれど。

シパキラからの帰り、トランスミレニアムに乗っていると、東京を思い出した。夜の東京は1人で歩いても全然怖くなかったけど、ボゴタは怖いよなあ、とか、首都って広いから住んでいる人は決まったところにしか行かないんだろうなあ、東京で言えば新宿によく行く人、渋谷によく行く人、という風に・・・とか、東京を懐かしく思い出しながら、宿へ帰っていったのだった。(映子)

なにがスゴイかって?そりゃすべてが塩。壁も床も天井も祭壇も全部塩。十字架だって塩の壁をくり抜いてライトをあてている。まさに塩だけの世界
シパキラは岩塩教会だけじゃなく、白壁のコロニアル調の町並もかなりきれい

サンアグスティンへ   3月25日

ボゴタの宿で出会ったクリスチャンに教えてもらったとおりの夜行バスに乗って、朝6時ごろ、ピタリトに着いた。まだ薄暗いが、朝もやの中、少しずつ夜が明けていってる感じだ。乗り合いタクシーみたいなので、サンアグスティンに向かう。後ろの荷台みたいなところにも座席がついていて、荷物をそこに置いたので、前にも座席があったけど私たちも後ろに乗った。

最初は私たちだけだったのにどんどん人が乗ってきて、後ろの座席もいっぱいになった。夜行バスの疲れもあって眠さに勝てなかった。車がサンアグスティンに着いてからも、私の体はバックパックを背負って歩くのがとてもつらいくらい疲れていた。こりゃ1キロも歩くのは無理、と思った。それでもほかに選択肢がないので、とりあえず歩きはじめた。すると、運良く後ろから車が来た。ちょっと高いかな?と思ったけど、背に腹は変えられないという気持ちで、またわらにもすがる思いで、その車に乗った。ラファエルというおじさんの車だった。
これは、正解だったと思う。クリスティンに教えてもらった宿はかなり遠かった。町から少し離れているけれど、とてもいいところだ。疲れたので、昼まで眠った。

昼から歩いて町へ出てみた。とても小さな町だ。村と言ってもいい。お店やレストランは一応ある。ただ、ツーリストは少ないようだ。帰り道は、ずーっと上り坂でつらかった。でもハチドリを見た。
帰ってきてから、つらかったのはこの空腹。今日は断食2日目だ。まだ外は明るいのにこの空腹で何もする気が起きないよ。かといって、すでに朝眠ったので、眠くもない。そこに旅行代理店の男フアンと、馬使いのパンチョが来て、順番に明日とあさっての打ち合わせをしたので、少しは気がまぎれたのだった。(映子)

ジープツアー   3月26日

今日の遺跡を回るジープツアーの運転手はなんと、昨日宿まで乗っけてもらった(金払ったけど)ラファエルだった。他のメンバーは、イギリス人カップルと、デンマーク人マイケル、ポルトガル人のペドロだ。イギリス人カップルとはボゴタの宿で会っていたので、すぐに話ができた。マイケルは超マイペースで変わり者。ペドロも少し変わっているけどいい人っぽい。そんなメンバーだった。

まず、エストレチョというところへ行く。ここは、マグダレナ川が2メートルの幅になるところ。激しく流れる川のすぐ近くへ降りていった。おみやげ物とドリンクを細々と売っているお姉さんが登場した。マイケルはさんざん見た挙句、買わなかった。

次にオバンドという村で、しょぼい博物館を見る。墓穴をいくつか見て、陶器を見て、お菓子をつまみ食い。このお菓子が、ここのメインといえるほど、意外とうまかった。

マグダレナ川の幅が急激に狭まる場所。中国雲南省の虎跳峡を思い出す
 

次こそ、今日のメインとも言える7メートルの石像があるところ。しかし、7メートルというのは、ロンリープラネットに書いていたこと。地球の歩き方には5メートルと書いているし、昨日フアンは4メートルと言っていたぞ。そして、実際には・・・うーん、3メートルくらいかなあ。ラファエルは1.5メートル土の中に埋もれているとか言っていたけど、ちゃんと足の先まで地上にあるぞ。

他にもシャーマンの墓、メディカ(女医さん)の石像、生贄にされたシャーマンの子供の顔、鳥の形の石像などたくさんあった。石像はたいてい墓を守るために作られたそうだ。男の人の墓には女の守り神なのだそうだ。

これがウワサの7メートル?の石像。屋根もついているよ
3段階に落ちていくポルドネの滝。南米第二位の落差というが、本当かなあ?

昼食後、サルト・デ・ボルドネスという滝へ行った。400メートルの高さの滝、南米で多分2番目だと言っていたが。多分、っていうのはどういうこと?おそらく、2番目ではないのだろう。
滝は、3段階になっていて、激しく、茶色いしぶきをあげて音を立てて流れていた。周りの山々の雄大な景色もなかなかよかった。私たちはしばらくそこで、景色を楽しんだ。マイケルはマリファナを吸いはじめた。そしていつも車に戻ってくるのが遅い。
マイケルとペドロは、キマってきたのか、車の天井に乗るようになった。とても景色がよくて、最高らしい。

雄大な山々にブーゲンビリアが映える

次の遺跡、アルト・デ・ラスピエドラスは、二つの顔とワニの皮をかぶった石像、アーティストの妻の墓、妊娠している女の人などの石像があった。黄色とか赤とか、紺っぽい黒とか、色がついているのは、自然のもの、木からとったものだそうだ。

その後、酒屋に寄った。一見普通のお店で、実は地酒を作っている。市販のシャンパンやウイスキーのビンに適当に入れてくれる。試飲して、買ってすぐ行くと思ったら、マイケルとペドロはそこにあるコロンビアのゲームに夢中になって、なかなか行こうとしない。イギリス人カップルもあきれ顔。ラファエルに、「バモス(行こうよ)!」と言ったら、やっとみんな動き出した。

頭が二つある石像。これも屋根つきさ

最後の滝、サルト・デ・モルティーニョはすごい崖の上から見る。迫力満点。200メートルの滝とフアンは言っていたが、さっきと同じくらいにも見える。とにかく景色がよかった。
遺跡もいいけど、このツアーの魅力は、コロンビアの大自然だな。道中の景色、サトウキビ畑やコーヒー畑が広がる風景は、とてもよかった。滝なんて別に見なくていいと思ってたけど、これまた意外とよかった。(映子)

モルティーニョの滝。向かい側の崖から見る。絶景
ここでコロンビアコーヒーが作られるんだなあ

世界遺産の遺跡を馬でまわる 3月27日

サンアグスティン近郊には石像遺跡が森や丘の上などに散在している。そこをガイドと馬を雇ってまわる、それがサンアグスティン観光の目玉だ。
馬に乗って自然の中に散るユネスコ世界文化遺産の石像遺跡群をまわる旅。それってとてもいい響きではないか。

僕たちは朝9時過ぎに馬に乗って出発した。僕の馬はマンテキージャ12歳、映子の馬はルナ13歳。これで今回の旅で乗馬は4度目。さすがに2人とも馬に対する恐怖心がない。もうだいぶ馬に乗るのにも慣れた。ベテランといっても過言ではなかろう

今日の馬は元気がいい。まだサンアグスティンの町中だというのにギャロップをはじめた。ギャロップというのは早駆のことで、ツーリストを乗せる観光用の馬は安全のためおとなしくてあんまりギャロップをしないというのが普通なのであるが、ベテランを自負する僕としてはそれじゃあ面白くないので、よく走る馬、を希望したのだ。

マンテキージャはよく走った。最初の遺跡タブロンに着くまで何度もギャロップをする。僕は自称ベテランなんだけど、ギャロップするときは鞍の前にあるつかみ棒(つかむためのでっぱり)をついついつかんでしまう。もともと振り落とされないようにつけてある棒なんだから全然それでかまわないんだけど、ベテランとしてはつかむものは手綱だけ、といきたいものだ。

この石像の顔をよーく見ると、向かい合ったワシが2羽

次にチャキーラというポイントに行った。そこはマグダレナ川のつくる深い渓谷に宇宙人が落書きしたような猿だか人だかわからないようなレリーフが刻まれていた。谷間の景色と山の深い緑が美しい。そして、ペロタと呼ばれる石像群にいくと有名なワシの石像やオリジナルの色の残る石像群があった。

ペロタに来るまでの間もマンテキージャはよく走った。つかみ棒なしで手綱だけをもって馬をコントロールして乗れるようになってきた。ギャロップのリズムに自分を合わせるようにするとうまくいく。ありきたりの表現で申し訳ないが、乗せられるのではなく自分で乗りこなす、それがコツだ。怖がってはいけない。怖がるとうまくいかない。かなり上達したとみた。

コロンビアの雄大な自然にも感動!
岩に刻まれた人?それとも悪魔?太陽の方を向いている
はっきりと鮮やかな色が残る石像。顔がちょっと怖い
 

最後に考古学公園へと向かう。ここでハプニング。ベテランであるはずの僕がマンテキージャに振り落とされそうになるという事件が起こる。
下り道でのギャロップはあんまり好きじゃないのでできるだけ走らないように抑えていた。しかし、マンテキージャの奴、ゴールが近いというのを知ってか、こっちのいうこともきかず走りだしやがった。そしてそれを止めようとしたら急停止しやがった。
僕は前のめりになって落馬寸前までいった。なんとかもちこたえたものの、つかみ棒にお宝激突!

男の急所を痛めつけられた僕はそこですっかり弱気になってしまう。
つかみ棒を常に握り締め、振り落とされないように馬にしがみついている。すっかり馬に乗せられている。 マンテキージャはますます調子にのってギャロップでひた走り。
もういい加減止めてくれ、と思うけど、ベテラン気取りの僕としては今にも泣きそうなこの心情を誰にも悟られたくない。ガイドのパチョさんが
「コモエスタ?(調子はどう?) テグスタ マンテキージャ?(マンテキージャのこと気に入ったか?)」なんて聞いてくるので、
「ビエーン(調子いいよ)。メグスタ ムーチョ(とても気に入っているよ)。」とこたえてしまう。この頃すでにお尻の皮がムケはじめて痛み出し、さらに不幸なことにつかみ棒を必死に握っていた左手のひらの皮もべろりと1円玉サイズにむけてしまった。ごっつい痛い。
出発から4時間もまわったところで今日の馬ツアーのゴールである考古学公園到着。満身創痍だった。

その日の夜、映子にムケたおしりを丸出しにし、マキロンを噴きつけられ、もだえ苦しむという情けない状況になっていた。おかしい。馬乗りのベテランのハズだったのに・・・(昭浩)

こいつがマンテキージャ。とてもよく走る。ベテランの僕もてんてこまい
笛を吹いてるやつもいる
逆三角形の顔がおちゃめ
お墓の番人、という感じの石像。中央の人は子供を抱いている

サンアグスティンからポパヤンへ 3月29日

おしりが痛い。もちろん昨日の馬が原因だ。しかも今日の悪路は最悪だ。跳ねる跳ねる。
僕たちはサンアグスティンというところからポパヤンという町に向かっている。その間はいくつもの山が連なっており、しかもそこを越える山道は舗装されるにはまだ100年くらいかかりそうな道で、バスは常に凸凹の上で跳ね上がっている。ベロリと向けた尻にこたえる
しかし、人間というものはしぶとくできているもので、そんな状況でありながらふたりともバスのなかでは爆睡していたのだ。熱帯雨林の濃い緑の景色をチラリとしか見ずによく眠った。

途中、検問があった。こいつが問題だ。この検問はどっちだろうか?
僕たちが今日通るルートはゲリラの支配地域のど真ん中。聞いた情報によるとここには2種類の検問があるという。1つはコロンビアの軍や警察による検問。もう1つはゲリラによる検問。パスポートを見せただけで何のお咎めもなかったが、それからずっとあれがどっちの検問だったのか考えてみたがが、結局は不明だ。

7時間くらい山道を揺られポパヤンの町に着いた。
ポパヤンはほとんどの建物が白い壁というたいへん美しいコロニアルシティだ。中世のヨーロッパを思わせる建物の造りに加え、白の統一感。いずれはここもユネスコによって認められ世界遺産リストに名を連ねることだろう。
美しい町はとってもよろしいのだが、その美しさにそぐわない迷彩服&ヘルメット姿のアーミーがやたらといる。みな機関銃を持って町のいたるところで町を見張っている。そんなポパヤンの町だった。(昭浩)

白い壁の美しい街並みのポパヤン。なかなかイイ街。しかしアーミーが多いぞ

警察に捕まる 3月30日

とうとう警察に捕まってしまった
警察といってもアーミー風。機関銃を肩にかけ、迷彩服を着ている。その肩にはコロンビア国旗の三色が刺繍され、さらに「CONTRA GERRILA」と書かれている。対ゲリラ部隊ということらしい。そんな人たちに捕まってしまった。不良少年が深夜のゲーセンで補導されるのとはワケが違う。

僕たちはマーケットを見学するためにシルビア村というところに来ていた。このシルビア村周辺には先住民族がたくさん住んでいて、その人々の民族衣装がきれいというので有名なのだ。
黒い丸ふちの帽子、黒のミッドカットの革靴、黒にピンクの細い線のはいった裾の広いスカートに紫色のマントのような布をはおっていて、手編みのカバンをタスキがけにしている。ちょっと派手で童話のなかにでてきそうな魔女のようでかわいらしい。そんなお茶目な魔女たちであふれかえるシルビア村をぶらぶらしている時にアーミー風の警察に呼び止められたのだ。

僕たちがゲリラにでも見えたのか?それはまったくの謎だ。パスポートの提示を求められた時僕らがパスポートのコピーしか持っていなかったということが問題だったらしい。身元がわからない奴を放っておくわけにはいかないということなのだろう。
でもこちらの言い分としはパスポート持っていなかったくらいで捕まえないでほしい。コピーでいいじゃん。コロンビアは治安悪いんだから貴重品やパスポートなんて持ち歩いていないよ。これまでいろんな国でパスポートの提示を求められたことはあるがコピーで十分だった。

ゲリラ部隊の上官はレイバン風安物サングラスをかけてスカシた態度で人を鼻で笑った。そして、「フン、パスポートのコピーじゃ全く意味ねーよ」なーんてぬかしやがる。しかし、パスポートはシルビア村から1時間以上バスでかかるポパヤンのホテルに置いたままだし、これからどうなるんだろう。

結局僕らは1時間以上拘束されたあとで釈放された。おかげで11時発のバスに乗り遅れてしまった。警察がイミグレーションに問い合わせて、僕らの身元が確認できたらしい。ただし、ポパヤンの町に戻ったら、パスポートを持ってイミグレーションオフィスに出頭するようにいわれた。

シルビア村では2000年にゲリラの攻撃にあって警察署を焼かれている。要はゲリラによって痛い目にあっているのだ。だからピリピリしているのかもしれない。しかし、ゲリラの疑いをかけるのはヒドイ話だよな。ゲリラにビビっているのはこっちのほうなんだから。僕たちはそんなにアヤシイヒトに見えたのだろうか? (昭浩)

シルビア村で買った民族衣装姿の人形。深いラウンドの帽子なんかどこか魔女っぽい
緑や黄色のバナナたち。シルビア村のマーケットにて
シルビア村のマーケットではいろんなイモが売られていた

ゲリラ街道は美しかった 3月31日

ポパヤンから南へ行く時はゲリラに気をつけろ!これはコロンビアを旅する人は誰もが知っている常識である。
外国のガイドブックにも書いてあるし、ボゴタで泊まった宿のコロンビア人オーナーも言っていた。会った日本人旅行者はこの区間でゲリラと遭遇、その時乗っていたバスを焼かれたらしい。
そんな危険ルートなのに緊張感全くなし。だって、危険な雰囲気が全然感じられないからだ。とても平和な感じで、年間3000人が誘拐されている国のなかでも特にこのあたりが危険ということがどうも信じられない。ゲリラよりも前の席から飛んでくるゲロ、そっちのほうが心配である。

そんなポパヤンからエクアドルへと南へ向かう道は景色がとてもよい。大きな山、深い谷、といった雄大でダイナミックな地形がずっと広がっている。ダイナミックといってもいろいろあるが、うまくいえないけれど、僕たちの常識の中にある山や谷の景色よりも2,3倍拡大したような大きな景色、そんな感じだ。

何事もなくエクアドルとの国境ちかくの町イピアレスに着いた。いよいよここがコロンビア最後の町だ。もうこれ以上ゲリラのことを心配することもなさそうだ。さんざん心配させられたり、意外とノーテンキだったりいろいろだが、ゲリラのことを移動の時常に意識していたのは確かだ。その心境は確立のとても低いロシアンルーレットにたとえることができる。何万分の1の確立でタマが出てくるロシアンルーレットだ。はじめのうちは引き金をひくのはとても怖い。しかし、何度も引き金を引くうちに、それに慣れて恐怖の感覚が麻痺してくる。いつかはタマが出るのだろうというぼんやりとした不安はあるのだけど、ロシアンルーレットには抵抗を感じない。
ゲリラ、ゲリラとさわぎたてたが、結局なんにもなかった。ちょっとくらいゲリラと遭遇していたら、ネタにもなったのだろうが・・・。でも、ゲリラにラチられて2年3年ジャングルのなかで拘束されるのはたいへんそうなので、とにかく無事で何よりであった。やれやれ。(昭浩)

ラス・ラハスの教会とイピアレス  4月1日

うそをつくのって難しい。今日は一年で一日だけのうそをついてもいい日。だけどいやーなかんじのウソはつきたくないし、ハッピーなウソは難しいよな。自分自身が、本当に正直に生きてるんだなあと実感する日でもある。

エイプリルフールとは全然関係ないけど、今日はイピアレス郊外、ラス・ラハスにある谷間の教会を見に行った。きれいだった。教会自体もきれいだけど、やっぱりそのロケーションが最高と思う。ヨーロッパのお城みたいな趣がある。教会の祭壇は、マリア様が現れたという岩がそのままあるのか、再現しているのか、壁が岩ゴツゴツのままなのである。谷間に降りて、教会よりさらに下まで行って、下からも見て、逆側の山の方にも登って上からも見た。

さて、イピアレスの町はといえば、こじんまりしていて私は好きだ。広場にはカキ氷屋と靴磨き屋がいっぱいいる。夜になると、ピザ屋が出ていた。ピザ屋の兄ちゃんはカリ出身で、カルタへナで英語を勉強したと、英語をしゃべりたがる。とてもいい人。たくさんのお金を持ち歩くな、気をつけろ、と言ってくれた。コロンビアの人って親切だな、と思う。(映子)

深い谷にかかる橋の上に立つ教会ラス・ラハス。多くの信者が、マリア様が現れたというこの地に、奇跡を信じてやってくるコロンビアの聖地
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