夫婦で世界一周WWKトップページ 世界一周の旅行記 世界の食べ物 世界の宿 旅の家計簿 プロフィール
夫婦で世界一周WWKトップ > 世界一周旅行記 > ブラジル・アマゾン旅行記

ブラジルアマゾン旅行記

9月16日〜9月23日

サルバドールからベレンへ36時間バスの旅  9月16日

正直言ってだるい。そしてシンドイ。いくら移動の多い旅の生活を3年近く続けている僕たちにとって36時間のバスの移動というのはツライのだ。
昨日の夕方バスに乗り、途中晩ごはんを食べて眠る。目が覚めて朝7時には朝食を食べ、それでなおまだまだバスの旅は続く。明日の朝まで続くのである。今日一日は朝昼晩とバスで過ごすということになる。
ブラジルの道は舗装されてはいるものの、だいぶガタがきているらしく、振動も多い。だから本を読んでいてもすぐに疲れてきてしまう。あまり長く読んでいると酔いそうだ。
だから考える。思考の連続だ。夢見る36歳の僕は明るい未来の展望か、ありえない夢想を思い描いていることが多い。1年前はどこで何をしていたかな、と昔を思い出していることもある。他の人はこういうときどんなことを考えるのだろう。映子もy観的な将来を考えていたりすることが多いみたいだ。
昼になると太陽は森の中を1本に突き抜ける道を走るバスに激しくその強い日差しを浴びせるのだが、ブラジルのバスは恐ろしく冷房が効いていて、中にいるととても寒いくらいだ。

「ハウ アー ユー?」
マイクタイソンのような黒人に声をかけられた。ジョセフというシエラ・レオーネ出身の黒人だ。シエラ・レオーネとは西アフリカにある小さな国だ。当初西アフリカを旅する予定だった僕らはその国名を聞いて、それがどこにあるのかピンときたが、普通の人は知らないマイナーな国だ。日本人の9割の人はそんな国の存在すら知ること無しに一生を終えるに違いない。彼は旅行ではなく7000万円をベネズエラに投資したいらしい。まったくよくわからない話だ。

「自分のファミリーはシエラ・レオーネにダイヤモンドの鉱山を持っていた。しかし、内戦中反逆にあい、父と母は殺され、自分は金を持って逃げてきた」。痛ましい話なんだけど、ピンとこない。それよりも、7000万円投資するためにベネズエラに行きたいのなら、陸路なんかじゃなく飛行機で飛んじゃえばいいのに、と僕は思った。このまま陸路でいけば1週間以上かかっちゃうんだよ。まあいいや。何かやんごとなき事情でもあるかもしれないのであまりつっこんで聞かないことにした。

バスは昼と夜にドライブインで泊まった。だいたいどこのドライブインにもポルキロ(量り売り形式のバイキング)レストランがあり、そして必ずトイレにはシャワー設備がついていた。意外と多くの人がそこでシャワーを浴びているのが、とても驚きだった。ブラジル人はきれい好きだなあ、と僕らふたり感心するばかりだ。
いよいよバスは2晩目の夜に突入していったのだった。(昭浩)

ベレンでスリに遭う 9月17日

バスのなかで3日目の朝ようやくベレンの街に着いた。ベレンはアマンゾン河下流、ほぼ大西洋に面しているといってもいいところにある大都市だ。
 このあたりになるとアマゾン河も幅広く、ほとんど海の様相を呈している。対岸と思われる岸はアマゾン河に浮かぶ島であり九州サイズもある。そして、このあたりでは潮の満ち引きがしっかりおこなわれているのである。

僕たちはベレンに着いてまずバスターミナルでシャワーを浴びた。
 ベレンの街自体に興味がなかったので、できれば今日の夕方に出る船でマナウスに向かおうと思っている。船に乗ってしまえばもしかしたらシャワーは浴びられないんじゃないか、そんな危惧があったからだ。以前、中国で三峡下りの船に乗ってシャワーを浴びようとしたら、茶色の濁った水が出てきて3日間シャワーを浴びられなかった記憶がある。揚子江の水がそのまま出てきた、そんなシャワーだった。
二人交代で水のシャワーを浴びた後、僕たちはメルカド(市場)に向かう。メルカドの近くに旅行代理店があって、港で買うよりも安く船のチケットが買えるのだ。そのメルカドに行くバスの中でスリに遭った。

ブラジル人はとても親切で、メルカド行きのバスがどこから出るのか、とか、どこで降りればいいのだとか、丁寧に教えてくれた。ブラジル人っていい人たちだなあ、と少し僕の心にスキがあったのだろう。心のスキは磁石のように悪者を引き寄せるものだ
 メルカド近くに来たのでバスを止めて降りようとした時、同じように降りようとする人たちが3,4人出口のあたりに立っていた。降りるのかなと思って待っていても降りようとしない。
 「ペルミソ」(すみません)といって立っている人の間を通り抜けようとした時、僕の前にいた男がクルリと後ろを振り向きしゃがんで僕の右足のふくらはぎをまさぐりはじめた
なんだ、なんだ?
と思っていると、いつの間にかサイフを入れている僕のズボンの左ポケットに何者かの手が入っているではないか
「おい!」
大きな声でそういって、その手をつかんだ。僕の後ろに立っていた手を捕まれた男は、俺じゃないあっちだ、と外に逃げていった男を指差した。もちろんバスの出口でたまっていた3,4人全員もグルの犯行であることは間違いない。
 とりあえず、ズボンのサイフは無事だったので、その男を放してバスを降りた。ポケットにつっこまれた男の手の感触がふとももに残っている。僕は、はぁはぁと興奮したままだ。

「アキちゃんスリに遭ったの?」
僕の後ろから降りてきた映子はそんなお気楽なことをいっている
サイフはあまり人の目につかないようにいつも用心している。バス代などの小銭は裸のまま右ポケットにつっこんでいて、バス代を車掌に払うときだって、サイフは表に出していない。けれども奴らは右足に気をとらせておいて、左ポケットを最初から狙っていた。なかなかのプロだ。思い出すとまたしてもはぁはぁと妙に興奮してくる。

ホントにスリに遭ったの?アキちゃんが?
 映子は、冗談でしょ?という表情を浮かべていた。隣で、はぁはぁとひとり興奮している僕はいったいなんなのだろう。ばかばかしい気分になってきた。 (昭浩)

アマゾン河の船旅1 ベレンで乗船 9月17日

スリに遭っていつまでもはぁはぁとしているわけにはいかない。旅行代理店に行ったら18時発のマナウス行きで安いチケットがあったので、すぐにそのチケットを買った。それから、朝食を食べ、ベレン名物アマゾンの泥ガニなんかも食べ、フルーツなんかも買いこんだ。あと寝床となるハンモック、これも購入した。アマゾン河の船の上ではハンモックの上こそ、寝る場所であり、唯一自分だけのスペースなのだ。

僕らは昼前にもうすでに港に着岸している船に乗りこんだ。まだ人も10人そこらでガラガラである。
 ハンモックを吊るし、わーいわーいと子供のようにハンモックをぶらんぶらん揺らして遊んでいた。のどが渇いてはビールやココナッツジュースを買ってきて飲む。そうやってぐうたらに時間をつぶしていた。

夕方4時頃から乗客は増えだした。みるみるハンモックの数は増えていく。
 3フロアある船のうち1階が荷物スペース。そこには玉ねぎが、わんさか積まれている。3階はビアガーデンのようになっている。2階のフロアにはハンモックが密度濃く張られており、そこはまさにハンモックのブッシュのようであった。
 ハンモックというものは、うまく前後をずらしたり、上下の高さをずらしたりすると、いくらでも詰められる。どんなに詰めても人が寝るスペースは見事に確保できるといった利点がある素晴らしいモノなのだ。
日も暮れた夜の8時ごろ船は出港した。5日間にわたるアマゾン河の船旅のはじまりだ。(昭浩)

ハンモックがすごい密度で吊られている。ハンモックの密集する空間はひとつのコミュニティのようなものだ

アマゾンの船旅2 なかなか刺激的な船での生活    9月18日

カンッカンッという鐘の音で目が覚めた。朝7時朝食の時間らしい。パンとマーガリンとコーヒーだけの朝食。はっきりいってしょぼい。僕らは持ちこんだバナナやマンゴーを食べる。マンゴーがめちゃくちゃ甘くておいしかった。良く熟れた甘いマンゴーというものこそ、世界で一番うまいフルーツ、僕はそう確信している。こうして、長い船上生活の最初の朝はやってきた。そして長い1日はこれからはじまるのだ。

僕たちは、5日間以上に及ぶ船上生活をどのように過ごそうかと密かに作戦をたてておいた。作戦といっても毎日のルーチンを紙に書いただけのことだ。例えば、9時からは会議。HPの日記をどの日をどちらが書くかというのを決めるというのが会議の一番大きな議題である。10時から腹筋。11時から日記を書く。12時からのご飯の後、読書・・・そういったことだ。毎日規則的に生活していたら、ほとんど何もすることがない長い5日間も短く感じるのではないかと思うのだ。

途中どこかの町に寄港して騒がしかったというのもあって午前中はすぐに終ってしまった。船が港に寄っている間、乗客以外の人が船の上も出入りするため、自分の荷物なんかをしっかり見張っていなきゃいけない。はじめての寄港ということもあって少し緊張感のある時間だった。

アマゾン河流域で伐採された材木が船で運ばれていく。こんな光景もとても新鮮だ
最初に寄港した町。荷物の積み下ろしが済むと1時間くらいでまた出航した

昼ごはんは男女で船の左右に分かれて食べる。船の後方に置かれた長テーブルと長いすに1回7,8人ずつ交代に食べていくというシステム。内容はチキンの煮込み、ポテトサラダ、豆、ごはん、パスタというもの。味はまあまあうまい。腹いっぱいになるまで食べられるのがいい。
ヒゲ面でよく焼けて腕っぷしの太い男たちに囲まれてごはんをがっついていると、映画なんかでみる、刑務所での食堂風景のなかに自分がいるみたいだ。
テーブルとイスは川に向かって設置されている。だから、川の風景を見ながら食べるのだが、風景を楽しみながら―なんて悠長なことは言っていられない。まわりの男たちはガッツガッツイキオイよく食べるので、こっちも後れをとるまいと必死だ。
チキンを喰らい、骨はアマゾンに投げる、そしてごはんや豆をガッツガッツと食べる、そんなワイルドな食事風景だった。

戦いの雰囲気の食事が終るとすっかりあたりは昼寝ムードである。
 みんなハンモックに横たわり、昼ごはん時の熱気はどこかへ失せ、静かでどこか間延びした雰囲気が漂う。映子もシエスタだ。
 僕は、夜眠れないとイヤなので本を読んでいた。本にも飽きてビアガーデン風の3階にいくと、男たちがカードゲームに熱中し、子供たちが3階に取り付けられたオープン水シャワー場できゃっきゃっと水浴びしながら遊んでいた。ビールをbナだらりとくつろいでいるものもいる。僕も寝起きの映子を誘って、ビールを飲みにいった。クソ暑いアマゾン河の昼下がりはこれに限る。

アマゾン河=海のような大河、なのであるが、僕らの船が今日通っているところは川幅30mくらいのところだ。まわりは鬱蒼と繁るジャングル。
 想像するに、多分ここはアマゾン河に浮かぶ島々の間を通っているものと思われる。なんせ、九州より大きな島が河に浮かぶアマゾン、そのスケールは我々の想像をはるかに超える。地図には載っていないような無数の島々があり、それらが複雑に入り組んでいるのかもしれない。

ここもアマゾン河。狭い水路を船は通る。風情があっていい

プーップーッ。やたらと船が汽笛を鳴らしている。なんだ?と思って外を見に行くと、小さな客船が僕たちの乗っているボートに横づけされていた。しかも、船は走りながらである。
 なんだ、なんだ?と思っていたら、妊婦とその夫らしき男の二人が小さな船に乗り込んでいるではないか
 男はさっき隣で昼ごはんを食べていた男だ。このカップルはこの付近に住んでいて、でもこの付近には大きな港もないし、マナウス行きの船はいちいち小さな村には停まらないから、走りながら村の船がマナウス行きの船にドッキングし、そして乗り換えるのだ

まだある。小さな小舟。こいつは丸太をくり抜いてつくったような3人乗りくらいの手漕ぎ舟で、この舟が僕らの乗った客船の動きに合わせてやってきて、ほとんど横からぶつかるイキオイで舟を近づけ、客船のまわりについているゴムタイヤにロープのついた棒をひっかけ、走っている客船とドッキングする。その手並みは見事としかいいようがない。
 そうやってドッキングした小舟に1人の乗客が乗り移り、川べりの村へと帰っていった。あの小舟がドッキングに失敗していたら、あの乗客はどうなったのだろうか。もう何十年いや幾世紀もそういうことをして暮らしている人々にとってそれは昔から繰り返されている日常であって、僕らが心配する余地なんて全くないことなのかもしれないが、少し気になる。

小舟は村人の乗降のためだけに寄って来るのではない。バナナや豆といったものを売りに来る人々もいる。褐色に日焼けした少年やお父っつぁんやら、兄弟やらが、各々の舟で必死にパドルを漕ぎ、客船に近づいてくる。棒でひっかけるというのがよくあるスタイルだが、1人がロープをもって客船に飛び移るというアクロバティックなバージョンもある。とにかく、たくましいっ!
ここで客船を逃すことはビジネスチャンスも逃すことになるのだから、そりゃ必死なのだ。

そうやってきたひとりの少年が売りに持ってきた瓶詰めが気になった。白いものが入っている。買っているブラジル人がいたので、それは何かと尋ねてみた。
「******」
予想通り全くわけのわからない答えが返ってきた。多分それは食べ物なんだろうけど、どんな味なのか、甘いのか、すっぱいのか、塩辛いのか、生で食べるものなのか、調理して食べるのか、さっぱりわからない。
「ムイント ボン」(とてもうまい)
 その言葉だけが聞き取れたので、僕も冒険して2ヘアル(74円)で少年からその瓶詰めを買った。ビンに入っていたのは、白い何かの茎のようなものだった。

瓶詰めをにぎってハンモックのところに戻った僕を映子は見つけて、はじめ不思議そうに、次に驚いて、さらにあきれるような表情で、瓶詰めと僕を目の中に認め、苦く笑った。
「何買ってんのよう」
「いや・・・よくわからないけど・・・おいしそうだったから・・・」
私も売り子から買うか?っていわれたけど、ノーノーといって断って戻ってみると、断ったばかりの瓶詰めをアキちゃんが持っているから驚いちゃった。

そんな時、隣のハンモックの女の子が興奮した表情で僕に尋ねてきた。
「それどこで買ったの?私それ大好きなのよ。」
ブラジル人に人気の食べ物らしい。試しにひとつつまんで食べてみると、それはやわらかくて歯ごたえのよいタケノコの水煮のようなものであった。うすい酢のようなものにつけてあって大変美味しい。やわらかくコリコリしている。
 ブラジル人に聞くと、どうやらアマゾン河の水際に生えている植物らしい。ビタミン豊富で体にいいぞ、とブラジル人は言っていた。

褐色の男たちにまみれての夜ご飯をガッツガッツと食べたあと、雷雨がやってきた。
 どしゃぶりのなか、バキバキという轟音をたてた雷がガンガン鳴っている。漆黒の闇のアマゾンに雷が光るとあたりは一瞬光に照らされまわりの景色がきれいに浮かびあがる。しかし、その雷はかなり迫力あるやつで、デッキのほうにちかづいて外の景色を見てみたいのだが、怖くて近づけない。
 植村直己がアマゾン河をイカダで下った時、この雷が本当に恐ろしく、神様どうか助けてください、と本気で祈ったというが、その気持ちが今はじめてわかった。こんな嵐の下でイカダに1人だったらとても恐ろしいにちがいない。
激しいスコールはやがて止み、夜の10時ごろ小さな町に着いた。30分ほどしてから再び出港して、僕らはハンモックに身を預けて眠りに沈んでいった。(昭浩)

川沿いの村の様子をみながらの船旅。少年が漕ぐ小さな舟が走っている船に近づいてくる
走っている船にドッキンクした物売りの小舟を船のデッキから見下ろす

アマゾン河の船旅3 船の旅はいいもんだ  9月19日

朝日とともに起きた。ハンモックから体を起こすと少し離れた河岸の上にまだぼんやりとした昇ったばかりの太陽があった。朝日とともに起きる、なんて自然に従順な生活のはじまりだろうと思う。それだけで、はじまったばかりの今日がとても美しい日に思える。

相変わらず朝食はパンとマーガリン、それに甘ったるいミルクコーヒーだ。ブラジルといえばコーヒーの大産地。おいしい本格コーヒーがいつでも飲める、そんな幻想を抱いたこともあるが、そんなこと全ュチャンチャラおかしな話で、ブラジルではまず無理。
パンだけの朝食ではとうていお腹は満たされないので、僕らはその後、持ち込んだモンキーバナナを2,3本食べ、さらに10時ごろ極上マンゴーを食べる。これが僕らの船上生活におけるお楽しみタイムとなっている。お楽しみタイムは午後3時にもあって、このときはパイナップルを食べる。これも甘くておいしい。

ルーチンである家族会議と腹筋を済まし、それぞれの自由時間に僕は3階に屋上デッキにいって日記を書き、映子は自分のハンモックの上で本を読んでいる・・・と思いきや、僕が下に戻ると、すっかり子供たちに囲まれていた
 折鶴を折って子供の気を惹いているらしい。映子の話によると子供だけでなくおばちゃんにも鶴は好評らしい。ウワサを聞きつけた人が後から鶴を注文しにやってくる。

注文といえば、日本語で自分の名前を書いてくれ、という注文もやたら多い。発注人は100%ブラジル人男性だ。
タトゥーを日本語でいれるんだ
みんなそういう。ふざけて「冷奴」(Cool Guy)とでも書いてやろうかと思うが、とても無邪気な笑顔で頼んでくるので、こっちも真剣に考えて書いてあげる。僕たちの考えた日本語(漢字)のあて字が彼らの体に刻まれるのかと思うとよりきれいな字、より良い意味合いの字をつけてあげたいと思う。

昼ごはん時は相変わらずガサツで活気がある。僕はこういうのがとても好きだ。映画のムショの食堂も思い出すが、男子校時代の部活の夏合宿も思い出す。上品よりガサツなのが僕には向いている
よく旅をしていると、欧米人と一緒にごはんを食べることがよくあるんだけど、たとえば、塩をとってほしいときとか、「Could you pass me salt please?」(お塩とっていただけませんか?)なーんていちいち言わなきゃいけないんだけど、ここだったら、口に食べ物をいれて、もぐもぐさせたまま、欲しい物を指さす、それだけ。いちいち何々とって、とはいわない。そういうガサツさがいい。

昼食風景。男性と違って女性チームは落ち着いて食べれる。

ご飯が済むと多くのブラジル人たちがそうするように僕らもシエスタだ。ハンモックが気持ちいい。僕を含め多くの日本人がよく想像する網のハンモック、あれはいかん。網が体にくいこんで痛く、眠れたもんじゃない。普通アマゾンで使われるのは全体が布でできたもので、これはとても快適だ。そのまま寝てもよし、座って安楽イスのようにしてもよし、ヒマだったらブランコのように揺らして遊んでもよしだ。
このハンモック2人用というのもあって、ベレンの市場でそれを薦められたが、それにしなくてよかったと思う。映子と一緒のハンモックだったら暑苦しくて、地獄のハンモックライフとなっていたところだ。

ただ屋根があるだけ、そんな半分屋外のような船は走っていればとても風通しがいい。夜なんかはとても涼しいし、走っている船なので蚊というものもいない。最高に快適な環境で眠れる。しかし、それでもやはり昼間は暑い。エアコンも扇風機もない部屋で過ごす日本の夏といったかんじだ。
僕は昼間の暑い中うまく眠れないので、これまでの船の旅について思いをめぐらしてみた。
 日本から中国へ渡る船、これがこの旅のスタートだった。考えて見りゃ2泊3日で中国に着くのなんて近いもんだ なと思う。今回の船旅は5泊か6泊はかかりそうだ。それに比べりゃ中国なんて近い近い。何十回だって行けるさ、そんな大きな気分になる。
 そして中国の三峡下り、エジプトからスーダンへナイル川を遡った越境船旅、2ヶ月前乗った、チリ南部のフィヨルドを船で旅したことなんかも思い出した。
 船旅っていいな、とつくづく思う。船の旅は、その場所、国柄のようなものが、濃縮した形で感じられる。それは船の上はひとつの世界があり、そこには短いながらも生活があって、地元の人との一緒に暮らす、そんななかに自分が自然にはいっていける場所だからじゃないだろうか。

 シエスタタイムが終ると3階のビアガーデンにあがって、二人で花札大会。
 大会が終ると、そろそろ夕方で、夕暮れのアマゾンをぼんやり眺める。悠久のアマゾンを感じるこのひとときがまたいい時間だ。感傷的な気分に浸りながら物思いにふける。
 日がすっかり落ち、晩ごはんを食べ、最後に夜空の星たちを見上げ、それにあきたらハンモックに戻り、小さくゆらゆらしているうちにだんだん眠くなってくる。そうして、またアマゾンの一日が終っていくのである。(昭浩)

アマゾン河の船旅4  サンタレンで 9月20日

サンタレンに着いたのはまだ暗い朝方だった。サンタレンという街はこのアマゾン流域でベレン、マナウスについで大きい街である。
アマゾン河はこのあたりではハイウェイである。飛行機以外の交通手段ではアマゾン河を船でいくことが最も早い交通手段であるということだ。日本でいえば、ベレン〜マナウス間の船というのは東京〜大阪間の新幹線に匹敵する。その途中にあるサンタレンという街は、いってみれば名古屋みたいなものだ。

多くの乗客がここで降りる様子。こっちが気持ちよく寝ている横でゴソゴソガヤガヤとみんな下船の準備をしている。朝の5時だというのに迷惑な話だ。朝5時半、不本意ながら完璧に目が覚めてしまった。隣のハンモックで映子はしぶとくまだ寝ている。神経はかなり図太いものをもっているらしい。6時過ぎに映子もようやく目を覚ました。何やらブツブツ文句を言っている。

港にとっくに着いているというのに誰も人は降りない。やたらのんびりムードだ。夜が明けたら出て行くのかと思ったら、そうでもない。結局多くの人たちは朝ごはんをしっかり食べたあとにぞろぞろと出て行った。
人がたくさんいたときは、ウザイなあ、ヒト多いなあとぶつぶつ言っていたのに、人が減ってガランとし始めると「なんだか寂しいなあ、取り残された気分だ」なんて勝手なことを言っている。

しばらく出航しそうもないので、映子を船に残し、1人セントロのほうまで歩いていくことにした。30分くらい歩いたところにメルカドがあった。そこではたくさんの魚が売られていた。
 一番目に付くのがナマズ。僕が想像するナマズよりどれもはるかにデカイ。1,2mサイズのものがごくごく普通に並べられている。2mくらいの大きさのうろこのついた魚も売られていた。世界最大の有鱗魚(うろこのある魚)ピラクルか?でも頭が切り落とされていた。
 ピラニアらしき魚も発見。歯もあるし、實ョのおやじも「ピラニアだ!」と強調していたから多分そうなんだろう。
 もうひとつ目にとまったのがアロワナだ。アロワナとは鑑賞魚としてマニアに絶大な人気を誇る淡水魚である。あごが出ていて、そのあごからヒゲのようなものがでている魚だ。ものによっては1匹何十万円とするものある。ヤクザの事務所なんかで飼われているような魚である。1匹1ヘアル(37円)で食用として売られていた

僕は9時半ごろにはマンゴーとパイナップルをもって船に帰ってきた。船はどうやら夕方まで停泊するらしい。

船が停まっていようが走っていようがやることがなくてヒマであることにはかわりはないのだけれど、停泊した船の中というのはどうしても間が抜けた感じがして、ヒマなゆっくりとした時間の流れにはくしゃをかけている。
 それに停泊していると迂闊に荷物の置いてあるハンモック付近から離れられない。乗客のなかには悪いのはいそうもないのだが、乗客以外のひとたち、アイスクリーム屋。時計・サングラス売り、果物屋、その他もろもろの人々に交じって、手グセの悪いのがのってこないとも限らないのだ。だからただでさえけっして広くない船の上でさらに行動範囲が限られてくる。だから僕らはハンモックに寝そべってダランダランするだけ。

昼ごはんのあと僕は迂闊にも寝てしまった。
 荷物は映子がみていたので問題はなかったが、起きたらもう夕方の4時で、空いていた船内はまたしても昨日と同じように密度の濃いハンモックの繁みとなっていた。僕と映子の間の聖域にも子供づれやお母ちゃんのハンモックが吊らされている

日没直前、船は走り出した。夜ごはんのあと、昼寝をたっぷりした僕は、眠れず、夜半すぎまで読書にふけるのだった。(昭浩)

なまずは1,2mのサイズのものがごろごろしていた
この魚を撮れ!といわんばかりにカメラを向けたらポーズをきめてくれた

朝のぼんやりとしたオレンジ色の太陽とともに起きる。寝起きの僕もまだぼんやりしている。長い一日が今日もはじまった。

朝食のパンとミルクコーヒーだけではいつもながら物足りないので、小舟の少年からかった瓶詰めの白いタケノコもどきを食べようということになった。
 僕も映子もこのタケノコもどきが大好物でちびりちびりと食べていたため、こいつももう残りわずかとなってしまった。ビンを開けてわくわくしながら食べようとしたとき、マイクタイソン登場。タイソンは、サルバドールからベレンに向かうバスのなかで会ったシエラ・レオーネ人だ。
「What is this?」(これは何だ?)
「・・・」
うまく答えられない。僕らだって何なのかは知らないのだ。
「Give me.」(俺にもくれ)
そういってタイソンは手を出してきた。大好物でわずかしか残っていなかったが、そこはNOといえない日本人、彼に好物のタケノコもどきを差し上げたのだった。

No Good!」(まずい!) ポイッ
 
タイソンは^ケノコもどきの先っぽだけをかじり、残りすべてをアマゾン河へ放り投げてしまった。
ちくしょう・・・なんてことを

僕が不機嫌になったのはいうまでもない。タイソンの奴・・・奴はもうシカト決定だ。たかがタケノコごときで心狭いなあと思われるかもしれないが、奴とはあまり深く関わらないほうがいい、というのが川家のなかで以前から言われていたことでもあるのだ。
 由はたくさんある。第一に奴がバカだということ。
サルバドールからベレンのバスの中で始めて奴と会ったのだが、2泊3日のバス移動の2日目になって、
「このバスはいつ着くのだ」
なんてのんきなことを尋ねてきた。
「ベレンまでは36時間かかるから明日の朝だ」
そう答えてやると、仰天し、表情は険しくなり、1人落ち込んでいた。
「ベレンからマナウスまで船で5日か6日はかかるよ」
と追い討ちをかけてやると
「えっ1日で着かないのか?バスはないのか?」
とトンチンカンなことをいっているのである。
 アマゾン河流域エリアのハイウェイはアマゾン河なのだ。こんな奴が7000万円を投資するためにベネズエラに行くというのだ。自分のバスがいつ着くのか、そんな普通の人なら誰もがわかっている身近な未来も全然わからないでいるのに本当に投資なんかできるのか、はなはだ疑問だ。

そして、奴は怪しい。
シエラ・レオーネ出身というのは本当っぽい気がするが(誰がよりによってシエラ・レオーネ出身なんて嘘をつくのだ)、どうしてスペイン語もポルトガル語も話せない人間が(シエラ・レオーネは英語圏である)南米大陸に投資のためにやってくるのか全く意味不明である。
 さらに怪しいことに奴はエクアドルのIDカードをもっている。もちろんフェイクだとは思うが。
奴は飛行機でマナウスへ行くといって、ベレンのバスターミナルで別れたのだが、飛行機の値段が300ドル近くしたため、結局船で行くことにしたそうなのだ。しかもよりによって、僕らと同じ船にやってきた。そのときも少しモメた。
 乗船の際、係りの人が乗船名簿に乗客の名前を書くため、身分証明証の提示を求めると、タイソンは怒ってそれを拒んだ。
  「俺はチケットをちゃんと買ったのにどうしてチェックなんてするんだ」
半ギレ状態のタイソンにあきれた係りの人が通訳として映子を呼んだ。
映子が、自分たちもパスポートを提示したし、他の人もみんなそうするんだよ、といってようやく納得したものの、出てきたIDには確かに「Republic of Equador」とかかれていたそうな。

さらに、奴はエロイ。
奴は片っ端から「Speak English?」と尋ねて、その答えがNoでも(Yesということはほとんどないのだが)一方的に話しかける。そして相手が若くてきれいな女の子だとしゃべりながら手を握りだすのだ。
 僕の左斜め前のハンモックで寝ているヒロモトさん(映子の学生時代のクラスメートのヒロモトさんに酷似なのでそう呼んでいる)も被害者のひとりだ。ヒロモトさんは手を握られるだけでなく、後ろから忍び寄られ、腰を両手で抱かれるという恥辱まで受けたのだ。本当に可愛そうなヒロモトさん。

映子の斜め前のハンモックで寝ている18歳の小娘(この娘もなかなかかわいい)に対しても、
 「昨日の夜、君は僕を探していスだろう、用事はなんだい?」
なんて言っているのだ。18歳の小娘は困った顔をしていた。その娘がタイソンに用事あるなんてことは、僕がオリンピックで金メダルをとることくらいありえないことで、勘違いもはなはだしい限りだ。

さらに奴はえらそうなのだ。
奴は、船べりのベンチによく座っていて、座りながら口笛で人を呼ぶのだ。ピーと鳴らして、違う人間が振り向いたら、その人に、あいつを読んでくれをえらそうに命令口調でいうのだ。
 自分が歩いていけよ、といってやりたいが関わりたくないので僕らは基本的に無視だ。
僕らのハンモックのまわりで、船のオーナーのアントニオと18歳の小娘とで日本食談議で盛り上がり、僕らのもっているマイ箸をふたりに見せてあげていると、またもやピーと口笛で人を呼んで、こっちに持って来いと手招きして、俺にも見せろといっている。
「テメェがこいよ。こっちはハンモックの上でくつろいでいるんだ、誰が行くかってんだ」

そして、奴は疑心暗鬼になったりする。
サンタレンに着いた時のこと。また、何かもめている。そして映子が通訳に呼ばれる。しばらくして、映子があきれて戻ってきた。もめごとの原因はタイソンらしい。
誰かが俺のサイフを狙っている
奴がそういって騒いでいるらしい。僕もあきれてものも言えないがブラジル人も同様あきれている。タイソンは1人陰鬱な表情をしていた。

そして、奴はとても迷惑な存在だ。
昨日の夜のことだ。夜も12時半すぎ、みんなが寝静まった頃、奴は自分の携帯の着メロを鳴らしはじめた。ピーヒャラ、ピーヒャラ。片っ端からいろんな音楽を鳴らしている。
 奴は昼寝をたくさんして、眠れず、夜中にヒマしているらしい。でも、夜中に着メロのオンパレードやられちゃたまらんぜ。奴はハンモッククラスではなく、キャビンクラスで自分の部屋がちゃんとあるんだから、ヒマだったら部屋に帰ってひとりでシコってろ、と思う。僕も昼間寝すぎて全然眠くなかったので、ブラジル人の反応を見ていた。
タイソンの着メロ攻撃は20分以上続いたが、誰も文句を言う人はいない。ドイツ人なら速攻で文句を言う場面だが、さすがブラジル人、そのおおらかさは感心するばかりだ。

ドイツ人で思い出したが、同じ船に乗っているたった二人しかいない欧米人ツーリストのうちのひとりのデブのドイツ人、こいつもシカト決定である。
もともと態度がでかく、鼻持ちならない感じで一応マークはしておいた奴だ。
 僕と映子がブラジル人の乗客と一生懸命ポルトガル語でコミュニケーションをしようとしていると、デブは横から現れて、
  「エンティエンデ ナーダ」(こいつら何もわからねぇよ)と一言いって立ち去ったのだ。その瞬間そのデブもシカト決定となった。もちろんそのデブもポルトガル語に関しては「エンティエンデ ナーダ」(何もわかっちゃいない)のである。

僕たちは日々せっせと注文に応じてブラジル人の名前を漢字で書いてあげたり、映子は映子で子供たちに鶴や風車を折ってあげたりして、ブラジル人と親交をふかめつつあるのとは対象的に、デブのドイツ人やバカのタイソンといった奴らと反目状態にある、というのが、すでに4泊経過した段階での、船上での共同生活で築きつつある人間関係のようである。(昭浩)

これがタイソンに捨てられたタケノコ。大好きだったのに・・・
支流と本流の合流地点があって、それぞれ色が違う、こんな場所がいくつかある

アマゾン河の船旅6  HOTなブラジル人 9月22日

朝日ともに起きる。今日で何日目だ?指折り数えないとわからない。昨日の記憶とおとといの記憶とその前日の記憶、すべてがごちゃごちゃになっている。景色はずっとアマゾン河。もう6日も船で河を遡っているのに、川幅は相変わらず瀬戸内海サイズ。ブラジル国内だけで3200キロある。北海道稚内から鹿児島まで歩いていくと3000キロくらい実際あるくことになると植村直己が本に書いてあったから、日本の端から端までの長さが、ブラジル国内だけであるってことだ

6日間ブラジル人といっしょにいて、やはりというか、あらためて知らされたのが、ブラジル人はHOTだってことだ。
 カップル同士、夫婦同士のいちゃいちゃはごく普通。若い男が若い女の子を口説こうとするのも普通。しかし、家で留守番している妻と子供の写真をうれしそうに見せていたおっさんと映子の隣で寝ている二人の子供づれのおばちゃんがいつの間にかできていたのには驚かされた。もちろん最後まではしていないが、ハンモックで二人重なりあって、チュッチュッしている。
 ふたりとも子供もいるいいおっさんおばさんなのによくやるよ。でもふたりとも少年少女のようなあどけない笑顔でうれしそう。なぜだろう、さわやかな感じすらする。日本なら不倫となるところだが、そんないやらしい響きやうしろめたいニュアンスはみじんも感じられない

他にこんな人もいた。息子がマナウスのホンダに勤めるという、多分45以上はいっていると思われるおばちゃんは、いつも小奇麗に派手な服を着ておしゃれして、若い男の子の視線を集めていたりする。私もまだまだ現役よ、といわんばかりである。

  実はこの船、多分他の船も全部そうだと思うが、男子と女子でハンモックの吊るす場所が決められている。
 進行方向に向かって、右が男性、左が女性だ。僕らはそんなこと無視していたが、他のみんなはきちんとそれを守っている。
 はじめの頃は、なぜわかれているんだろう?と思ったが今なら合点がいく。男女分けておかないと、男と女が入り乱れ収拾がつかなくなってしまう、それを危惧しての対策なのではないか。とにかくブラジル人はHOTなのである。

人に聞くと明日はいよいよマナウスだそうだ。
 はじめはなんとなくアマゾン河を船で旅したいなあ、と漠然と考えていて、でもそれって楽しいのかなあ、動物やピラニアが見られるわけでもないし、といった疑問も生じたりして、5日も6日も船の上はタルイなあ、なんて思ったこともあったが、実際こうしてアマゾン河をずっと旅してきてよかったなと思う。旅したといっても船の上でごろごろしているだけなんだけど、その怠惰な毎日のなかにいろんな発見があったり、新鮮な刺激があったり、いい人間関係の構築があったり、反目があったり、それらは、これまでの日記に書いてきたとおりだ。

こんな長いアマゾン河の船旅は一生に一度でいいなと思う
 その一方で「次アマゾン河に来る時は、マナウスゥらイキトスへのルートやな」と二人で次回のアマゾン河の船旅の青写真を思い描いてみた閧烽オている。(昭浩)

HOTなブラジル人のなかにあって、この人キャプテンはいつもクールだった
アマゾン河の上で見た最後の夕焼け。一日の中でこの時間帯が一番好きだった

マナウスに着いた。まだ暗い朝の5時ごろ。ブラジル人たちは、2時間前、すなわち朝の3時頃からざわざわしはじめ落ち着きない。こっちはせっかくの眠りを妨げられて、なんだか寝たような寝てないような。人々はハンモックをしまいだし、ばらばらと船を降りていった。

たいていの乗客とは顔なじみだ。ほぼ1週間同じ船にのっていたわけだから当たり前だ。
さわやかな不倫の恋をしていたおっさんおばちゃん、派手な衣装で若者の気をひくマダム、日本語で名前を書いてくれといってきた青年たち、いつも映子のまわりで遊んでいた子供たち、ごはんを肩並べて食べたブラジル人・・・そんな人たちが少し減っていき、最後に反目し合う僕たちとデブとすきっぱが残った。もうハンモックのブッシュはなく、ガランとしている。僕たちは1週間吊りっぱなしだった自分のハンモックを、そこで過ごした時間を思い、懐かしみながら、はずした。

このアマゾンの船旅が終るということは僕らのブラジルの旅もほとんど終わりに近づいているということだ。ブラジルに来て、一番ブラジルを感じた旅だったなあ、と思う。
 船の上で1週間!たぶん気が狂いそうなくらいやることがなくてヒマでしかたがないんじゃないかって思えたが、振り返って見れば、楽しく充実したいい旅をしたなあと心から思う。

ブラジル人のほとんどが、
 「ありがとう」
という日本語を知っている。日本語で最も美しい言葉、最も大切な言葉だ。
そんな親日的なブラジル人たちとの船上生活はのんびりとやすらぎに満ちたものだった。

僕らは明るくなるのを待ってから、みんな降りてしまって、ほとんど誰もいなくなった船を出る。マナウスはウワサどおり暑いところだった。(昭浩)

マナウスの港。ここで長い船旅もおわり

ブラジルにいた期間は短かったけれど、私にとってこのアマゾンの船旅こそがブラジルのハイライトだった。一番ブラジル人と触れ合えたし、ブラジルを感じることができた旅だと思う。

 果てしなく、どこまでも茶色いアマゾン川の風景、夕日や朝日のきれいさもさることながら、印象に残っているのはやはり人との出会いである。
 言葉はまったくと言っていいほど分からなかったけれど、食事の順番待ちをしていると、ここに座りな、とかもう食べたか、とか聞いてくれる親切なおばさん。
日本語で私の名前はどういう意味?日本人はみんな仏教徒なの?とか日本に興味を示していいろ聞いてくる女の子。

 そして一番私の遊び相手になってくれたのが子供たち
 折り紙を折ってあげると、その鶴を大事そうに持っていたり、飛ばすふりして遊んだり。折り方を教えてあげたりもした。
 何かと私の後をついてきた少年、ペドロはもう6歳になるけれど、歳はいくつ?と聞いても答えられない。そんな彼だけど、鳥が飛んでるよ、とかいろんなことを言葉がよくわからない私に言ってくる。ハンモックで本を読んでいると、「何してるの?」と興味深そうにのぞきこむ。彼の目はとても澄んでいてきれいだ。と思う。最後に彼とはハグして別れた。
「また今度ね」
別れ際に彼のお母さんは言ってくれた。いつまた会えるかなんてわからないけれど、彼のことは忘れないよ。いつまでも心のきれいな少年でいてほしいと思う。(映子)

ピラルクと出会う  9月23日

 マナウスで、これだけは見ておかなければ!そう、アマゾン川に住んでいる、世界最大の有鱗魚ピラルクである。日本人居住区にある、日本人が造った博物館にピラルクがいるというのだ。私たちはバスに乗って、その博物館に行った。セントロから思ったより遠かった。バスの料金係のおばちゃんは知らなかったけど、一緒に乗っていた女の人が親切に教えてくれた。

博物館は、受付の人も日本語で応対してくれるし、展示もすべて日本語の説明がついているのでとても興味深く、わかりやすかった。
ピラルクは5匹もいてびっくりした。(後で見たらガイドブックにも5匹いると書いてあった)悠々と泳ぎながらも、時々地上に顔を出して、息をしている。彼らはエラ呼吸ではなくて、私たちと同じ肺呼吸なのだ。でも水槽の底の方で寝ている奴は大丈夫かな。苦しくないのかな。ピラルクとはかなり目が合ってしばらく見つめ合い、目で会話をした。なかなかかわいい奴であった

 しかし、こんなに心を通わせたピラルクなのに、今日のお昼にあきちゃんはメルカドでちゃっかり注文して食べちゃったのだ。かわいそうにー、でもおいしいんだよね。(映子)

ブラジルの旅行記 ベネズエラの旅行記
ホーム 旅行記 世界の食べ物 世界の宿 家計簿 プロフィール
World Wide Kawa All Rights Reserved