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ペルーの旅行記2 ワラス・チャビン・リマ・ナスカ

5月11日〜5月17日

ワラス ―自然の美しさ、古代のロマン―    5月11日〜13日

ワラスってやばいかも。
宿に到着するとすぐに屋上に駆け上がった。
雪の山が町をとり囲んでいる。ここはネパールか?いやパキスタンのフンザのほうが似ているかな。どちらにしろ僕の大好きなヒマラヤのような景色がそこにあるのだ。興奮して、うれしくて、涙がでてくる。やばいよワラス

ワラスの町は、アンデスのなかブランカ山群と呼ばれる6000mを越える山々の連なるそのすぐそばにある町だ。とにかく山が近い。たった一日で6000m峰のふところ深くまで行って帰ってこれるのだ
僕たちはツアーバスにのってヤンガヌコ湖という氷河湖を目指す。
バスはペルー最高峰のワスカランに近づいていった。その雄姿がどんどん大きくせまる。
感動
 最高
来てよかった

ワスカランの裾野を登り、山と山の間のV字谷にはいっていった。細い直角の岩壁に挟まれた道を通り抜けると、そこには絵葉書からとびだしてきたような美しい、見ているだけで心のなかに爽やかな空気が流れるような、できすぎた景色が広がっていた
雪を抱いた山に挟まれた湖は紺碧の色をたたえている。そこには高原のグリーンと湖の色、白く輝く山の雪とぬけるような青い空、すべてがみごとなコントラストをなし・・・なんだかガイドブックのようなコピーになってしまった。

僕らはヤンガヌコ湖のあとカラスという町で昼食をとり、ユンガイという町へといった。厳密にいうとユンガイという町だったところにいった。
そこは1970年代のいつだったか忘れたが、大地震のときワスカランで発生した雪崩によって埋もれてしまったところ。雪崩にともなう土石流によって土砂で町全体が埋もれ、いまでは町全体が遺跡のようにその影を残すのみである。
こういう場所は幽霊がいっぱいいそうであんまり行くのは気が進まないのだが、ツアーだからしかたない。埋もれた教会やつぶされたマイクロバスなどの跡が痛々しい。その真ん前には夕日でピンク色に染まったワスカランがいた。

清涼とした湖の色と空の青、この美しさに感激!
埋もれた町ユンガイ。そのうしろにはワスカランが構える

次の日、僕らは町でのんびりすることにした。
せっかく素晴らしい山々に囲まれたワラスにいるのだからそれを思う存分堪能しようではないか!
と僕が言ったかどうかは定かではないが、そういうことになった。僕らの泊まった部屋は3面ガラス張りの眺望のいい部屋だったので部屋にいるだけで山の眺めを楽しめることができるが、やはりお気に入りは宿の屋上である。どっしりとしたワスカランがよく見えるのだ。それと町の中心にあるアルマス広場。ここからもぐるりとまわりの雪の山々を見渡すことができる。

宿でマツムラ夫婦とフセさんの3人組みにあった。3人は僕らとは違いカタギの人でゴールデンウィークの休みを利用してトレッキングにきたのだという。マチュピチュやナスカといった遺跡にはいかず、ワラスでのトレッキングを目的に地球の反対側まで3人はやってきたのだ。
「せいぜい2週間しかとれないそんな短い休みのなかで6000m級の高峰にぐっと近寄れるところって世界にあんまりないんですよ。その点ここワラスはいい!」
そう言っていた。

アルマス広場から見たワスカラン。ここからでも迫力ある

ワラスに来て3日目、僕らはワラスからバスでいけるチャビン遺跡にいくことにした。
チャビン遺跡も世界遺産だ。世界遺産ハンターとしてはいかねばなるまい。でもそれだけではない。このチャビン遺跡はプレインカ遺跡としてはたいへん古い。紀元前1300年頃のものだ。世界遺産同様、僕はこの紀元前という言葉にもたいそう弱い。そして古いのに保存状態がいいというのもポイントだ。

チャビンは広場を囲むようにピラミッドが3つならんだ複合建造物の遺跡でけっこう大きい。いくつかあるオリジナルのレリーフは状態がいい。ピラミッドのなかには入ることもできて、探検隊になった気分も味わえる。なかなか訪れがいのある遺跡だった。

それ以上に僕たちに強烈な印象に与えたのはチャビンにいくまでの道中の景色だった。チャビンへの道はこのブランカ山群に真っ向から近づいていき、最後には4516m地点にあるトンネルをくぐって向こう側へ突き抜けてしまうのだ。バスの中から見た、草原の向こうに広がる白い山たち、小さな湖におおいかぶさるうように立ちはだかる険しい峰。なんだか言葉にすると陳腐になってしまうのが歯がゆい限りだ。
とにかく、ペルーに乾季(5月〜9月頃)に訪れる人がいたらぜひワラスに行くことをおすすめする。ホントいいところだ。(昭浩)

チャビン遺跡に行く途中にあるケロコチャ湖。爽やかすぎる!
チャビン遺跡は複合ピラミッド遺跡。山に囲まれて雰囲気もいい
紀元前のものなのにレリーフがはっきりと残っているってすごい
これがチャビンのシンボルとでも言うべき石像。建物のあちこちにあったらしい

早朝のリマに怯え、天野博物館にたまげる 5月14日

夜行バスは早朝リマに着いた。ペルーといえば泥棒や強盗の多い国。そんな国の首都だから気をつけなければいけない。まだ暗いうちから大きな荷物を背負ってセントロでぶらぶら宿探し、それだけはさけたい。明るくなるまでバスターミナルのなかで待つことにする。

・・・1990年はじめてこの国を訪れた時は治安が最悪だった時期だ。ペルーでイヤリングをしていると耳ごともぎとられるとか腕時計もナイフで切ってとっていくため不器用な泥棒に狙われたりすると手をナイフで刺されたりするのだ。当時ペルーを旅していた旅行者は何らしかの被害にあっていた。同じ時期ペルーを旅していた大学の同級生はバックパック全部盗まれた。僕もジーパンのポケットを切られてポケットにいれていた時計とお金をとられた。あまりにも泥棒が多いので、泥棒に狙われないように、気が狂ったフリをしたり、ヌンチャクを常にふりまわしたりしながら街を歩くものがいたくらいだ。
もちろんノーマルな防護策としは、旅行者に見られないようにするというのが基本的のものだった。歩く時は手ぶらで歩く、キョロキョロしない、地図やガイドブックなんて絶対道端で広げたりしない、もし道を間違ったとしても引き返したりしない、もしそうなったら1ブロック一周してもとにもどってくる、早足でいかにもその場所をよく知っているがごとく歩くなどなど。・・・

バスターミナルから無事宿に着き、セントロのアルマス広場に行くと昔とはだいぶ状況が変わっていた。コロニアルを意識してかカテドラルやそのまわりの建物は明るいオレンジ色に塗り替えられ、ダークなイメージからポップなイメージの場所にかわっていた。警察官もたくさんいた。それだけで安心感がある。広場には外国人ツーリストが首から一眼レフカメラなんかをぶらさげたりしている。平和な世の中になったのぉ。自分がえらい年寄りになった気分だ。

午後から天野博物館にいった。
この天野博物館は多くの旅行者が強く薦めるところだ。リマに行ったらとにかく天野博物館に行け、と。しかも国立博物館に行く前にいったほうがいいらしい。なぜ皆が一様に薦めるのかはよくわからなかったが、僕らはリマに着いたその日、皆の助言通り素直に天野博物館に向かった。

天野博物館というのは、南米で実業家として成功した故天野芳太郎氏が私財を投じて建てた博物館である。この博物館、完全予約制であらかじめ電話でアポイントをとって行かなければならない。面倒な話だ。
約束の3時、玄関ロビーで待っていた僕らの前に、学生らしき若者が現れた。これから博物館を案内するという。天野博物館がなんぼのもんじゃい、こんな若造に説明を受けるためにアポイントをとったのか・・・とは思わなかったが、みんながいいよ、って薦める理由はまだ半信半疑の状態だった。

1時間ほどで博物館の案内は終った。そのときの僕の瞳は好奇心をたくさん含ませた子供の目のようにきらきらと輝いていたにちがいない。喚起された古代人のメッセージに対する興味で軽い興奮を覚えていた。僕がもし夢見る小さな子供だったら、考古学者を目指していたことだろう。僕は、この時点ではじめて旅人がなぜ天野博物館を薦めるのかが理解できた。

行けばわかる。その一言で終わりにしたいところだが、もう少しがんばって天野博物館の魅力について書いてみたいと思う。
天野博物館の魅力を考えた場合、その最たるものは、故天野芳太郎氏からずっと受け継がれているであろう、プレゼンテーションの素晴らしさではないだろうか。プレゼンテーションといってもいろいろあるが、それは展示の仕方、順序、構成といったものから、案内人の説明、その内容、順序、などそのすべてだ。それは、よくできたドキュメンタリー番組のように、来たものの興味を奮い起こし、知的好奇心を見事に満たしてくれる。そして、なによりも価値あることは、ここでは古代人からのメッセージを素人にもわかるように聞かせてくれるのである。

古代人のメッセージとは何か。文字というものを持たない、古代ペルーの人々、そしてインカの人々、が遺したモノが伝える、人々の生活、風習、美意識、みたいなものから、その当時の雰囲気のようなものだ。プレインカからインカまでいくつかの時代を経てきているペルーで、時代時代によって違うメッセージを僕らはここ天野博物館で聞かせてもらった。

遺跡の時代の人々って、もちろん僕らと同じ人間なんだけど、なんだか別モノ、ややもすれば宇宙人のようにまったく違う人間像というものを描いてしまう。そんな古代の人々が、彼らが遺したモノから彼らのメッセージを聞くと、ぐっと身近になって、同じ人間としての親しみというものを感じてしまう。そうやって昔の人々に思いをはせるというのは、それは遠く懐かしい詩を聞いているようでとても心地よいものだ。(昭浩)

明るい街へとポップに変身をとげたリマ。これもフジモリのおかげか

リマ観光と最高の日本食 5月15日

観光だ!リマに来たのは2回目なのに今日はリマ初観光。
「前回来たときは何しとったん?」
それは聞かないで欲しい。その時はアルマス広場をうろついただけで観光というものは一切していないのだから。
今日はカテドラル、国立博物館、サンフランシスコ教会の3本立てだ。すごいぞ。14年の月日がたち、人間が成長し、人間的に円熟味や深みといったものができてきたってことか。とにかく映子に引き連れられていったのではない、ということを強調しておきたい。

まずカテドラル。この中に博物館があるがあまり興味あるものはなかった。なんせ僕はキリスト教関係の宗教画というものにまったく興味がないのだから仕方がない。ただこの教会のなかにはピサロの墓がある。ペルーの首都であるリマのカテドラルにピサロが祀られているとはどういうことか。それは今のペルーという国が征服者による国だってことだ。いくら母国スペインから独立したとはいえ、そういうことなのだ。ということは、この国にいるインディヘナ(先住民)は、被征服者ということになる。時がたちそのあたりがあいまいになってきているが、そのような意識は、まだまだ特にインディヘナには残っているはずだ。

インディヘナのほとんどの人々は、インカ時代が最もよき時代だと思っている。ウラを返せば、今の時代を良いと思っていない。いつか自分たちと同じ肌の神がやってきて自分たちを救ってくれるという、神話のようなウワサがあり、そのおかげでフジモリ大統領は初めての選挙で多くの予想を裏切る大逆転勝利をおさめたという説もある。
インカ帝国をぶっこわしたインディヘナの敵ピサロが祀られているという点で興味をひいたカテドラルをあとに、僕らは国立博物館に向かった。

今日はモチベーションが高い。昨日の天野博物館にいったのが効いている。自分はすっかり考古学者にでもなった気分で博物館にのぞんだ。それはそれは楽しい博物館見学だったことはいうまでもない。天野博物館で得た知識のおかげというのもあるが、プレインカ時代の土器のかわいらしいモチーフ、自由な発想、独創的な意匠、大胆な性描写(おおっ!) から色の使い方、見ていて飽きない。デジカメとはいえ200枚以上もの写真を撮ってしまった。

最後にサンフランシスコ教会にいった。ここの見所はカタコンベといわれる地下共同墓地。人骨が集められ積まれた地下墓地、僕はオカルト嫌いなので、正直いって勘弁してほしいくらいだ。中庭のイスラムのモザイク模様の影響が感じられるセビリアンタイルのほうがきれいで印象が強い。

ここで僕らのリマ観光が終る。でも、ぼくにはもうひとつ行きたいところがあった。ペンション西海だ。
14年前は日本人バックパッカーの溜まる強力日本人宿だった。ご主人の西海さんが亡くなり、治安のよくない地域にあるという理由で、最近は、旅人のためよりも事なかれ主義、という風にすっかり編集方針が変わってしまった、某地球の歩き方から掲載を削除され、今では来る客もいなくなってしまい、奥さんが1人そこで日本食を提供しているだけだ。

ちょうど同じ宿に泊まっていた自分をジャラと名乗るトレッドヘアーの女の子から誘いがあったので一緒に行くことになった。
ペンション西海は、人の気配の少ない寂しさがただよっていた。そこが昔旅人でにぎわっていた様子だけ残していた。整理されていない本棚には、10年前のガイドブック、ほこりに汚れた本、なつかしいマンガなんかが並んでいた。情報ノートには昔の旅人の書いた記述があった。宿泊者名簿には年々宿泊客が減っていることがはっきりと記されてあった。今年はまだ1人しか泊まっていない。なんだか日本人宿の終焉というものを見ているようだった。
奥さんの作る日本食は絶品だった。焼き魚、焼き餃子、ミソ鍋、といった豪華メニュー。海外ではなかなか食べることのできない本物の日本の味だった。

リマはそれほど魅力に感じる街ではないけど、天野博物館とペンション西海のごはん、これだけはもう一度行ってもいいな。(昭浩)

ピサロの墓。どれだけの人がピサロを拝んでいるのだろう
なんだこれは?と思えるのもすべて酒を入れる壷や徳利だったりする
ヒゲの漁師。表情が生きているそんな印象をうけた
子供が寝ている横でナニしている。なんか妙にリアリティあるなあ

ナスカでキレる   5月16日

夜の9時、ナスカに到着した。バスを1歩出ると、英語と日本語で激しくまくしたてる客引きたち。びっくりした。ペルーに入ってこんなこと初めてだし、久しぶりに客引きというものと見た。英語だけでなくて日本語で来るあたり、かなり日本人観光客が多いのだろう。しかし、いい加減いやーな気分になってきたので、目の前にあるホテルに、逃げ込むように入った。

そこは、元々行こうと思っていたホテルの姉妹店だったのだ。部屋は悪くなかった。だけど、そこで働いている男が、気に入らない。調子よくいろいろ言ってくるんだけど、一言多い。そういうタイプの男だ。せっかく部屋を決めて、荷物も降ろしたところで、まだ何か、日本語で言ってこようとする。
たまらなくなって、あきちゃんが言った。
「君の日本語は、よくない。」
すると、男は、
「君のスペイン語は、よくない。」
お互いの言語が、お互いにちゃんとしゃべれないために余計にいやーな気分になり、あきちゃんは、ついにキレた。
「行こう。」
荷物をもう一度背負いなおして、ホテルを出た。そのホテルの本店の方へ行った。そこはよかった。安易に最初のところに決めなくてよかった。(映子)


補足しておく、僕が従業員に、君の日本語はよくない、といったのは言葉が下手だとかそういうんじゃなくて、彼の使う日本語にカチンときたのだ。
そもそもそいつ自体がとても感じが悪い。たくさんの客引きを振り切り、バス停の目の前にあるその宿に入るとその感じの悪いホテルの男(そいつも客引きをしていた人たちのうちの1人なのだ)が言うではないか。
「ソト ニ イル ヒト アヤシイ ヒト。」
お前こそ怪しいよ、って思う。
宿代をディスカウントしようとすると、
「おおビンボー!」なんて言ってくる。
だから言ってやったんだ。
お前日本語しゃべるな!気分悪いねん!
どうして?って聞くので、こう答えた。
「お前の日本語良くない」

この時点で結構頭にきていたので本当なら宿を変えるところなんだけど、僕ら2人だけじゃなく、リマであったトシくんも一緒だったので、我慢することにした。
ところがだ、部屋に入って荷物降ろしたところで、トシくんが宿の男にトイレの場所か何かをスペイン語で尋ねた。するとそのバカ男は無視。そして感じ悪くこう言った。
「Your Spanish is not good.」
そこでブチキレて、僕らは宿を去った、とこういうわけ。

僕は、たまに、イヤなことがあったりすると外人みたいに、ファック!!とか言ったりして、そのたんびに映子にそんな言葉を使うんじゃない、って注意されるんだけど、そのとおりだと思う。オーストラリア人なんかの会話を聞いているとしゃべり言葉の一つのセンテンスに2,3個はファックという言葉が口癖のように入るのを耳にする。だからといって、日本人の僕らがそういった汚い言葉を使うのはいけない。ネイティヴだから許されるってわけじゃないけど。他国の人が吐く汚い言葉ほど醜く人を不愉快にさせるものはないのだなあ。つくづく思ったしだいだ。(昭浩)

行かなきゃ!ナスカの地上絵に!    5月17日

ナスカの地上絵はしょぼい。」
旅人の間でよく聞かれることだ。
でも僕は行くと決めていた。しょぼかろうがなんだろうが絶対に行く!
初めてペルーに来た時は行かなかった。それがずっと心にひきずっていた。気になる場所というのは行っておいたほうがいい。それがしょぼい場所であろうが、時間と金のムダと言われようが、人に反対されようが、だ。そうしないとその行きたい場所は心の中にしこりとして残り、ヘタをすれば化膿し、メンチョウになったり、悪性の腫瘍になったりしかねない。僕の場合は悪性の腫瘍とまではいかないが、化膿したメンチョウの膿を取りにここまでやって来ただけなのかもしれない。でもそれでいいのだ。

ナスカの地上絵を見るフライトは朝一番がいいといわれている。陰影がはっきりして絵が見やすいからだ。僕らはこの日朝7時のフライトで飛んだ。乾いた荒野の上を4人乗りセスナは飛ぶ。ゲロゲロになるほど揺れると聞いていたが、まったくといっていいほどセスナは揺れなかった。それどころか地上絵を探すのに必死で飛行機酔いどころではない。

僕はテイクオフ直後から一生懸命地上絵を探していたが、そんなことするまでもなく絵の上に来るとちゃんと旋回してくれるし、パイロットが指さして教えてくれる。
地上絵は消えかかっているというのでよーく目をこらさないと見えないものかと思ったが、バッチリ見える。しょぼいといわれる地上絵だけど僕的には全然そんなことなかった。地上にこんな巨大な絵を描くなんてイカしているよなあ、と僕は静かに感動していた。そのデッサンも幼稚なようでいて、でもそこには古代人のソウルなんかが感じられたりする

誰だ?ナスカの地上絵はしょぼいっていた奴は。あとで便所のウラに呼び出してシメなきゃいかんな。しかし、考えてみれば、そのおかげで、よけい素晴らしいものに感じることができたのかもしれない。なぜなら、期待しすぎると得てしてその期待は裏切られ、期待せずにいくと、意外と良かった、という結果を生むからだ。
期待しすぎない、それは、より楽しく、より感動多く生きるための哲学になりうるだろう。多くのものを期待し、足りないものを見つけては嘆く人よりも、多くを期待せず、生きているだけでめっけものと思って毎日をありがたい気持ちで過ごしている人のほうが、明らかに幸せな人であるはずなのだから。(昭浩)

くじら。真ん中を分断しているのは道路の跡だろうか?
宇宙人。あのガチャピンも見に来た
サル。しっぽがぐるぐる巻き。これはけっこうお気に入り
ハチドリ。バッチリ見える、地上絵の代表作
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