モロッコを旅したことのある僕の友人は、カスバ街道の景色を長野県にもある風景といっていた。
そのカスバ街道をバスは走っている。
オアシスの緑の向こうには白雪をうっすらとかぶった山の稜線がみえている。安曇野あたりの景色に似ていなくもない。
でもそれを長野県にもあるといいきってしまうのには無理があると思う。
ここはやっぱりアラブの国モロッコだ。ヤシの木の途切れた先には剥きだしの大地が広がっているし、ぽつりぽつりと建っている小さな家なんかも土造りのものだ。時々見えるカスバと呼ばれる要塞なんてものはこのあたり特有のものだ。
バスとタクシーを乗り継いでアイト・ベン・ハッドゥに行った。アイト・ベン・ハッドゥとは、ここらへんにあるカスバ(要塞)のひとつで、「アラビアのロレンス」「メドムとゴモラ」「ナイルの宝石」のロケ地として使われたところである。
どうでもいいんだけどユネスコ世界遺産でもある。
土でできた城壁のなかに、土でできた塔や集落があって、すべてが茶色のトーンになっている。
よくできた巨大な砂の城といった印象。
そのまわりには褐色の荒れた地とそれに映えるヤシの木々、絵にはなる。だけどそれ以上ではない。
ガイドブックに乗っていた写真を見てきれいだなあと思った以上の感動はなかった。
きれいなものだけど心の琴線には触れない、そんなタイプのものだった。(昭浩)
「グランタクシーつかまるかな。」あきちゃんは言った。
「グランタクシーじゃないかもしれないけど、きっと車があるよ。」と私は答えた。
ここ、アイト・ベン・ハッドゥは交通の便が悪くて、ツーリストくらいしか行く人はいないのだ。でも私の言った通りになった。
宿のおっちゃんが、ワルザザートまで行くから、50DH(650円)で乗っけてくれるという。私って予言者みたい、と思った。
思えばここに来たのも、メルズーガの宿の兄ちゃんに、そしてティネリールでもレストランの兄ちゃんに、「ワルザザートに泊まらず、アイト・ベン・ハッドゥに泊まると良い。」と言われたからだ。
これらはまるで神の声のようだ、と私は思う。この国にも神はいるな。
ワルザザートに向かう途中の風景を見ながら、私はこんなことを考えていた。
私たちが日常出会う人たちは、観光客を相手に商売をしている人たちばかりで、そのうちの80〜90%はろくでもない奴らばかりだ。
だけどその中でも、きらりと光る人がまれに現れて、私たちにいいアドバイスをくれる。
そしてそれはツーリストインフォメーションなんかより、よっぽど役に立つし、何より私たちのことを考えてくれている。
土曜日のせいか、ワルザザートの街に人影は少なかった。おみやげ物屋だけが、やたらと開いていて、そこの兄ちゃんは声をかけてくる。
日本語で声をかけることが逆効果だとそろそろ気づいて欲しい。歩いていて近づいてくる奴はろくな奴じゃない。
タウリルトのカスバの中は、迷路のようになっていた。何度かあきちゃんとはぐれそうになった。
全部は見れなかった。後ろはクサル(城塞都市)になっているようだが、裏口はウザイ奴らがうじゃうじゃいるのでそれだけでブルー。やめておいた。やれやれ、この国はいつまでこんなのが続くのだろう。(映子)
マラケシュのメディナにあるホテル・アフリキア、ここの日当たりの良い屋上テラスにいる。ぽかぽかした陽気の中日記を書いている。
ごみごみした街の屋根の向こうに白く輝く雪をわずかにのせたアトラス山脈が立ちはだかっている。今日そのアトラスを越えてマラケシュにやってきた。
アトラス越えはひたすら続くワインディングロードの連続だった。
目の前に立ちはだかっていた山をくねくねと登る、登ると次の山が現れる。こんなことを3回ほど繰り返すと、それまで茶色だった山肌に雪の白がはいってくる。そのあたりが峠らしい。そして、こんどは山の際にそって曲がりくねった道を下っていく。
僕が最も印象に残っているのは、アトラスを越えて広がる眼下の景色をみたときだ。そこは、乾燥した荒野ではなかった。緑色の平原が遠くまで広がっていた。そこはポプラやオリーブ、畑で育てられている野菜の緑だった。乾いた場所から潤いのある場所へとわずか数時間で劇的に変わったことが驚きであった。
マラケシュに着いてホッとしたことがある。
ラマダン中であってもこのあたりだけはオレンジジュースの屋台が出ている。レストランでもたくさんのツーリストがテラスなんかで、私たちにはラマダンなんて関係ないわ、みたいな顔して食事している。
ここではひもじい思いはしなくて済みそうだ。(昭浩)
マラケシュといえばジャマエルフナ広場。
ここの広場には、そんなにたくさんあってもしょうがないだろう、というくらいオレンジジュース屋台が並んでいる。
そして、その内側では大道芸人たちが芸を披露している。
剣でお手玉していたり、寸劇のようなものをしていたり、講談を講じていたりする。もちろんコブラ使い、サル使い、派手な衣装の水売りなんかもいた。
鉄のカスタネットをもった男が近づいてきたら要注意だ。
勝手に目の前にやってきて鳴らして金を要求する、奴はそんな芸の押し売りをするインチキ野郎だ。
残念ながら火吹き男や組体操をする男たちはいなかった。
思っていたより盛り上がりに欠ける、そんな感じがした。
広場いっぱいが活気とエネルギーと人に満ち溢れたカオス、そんなイメージを持っていたが現実は違っていた。
期待が大きすぎたのかも知れない。
夜は食べ物の屋台がたくさん現れた。
ハリラー屋、エビ・イカ・魚のフライを売るシーフード屋、羊の頭屋、ケバブ屋、エスカルゴ屋(これは見ていてエグイ)、そんなのが50軒以上でている。歩いていると
「エビ・イカ・サカナ・ウマイヨ」「ヒツジのアタマ、ノウミソ」「ドウゾ・チョットダケ・オイシイヨ」と声がかかる。
どこもおいしそうにジュージュー音をたてて、香ばしい匂いをだしている。
何を食べようか悩みながら歩き、屋台をはしごして食べ歩く、これはなかなか楽しい。
マラケシュって期待しすぎると、あれっこんなもの?って思うが、期待せずにいけばなかなかいいところではないか、それが僕のマラケシュ感である。(昭浩)
モロッコが今ひとつ好きになれない。
昨日、日本人旅行者と話してから考えた。感動が薄れているのだろうか?旅の疲れ、それとも年のせいか。確かに若さはある程度感動と関係があるんじゃないかと思った。が、私の場合は違うな。
多分、旅の目的というものが明確になっていないからじゃないか?ただなんとなく、モロッコに来てしまった。
それでも感動するときはするんだろうけど、モロッコでこれをしたい、あれが見たいという目的って必要だと思う。
だから、マラケシュもまあまあだった。マラケシュに来たら何かあると思っていた。はっきりした目的を持っていなかったのだ。
そんなこともあって、今日はバイヤ宮殿には行ったがマドラサには行かなかった。
バイヤ宮殿は、アルハンブラ宮殿に負けず劣らずの宮殿(とガイドブックに書いていた)を見たいと思ったので目的はあるが、マドラサはなんとなく、ただきれいそうだから、しかもフェズで2つも見たし、バイヤ宮殿の印象が薄れるだけだと思ったのでやめた。それでよかったと思う。(映子)
フェズでたくさんのインチキガイドやツーリストオフィスで働いているというインチキ野郎などに会って、モロッコの印象が堕ちた。砂漠に向かう途中、ウザイ客引きガイドに会って忌み嫌うほどまでなって、バスの荷物代でいつもモメて・・・もう回復不能な領域までいってしまった。モロッコ人の信用は決してマイナスから戻ることはない。
「お前さんよ、たった2週間で何がわかる?モロッコ人全員が悪いわけではなかろう。だからそう悪いと決めつけなさんな。」
目の澄んだ仙人にそういわれようとも僕の気持ちは変わらない。モロッコ人のことは好きになれない。
たとえば目の前に豪勢な特上にぎりがあるとする。活きのイイネタ。つぶのたったシャリ。大トロ、ウニ、イクラ、かずのこ・・・量も種類も豊富だ。しかし、そのなかに1匹のゴキブリが逆さまになって死んでいた。
ネタやシャリがどんなに素晴らしくても、いいものがいっぱいあっても、その豪勢なスシは気持ち悪くて食べられたもんじゃない。
僕が抱くモロッコ人に対する嫌悪はこれに近い。
わずか1割に満たないウザイ人たちが、9割以上の観光客の印象に悪いものを与えている。(昭浩)
昨日は少し救われた。ディズニットという町に夜着いて、半日しか滞在しなかったが、いいものが自分のなかに流れてきた。
ボンジュール、とテレながらいってくるちょっとシャイな子供たち。1ディラハム!とは決していってこない。
親切に道を教えてくれた町の人々。
宿の感じのいいおじいさん。
そういったもの触れたときいいものが流れてきた。
小さなこの町の小さな広場では真夜中だというのに寸劇をやっていた。太鼓や三味線のような楽器に合わせた劇だ。マラケシュの広場の観光向けのもんじゃなくてあくまで庶民の娯楽って感じのものだ。
この町はいいな、と思った。
今日、そのディズニットを発った。
バスで4時間ほどアトラス山脈の西の端を超えて、大きな花崗岩の岩山がごろごろあるタフロウトという町に着いた。
バスが町に着くと黄色い靴をはいた男がバスの中に入ってきた。
「サバ?(元気?)」
黄色い靴の男は聞いてきたが、無視した。
ガッカリした。こんなにツーリストの少なそうな田舎に来たのにまたか、そう思い、うんざりした。
その男は僕らの進む前10m先を歩き、僕らの入ろうとするホテルに先に入って待ち構えていた。そして部屋を勝手に案内しはじめた。(この黄色靴男は誰だ?)
もしかした宿のスタッフかもしれない、このとき一瞬思ったが違った。この部屋いくら?とたずねても知らないという。
「あなたは、ここで働いているの?」
「イエス」
「じゃあどうして部屋の値段を知らないの?」
「今はオフシーズンで値段が変わって・・・」
後で判明したところ黄色靴男はみやげもの屋の客引きだった。レンタル自転車屋の客引きでもある。レストランに客を連れて行ってバックマージンをもらうといったこともやっている。もちろんレストランに連れて行かれた客は高い飯代を払わされる。
ホテル代が黄色靴のために割高になってしまうということはなさそうだった (宿のじいさんはとてもまともでいい人だった) が、黄色靴はしつこく誘ってきた。「何か食べたかったら自分と一緒にいけばスープをごちそうするよ。」
もちろん断った。スープのごちそうの後には高い飯代というツケが隠れているからだ。
もうたくさん。タフロウトにも裏切られた気分。僕も過剰に反応しすぎなのかもしれないが一度本当に嫌いになってしまうと、もう全然信用しようという気すら起きないし、積極的にコミュニケーションしようという気にもなれない。モロッコ人に対して、そしてモロッコという国全部に対してだ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、そんな境地にまで至っている。(昭浩)
今日はお散歩です。
ここタフロウトは山に囲まれた静かでのんびりとしたいい町ですがやることがありません。だからお散歩です。
はじめにアメルン渓谷というところに行きました。
ここは2000m級の連なる山々の麓の谷で、その広い谷には緑が広がり、緑と山の麓あたりの茶色との境目には集落がはりついているように点在しています。僕の中で、ムーミン谷を想起させるそんなところでした。
午後にはにナポレオンの帽子と呼ばれる岩山に行ってきました。確かにそういわれてみれば帽子に見えなくもないのですが、僕に言わせれば人の手。それもアラブ人がよくやる「何やねん?」ということを意味するときに用いる手首をひねった状態の右手に見えてしかたがありません。
僕たちは山の中腹、ちょうどその右手のようにみえる手首あたりまで登り、そこでしばしぼんやりしていました。
昨日も違う岩山の上でぼんやりしていましたから、タフロウトというところは、ぼんやりするところ、ぼんやりしてしまうところなのでしょう。
ぼんやりしているだけで、深く自分を見つめたり、何かについて思い悩んだり、思索しているわけではないので、その時どういうことを考え、どんな思いが浮かびあがったのかは忘れてしまいました。何も浮かんでこなかったのかもしれません。やはりぼんやりしていたのでしょう。
しかし、心のストレスや緊張のようなものはほぐれたように思います。映子もそれは同じでしょう。
「モロッコ人きらーい!」
といっていつもトンガッテいる映子ですが、ナポレオンの帽子から帰る道ではすれ違うモロッコ人に
「アッサラーム・アレイクム」だとか「ボンジュール」だとかいって愛想を振りまいています。
ご機嫌ついでに、町に戻るなり、ベルベルシューズなる手作りの布製靴までイキオイで買っていました。
黄色靴男は別として、この町にはウザイ人が少ないのでとても気に入っています。
気持ちのよいあいさつの言葉をかけてくれる人も多く、気分いいです。
たまに「サバク イク?」といった場違いな客引きもいますが、他の町に比べしつこくないようです。(昭浩)
タフロウトを朝8時に出て、ディズニットを経由してインズガーンまで行き、そこでタルーダント行きに乗り換えた。
タルーダントは他のモロッコの都市とは少し違った印象を受けた。
タルーダントは、結構大きな町で人も多い。しかし人々は私たちにはあまり関心を示さないように見える。
が、やっぱりホテルを探していると、近づいてきたよ、客引きが。
そして、散歩をしようとしたら、英語を話せるおじさんが「ガイドは要らないか」と言ってきた。ベルベルスーク店の客引き兄ちゃんなどに声をかけられた。でもそんなにしつこくはない。
タルーダントの商人は腰が低い。と言われているらしい。確かにそうかもしれない。
観光客を相手にしている人たちはともかく、普通に商売をしている人は、腰が低くていい人のようだ。
私たちは、ラマダン終了のアザーンと共にオレンジジュースを飲もうと近くで座って待っていた。
すると、ジュース屋のおっちゃんが、ここに座れと呼んでくれた。そのとき、ちょうどアザーンが鳴り響いた。
すぐにおっちゃんは、自分と少年の分のハリラーを私たちに勧めてくれた。そして、少年はさらに2つのハリラーを前の店から運んできた。断るに断りきれず、ごちそうになった。魚とパンも分けてくれた。おっちゃんたちのほうがめちゃお腹すいているはずなのに。ほんとうにどうもありがとう。(映子)
日没のアザーンがなると、心ウキウキ。この町はこれからが楽しいのだ。
静かで、人通りも少ない町に出て、まず何かを食べたり飲んだりする。(たいていハリラーやコーヒー)
やっと飲める!やっと食べれる!この喜びをかみしめる。
それから、一旦宿に戻り、今度は8時過ぎに出かける。
するとどうだろう?今度はびっくりするくらい人が出歩いていて、人と車と自転車で大渋滞。
そんな中で、目に付いた好きなものを手当たり次第に食べる。
そして夜遅くまで町はにぎわうのだった。眠らない街、ここは新宿か?と思うほどすごいぞ。
モロッコに来てからいままで、ウザイ客引きや、一日中腹ペコのラマダンにうんざりしていたけれど、ここにきてやっとモロッコで一番好きな町に出会えた気がした。(映子)
昨日の夜、歯を磨きながら気づいたことがある。
昨日の日記を書き終えた後に歯を磨いたので昨日の日記には書けなかった。(書く気力がなかった) そんなことはどうでもいい。昨日の気づきとはこういうことだ。
長く旅をしていると感動がなくなる。または感動する心がすりへってしまう。
そういう人が多い。僕自身そうなのかなあと思ったことがある。
でも、それは違うと思う。
長く旅していろんなものを見てると、確かに目は肥えてくる。それでも感動するものには感動するし、興味あるものには心惹かれるものだ。目が肥えてくるということは、別の意味では本物がわかってくるということでもあるのだ。
本や映画と同じだ。それまでいくらたくさんのおもしろい本を読んでいても、新たにおもしろい本を読めば面白いと感じるし、どんなに感動的な映画をたくさん見たといっても、別の映画では新たな感動をさせられる、そんなことはしばしばだ。
旅をしていてその国に飽きるというはあると思う。それはミステリーばかり読んでいて、たまには純文学でも読みたいなあと思う心の状態に似ている。
旅をしていてだいたい3ヶ月越えたあたりから「旅の心の高揚」というのがうすらいでいく。
旅がはじまったばかりのとき高かった勢いやテンション、バイタイリティや体力といったものが少し落ち着いてくる。
旅の大きな要素である「非日常世界を楽しむ」ということが3ヶ月をこえたあたりから難しくなってくるからだろう。
旅が非日常から日常なものとなってしまうのである。
非日常の心の高揚がなくなることと感動する心が失われることとは別だと思う。
旅が長くなって感動しないものなんてしょせんニセモノなのだ。もしくはその人の感性に響かないモノなのだ。
どうしてこんなこと思ったかというと、タルーダントという町がたいした見所もないのに、たいそう楽しい町だったからだ。
モロッコに来て、なんかつまんないなあ、と思ったことが何回かあった。2年以上も旅をするとこんなになっちゃうのかなあ、と少し疲れた考え方に陥りがちだった。そんな考え方をタルーダントの町は見事に矯正してくれたからだ。
ただこの考え方は一人旅にはすべてあてはまるわけではない。
なぜなら、ひとりの場合、孤独と出会い、自己との対話と人との会話、それらの影響が大きいからだ。二人の旅とは異なるものなんである。(昭浩)
大西洋があって、そこには要塞があって、そして港があり、白の街がある。街のまわりは城壁で囲まれていて、城壁のなかは当然アラブの雰囲気で、ごちゃごちゃとにぎやかにいろんなお店が並んでいる。
海を見て、商店街をぶらぶらし、ここの名物の寄木細工のお店に入って買い物なんかしたり、エッサウィラではそういうふうに過ごした。
エッサウィラは人が良かった。ウザイ人はあまりいなかった。あんまりガツガツしていない、落ち着いた街だった。(昭浩)
カサブランカでエアーチケットを探した。
日本人が経営する旅行代理店にいってみたが、そこでは格安航空券は扱っていなかった。JTBなどと提携していてモロッコの国内ツアーのアレンジ専門といったところでバックパッカーは相手にしない、そんな様子だった。
旅行代理店にいって安チケットを探した。一番安いのでメキシコシティまでルフトハンザ片道9万円弱。エアフランスでは31万円ナリー。高いぞ。どうしよう。
葛藤の末、スペインのビルバオの友人フリアンの家に戻ることにした。
スペインに戻る交通費、ビルバオでの飲食費(宿代はタダだけど)もろもろ考えると金額としてはあんまりかわらないかもしれない。でも、またスペインに戻れるってワクワクするじゃん。
フリアンに国際電話をした。フリアンは「ニングン、プロブレマ!(まったく問題ないよ)」といって僕たちの「帰国」を喜んでくれた。
この日、それから僕たちは浮かれた。もう一度、第二の故郷ビルバオに帰れる。みんなに会える。リオハのおいしいワイン。ハモン(生ハム)。オリーブ。アグーラ(ウナギの稚魚)。アスパラガス。考えただけで楽しい。
浮かれていたその日、路上で時計を盗まれそうになったが、それでも心は浮き立っていた。(昭浩)
トルコではハンマームにはまっていた。いわゆる公衆浴場、サウナのようなところで、大理石が温かく、熱いお湯が出て、頼むとマッサージやあかすりもしてもらえる。それが、トルコのハンマーム。かなり快適、そして値段もそんなに高くない。さて、モロッコは???
カサブランカのユースホステルの向かいにあるハンマームは、男女で時間帯が分かれている。男は朝から、女は夕方くらいからと時間が決まっていた。料金は、8DH(104円)。安い。モロッコはシャワー代を別に取られるホテルも結構あって、10DH(130円)くらいするので、それより割安だ。
中に入ると、私は思わず絶句した。そこはまるで地獄絵図のようだった。
一歩入った瞬間、帰ろうかと思った。恐ろしいものをみてしまった。
裸の太った女たちが、地べたにマットを敷いて座り込んで体を洗っている。それが足の踏み場もないほどなのだ。そしてなんだか薄暗い。
戸惑っている私に、おばさんがバケツにお湯を入れて渡してくれた。しかし、それもお湯のせいか、バケツのせいか、あんまりきれいじゃない。
サンダルをお尻の下に敷いて、とりあえず体と髪を洗った。早くここから出たい一心で、急いで洗った。でもなんだかきれいになった気がしない。
これじゃあただの汚い公衆浴場。トルコの方が100倍いいよ。トホホ。(映子)
ラバトはモロッコの首都。あんまり首都って雰囲気じゃない。カサブランカのほうがはるかに都会だ。
ここにも旧市街であるメディナがある。ここが楽しい。壁に囲まれたメディナにはスークと呼ばれる商店街が細かくはりめぐらされている。もっと複雑で広範囲だが、感じ、は上野のアメ横に似ている。
活気があふれ、人であふれ、声にあふれ、物にあふれている。
下町の縁日の商店街に流れている風情のようなものすら感じる。
僕らはここでおみやげものを探した。ビルバオのフリアンやイニャキやポジョへのものだ。フリアンにはモロッコ革のスリッパ、イニャキには寄木細工の写真たて、ポジョにはラクダの骨でできた杖を買った。
ラバトでの買い物は楽しかった。
ここは人のあたりがやわらかい。ギスギスした感じの値段交渉はなかった。値段交渉が楽しめるというのはいいことだ。
「君たち何が欲しいんだい?」
と急にしかも勝手に躍り出てくるインチキブローカーもいない。それもいい。(このインチキブローカーというやつは、宿や店のおやじと交渉していたりすると、急に現れ、英語で話しながら間に入り、自分の取り分をしっかり上乗せした料金しか言ってこない困った人たちのことである。)
ラバト、全然期待がなかっただけに好印象、そんなモロッコの首都だった。(昭浩)
今度という今度はもうゆるさねぇ!もう二度とこねぇ!モロッコのバカヤロー!モロッコ人のバカヤロー!
言霊を信じる僕としてはあんまりこんな暴言を吐きたくないけど言わせてくれ。
どうしてこんなことになったかっていうと、それは今日の夜食べたタジン、こいつがいけねぇ。
今日はモロッコ最後の晩餐。もう一生ここにはこないつもりでいるからこれが本当に最後。
やはり大好きなモロッコ郷土料理のタジンできれいにしめたい。そこでホテルの前にあるレストランに入った。
そのレストランででてきたタジンきたものはタジンであってタジンでなかった。
タジン鍋に入ってはいるものの、それは肉と野菜を一緒にぐつぐつと煮込んだものではなく、ゆがいたじゃがいもとインゲンとニンジンがチキンの上にのっているだけ。味もないしマズイ。
例えばこういうことだ。スキヤキを注文したとしよう。そこででてきたのが、ゆでた牛肉とゆがいたじゃがいも、ニンジン、たまねぎといった野菜が器に入っているだけ。こんなのスキヤキじゃねぇ、って誰だって怒るでしょう?
レストランのおやじの慇懃な作り笑顔がなんかイヤーな予感をさせたのだが、残念なことにその予感は当たってしまった。
おやじに文句をいってやろうかと思ったがそのときにはおやじの姿はなく気の弱そうなお兄ちゃんが店番をしていた。
モロッコ人が毎日食べるタジン。こんなまずいタジンあんたら食べないだろう?それをお客に出しちゃいけねぇよ。
タジンにはモロッコ人のソウルが入ってんじゃねぇのか?
ごめんなさい。善良なモロッコ人。親切にしてくれたモロッコ人。やっぱり僕はこの国が好きになれそうにありません。(昭浩)