4月19日〜4月27日
ムクティナート(3800m)→カグベニ(2800) 3時間15分 13km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ムクティナート (0:40) ジャルコット (0:45) キンガー (1:50) カグベニ
「!」
「やっ やばい!もしや…」
そおっとパンツに手を入れる。
「ん!」
やってしまったようである。
被害にあったのは、パンツだけで、その上にはいているタイツやズボンにまでは及んでいなかったため大惨事はまぬがれたようだ。安心もつかの間、大きなうねりがすぐに襲ってきた。あわててトイレに駆け込む。
「ブッ ブッ ブィーン ブウア ブ〜ウ」高度が高いためか、ガスがすごい。こじんまりとした木造りの宿に、夜中の二時ごろ、爆音が響き渡る。恥ずかしいけどこっちもやめるわけにはいかない。目を覚ました猫が、「ニャーオ、ニャーオ」と騒ぎだす。「宿の人たちは、目を覚まさないだろうか?いや、もうすっかり目を覚ましていて、このすごいサウンドを耳にしているんじゃないか?」そう思うとトイレから逃げ出したい気持ちになる。気が済むまで、出すものを出し終えた後、夜中にひとりパンツを洗った。
次の日の朝、ムクティナートの寺院に出かけた。相変わらず腹の調子は最悪だったが、1時間くらいだったら我慢できそうだったので、ヒンズー教とチベット仏教の聖地であるお寺にいった。ここは、ヒンズーのお寺と仏教寺がとなりどうしにならんでいる。ここの最大の見所は、仏壇の下の方で小さくゆらゆらと青く燃えている「聖なる火」である。湧き出る天然ガスによって、燃えているらしい。単なる炎だけど、「聖なる火」といわれるとありがたく見える。でも、それ以上に、「この火の管理ってだれがしているんだろう?火事は大丈夫なのだろうか?」そんなことを思ってしまう。
下痢だけど、次の目的地であるカグベニまで、強行することにした。ムクティナートからジャルコット、ギンガーまでは、歩きやすい下り道で快調だった。聖地ムクティナートへ続く道だけあって、サドゥーもよく見かける。
ギンガーの村から先は、岩石砂漠のような荒野の道だ。風が半端じゃなく強く、その風にさらされ続けながら歩くのがつらい。風をよけるようなところもなく、もくもくと歩くしかない。遠くまで道は見えているが、いくら歩いても景色が変らない。のどを痛めている映子は本当につらそうだ。そういう僕も風にさらされているうちにお腹の調子が悪くなってきて、それまであまりやってこなかった、下痢の腹痛の波がたまにくるようになり、その波はしだいに大きなうねりのように頻繁に押し寄せてくる。しばらく歩いては、お腹を抑えてかがみ込み、痛みがひいては歩き出す。「ここで、やっちまったほうが楽になる」と何度思ったことだろう。でも、この荒れ狂う風のなかで、超水下痢爆弾を炸裂させた時の自分自身へのダメージを考えたら、そうやすやすとはできない。我慢に我慢を重ねる。
カグベニに着いたときは、うねりは津波のように凶悪に僕に襲いかかろうとしていた。そんな状況で宿を選択する気持ちの余裕なんてものはなく、とにかくウンコができればどこでもいい、そう思って、一番最初に目についた宿に駆け込んだのだった。
夕方、体調が戻ってきたので、カグベニの町を散歩する。ここは、もともとムスタン王国として、ひとつの独立した国だったところだ。チベットでもなければ、ネパールでもない。もしかしたら、ブータンのようにひとつの国として秘境の王国として独立してたかもしれない。今はネパールの一部となり、外国人は高いお金をだしてパーミッションをとらないと中へは入れない。町の北の端まで行くと、ゲートがあって、それ以上は、僕らは進めない。カリガンダキ川が遠く続いている。何があるかわからないけど、とても惹かれる、その奥にあるムスタン王国。このカグベニでも、ムスタンを感じることはできる。土でできた古城なんかがあって、なかなか味のある町なのである。(昭浩)
カグベニ(2800)→マルファ(2670) 6時間20分 17km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
カグベニ (0:45) エクリバティ (2:20) ジョムソン (0:30) シャンゲ (0:50) マルファ
ムスタン王国を離れ、カリガンダキ川沿いに、ジョムソンに向かう。カリガンダキ川は、河原が広く、その広い河原のなかを川は、いくすじにも別れ、小さな流れをつくっては、また合流しては、ひとつの川として流れていく。その繰り返しだ。東海道新幹線から見える、大井川や富士川の河原を思い出させる石ころだらけの河原の道を歩く。10時を過ぎると風が吹き始めた。時間が経つにつれて、風は強くなる。昨日と同じだ。でも、今日は向かい風だからよけいつらい。鼻水がよくでる。のどもすぐかわく。休んでいても風は、乱暴に吹きつけてくる。風というのは、いたく人を消耗させるものなのである。無言でジョムソンまで歩いた。ジョムソンからは、ニルギリの山がよく見えた。ここで昼ごはんを食べ、相変わらず風は強かったが、また先に進むことにした。
マルファの町は、白い土壁の家々が並ぶ美しい街並み。見上げるとニルギリのピークが少しだけ顔をのぞかしている。白壁と石畳の細い路地とゴンパ、そしてりんご畑がその横にひろがっていて、落ち着いた雰囲気がある。トレッカーに人気の場所だ。このマルファでは、中庭に面していて、窓からニルギリが見える一番いい部屋に泊まることにした。なにしろ、映子は風邪でへたばっていたし、僕もかなりの時間、強風にさらされて疲れていたからだ僕たちは、宿について、体を洗い、洗濯をし、休むことにした。疲れたときは、快適な部屋でゆっくり休むに限る。
僕たちは、アンナプルナサーキットをトレッキングした後、エベレストのふもとに向けてさらに3週間に及ぶトレッキングを計画していた。でも、やめることにした。もともとエベレストを間近で見ることは僕の夢でもあり、それを今回断念するのは、勇気のいることだった。しかし、今回のトレッキングでふたりともかなり疲弊していたし、なによりもこれから先の天気のことが心配だったからだ。
アンナプルナを周っていて、チベット側の山の天気は安定していいのだが、ネパール側は、雲が出るのが早くだいたい午後には、雨が降る。暖かくなるにつれて、雲は多くなってくる。そう考えた時、つらい思いをして、雨にうたれながらトレッキングを続けて、山が見えないととても残念だし、それだったら、ベストなシーズンにいったほうがいいんじゃないかって思ったのだ。しかも、ずっとヒマラヤを見ていて、山を見飽きがちにもなっているので、新鮮な感覚でエベレストとそのまわりの山々をパノラマビューで見たいなあ、と思ったため、エベレスト行きをやめることにした。
山との出会いにもめぐりあわせってものがあると思っている。今は、行く時期ではないのだろう。朝8時ごろから約1時間続いた、僕たち二人の家族会議では、以上のような事が決まったのだった。
今日は、予定を変更してここマルファでゆっくりすることにした。マルファの町は30分もすればひとまわりできてしまう。なので、その日はゴロゴロ部屋で寝て過ごす。マルファ名物のドライアップルを食べ、りんごワインを飲み、バフステーキで景気付けをして、次の日の出発に備えた。(昭浩)
マルファ(2670)→ラルジュン(2550) 3時間15分 12.4km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
マルファ (1:35) トゥクチェ (1:30) ラルジュン
1日休めば、かなり体は楽になる。映子の風邪もかなり回復したみたいだ。カリガンダギ川沿いの道を進む、アップダウンはほとんどない。しばらくするとトゥクチェの村だ。この村もいい雰囲気のある村だったが、フレッシュアップルジュースだけ飲んで、ラルジュンに向かう。
トゥクチェの村を越えて少し歩いた所で河原に出る。丸太の橋を渡ると道は2つに分かれる。崖沿いの道と河原沿いの道。少し迷ったが、アップダウンの少ない河原沿いの道を行く。途中から、崖沿いの道のアップダウンを行きまた、河原の道を歩いていく。ダウラギリがだんだん見えてくる。これも8000m以上ある山だ。小石が河原いっぱいに広がるその中を歩いているとどこがラルジュンの村かよくわからない。河原にせり出したゴンパがあって、その近くに木橋が見えたので、河原の道から村の方に向かう。
予想通り、そこは、ラルジュンの村だった。トゥクチェピークとダウラギリがどーんと目の前にそびえる。カリガンダギ川の向こう側には、ニルギリも見える。まだ、朝の11時前だったが、景色がバッチリいいラルジュンで、今日はステイすることにする。
ラルジュンで泊まる人は、少ないので僕たちだけかと思ったら、何人かの欧米人があとからチェックインしてきた。さらに、横笛で「上を向いてあるこう」を吹く、日本人の青年が現れた。トレッキングをはじめて、今日まで日本人を一度も見なかったので、なんかうれしくなって、いろんなことを話しているうちにその日はあっという間にすぎていった。横笛くんは、インドのヴァラナシに2ヶ月半いて、いろんなことが自分の中でつながった、と目を輝かせていっていた。「いろんなことがつながる?」どういうことだろう?ブッダのように悟りを開いたってことだろうか?とにかく、彼は自分の進むべき道が「見えた」といっていた。「見えた」24歳と「見えてない」34歳。24歳のほうは、笛だって吹ける。僕も何か「見える」のだろうか?
横笛くんに、夫婦で旅するのっていいですか、とたずねられた。答えながら思ったんだけど、ひとりで旅をするのとふたりで旅をするのってちょっと種類が別もののような気がする。ひとり旅って、自分の気持ちや言葉を自分の心の中におとして、しみこませていくことの連続なのに対して、ふたりで旅するってことは、気持ちや言葉を相手とシェアしていくことの連続じゃないかって思う。それは、どちらも重要なことであると思う。彼には、
「ふたりで長く一緒に生きていくのであれば、このような長い旅は、これから先とても大きなふたりの財産になると思うよ。」と僕は答えた。彼は、「ふーん」と頷いていたが、ひとり旅をしている人から見ると、ふたりで旅している僕らは、どのように映るのだろうか?(昭浩)
ラルジュン(2550)→ギュウマウネ(2100) 3時間35分 13km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ラルジュン (2:15) カロパニ (0:20) レテ (0:50) ギュウマウネ
ラルジュンからまた河原沿いにでて、河原を歩く。ラルジュンに来るまでは、広い小石の河原の中にトレースなるものがあったのだが、ラルジュンから先は、ない。あるにはあるが、無数にあって、どれも途中で途切れる。どこが道だかよくわからない。適当に小さい流れを、迂回し、渡り、そういうことを繰り返す。僕たちは、つり橋を渡らず、その手前のロバたちが通る、丸太の橋を渡り、そこから少し登った所でようやくきちんとした道と合流した。急な坂を登って、下ると集落があった。集落を越えて、川沿いに進み、つり橋を渡ると、カロパニの村だ。カロパニは、きれいなロッジが並び、眺めも良さそうだ。ちょうど雲がかかっていてよくわからなかったが、たぶんニルギリからアンナプルナ1、アンナプルナサウス、ダウラギリなんかが眺望できるんだと思う。カロパニで泊まるという案もあったが、次のレテの村までいくことにした。カロパニからレテまでは、20〜30分くらい歩いたところで宿やお店がポツポツと並んでいた。レテに泊まろうと思って、何件か宿を見せてもらったが、どれもボロで居心地悪そうだったので、結局あきらめて、先を進むことにした。
レテを過ぎると急な下り坂を下る。ナマステロッジのところでつり橋をわたる。渡った先から続く道は、土砂崩れで少し危険なところもあったが、どんどん先に進む。映子が少し疲れてきたようだ。病み上がりだからしかたがない。山道の途中に一軒だけあったレストラン兼宿に泊まることにした。そこの宿は、しばらく泊り客なんか来ていなかったといった風で、部屋を見せてほしいといったら、驚き、慌てて部屋を掃除をしていたぐらいだ。部屋もこれまで泊まったロッジといったものではなく、さびれた木作りの山小屋だった。でも、疲れていたので、そこに泊まることにした。もちろん泊り客は僕たちだけ。そこで、昼ごはんを食べると、またヒマになってしまった。映子は、眠る。僕はラルジュンで充電したパソコンに向かってHPをつくる。せっかくヒマラヤのふもとまで来ているのに、昼間っから、部屋で何をやっているんだろう、と思ったり、いい景色の見える環境のなかでHPを作るってのも、まあいいもんだなあ 、と思えたり、そんな1日だった。ネパールにも花粉症があるのだろうか、ここに来て急に、目がかゆく鼻水がでる。(昭浩)
ギュウマウネ(2100)→タトパニ(1190) 7時間25分 20km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ギュウマウネ (0:20) カイク (0:20) ガーサ (0:50) 滝 (0:50) ダナ (0:50) タトパニ
早朝、アンナプルナ1のピークが見えた。このトレッキングではじめてみる1峰である。この山は、形はあまりかっこよくないが、それでもこのアンナプルナ山群の中では、最も高い山、しかも8000m峰なので、見てみたいなあと思っていただけにうれしい。さびれた山小屋だったけど、泊まった価値はあったようだ。山道を下りていく、カイクの村を過ぎ、ガーサの村に来た。ガーサの村は、宿も充実していた。ここに泊まればよかったかなあ、と少し後悔したが、いやいや、ここからでは、アンナプルナ1は見えまいと、思い直した。
ガーサから下っていった所のつり橋を渡る。渡った所から、崖沿いの道を登って下りると何軒かレストランがある。そこから、急な下り坂を下っていくと滝が見えてくる。また、つり橋を渡り、登って下りると滝の下に出る。滝からさらになだらかな坂を下っていくと、道がふたつに分かれる。上の道は、がけ崩れで通行不可となっているので、急きょ、河原沿いの道ができたというわけのようだ。下の道は、道というより、河原沿いの大きい石の合間を縫うように進む。
ダナの村に着いた。ここで一泊するつもりだったが、よさそうな宿が見当たらないので、一気にタトパニまで行くことにした。途中で雨が降ってきたが、構わず進む。崖っぷちにある素彫りのトンネルを越え、「処女峰アンナプルナ」で有名なミスティコーラとの合流点を越えたら、タトパニの村が見えてきた。
タトパニは、ネパール語で「熱いお湯」という意味だ。その名の通り、ここは、温泉で有名。河原沿いにあるプールのような温泉につかる。入浴料10ルピー(17円)徴収しているだけあって、きれいだ。しかも、熱い。僕らにとっては、ちょうどいい温度だが、外人にとっては、少し熱いようだ。しかし、これくらいで熱い熱いと言ってもらっちゃ困る。彼らに、東京下町の銭湯の熱湯を体験させてあげたいもんだ。ゆっくり温まったあとは、ポップコーンをつまみにビールを一杯やる。雨もやんで、ニルギリがきれいに見える。最高に幸せな気持ちだ。(昭浩)
タトパニ(2100)→ラトパニ 1時間 5.5km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
タトパニ (1:00) ラトパニ
今日は、1時間程の行程なので楽だ。崖っぷちのアップダウンの道を過ぎて、2つのつり橋を越えると、プーンヒル方面との分岐点がある。そこを過ぎるともうすぐそこは、ラトパニの村だ。
ラトパニは、小さな集落で宿も2、3軒しかない。この村にも温泉がある。無料ではあるが、水はあまりきれいではない。温泉は、タトパニのほうが全然いい。地元の子供たちと一緒に入って、温まる。温泉からあがってもまだ正午にもなっていない。なにもない、ツーリストもいないこの村で今日一日何をすればいいのだろう?(昭浩)
ラトパニ→ラフガード(1187) 8時間15分(内1時間30分雨宿り) 18km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ラトパニ (2:00) ティプリャン (0:55) ベガコーラ (2:50) ラフガード
朝7時に出発する。いつもより少し早めだ。しかし、はじめに着いた村のあたりで道を間違えてしまい、30分程、ウロウロしてしまった。道に迷っている間に雨が降り出した。ティプリャンの村を過ぎたところで雨が降ってきたので、そこで雨宿りすることにした。
雨宿りしたパン屋で、子供たちの写真を撮る。デジカメの画像を見て興奮している。どうやら、自分がテレビカメラにでも映っているような錯覚に陥っているみたいだ。そして、何人かの子供がいたら必ず1人は、いろんな派手なアクションをしはじめる。腕をまわしてみたり、首を振ってみたり、さらには、カメラのレンズに近づいてきて、汚れた手でレンズに触りだす。ずっと、同じようなことを飽きずにやっている。
次に、映子が得意の折り紙で鶴を折ってあげると、これまた子供たちはとても喜んでいた。ネパーリーの女の子も負けじと舟やらやっこさんやらを折り始める。しかし、ネパーリーは、折り紙を折るとき、決して角をきっちり合わせるということをしない。少しずれていても気にせず折っていく。国民性の違いがこういうところにもでるもんだ。
ちょっとうれしかったのは、ここの子供は、お金やペンやアメをねだってこない。トレッキングをしてくると「ナマステー 1ルピー」とか、「ペン」「スウィート」とか言ってくる子供たちに多く出会う。それを聞くとちょっとさみしい気持ちになる。それは、もとはといえば、トレッカーが悪い。山のなかで、アメなどを子供たちにばらまいているヨーロッパ人をよく見かける。子供に囲まれてご満悦なのはいいが、子供たちはそれが癖になる。それは、よくないと思う。そういうふうに言えば、お金やペンやアメが簡単に手に入ると勘違いしてしまう。ぜひ、やめてほしいものだ。
雨が小ぶりになったので、行くことにした。少し歩いて、素彫りの崖の道を越え、つり橋をわたるとベガコーラの村だ。ベガコーラから、ラフガードまでは、ところどころ土砂崩れで道がなくなっていたりして、「えっマジ?」といいたくなるようなところを通っていく、いやよじ登る。途中道が広くなって、少し進むと、小さな橋がかかっている。そこを渡るとラフガードの村だ。今日はここに泊まることにする。(昭浩)
ラフガード(1187)→ラフガード(830) 1時間 6.6km
コースタイム(休憩、昼食の時間は除く)
ラフガード (1:00) ベニ
朝ゆっくり出発する。車が通れるような広く平坦な道を歩く。そのうち、バスは、ラフガードまで来れるようになるのだろう。1時間も歩けば、ベニの町に着いてしまった。ここが、トレッキング最終地点。ゴールである。ビールとチキンチリで乾杯だ。終わったというより、早くポカラに行きたいという気持ちの方が強い。
ポカラ行きのバスは、早朝6時ごろから1時間おきくらいに出ている。僕らは、朝9時のバスに乗る。バスは、チケットブースでチケットを買う。そのとき、座席番号を指定されるのだが、ネパール人たちは、おかまいなく座ってくる。席をとられた欧米人は、席を空けるようにいっていたが、ネパール人たちは、一向に動かない。こういう時は、先に座っているほうが強い。結局、欧米人たちは、バスの屋根に上っていった。
約5時間かかって、ネパール第二の町ポカラに着いた。ここは、以前とあまりかわっていなかったが、やはりゲストハウスやレストランが増えている。特にレイクサイドは、より観光地っぽくなっていて、湖にボートを浮かべ、毎日その上で絵葉書を書いていた頃の田舎じみた雰囲気は薄らいでいる気がする。雲が出ていて、パノラマビューのヒマラヤが見れなくて残念だ。
ヒマラヤでトレッキングすることは、今回の旅のなかでひとつの大きな目的でもあった。それが終わるとなんか自分のなかの何かが抜けたような気になる。
「なんだか、今の俺、目標を失った鳥だよ」と映子に自分の気持ちを正直に言うと、
「なんで鳥なの?」
この人の言っていることは、相変わらず訳がわからない、とでも言いたげな表情で答えていた。(昭浩)