11月18〜11月30日
9時発のフェリーに乗る。出国スムーズ、簡単、うれしい!
いよいよ大嫌いなモロッコを去り、大好きなスペインに戻れる。
しかし実際にはなかなか出発しなかった。最後の最後までしつこいな、モロッコは。
でももう出国したもんねー。余裕で日記書いたりしていた。
船が動き出すとちょっとやばい感じがした。
揺れるのだ。寝てれば大丈夫だろうと思って、1人で横になれるところに行った。眠くはないので横になってるだけ。
でもずいぶんマシだった。行きよりも揺れてる感じ。他の人たちもちょっとやばそうだった。
アルヘシラスに着くと、駅で早速ボカディージョ(バケットのサンドイッチ)とセルベサ(ビール)を注文した。
うまい!
パンはちょっとかたいが、やっぱりスペイン最高と思う。(映子)
1ヶ月ぶりに飲んだビールは苦く感じた。夢にまで見た生ハムのサンドイッチは、パンが固かった。
それでもなんだか幸せ。今日から大好きなものが食べられるし、ビールもおいしいワインも飲める!
電車の乗り換えのために行ったマドリッドの駅のレストラン。そこの定食。なんてことない普通のセットメニュー。それにも感動。
ごく普通のグリーンサラダ、それに焼いたサーモン。どちらもモロッコではありえないメニューだ。さらに赤ワインが1リットルほど当然のようについてくる。これもモロッコではまずありえない。スペイン、ブラボー!そんな気分だ。(昭浩)
電車の簡易寝台の寝心地は悪くなかったんだけど、私は興奮しているのか、あまりよく眠れなかった。
7時半到着の予定が、もう8時になっても着く気配なし。座席を元に戻して、再び眠ってしまった。そして電車がビルバオに着いたのは9時だった。
駅に着いたとたん、寒い!と思った。
前回は夏から秋にかけてだったのに、今はもう冬なのだ。
ビルバオの寒さは結構厳しそうだ。道行く人たちもみんな冬支度である。
地下鉄に乗ってクルセスへ向かう。久々にお家に帰る気分だ。
フリアンが鍵を1階のバルに預けておいてくれたので、それを受け取って、フリアン家に入った。
「ただいまー」と思わず言ってしまう。我が家はやっぱり落ち着く。そういう感じ。
あきちゃんは早速シャワーを浴び、私は洗濯をした。
2時半ごろ、バルをはしごするフリアンを待ち伏せしようと、ダニーのバルへ行った。
そこの奥さん、イラチェは前回来たときもお腹が大きかったけど、今月はいよいよ臨月だ。それでも元気に働いている。すごいなあ。
フリアンとポジョは3時過ぎに現れた。しばし再会を喜んでいた。が、悲しいニュースがあった。
病気で寝たきりだったポジョの奥さんが、私たちが去って1週間後になくなったのだそうだ。
ポジョは私たちにそのことを言うと、思わず涙ぐんでしまった。
フリアンは、病気のままずっと生きていることのほうがつらいだろうというようなことを言っていたが、それでもやっぱりポジョは奥さんに生きていて欲しかったんだろうし、とても愛してたんだなあと思う。
夜はイニャキも加わって、5人でバルをはしごした。
私は久々なので、ビールにしておいたが、あきちゃんは気合を入れてか、赤ワインを飲み始め、最後にはふらふらになって、晩御飯もほとんど食べれずに、寝てしまった。
フリアンは、今朝弟の子供が生まれて、しかも私たちが来て、ダブルでうれしいようで興奮気味だった。(映子)
今日は海洋博物館がオープンする日だそうだ。
造船所で働くフリアンにとっても特別な思い入れがあるようだ。
博物館の中には今日はプレスの人しか入れないが、外でイベントがあった。
7時半にポジョと待ち合わせして、ビルバオへ向かう。すでにたくさんの人が来ていた。
そこには一番古い船や、王の父がイタリアへ亡命したときの船など、いろんな船があった。
そしてフリアンやポジョが昔働いていた場所も見た。ここで鐘をならしてから仕事を始めたんだよ、とか、これが海の中をきれいにする道具、とか、フリアンがいろいろ教えてくれた。
それからそこで、花火が上がるのを待った。ポジョは落ち着きなく歩き回る。
30分くらい待っただろうか?BGMがクラシックから激しい曲に変わったと同時に花火が上がった。
いろんな色のライトでの演出もあったけど、やっぱり花火がきれいだった。
花火を見たのは、ベトナム、ハノイのテト以来だなと思った。あのときもすごく幸せな気分で花火を見ていたけど、今回も大好きなスペインのビルバオに帰って来れて、フリアンとポジョと一緒にこうやって花火を見れてなんて幸せなんだ、と思った。(映子)
「カストロ」と聞いて何を思い浮かべるだろう。たぶん多くの人は、キューバのカストロ議長を思い出すことだろう。が、しかしそうではない。ビルバオの近郊にカストロという町がある。
そこは「Muy bonito castro(とてもきれいなカストロ)」と歌に歌われているくらい、風光明媚なところだそうだ。
フリアンの元奥さんのベゴニアがそこに住んでいるということで、今日はそこへ遊びに行った。
実は、モロッコではラマダンだったため胃が小さくなっていたのか、スペインに来て、かなり食べまくり、飲みまくり生活が続いた結果、胃の調子が悪くなってしまった。
昨夜は胃が痛くてあまり眠れなかったし、食欲もなくて下痢で、外出するのはあんまり乗り気ではなかった。
フリアンが、「やっぱり今日はやめとこうか」なんて言ってくれないかなあと内心思っていた。
でも実際のところは、行ってよかった。
カストロは確かにとてもきれいだった。海が、ビーチが、そして教会や細い路地など、クルセスよりこじんまりしていていい感じである。どの部屋からも海が見えるベゴニアの家も素敵だった。
何よりも良かったのは、ベゴニアに会えたことだと思う。
先生である彼女は好奇心旺盛で、大きな目をさらに大きくくりくりさせながらいろんなことを聞いてくる。
「日本って、東京ってどんななの?」「年輩の人は何をしているの?」「今まで出一番良かった場所は?」などなど。
そして笑うと子供のようにかわいい。そんなに明るくてよくしゃべる彼女だけど、実は悲観的な性格なのだそうだ。いつも悪いように考えてしまうのよ。と言っていた。
フリアンと彼女は別れてしまったけれど、今でも仲がいい。どうして別れちゃったんだろう?
それは、ずっと聞けないでいる。時々気になってしまうけど、フリアンが、別れても電話したり、会ったりするのはNo Problemaだと言うし、いい人はいい人だと言うので別れた理由なんて気にしないでいた方がいいのかな。それは二人の問題だしね。
フリアンと二人で行った旅行の話もとても楽しそうにしてくれた。
別れ際に、「私はここにいるからいつでも来て」というようなことを言ってくれた。
また、ここに戻ってきたら会いたいな。今度はもっとスペイン語うまくなって・・・。(映子)
朝は思いっきり寝たいだけ寝る。毎晩飲み歩いているせいもあって、朝の寝起きは超悪い。
軽く朝ごはんを済ませると、買い物に行ったり、シャワーを浴びたりして午前中はのんびり過ごす。
ただニエベのパン屋でパンを買うことだけは忘れない。
2時ごろ、バルへと向かう。前回の滞在中は昼の飲み歩きは参加してなかったが、今回は初日にバルでフリアンを待ち伏せてから毎日のように一緒に飲み歩いている。昼も夜もアルコール漬けである。アルバセーテから3ヶ月ぶりに帰ってきたフリアンの弟、ビッキーも一緒だ。もちろんポジョとフリアンもほどなくやって来る。
だいたい5.6軒はしごしてから家に帰って昼食。昼食はいつもビッキーとフリアンと4人で食べる。
ビッキーは少食だし、アルコールもフリアンほどは飲まない。同じ兄弟でも違うものだ。道理で彼はやせている。
昼のアルコールが効いてきて、眠くなったらシエスタだ。
朝もさんざん寝たのに、アルコールのおかげか、またぐっすり眠る。
あきちゃんなんかいつも起こさないと起きない。いつまでも寝ている気だ。
私は日によってシエスタをしたりしなかったり。
シエスタを早めに切り上げて、フリアンと一緒に買い物に行くのも楽しい。フルーツや野菜を売ってるお店。いつもハモンとチーズを買うお店。そのたびに「夫はどうしたんだ?」と聞かれる。あきちゃんも一緒に行ったことがあるからだ。
「うん。シエスタ。今日もシエスタ。」と答える。
夜の飲み歩きは、9時ごろから始まる。
調子のいい日はずーっと赤ワイン。どうかな?と言う日はビール。途中でやばくなってきたらモストというノンアルコールのジュースみたいなのに切り替える。これはオリーブも入っていてなかなかうまい。
しかし私としてはスペイン人のようにずーっと赤ワインで通したいのだ。ただ、今回胃を壊したこともあって、無理はしないようにしている。
かなり幸せな気分で家に帰ると、おいしいフリアンの手料理が待っている。
あまりにも酔っ払ってしまった日は食べれないという悲劇も起こるが、たいていはさんざん食べて、さらに赤ワインも飲んでしまうのだった。(映子)
メキシコ行きのチケットを買いにフリアンの友達、ソニアがいる旅行代理店へ行った。実はこれが3回目。
おとといはソニアが休みで、昨日はチケットが取れたと思ったら、片道チケットだと入国できないと言われ、もう一度行くことになったのだ。
フリアンに他の旅行代理店も聞いて、先にチェックをしてきたが、値段は変わらない。ただ、片道で売ってくれるかどうかの違いのようだ。
ソニアの代理店へ行くと、「領事館に電話して聞いたら、片道チケットでは入国できないと言われた」と言う。そして往復にしても28ユーロしか変わらないと言う。
一度外へ出て考えた。カフェでコーヒーを飲みながら。南アフリカからスペインへ飛んできたときのように、片道でも大丈夫かもしれない。
また、空港で帰りのチケットを買わされたという話も聞く。
いろいろ考えた末、28ユーロしか変わらないんだったら買っちゃおうよ、ということになった。
ところが、いざ買うといったら、今度はエアポートタックスが帰りの分(捨てるチケット分)も合わせると2倍以上もするので、100ユーロ近く金額が変わってくることが判明。これには私もあきちゃんも大ショック。
再びカフェへ行って考えた。もうどうしていいかわからない。かといって他の代理店で買うのもいい案とは思えない。
私たちはついに腹を決めた。ATMでお金をおろして、再びソニアの代理店へ。
そうしてやっとチケットを購入することができたのだった。(映子)
今日もアルコール漬けの一日だった。
昼間はイニャキとフリアンと4人でドライブして、バルをはしごした後、お昼ご飯にワインを1本空けた。
そして、夜も飲み歩いて最後に飲んだのがモストだったか赤ワインだったかすらあやしい。夕食のときももちろん飲んだ。
フリアンは、メキシコに行ったときの写真を見せてくれた。今日が一緒に夜更かしできる最後の日なのだ。
もうそろそろ寝るのかなと思っていたら、バルでロン(ラム酒)のフィエスタがあるので行こう!と言われて再び出かけた。
週末とあって、バルは12時過ぎていても大賑わいだった。
ロン、またはロンベースのカクテルを注文すると、吹き矢ならぬ、吹き玉みたいなゲームを一回できる。それでもれなく景品が当たるのだ。私はオレンジ入りロン、あきちゃんはキューバリブレ、フリアンはロンストレートを注文した。
そしてゲームに挑戦。私は1回でうまくいった。まずはリュックをゲット。あきちゃんはヘタクソで、3回やってやっとうまく玉が飛んだ。フリアンも3回、しかも景品は一番しょぼいやつ。
「もう1杯飲もう!おごるから。」とフリアンが言う。ロンはアルコールが強いので酔いは回ってくるし、お腹はタポタポになった。でも楽しかった。
フリアンは、宗教の話をしていた。自分は信心深くないけれど、いろんな宗教を知ることはいいことだ。知らないで批判をするのは良くない。とか、そんなことをいっていた。
お互い酔っ払っていて、よくわからない部分もあるけれど、そんなときフリアンは結構いいことを言うと思う。(映子)
「今日は好きなだけ寝てていいよ。料理するときお皿も洗っておくし。」
と、フリアンは言ってくれた。それでなくても私たち、フリアン家では毎日好きなだけ寝ていたというのに。
9時半ごろ起きると、フリアンは新聞を買いに出かけて、チュロスを買ってきてくれた。カフェオレと共に3人で食べる。うまい!!
今日は最後の日とあって、昼の飲み歩きもフル参加だ。
耳の大きいポジョの友達も一緒で、3軒くらいは行った。
まだまだ行くのかー。イニャキのお兄さん、ミゲルのバルに2回も行ったのは覚えているけれど、後はどこをどう回ったのやら。
すっかり酔っ払ったままで、ユニフォームを着せられて(この辺もう記憶が点線でよくわからない)サッカー場へ。
アスレチック・ビルバオとレイシングの試合だった。前半早々にアスレチックが先制点。やったー!!と一気に盛り上がったのだが・・・。そのあと点を入れられて、その日の試合は負けてしまった。
雨が激しく降っていた。私たちの強運もここまでか。すべては夢の中のようだった。
フリアンは、「勝つこともあれば負けることもある。」と言ってくれたが、やっぱりちょっと気分は堕ちる。
「君たちがいればきっと勝つ」みたいに今まで言われていたし、9月に見た試合も先週の試合も勝ったのに・・・。その後イニャキともあっさりお別れ、なんだかさみしい。
夜は最後の飲み歩きで、ダニーのバルの夫婦といつも飲んでる近所のイレーニ夫妻とコルテイングレスで働いているハビエル夫妻そしてポジョにもお別れを言った。
「俺が生きている間、20年以内にまた来い。」というようなことをポジョは言ってくれた。
夕食は、アルバセーテから戻ってきたフリアンの両親と一緒に食べた。久々の家族団らんにお邪魔させてもらったのだ。
どこの家庭でもお母さんはなにげに強くて、お父さんはあまりしゃべらないけど威厳があるなあと思った。
お母さんは、みんなに料理を取り分けてくれるのだけど、ビッキーやフリアンが「もうそのくらいでいいよ。」と言っても「もっと食べなさい。」みたいな感じで、たっぷり入れるのだ。2人ともお母さんにはかなわないなあという顔をしていた。
フリアン家に戻ってから、フリアンにお別れを言ってハグした。
フリアンは、「今回またここに戻ってきてくれてありがとう。」と言ってくれた。その後布団に入ると、急に寂しくなってきて、私は涙が止まらなかった。(映子)
小学校5年生から6年生になる春休み、僕は兵庫県から埼玉県の小学校へと父の仕事の都合で引越すことが決まっていた。
3学期がもうすぐ終ろうという日、先生から僕が転校するということをみんなに知らせた。
その時不覚にも泣いてしまった。クラス全員の前で。
悲しいとか寂しいとか、そういうのが襲ってきたのではなく、急にやってきて止められなかった。
その日以来、僕は笑って胸をはって手を振って別れよう、そう思って今にまで至っている。
泣かない、つもりだったのだが、その日以来、泣けない人間になってしまった。
最後の日は一日中切ないニュアンスがずっとついてまわったのに、いろいろなこと、酔っ払ったり、サッカーみたり・・・そんなことが淡々と進行していった。
翌朝、朝の5時すぎに起きて、仕事に出かけるフリアンを見送った。
ベランダの上から、フリアンに大きく二人で手を振った。それがお別れだった。(昭浩)