10月2日〜10月11日
カラカスの空港は分かりにくかった。どこが出発ロビーか、到着ロビーか表示が全くないので、中に入ってうろちょろしてしまった。2階に上がったりもしたけど、やっぱり1階で、しかも私たちは全く反対側に歩いていたらしい。
飛行機に乗る前の荷物検査は厳重だった。せっかくうまくパッキングしたのに、大きなバックパックを開けろといわれたときには、「何でだよー」と思わず言いそうになった。でもこんな時、得てして女の子の方がチェックが甘いのだ。案の定、あきちゃんはかなりいろいろ出して調べられていた。さらにその荷物は機械に通されてやっと預けることができる。
搭乗手続きのカウンターに行く前に、係りのお姉さんにいろいろ質問されるコーナーがある。これも初めてのことだった。そこはなぜか英語で、「アメリカに何しに行くの?」とか、「職業は?」などど聞かれる。
搭乗手続きのカウンターでは、再びスペイン語に戻り、ペラペラペラと何やら言われた。その中に「タクサ(税金)」という言葉が入っていたので、二人とも敏感に反応した。「このチケットに含まれてるんでしょ?」と必死の形相。もちろん含まれていたので大丈夫だったんだけど、びっくりした。もうボリバールは一銭も手元に残ってないから。
ベネズエラ出国はスムーズだったけど、飛行機に乗るための検査が大変。持ち込み荷物の中身も全部調べられるし、金属探知機でピーッといった人もいわなかった人も、最後にもう一度、ピーッとなる金属探知の棒で調べられる。厳重だ。
飛行機に乗り込んだときには夜がすっかり明けて、外はもう明るかった。飛行機が飛び立つと、カラカスの街はほとんど見えなかったけど、すぐに海が見えて、その後島が見えた。ほんとは行きたかったロス・ロケス諸島かなと思って、写真を撮った。
映画「ハリー・ポッター」が始まったけど、機内食を食べた後どうしても眠くて寝てしまった。
ふっと起きるとまた島だ。ハイチ?ドミニカ?多分その辺りだろう。きれいなきれいなエメラルドグリーンの海が見えてきた。マイアミビーチも見えた。いよいよアメリカ大陸に上陸である。
飛行機を出るや否や、あきちゃんは係りの男の人に呼び止められた。「パスポートを見せろ」と言われ、いろいろ質問されている。いきなりあやしまれるあきちゃん。そんなことでアメリカに無事入国できるのか?私が1人先に歩いて行ってしまったのもいけなかったみたい。新婚風に手でもつないでいけば、あやしまれることもなかったのかな。
空港の建物内に入るとすぐに、立って待ち構えている係員が2,3人いて、その人にもいろいろ質問される。そこは難なくクリアーして、緊張の入国審査へ。ここへ来るまでにもう何回も質問攻めで神経も磨り減って疲れてきている。大変だな、アメリカって国は。以前はそんなことなかったのに・・・
入国審査はすでに長い列ができていて、かなり待たされてやっと私たちの番が回ってきた。係りのお兄さんは私たちのパスポートをぺらぺらめくって、不審そうな顔をして、「ビザがない」と言った。え?ビザがいるの?
いや、そうじゃなかったのだ。飛行機の中でスチュワーデスさんにもらって記入した紙がビザのある人用の白い紙だったのだ。ビザのない人は緑色の紙をもらってきて記入しろと言われてがっくり。でも記入したらすぐに並ばずに直接お兄さんとこに来いと言われたので、言う通りにした。
質問は、「何しにアメリカへ来たの?」と、「どれくらいいるの?」だった。「3週間」と答えると、そんなに長くどこへ行くんだ?ニューヨークか?と言われたので、いや実は日本へ帰る安いチケットを買うのにどれくらい時間がかかるか分からないんだ、と必死で説明した。すると、
「左の指をそこに置け」と言われた。
指紋を取られたのだ。あきちゃんも同じ。顔写真も撮られた。でもその後すぐに開放された。意外とちょろいな。パスポートにいろんな国のスタンプがあるから別室行きも覚悟していたので、ほっとした。
荷物を受け取って、税関を通ればもう自由の身。
「You are free to go(もう行っていいよ)」
と言われた。自由になったのはいいけど、どこへ行ったらいいのかわからないぞ。
まずは日本行きのチケットを手に入れるために、United Airlinesのカウンターへ行った。すると、一番安いチケットを買うにはインターネットが一番いい。と言われた。今はもうインターネットの時代なのだ。
宿の方は、空港の無料電話でアクセスできるところで、あんまり安いとは思えなかったけれど、仕方なく、とりあえずここに一泊かな・・・と決めた。バスを乗り継いで何とかたどり着くと、中国系のお兄さんがお出迎え。部屋はなかなかいい。もう少しボロくてもいいから安い部屋を、と思って探し回ったけれど、ボロいところはあっても、今の部屋より安いところはなかった。
そして日本へ帰るチケットは、結局考えに考えた末、インターネットで購入した。(映子)
マイアミに来てから、食べ物には結構苦労している。レストランで食べると高いし、あんまりおいしくもない。確かに量は多いけれど。安いからと言って、ファーストフードで済ませようと思っても毎食ハンバーガーでは飽きてしまう。
今日はなつかしいデニーズの看板に魅かれて、思わず入ってしまった。すると、あたりまえなんだけど日本のメニューとは違う。分かってはいたつもりだけれど、ご飯がないというのにはガックリきた。
朝食と夕食は買ってきてホテルで食べようとスーパーで買い物をした。
買い物に行って気づいたことは、普通の牛乳がない。ということ。ローファットとか、ファットフリー、ビタミンD入りなどと何かしら手を加えられた加工乳しかない。普通の牛乳が飲みたかったのに、見つけられなかった。
そして、フルーツが高いうえにおいしそうじゃない。特にバナナなんか、青くてまずそう。いかにも青いうちにとって、遠いところから運ばれてきたという感じ。とても新鮮な感じはしない。
結局、朝食はコーンフレーク、夕食はカップラーメンを食べることにした。外で高くてまずい飯を食べるより、こっちのほうがおいしいし、経済的。アメリカの料理っていったい何だろうな。アメリカ人の食生活はどうなっているのだろう?
マイアミ生活は悪くない。でも旅行するにはつまらないかも。見所も特にないし、歴史も何も感じられない。ただ、不健康に太った金持ちアメリカ人が脂肪の少ない牛乳を買ったり、スポーツクラブに行ってみたり、ビーチでごろごろしたりするところだ。汗をかくのがイヤなのか、バスはガンガン冷房が効いていて寒い。アメリカってなんだか不健康な国だと感じた。(映子)
今日はビーチへ行って少し泳いだ。泳ぐというよりは、パシャパシャするといったほうがいいかもしれない。波とたわむれていただけだ。足元は砂のように見えて実はすべて貝がらのかけらたちで、少し足が痛い。
波の力は結構強い。でもボディボードやサーフィンができるような波ではない。
しばらく波とたわむれた後、浜辺にごろっと横になる。日差しが強い。焦げそうだ。時々太陽が雲に隠れるのでちょうどよく涼しくなったりもする。空は青い。
ヘリコプターや飛行機が飛んでいく。相変わらず、マイアミの空は忙しい。私たちはいつあの飛行機に乗って日本へ帰れるのだろう。(映子)
マイアミは暑い。じっとしてても汗がにじんでくる。そう、湿度が高いのである。そして日差しも強い。そんな中を今日も歩いてビーチへ行った。木陰を歩いているときは涼しく、少し風もあったりするのだけれど、そうでないときはとにかく暑い。<br>
ビーチについて、海に入り始めた頃から雲が出てきた。すると涼しくてちょうどいい。本でも読んでビーチでごろっとするか。部屋で本を読むのと、ビーチで読むのでは気分が全然違う。やっぱり外で読むのが気持ちいい。今日は雨降りでビーチにも行けない。その代わりと言っては何だけど、インターネットをした。日本からのメールが結構来ていて、みんな私たちの帰国について書いていたので、日本が近いと感じた。
日本についていろいろ考えた。帰ったらどうしよう?ということは今まで何度となく考えてきたけれど、いまだに答えが出ていない。3年間旅してきて、3年間考えていても、まだ答えが出ていないのだ。そう考えると少しあせるけど、実際帰ってみないと分からない。今ここで悩んだり、思いつめたりしても仕方ないんだよな。
ただ、日本に帰るのはとても楽しみだ。これから先の生活もきっと楽しいに違いない。どこに住むことになろうとも。そんな気がした。(映子)僕たちのマイアミでの生活はかなりパターン化してきている。パターンができ、その生活が体になじんできて、なかなか快適だ。
だいたい朝は8時ごろに起きて、それからコーンフレークを食べる。それからHPの作成をしたり、テレビでたいてい何かしらのメジャーな映画を午前中にやるのでそれを見たりしている。12時ごろ僕らは宿を出て、ビーチへと向かう。
ビーチの前に昼ごはん。アメリカは食べ物があまりおいしくないとふたり嘆いていたが、おいしくて安いピザ屋を発見。ピザによってアメリカの株は少し上昇。13ドルで、二人でも食べきるのがきついくらいの巨大ピザにスプライト1リットルがついてきて、しかも味はかなりイケテル。アメリカのピザは素晴らしい。
昼ごはんの後、ビーチでごろごろしながら本を読む。2時間ほどビーチで過ごしたあと、30分ほど歩いて宿に帰る。宿に戻ったら、今度は宿のプールサイドでビールを飲みながらプリングルスをぽりぽりやる。
「上野のアメ横で1つ250円!これが私の知る日本での最安」
これは映子がプリングルスを買うときの口癖だ。そして川家では、1.5ドルを切るプリングルスは買え!なのだ。
日本では高くてなかなか手が出せないプリングルスを毎日のようにビールのつまみとするこの贅沢。ビールとプリングルスでいい気分になってそのままデッキチェアーでくつろぐのもよし、暑くなってきたらプールで泳ぐのもよしで、どちらにしてもこれがまた極楽気分だ。
夕方シャワーを浴び、落ち着いたところで、テレビをつけると、ちょうどメジャーリーグのプレーオフの試合が始まっていて、カップラーメンを食べながら、試合を楽しむ。
最後のシメは、ベネズエラで買ってきたロンと75%カカオの入った高濃度チョコレート。野球の試合が終わり、すっかりできあがったところで、5人くらいは川の字で寝られるであろうキングサイズのベッドで眠る。
アメリカでの生活、不平不満は山ほどあるけれど、アメリカならではのいいところ、楽しい部分もたくさんある。しかし1週間や10日間くらいならいいけれど、アメリカに住めといわれたら、やっぱりイヤだな、と思う。ピザは別として、基本的にごはんがマズイし、体に悪そう。食の楽しみが身近にあまりない。それがツライ。それが短いアメリカでの滞在で感じたことだ。(昭浩)
もうすぐ日本だけど、実感があるようでない。日本は今どんなだろう?帰ったら何しよう?とか考えるけれど、本当に帰るのかなあ、という気持ちと半分半分である。(映子)
明日フライトが早いので空港近くのホテルに移動した。ビーチ生活も終わりだ。そしていよいよ帰国。旅の生活も終わり。
しかし、まったくといっていいほど、旅の終わりの切なさは感じられない。だって、明日、日本行きの飛行機に乗るという実感が100%まったくないのだからどうしようもない。今日の宿で眠り、次にベッドで眠るときは日本の家のベッド。そんなこと3年間転々と世界を渡り歩いていた僕らに想像できるはずがない。さて、明日はどうなるのだろう。(昭浩)
朝5時半、タクシーを呼んでもらおうと思ったら、同じ宿に泊まっていたおじさんがタクシー運転手でちょうど今起きてきたところだったので、乗っていくことになった。無愛想でとてもアメリカ人には見えない顔立ち、案の定アフメットというイスラム教の名前だった。この国でイスラム教の人を見るとちょっと怖い気がしてしまう。きっとみんなにそう思われてつらい思いをしているのだろうけど。
彼の車は荷物がたくさん載っていて、後ろのスペースも広い車なのに私たち2人乗るのがやっとだった。前述のように彼は無愛想で特別なサービスは何もしていないのに支払いの時に、「これだけか?チップは?」と行ってきたのには辟易した。アメリカって本当にセチガライ。あきちゃんはあまっていた小銭を全部あげた。
マイアミ空港のユナイッテッドのカウンターはかなり混雑していた。国内線だか国際線だか、あるいはEチケットか否かで並ぶところが違うとか。そのシステムはよく分からないけれど、とにかく順番が来て係りのお姉さんが手続きしてくれるのかと思ったら結局機械で手続き。人間の生活は機械が入ることによって本当に便利になっているのか?ちょっと疑問を感じてしまった。結局1人仕切る人がちゃんと客を振り分けてくれなきゃ全然進まないのだ。
しかし入国の大変なチェックとは裏腹に出国はスタンプすらない。押してください。と言いたいくらいのモンだ。アメリカって前からこんなだったっけ?今までパスポートに押してあるスタンプを確認すると、アメリカ入国はあっても出国はなかった。
マイアミからサンフランシスコ行きの飛行機には日本人はチラホラとしか見られなかったけれど、サンフランシスコから関空へ行くのはほとんどが日本人だ。日本ムードは否応なく高まる。もうすぐ日本、もうすぐ日本だ。日付変更線を越えたら、ちょうど3年になるこの旅もいよいよ終わってしまうのだ。(映子)
僕らの便はマイアミから一度サンフランシスコに飛び、サンフランシスコで関空行きに乗り換える。はっきり言ってサンフランシスコまでは、旅のなかのひとつのフライトといったかんじで、まるで日本は見えてこなかった。
しかし、サンフランシスコは少し違った。関空行きの待合ゲートには当たり前のことなんだけど、日本人がたくさん待っていた。そこは日本といっても過言ではなかった。まわりは日本語であふれ、今まで二人の会話はいつも二人だけのものだったのが、公共の場で話す二人の会話はこれからはまわりに理解されるものとなるのだ。
「ヘンなこといわれへんなあ」
「つまらんこともいったらあかんで」
そんなことを僕らはボソボソ話す。
飛行機に乗り込み、映画デイアフタートゥモローを日本語吹き替えで見たあと、少しパソコンに向かい、4時間ほど眠った。
あと1時間で日本到着というのが画面に現れる。そんなモニター表示を見てもまるでもうすぐ日本だという実感はわいてこない。緊張感のない国に向かっているというかんじだ。。(昭浩)