4月29日〜5月10日
グアヤキルを早朝出発したバスはペルーへと向かっていた。ペルー国境までの間、舗装された道路の両端は常にバナナで埋め尽くされていた。ずっとだ。ごくたまに分岐する道がある。すると分岐する方の道のまわりもずっとバナナ、バナナ、バナナ。
「この世界には僕らが想像する以上にバナナがあるんだね。」
そんな話を二人でしていた。全人類が10年は食っていけるだけのバナナがここにはあるにちがいない。
バナナをずっとながめているとひとつの疑問がふと浮かんできた。
バナナというのは木なのか?
バナナの実がぶらさがっている木、これはよく見ると木のようで木ではない。大きな草のようなのだ。しかしバナナの木(?)って見ていてあきない。バナナの実はビニール袋に包まれている。輸出用か?
「あっ!デルモンテ」
映子がデルモンテのサインを発見。ここのバナナ、デルモンテのものらしい。日本でもデルモンテのシールの貼られたバナナはよく食べたぞ。デルモンテめ、こんなにバナナをもっていて、けっこうもうけているな。
朝早く起きたかいあって、エクアドル側イミグレーションが昼休みに入る前に国境に到着。エクアドルを出国したあと、昼ごはんを食べ、ウンチをして、気をひきしめる。
エクアドルとペルーの国境なんて、僕の想像では何にもない辺境の田舎。だが、来てみると、貿易の盛んなひとつの大きな商店街がボーダーにまたがっているそんなところだ。ボーダーにまたがっているということもまったく感じさせない。もちろん人も車も自由に行き来している。
この国境付近は最悪ペルー人の巣窟といわれるところ。油断ならない。たくさんのヤミ両替の誘いやバスの客引きをことごとく無視し、足早に通過。友達はここでカメラをひったくられたのだが、僕らはかなり警戒したこともあって何もトラブルはなかった。
イミグレでスタンプをもらい、国境から1時間ほどバスで走り、トゥンベスという街に着いた。そこでは宿泊せず、そのままチクラヨという街に向かう。チクラヨに着いたのは夜中の1時を過ぎていた。治安の悪いペルーで深夜1時にガソリンスタンドで2人降ろされるというのは、とても不安で心細いものであったが、無事タクシーを拾い、宿にたどりつき、やっと長い国境越えの一日が終った。(昭浩)
シパン遺跡へ行った。ガイドブックではツアーを薦めてたけど、ここは全然そんな感じのとこじゃない。確かに王様のものらしき墓はあるけど、だから何さという感じ。たくさん発見されたという金が見れるわけでもないし、ピラミッドはただの岩山。こんなものでツアーに10ドルとか20ドルとか払わされたらたまらない。私たちは個人で行ったので、交通費と入場料だけですんだけど、入場料も学割がきかず、7ソル(224円)もする・・・まあニセ学生だから仕方ないっか。(映子)
ブルーニン博物館へ行った。黄金の冠とか、首飾りとか、いろいろ、いろいろ。陶器のつぼはとにかくいっぱいあった。だけど何だろう?いまいちインパクトに欠ける。これ!!という心に残ったものがなかった。
今日はメーデーで店もお休みのところが多く、なんといってもチャチャポヤス行きのバスがない。もう1泊のんびりするしかないのである。
この街は、食べ物が豊富だ。アイスクリームなどのデザートも街に溢れている。それだけが救いだともいえる。ただ、人がめちゃくちゃ多い。こんな地方都市でこれだけ人が多いなんて、リマとかもっと大変そう。
治安はそんなに悪くない気がするけれど、やっぱり物乞いはいる。いつも同じようなところに座り込んでいる男、動きながら物乞いする少年、店の前で杖をついて立っていて、何もくれない若者などに向って杖で攻撃する老人・・・。そんな街で、私たちはおいしいものを捜し求めて歩き、アイスクリームを食べては幸せを感じ、また帰ってテレビを見た。そして昼寝をしたあきちゃんは、今日も夜更かししていた。(映子)
いよいよ移動だ。メーデーやらバスチケットが満席でとれないやらで、足止めをくらってしまった。チクラヨの周辺の見所は多くない。こんなところで4泊もした。チクラヨで4泊それってつらかったでしょう?チクラヨに来たことのある人ならそう思うだろう。それがそうでもなかった。すべてNHKのおかげだ。
ふらりと泊まった宿の部屋にはテレビがついていて、しかも衛生放送でNHKが見れる。衛星放送でCNNなんかが見られるところはよくあるが、NHKというのははじめてだ。日本人の少ないチクラヨの街で、日本人があんまりくることのないこの宿で、誰がNHKを見るのだろう。
NHKでは再三にわたり日本のゴールデンウィークの状況を映し出していた。高速道路、成田空港、新幹線の駅、そういった映像は僕が小さいときからほとんど同じパターンの映像だ。その恐ろしくワンパターンの映像にとても日本を感じた。
僕たちはたまに観光したりごはん食べたりしに外には出るものの、ほとんど宿の部屋に引きこもって、昼間からラム酒をのんだりしながら、だらだらNHKを見続けた。こういうのを、まったりする、というのだろう。
僕たちがとくにハマッタのは大河ドラマ「新撰組!」であった。
旅行中、燃えよ剣、最後の将軍、壬生義士伝、といった新撰組モノの本を読んだこともあって興味深いものがあった。香取慎悟、江口洋介といった前から活躍している俳優が今でも相変わらずがんばっている姿を見て、日本もそれほど変わっていないな、とふと安心したり、若手俳優の台頭にやっぱり芸能界も新旧入れ替わりつつあるのだなあ、と何もわかっていないのにわかったような気になったりしている。
マンネリ化してきた夫婦の会話にイイネタを提供してくれたおかげで、ふたりの間のおしゃべりが活性化したのはいうまでもない。
連続テレビ小説「天花」や再放送でやっていた「ちゅらさん」も毎日のお楽しみだ。そのほかのドラマ、ドキュメンタリー、お笑いとお楽しみは尽きない。
「NHKはなかなかやるなあ。いい番組作るじゃん。」
NHKをこれまであまり真剣に見たことがなかったので、今回はじめてNHKのすばらしさを知った。
「こんないい番組作るんならNHKの受信料払ってもいいな。」
ぼくがそういうと、映子は剣幕をたてて返した。
「あかん!絶対あかん!」
映子はマジである。
「勝手に電波送っといて金払え!というその姿勢が気に入らん。うちのおとんがそう言ってた。」
僕もNHKの受信料払え攻撃には非常にイヤな思いをしたことがある。
1人暮らししていた時、テレビが壊れて、しばらく使えなかった時期が数ヶ月あった。すぐに直せばいいだけの話なんだが、仕事やら遊びやらいろいろ忙しくて、直すのがめんどくさくて放っておいたのだ。そんな時にNHKはやってきた。間の悪い男だ。
「テレビが壊れていて、NHKどころか他の番組もビデオも見られないんですよ。」
丁寧にそう答えるとまむしのようなねちっこい目を向けてNHKの人はいった。
「テレビを持っている人は払わなければいけません。」
「NHKが見れないのに?」
「そういうきまりなんです。」
NHKどころではない。テレビの故障のおかげでこっちはいかがわしいビデオすらご無沙汰だというのに、そんな僕から受信料をとろうなんてひどいもんだと思った。僕とNHKのまむし目の男は口論となり、僕はその日、絶対2度とNHKの受信料を払うものかと誓ったものだ。
話しがだいぶそれてしまった。とにかくあの忌まわしいNHKとの闘いはともかくとして、NHKのおかげで僕らはここチクラヨで豊かなテレビライフを送ることができた。それにしても、日本のテレビっておもしろいなあ。 (昭浩)
夜行バスでチクラヨからアンデス山脈に入り込んだところにあるチャチャポヤスという町にやってきた。
朝5時前に着いたばかりで疲れているのにもかかわらず、さっそくクエラップという遺跡の観光にでかける。もう2年半も旅しているのにフットワークの軽さはいまだ衰えない。我ながらなかなかがんばっているな、と思う。日本のサラリーマンはたぶんこんな僕らの100万倍はがんばっているのだと思うが、しょせん僕らのがんばるっていうのはこの程度だ。
クエラップという遺跡を知っている人は日本にどのくらいいるのだろう?たぶんまつ毛の上にマッチ棒をのせられる人の数よりはるかに少ないと思う。マイナーな遺跡なのだ。
プレインカ、つまりインカ帝国よりも前の時代の遺跡で、知る人ぞ知る素晴らしい遺跡らしい。しかも訪れる観光客は少ない。これは行っておかなきゃ、と思った。
僕は人が誰もがいくような超有名な遺跡も好きだが、誰も行かないけどいい遺跡、というのにとても惹かれる。
旅をしているとだいたいみんな同じようなところをまわっているってことを思い知らされる。それは当然のことなんだけど、みんなと同じところをまわっている、というのはなんかイヤだ。ステレオタイプの旅よりオリジナリティある旅のほうがいい。誰だってそう思うだろ。しかし、わかってはいるけどなかなか人と違うことをするというのは難しい。だからこそ人の行かない、あまり人に知られていない、「ちょっといい遺跡」には多少アクセスが大変でも行ってみたいのである。
グランドキャニオンのような深い谷、そこには森が茂り、下から見たのでは、まさかそんな山の上に町が存在するなんて思わないだろう。山の上というよりは絶壁の上、そんなところにクエラップはある。
まわりをレンガによる高い塀で囲み、なかにはたくさんのサークル状のレンガ造りの高床式住居跡があった。ほとんどは土台や壁しかのこっていなかったが、その大部分がまだ修復前でオリジナルのままであった。観光客の少ないところらしく雑草がぼうぼうと生えている様子も、僕は気に入った。崖っぷちの上にあるロストビレッジ(=失われた里)といったところだろうか。下界と絶壁によって隔てている、そのロケーションも素晴らしい。
このマイナーな遺跡は相変わらずマイナーなままなんだけど、それでもここを訪れる旅行者は増えつつある。東の果ての国からやってきた僕らが訪れるくらいなのだからもうマイナーとはいえないのかも知れない。ただ、できるだけ修復はせずにいつまでもオリジナルのままでいてほしいなあと富に思う。(昭浩)
クエラップの遺跡はおもしろかった。丸い家の跡がいっぱいあって、レリーフもあった。家の中にはキッチンや井戸みたいなものもある。建物は上の階もあって、どうやら偉い人が住んでいたらしい。シャーマンの家の前には、生贄を捧げたところや、下に住んでいる人々に話をしたところなどがあった。
印象的だったのは、コンパス。石で東西南北をあらわしたものである。プレインカ時代にどうして方角が分かったか、それは謎である。
もう一つ、不思議な建物あり。そこには中から動物の骨が出てきたとか。プーマを入れている中に、罪を犯した人間を懲らしめるため、罰を与えるために入れたという説もあり、はたまた天文台だったという説もあり。壁についている太陽君マークがかわいい。
インカ帝国の前にここにチャチャポヤス王国があり、インカの人たちとここで戦った。インカに負けた後、スペイン軍と手を組んでインカを倒したが、その後スペイン軍と戦って再び敗北。この場所はしばらく忘れられていて、ジャングルとなっていたらしい。石造りの家の壁は、今の家々よりも頑丈そうに見える。だから今でもこうして残っているんだな。この遺跡を見ながら、運命に翻弄されたチャチャポヤス王国の人々のことを考えずにはいられない。(映子)
宿のオーナーホルヘに昨日さんざん言われた。もう1泊しろとか、カラヒーアに行けとか、見所は他にもたくさんある、とか。私たちもそうかなあ、と思いはじめ、早起きつらいけどカラヒーアに行くかなあとすら考えはじめた。でも、朝起きてみて、やはり昨日の疲れか、ゆっくりしたい、このままツアーに行くのはつらいと思ったのでやめた。
そのかわり、これまたホルヘお薦めの近場でウアンカスという村へ行ってみた。何にもない、人の気配すらあまり感じないほどののどかな村だった。
そこに見晴らしのいい場所がある。ミラドールといわれるところまで行ってみると、キャニオンのパノラマが広がる。緑の苔むしたような山々と、そこを段々に流れる滝、そして谷間には川が流れていた。アマゾン川ってここから始まっているの?そう思わせる情景。実際そうだとあきちゃんは言うけど本当かな?
帰りは歩きという案もあったけど、行きに乗ってきたタクシーコレクティーボの運ちゃんが通りかかったので、乗っていくことにした。帰りの景色もすごくよかったので、すぐについてしまったのが少し残念だった。(映子)
昨夜7時ごろチャチャポヤスを後にして、チクラヨへ。今朝はチクラヨから6時過ぎのバスに乗って、カハマルカへ向った。バスの中では、ジャッキーチェンの映画をやっていた。
10時ごろ、朝食休憩で泊まったので、私はトイレへ行った。すると、同じバスに乗っているおばちゃんが、
「日本へ働きに行きたいんだけど、招待してくれる?」
と言ってきた。びっくりした。初対面でいきなりこんなことを言われるなんて初めてのことだ。
「私はただの旅行者だから、どうしたらいいかわからない。」
そう言うしかない。他には何も言えなかった。
ペルーは日本人の移民、そして今は二世や三世がいるから、日本との関係が深いようだ。前大統領が日系人だったことでも分かる。日本で働いたことある人もよくいるし、友達が今行ってるとか、行きたいとか・・・。二世という言葉も、「ニセイ」というようにそのまま現地の言葉になっている。
ホルヘの友達の二世の人も日本に働きに行ったけど、3人のうち2人は帰ってきたとか、ホルヘは暗に日本を批判しているようにも聞こえたけど、実際ペルーで育った人が日本になじむのは難しいと思う。いくら日本人の血を引いていても、日本とペルーじゃ環境が違いすぎる。
ただ、今まで行ったほかの国々でも、日本で働きたいという人はたくさんいたけれど、一番現実味があるのはこの国の人かもしれない。ツテさえあれば、たいていどこの国の人も、日本で働くことは可能なんだろうけど、この国が一番、ツテを見つけやすいんだろうな。でも今の私はそのツテになることはできないな、と思う。なんといっても無職なんだから、人の仕事探すより、まず自分の仕事だよ。(映子)
インカの皇帝アタワルパが捕らえられていた部屋を見に行った。建物自体はしょぼいけれど、当時の様子を描いた絵と、説明が興味深かった。この辺りの人々は、皇帝が処刑されて悲しんだこと、武力をほとんど持っていなかったことが分かった。実際先住民の人たちにとって、インカの時代が一番幸せだったらしいということを聞いたことがある。
部屋の中には、アタワルパがここまで金を集めるといって引いた線も残っていた。でもこれ本物かな?ちょっと疑わしい気もするなあ。
ベレンの教会の内装はカラフルで、天井の天使がとても愛嬌があってかわいい。写真が撮れないので、ここに載せることができなくて残念。ちょっと疲れて一休みしているキリストの像もある。
博物館には、陶器がいろいろあった。中でもカハマルカのものは足つきで目を引く。漢字で「丼」と書いたどんぶりが印象的。
サンタアポロニアの丘に登ると、眺め最高。頂上には物売りとガイド志願の男1人、女の子が1人いた。そしてアタワルパが座った(かもしれない)、インカの椅子がある。そこから見ると、カハマルカの町は、オレンジが黒く汚れたような瓦屋根の家がびっしりとすきまなく建っていた。
丘から降りると今度はアタワルパが入ったという、インカの温泉。個室なので、日本のように解放的な感じではなく、むしろ独房を思わせるつくりだが、お湯につかれるっていいもんだ。旅の疲れもちょっとはいえたかな。お風呂から出ると、二人とも体の力がすっかり抜けていた。
夕立の後、昨日も行ったケーキ屋でおいしいケーキを食べて、幸せを感じるのだった。(映子)
ペルーでの移動は時間がかかる。日本の3.4倍あるのだからあたりまえだ。南米の地図をながめているとそんなに距離を感じない。 たった1cmにも満たない距離なのに一晩はゆうにかかってしまう。そう考えると首都リマなんかまだまだはるか彼方だ。
移動に時間がかかるもうひとつの理由としては、山岳地帯に町が点在するためということもある。2000mくらいの高度差の山道なんかあったりするから時間はかかる。カハマルカという町も標高2700mもあって、今日はそこから海岸沿いのトルヒーヨまで一気にくだることになる。
深いなあと覗き込んでいた谷にバスはただジグザグにひたすら下っていく。谷の一番下までくると、その谷の渓流にそってまたぐねぐねとした道を下る。いい加減にしろよ、と思うくらい下ったところで、緑の山から今度は砂漠地帯が広がる。ここらあたりはいろんな気候帯が凝縮されているのだ!とペルーのことが少しわかったような気になっている。実際はその長い移動のほとんどを寝ているのにだ。
今日も寝ているうちにトルヒーヨの街についてしまった。 (昭浩)
チャンチャン遺跡、これは先日訪れたクエラップ遺跡よりはるかに有名だ。なぜならユネスコ世界文化遺産だからだ。エクアドルから南下またはリマから北上する旅人だったら誰もが知っているはずである。しかしそのほとんどはペルーに来てからか、来るということが決まってからはじめて知ったにちがいない。
ペルーといえばマチュピチュであり、他のすべての遺跡はマチュピチュの放つ後光の影のなかほとんど目立たない存在だ。エクアドルからリマへと南下する途中に何やら遺跡があるぞ、なんだなんだ、世界遺産だし行ってみっか、いうなればそんなノリでやってくるのである。もちろん僕らもそういうノリだ。
チャンチャン遺跡はプレインカ時代にあったチムー帝国の首都だった町の遺跡だ。チムー帝国はインカほどではなかったにしろ、ペルーからエクアドルにかけてかなり広大なエリアを支配していた大帝国だった。そんな首都なものだから町はもちろんそれは大きい。遺跡自体も広範囲にわたっている。
しかし、観光客が見学できるところは宮殿跡や神殿跡などだ。誰もいない広漠とした場所にその遺跡は広がっているので、入場料なんて払わなくてもその都市遺跡の跡は見ることができる。実際遺跡の入場口まで幹線道路から歩くまでの2キロほどの道の途中にも遺跡らしきものが右に左に見えるのだ。
でも僕らはそんなものにも目もくれず遺跡入り口に向かう。ここのメインの見所はやはりそのレリーフにあるからだ。
チャンチャン遺跡のことを、砂場みたいなところ、と辛口に評していた旅人がいたが、レリーフがなければまあそんなものかもしれない。
ラッコやペリカン、魚、魚をとる網、そんなものがデザインされているレリーフがそこにある。ラッコがモチーフのレリーフなんてはじめてみた。ワンダフル!と叫ぶほどのものではないけど、このユニークなレリーフはいい。個性的であることは、いい悪いとは別に、強い印象を残すものだ。
だいぶ修復されているのだろうが、よく何百年もの間、こういったレリーフが残っていたなあと思う。いくら雨が少ない場所だからといったって、日干しレンガを積み上げてその上をさらに土でコーティングしてそこにレリーフを残しているだけのものが、長い年月の風雨に耐えて残るというのはなかなか難しいことだと思う。だからこそ価値ある遺跡なんだろう。(昭浩)
ちょっと気になることがある。それはウズラのことだ。
トルヒーヨの街角にはやたらとウズラの卵売りがいる。僕はこれまで2年半旅してきたんだけど、ウズラの卵を道端で売っているのは、はじめてみた。
しかもその数が半端じゃない。アイス売りよりも、おかし売りよりも、ジュース売りよりも多い。人通りの多いところなんか5mおきくらいにウズラが売られている。たぶんこの近くにはウズラの大集合地帯があってたくさんウズラの卵がとれるのだろうが、はたしてこんなにあるウズラの卵をみんな食べているのだろうか?売られているウズラの卵の数をトルヒーヨ市民の数で割ったら、多分1人あたり10個くらい毎日食べている計算になるんじゃないか。
ウズラの卵はゆでてある状態で売られている。8個で30円くらい。安い。たぶんここがウズラの卵世界最安都市だろう。そしてうまい。たぶんとれたてで新鮮だからにちがいない。卵は一日2個以上食べてはいけない、その教えを忠実に守っている映子がそばにいなければ一日50個くらいは食べていただろう。
もうひとつ気になることがある。気になるというよりは不平不満といった種類のものである。それはペルーの信号のことだ。
ペルーの信号は変わるのが早すぎて困る。信号というものは青→黄→赤と変わる。変わったあとでもう一方の信号は赤から青へと変わる。これが普通だ。ペルーの場合、赤→黄→青と変わる。これの何が問題なのか?と思うかもしれないがこれは大問題だ。
片側の信号が青→黄→赤へと変わるのとまったく同タイミングでもう片側の信号が赤→黄→青と変わるのである。
ペルーの車は青から黄に信号が変わるとどの車もスピードを落とすどころかアクセルを踏んで突っ込んでくる。これは日本も同じだ。もう一方では、赤から黄色に変わると車はスタートしはじめる。陸上競技用語でいえばフライングってやつだ。
これは危険だ。でも僕らは車に乗っていないのだから関係ない、と思うかもしれない。ところがどっこい、そうではない。信号が青だからといってのこのこ歩いていると突然青から黄に信号が変わったりする。するといっせいに車は容赦なくスタートする。横断途中に信号が黄色になると、こちらとしてはたまったものではない。だから信号が青だからといってのんきに渡っていられない。青でも小走りですみやかに渡らなくちゃいけないのだ。たまに信号無視してくる車もいるので、まわりへの注意も怠れない。
トルヒーヨの街では宿からセントロ(町の中心)にいくのにいくつもの大通りを越えていかなければならない。もちろん信号はついているが、その信号のおかげでけっこう大変なのだ。
ウズラの卵は素晴らしい!遺跡もよしとしよう。信号だけなんとかならないもんだろうか。(昭浩)
太陽のワカと月のワカを見に行った。ミニバスで途中から土のガタゴト道を30分くらい走って到着。そこから少し歩いた。
ところで、ワカって何?どうやらピラミッドのような建物をいうらしい。多分。昨日見に行ったエメラルドのワカも、ピラミッドのような形の建物だった。
太陽のワカは、手前にあったけど、ただの崩れかけた岩山で中には入れない。
月のワカは、手前で入場料を払うと、無料でガイドのお姉さんがついてくれる。6階建てのピラミッドの構造とか、壁画の内容とか、教えてくれた。太陽のワカは政治の中心で、月のワカは宗教の中心、だから月のワカの方が儀式で使ったいろんなものが発掘されているようだ。
壁画に描かれているのは、神の顔。歯はジャガーで目がふくろう、表情はいろいろ。笑っていたり、泣いていたり、怒っていたりする。異常気象などがあった時は、神様が怒っているんだということで、生贄を捧げたのだそうだ。ほかにもエイや蛇、キツネなどの絵もあった。驚いたのは、小さなふくろうが、実際にそこに、ピラミッドの中に住んでいたことだ。
さてさて、ピラミッドの中にもたくさん壁画があったけど、外側もなかなかのもんである。ダンサーたち、生贄の首を持つ人々、蛇などなど・・・一段ごとに違う絵が描かれていた。ここは色鮮やかな壁画がいい。とにかくいい。そして説明もきちんと聞けるのでなおいいと思った。ただ、今までにここで何度となく生贄を捧げたりしてきた関係で、幽霊が出るらしいので、夕方から夜にかけては行かない方がいいかもしれない。(映子)