2003年 7月28日〜8月22日
「このビザはフェイク(ニセモノ)だ」
ジンバブエと南アフリカの国境でのことだ。映子のちょうど前に並んでいた人が南アフリカの入国管理官に質問される。
「Can you speak English? What language can you speak?」
そのアンゴラ人は本当にポルトガル語しかわからない様子で
「フェイクってなに?」
そんなジェスチャーをしている。
「お前はあとだ、後ろで待っていろ」とアンゴラ人に言ったあと、映子の番が来た。
「お前たちもあとだ、後ろで待っていろ」
僕らが日本人と見るや、なぜかアンゴラ人と同じように後回しにされる。なんで?
フェイクビザのアンゴラ人は同じバスに乗ってこの国境まできたが、その後どうなったかはわからない。彼のビザがフェイクだったのは、もぐりの代理店でビザを頼んだらニセのビザだった、そんなところだろう。
僕らはイミグレを無事通過できたのだが、荷物チェックでひっかかる。どうやら麻薬をもっている疑いがかけられている様子。
「荷物を開けて待て。犬が来るから」
しかし犬は来ない。
「全部、開けて見せろ」
犬が来ないおかげで全部チェックされることになった。持っている薬もひとつひとつ、見せては説明しなければいけない。イソジンのうがい薬から梅肉エキス飴に至るまでネチネチと調べ上げられた。
「なんで開けなきゃいけないんだよ?」
マラウィで映子がやっていたように反抗的に文句を言い、超不機嫌の態度をとった。これが逆効果だったようだ。
映子は、マラウィとはうってかわって、荷物検査の係員とフレンドリーに接したのが功を奏し、あっさりとほとんどカバンの中身をみられることもなく、すでに終わっている。他人事のように涼しい顔して、汗をかきながら必死で荷物を出したり入れたりしている僕を見下ろしながらこう言った。
「あきのじちゃん、その(反抗的な)態度がいけないんじゃないの?」(昭浩)
早朝4時、まだ暗いうちにプレトリアに着いた。何もない、人もいない駅前で降ろされた。タクシーが停まっているはずと期待していたが一台もいない。
(大丈夫だろうか?昼間でも危険なプレトリアで、しかもまだ暗い。)
かなり困った状況になっている。駅は開いているが人がいないからここも安全とはいいがたい。早くここを避難して、明るくなるまで安全な場所にいたいところ。
プレトリアで降りた乗客は僕ら以外に黒人2人がいた。彼らを迎えに来た友達の好意で宿まで送っていってもらった。本当にありがたい。そして助かった。いつもクロちゃん(黒人)はいい加減でイヤだ、なんてさんざん憎まれ口をたたいておきながら調子がいい。おかげで夜(早朝)のプレトリアをさまよわなくて済んだ。早朝は強盗たちも寝ているから安全という説もあるが・・・(昭浩)
その日はいろんなものがズレていた。
昼ごろ停電になった。信号の点かない交差点では車はゆっくり注意深く交差点を横切り、信号が作動しているときよりもあきらかに安全そうにみえた。そんな交差点では黒人のお兄ちゃんが車のドライバーに窓越しに地球儀を売っていた。
そんな日の昼下がりことだ。
「友達が警察に逮捕された。一緒に来てくれ。」
そう宿の人に言われて外にでると迷彩服着たアーミー風の警察が僕にパスポートの提示を求め、しかもそれをひったくって持っていこうとした。ただならぬ雰囲気だ。警察といえども許可なしには宿の塀の中には勝手に入って来られない様子で、僕は宿の人に促されるまま建物の後ろに下がる。
日本人4人が逮捕された。ブラワヨで再会しプレトリアで昨日から一緒だったコイさんとイクちゃん、アキさん(僕ではない)、シュウコさんの4人だ。
しばらくすると日本大使館の人がやってきた。僕は全然どういう状況になっているのか把握していなかったが、知っているだけの事情を話す。
「ニセ警官でなければいいが・・・」
そう日本大使館の人は言った。
夕方4人は帰ってきた。話を聞くと、4人は乗っているタクシーを白バイに止められ、問答無用で囚人輸送車のような車のオリにいれられ2時間ほど軟禁されたのだそうだ。理由はパスポート不携帯。日本大使館にも電話させてもらえず、状況もよくわからないまま、狭いオリのなかでじっとしてなければいけなかった。何を言っても取り合ってもらえず、これからどうなるのかもわかない、そんな状況での2時間は、体験していない僕らにとっては想像できないが、言葉では言い表せないほどの恐怖とストレスがあったに違いない。
宿のオーナーが弁護士を呼んで対処してくれたおかげで、その後スムーズに事が解決したのだが、イミグレーション・ポリスがどうしてそんな強引なやりかたをしなければいけないのか、それはまったく不明である。
「この国はわけかわらない国だから気をつけて」
日本大使館の人はそういって防弾ガラスに守られた特注ランドクルーザーで去っていった。(昭浩)
アパルトヘイトによって作られた黒人居住区を訪れるというソウェトツアーに参加した。メンバーは、ドイツ人男2人とオランダ人女2人、私たちとコイさんの日本人3人である。ガイドは黒人のジョブ、その名前の意味は、なぜかハピネス(仕事じゃないの?)、太っちょの男だ。
ソウェトに着くまで、ジョブは運転しながら延々と英語で説明する。わかりやすい英語のようだけど、なぜか私にはよくわからなかった。つまらないギャグだけ理解できたりする。何とか私が聞き取れた情報によると、ソウェトといってもかなり広くて、その中でも上流階級、中流階級、そして貧しい人々と場所が分かれて住んでいるらしい。
ぼろいバラック小屋が立ち並ぶエリアに、現地のガイドとともに入ったが、ほんの20分ちょこっと歩いただけ。やっぱり長くいると危険なのだろうか?しかし危険は全然感じず、かといってソウェトを見たぞ、といえるくらい深いところまで行っていろいろ見たり聞いたりしたわけではない。
しかし、何を期待していたのだろう?それすらもよくわからない。人種差別の現実を見ておきたかった。しかし、ただ興味本位で人の不幸を見たかったのだろうか、という気すらしてくる。現地のガイド、とはいってもここの出身ではなくて、伝えたいメッセージもあるのかないのかよくわからない。説明もなくいきなり質問は?ときかれても何を聞いていいのやら。おばさん2人と子供3人の家を見学したけれど、見世物に徹しているという感想だった。
マンデラ氏の前妻の家と、ビショップトゥトゥの家、そしてマンデラ氏の家を外から見てから博物館へ行った。写真や映像はとてもリアルでそのときの状況が思い起こされる。1976年6月16日のことは、学生たちが自分たちの意思でデモ行進をやったということ、それを警察が邪魔して死者が出たということがわかった。
このツアーがよかった、という人がいたのだが、なぜだろう?私にとっては、いまいちだった。それは、私の勉強不足から来るものなのかもしれないが、ソウェトを見に行って、何も感じなかったのだ。そこで住んでいる人々の思いとか、希望とか、憎しみとか、何かが感じられると思っていたのに。これじゃあ博物館の人々の生活様式の模型を見ているのと同じだ。そんな思いだった。(映子)
私にとっては初めてのバズバスで、スワジランドへ行った。朝からドライバーにせかされ、それでいて、プレトリアもヨハネスブルグもバックパッカーズをいくつも回っていくので待たされまくり。いやな感じ。ほとんど寝てたけどねー。ネルスプリットで乗客はかなり入れ替わる。しかし常に満員だ。
スワジランドまでの道は、くねくね曲がった道が多い。国境を越えたのは、5時か6時ごろだった。少しずつ暗くなってきている。宿に着いたときにはもう真っ暗。
チェックインしてごはんを食べたら、スワジダンスを見にメインキャンプへ行った。王様の写真付の赤い布をまとった女性たちと黄色いスカートをはいて白いヒラヒラを腕と足に付けた男性たち。そして一番偉い人らしき男の人が、女性と同じ布をまとって前に出てくる。挨拶してからダンスは始まった。
一人の女の人が前に出てくる。歌っている。足を動かすとジャラジャラと音が鳴るものを足首につけている。と、いきなり笛をピーピー好き始めた。そして吉川晃司ばり(古いなあBy昭浩)に足を上げる。周りの女の人たちも前に出てくる。そして同じように足を上げる。太鼓の音と歌はあっているが、笛の音もリズムも合っているようには思えない。
次は男の人だ。やっぱり足を上げる。上げるとき、太鼓の音は大きくなる。そして「レレレレレー」と言って、また足を上げる。みんな適当に踊っているように見えるけれど、息はぴったり合っている。アカペラ4人組もよかった。最後の歌は、ザンビアでも聞いたアフリカンソングだった。(映子)
私たちが泊まっている宿は、動物保護区内にある。メインキャンプまで歩いただけで、動物をいっぱい見た。楽しくなってきた。歩いているだけで動物が見れるなんてすてきだ。車で動物を見に行くことに飽き飽きしていた私たちにとっては、とても新鮮な喜びがある。動物が近くに感じられるし、ガイドに連れて行かれるんじゃなく、自分たちでいけるのがうれしい。
メインキャンプから、ヒッポプールに向かって歩いてみた。ヒッポプールはなかなか見えてこなかった。途中でオリックス顔したヤツと、バッファローか?と思ったら実はヌーらしいヤツと、鹿とシマウマを見た。かなり近い。
ヒッポプールが見え始めたが、ヒッポはいない。そしてまた、森の中の道が続く。やっと森から抜け出た辺りで、向こう岸のほうにヒッポが見えた。それから、雨が降りそうなので急いで帰った。案の定、夜になると雨が降り出したのだった。(映子)
スワジランドは地味な国だが、ここムリルワネ動物保護区は強くお薦めしたい。
宿のまわりを散歩する、それが散歩でなくウォーキングサファリとなる。普通のサファリだとどうしてもガイドに「見せられている」感があるが、ここではガイドなんていないから、自分たちで動物たちを見つけ出す楽しみがある。
野生動物たちと同じ地面を踏み、同じ目線で対峙していると、自分も同じ動物の仲間としてこの地球を共有している、そんな感覚につつまれる。背くらいまで伸びた草の向こうに野生動物の群れを見つけたときの驚き、そして足をしのばせ近づくときの胸の高鳴り・・・野生動物を見飽きるほど見てきた僕が感動するのも無理のないことだ。世界広し、といえどもこんなことなかなか体験できない。すばらしい野生の国だ。(昭浩)
スワジランドからダーバンまで行く方法はふたつある。高くて遅い、安全だけが取り柄のツーリスト向けのバズバス。もうひとつがワンボックスカーのローカルバス。
バズバスを利用すると宿から宿への移動なのでほぼ100%白人社会に身をおくことになる。いつもまわりはツーリスト。ローカルバスの場合、一転して白人は皆無。100%黒人社会に放り込まれる。僕たちはローカルバスを選んだ。
スワジランドのマンジニからダーバンまで6時間、昼食もとらずローカルバスはとばす。きゅうきゅうにつめられるのでちと苦しいがよくねむれるではないか。
ほとんどが森と丘ばかりのズールランドと呼ばれる地域をひた走り、ダーバンには4時前に着いた。ダーバンもヨハネスブルグ、プレトリア同様に治安が悪いといわれている場所(友人の大将もここで強盗にやられた)だが、親切なドライバーはダウンタウンではなくツーリストインフォメーションのオフィスの前まで連れてきてくれた。おかげで難なく宿までたどり着くことができた。
南アフリカを旅するときはいつも気を使う。移動のときはとくにだ。バズバス使うのなら問題ないが、そうでない場合、バスは明るいうちに目的地に着くのか?バス停から宿までのアクセスは?街の治安は?そんなことを気にしながらルートや予定を考える。安全にいけばお金がたくさんかかるし、節約しようとすればリスクを背負うことになる。この国では、そういった悩みがいつもつきまとうのである。(昭浩)
KRAALという宿に泊まりたかった。コーヒーベイの近くだけれど、もっと奥のほうで、ウムタタからの送迎バスに乗らない限りはいけないようなヘンピなところにある。何度か電話をするがつながらない。とりあえず、ウムタタまで行っちゃえー、ということでバスに乗った。
しかしそのバスは、1時間半も遅れてきた。しかも2階建てのはずが、普通のバスである。そのせいで乗れなくなった人もいた。さらに、走り出して30分後にバスは止まる。というより、止められたのだ。警察に。100Kmのところを125Kmで走っていたらしい。まったく不運な運転手だ。しょぼいバスなので、映画もやらないし、仕方ないからほとんど寝ていた。
時々景色を見る。牧場、農場、牛や豚、などなど。アフリカってホント広い。南アフリカだけでもかなり広いなあ。
ウムタタに着くと、もう一度KRAALに電話した。やっぱり誰も出ない。コーヒーベイの宿、Coffee shackのミニバンが来ていた。あわよくば、これに乗っていくか、と思っていたら、ドライバーのほうから声をかけてきた。
ロバート(ドライバー) 「Where are you going?(どこへ行くんだい)」
映子 「コーヒーベイ」
ロバート「Which backpackers are you going?(どこのバックパッカーズへ行くの)」
映子 「コーヒーシャック」
ロバート「Put your luggage inside.(荷物を中へ入れな)」
こうして、何とか無事に行く場所が決まったのだった。コーヒーベイは海が近くていいところ。でもこの宿は欧米人のパーティー会場だ。私たちにとっては騒がしくてあんまり落ち着けない場所だった。ちょっとはなじもうかと、あきちゃんはビリヤード大会に参加して運良く勝ち残っていた。(映子)
国によって宿の選び方というのは違うと思うが、たいていバックパッカーの場合、現地に行って目星をつけたところを見て、よければそこに泊まり、もしそうでなければ違うところを探す、というのが一般的だと思う。
ここ南アフリカではそれとは異なる。宿を見ないで決めることが多い。次の目的地での宿をはじめに決め、近くのバス停まできたら電話をして迎えに来てもらうか、もしくは事前に予約をいれ迎えに来てもらう手配をしておくのだ。
では何で宿を決めるか?ガイドブックや宿で無料配布している宿情報のミニ冊子から宿を決める。「コースト・トゥ・コースト」と呼ばれる宿情報のミニ冊子には、南アフリカ内のいろんな都市のたくさんの宿の値段や設備、場所、電話番号、どんな宿か、その宿のどんなところがいいのか、そんなことが簡単な英語で書かれている。
それを見て良さそうな宿を選んで行く。どこもある程度きれいで居心地がいいが、やはり当たりとハズレがある。その当たりハズレのたいていはどんな客がそこに泊まっているかによる。
そんなことも含めて宿選びというのもこの国での旅の大きな楽しみのひとつでもある。(昭浩)
朝から天気がパッとしない。昨日は満月に近い月が見えていたのに。雨が降らないうちにと、散歩に出かけた。
まずは、コーヒーベイと呼ばれるビーチまで歩く。途中でガイド志願のおじさんがいて、なぜかマリファナを勧めてくる。なんかおかしい。帰り道でもおばさんがおみやげ物を売りに来て、ガンジャ吸うか?と言ってくる。なんかイヤだ。こんなところ。私たちには合わない。明日ここを出ることに決定。
次に丘に登ってみる。少年が、下のほうから「ガイドはいるかー?」と叫んでいたが断った。丘の上からの景色は、よかった。曇っていたけれど、それでもこのパノラマはすばらしい。そしてもっと遠くに歩いていくと、イルカの大群を見た。さっきコーヒーベイでもちょこっと見たけど、今度はイルカが波に乗っているのも見える。すごいすごい、大感動!!しばらく見とれる。4,5匹まとまって波に乗っては飛び跳ね、また泳いでいく。それの繰り返しだった。丘の上からなので特によく見えた。
もう少し歩こうかと思っていたけれど、雨が降り始めたので引き返した。それが正解だった。雨は本降りになって、その後はもう出かけられないほど激しく降っていた。(映子)
昨日とはうって変わっていい天気。丘の上まで散歩に出かけた。あんまり天気がいいので、もっと行きたくなった。あきちゃんは、「たるい」と言って引き返す。私は一人で、Hole in the wallを目指して歩き出した。急な坂が2つもあってくじけそうになる。しかし、景色はよかった。でも、今日11時の送迎バスに乗っていく予定だったので、もう時間がない。あきらめて引き返した。
3人の少年と出会った。写真を撮って欲しいと言うので、デジカメで撮ってすぐに見せてあげる。とても喜んだ。
「ただで歌って踊るから、写真を撮って。」
と言うので、写真と動画を少し撮ってあげた。私もお返しに歌を歌ったが、それよりも写真のほうが断然喜んでいた。(なんだよー!)少年たちは、途中で「バーイ」と言って丘の上のほうへ行ってしまった。
帰りの送迎バスで、走り出してすぐにまたあの少年たちに会った。すぐに気づいてくれた。必死に手を振った。あまり好きになれなかった場所だけど、また来てもいいかなという気がした。(映子)
昨晩はイーストロンドンに泊まった。目の前はすぐに海、そんなグッドロケーションの宿はなかなか居心地よかった。今日はここから北へ150キロのところにあるホグスバックという山のふもとに行く。こんなところ南アフリカに来るまで知らなかった。「ロード オブ リングス」の作者がここで作品のインスピレーションを受けた、そんな広告コピーにひかれて行ってみたくなった。
困ったことになった。ホグスバックにある宿が出しているイーストロンドンまで送迎のシャトルバスが、水曜日と土曜日は休み。そんなことここに来てはじめて知った。予定も押していることだし、今日にでも出発したい。宿の人のアドバイスに従って、ローカルの使うミニバスで向かうことにした。
宿で働いているお兄さんにまずイーストロンドンのタクシーランク(ローカルミニバスターミナルをこの国ではそう呼んでいる。)に送ってもらう。ミニバスを使うツーリストなんてほとんどいないためか、宿のお兄さんはあまり要領を得ない様子。映子いわく
「あのお兄ちゃんビビッとったで。」
100%黒人しかいないタクシーランク、そういうのに慣れていない白人はビビッてもしかたないか。しかし、運転手や乗客の人々はごく普通の市民。悪者顔はしていない。
ミニバスは満員になると、映画「遠い夜明け」の主人公ビコの像の脇を通り過ぎ、そのビコの故郷であるキングウイリアムズタウンに向かった。このあたりはブラック色が強い。キングウイリアムズタウンも白人はほとんどみない。黒人の町だ。キングウイリアムズのタクシーランクではキャンディのバラ売りのほか、りんご、オレンジ、西洋なしといった果物の他おもちゃなんかも売られている。バスの窓越しに買い物するのはブラックアフリカンスタイルだ。しかも、スーパーマーケットに比べて明らかに安い。
キングウイリアムズタウンからさらにアリスという町まで違うミニバスに乗り換え、さらにそこから30キロいったところがホグスバックだった。
ホッグス山の麓にある高原地帯であるホッグスバックは、八ヶ岳の麓にある別荘地帯の雰囲気に少し似ている。日本にも似たその森は、それ自体特別驚くようなものでもなかったが、張った神経をほぐし、心を落ち着かせてくれた。なんだかんだいっても、この国で黒人にまみれて旅をするのは緊張するものなのだ。白人にまみれるとそれはそれでフラストレーションがたまるものでもあるのだが・・・
これだけの森林に囲まれていれば森林浴効果は十分期待できる。体のリラクゼーションだけでなく、頭からはアルファ波も放出していることだろう。あとは何かのインスピレーションを受けることができれば言うことないのだが、どうだろう?(昭浩)
今日はいい天気、8時過ぎに張り切って出かけた。すぐ近くのビューポイントで眺めを楽しんだ後、ビックツリーへ向かって降りる。木の階段がいい感じ。50分くらいでビックツリーに着く。途中に何度か看板があった。ビックツリーの近くでサマンゴモンキー発見。この辺りにしかいない、珍しいサルだ。不思議な声で鳴く。チュッと吸い付くようなもっと大きい音。
最初の滝到着は9時半ごろ。歩いていくトレイルは終始森の中。水が流れている風景はいいものだ。
次の滝は10時半ごろ到着。水量は少ないが、落差は結構ある。歩きながら、私たちはいろんな歌を歌った。私も新しい歌はもう知らないが、あきちゃんなんかいつも超ナツメロだ。
「マドンナとその子供」という名の滝から上っていくと、開けた広場にやっと出た。11時ごろだった。眺め最高。結構歩いたのにそんなに疲れていなかった。飛ぶと赤い羽根が見える鳥がとてもきれいだった。
そこからは車道を歩き、最初の滝が上から見えるところへ行く。道がわからなくなりそうなとき、山仕事をしている黒人の男に出会う。彼に道を聞くと、途中まで案内してくれた。とても親切。いつものくせで、「何か裏があるのか?」とか、「このカマやクワでやられたらどうしよう?」なんて要らない心配をしてしまった。別れ際に彼は帰り道のことまで説明してくれた。どうもありがとう、おじちゃん。疑ってごめんよ。
12時ごろ、滝の上から滝をのぞきこむ。これはスリル満点だ。しぶきが少し上に舞い上がってくる中、下を見るとまさに絶壁。怖くて足がすくむ。
宿に戻ってから、庭にあるツリーハウスに登り、サマンゴモンキーを見つけたり、羽根が赤い鳥を見たりした。さらに庭のブランコに乗って子供のように遊んだ。(映子)
この国の移動では気をもむことが多い。バス停から宿まではどうしようか、夜中にバスが目的地に着いたらどうしよう、ただでさえ夜中に外に出るのは控えているのに荷物持ってとことこ歩いていたら強盗にやられちゃうよなあ、そんなことで不安にかられる。そんなこと気にしていたら旅なんてできないから楽天的にものを考えるしかないのだが、やはり気になるというのが本音ではある。
今日はホッグスバックから一気にレソトへのアクセスに便利なブルームフォンテンを目指す。一度イーストロンドンに戻り、そこからバスに乗っていくのだが、すべてのバスの到着時間が深夜ときている。かろうじて1台のバスだけが夜9時半に着く(他のバスは夜中の12時半に到着する)バスというのを見つけて、それに乗っていくことになるのだが、そのバスちょくちょく休憩したり、晩ごはん食べたり、夜11時を過ぎてもまだ着かない。プレトリアに着いたとき、誰もいないところで降ろされた苦い経験があるから、よけいに心配だ。ブルームフォンテンのバス停が誰もいない、しかも何もない路上だったら・・・、タクシーがいなくて路頭に迷ったら・・・不安はつのるばかり。
ブルームフォンテンのバス停は、24時間営業のバーやレストランもなかにはいっている大きなターミナルビルディングで深夜でも人々でにぎわっていた。夜のバス停に危険を感じていたのはまったくの杞憂であった。(昭浩)
乗ってきたミニバスがレソトの首都マセルまで直通で行くと信じきっていたので国境で大変戸惑ってしまった。
ブルームフォンテン発のミニバスは国境で終点、レソトに入国したら違うミニバスに乗り換えなければならない。なのに僕たちはイミグレでの手続きを終えたら、乗ってきたミニバスが国境を越えてレソト側にやってくるものだとばかり思って、ずっと待っていたのだ。
「僕たちは国境でミニバスを乗り換えなきゃいけないんだよね?」
僕の質問にブルームフォンテンの宿のオーナーのピエールは自信を持って答えた。
「ミニバスは国境をスルーしてレソトのマセルまでいく。乗り換えの必要はない」
地球の歩き方にはレソトに行く人は情報豊富なピエールに相談しろ、と書かれてある。
レソト通のはずのピエールは悪い人ではないがレソトに関しては全くトンチンカンなおじさんであった。そしてこんなことも言った。
「マセルに着いたらマレアレア(僕たちの目指しているところ)行きのバスがあるからそれで行きなさい。」
そんなバスはなかった。
途中の村で乗り換えてマレアレアに向かう。ゲート・オブ・パラダイスと書かれた看板の立つ峠を越えると、茶けた土がむき出しの山々に囲まれた高原があった。遠くのほうには雪をかぶった山も見える。緑の乏しいその高原は寒々しく感じられたが、空は深い青色で、太陽は強い日差しを浴びせていた。のどかな田舎を歩くレソト人、人々はレソトハットと呼ばれるレソト特有の帽子のかわりにニット帽をかぶっていた。
そのエリアにひとつしかない宿泊所であるマレアレアロッジに着くと、そこにはたくさんのツーリストでごった返していた。オフシーズンの山小屋のようにひっそりとしたところを想像していたので、その人の多さに面食らう。このロッジに来るまでの間、会ったツーリストはアメリカ人のカップル2人だけなのだ。いったいどこからこの人たちはやってきたのだ?(昭浩)
レソトといえばポニートレッキングなのだそうだ。そのポニートレッキングに行くことになった。ポニートレッキングとは馬に乗っていくハイキングのことである。自分の足で登ったり下ったりすることがないどころか歩く必要もないので楽ちんなのである。
中国の大理で馬は経験しているので僕も映子も慣れたもんである。何のレクチャーもなく出発する。広大な景色のなかウマはトコトコと進んだ後、谷の急斜面を下り、丘に向かって登る。だいたいそんなことの繰り返し。
僕たちが訪れたのは、大きくもなく小さくもない滝とブッシュマンの壁画の残る洞窟。見所としてはたいしたことないが、そこに行くまでの間、のんびり馬に揺られながら大きな景色に見とれ、馬を乗りこなす自分を想像していい気になって、素朴なアフリカの雰囲気に浸る。それだけで楽しいもので、滝や壁画はどちらかというとオマケなのでどうでもいいといえばどうでもいいのである。
予定通りちょうど5時間でロッジに戻ってきた。予想はしていたが、しっかりお尻の皮がむけた。
夕方、昨晩仲良くなったアメリカ人とイタリア人のカップルから、明日車にのっていかないか、とありがたいお誘いを受けた。実はすでに韓国人とオーストラリア人とフランス人といった不思議な組み合わせのグループの車に乗せてもらうことになっていたので丁重にお断りした。オランダ人のカップルにも話しかけられ、旅の話で盛り上がり、オランダにもぜひ来いと誘われた。バルセロナからアムステルダムまで片道50ドルでとぶBASIC-AIRという格安飛行機まで紹介される。歯を磨いていると今度はフランス人に話しかえられ、どうしてフランスに来ないんだ?パリは物価が高いけどトゥールーズはそんなに高くないぞ、と自分のホームタウンに来いとばかりに言ってくる。今日はなんだかモテモテだぞ。どうしたんだ。
この国を旅している白人(特にバズバスで旅している人)は閉鎖的な人が多い。僕のヒアリングと分析では、白人の文化圏にしか行ったことがなくてアジア人と接したことのまったくない人が多く、明らかにカラードを敬遠している、そんな人がけっこういる。そんな白人とは話したくないし、話をしたいとも思わないし、好きとかきらいとかではなく正直まったく興味がない。半分スネていたところもあった。しかし、ここにいる欧米人はいい人ばかり。ここレソトには「いい気」のようなものが流れているんじゃないだろうか?
とにかく昨日今日といろんな人たちから、ありがたい、好意をたくさんもらった日だった。感謝感謝。(昭浩)
お尻が痛い。皮がむけているようだ。昨日はとてもじゃないけど仰向けに寝れなかった。背中も痛い。昨日一日馬に乗っただけでこれだ。情けないなあ。
お昼頃、チーガンたちが戻ってきた。そしてそのレンタカーに便乗させてもらって、2時前に出発した。メンバーは、オーストラリア出身のマーティンとサラ、フランス人のニコ、韓国人のチーガンである。みんなびっくりするくらい温かく迎えてくれた。
レンタカーは快適だった。こんなに快適なんだったら、二人でも借りればよかったかな。旅はどこをまわってきたの?という話を少ししたあと、みんな疲れているので寝てしまった。私たちは初めてのレンタカーで興奮してか、全然寝なかった。
国境まで1時間で着いた。なんてスムーズ、そして速いんだろう。車ってすてき。国境越えも速かった。レソト側なんてパスポートをまともに見もせずにスタンプを押している。南アフリカ側も今回は荷物チェックがなかった。
ブルームフォンテンにはさらに1時間、4時ごろ到着。夕食はみんなでレストランへ食べに行った。ここでやっと4人の関係がわかった。マーティンとサラは親子。サラはフランスに住んでいて、ニコとはそこで知り合った。サラは今南アフリカに住んでいて、そこでチーガンと知り合った。この旅の前から4人は知り合いで、全員が全員を知っていたわけじゃないけれど仲がいい。欧米人でも、英語が話せる人たちでもある程度気心の知れたもの同士じゃないとレンタカーで一緒に旅するってことはないのかもしれない。そう思った。(映子)
ブルームフォンテンの宿のおやじピエールは喜んでいた。そりゃそうだ、客がひとりもいなかったところに6人もの客がきたのだから。そしてみんなのいる前で満面の笑みを浮かべてこう言った。
「ゲストを連れてきてくれてありがとう!君には宿泊費10R(150円)ディスカウントしておくよ」
(違うよピエール。僕らが連れてきたんではなくて、僕たちが連れてきてもらったんだよ。だから僕たちじゃなくて他の人をディスカウントしてほしいなあ)
「君はエージェントだ。これからもよろしく」
こっちの気も知らずに調子に乗ってそんなトンチンカンなことをピエールはいうから、なんかバツが悪い。
車にタダ乗りしちゃった上に自分らだけディスカウントなんて申し訳ない気になる。でもサラはこう言ってくれた。
「素敵な宿に連れてきてくれてありがとう。」
その言葉は心に素敵に響いた。(昭浩)
ブルームフォンテンからヨハネスブルグに帰る途中アバルトヘイトミュージアムに寄った。
ミュージアムは入り口がホワイトとノン・ホワイトに分かれている。映子がホワイトで、僕がノン・ホワイト。なぜだ?納得いかない。
博物館の内容は、アパルトヘイトの歴史、アパルトヘイト時の市民の生活、アパルトヘイト撤廃までのいきさつ等々をパネル、映画、テレビモニターで紹介している。Sowetoの博物館より内容は濃い。最も目をひいたのは、アパルトヘイト時の市民の生活を写した写真パネルだった。台所で家事をする黒人家政婦さん。ビーチで荷物持ちしている黒人。今とそんなに変わらないじゃん。今だって掃除や力仕事、雑用はほとんど黒人がやっている。法律で縛っていたものが経済的なものでしばっているのに変わっただけじゃないの。
何もしないでエラソーで無愛想な一部の白人たち、卑屈になっている一部の黒人たち、今でもいるそういう人たちと写真のなかの白人と黒人の姿がおなじように見えてしかたがない。
なんとなく法律上、白人もカラードも差がないよ、と言っているが、現実では今でも差はあるのだ。
この国を旅していると、黒人と白人、その2種類の国民を知らず知らずのうち、分けて考えていることに気づく。日記を書いていても、意識していないのに白人とか黒人といった表現が多いことにも現れている。この国に来れば誰もが、白人と黒人、カラードを意識せずにはいられない。(昭浩)
洗濯を終え、ショッピングモールでの買い物を済ませた後、喧嘩は勃発した。
それは、ゴールドリーフシティが原因だった。ゴールドリーフシティには行ってみたいなあと思っていたがヨハネスに来て気が変わった。ゴールドリーフシティのツアーが高かったからだ。
朝9時に出発して昼の14時に帰ってくる。移動時間を差し引けば正味4時間、それで1人390R(5850円)は高い。それにこの旅の途中でどうしても行かなきゃいけないものなのか?そんなお金があれば他のもっと有意義なものに使ったほうががいいんじゃないのか?そんな疑問が浮かぶ。しかし、映子は絶対に行きたいという。ちょっと待て、見失ってないか?映子を説得するが、どうしても行きたいらしい。金を掘った穴を見学することはそんなにプライオリティの高いことなのか?
そんなに行きたいのなら1人で行けば、と突き放すと、1人じゃイヤだとゴネる。ゴールドリーフシティに行かないと絶対後悔すると言って結局押し切られた。
映子はあまり物欲がないため、無駄遣いというものはそんなにしない。でも一度言い出すと値段の見境がなくなる。かかるものは仕方ないじゃん、といってゴリ押ししてしまう。僕としてはコストパフォーマンスの見合わないもの絶対イヤだし、かかるものは仕方ないじゃん、という考え方も嫌いである。だから、今日に限らずこのような衝突は起きてしまうのである。(昭浩)
楽しみにしていた、ゴールドリーフシティに行った。ツアーは確かに高いけど、どうしてもいきたいと思ったのだ。しかしはっきり言って、その値段だけの価値はなかった。
アンダーグランドツアーでは、当時の様子やここがどんなに大きな金鉱だったか、とかわかったし、ゴールドポアーでは、金ができる様子も見れた。でも、乗り物券は別にいるし、ここはディズニーランドだとツアーのドライバーは言っていたが、そんなホスピタリティは微塵も感じられない。
何よりも私が納得できなかったのは、入場料は50R(750円)なのに、ツアーが390R(5850円)もするということ。ホテルが165R(2475円)マージンをとっているというのも高すぎだと思うが、それを引いてもまだ150R(2250円)近く残る。あまりに納得がいかなくてドライバーに聞いてみる。彼は必死になって説明するが、なんだか的を得ていない。ますます不満を募らせて帰ってきた。しかし考えてみれば、実際には彼自体に責任はない。だから何とか笑顔を作って別れた。(映子)
大変不満である。もちろんゴールドリーフシティのことだ。
入場料750円の遊園地に行くのに5350円を払うというのは愚行以外のなにものでもない。しかもそれだけのお金を払っておいて、金の採掘穴をまわるマイニングツアーもジェットコースターなどメインの乗り物に乗るにもまた別途お金がかかる。ツアー代には含まれていない。何じゃそれ。
ロンリープラネットにも書いてあった「ゴールドリーフシティには絶対行ってはいけない。ツーリストトラップだ。」と。申し込む前に読んでおくべきだったと後悔。
まあ、とにかく終わったことだ。これから高い買い物をするときはじっくりと熟考しよう。(昭浩)
僕は興奮と緊張のなかにいた。ビジネスクラスってどんなのだろう。当然ひとり一台のテレビモニターがあるにちがいない。夜寝るのがもったいない。 今夜は徹夜だ!ワインを飲みながら映画とゲームに励むのだ。ビジネスクラスを堪能するのだ。
20時45分のフライトなのでその2時間前には空港に行った。もう1年以上飛行機に乗っていない。緊張する。ヨーロッパに飛行機で行く場合、片道チケットしかもっていないと、出国チケットなしでは入国できない、などといわれ、もめるらしいのだが、たいした揉め事もなかった。そればかりか席がビジネスクラスにアップグレードされた。幸先が良いスペイン行きだ。
ビジネスクラスはエコノミーと違って、席が広く、前の座席との間隔がどんなに一生懸命足を伸ばしても届かないほどあいていて、さらに一生懸命のばした足を置くフットレストまである。歯ブラシや耳栓、アイマスクやハンドクリームまで入ったポーチをもらえる。食事が豪華でテイクオフ前にシャンパンサービスがある。機内サービスで出てくるワインもよさげだ。メニューにきちんとワインの銘柄が書かれている。1996年と1998年ものの良くねかされた赤ワインがのっていた。
ビジネスクラスのシートに座っているとなんだか金持ちになった気分。優越感すら感じてしまう。エコノミーに座っている人に自慢したい気分だ。同じビジネスクラスに座っている人々に対して対抗意識が芽生える。この人たちも僕らと同じラッキー組みなんだろうか?それとも会社からお金が出ているのか?自腹でビジネスクラスのチケットを買う人なんていないと思ってはいるが、みんな金持ちそうに見える。
飛行機が飛び立ち、水平飛行に移ると、チーズが配られはじめた。1杯目は白ワインでチーズをつまんで、メインで赤ワインを、そんなこころづもりで、まず白をたのむ。前菜のエビのサラダを食べ終わり、白ワインもちょうど飲み終わったところで、アルコールがまわってきた。不覚にもすっかり酔っ払ってしまった。徹夜するといった意気込みもどこへやらで、すっかり熟睡してしまったのだった。(昭浩)