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ジンバブエ旅行記

7月23日〜7月27日

ジンバブエの地図

ビクトリアフォールズシティの宿にて   7月23日

ビッグツリーとジンバブエの電車   7月23日

ビクトリアフォールズの近くにあるビックツリーを見に行った。ビクトリアフォールズは、ザンビア側ですでに見たのでここでは見ない。ジンバブエ側からだんだんと近づいていくとザンベジ川が見えてきた。ビクトリアフォールズの水煙も見える。滝に行くには、お金を払わなければならないので、柵がしてあってこれ以上近づけない。

いつの間に現れたのか、後ろに警官のような制服を着た男がいる。彼の名はジミー。この辺りは危険なので、ツーリストの安全を守るために警備の仕事をしているらしい。

「何がそんなに危険なの?」と聞くと、
悪いやつらがいて旅行者を狙って物を盗ったりするという。でも多分それだけではなくて、この辺りは象やバッファローなどの動物もうろちょろしているらしいから、そのためもあるだろう。そしてまた、柵を乗り越えて、タダで滝を見に行こうとする輩を取り締まるためでもあるんじゃないかな。

彼は、ビックツリーまでの道のり、ザンベジ川沿いの道を歩き、
「あの島は〜島。」とか、「あそこにクロコダイルがいる。」とか、教えてくれた。
ビックツリーに着くと別の警備員が案内してくれた。まるでガイドのようにいろいろ説明してくれる。よくしゃべる彼だったが、チップを要求することもなく、とてもいいやつだった。

ビッグツリー。それはもはや1本の木ではない。5〜6本のバオバブが1つにくっついたみたいな巨大なバオバブだ。周りは柵で囲ってあるので、触ることはできない。後ろ側は、象に皮をはがれたようなあとがあった。その付近には、インパラがうろちょろしていた。

ビッグツリーはビッグだった。せっかくだから触りたかった

 夕方6時半発ブラワヨ行きの電車に乗るために、5時過ぎには駅に行った。ちょっと早すぎたみたい。待っている人はパラパラいるが、電車はまだ来ていない。

6時過ぎにやっと列車到着。私たちはファーストクラスで、2人だけのコンパートメント。しかし、暗い。電気がつかないのだ。ろうそくをつけても風と揺れですぐに消えてしまう。ファーストクラスなのになんじゃこりゃあ?と、車掌らしき人に文句を言ってみるが、ラチがあかない。ろうそくの明かりの元で、細々と食堂車から運んできてもらった弁当みたいな夕食を食べ、暗くてもう何もできないので寝ることにした。

ところが、夜中に突然パッと電気がつく。まぶしいっちゅーに!!(映子)

ブラワヨ行き夜行列車。1等なのになぜか電気がつかない。そして、ろうそくを車掌が売りはじめる。そりゃねーだろ!

ブラワヨでの再会  7月24日

朝8時半ごろジンバブエ第2の都市ブラワヨについた。僕たちはブラワヨの宿の候補を2、3選んでいたので、駅前の電話屋から電話をかけた。しかし、どこもつながらなかった。今、ジンバブエは極端な外貨不足のため経済が崩壊しつつある状態。ハラレでは大規模なデモがあって、それを武力で制圧したというニュースもつい1ヶ月ほど前南アフリカの新聞やCNNなんかでやっていた。状況が不透明で危険視されているため、ツーリストは今ほとんどいない。それは今にはじまったことではないのだが、ここ最近顕著にひどくなっている。宿も多くは閉鎖しているのかもしれない。

ガイドブックを見直しバークレイプレイスという宿に目星をつける。少し料金的に高い気もしたが、設備はよさそう。車で駅まで迎えに来てもらった。

宿に着くと、驚いたことにコイさんとイクちゃんがいた。7ヶ月ぶりだ。前はエジプトのダハブで一緒にサザエ食べたのが最後だった。

旅のうえでのめぐりあいには「たまたま」では片付けられないものがある。そのように感じるのは僕だけではないだろう。今日なんて、もともとこの宿にくるはずもなかったのだったが、他の宿と連絡がとれず行き方もわからなかったので、しかたなくやってきた、そこにふたりが現れる。なんたる偶然。驚かずにはいられない。ふたりは、明日のバスで南アフリカのプレトリアに向かうそうだ。(昭浩)

出会い   7月25日

カミ遺跡へ行くはずだった。でもやめた。タクシー代が昨日聞いた値段の4倍もする。だいたいカミ遺跡ってグレートジンバブエ遺跡に似ていて、それよりしょぼいらしいから、これからグレートジンバブエに行くからいいじゃん、ということになったのだ。その代わりに博物館へ行った。

その日の午後のことだった。インターネット屋へ行った。そこには長い列ができていて、なかなか順番がまわってきそうにない。イスに座ったまま、私は気づいたら眠っていた。
なぜか、隣の女の子に起こされる。すごく眠いのに。何だ?と思って見ると、2人組の女の子で、無邪気な笑顔で聞いてきた。
「名前は?」「どこから来たの?」「日本について話して」「科学技術について知りたい」
次から次へといろんな質問を投げかけてくる。最初はうざいなあと思ってたけど、屈託のないその少女たちに引き込まれて話すようになった。エスターとナンシー、ふたりは目をきらきら輝かせて「女優になりたい」という。

「日本語を教えて」というので、少しだけ、英語と日本語を書いてあげた。
「日本の歌を歌って」と言われて、
(おいおい、ここはインターネットカフェだよ。恥ずかしくて歌えないよ)と思ったので、
「ジンバブエの歌は?」と切り返してみた。

すると、すごくきれいな歌声とハーモニーで2曲も歌ってくれた。ちょっと感動。これは私も歌わなきゃ、と思ってあきちゃんと2人で「上を向いて歩こう」を歌った。恥ずかしそうに歌っていたあきちゃんの声が聞こえなかったからと、もう1曲。あきちゃんは平井堅ばりに「大きなのっぽの古時計」を歌った。

ジンバブエの経済や政治は問題がいっぱいのように見えるけれども、こうして話していると彼女たちにはまるで関係がないかのように思える。底抜けに明るい彼女たちに明るい未来があることを心から祈った。(映子)

ジンバブエの友達。メールを通しての交流はずっと続いている

ブラワヨからマシンゴへ 7月26日

50人乗りくらいの大型バス。ボロい。20年以上も昔のバスではないかと思われる。色もくすんだ橙色でさえない。経済不振のジンバブエを象徴しているよう。バスは満員だったが、かろうじて一番後ろの席に座る。
背の低い木がカビのように広い大地にはえている。ところどころ岩がむきだしになった山があらわれる。こういうところから、銅やリチウムなどの鉱物がとれるのだろうか。
バスに乗っている人々はおだやかな顔をしている。スリや置き引きがいるような雰囲気ではない。なのに、うまく眠れない。久しぶりのローカルバスで慣れないからか。となりの映子はうらやましいくらいよく眠っている。

グレートジンバブエ遺跡を訪れるときに基点となるマシンゴという町についた。土曜日というせいもあって、ものさびしくガランとしている。旅行者は町にも宿にもひとりもいない
この1ヶ月いろんな人々とわいわいと過ごすことが多かったので、なおさらこのさびしげなところはこたえた。ジンバブエはどの町もしぼんだ風船のようにハリがなく、暗澹とした空気が澱んでいる。あまりこの国に長居しないほうがよさそうだ。(昭浩)

グレートジンバブエ遺跡  7月27日

マシンゴのムチェケバスターミナルからバスに乗り、30分ほど走ったところで降ろされる。そこから20分くらい歩くとグレートジンバブエホテルがある。さらに20分歩いてチケット売り場に着く。

石を積んで造られたその遺跡は思ってたよりずっとよかった。おもしろかったのは、石の積み方が結構いい加減で隙間だらけだということ。石の大きさもいろいろ。平らに切ってあるのだろうけど、すべて大きさが違う。アフリカらしいと思う。このアバウトさ。いろんな個性のある石が積み重ねられて1つの大きな建物を造り、街を造っているように、ジンバブエもいろんな個性のある人々で国家が造り上げられたのだろう。そんなことを考えたりもした。

もともとある大きな岩がそのままごろごろしている、ヒルコンプレックスへ登る。石の階段を登っていくと、その大きな岩と、小さな石の積み重ねが一緒になっている建物がある。上から見える神殿もなかなか立派そう。反対側には湖が見えた。
下に下りて神殿を見た。よく絵葉書に出ている塔はちとしょぼいが、壁に沿って作られた細い通路は雰囲気がある。石の積み方もさっきよりていねいでしっかりしている気がする。神殿だから気合入れて作ったのだろうか?

帰り道のおみやげ物屋で、ホロホロチョウ柄のテーブルクロスになりそうな布を買った。大仏のような髪型のおばちゃんとの交渉は難航して、もう買うのやめようと一度は帰ろうとしたけれど、もう一度戻った。やっぱり欲しくなったのだ。観光客がほとんどいないなと思っていた通り、今年はいつも来ていた南アフリカ人たちが来ないのでビジネスは難しいとおばちゃんは言う。それでも私はがんばって値切った。おばちゃんにとっていい値段かどうかわからないけど、少しでも生活の糧になればいいなと思った。(映子)

グレートジンバブエ遺跡のアクロポリス。観光客がほとんどいないから思う存分その昔に想像をめぐらすことができる
グレートウォールと呼ばれる神殿跡
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