10月12日〜10月22日
淡路島が見え、神戸が見え、そこでやはりこの飛行機はいよいよ日本に着くのだなと感じた。
着陸し、日本語のアナウンスが流れる。日本到着だ。機械的な感じで入国スタンプを押され、税関に向かった。3年も世界を放浪していたので厳重に荷物チェックされるかと思いきや、それも意外とスムーズに終った。
「どこから来たのですか?」
「アメリカです」
「サンフランシスコの前はどこにいたのですか?」
「マイアミです」
私たち新婚旅行からの帰りなんです。シアワセいっぱいです。とでもいいたげな笑顔を浮かべて冷静に映子は答える。こういうとき僕は隣にいて何もしゃべらない。別に悪いことしていなくてもあわあわしてしまうからだ。
係員はパスポートさえ見ずにノーチェックで通してくれた。もし南米からの帰りだとわかったら荷物チェックはきちんとなされていたのではないか。
「上手に答えたやろ、うそはついてへんで」
映子は少し得意げに僕に言った。
ゲートを出ると和歌山のお母さんが待っていた。お父さんと一緒に来たのだが、お父さんは他のゲートに僕らを探しにいっていた。待っている人がいるというのはなんともありがたいことだなあと思った。海外に住んでいる人で、なかには日本に帰っても、帰る場所もないし待っている人もいない、という人に会ったが、そんな話をするときのその人たちは少し寂しげに感じた。
空港のなかを歩いていると、日本語がいやがおうでも目に飛び込んでくる。看板や表示なんか、これまでだと、結局僕らにとっては記号の羅列だったのが、意味が直接頭の中に入ってくる、そんな感じがした。
僕たちは車で和歌山の実家に帰った。途中見た夕日がとてもきれいだった。日本の夕日はなんてきれいなんだろう、と感動してしまった。情緒ある橙で、すこしかすんでぼんやりとし、それが日本の景色にマッチしていた。日本の夕日は特別だなと思った。
和歌山に着いたらさっそく露天風呂に行った。
和歌山というところは、掘れば温泉、といわれているくらい温泉がそこらじゅうから湧き出ているところ。そのなかでも家から近く、人気の高い温泉にいった。久しぶりの温泉はとても気持ちよく、体も心もほぐれたが、久しぶりだったためか、すぐのぼせてしまい長くは入っていられなかった。
ローソンやファミリーマートのロゴに懐かしさを感じた。日本のスーパーの野菜売り場にはだいこん、きゃべつ、きゅうり、バナナ、リンゴなど日本のスーパーらしい野菜や果物が売られていた。レジのところではとまどってしまった。買い物カゴから選んだものをいつも出してレジ台の上に並べカゴはレジの手前に置くという習慣が身についているため、カゴごとレジに入っていくというのにためらいを感じた。
夜はスシだった。スシは代表的な日本食であるはずなのに、サーモンを食べるとチリを思い出し、マグロやカンパチを食べるとイースター島を思い出し、イクラを食べるとボリビアのラパスを思い出した。なんだか不思議だなと思った。
トイレではウォッシュレットに快感を覚えた。紙で拭いて、その紙を便器の中に捨てていいのかどうか一瞬考えてしまった。3年間手洗いしていて紙はほとんど使っていなかったし、たまに使うことがあっても備え付けのゴミ箱のなかに捨てるということが多かったからだ。
ちょっとしたところでまだ日本に不慣れな自分を発見する。それは楽しいことだ。でも、そんなことを感じるということは、自分が昨日までいた楽しい世界は遠くへいってしまった、ということを暗に示しているようで、そう考えると少し悲しくなった。
3年間も日本を離れていたという感じはない。ひさしぶりに和歌山の実家に戻ってきた、そんな感じだ。ここだけ時間がとまっていて、ほんとうに3年間も旅をしていたのか、という風に感じた。(昭浩)
昨晩から僕の実家である兵庫県の川西に来ている。そして僕たちは朝から海外のいろんな場所から送った荷物の整理をしている。6つ積み重なったダンボール。東京で暮らしていた時の荷物と一緒に部屋を占領している。親にしてみれば迷惑な話だ。それ以外にも僕たちあてに届いた郵便物、それだけもダンボール一箱分くらいあった。
郵便物で必要なものとそうでないものを分けたり、送った荷物の中からネパールでのトレッキングに必要なものを取り出したり、そんなことで午前中は終った。
午後になって会社に電話した。ずっと働いている女の子が電話にでた。3年前とほとんど変わらない。3年ぶりに会社に電話したというのに、ブランクというのが全く感じられなかった。それとは反対に3日前まで旅をしていたが、旅が夢のなかの出来事のように感じた。旅モードから既に日本モードに僕自身なってしまったのだなあと思った。マイアミにいたのが遠い昔のことのように思える。ベネズエラの記憶は10年以上も前のもののように色あせている。あーあ、世界一周は終ったのだなあと思った。それは急に突然いつのまにか来ていた。終わりというものはいつだって、背後から近づいてきて突然目の前に現れる、そんなものかもしれない。
日本に帰るとそれまで生モノだった世界旅行が一瞬にしてカチカチの石に変わってしまう。それはとても悲しいことのように思えた。
会社の他のみんなは外出中だった。忙しいのか?それはいいことだ。最初間違った電話番号にかけてしまい、この番号は現在使われていません、のアナウンスが流れ、つぶれちまったのか?と危惧したが、どうやら大丈夫らしい。
「仕事はいっぱいあるで」
会社の先輩に連絡がつき、そういわれた。それを聞いてちょっとブルーになった。仕事がある、今のご時世それはとてもありがたいことなのだけど・・・。東京での生活になるのかなあ。でもそういう流れだったら流れに乗るしかないと思っている。しかし、東京で働くということ、日本で働くということ、に腹がくくれないでいる。
もしこの帰国が一時的なものでなかったとしたら、10日後にまた海外に出るということがなかったとしたら、僕は鬱になっていたかもしれない。日本の現実を受け入れる準備が自分のなかにまだできていないみたいだ。(昭浩)
池袋のサンシャインシティでバスを降りる。プリンスホテルの前なんて今までに来たことはなかったので、まだ見覚えのある風景はない。公園ではラジオ体操する人々がいた。見覚えのある風景が現れたのはサンシャインの周りをぐるっと200度くらい周ったところ。以前自転車でスポーツクラブに通ってた道がそこにあった。
今日泊めてもらう予定になっているまゆみちゃんに電話してから池袋駅まで歩く。本当は池袋駅でバスを降りてもよかったんだけど、サンシャインが懐かしくて、駅まで歩いてみたかったのだ。でも自分の足に合わないお母さんの靴を履いてきてしまったので、すでに足が痛くなって、サンシャインで降りたことを後悔していた。
東急ハンズからの道はやっぱり懐かしい。アメリカであんなに探したウェンディーズがあったので笑ってしまった。まだ朝早くてほとんどの店が閉まっていたので閑散としていた。町の風景を見ていると、懐かしいんだけど何だか初めて来た場所のような不思議な感じがした。現実なんだけど夢の中のような、まるでテレビの画面を見ているような、そんな気すらした。
昨日電話で話した友達が言ってたように、JRは少し変わっていた。新しい線が走っている。少し戸惑う。電車に乗るときも海外にいるときよりはかなりお金を使っていると思うけど、日本の物価が高いとは、全然思わなかった。やっぱり日本モードに切り替わっているのかな。
赤羽駅でまゆみちゃんと待ち合わせ。北とか南とか方向がわからないまゆみちゃんは、いつも「駅を出たら右に行って・・・」という風に説明してくれるけど、実際行ってみるとよくわからない。右ってどこで右に行くんだ??と思いながら何気なく野生の感でとある改札口に向かうと・・・まゆみちゃんがいた。実は右に行こうとしたんだけど、なんとなく違う気がして左に行ってみたのだ。でも奇跡的に会えちゃうところがすごい。これがまゆみちゃんなのだ。
今回東京に来たのは、まゆみちゃんと共通の友達、あやちゃんの結婚式のためだった。夜行バスで到着したその日が結婚式なのだ。朝早くからまゆみちゃんを起こして迎えに来てもらい、久々に会ったのでとにかくしゃべりっぱなしだ。本当はもうひと眠りするくらいの時間はあったかもしれないけれど、積もる話がありすぎる。でもしゃべってばかりもいられないので、準備を始めた。
お化粧をするときはいつも戸惑う。どんな風にしたらいいのか、何をどのくらいつければいいのかわからない。元々そんなにお化粧をしなかったし、3年間ほとんど化粧らしい化粧をしていないから、余計にそうだ。そして、出来上がった自分の顔を見てガックリくる。ただ単に下手なのか、顔が変わったのか、こんなにじっくりまじまじと自分の顔を見ることがなかったので、その汚さにびっくりした。
結婚式と披露宴の間に時間があったので、ホテルのロビーでお茶したときのことだった。私が紅茶を頼むと、ウェイターは、
「飲み方は?」
と聞く。これが私には理解できなかった。飲み方って、まさか直接ポットから飲むとか、中国でやってたみたいに注ぎ口のながーいポットで曲芸的に飲むとか、そんなことがあるのかな??なんていろいろな考えをめぐらせていた。
要するにこれはミルクティーかストレートティーかレモンティーかということだったらしい。最近はそんな聞き方するのかな。それとも私が日本に慣れてないだけかな。
結婚式の4次会で友達のガミくんがウィスキーを頼んだときに、
「飲み方は?」
と聞かれていたので、笑ってしまった。これは私にも理解できた。
結婚式の一連の行事が終了した後、私たちは新宿にレゲエダンスを見に行った。三点倒立して足を開いて踊るとか、とにかくハードでエロティックだと聞いていたけれど、実際はそんなことはなかった。ただ音楽にあわせて体を揺らしているだけで、音も割れているし、イマイチのれない。私にとっては、「ヨー、ヨー」と言ってるだけのつまらない音楽だった。
しかしすごかったのは新宿だ。新宿で朝まで飲んだことは今までにもあったけれど、こんなに人が多かったかな。ここは眠らない街。まさに不夜城だ!朝5時のマクドナルドの賑わいぶりはすごいぞ。
今回の東京行きでは、またいろんな人と会うことができた。7年ぶりの再会あり、いつも一時帰国のときは暇を見つけて遊んでくれる友達ともまた会えたし、旅行に出て以来会っていなかった友達とも再会することができた。
その中で、一つ気になったことがある。前勤めていた会社の友達2人と会った時のことだ。2人は今も同じ会社にいるけれど、あまり会ってなくてメールのやり取りだけになることが多いという。最近はみんな電話よりもメールで、直接話すということは少ないんだそうだ。別の友達も同じことを言っていた。なんだか寂しい時代だな。それじゃあ、旅行に出ている私も、近くにいる友達も同じような感じなんじゃないかな。相手の都合を考えると、確かにその方がいいときもあるけど、人と人とのつながりって、そんなもんなのかな。相手のことを思いやる気持ちも大切だけど、たまには直接声を聞きたいな。
だけど、その「相手のことを考える」、っていうのは日本人らしい考え方だなあと思った。そして自分の中で大切にしたい考え方でもある。その辺のバランスが難しいところだなあ。(映子)
母親が通っているフィットネスクラブへいった。久しぶりにエアロビクスをした。なかなか動きについていけず、そしてハードに感じた。でも楽しかった。水泳もジャグジーもサウナもお風呂もどれも気持ちよかった。日本の生活もいいなあと思った。新しい日本での生活がはじまったらスポーツクラブに入ろう。
ジャグジーのぶくぶくとしたあわの中で力をふっと抜いた時にひとつの考えが浮かんできた。
「自分のような人間が自由に生きていける環境をつくろう!」
環境や状況に不満があるならそれを変えていけばいいのだ。不満はパワーだ。矛盾もパワーだ。不満や矛盾を感じるところに自分を生かせるところがあるのではないか。
話しは変わるが、今は日本シリーズの真っ最中。今日は2−0で中日が敗れた。(昭浩)
銀行に行ってひさしぶりに日本のお金を触った。ひさしぶりに1万円札を手にした。違和感というか、なんだか手になじめない、そんな感じがした。
1万円札とは全然関係ないが、その日、イチロー大リーグ記録の軌跡というNHKスペシャルをやっていた。
「もっと野球をうまくなりたい」「必然のヒット」「調子の悪いときこそ調子の良さがでる」「打ち損じの分なんとかならないか、それを考えていた」そんな言葉が印象的だった。常に前向きで向上心に溢れている。
「本音を言えば、このまま(大記録を残したまま)引退したい」
そんな言葉もあった。
イチローとはあまり関係ないが、今日一つの目標を漠然としたものだけどたててみた。それは映子以外には言うつもりはない。僕の場合、夢や目標を人にしゃべってしまうと、風船から空気が抜けるように、それに対する情熱のテンションがなくなり、最後にはやる気という名の風船が完全にしぼんでしまうからだ。
とにかく、日本で生活するということ、働くということに対して前向きになりつつあること、それだけは確かなようだ。(昭浩)
テレビや新聞を見ていて疑問に思ってしまった。中学生を餓死させた事件はとてつもなく僕をいやな気持ちにさせた。35歳の男性がコンビニで殺されたり、36歳のひきこもりの男が両親を殺したり、なんかやりきれない。まだ金目当ての強盗のほうがわかりやすいと思った。日本は病んでいるなと思った。
こういうニュースをどこの局でも同じように報じているのになんか疑問を感じた。一つくらいの局がスーダンや西アフリカで内戦について報じてもいいのにな、とも思った。それに、ハッピーなニュース、ポジティブなニュースが全然ないのには、いまさらながらなぜなんだろうと思った。不幸なニュースを送って何の意味があるのだろう。もしわかる人がいたら教えてほしい。少なくとも僕にはメリットがないな、と思った。ニュースはできるだけ見るのはやめよう、と思った。
ニュース以外の番組では、なかなかおもしろく、さすが日本のテレビはおもしろいなあと感心してしまうが、やたら「サプライズ」という言葉が流行りなのかでてきて、僕にはその「サプライズ」が耳障りでしかたなかった。
テレビCMはお金を使わせるワナじゃないかと見ていて思った。日本にはいっぱいワナがある。そして僕はそのワナにすぐかかってしまう人間だろうなということも感じた。日本に帰って生活したら、目的を持ってお金を使っていくぞ、と心に思った。(昭浩)
元々僕らは10月20日が出発の希望日だった。希望の便がなく、しかもチケットが手元に届くのに1週間はかかると言われたので、22日の出発となってしまった。もし希望通り20日の出発だったら、台風23号直撃だったろうから僕たちはかなり運がよかったみたいだ。
朝食の後、和歌山のお父さんとお母さんに関空まで送ってもらう。
「これから外国行くっていう感じがぜんぜんせーへんわー」
「マイアミから帰るとき日本に帰るって気がぜんぜんせーへんかったのになあ」
「あれから10日しかたってへんで」
僕らは車の中でそんな会話をしていた。日本に帰ったとたん、自分は旅のヒトから日本のヒトへと変わってしまい、つい最近までずっと旅していたのに、そのことがはるか昔の思い出のようになってしまっている。
関空に着いた。ドキドキしている。久しぶりに行く海外旅行みたいに新鮮だ。10日間の一時帰国で旅がこれだけ新鮮になるなんて!それは驚きであり、発見であった。和歌山のお父さんとお母さんに別れを告げ、僕らは飛行機に搭乗し、窓側の席ではしゃぎながら、テイクオフを待つのであった。(昭浩)