4月2日〜4月17日
国境を越えていた。「Bienvenida Ecuador!(ようこそエクアドルへ)」と書かれたゲートをくぐっていた。あれれー。まだ僕たちコロンビア出国していないのに。
現地の人は自由に国境を行き来できるらしく、僕らのほかに現地人を3人乗せた乗り合いタクシーは直接エクアドル側のイミグレまで来てしまったのだ。僕らはもちろんタクシードライバーに文句を言った。
「僕たちはまだコロンビアを出国していないんだ。コロンビアのイミグレに戻ってくれ」
ああ、スタンプのことか、といった様子でハンコを押すジェスチャーを見せながらドライバーは無邪気に言った。
「それならエクアドルでハンコを押してから、その後コロンビアでハンコを押せばいい」
「・・・・」
結局、僕らはエクアドルからいったんまたコロンビアにそのタクシーで戻った。そして再びエクアドルまで歩いて、ハンコをもらい、めでたく44カ国目のエクアドル入国を果たした。
後で聞いた話であるが、旅行者の中には、あれっそういえばコロンビア出国スタンプもらわなかったなあ、といった脳天気な人もいたりする。多分その旅行者はコロンビアに再入国することはできないと思う。
テロや誘拐の多い国なので、そう何度も行く国じゃないよ、と思うかもしれないが、そんなことは全然ない。人々はとても親切でいい国なだけにコロンビアファンは多い。僕もコロンビアが大好きな人間で、またこの国に来て、公園でコロンビアコーヒーでも飲みながらほっこりとしてみたいなあ、と思っている。出国スタンプをもらい忘れなくてよかった。(昭浩)
土曜日はオタバロで市が立つ日だ。はりきって早起きした。市が立つ日はいつも早く起きていくぞ!とはりきっている私だけど、たいていはまだ市が始まっていなかったり、準備中だったり、時にはまだ誰も人が来ていなくて閑散としていたりする。だけどやっぱりいてもたってもいられなくて、まだベッドでぐずぐずしているあきちゃんを置いて出かけた。
広場には、いやもう広場の手前の道から、オタバロ族の人たちがたくさんいて、お店を広げ始めている。といってもまだまだ準備中のところが多い。民芸品を売っているところは後で見れるから軽く流して、庶民的な日用品や野菜を売っているところまで歩いた。ここは朝早くから活気がある。ランブータンみたいなフルーツや小さいパパイヤがあった。野菜もいろいろパクチーがいい香り。
オタバロ族のお姉さんは刺繍の入ったレースの袖のブラウスを着ていて、スカートは地味な黒、下にもう一枚、白のスカートをはいている。男の人は民族衣装の人は少ないが、長髪でみつあみにしている人は結構いる。民族衣装の男の人は7部丈の白いパンツと、上も白いシャツ、その上に黒っぽいポンチョを羽織っている。
さて、私はごきげんでマーケットを楽しんでいたのだが、あきちゃんに会ってから、気分は一変した。ここ1年くらい、あきちゃんの髪は私が切っているんだけど、おととい切ったばかりの髪型のことをグチグチ言い出したのだ。もう口をきくのもイヤになった。マネーベルトを宿に忘れてきたから、とヤツは1人で帰ったが、それからも私の心は晴れない。そんなことは考えず、マーケットを楽しもうと思うけどムリ。何だか悲しくなった。大好きなショッピング、そしてマーケットなのに。髪だって、変にしてやろうと思って切ったわけじゃないのに。
いろいろ考えながらも、一つ、また一つ、と買い物をしているうちに少しずつ、気分がよくなってきた。オタバロ族の人形と、お出かけ用のポシェットのようなショルダーバックを買った。買い物はいいストレス解消だな。(映子)
日曜日はウォーキングツアーをするといい。とロンリープラネットに書いてあった。まずは旧市街から出発。サンフランシスコ教会の前は人でいっぱい。何やらしっかりした草みたいなので編んだカゴやうちわみたいなのを売っている人がたくさんいて、さらにそれを買って教会に入ろうとしている人がいっぱいいた。それは、まるで日本人がお正月に神社へ初詣に行って破魔矢を買うようなそんな感じの風景だった。
パレシオゴビエルノ(大統領府)には、外の廊下というか、縁側みたいなところだけ入れた。その前のプラサグランデも人でいっぱい。日曜日はその周辺の道が歩行者天国になるみたいで、車は走っていない。そのかわり人がめいっぱい歩いている。
ラ・カンパーニャ教会も外から見るだけ。ミサがあるためか、ツーリストは今日入れない。天気がいいので外から写真を撮るにはとてもいい。
新市街の方へ歩いていく道は、次第に人通りが少なく、寂しい感じになってきた。公園には人もいて、絵を売っていたりお土産屋があったりにぎやかだ。でも新市街では軒並み店が閉まっていて何もすることがないよ。
てなわけで、トローリーでさっさと引き返し、セビーチェを食べて宿に戻った。日曜日は、旧市街を歩くにはいいけれど、新市街は行く意味なし。道も町も寂しげだし、人気が少なくて怖いくらい。旧市街の賑わいがウソのようだ。旧市街だけのウォーキングツアーをおすすめする。(映子)
エクアドルとはスペイン語で赤道を意味する。この国に赤道が通っているからだ。
僕たち夫婦とチベットカイラス、エジプトで一緒だったタガ夫婦は、そのとき赤道の上にいた。南半球から北半球へ向かうタガ夫婦と、北半球から南半球へと向かう僕らが、地球の北と南を分ける線上に一緒に立ち、それぞれそこから北と南へと向かっていく。なんてドラマティックな再会なんだ。
と、ものは言いようで、たまたまエクアドルの首都キトで再会して、特にキトでやることもないので、赤道でもいってみようか、ということになっただけのことなのだ。
キト郊外には赤道記念碑なるものがある。こいつがちょっと問題ありの赤道記念碑で、赤道記念碑のくせして、厳密には赤道上にはないのだ。そういったスキをついて、赤道記念碑から100mほど離れたところには、「真の赤道博物館」なるものがある。
ここで意見がわかれる。赤道記念碑がエライのか真の赤道こそがエライのかということだ。
赤道記念碑といえどもそいつは赤道にないのだからニセモノだ!と主張するものもいれば、赤道なんてものは地球を一周しているくらいだから世界中いたるところにあるもの、赤道記念碑はここにしかないからやはり赤道記念碑こそエライのだ!と主張するものもいる。
どうしてそういった意見の対立が起こるのかといえば、日々の出費をできるだけおさえたいバックパッカーにとって、入場料のかかる記念碑と博物館の両方に入場することはできるだけ避けたい、行くなら片一方だけにしたいというセコイ心情が主張のウラに隠されているのだ。余裕ある人だったら1、2ドルしかかからないのだから両方いくのだろうが、僕らのようなバックパッカーは、相手の主張を罵倒し、自分の主張を強く言い張って、片方で済ませようと思っている。
僕たちは、「真の赤道博物館」を選んだ。いくら立派だとはいえニセの赤道にある記念碑には興味なかったし、なによりも、実験、ってやつをこの目で見ておきたかったからだ。
コリオリの力というのを昔学校で習った記憶はないだろうか?
洗面所に水をためて、栓を抜くと渦を巻きながら水は水道管へと吸い込まれていく、その渦をつくる力のことだ。これは地球の自転が関係していて、どういうメカニズムでそうなるのかはよくわからないが、とにかく北半球では左回りに渦を巻き、南半球では右回りに渦をつくる。そして赤道上では渦を巻かないというのだ。それはぜひとも見てみたいものではないか。
真の赤道博物館には赤道上でその実験をしてくれる。実験といっても素晴らしい実験装置があるわけではなく、しょぼいシンクがそこにあるだけなのだが、それでもコリオリの力を確かにこの目で確認することができた。赤道上では渦は巻かずに落ちていく。赤道から2mも離れると渦をつくりだす。北半球では左周りに、南半球では右回りに。
もうひとつ卵を立てる実験というのもやっていた。赤道上では卵が立つってことか?この実験の意図はよくわかない。しかも、博物館のスタッフのお姉さんはうまく立てていたが、僕はうまくできなかった。何度もトライしてみたが、そのうちイライラしてきたのでやめた。
ニセの赤道の記念碑のところには線が引かれてあって、0°0’ 0”を示している。記念スタンプなんかが用意されてあったりする。しかし、入場料を払わないとなかには入れない。ニセなんだからスタンプくらい押させろよと思う。本当は赤道スタンプ押したかったがあきらめることにした。そのためにわざわざパスポート持ってきたのに、だ。
ニセものなんかには一銭たりとも払えねぇと意固地になっているものの、真の赤道博物館だってニセの赤道の記念碑のおかげで商売が成り立っているようなもの。いうなれば、便乗商売ってやつだ。どっちもどっちってところか。(昭浩)
旅に出てから今まで、もう何回ケンカをしたことだろう。何十回、何百回かもしれない。だけど、こんな結末ってあるだろうか?
今日は新市街へ、ガラパゴスの情報を集めるために行った。旅行代理店に行って、いろいろ話を聞いてみると、思っていたほど高くないし、ダイビングもできそうだ。2人ともそのツアーが気に入ったので、すぐに申し込むことにした。話はとんとん拍子に進んで、タメ航空でエアーチケットを買って、再び旅行代理店へ持っていった。
ここでちょっとプロブレム。旅行代理店が1年前から押さえていた席に入らないといけなかったのに、私たちは別に席を取ってしまったのだ。でも旅行代理店のお姉さんが変更しておくから大丈夫。と言ってくれて、そのエアーチケットを渡して今日のところは帰った。
するとあきちゃんは、
「えいのじのスペイン語もたいしたことないな。」と言うのだ。
その言葉にカチンと来た。そりゃあ完璧には理解してなかったけど、だいたいは理解できてたし、分かる範囲で一生懸命やったのに。あきちゃんは何もしないくせにそんなことを言うのはおかしい、と思う。考えれば考えるほどムカついてきて、それからケンカ。もう絶対に口をきいてやらないぞ!と思ったんだけど・・・・
帰りのエコビアという乗り物の中で、あきちゃんの顔をじーっと睨みつけていると、なんか無性におかしくなってきた。笑いが止まらなくなってきたのだ。そして、怒っているのが、何だかばかばかしくなってきて、今日のケンカはあっけなく終ってしまったのだった。(映子)
新市街へ昨日申し込んだガラパゴスクルーズの残金を払いに行った、その帰りのことだ。旧市街に着いて宿に向かって歩いていると、人々が鼻を押さえている。フツーではない雰囲気。通りの向こうのほうでは白煙があがっている。
よくわからないが何かが起きているらしい。何が起こったのか興味もあるがこういうときは足早にその場を去るに限る。すみやかに通り過ぎようとした。
パンッ!
が響いた。そしてたくさんの人々が一斉に走り出す。もちろん僕たちも走る。標高2800mのキトの坂道で走るのはキツイが、そんなことは言ってられない。こっちも必死だ。
後で映子に言われた。
「あんたの逃げ足の速さにはびっくりするわ。私を置いて一目散に逃げてたなあ。」
そんなつもりじゃなかったが、そのくらいこの時は緊迫した状況だったってことだ。
機関銃を持った警察やらアーミーやらがたくさんいて、一部のエリアを道路封鎖している。装甲車も出ていた。近くの人に聞くとデモだという。何のデモだかは僕のスペイン語力では聞き出すことはできない。
キトを出よう。この物騒なキトを出るのだ!僕たちはバニョスという温泉町に向かった。
実は元々温泉でもつかりながら復活祭でも迎えようではないか、と再会したタガ夫婦といくことになっていたのだ。
バスのなかでは今日のデモのことをニュースで報じていた。学生たちが学校にこもり、警察やアーミーに向かって投石したり、学校で机や椅子を燃やしたりしている様子や催涙ガスの白煙のなか逃げる学生たちの姿が映っていた。(昭浩)
今週末はセマナサンタという大きなお祭りがある。これはキリスト教の復活祭というお祭りなので、カトリックが浸透している中南米全体のお祭りともいえる。キトでも大きな催し物があるみたいだったけど、私たちは、キトにあまり長居したくなかったのと、のんびり過ごしたかったので、温泉のあるバニョスを選んだ。キトで再会したタガ夫婦(タガさんとさゆりどん)も一緒だ。
しかし天気はパッとしない。3日間、毎日雨が降った。
初日は、近くにある温泉に行った。入った瞬間から、しょぼいなあと思った。丸いプールが一つあるだけ。さらに上に行くと、もう一つ四角いプールがあった。すぐそばの滝を見ながら入れるし、温度もちょうどいいのでそこに入ることにした。しかし、あんまりきれいじゃない。そしてだんだん人が増えてきた。さっきまでやんでいた雨もまた降り始めた。私たちは、雨にも負けず、のぼせるくらいにたっぷりあったまってから出た。
明日からセマナサンタのお休みに入るということで、街は昨日よりにぎわっていた。エクアドル人のツーリストが多いみたいだ。メルカドで隣に座っていた若者もキトから来たと言っていた。
夜はドミノやトランプをして過ごした。そして買ってきたロンを飲んで3時ごろまで起きていた。ただ、さゆりどんは、ロンをストレートで「うまい!」と飲みまくり、早々に寝てしまったけれど。
2日目は少しはなれたところにある温泉に行った。バスに乗って、ちょっと山のほうに入っていくと、川沿いにその温泉はあった。
一見和歌山っぽい風景なんだけど、そこの温泉は日本とは全然違う。まず、汚い。色も茶色っぽくて何?っと思うし、プールによってはおしっこ臭いところもあるし、髪の毛がとにかくたくさん浮いている。
次にぬるい。4つのプールがあるけど、水プール1つに2つはぬるすぎてずーっと入っていられない。そしてずっと入っていられるくらいの温かさのプールはもう芋洗い状態。そして立って入らなければいけないくらい深い。不快である。イマイチな温泉といえよう。しかし、お金も払ったし、寒いままで出るのはいやなので、汗かくくらい粘ってから出た。プールの底は岩ゴツゴツで、時々熱い石があった。
海外の温泉で、今までに日本ほどの満足感が得られたところはない。まあそれなりに、暖まったとか、よかったとか言えても、日本のレベルには到底達していない。
夜は、セマナサンタのパレードみたいなのがあり、遊園地のアトラクションみたいな動物の形をした車が、道を走っていた。今日はタガさんが早く寝ちゃったけど、私たちは、ディスコテカ(つまりはディスコ)の様子を見に、夜の街へと繰り出した。といっても、踊りまくってきたわけではなく、結局さゆりどんがおいしそうなホットドックを買い食いしただけで帰ってきたのだけれど。
3日目の朝も雨が降っていた時には、うそだー!と思った。でもいつも昼ごろにはやむのだ。今日はちょっと山でも登ってみるか、ということになった。道端で買ったサトウキビだけ持って、水すら持たずに軽い気持ちで出かけた。
ところが、橋を渡ってどんどん登っていくのだけれど、全然火山が見えてこない。向かい側にある火山が少しでも見えればもう頂上まで行かなくてもいいから降りようと思うのだけど、一体どこまで歩けばいいのだろう。
欧米人4人グループが降りてきたので聞いてみた。1時間半ほど歩けば頂上に着き、火山がどこにあるかくらいはわかるという。雲が出ているので、やはりはっきりとは見えないらしい。でもナイスだと言っていた。登るか?本格的なトレッキングコースのような気がする。行けるとこまで行くか。しかし、つらいなあ。私とさゆりどん、バテ気味。
さらに行くと、グラナディージャという果物売っている少女2人。聞いてみると、あと1時間で頂上だという。時間もあまりないし、疲れたので、ヒッチすることにした。
10分くらい待つと、ピックアップトラックみたいなのが来たので、みんなで乗り込む。山がだんだんと見えてきた。そして風が冷たくなってきた。頂上に着くと、ちょうど雲が切れて火山が見えてきた。きれいだった。少し雲がかかってはいたけれど、火山の頂上が見えた。
もう4時半、歩いて帰ると日が暮れてしまうので、行きと同じ車に乗っけてもらった。といっても、もちろんお金を払ったのだが、さゆりどんがおっちゃんの手を握って、「お願い。」と言うと一気にディスカウント。さゆりどん、やるなあ。
今日はバニョス最後の夜、昨夜見た遊園地のアトラクションみたいなのに乗った。そして、いつものようにロンを飲んで語り合ったのだった。ただ私は昼間の登山の疲れで、すぐに眠くなってしまったのだけれど。(映子)
10時まで寝ていた。そして、荷物をまとめメルカドにいって昼食。だらけたバニョスでの生活もこれで最後。
とっても不思議な感覚なんだけど―例えば昔の友達と久しぶりに那須高原あたりに遊びにいってのんびり過ごす―そんな風だ、ここバニョスでの4泊5日は。旅が日常(どちらももう2年以上)の2組の夫婦が1年ぶりに再会して一緒にいったバニョスは非日常の旅行だった。ぐうたらしているだけだったけど、楽しかった。
昼すぎ僕らはタガ夫婦と分かれた。2人はメキシコを目指し、僕らは南へと向かった。(昭浩)
「またアジアで会おう!」
そう言って私たちは別れた。私たちのバスはまだまだ出そうになかったので、バスに乗った2人を最後まで見送った。
「寂しくなるね。」
あきちゃんは言った。こんなとき、あきちゃんは私よりもずっと寂しそうに見える。バスの中でタガさんにもらったアメを渡すと、また寂しそうな顔をした。
リオバンバに着いてスーパーに買い物に行くと、タガ夫婦はもういないのに、いつものようにロンと7Upを買ってしまった。そして2人だけで、細々と飲み会をしたのだった。(映子) アボカドに怒る 4月12日
2人で3ドル?それはおかしい。一皿1.25ドルで2人だから2.5ドルだろ。
僕は食堂の兄ちゃんに文句を言った。すると兄ちゃんは当然だといわんばかりに、それはアボカド代だという。思い出してみると確かにアボカドは別皿にのってでてきた。でもたのんでもいないアボカドが当然のように運ばれてくればそれも朝食のセットに入っていると思うでしょ。実際このあたりでは朝食でもランチでも当たり前のつけあわせとしてアボカドがついてくるのだ。
ズルイなあ。それじゃベトナム商法じゃん。さんざんモメて、結局僕らは2.5ドルだけ食堂に置いて出て行った。
実はこういうケースはエクアドルに来て3度目。
1度目はキトでチャーハンを食べたとき。食堂の壁にチャーハン1.5ドルと書いてあったのでそれを指差してオーダーした。そして請求されたのが2.3ドル。店のおばはんいわく、大盛りだから2.3ドルなんだという。頼んでもいないのに勝手に大盛りにするなよ。このときもさんざんモメた。
2度目もキト。このときも同じパターン。ホットチョコレートを飲んで、会計するとこれまた高い。理由をたずねるとビッグカップだからメニューに書いてあるのより高いのだという。普通の大きさのマグカップだったぞ。そんなもの、大か小かなんかわからないし、メニューには値段はひとつしかなかったぞ。
3度とも不要な金は一切払わず出てきたが、気分はよろしくない。エクアドルの印象はずいぶん悪いものになった。
エクアドルはボリビアと並び南米で最も物価の安い国だった。しかし、3年前に自国通貨をドルに変えてからは、物価の上昇が続いていて、今では南米のなかでも物価は決して安いとはいえない国となっている。物価が上昇し、一般庶民の生活は苦しくなっているのだろうが、セチガライなあ。(昭浩)
南米大陸を縦に走るアンデス山脈。そこを走るエクアドル高原列車。ただ車窓の景色がいいだけではない。ここの目玉は 貨物車両の屋根の上にのれるってこと。これは楽しそうだ。
最初にあれ?と思ったのが、一昨日。リオバンバの街から列車は出ていないというのを聞いた時だ。理由が土砂崩れというからこれは仕方ない。
次におかしいなと思ったのが今朝。列車はアラウシ駅をスタートしシバンバ駅に行って帰ってくる、所要時間往復1時間半、そのことを知ったときだ。たった1時間半で列車の旅っていえるのか。しかも往復ってなんだ??
決定的に違うと気がついたのは、列車を見たとき。僕のもっているガイドブックにのっている写真では、貨物列車や客車が何両もつながっていて、その車両の屋根の上にのっている。TV番組「あいのり」でここの列車のシーンがあったが、そこでもそのようになっていた。
しかし、今日僕がみたのは違った。屋根には柵とハシゴがついているので、一応は屋根に上れるようにはなっている。それがたったの1両。あきらかにそいつは、観光用につくられたニセ車両だった。こんな子供だましのニセ列車に乗るためにこんなところまで来たのか、あー情けない。
そう思うんなら乗らなきゃいいのに。でも乗ってしまった。
列車は崖っぷち沿いに急勾配を勢いよく下っていく。屋根のうえなので視界も広く、気持ちイイ。スイッチバック方式といって、鉄道ファンにはポイントの高いルート、ジグザグに深い谷を下っていく。悪くない。
しかし、これじゃ遊園地のアトラクション。鉄道の持つ雰囲気なんてあったもんじゃない。鉄道としてのアイデンティティすらない。こんなおもちゃの列車には、わざわざ乗る価値は感じられない。
元々この鉄道、首都キトから第2の街グアヤキル、第3の街クエンカを結ぶエクアドルの大幹線であったが、数年前からこの路線は使われていないようで、いまでは分断されてつながってさえいない。ヒトやモノの輸送手段は鉄道から車へとかわりつつあり、鉄道は徐々に廃線へと追いやられる。日本でも同じように味のあるローカル線がどんどん廃線となっていて鉄道ファンを悲しませている。ここエクアドルではツーリストに人気のある1区間を残して、そこに観光用の改造列車を走らせている。
エクアドル列車のよき日々は失われてしまった。そして世界中のどこかで少しずつ鉄道は車社会の陰へと押しやられているのだ。そう思うととてもくやしく、さみしい気持ちにさせられる。(昭浩)
クエンカのマーケットは想像以上にしょぼかった。おみやげ物市場はほんのちょっとで、あとは日用品ばかり。とりあえず、庶民の台所を呼ばれるようなところでご飯を食べた。
しかしおかしい。パナマ帽の産地のはずなのに、市場のどこにも売っていない。帽子専門店を1つ見つけたので入ってみたが、結局気に入ったもの、似合うものは見つけられなかった。
インカの遺跡もしょぼしょぼだし、川沿いの散歩道はまあまあ楽しかったけど、この街はとにかく車が多くて怖い。轢かれそうになる。街中に信号機は少ししかないので、車はビュンビュン走る。こっちが渡ろうとしているのが見えていても決して止まってくれないし、平気で右折してくる。
クエンカ、なんかイマイチ。
食べ物にはそんなに不自由しないし、インターネットもできたけど、ただの都会で想像してたのとは違う。期待はずれな街。
しかし、私たちは見つけてしまった。この街がユネスコの世界遺産に登録されたらしい。その旗が街中にぶら下がっているのを。世界遺産、たいしたことないな。今まで何度かそう思う場所があった。クエンカ、お前もか!やっぱりたいしたことないな。コロニアルな建物もあるけど、そんなにいいかあ??
宿に戻ると、隣の部屋のアリゾナから来たおじさんはパナマ帽屋をいろいろまわって、お気に入りを見つけて6個も買って送ったとか。そんな話を聞いても、もうどうでもよくなっていた。クエンカにもパナマ帽にももう失望してしまって、まったく興味がないのだった。(映子)
バスは霧のかかった山道を少し危なげな感じで降りていった。霧が晴れると、景色がとてもよかった。谷間を流れる川、緑の山々、そしてリャマも見た。
グアヤキルまであと60Kmくらいのところで、「暑い!」と思った。気がつくと、周りの風景が変わっている。バナナ畑とサトウキビ畑が見渡す限りいっぱい。降りてきたな、平地に来たなと感じた。汗がじとーっとにじんできた。でもめちゃくちゃ不快というほどではない。
とはいえ、グアヤキルに着いてから宿探しが難航して、歩き回っているうちに背中が汗びっしょりになった。
エクアドルで一番大きい都市だけあって、車も人も多い。レストランもいろいろあるので、食べるところには困らなそう。そんな大都会だった。(映子)
だいたいこんな街来たくなかったんだ。
大都会。車が多い。人も多い。うるさい。空気悪い。治安も悪い。クソ暑い。
部屋の窓から見えるもの。渋滞で動かないたくさんの車。酔っ払いの浮浪者。娼婦。喧嘩する2人の女。意味不明なヒト。くたびれた警備員。
ロクなところじゃない。ガラパゴスに行くという目的がなきゃこんなところ来なかったよ。
夜が明けて今日。ガラパゴス出発は明日だ。鬱な気分。もう一日ここにいなきゃいけないのか。
朝食を食べて。シモンボリバール公園に行った。
そこにはたくさんのイグアナ―それは僕がこれまでの人生のなかで見たイグアナの総数よりはるかに多い―がいた。
木の上、芝の上、歩道の上、公園のいたるところにたくさんいた。うっかり歩くとしっぽを踏んでしまいそうになる。油断していると木の上からフンが落ちてくる。
ベンチに座っている男がバナナをちぎって投げるとそれに向かって大勢のイグアナが一斉に走りだす。その様子は見ていて飽きない。人間に慣れているのか、さわっても逃げない。背びれをなでてやると気持ちよさそうにイグアナは目を閉じる。雄同士、頭を上下に振りながらなわばり争いの闘いをしていたりする。
心のなかでバチッとはじけた。この街に抱いていたネガティブなものが一気にチャラになった。チャラどころかプラスに転じた。
ここは楽しい公園だ。
多くの旅人が敬遠するグアヤキル。しかし、このイグアナのいる公園だけでも来る価値はあると思う。ガラパゴスの他に見所が少ないエクアドルのなかでもここは強くオススメしたい場所だ。 (昭浩)