8月17日〜8月30日
メンドーサといえば中華のバイキング、と言われるくらい、旅行者の間で有名な食べ放題の店がある。
私たちは、オープンとともに店に入るくらいの勢いで張り切っていった。時計を見ると、12時過ぎ、もう始まっているかと思いきや、12時半からだ、と言う。後30分もないな。「ここで待ってていい?」と聞くと、掃除をするからダメととてもいやそうに言われた。
12時半になっても、まだ薪を運んでいる。おかしいなあ。もしかして時差があるんじゃない?なんてジョーダンで言いながら、近くの時計屋の時計を見ると・・・本当にあった。
私たちは昨日の朝、メンドーサに着いた。つまりもう丸1日はここで過ごしたのに、時差があることを知らなかったのだ。レストランのお姉さんは、1時間以上前から来ているわたしたちのことをどう思っただろう?
時計屋のおじいちゃんは、私たちが店の外から時計をじーっと見ていると、ブエノスアイレスとは1時間違うんだよと教えてくれた。そして、おじいちゃんはヒマなのか、話がなかなか終らない。でも私と似たような福耳の持ち主で、とてもいい人そうなので、なかなかその場を立ち去れなかった。そして、バイキングではあんまり肉は食べるな、いろんなものを少しずつ食べろ、アイスクリームもいろいろ種類があるぞ、とアドバイスしてくれた。(映子)
南アフリカではツアーに参加していくつか周ったけれど、ここでは個人でバスに乗ってボデガまでいける。しかも無料ときている。これは行くしかない。
マイプーの町は、閑散とした田舎町。ブドウ畑は確かに多い気がするけれど、なんだか寒々しい町で、南アフリカのワイナリーツアーのすがすがしいさわやかな感じとはちょっと違う。
一軒目のボデガは、博物館もあって説明も英語でしてくれるのはいいんだけど、彼の英語が流暢すぎて何を言ってるのかさっぱりわからない。ていうか、説明はいいから早くワイン飲ませろ!って感じ。古い道具の展示や、ボデガ全体の雰囲気は良かった。
ただ、試飲のワインはまずい。こりゃあないだろうっていうほどまずい。しかもMUSEO(博物館)というダサい名前。値段も一番安いみたい。誰も買わないだろうと思ったら買っている人がいたのでもっとびっくりした。
次は一番古いとかいうボデガに向かうが、バスに乗ったら違うところで降ろされてかなり歩いた。おまけになんだか寂れチック。レストランも看板はあるけど全然営業してないし、従業員も客も少ない。工場見学のときは電気もつけてくれないので暗い。でもここのワインは、まあまあおいしかった。
三軒目は、工場に活気があり、売れてるワイン会社という感じがした。ビンにワインを入れてコルクを入れる機械とか、ラベルを貼る機械とか、動いている様子を見れたのが楽しかった。実際に飲んだワインはちょっと苦くて好みではなかったけど、他のワインも飲んでみたいと思わせる、なかなかにくいボデガであった。
寒い中、結構歩いて疲れたけれど、充実したボデガめぐりの一日であった。(映子)
毎日肉を喰らっている。毎日ステーキだ。僕の前世は肉食獣 にちがいない。
最近ではどの肉がうまいかというのも心得ていて 、ココドリロというちょっと高めの肉をスーパーの肉屋で切ってもらって、買っている。牛のおしりの近くの肉らしい。やわらか
くてうまい。
高いといっても1キロ=300円くらい。日
そこらじゅうで牛を 放牧しているアルゼンチンでは冷凍する必要なんてなく、冷凍肉というのはありえない。つまり僕がいいたいのは、アルゼン チンのビーフは安くて新鮮でうまいということだ。
アルゼンチンのビーフは和牛のようなシモフリっ てやつではないので、焼きすぎると堅くなりがちだ。だから焼き加減でいうとレアーがよい。それも血がしたたるようなレアーが
。
僕は肉食獣らしくとても生肉を好む人間で、いっそのこと生で食べた くて仕方ないのだが、アルゼンチン人に「寄生虫がいるかもしれないぞ」、といわれたことがあるので、一応は焼いて食べるよ
うにしている。
僕は自分でいうのもなんだが、肉を焼くのがうま い。片面を強火でしっかりと焼いて、肉を裏返す。裏返した後、バターを載せて、さらに赤ワインを入れ、ふたをして、中火で中
を蒸すようにして焼く。我流だが、これでビーフステーキ・赤ワインソースができあがる。いいワインを使っているからか絶 だ。醤油をかけて食べてももちろんうまい。
僕の世代は、牛肉=高級、そんな先入観がし 。
子供の頃は高級な牛肉なんて月に一度あるかないかのごちそうだった。ビ ーフステーキはビフテキと呼ばれ、口の中で金歯をきらきら光らせるような金持ちが食べるものだったのだ。小学校の高学年の頃
になり、輸入肉が解禁になったのか、為替が1ドル=360円の固定が自由相場に変わったのかよく知らないが、輸入肉が安くなり、 そこでようやくビーフは庶民のものとなったのだ。だから、高級食べ物であるビフテキを毎日食べられる生活というのは、子供の
頃夢見たことでもあるのだ。
夜は例外なくステーキを食べる毎日で、さらに昼間もステ ーキといきたいところだが、それじゃさすがの肉食獣でも飽きが来る。だから、スパゲッティなんか作って食べたりする。でも、
ひき肉は800gパックが110円で売られて いるので、とにかく肉たっぷりのものができてしまう。ふたりでもさすがに800gを1回の食事でたいらげることはできないので、
二日レンチャンのスパゲッティとなる。それでも1回400g、ひとりあたり200gのひき肉を使うことになる。肉の中にパス
このように、ここでは、いい肉といいワインが手
せっかくの機会なので、僕は、アルゼンチンにい る間は、肉とワインを毎日絶やさずに、ガンガン喰ってやろうと思っている。(昭浩)
先日のボデガめぐりでかなり満足していたので、「もうボデガはいいや。」と言ってい たのに、「暇だからシャンドンでも行ってみっか。」ということになって出かけた。
シャンドンってなんだ?お酒に詳しい人ならすぐに分かる と思う。シャンパンと言えばモエ・シャンドン。フランスの会社である。お酒にそんなに詳しくない私でもその名前くらいは知っ
ていたし、お祝いの時に奮発してシャンパンを買ったこともあった。その有名なモエ・シャンドンのボデガがメンドーサからバス で行けるところにある。他のボデガを周りながらも、ひそかに行きたいなあとねらっていたのだ。
シャンドンはさすがだ、と思う。スタッフも感じ
工場見学では、説明はスペイン語なのでよく分からないけ ど、活気のある工場内を見れたのと、工場内でまだ作り途中のシャンパンを飲めたのがよかった。(ちなみにシャンパンはシャン
その後、その液体に砂糖と炭酸ガスを加えて、スプマンテ
最後にその出来上がった、冷えてるやつをグラスになみなみとついで くれる。いいぞ、モエ・シャンドン。それだけですっかり酔っ払ってしまって、とってもいい気分だった。(映子)
南米最高峰アコンカグアの名前を知ったのは、たぶん、植村直己の著書「 青春を山に賭けて」を読んだときだったと思う。
それから10年以上たつ。キリマンジャロ、モンブ ランと登り、次はアコンカグアだな、と思いつつもずっと二の足をふんでいる。
技術的に難しい山ではない。問題は高度と天気と 自分の体力だけだ。なのに時間がない、休みがとれない、そんなことをいっているうちに何年もたってしまった。そして年月がた
つうちに、登る気持ちすら少しずつ希薄になってしまっている。
バスを降りると遠くにアコンカグアがあった。も ってりとした雪をかぶった双子峰だった。見たとたんチカラが涌いてきた。生命力というのものがあるとしたら、僕のそ
れは明らかに大きく増幅されたはずだ。
行かなきゃ、なんとしても登らなきゃ、そう思っ た。しばらくその姿をずっと見ていた。山を目の前にしたクライマーがそうするように、無意識のなかで、アコンカグアと無言の
対話を繰り返した。
「また、来るからな」
最後にそう言ってアコンカグアをあとにした。 (昭浩)
メンドーサという町は長野県にある町にどこか似ている。 ほどよい近さに雪のかぶった山が見えるちょっとした都会、そういうところがそう思わせるのだろう。今日、僕らはこのメンドー
サの町を去り、ブエノスアイレスに向かう。
この町に6泊、すなわち1週間いたことになる。
アコンカグアとボデガめぐりというのが目的で訪れたところなのだが、血 のしたたるステーキに赤ワインという生活にすっかりハマってしまった。
毎日の食事は自炊でまかなっていたのだが、メンドーサは自炊のための環 境がとてもよく整っていた。宿には広いキッチンがあり、近くにはカルフールがある。カルフールのなかにはたくさんの種類のア
ルゼンチンワインの並んだワインコーナーがあって、そこで、今日はどのワインにしようかなどと、「今日のワイン」を選ぶの がひとつの楽しみでもあった。
アルゼンチンペソが1ドル=1ペソから1ドル=3ペソに崩壊したおかげで、 価格的には、そこに置いてある大半のワインが僕たちの守備範囲の価格なのである。大体1本1ドル(110円)以下から10ドル
(1100円)の間のものが9割ちかくをしめており、その価格帯を越えるものでいうと次は3000円、5000円、そして1万円のドンペ リ、そういうものが端のほうに置かれているだけ。数多くの銘柄のワインを前にして、値段にしばられることなく、おいしそ
うなワインを自由に選べる、というのはとてもわくわくする。
しばりといえば、僕たちは逆にメンドーサでは20ペソ(740円)以上のワイ ンを買おうというシバリを設けた。10ペソ(370円)前後の安くてそこそこおいしいワインはいくらでもあるのだが、
「せっかくの機会なのだから、日本では高くて なかなか手の出せないクラスのものを飲もうではないか!」
ということで普段意見のよく食い違う夫婦がこのときばかり 気持ちがひとつになったのだ。
日本だったら安いワインでも1本1000円くらいす るから、740円のシバリなんてたいしたものではないじゃん、て思われることだろうが、370円くらいでもまあまあいいお値段の部
類に入るアルゼンチンのワイン世界で740円以上というのはかなり思い切った、大盤振る舞いのシバリであるということを 理解してほしい。
僕らがはじめてメンドーサで買ったワインは、19.9ペソ(736円)。シバリ を設定していたのにもかかわらず、ビビって20ペソ(740円)以上のものは買えなかったのである。最後には飛行機の上から飛び降
りるくらいのつもりで最高28ペソ(1036円)のワインを買ったが、そのときはボトルを持つ手が震えた。
ボデガめぐりが当初の目的と前に書いたが、結局 メンドーサにいるうちにそれは変化していった。ボデガめぐりはちょっとした余興のようなものとなった。メインはあくまで毎日
買って飲むワインであった。
僕たちがアルゼンチンで自炊しているのも、レス トランで高いワインを飲むより、スーパーでおいしいワインを買ってきて飲んだほうがいい、という判断からだ。あくまでワイン
のための自炊なのである。
アルゼンチンワインのほとんど作られているメン ドーサでは、毎日がワインに浸り続けた日々だった。(昭浩)
その名前の示すとおり宿泊客は100%日本人の宿だ。
僕はブエノスのバスターミナルからその宿に向かった。バスターミナルやセントロからバスで1時間以 上かかる観光やショッピングにはたいへん不便な韓国人街に日本旅館はある。南米で会った友達がそこに泊まっていなければ、多
分その宿にはいかなかっただろう。
日本旅館に着いた。少し暗い。僕は意外に思った。もっと小奇麗で素敵な場所を想像していた からだ。そこには2ヶ月、3ヶ月は当たり前、半年、1年と住んでいる人たちだっているのだ。だからそれだけ居心地のいい
ところであり、見るからに快適を絵に描いたようなところを想像していたのだ。
僕が日本旅館についたのは昼の12時ごろ。なのに、そこには早朝の雰囲気が漂っていた。
何人かの住人がごそごそしていたり、TVを見ていたりしていたが、大方の人々は寝ているのだ。現に案内されたドミトリーでは 、まだ寝ている人がいた。よく見るとそれはリマやラパスで会ったジャラちゃんだった。
12時45分NHK衛星放送で再放送をやっている「ちゅらさん」がはじまった。それにつられるように、何人 かの日本旅館の住人がぞろぞろと起き始める。みんな眠そう。
聞くところによるとここは不夜城らしい。ほとんどの人が朝まで起きている。早く寝る人でさえ、3時ごろに就寝すると いう。ここに長くいるゴルくんとマリちゃんの話によると、用事があって朝の8時ごろ起きたとき、もうすでに何人か起きている
人がその時間にもいたんだそうだ。
「早いですね」
というと
「これから寝るんです」
という返事が返ってきた。
あと、晩御飯とばかりに朝の6時ごろキッチンでステーキを焼いている輩もよくいるらしい。
ほとんどこの日本旅館を出ずに、麻雀、将棋、NHK、ワインに焼肉にハッパ、みんなそれぞれ好きなこ とをして過ごしている。みんな好き勝手にやっているようでいて、日本社会によくあるような、人間関係の確執の混沌のようなも
のもそこに見えたりする。
ここは、アルゼンチンの中のワンダーランドだ。
ここに長居したらダメ人間になってしまう、僕はそう感じた。
でも、おおらかな目でみれば、こういう場所もあっていいんじゃないかと思う。あまり健全なものばか りでも気持ち悪い。この宿にどっぷりつかってダメ人間生活を楽しみたいなあ、と実はここの住人をうらやましく思っていたりさ
えするのである。(昭浩)
ブエノスアイレスは、食の充実した街だ。
もともと広大なパンパの広がるアルゼンチンは肉だけでなく野菜も豊富で、しかも海に面しているので シーフードだってとれる。食材はとても豊富な国なのだ。
そんな食の豊かな国の中心、ブエノスアイレスは、様々なレストランや安食堂があって、僕らはその恩 恵をこうむることになるのだ。
330円〜550円くらいで大きなステーキが食べられる、というくらいではぜんぜん普通である。
例えば韓国人街にある韓国焼肉屋なんかは、550円くらいもだせば、おいしい焼肉(ビーフ・チキン・ポーク・ソーセージなど) 、しかも韓国風に味のついたようなのが食べられる。キムチやきんぴらごぼう、牡蛎、スープ、ごはん、などなど20種類くらいの
小皿料理もでてきて、肉も前菜もおかわり自由。とにかく大盤振る舞い。
はじめていったとき、それが本当に550円ぽっちで済むのか、本当はもっと払わされるのではないかと不安さえ感じたく らいだ。そのおいしそうな料理が目の前に並べられるとうれしくて笑わずにはいられない。
バイキングというのも盛んで、330円でなんでも食べ放題のバイキングがある。
ジンギスカン料理、中華、日本料理、焼肉、サラダ、前菜いろいろ、シーフード・・・自分でとってく るものもあれば、カウンターのなかにいるコックに頼んで作ってもらうといったものもたくさんあって、普通の胃袋の持ち主なら
すべてを食べることはまず不可能。
僕らも、焼肉、ステーキ類は見向きもしない。肉でお腹がいっぱいになったらもったいないと思うからだ。ステーキが 捨て駒にされるアルゼンチンのバイキングって冷静に考えるとなんともぜいたくだなあと思う。
アルゼンチンが食材豊富だからその豊富な食材をおしみなく使った贅沢な食べ放題レストランなるもの が可能なのだろうが、それに加えてやはりペソの崩壊によって、外国人にとっては安いものとなっているというのは否定でき
ない。もしかしたら、外国人にとって物価が厳密に昔の3分の1になったとまではいわないが、それに近い大きな恩恵を受けて いるかもしれない。
たまたまタイミングがよかったのだ。次ぎこの国を訪れる 時にはまた状況も変わっていることだろう。
そして、アルゼンチンにいるわずか1ヶ月ばかりの間にぶくぶくと太ってしまったことはいうまでもない。(昭浩)
都会はいつも忙しい。
アメックスでトラベラーズチェックをドル現金 に変えて、街中の両替屋をいくつかみてまわり、一番の換金率の高いところにはいってドルをペソへ換える。その上メールチェッ
クに観光までしようというのだからバタバタするのはムリもない。
夜は夜で今日も飲み会のアポが入っている。ハ ードな1日だ。
何もせず1日を終えて しまうと妙に落ち着かない僕らにとって少しばかり忙しいくらいのほうがいいかもしれないが、ちょっと休ませてくれ、といいた い。
でも、こんなことでハードといっているようじ ゃ、日本に帰って社会復帰できるのだろうか。1日中働いて、その後飲んで、翌朝定時に出勤して・・・そんな生活に耐えていけ
るのだろうか、不安である。
今日観光したのはエビ ータの墓と国立美術館。あまり見所の多くないブエノスでこの2つを見たら、それでほぼブエノス観光は終了したといっても過言 ではない。
エビータって僕はよく知らないんだけど、マド ンナが何かしら関わった、映画の主人公の女性らしい。はっきりいって僕にとってはどうでもいい人なんであるが、映子につきあ
っていってみただけのことだ。
エビータの眠る墓地は 大統領クラスのための超高級墓地らしく、その敷地に入った瞬間びびる。墓というよりは、大きな石の家が少し小さな住宅地のよ うに密集してならんでいるのだ。石の上には、彫刻が立っていたりして、墓にしておくにはもったいない。
ミックジャガーやマドンナも訪れたことのある エビータの墓はゴージャスな石の家々のなかではまだ地味な石の家で、それでもその家の門から、
「どうもど うも」
といってエビ ータがでてきそうな、石の家だった。
国立美術館はなかなか みごたえがあった。ベラスケス、ミロ、ゴッホ、マネ、モネ、ゴヤ、グレコ、ピカソ、シャガール、マチスといった有名どころの 作品がいっぱいある。
特に僕がここで見たかったのはゴーギャンの絵 である。最近サマセット・モームの「月と六ペンス」というゴーギャンがモデルとなった小説を読んで、すっかり、にわかゴー
ギャンファンとなっていたのである。
ゴーギャンが描かずに はいられなかったもの、魂の叫び、そんなものを感じたかったけれど、絵に関してまったく見る目を持たない僕としては、それが ゴーギャンの作品だからすごいなあという気になるだけのことで、いいのはいいんだけど、どういうところがいいのか、そういう
ことはまったくよくわからなかった。ただ、タヒチの砂の色として塗られた黄色がとても印象的だった。
都会の1日は忙しい。 そして疲れる。車が多く、常に渋滞のブエノスでバス移動が多いからなおさらだ。ここより人も車も多い東京でよく10年以上暮ら していたと思う。(昭浩)
“Today is not my day”
僕たちはこの言葉を何 度もつぶやいた。でもこの言葉は今日限りにしようと思う。
今日はなんかチグハグ していた。
ブラジルビザをとりに ブラジル大使館いくつもりで、9時には開くと思ってあわてて行ったら、10時からでしばらく外で待たされた。申請の時、ブラジ ルのガイドブックを宿にわすれてきたため、ブラジルでの滞在先を記入することができず、申請用紙をつき返された。そんなとき
に限って、同じようにビザを申請しようとしている旅行者はいないものだ。
バスに乗ろうとする とちょうど出たあとで、昼ごはんにギョウザを食べたいと思って、わざわざバスで1時間もかかる韓国人街にあるレストランにい ったらギョウザは売り切れ。友達を訪ねにいったら留守。
何よりもショックだったのがタンゴのチケ ットを買いにいって、ないと言われたときだ。
実はスペインで世話に なったイニャキとその友達3人がバケーションでアルゼンチン来ていて、僕らは毎日一緒にごはんを食べたり飲んだりしていた。
昨日の夜ご飯を食べている時、明日一緒にタン ゴを見に行こう!ということになった。
「僕らがタンゴのテ ィスカウントチケット屋知っているから、全員の分も明日買っておくよ」
その時なぜか僕たちは みんなの前でそう豪語したのだ。
僕らは夕方部屋で ブルーになっていた。イニャキの泊まっているホテルに電話してもいないし、行ってみてもいなかったからもう待つしかない 。
夜の8時、イニャキ たちは僕らの宿に来ることになっているのに、僕らはチケットを持っていない。みんなタンゴを楽しみにしているだろうなあ、と 思うと憂鬱だ。イニャキたちを待つ間の時間が苦痛だ。
イニャキたちがやって きて、僕らは事情を話した。そしてもう一度ディスカウントショップにみんなでいくことにした。激安のチケットはなかったが、 60ペソ(2220円)のチケットが6人分あったので、それを買っていくことにした。
タンゴは昔オペラハウ スだったところでやっていた。それはとても素晴らしいものだった。
しかし、タンゴを見ながら不覚にも昔テレ ビでやっていた小柳ルミ子と大隈賢也の愛のダンスを思い出してしまった。残念なことに僕の頭の引き出しにはロクなものが
はいっていないらしい。
ルミ子賢也の愛のダ ンスと目の前で繰り広げられているタンゴとは同じようでいて、まったく違った。エロ漫画家の描く裸の女体とマネの描く裸婦が まったくことなるように違う。アルゼンチンのタンゴは、男女が密着し、絡みあうダンスであるのに、芸術的な美しさをもっ
ている。見事としかいいようがない。
僕たちはイニャキたち とタンゴで盛り上がり、本当に楽しいひとときを過ごすことができた。
今日はとてもいい一日 だった。心からそう思う。
ツイていないこと がつづいたとしても最後にいいことがあれば感動的なストーリーへと変わる。今日いいことなくても明日いいことがあれば、 それはハッピーなドラマへとかわる。”Today
is not My Day.”なんてことはありえない。”Everyday is My Day.” なのだ。( 昭浩)
ブエノスでの日々はあっという間に過ぎていった。それは ナイトライフが充実していたからそう感じたのだと思う。ナイトライフといっても夫婦生活っていう意味じゃない。イニャキたち
と過ごしたブエノスの夜ってことだ。
イニャキとは、1年前、南アフリカのオーバーラ ンドツアーで一緒になり、スペインビルバオに遊びに行ったとき、いろいろお世話になったスペイン人の友達だ。8月のバケーションに友
達とアルゼンチンを旅行するというので、どこかで会おう、とメールのやりとりをしていたのだ。なかなかスケジュールがあわず、結局お 互いアルゼンチンの旅の終盤にブエノスで会おうということになった。それで、会ったのが4日前。
イニャキには僕らが泊まるホテル名と電話番号をメールで知らせておいた のだが、ガイドブックに載っていた電話番号が誤って掲載されていたため、往生した。しかし、結局はたまたまうまく再会を果たすことが
できて、それからは、毎晩飲んで食べてエスプレッソを飲んでというスペインの時と同じような、日々を過ごしていたのである。タンゴに も一緒にいった。
基本的に僕らはふたりでいるときは、バル(バー のこと)で一杯なんてことはしない。ごはんを食べるときの食事のお供としてビールを飲むか、アルゼンチンやチリなんかではたらふくワ
インを飲んでいるかで、あくまでスーパーで買ってきたものを宿で飲んでいるに過ぎない。
夜の街で、飲んで、食べて、 おしゃべりしているだけでとても新鮮なかんじがした。イニャキと久しぶりにこうしていると、なんだか久しぶりにスペインのビルバオに
戻った気がした。
毎晩夜遅いので、ホテルはいつも外の扉が閉ざさ れていた。人気の少ない路地を歩いて帰り、持っている合鍵でそおっとホテルのなかに入る。夜遊びを覚えたばかりの高校生のような気分
。そんなことまで新鮮に感じた。
南米の人の話すスペイン語とスペイン人の話すスペイン語はやはり違う、というのも実感した 。イニャキたちもそんなことを言っていた。
「クロアッサンのことをこっちでは、メディア・ルナ(半分の月)というのよ」
「エクスティントール(消火器)のことをマタ・フエゴ(火の殺し屋)っていうんだ」
そんなことを教えてくれた。
語彙が違うだけでない。スペイン人のスペイン語は、そのなかでもイニャキのしゃべりは容赦 なく速いのだが、僕らにとっては聞き取りやすいのだ。多分ビルバオに1ヶ月居候していたからイニャキのスペイン語のほうが耳が慣れて
いるためだと思われる。それはひとつの発見だった。
スペイン人と一緒だとなにかとラクである。レストランなどでのシキリとかは全部やってくれ るし、わからないことがあれば彼らに聞けば僕らにわかるように説明してくれる。会計の際チップをどれくらい置いていくのか、ちょ
っと興味があったので注意深くみていたが、スペイン人はけっこうそのあたりはシビアだなと感じた。0ってことはないが小額だ。
イニャキたちは明日の便でビルバオに帰る。
「バケーションももう終わりだ」
といってイニャキは哀しそうだ。休暇の終わりの独特な雰囲気がこっ ちにも伝わってきて少し切なくなった。最後に僕らはほっぺにチュッチュッとして別れた。(昭浩)
今日は最後のブエノスアイレス観光でカミニートへ行った。ボカ地区にあるタンゴの発祥の地 といわれているこの場所は、今やとってもツーリスティックな場所である。
色とりどりの家々や絵を売っている通りはとてもいい感じなのだけれどレストランの客引きがとにかくウザイ 。その辺でお茶でもしようと思っていたけど、あまりにもウザイのでやめた。フリーのタンゴショーがあるレストランや喫茶店もあるけれ
ど、今さら別に見たくないし、見るならちゃんとしたのを見たいよ。
こうして最後の観光も終えたら、オベリスクにも国会議事堂にも、 ピンクの建物にも英国塔やレティーロ駅にも別れを告げて、イグアス行きのバスに乗った。夕焼けがとてもきれいだった。雲がオレンジと
ピンクに染まって、私たちの旅立ちを見送ってくれた。
アルゼンチンの長旅も今回が最後ということで、ちょっといいバス に乗った。一番高い、「カマ」というやつである。これがめちゃめちゃ快適、食事もうまい。映画を2本見た後、昨夜ベッドで寝たのよりも
よく眠れた。
途中どこかで目が覚めたけど、自分がどこかの宿に泊まっていると 思ってしまった。ここはどこの宿だっけ?とチラッと見るとバスのドアがある。ああ、ここはバスだったんだ・・・。(映子)
早起きしてイグアスの滝を見に行った。
最初は遊歩道から滝を見る。ここの滝は緑がいっぱいでとてもきれいだ。夢の中の世界のような楽園のようなそん な雰囲気をかもし出してる。
バスに乗っていても思ったけど、このあたりまで来るととにかく緑 がいっぱいでアフリカを思い出す。パタゴニアとは違う風景だ。やっぱり豊かなんだな、こっちの方が。パタゴニアのほうは不毛の地とい
う印象だった。
下のほうの遊歩道も歩いて、いろんな角度からこの大きな大きな滝 を見れる。下まで降りたらいよいよボートツアーだ。
こいつはすごかった。まず、右側にある滝に行くが、ここではぬれるとこまで行かず。少し近 づいて写真を撮るだけ。
次に左側。こっちはかなりスリル満点。悪魔ののどぶえを遠くに見ながら、近くの滝に近づいていく。どこまで近づけ るのだろう。荒海の中を漕ぎ出していく感じで、船はよく揺れる。右のガケにある滝にかなり近づいた。
息が出来ない。水が激しく降ってくる。自分では滝の真下にいて、滝からの水をじかに受けている感じがする んだけど、実は違う。一度川に落ちた水が跳ね返ったものを浴びているだけなのだ。
2,3回それを繰り返した後、さっきのちょっと近づいただけの場所にもどった。実はこっちの 方が激しかった。もういいよーというくらい水を浴びた。しかしみんな興奮の絶頂にいて、もう一回行くか?ときかれると、「Si!」
と答えるのだ。楽しかったけど、さいごはちょっぴりつらかったかな。
ふたりとも大興奮のまま船から上がると、次はサンマルティン島だ。渡し舟で渡って、遊歩道 を歩く。ここのミラドールは一番良かった。滝が近くて大きく見える。緑豊かな風景の中に鳥が飛んでいる。虹も見れた。
最後の悪魔ののどぶえ、ここの迫力も確かにすごい。水量、イキオイが半端じゃない。ゴゴー ッという音もすごい。
行き帰りの電車ではちょうちょをいっぱい見た。あきちゃんの帽子のふちにくっついたちょう ちょは、バス乗り場に行くまでずーっとそこにいた。(映子)