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アルゼンチン旅行記1 パタゴニア・ウシュアイア・バリローチェ

7月26日〜8月15日

チリからアルゼンチンのカラファテへ 7月26日

今日も天気がよくバスの中からパイネの姿が良く見えた。カラファテに近づくと遠くにぎざぎざした白い峰がたくさん広がっている。そのなかにはフィツロイの大きな尖頂の姿もあった。
サンチアゴで会ったサンチアゴ在住のおっさんは言っていた。
「冬の季節にパタゴニアねえ・・・天気悪いよ・・・雲が出ていてきれいな山の姿なんてめったに見れないよ・・・夏に行ったら?」
これから行くって言ってんのにさー、「夏に行ったら」、ってそりゃないだろう。まったく的外れなアドバイスをエラソウにしていたあのおっさんにこの青空の景色を見せてやりたい。

カラファテの町は雪の町だった。最近大雪が降ったらしい。近くの湖も凍っていた。
48カ国目アルゼンチンにはいったというのに、国が変わったというかんじがしない。人も同じだし、言葉も同じ。新しい国にはいったときに感じる新鮮なかんじ、ちょっとした緊張感というのがない。なんだか気が抜ける。
ただ、違うなと感じるのは、交差点を渡ろうとするときだ。チリでは道路を渡ろうとするとほとんどの車が歩行者のために停車してくれたので、おおっさすが先進国、と感動したものだが、アルゼンチンはそういうのが皆無だ。ペルーやボリビアと同じように人が渡ろうとしても突っ込んでくるので、アルゼンチンでは油断して交差点を横断しようものならひき殺されそうだ。車にひかれそうになるたびに、国が変わったのだなあと感じた。(昭浩)

ぺリト・モレノ氷河  7月27日

氷河を見た。
青白い氷の壁がいくつも連なっている。それも何メートルとかいうもんじゃない。何キロもずーっと果てしなく連なっているように見える。それは自然が作り上げた芸術作品。人の力の到底及ばないシロモノなのである。その迫力、その神秘的な色、美しさにただただ圧倒されるばかり。光の当たる角度によって、だろうか、氷はところどころ濃いブルーに見え、だんだんと色が薄くなったり濃くなったり、グラデーションがかかっているようなところもある。

ピキピキピキと氷にヒビが入る音がする。しばらく静寂が続いた後、いきなりドドドドーッと大音響。氷が崩れたのだ。目で見るとほんの小さな一部分だけが崩れたようだけど、音はものすごい。2時間くらいずっとその氷の壁たちを見ていたけれど、全然あきることはなかった。氷の壁はその間何度も、ピキピキピキ、ドドドドドーッを繰り返しては崩れていった。ただ、めちゃ寒いので2時間以上はムリかもしれないな。(映子)

リオガジェゴスで2泊  7月28日・29日

リオガジェゴスなんていう町は、全然眼中になかった。
旅行者にとってはバスを乗り継ぐ場所というだけで、名前は知られているけれど、見所も何にもないので泊まる人は少ない。
私たちの場合もカラファテからのバスが12時発で、ウシュアイア行きのバスは朝出るので、1泊するしかない、1泊しかする予定はなかった。
 ところが明日のバスが、フルだと言われた。ガーン。一瞬目の前が真っ暗になった。こんな何にもない町で、いったいどうやって過ごせばいいの?
 バスターミナルにあったツーリストインフォメーションのとても親切なおばさんにバスターミナルから近くて安い宿を教えてもらった。今日は食材でも買ってきて自炊して、明日町を見に行くことにしよう。

リオガジェゴスは、めちゃめちゃ寒い町だった。いろんな意味で。セントロへ行く道のりは長い。そして風がビュンビュン吹いている。リオガジェゴスという名の川まで来ると、もう尋常じゃないほど風が吹いていて寒かった
バスターミナルの周りも何にもなくて閑散としていたけれど、セントロもたいしたことはない。
メインストリート沿いにはいくつかお店やレストランはあるものの、選択肢は少ない。自炊派の私たちにとっては、ここにも大きなスーパーがあったのがうれしかった。
 こうして、何もない町で、何にもしないままで、一日はすぐに過ぎていったのだった。そしてセントロからの帰り道もめちゃ寒で、泣きそうなほどつらかった。(映子)

南米縦断―マゼラン海峡を越える― 7月30日

リオガジェゴスの町は寒々としていた。朝だから余計にそうなのかもしれない。ひゅーひゅーと風が吹いている。ネコにあさられたゴミが道に散らばる。そんな中で私たちはウシュアイアへと向かった。
バスは少し遅れて、10時半頃出発し、小1時間で国境に着く。アルゼンチンを出国するのだけど、チリ入国の紙(5枚つづりくらいのやつ)を1枚提出。
バスに戻ってしばらく走ると今度はチリのイミグレ。荷物チェックもなくスムーズに入国完了。そしてまたしばらく走るとマゼラン海峡だ。

あきちゃんは、かなり感慨深いらしく、フェリー待ちの間写真を撮りに外へ飛び出した。
マゼランもここに来たんだよ。同じ景色を見たんだよ。」
と興奮気味に言う。
 バスがフェリーに乗ってから、私も外へ出てみた。風が冷たい。

 ほどなく船は向こう岸に着いて、再び走り始めた。羊がいる、たくさんいる。短い草がぽつぽつ生えてるこの土地に。これがパタゴニアかあ。
 グアナコは少ないけど、たまーに見かける。羊もグアナコもこんな寒い土地でがんばって生きてるんだな。毛皮はあったかそうだけどやっぱりここは寒いだろうな。
 しばらく気持ちよく寝ていたけれど、国境で起こされた。チリを出国し、しばらく走って再びアルゼンチンへ。その後すぐにリオグランデに着くのかと思っていたけど、結構遠かった。そしてそこで小さいバスに乗り換えた。前のバスの窓は走っているうちに泥ダラケで真っ黒になっていたので、次のバスは窓がきれいでよかった。

 私はあんまりお腹がすいてなかったけど、あきちゃんとジュンペイくんはお腹がすいたらしく、休憩の時パンをたくさん買ってきた。外はもう雪景色だ。
 バスの運ちゃんは途中でチェーンをつけた。心臓に響く、振動がすごい。ウシュアイアの街に近づくと再びチェーンを外した。そんなこんなで予定より時間がかかって、到着は夜11時をとっくに過ぎていた。

 タクシーで宿まで行って、呼び鈴を鳴らしてみるが、誰も出てきてくれない。こんな寒いところで、野宿もできないしどうしよう?途方にくれていると、隣の家の人が2回も出てきてくれて、最後には電話をしてくれた。そしてやっと中に入ったときには、12時近くになっていた。
 疲れた。長い移動の上に国境越えが2回もあったからなあ。でも、上野山荘のおばあちゃんがお茶を入れてくれて、泊まっていた渡辺夫婦がお風呂を沸かしてくれたので、疲れがすっかり取れた気がした。(映子)

マゼラン海峡は南米大陸の一番南にあたる。だから、マゼラン海峡ってやつを船で渡りたかった。コロンビアのカルタヘナに着いたのが、3月17日。それから約4ヶ月半かかって南米大陸を縦断したことになる。縦断したからといったって別に偉いわけじゃない。これといった価値があるわけでもない。単なる自己満足でしかない。しかし、僕はうれしい。地球の上の自分たちの足取りを、できるだけ点ではなく、線で結びたい。僕たちはそう思って旅をしている。(昭浩)

ビーグル水道の悲劇  7月31日

 今日は一つの事件があった。
ビーグル水道クルーズに行ったときのことだ。天気がとてもよくて、雪をかぶった山々がとてもきれい。船が岸を離れて動き始めてすぐに、あきちゃんが写真を撮りにいこうと甲板を歩き出した。景色の美しさに興奮して、走り出したといったほうがよい。

その瞬間、甲板の凍っている部分でつるっとすべって、
あ!
という声とともに、カメラのケースが宙に舞い、海に落ちていった
その光景はスローモーションのように今でもくっきりと目に焼きついている。とても信じられなかった。そんなことが起こるなんて。まるでテレビや映画の映像を見ているような気すらした。私は声が1オクターブくらい上がり、

「何やってんの?信じられない。早く止めなきゃ。」
と、もう何を口走ったのかは正確には覚えてないけど、とにかく夢中で操縦室へ走っていった。スタッフはけげんな顔をしたけど、大事なものを落としたのだとわかってくれて、すぐに船の向きを変え、落とした場所まで戻ってくれた。だけどときすでに遅し。ケースは海の底に沈んでしまったようだ。泣きそうだった。本気で悲しかった。

 なぜそれがそんなに大事だったのかといえば、ペリト・モレノ氷河の写真を撮ったメディアがいっぱいになって、ついさっき取り替えたばかりだったのだ。今デジカメに入っているのは予備のメディアで、せいぜい25枚くらいしか撮れないけど、ケースに入っていたのは、200枚くらい撮れるもの。200枚くらい撮った写真もすべてパーである

 あきちゃんをせめたところで、もう仕方ないことは分かっているんだけど、この気持ちをどこにぶつけたらいいのかわからない。ケースだって、あきちゃんのお母さんが電気屋のお兄さんに頼んでこっそりつけてもらったものなのに。とかいろんなことが思い出されてとても気持ちがおさまらなかった。

「えいのじちゃん、ごめん。」
と言われても、ごめんで済むようなことではない、と思った。
 せっかくクルーズに来たのに、とても楽しめないよ・・・・

 そうしてしばらく沈んでいたけれど、景色がとてもきれいで、アザラシとウミウもいっぱいいて、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。せっかく来たんだから、このきれいな景色を楽しもう。そう思えるようになった。メディアはまた買えばいいんだし、写真はなくても、氷河に感動した思い出は私たちの中にちゃんと残っているはず。
 高い代償を払ったけれど、このクルーズは行って良かったと思う。夕日が雪山にあたって、なんともいえない美しさ、月が出てきたときもまたきれいだった。(映子)

雪山がきれいな景色。この景色に興奮した直後に悲劇が・・・。ビーグル水道に僕らの写真たちは沈んでいった
僕たちの悲しみとは裏腹に、アシカたちは残酷なほど無邪気だった
一見ペンギンに見える鵜。紛らわしい姿をしていて空を飛ぶ

ウシュアイアで考えたこと 8月3日

ウシュアイアには2、3泊かな。そう思っていた。なのに今日でもう5泊目。沈没しない私たちにしてはかなり長い滞在となる。
日が短いのもあるけれど、一日が飛ぶように過ぎていく。それは、この宿の居心地の良さのせいかもしれない。
 私たちは、6日にここを出ることにした。ここのところ、天気が悪かったんだけど、明日かあさってには、国立公園にいけるだろうから、とそう決めたのだ。
 ここを出る日を決めたら、なぜだかほっとした。なぜか分からないけれど、先の予定も分からずに長居していると、あせってしまう。それは今までにもあったことだ。他の旅人はそんなことないのかな。私たちがいそがし屋なだけかなあ。(映子)

ティエラ・デル・フエゴ国立公園  8月4日

 今日こそいい天気!!朝からピーカンなので、サンドイッチ作って張り切って出かけたのに・・・バスが昼1時までない・・・。郵便局ではがき出して、スーパーで買い物して、バスが出るまでの間にサンドイッチも食べちゃった。

 バスは国立公園の中に入っていって、途中でお客さんを降ろしたりしながら、終点のラパタイアまでいった。
そこは、南の果ての道の終わり、本当に何もない。木でできた遊歩道があって、展望台みたいになってる。そこはなかなかいい景色だった。
 そこから雪の積もった道を踏みしめて、サクサク進む。凍っているところもあって滑りやすい。ふっと景色が開けたところに出て、そこから雪の山々が見えていた。ネパールを思い出した。
「ネパールの方がもっときれいだったよ。」
とあきちゃんは言うけれど、私はこっちも結構いけてると思う。いい勝負だと思うけどな。

 雪道をサクサク歩いて、分岐点を越え、さらに歩いて車道に出た。車道と言っても車はほとんど来ないので歩きやすい。
 少し横道に入って、ラグーナ・ネグラという湖に到着。直訳すると黒い湖。なのにびっくり。凍っていてまっ白だ
氷の下から妙な音が聞こえてきた。ボコボコボコ・・・何かいる?よーく目を凝らしてみたけど、何も見えなかった。

再び車道に戻り、橋を渡り、さらに歩く。リオ・ラパタイアという川沿いに歩くと、ラゴ・ロカの休憩所まですぐだった。
ラゴ・ロカという湖からのながめもなかなかいい。寒くなければもっと見ていられるのに・・・。
湖畔でクッキーを食べていると、すずめみたいな黄色い鳥が、クッキーくずを求めて寄ってきた。そしてあきちゃんの手からウエハースを食べていた。(映子)

アラスカから1万7848km続いた道、パンアメリカンもここで終る。ここは南米大陸南の果て。南緯54°の太陽が輝いていた

ウシュアイアでのダラケた生活 8月5日

南米最南端の町ウシュアイアについて、すっかり旅する気力を失ってしまっている
アジアの西の果て、イスタンブールやアフリカの南端、ケープタウンに着いた時もそうだった。長い間目指していた目的地にようやく到着した時はいつでもそうだ。居心地のいい宿がここにあるというのも僕らをここに引き止めているのもたしかな事実だ。
居心地のいい日本人宿、上野荘でのダラケた生活というのはこういうものだ。

9:50 起床
10:00 NHKニュース(以下すべて衛星放送)
10:30〜 プロジェクトX、ちゅらさん再放送
13:00〜 昼ごはんの準備
14:30 昼ごはん終了
16:00〜 買物
19:00〜 晩ごはん準備
20:30 晩ごはん終了
1:00頃 就寝

まったくダラケた生活だ。冬のパタゴニアは日が短く、朝10時前はまだ暗くて全然起きられないということもあって一日がたつのはとても早い。
僕は会社で勤めていた時、仕事に対して全くやる気が起きない、そんな状態に陥ることがあった。そんなとき僕は積極的に仕事をさぼりまくった。家でテレビ見たり、寝ていたり、映画を見に行ったり。外回りにいってくるように会社の外に出ては、サボった。
するとアラ不思議2,3日もすると、そろそろ仕事でもしようかなー、という気分になってくる。前向きに仕事をする気になってくるのだ。

だから、今の僕たちはこの機会にダラケた生活を送った方がいいじゃないかと思って、むしろ積極的にダラケている
勝手に自分たちの自堕落生活を正当化しているだけのようにも思えるが、こんな考え方っておかしいかな?(昭浩)

旅立ちの日―ウシュアイアからプエルトマドリンへ― 8月6日・7日

南十字星が逆さまに出てる。そんな真っ暗な中で、バスは出発した。上野のおばあちゃんは、タクシーで出るとき、戸口まで来てく れて、見送ってくれた。
「また来てくださいね。次は南極。」
と言ってくれた。あんまり話す機会はなかったけれど、その一言がとてもうれしく感じた 。

 バスに乗ったら即寝るね、とあきちゃんと話してたのに、しばらく話をしていた。暗闇の中で、冷え冷えするバスの中で。しかし眠り始めたらもう最後、気づいたら来る時も寄ったパン屋で止まった。
 リオグランデに着いたころ、外はやっと明るくなっていた。バスを乗り換えると、朝食のクロワッサンとコーヒーが出た。それから再びチリに入った。マゼラン海峡を渡るとき、なぜか今回はバスから降りて歩いて船に乗った。
 船に乗っていると、黒白2色のイルカ、Tuninaを見た。2頭いた。鳥は朝から元 気で、何羽も船の周りを飛んでいた。
 さらに走ってチリ出国。少し走って再びアルゼンチン入国。ここまで来るとふぅー、今日も一仕事終えたぜぇー。という気分である。リオガジェゴスはもうすぐだ。今回は泊まらずに、夜行バスでプエルトマドリンへ向かった。

 バスの中では、結局食べ物は何も出なかった。昨日残しておいたクロワッサンと持って いたお菓子で何とか食いつないだ。朝8時ごろ、コンリバダビアというところで50分くらい休憩。そしてここからバスは同じだけど席が変わる。あきちゃんとは少し離れた席になった。
 今日は眠くて仕方がなかった。眠くて眠くて、本を読んでは眠り、起きたらまた少し本を読み、また眠り・・・とその繰り返しだった。バスの中でやっていた映画も全然見なかった。
 外の景色は果てしなく同じで、地平線がまあるく見える。草がぽつぽつ生えた大地だった。

 トレレウでも30分止まった。あともう少しだというのになあ・・・。トレレウを出てからもしばらく意味もなく途中で止まり、プエルトマドリンに着いたのはもう夕方4時過ぎだった。さすがに疲れたなあ。一体何時間バスに乗っていただろう。いっぱい寝たのでもう眠く はないけど、やっぱり疲れた。(映子)

驚愕のクジラ体験 8月8日

すげぇ、こりゃすごいわ、すっげぇーなあ
こんな言葉を何度も繰り返した。他に言葉はないのか、と思うが仕方がない。 心から出る言葉がそれなんだから。もちろんこれはクジラの話だ。

僕たちはツアーバスに乗って、バルデス半島にあるプエルト・ピラミデという 港に行った。そこでモーターボートに乗り込む。ボートの上からクジラを見ようってわけだ。
ちなみに僕はクジラウォッチングツアーなるもの今回で3度目。1度目は小笠原 諸島、2度目はハワイのマウイ島。
小笠原の時は朝9時に出発し、ようやくクジラが見つかったのは夕方4時。さんざん大海原を探し回ってたったの1匹。それでもはじめてのクジラにかなり興奮した。
冬のマウイ島では、岸からクジラが跳ねているのが見えた。でもその姿は豆粒 のように小さい。
ボートツアーなるものに参加してもっと近くで見ようと思ったのだが、どうやらクジラを見るのには決まりというのがあって、100mだか200mだか、クジラ保護のため、ある一定の距離をおいてそれ以上近づけないようになっている
だから小笠原の時もそうだったんだけど、ボートである程度近いていっても、結局少し離れたところからでしかクジラを見ることはできなかった。

ところが、ここアルゼンチンは違う。そんなルールしらねぇよ、とば かりにガンガン近づく。さすがにクジラに突っ込みまではしないが、それくらいのイキオイがある。接近したところでエンジンを止めてクジラを観察。クジラとのそのあまりの 近さに驚くばかりだ。
さらに、クジラは気まぐれにこちらに近づいてきたりする。あわや船にぶつかる、というところまでやってきて、船にぶつかる寸前で船の下にもぐりこんでしまい、そのままどこかへ行ってしまった。
こんなのってあり?マジでスゴイよ。ありえないくらいの大接近にびっくりした。血が踊りだすくらいの興奮だ。
しかし、クジラ体験はこれだけでは終らなかった。  続く

クジラはゆっくりと泳いだりひっくり返ったりし、ときおりボートに向かって近づいてきたりして僕らをびっくりさせる

驚愕のクジラ体験2 8月9日

オフロードの道を僕らふたりただひたすらペダルを漕ぎ続けていた。ステップ気候であるここら一帯はずっと乾いた草原が続いている。ゆるやかなアップダウンがあり、海を右手に見て 、ゼイゼイいいながら、自転車をこいでいる。たまに何台か車が通り過ぎ砂ぼこりを舞い上げていく。
プエルトマドリンの街を出発して約1時間半距離にして約20キロのところにある、Playa el Poradillo (ポラディリョ海岸)に着いた。
着いたとたんいてもたってもいられず、早足で砂浜へと下りていく。ビーチのすぐそばにクジラがいるのだ。
距離にして15mくらい泳いでいってもすぐに追いつける距離。石を軽く投げたら簡単に届く距離にクジラが泳いでいるではないか。
クジラがこんなにビーチの近くを泳いでいるという光景がとても信じられない

大きなヒレやしっぽや頭をぷかりと出しては海の中へ、そしてまたぷかりと出して・・・そんなことを繰り返しながら僕らの前をいったりきたりしている。1頭だけでなく、3,4頭のク ジラのファミリーがじゃれあうようにばしゃばしゃやっている。コォーコォーとダースベーダーみたいなクジラの鼻息がまわりに響く。
僕らは、驚き、興奮し、はしゃぎ、写真をバシバシ撮った。少し落ち着いたところで、ビーチに腰を下ろして、持ってきたサンドイッチをほおばる。コォーコォーといっているクジラを 間近に見ながら、感動と幸福感に包まれるなか、もぐもぐとサンドイッチを食べ、しばらくクジラに見とれ続けたのである。

 自転車を漕いでプエルトマドリンの街に戻ると、そこにもクジラがいた。
海沿いの遊歩道からみんなが眺めている。数えてみると7,8頭はいたと思う。ビルが建ち並び、ものすごい数の車が行き交うけっこうな都会の海でクジラが泳いでいる。僕たちの常識 ではとても考えられない光景だった

僕らがバルデス半島にクジラを見にこようと思ったのは、ちょうど一年前ここに来てクジラを見た友達が薦めてくれたからだ。
「絶対後悔しないから」
その言葉はウソではなかった。逆に見ていなかったら絶対後悔していた、それがバルデス半島のクジラだ。(昭浩)

岸辺からすぐそば、本当に手が届きそうな距離にクジラがいる!
クジラがいっぱい見れるポラディリョ海岸

ひとりぼっちのアザラシ体験   8月10日

 今日も自転車を借りて、アザラシのいるプンタ・ローマへ向かった。あきちゃんは、
昨日はマシンがよくなかった。」
今日は半日レンタル18ペソ(666円)の高い自転車で得意げに走っていた。ちなみに昨日のは12ペソ(444円)、私のは今日も12ペソ(444円)。

 エコセンターの辺りから海が見えて、景色はかなりいい。その辺りから砂利道になったけど、昨日もそんな道だったので、へっちゃら。
ふとあきちゃんのペースが落ちていることに気づく。というか私がペースをあげたんだな。がんばって追いついたぞ。と思ったその時、「パンクや。」とあきちゃん。
絶望的。
もう帰ろうか?それとも押していく?
2人交代で歩くか・・・。

いろいろ考えた末、私が自転車でプンタ・ローマへ向かい、その間にあきちゃんが自転車を押して少しずつ帰路に着く。途中で私が追いつけるだろうから、その後行ければあきちゃんも チャリでプンタ・ローマへ。もしヒッチできて、町に戻れれば自転車屋で待つ。ということになった。

 私はそこから15分くらいでプンタ・ローマに着き、アザラシをいっぱい見ることが出来た。
アザラシがいるところは3ヶ所あり、最初のミラドールから2ヵ所見れる。そこでは家族 のアザラシがぎゃあぎゃあ言ってた。
もう一つのミラドールまで結構歩く。自転車で来ればよかった。受付のオヤジめ、言ってくれよー。と思いながら急いで歩く。
しかしここは歩いてでも行く価値ありだ。たくさんのアザラシがいることによって発せられるあのにおい。そして大量のアザラシ。足の踏み場もないほどに浜に寝そべるアザラシた ち。毛の色は茶色、でも水に入ると黒いつやつやになる。泳いでいる姿が上から見えるのもいい。

あきちゃんも来ればいいのに・・・と思ってがんばって追いかけて、1時間くらいでやっと追いついたけど、もうエコセンターより向こうまで行っていた。そして汗だくで自転車を押し ていた・・・残念。(映子)

僕は正直いってアザラシなんぞには未練はない
クジラを見た後でアザラシみたってたそんなにも感動しないんじゃないかな。ひとりトコトコと自転車を押しながら誰もいない道を大西洋をみながら帰る、それはそれでいい思い出がで きたくらいに思っている。
なのに映子のやつ、今日に限って「よかったで!いけばよかったのに。」と、やたら「よかった!よかった!」を連発する
「なんだよこいつ」って思ってしまった。(昭浩)

南アフリカほどじゃないけれど、このアザラシの大群には結構びっくり
海はとても青かった。1人自転車を押しながらこの景色を見ていたのか・・・

ここはスイスか?バリローチェの街 8月11日

僕たちが今朝着いた街バリローチェは南米のスイスと呼ばれている。
「〜のスイス」というのは聞き飽きた。中東のスイスもあったし、アフリカのスイスなんかアフリカに2つも3つもあったぞ。

世界の大多数の人々が抱いているスイスのイメージというのがあって、そのイメージに重なる場所ということなのだろう。わかりやすいのかもしれないが、なんか安易だ。
単なる表現だけならいいが、この街の名産品がチョコレートときている。チーズフォンデュ屋だっていくつかあったりする。ちょっとやりすぎじゃないか。そのうち、缶 切りやらワインオープナーやら栓抜きやらハサミやらが出てくるスイスナイフなるものも名産品として売り出されるんじゃないだろうか。

まあいいや。とにかくバリローチェはスイスにたとえられるほど美しい街であることにかわりはない。人々も垢抜けている。モデルのような美人も多い。ちょっと出来すぎている感は否 めないが、とても洗練され、おしゃれな雰囲気があるところだ。

宿はビルの10階にある超高級マンションを改造して宿にしたところで、とてもリッチな気分で山や湖やヨーロッパ的なきれいな街並みを見下ろすことができる。僕らのような低予算旅行 者でも、とても貴族的な気分になれるというのはいいことだ。
何も文句のつけようのないところだけど、ここでの長居は日本人には難しいと思う。長居というのは10日以上という意味だ。
こういうところに来て感じるのは、日本人はやはり土臭いものが好きな民族なんだと思う。洗練されすぎていたり、おしゃれすぎたり、というのは一時的には喜ばしいものだが 、長くいると落ち着かなくなる、という気がする。

それでも、ここはいいところだ。緑が多い。緑があるというだけで、心は豊かになるんだなと思う
ウシュアイアは別として、多くのパタゴニアの町、たとえばリオガジェゴス、カラファテ、プエルトナタレス、なんかはほとんど緑の森というのがなく荒涼した印象を受けた。木々の緑 がないと心がすさんでくるのではないか、そんな感じがした。日本はなんだかんだいって緑が多い。そんな日本の美しさというのを旅しているとよく発見させられる。(昭浩)

すさまじいオレンジ色の夕焼けだった。みててビビった。こんな夕焼けってあるのか、ただ驚くばかりだった・・・(宿のテラスにて)

バリローチェでの快適な生活にケチをつける 8月12日

僕たちは高級マンションの10階でノーブルな生活を楽しんでいる。ここからだと景色もいいので外に出る必要がない。ああ快適、快適。
しかし、人間は快適すぎる状況にいたらいたで何かしら文句をつけたくなるものらしい。
なんだか、快適すぎて物足りない
感謝してありあまる状況なのに、文句を言い出すしまつ。

確かに快適すぎる。それはいいことなんだけど、南米らしさ(それは僕らの勝手にイメージしている南米らしさってことなんだけど)が感じられない。僕は、アルゼンチンを旅している といつも南アフリカを思い出す。南米大陸を旅していてでアフリカ大陸にある南アフリカを感じるなんてなんか哀しい

宿は清潔感があって設備が整っていて、でも、そのほとんどはドミトリーであるところ。どの町にもスーパーマーケットがあって、レストランだと高くつくので、毎日自炊の生活をして いるところ。宿のなかは欧米人がほとんどで、そこでは英語が公用語になっていて、英語がネイティブのように話せない黄色人種の日本人はどこか浮いた存在になってしまうところ。南 アフリカもそうだったが、すべてがヨーロッパのようなのだ。

 ヨーロッパ的なところに不満を感じながらも、快適な宿でリラックスし、うまいアルゼンチンビーフに舌鼓を打ち、アルゼンチンワインに酩酊し、あれほどバカにしていたスイスチョ コレートを買って、午後のティータイムを楽しんでいたりする。 (昭浩)

ジャオジャオの丘   8月14日

 今日はかなりいい天気だ。サンドイッチ作って張り切って出かけた。ウシュアイアのときもそうだった。
そういえばラパスでジップロップをくれた林くんが、
「ジップロップはサンドイッチとか作って入れるのに便利・・・」なーんて言ってたなあ。そんなサンドイッチなんて作ったりしないよーとそのときは思っていたけど、今は毎日のよ うに作っている、この不思議。そういう言葉をムゲにしちゃいけない、とあきちゃんが言った。別にムゲにしたわけじゃないけどね。

 外に出ると少し肌寒かった。久々の遠出だし、少し山にも登るし、寒いかな?と不安になったけど、強行突破だ。歩いているうちに温かくなるよ、きっと。ダウンジャケットは着なか った。
 バスでジャオジャオホテルまで行くのに小1時間かかった。その間、バンガローなどホテルがいくつかあった。ジャオジャオホテルは超高級な雰囲気が漂う。ゲストリレーションのお 姉さんに地図をもらってイザ出発。
 ジャオジャオの丘までは歩いて1時間もかからなかった。景色は確かにいい。絵葉書になりそうである。でも私は360度開けてると思っていたので、期待していたのとはちょっと違って いた。

 帰りはちょっと違う道を行ったら、道を間違えたのか険しい道、道なき道という感じのところを必死で降りるハメになった。それでも何とか無事にジャオジャオホテルまで戻ってきて 、トイレに行こうと思ったら、宿泊客じゃないとダメとか門前払い。なんだよー、それでも超高級ホテルかよー。私の中ではちょっと高級ぶってるただのホテルに格下げとなっ た。それでも、悔しいけれどジャオジャオホテルからの眺めはとってもいいのだった。(映子)

ジャオジャオの丘から見た絵葉書のような風景。寒いので防寒対策は忘れずに。

ちょっといい話   8月15日

 メンドーサ行きのバスは2つある。どちらも同じ時間に出るのだけれど、片方は80ペソ(2960円)、もう片方は92ペソ(3404円)。私たちは安いほうを迷わず選んだ。同室のイ ギリス人夫婦はメンドーサから高い方のバスで来たけど、食べ物がしょぼかったわ、と言っていた。果たして安い方は?

 バスがやってくるとすぐその違いが1つわかった。向こうは横3列、こっちは4列。そのゆったりさ加減、高級感は全然違う。そしてバスの中に入ってみると、さ、さむい。外と同じか それ以上に寒い車内。乗客も少なくて寒さ倍増。しかも走り出しても暖房をつけてくれない。昼間だからまだいいけれど、夜は凍え死ぬよー。ダウンジャケットは絶対必要だ。

 バスの中では何も食べ物が出なくて、お腹がすいてきた。NEUQUENというところで止まった時に、外にホットドッグを買いに行った。そこで事件があった。
 外へ出ている間に間違って席を取られないように、座席に置いておいたひざ掛けがなくなっていたのだ。
盗まれた?この一瞬のスキに?でも別にとられてもいいものを置いておこう!とそれを置いたので、まあ仕方がない、あきらめようとすぐに思った。
 ところが、斜め前に座っていたおじさんが、私のひざ掛けを持ってバスに乗ってきた。私たちが忘れたと思って、追いかけて探してくれていたらしい。なんて親切なんだ、ア ルゼンチン人って・・・ちょっとびっくりした。
 ちなみに、せっかくホットドッグを食べたのに、その後すぐにバスの中で食事が出た。(映子)

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