4月13日〜4月18日
ピサン(3200m)→マナン(3540m) ロウワーウェイ(下の道) 6時間20分 19.9km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ピサン (1:30) ノロダラ・峠の茶屋 (1:20) ホンデ (1:40) ムングジ (0:25) ブラカ (0:35) マナン
まだ、少し頭が痛い。 キリマンジャロ5800m、モンブラン4800m、ボリビアの世界最高度のゲレンデ・チャカルターヤスキー場4800m、これだけ高いところを経験しているのに、たかだか3200mで高山病!情けない。本当は認めたくない。とてもショックだった。 ここピサンと次の目的地のマナンは、それ程高度差もないし、頭痛も多分大丈夫のレベルだったので、出発することにした。高度に慣らすことも考えて、ゆっくりゆっくり登る。そして、疲れたら休む。無理はしない。歩いているとよく会うベルギー人のおじさんたちやイスラエル人の若者男女が追い抜いていく。6日もトレッキングをしていると、大体のトレッカーは、顔見知りになる。みんな宿泊する村は、大体一緒なので、ほぼ毎日、同じ人たちと何度も顔を合わせることになる。そうなると自然に親近感がわいてくるものだ。トレッカーの約半分は、イスラエル人。次に多いのはヨーロッパ人。全く合わないのが、アメリカ人と日本人。海外旅行をしているアメリカ人は、9月11日のテロ以来、アメリカ人であることを隠して、カナダ人と言う人が多いと聞いたことがあるがそのためだろうか。アメリカ人は、敵が多く、あまりよく思われていないようだ。 愛想の悪いフランス人や性格の悪いネパール人もいるが、だいたい道中で会えば、挨拶をかわす。みんな目的は同じなので、「みんなで、がんばって、最大の難関トロン峠を越えて、アンナプルナ一周しようぜ!」みたいな妙な連帯意識を感じる。
ピサンからしばらくなだらかな登りが続く。後ろを振り返ると、ピサンピークのなだらかなピラミッド型の稜線が見える。ここは、比較的簡単に登れる6092mの山だが、何年か前にここに登った日本人が、登頂後、高山病で亡くなっている。 なだらかな登りを1時間30分程のぼったところで、峠の茶屋が1軒。ここから、飛行場のあるホンデの方面が見下ろせる。そこから少し下ったあとは、ほとんど平坦な道がつづく。ホンデの村あたりからは、アンナプルナ3(7555m)が見える。 平坦なトレイルのいいところは、人と話をしながら歩けるところだ。ヒマラヤの大きな山々に囲まれているのに、僕たちが歩きながら話していることといったら実にくだらなく、非生産的な会話なのである。 例えば、振り付け当てクイズ。これは、歌の振り付けの一部を披露して、それを当てるというものだ。シブガキ隊や荻野目洋子、ピンクレディなどちょっと時代を感じさせるものばかりになってしまうが、これはなかなか盛り上がる。さらには、ドラマの名セリフをお互いにいいあったりもする。よく出てきたのは、金八先生もので、「俺たちゃ、腐ったミカンじゃねーんだ!」とか光一平の名セリフ「僕、加藤君のことが好きだ」とか言い合って、勝手に盛り上がっている。その勢いでモノマネ大会をふたりでしようということになったが、ふたりとも絶望的にモノマネが下手なので最初の2分くらいで盛り下がってしまった。と、そうこうしているうちに、マナンに着いてしまった。 マナンの宿「トロンラ ホテル」の206号室は、三方向が窓に囲まれガンガプルナと時折ダイナミックな雪煙をあげて崩れる氷河を正面にみることができるすばらしい部屋だった。
マナンの宿「トロンラ ホテル」の206号室は、三方向が窓に囲まれガンガプルナと時折ダイナミックな雪煙をあげて崩れる氷河を正面にみることができるすばらしい部屋だった。
窓からの風景は、フランスのシャモニーから見たアルプスの風景にも似ている。最初マナンの村に足を踏み入れたときは、その荒涼とした風景に寂しさを覚えたが、慣れてくるとなかなかいいところだ。
高山病の頭痛はすっきり消え、調子がよくなった。体調がよくなったので、夜10時すぎまで映子と花札をやって夜更かしをした。映子は、少し風邪気味のようだ。僕は、日焼けした顔が暑くて痛い。(昭浩)
ほとんどのトレッカーは、ここマナンで1日高度順応のため滞在する。僕たちは、その1日を利用して、高度に慣らすため、マナンより何百mか高いところにあるアイスレイクまでミニハイキングに出かけることにした。
実は、朝起きたら頭が痛かった。高山病復活である。だから、今日予定していたミニハイキングは中止しようということに、一時はなったのだが、朝ごはんを食べているうちに、頭痛が治ったので予定どおり行くことにしたのだ。
アイスレイクは、アンナプルナの主稜峰とは、マナンのある谷間を隔てて反対側の小高い丘の向こうのほうにある。地図にのっていないので詳しい場所はよくわからない。宿のお兄ちゃんの指差す方向に行ってみることにした。川を渡り、ポチョゴンバの横をすり抜ける。3000mを越えているせいもあって、登りはちょっときつい。坂も急だ。あそこの丘を越えればアイスレイクが見えるだろう、と思って、やっとの思いで丘の上までいくと、その上にさらに丘があって、またあそこの丘を越えれば・・・やっとの思いを何度も繰り返す。いつのまにか映子が僕の前を歩くようになり、そして、途中から気が狂ったように登りはじめた。高山病の症状で、気が狂ったような症状がでたら危険、というのをカトマンズであったおじさんに聞いた。ピサンピークで亡くなった人も登頂後、少しおかしくなって、その後亡くなっている。
「やばい!映子が狂った」と心配をよそに彼女はどんどん登っていく。そして、きょろきょろと見渡しては、何にもないよ、っていうしぐさをしている。どうやら狂ってはいないようだ。アイスレイクを見つけたい一心で、登っては探しているのだ。僕は、そのときかなりへたれていて、いい加減もう登りたくない、と思っているのだが、映子はとまらない。登っても登ってもアイスレイクは見つからない。地図をみるともう4500m近くまで登っている。鳥たちは、僕たちのずっと下を飛んでいる。出発して4時間もたっている。きりがないので、そこでアイスレイクをあきらめて、そこで昼食をとることにした。
僕たちの正面には、ガンガプルナ、アンナプルナ2、アンナプルナ3、アンナプルナ4が並んで見える。これらの山は、下の方からでも見えるが、不思議なもので、高いところに登ると、同じ山でも全然その風景が変ってくる。高度が高いところからみると、それは、より大きくよりその高さを感じさせる、ふところの深い山々に見えてくるのだ。そんななかで、ヤギすら登ってこない、誰もいない山の斜面で、僕たちは、クッキーをほおばり、持ってきたノートに絵を書いた。それは、至福の時間だった。
その日の夜、寝る前に、今日のことを思い返した。目を閉じると、誰もいない山の斜面での風景、そこからの眺め、・・・「多分、一生あの場所に行くことはないだろうな」と思うと涙がでそうになる、そんな場所だった。(昭浩)
「夜中、頭が痛くて目が覚める、または眠れないのは、高山病の初期症状です。」昨日のレクチャーでそう言っていた。
夜中、目が覚めた。頭痛だ。無駄な努力とわかっていながら水を大量に飲む。しかも眠れない。1時間程、いろいろなことを考えているうちに、気が付いたら朝だった。でも、頭は痛い。本当は今日出発予定だったが、もう1日マナンに滞在して、高度に体を慣らすことにした。マナンに来て24時間以上たっているし、高度順応のための山登りもした。どうして、いまだに高山病の症状があらわれるのかわからない。
僕は、ボランティア医師のところへ行くことにした。ダイアモックスという高山病に効く薬をもらうためだ。クリニックにいくとアメリカ人医師がとにかく中へ入れと言う。
「どんな感じだ?」と効くので、頭痛や少し下痢気味だと話した。そして、血圧と血中酸素濃度(高山病というのは、血液の中にどれだけ酸素があるかが重要なのだ)を測ってもらった。血中酸素濃度は、地上で100%としたとき、僕が88%、映子は、90%。これは、かなりいい値のようだ。僕らの登る、高度5400mでは、地上の半分くらいの空気しかなく、高度順応できない人のなかには、血中酸素濃度が50%くらいの人もいる。結局のところ、僕は高度順応していたってことだ。
ダイアモックスだけ買って帰ろうとしたら、「支払いはカードにするか?それともキャッシュ?」といってきた。「はて?ダイアモックスは、1ドルだし、診察料は、寄付で50ルピー(86円)と同じ宿のイギリス人達は話していたから、カードなんてまず必要じゃない額なのになぜそんなこと聞くんだろう」と思って、「もちろんキャッシュで」と答えたら、「2200ルピー」って言ってきた。実は、診察料は30ドルだった。その値段の高さにふたりとも硬直してしまったが、なんとなく「ここの診察料は、ドネーションではないのか!」と問いただす雰囲気でもなかったので、しかたなくカードで支払った。診察料の30ドルは痛かったけど、これで何の憂いもなくさらに高いところへ登れるってもんだ。
その日の夕方、映画を見た。こんな田舎町には、もちろん映画館はない。多分ビデオCDをテープにダビングしたものを17インチのテレビに映して見るものだ。一応、映画館のように、ミニシアターっぽくイスが置いてあるのだが、なにせ、17インチだから、近くまでいかないと見えない、そんな映画館だった。僕らは、「INTO THIN AIR」という本にもなっている実際にあったヒマラヤ遭難の話の映画を見たかったのだが、欧米人カップルのゴリ押しで「キャラバン」というフランスとネパールの合作映画をみることになった。その欧米人の女性の方は、「INTO THIN AIR」を見に来た僕らと他の観客に「INTO THIN AIRは、ハリウッド映画でアクションばかりでつまんないけど、キャラバンのほうは、フランスとネパールが作ったすばらしい映画よ!私は両方みたことあるけど、絶対キャラバンの方がおもしろいよ」と説得してまわったのだ。
その映画は、おもしろかったけど、ヒマラヤに住む人にスポットがあてられ、美しいヒマラヤの映像を期待していた僕にはちょっと不満であった。映画が終わった後、「よかったでしょう?」と聞かれたが、僕は何も答えなかった。無視したつもりは、なかったが、満足していないのに、Goodというのも変だし、こういう時は、「so
so(まあまあ)」と答えるべきかなあ、と考えているうちに、相手のほうが立ち去ってしまったのだ。しかし、ここでは何もすることがないので、いいヒマつぶしにはなった。(昭浩)
マナン(3540m)→ヤクカルカ(4018m) 5時間45分 10km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
マナン (2:20) グンサン (2:40) ヤクカルカ
昨晩は頭痛で夜中に起こされることは、なかったが、そのかわり、おしっこで夜中目が覚めた。ダイアモックスは、利尿作用があるためこれはしかたない。それでもよく眠れたので調子はいいようだ。
マナンを出発して、高度に体を慣らすように、ゆっくりゆっくり登る。足りない酸素は、その高度で補給すること。これは、高山病対策の鉄則だ。はじめ、高度順応のため、マナンより400m高いグンサンで1泊するつもりだったが、あまりにも、早く着いてしまったので、もう少し上のヤクカルカを目指すことにした。マナンから5400mのトロンパスを越えるスケジューリングとして、3つある。ひとつは、マナン(3540m)を出てグンサン(3900m)で1泊、レダー(4200m)で2泊目、ハイキャンプ(4800m)で3泊目、そして次の日トロンパス(5416m)を超えるというもの。これは、一番高度順応が楽なパターン。しかし、時間をもてあましがち。山はきれいだけど、ちょっとヒマかも。2つ目は、1泊目でグンサンとレダーの間にあるヤクカルカ(4018m)というところで1泊して、トロンフィディ(4450m)で2泊目、その次の日にトロンパスを越える。3つ目は、1泊目ヤクカルカまたは、レダーに泊まって、2泊目はハイキャンプ、そしてトロンパスというパターン。僕の調子がよかったので、4日間かけて、トロンパスを越える予定を、3日間かけてトロンパスを越える予定に変更した。グンサンからは、しばらくなだらかな道が続くが、途中からアップダウンが多くなり、高度の影響もあって、かなりしんどいトレッキングだった。高度があがると、疲れ方もヘビーになるもので、ヤクカルカの宿についた時にはぐったりであった。
バテバテの映子が「あきの字ちゃんは、つらくないの?」と聞いてきた。
「つらいけど、つらかった過去のキリマンジャロやモンブランに登った経験が自分を後ろから支えてくれるんだよ。だから、アンナプルナを一周したら、その経験がいろんなときに映子を後ろから支えてくれるようになるよ。」と答えた。自分でもいいこというなあ、と感心していたが、映子は「ふーん」と言ってわかったようなわからなかったような表情をしていた。
ここも寒くてやることがないので、チャーメのときと同じでワットポーのマッサージを映子に施したり、花札をしたりして、時間を過ごした。東京にいるときは、仕事したり、人と会ったり、本を読んだり、インターネットしたり、テレビ見たり、やることが多すぎて、いつももっと自分の時間が欲しい、と思っていた。旅に出てからも、日記を書いたり、ガイドブックを読んだり、ホームページを作ったりで、持ってきた本を読む時間なんてなかなかとれないくらい忙しくしていたのに、突然、時間がたくさんできてしまうととまどってしまうものだ。昼間は暑いが、日が傾いて山の陰に入ると、寒さのため何もする気が起きないというのもある。荒涼とした、この谷沿いの村を越えて、トロンパスの向こう側に早く行きたい。トレッカーが多くて、宿泊施設も食事も充実しているトロンパスの向こう側は、今の僕らにとって、桃源郷のように思えてしまうのだ。(昭浩)
ヤクカルカ(4018m)→トロンフェディ(4450m) 5時間35分 10.2km(上の道)
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ヤクカルカ (1:05) レダー (2:20) デュラリ (1:35) トロンフェディ
「俺の目って細いだろ、だから、まぶしいのには強いんだよ。」
僕がいつも一緒に山登りにいっているパートナーは、そう言って、カンカンに晴れた雪山でもサングラスをかけない。目の細さが、まぶしさの感じ方にそんなに影響するとは、思えないが、その細目の友だちは、なかなか頭のいいやつなので、自信をもって言われると大変納得してしまうものなのだ。あいつならここでも細目効果で大丈夫なんだろうか?そんなことをぐるぐると頭の中で考えながら一歩一歩登っていく。
サングラスなしでは目が痛いくらいまぶしいヤクカルカからなだらかな登り道を登っていくと、すぐにレダーの町に着く。レダーを越えてすぐのところに、崖崩れがあって、そこで道は二つに分かれている。僕たちは、上の道を選んだ。看板に、「下の道は崖崩れや落石が多いので上の道を行け by ACAP(アンナプルナ管理事務所)」、と書かれている。それを信用した。しかも、たまたま牛をひいたおやじが上の道から下ってきているではないか。地元の人が通る道だからと確信をもって、上の道を行った。登りがつづく、登っても登っても続く。レダーとトロンフェディの高度差は250mだから、こんなに登るはずないのになあと思って、下のほうをのぞくと、他のトレッカーはみんな下の道を行っている。「しまったあ」と思ったが、ここまできたら上の道でいくしかないと思いそのまま行くことにした
途中から風が強くなった。このあたりは、午後になると強い風が吹くと本に書いてあったのを思い出した。登りが終わった所にあった小屋で休憩して、下の方に見えるトロンフェディの山小屋に向かって下る。途中残雪が残っていて、雪の斜面を横切っていくような箇所がところどころにあって怖い。間違って足滑らしたら、滑落して崖の下まで落ちてしまうようなところもあった。いったん河原まで下りた後、トロンフェディまでは、少し登る。山小屋はすぐそこに見えているが、あと50mくらいのところで、ふたりとも疲労のため、もう虫の息。こんな状態で明日のトロンパス越えは大丈夫かな。
宿に着いたのは13時30分。それからごはんを食べて…またやることがない。山の生活ってヒマだ。しかもここは、4450m。高度に体を慣らすためには、着いてしばらくは、眠らないほうがいい。高度になじまないうちに寝ちゃうと、呼吸数が減る睡眠中に高山病になってしまうことが多いからだ。眠くても昼寝もできやしない。疲れた男女が昼間っから山小屋で花札をしている。なんでこんなことしているんだろうって気がしてくる。
その日の夜、ケンカをした。そのケンカの発端は、僕がポーターを雇ったことだ。明日のトロンパス越えは、ここトロンフェディから約1000mも高い5400m以上もある峠を越えなければならない。4000m以上の高度での1000の高度差を登るってことがどれだけ大変かっていうのは、僕は知っている。空気が薄いため、息の切れるのも速いし、疲れるのだって尋常じゃない。日本の山での1000mの高度差とは次元が違うのだ。しかも、今回は過去の海外登山の時とは、違って、荷物が多い。頂上に行って帰ってくるだけの登山だったら、水だけもって、あと手ぶらに近い状態でいけるのだが、この峠越えでは、二人分の寝袋、二人分の衣類、コンピューターまで入った、20kg近い荷物をトロンパスの向こうまで持っていかなければならない。ほかのトレッカーのほとんどは、みんなガイドとポーターを1日10ドルずつかけて、トレッキング初日から雇っている。僕たちは、節約のため自力でここまで荷物を運んできた。せっかく、節約のため重い荷物をここまで運んできたのだから、ここ一番では、少々割高でもポーターを雇うつもりだった。問題は、その値段。なんと1500ルピー(2610円)。500ルピー〜1000ルピーくらいかなあと思っていたが、1500ルピーは高い。値段を交渉したが、相手は別にそれでイヤならいいよって感じだった。そういう欲のない相手が一番交渉しにくい。結局その値段でポーターをお願いすることにした。交渉成立した後、映子にそのことを話すと、
「1500ルピーは高いんじゃない?何で相手の言い値でOKするの?」
といってくる。僕が値切るのが下手なのを知っているくせして、しかも、交渉している横で本読んでいて、僕らのやりとりを聞いているのに、後からそんなことを言ってくる。
「じゃあ、交渉する前に言えよ!」って返すと
「まさか、その値段でOKするとは思わなかったもん」と映子。
僕としては、1500ルピー払っても、いや2000ルピーを払ってでも、荷物を持って欲しかったからOKをしたのだ。しかも、僕の荷物を持ってもらったからって、僕が担ぐ荷物がなくなるわけではなく、僕が映子の持っていたリュックを担ぐので、映子も手ぶらで明日は歩けるのだ。険悪な雰囲気のまま、トロンパス越えの前夜は過ぎていった。(昭浩)
トロンフェディ(4450m)→トロンパス(5416m)→ムクティナート(3800m) 9時間55分 18km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
トロンフェディ (1:00) ハイキャンプ4800m (1:10) ヤカワカングホテル5000m (2:15) トロンパス5416m (4:00) 茶屋
(1:10) ムクティナート
―圧倒的に山と雪に支配された世界。そこは、まぶしい光にあふれている…透明度を増した空気の中で、僕たちを囲む山々の雪が、亜熱帯の太陽を銀色に反射しあっている。これが、天上界と地上界の境界線の景観というものだ。―
朝4時半に起きた。ダイアモックスのおかげで高度順応はうまくいったようだ。でも下痢だ。これは、よくあることなので気にしない。下痢かどうかが重要ではなくて、我慢できる下痢か、我慢できない下痢なのかが重要なのだ。朝から2回も下痢のためトイレに行ったがまあ大丈夫だろう。胃の調子が悪いのか、くさい生ゲップがでる。でも、吐き気はないので、これも大丈夫だろう。アップルパンケーキを食べて、朝6時に出発した。高いお金を払ってお願いしたポーターのおじさんのおかげでとても楽だ。荷物の重さって重要だ。質量は、登山の場合、運動エネルギーと位置エネルギーにかかってくるから…なんて昔習った物理の公式を思い出そうとするがうまく思い出せない。山に登る時ってくだらないことをよく考えるものだ。「フエ フエ スースー」フエで吐いて、スーで吸う、この呼吸のリズムを乱さないようにゆっくり歩く。ハイキャンプまでの1時間は、急な登りが続く。キリマンジャロ登山を思いだす。しかし、キリマンジャロのときより体調がいいので、楽だ。
ハイキャンプに着いたら、またしても下痢のためトイレに行く。雪があってちょっと危なっかしい斜面を横切りながら、少しずつ高度を上げていく。昨日までの景色とは、全く違う景色だ。だってヒマラヤの山々が僕と同じくらいの視線で見えるんだ。そりゃ興奮するよ。アンナプルナサーキットで一番の難所かもしれないけど、一番の見所かもしれない。トレッキングといってもヒマラヤ登山の雰囲気が味わえる。
谷を下りてまた登るとティーハウスが見える。その向こうは、空だ。「なんだもうすぐ頂上か」と思い安心する。そのティーハウスの高度が5000mだから、も半分以上登ったことになる。しかし、その頂上かと思われたところに行くとまたその上に道がある。そんなことを精神的にかなりこたえるくらい繰り返す。あまり、峠の頂上のことは考えないことにした。
山登りをしていて精神的につらくなったときどうするか。20m先でも15m先でも、まあ適当なところに目標を定める。その定めた目標まで来たら、目標達成おめでとう!と心の中で叫んでガッツポーズをする。そして、次の適当な目標を定める。これの繰り返し。僕は、マラソンの時も同様なことをやっている。いちばんつらい25km地点から35km地点、この区間は、1kmおきにガッツポーズを繰り返している。つらつらいと思いながら登るとどんどんつらくなってくるが、つらい、ガッツポーズ、つらい、ガッツポーズ、だとつらさも軽くなるものである。その他にも、いくつかつらい時を乗り切るノウハウはあるが、それは、秘密だ。
しばらく、歩いていると、旗の飾りが見え、そっちの方から、歓喜の声が聞こえる。トロンパスだ。陽気なネパーリーのガイドははしゃいでいたが、ほとんどのトレッカーは、うれしそうだけど、疲れているため覇気がない。映子は、ほとんど口が聞けないほど、まいっていたようだが、トロンパスについて少しほっとしたようだ。11日かけてようやくたどり着いた。いつもスローペースな僕たちには、めずらしくモデルコースタイムと同じ4時間半でトロンパスまで登ってこれた。はじめ、「このボッタクリおやじ」と思っていたポーターのおじさんに対しても
「ちょっと高かったけど、あんたのおかげでここまで来れたよありがとう。」と感謝の気持ちでいっぱいになる。
下りは、なだらかな雪の斜面を下りていく。雪のおかげでひざへの負担は少なくていいのだが、慣れていない映子は、雪道にてこずっているようだ。だいぶ疲労も限界にきている。下りても下りても景色が変らない。トロンパスからムクティナートまでの下りは、高度差1500m以上あって、気が遠くなるほと長いことで有名だが、実際、発狂しそうなくらい長い。
「いつになったらこの下り坂は終わるんだ!」
途中絶望的な気分になる。ようやく、なだらかな斜面が終わって、急な下り坂にさしかかると、これまた、遥か遠く下のほうに、村が見える。外国の山は、大きい。そう感じる。高度も4500mより下りたあたりから、少しずつ疲れも回復してきたような気がする。空気ってありがたいものだって感じる。結局下りだけで5時間以上、今日トータルで9時間半かかってようやくムクティナートに着いた。疲れすぎて、何もできないし、する気も起きない。疲れすぎて、横になって眠ることもなかなかできない。しかし、その日の夜、むちゃくちゃうまい宿のカレーを食べたら少し元気が出た。映子は、乾燥した冷たい空気に喉をやられたらしく、ムクティナートに着いたときには、声が出なくなっていた。(昭浩)