6月1日〜6月14日
僕たちは2日前からボリビア・コパカバーナ行きのバスを予約していた。左側の座席のほうがチチカカ湖がよく見えるので早めに席を確保していたのだ。プーノの客引きマリカルメンと名乗る女に、
「早く予約しないと眺めのいい席はすぐに埋まってしまうわよ。」
と「機会損失の恐怖」を与えられ、まんまと高いチケットをつかまされてまでゲットした席だったのだ。なのに映子はぐーすか寝ている。なんてヤツだ。いい景色なのに。
14年前同じ道を来た時とてもきれいな湖だなあと思った。今回もチチカカ湖を見て、なんてきれいなんだと感動している。でも隣ではぐーすか・・・。
チチカカ湖は、これ以上きれいな青はないんじゃないか、っていうくらい魅力的な深く透き通った鮮やかな青をたたえている。そして、ここは他の世界よりも光の量がはるかに多い、そんな明るさがある。空気の粒子まで輝いているみたいで、目に映るものすべてがまぶしく光っている、そんな世界だ。
記憶のなかで見覚えのある国境で、簡単な入国手続きを済ませボリビア入国。ちょっとはずかしいことを暴露すると、僕らは国境を越えるとき、「あいのり」の人たちがするように、せーのでジャンプして一緒に飛び越えることにしている。しかし46カ国目ともなると、
「あきちゃん!忘れたの?」
「おっとっと、いけねぇ。」
と一度越えてしまった国境を再び戻って、一緒に飛び越えていたりする。国境越えもだんだんマンネリ化しつつあるのかな。しかし、国を越える時の独特の緊張感と新鮮な期待感は今でも好きだ。
コパカバーナに着いた。
町の様子は、ペルーと比較すると、ぐっと静かになったように感じる。どこか垢抜けなく、もの寂しい。そんなところにボリビアの空気を感じた。
僕らがとった部屋は4面ガラス張りの温室のような部屋で、そこから町もチチカカ湖もすべて見渡せるナイスなところだった。部屋にいるだけで最高の眺めが楽しめる。
夕方、チチカカ湖につきだした丘に登った。普通夕日というのは、赤かったり、ぼんやりとにじんだオレンジ色だったりするが、空気が薄いうえに澄んでいるせいか、ここの夕日はサングラスをかけていても、まぶしいままの太陽だった。最後の最後まで強い光線を発していた。(昭浩)
太陽の島、そこは初代インカ王マンコカパックが生まれたところ。
インカの歴史はここからはじまった
この太陽の島を縦に横切るインカの道を僕らは歩いた。
チチカカ湖に浮かぶインカの道だ。
石畳、チチカカ湖、遠くの雪峰、深い空、
そこには青い爽やかな風が吹いていた。
チチカカ湖をあとに、僕らは標高4000mの荒漠としたボリビアの地を走っていた。遠くに雪をかぶった山が美しい。3時間ほどすると、ラパスの街が現れた。巨大隕石のクレータのようなすりばち状の大穴に茶けた建物がへばりついている。誰もが写真をとりたくなるようなユニークな美しさを持つ街だ。しかし、ここは悪名高いところ。
ラパスとは平和という意味だ。なのにここでは、首絞め強盗、タクシー強盗、ニセ警官による強盗、腐った本物警官による恐喝などなど、物騒な話をよく聞かされる。そんな平和はカンベンしてほしい。
バスがバス停に着くなり、僕らは超警戒態勢。タクシー強盗もいるから、バス停でツーリストを待っているようなタクシーは気をつけなければいけない。流しのタクシーでしかもドライバーの人相がいいやつがいい。僕らが拾ったタクシードライバーの人相は・・・?微妙なところだ。
無事に宿に着いた。しかし、宿は混んでいて、部屋の掃除が済むまで2時間ほど待っていてほしいと冷たく言われた。ホントはチェックインして荷物を降ろし、貴重品とかも部屋に置いて外出したいところだが、どうしてもお腹がすいてしかたなかったので、大きい荷物だけ置いて、ごはんを食べに行った。
全財産を腰に巻き、パソコンのはいったミニザックをかついで、治安の悪いしかも着いたばかりで土地勘のないダウンタウンを食堂探して歩くのはなんともどきどきするものである。五歩進むたびに後ろを振り向く。つばかけ強盗や首絞め強盗を常に警戒し、いつも二人キョロキョロしている。挙動不審このうえない。
とりあえず、ラパス初日は何事もなかった。外出するときは全神経をぴんぴんに尖らしている。こんなラパスでの緊張生活にも何日かすると慣れるのだろうか。(昭浩)
ラパスは物価が安い。安いからつい贅沢してしまう。
たとえば洗濯。この旅の2年半、洗濯はほとんど自分たちの手洗いだ。有料のランドリーサービス=たいへんな贅沢、僕らの頭のなかでそういう公式が成り立っている。日本の一般ピープルが、ホテルのランドリーサービスなんて贅沢、そう思うのと同じだ。
でもここラパスでは1キログラム4ボリビアーノ=60円弱。それは安いのではないか。
「ボリビアではランドリーサービス使わなあかんな。」
「ここは水が冷たいし、ラパスこそ使うべきやで。」
僕らは、坂道の多いラパスで、ぜいぜいいいながら、そんなことを言っていた。
そして、何よりもごはんが安い。定食が5ボリビアーノ=75円でスープ、サラダ、メインの肉とごはんが食べられる。ボリュームもある。店によってまちまちだが、味もなかなかイケル。
高級料理である日本食レスラン、そこのメニューのなかでも高級定食で、わがまま定食、というのがある。刺身、天ぷら、いんげんのおひたし、とり肉煮込みの小皿、つけもの、味噌汁、ごはんの超豪華セットが900円。マス鮨530円。最高のぜいたくをしてもこんなもんだ。
他のレストランでは、サラダバー&肉&スープといったシズラー顔負けのメニューが150円というのもある。
道端で売っている100%オレンジジュース15円、フルーツシェーク25円。露店でも串焼き、肉たっぶりのハンバーガー、ホットドッグ、エンパナーダ、お菓子やケーキ・・・目にするものすべてが魅力的でしかも安い。
ほんとはいろんなものを食べたいのだけど、お腹がいっぱいで食べられない、そんな状況なのだ。とにかくなんでも安いから選択肢が広い。好きなものを好きなだけ食べられるのだ。
それだけでシアワセになれる。治安の悪いのはイヤだけど、それを差し引いても、ここでの贅沢な食生活は素晴らしい。やみつきになるのは、僕と映子だけではないはず。(昭浩)
グランポデール
ラパス最大のお祭り
ラパスの街中がカーニバルに沸いていた
派手な衣装、色とりどり、ラパスの街を踊り歩く
朝から夜中まで、音楽は鳴り止まない
ただ踊り続ける
ラパスには想い出がある。
大学時代、1人で旅していた僕は、ペルーのプーノからボリビアのラパスに来るバスのなかでたまたま同じ大学の友達と遭遇した。まだメールとかない時代の話で、自分が乗っているバスになにやら日本人が乗ってきたなあと思っていたら、太一だった。
大喜びの僕たちはラパスで何日か一緒に遊んで過ごした。
太一といつも晩ごはんを食べに行っていたのが、ラパスにある日本人会館のレストラン「ふるさと」だ。その「ふるさと」でいつもマス丼を食べていた。生のマスを白いごはんにのせただけのものだが、かなりおいしかった記憶がある。
太一はそのマス丼がたいへん気に入り、ラパスの夜はすべてマス丼となった。本当はたまには日本食以外のものも食べたかったのだが、
「マス丼を食えずにもし明日交通事故かなんかで死んだら絶対後悔する!」といって太一はダダをこねたのだ。
日本へとっとと帰って食え、とでも言いたかったが、結局太一につきあうかたちで、毎日マス丼を食べ、ビールを飲み、高度のため息も切れ切れで、急な坂を登って宿に帰るという毎日だった。
ある日、帰り道の途中にあるポルノ映画館に入ろう、ということになった。
「今ポルノ映画を見ないと絶対後悔する!」と太一がダダをこねたかどうかは忘れたが、とにかく入ることになった。しかし、僕らは中に入れてもらえなかった。未成年だと思われたのだ。日本人は得てして外国では若くみられる。僕らは学生証を見せて、係員に20歳以上であることを説明し迫ったが結局は入れてもらえなかった。
今なら余裕でパスできるハズ。でもそのポルノ映画館は見当たらない。大通りに面していたところにあったので、現存すればすぐにわかるはずだけどない。見つかったところで、ポルノ映画館の中に入るのに映子が許可すると思えないが・・・。
ちなみにマス丼の「ふるさと」も日本人会館から消えていた。ふるびた安食堂の赴きだった旧「ふるさと」はなくなり、今は高級住宅街に高級日本料理店「ふるさと」として新しくオープンした。つい最近の話だ。そして今ではマス丼よりもイクラ丼(マスの卵)のほうが日本人旅行者には人気だ。僕も想い出のマス丼には目もくれず、すっかりイクラ丼にハマっている。
「今イクラ丼食えずに死んだら絶対後悔する!」
太一ならそう言うに違いない。(昭浩)
僕たちはボリビアのアマゾンエリアにあるルレナバケというところに行きたい。しかし、バスは動いていなかった。
コカの葉の栽培を規制しようとしている政府に対して、コカの葉を作ったり売ったりして生計をたてている人たちがラパス〜ルレナバケの間の道を封鎖してしまっているのだ。これはブロッケリア(道路封鎖)といってアマゾンエリアだけじゃなく、ペルーとの国境近くあたりでもよくあるらしい。僕らが来た時はたまたま通れたが、そのあたりも昨日から封鎖されているらしい。
アマゾン方面のブロッケリアはもう1週間以上つづいている。そろそろ終ってもいい頃だろうと昨日バス停まで様子を見に行った。
「今日、政府と話し合いがもたれ、政府がなにがしかの書類にサインをするはずだから、明日にはバスは動くだろう。」
バス会社のおっさんは身振り手振りを交えたスペイン語でそんなことをいっていた。ボリビア人の言うことは信じちゃいないけど、今日、荷物をもってバス停にいってみた。
「今日はバスは出ない。明日出るぞ」
そんな答えが返ってきた。明日バス停にきたらまた同じ答えが返ってきそうだ。
さて、どうしようか。(昭浩)
昨年の秋、スペイン・ビルバオのフリアンの家にいた頃、僕は毎日CNNを見ていた。
そこではコロンビアのロストシティという遺跡で欧米人旅行者がゲリラに誘拐されたことを報じていた。そして、さらにラパスでは天然ガス問題で大規模なデモが行われている、そんなニュースもはいってきた。天然ガス問題とは?残念ながら僕の英語力ではとうていわからなかった。
そのデモで大統領が亡命し、新しく大統領が変わったくらいだからかなり大きいものだったのだろう。そのニュースは、これから南米に行こうと思っている僕らを暗澹たる気持ちにさせた。
ラパスでは、ここ最近ずっとストライキをやっている。道路のメインストリートでデモやったり、座り込んで道路を封鎖したり、そういうことをやっている。それは最近だけのことではなくて、しょっちゅう毎年の行事のようにやっていることらしい。でも、大きなお祭りのあったときはストもお休み。日曜日もお休み。平日にはやっぱりスト。
いったいいつ働くのだ。もっと働け!といってやりたい。
首絞めやつばかけだけは一生懸命がんばっているようだ。なんかがんばるベクトルが違っている。
そして、今日もラパス市内ではデモが行われている。朝からシュプレヒコールがどこからか聞こえてきている。軍隊もたくさん町に出ている。ラパスの大通りはデモで埋め尽くされていた。昼ごはんの帰り、そんな大通りを横切ろうとしたら、ちょうどデモ隊と軍隊が衝突していた。パンッ パンッ。乾いた空砲が響き、人々が逃げる。僕らも逃げる。毎日デモやっているので、デモを見ても、
「あー今日もデモやっているなあ」
くらいにしか感じなくなっていたが、今日の軍との衝突は驚いた。
いつまでたっても道路封鎖が解除されそうもないので、とっとと飛行機で飛ぶことにした。バスで19時間かかるところをわずか1時間のフライトで、しかも5000円弱しかかからないのだから、はじめからそうしておけばよかったのだ。
しかし、その日、飛行機は飛ばなかった。午後3時半発の飛行機なので、2時ごろには空港に着いて待っていた。飛行機は5時になっても出発しない。出発するべき飛行機がやってこないのだ。飛行機はやがて来たが、日が暮れたのでもう今日は飛ばないという。ルレナバケの空港には電気がないらしい。だから暗くなると滑走路が見えなくなり、着陸できないのだ。冗談かと思った。
「明日の早朝5時半にTAM航空のオフィス前に来い、向こうの飛行場が雨降っていなければ飛行機は飛ぶだろう。」
と寝ぼけたことを言っている。
バカ言ってんじゃないよ。こっちはそのおかげで重いバックパックを背負ってバスにのり、ラパス市内の宿に戻り、翌早朝、夜明け前のラパス危険地帯をとことこ歩いてTAMのオフィスにいって、それからバスに乗って空港へ、そしてチェックインして・・・考えただけで、うんざりする。(昭浩)
昨日、飛行機に乗ろうとして荷物を預けた時、荷物が重いので追加料金を取られた。そして、飛行機が飛ばなかったというのに、それを返してはくれなかった。
「明日は荷物を減らしてくるから、お金を返して。」
と言うと、
「明日量ってみて、減っていたらお金を返すよ。」
と、おじさんは確かに言った。そのおじさんの名前でもおぼえておけばよかった。
今日は荷物を減らしたので、バッチリ制限内だったのに、お金を返してはくれなかった。かなり粘ったんだけど、ダメだ。
英語がしゃべれるおっちゃんに言うと、大丈夫、何とかしてやる、というふうに深くうなずいて、係りのおやじに話しに行った。でも一向に返してくれる気配はない。ただそのおやじと談笑していただけという感じ。その後もう一度、
「やっぱりお金は返ってこないのね?」と聞くと、
「イン ザ エアプレイン。」
とおっちゃんは意味ありげに言った。
これはもしや飛行機の中で返ってくるのか?そんな期待も空しく、飛行機はそのまま、何事もなく飛び立った。
そのおっちゃんは悪くないんだけど、「イン ザ エアプレイン」と言った言葉はウソだし、昨日の係りのおじさんが、
「明日荷物を量って、少なかったら金を返す。」
と言ったのもウソで、ボリビア人は平気な顔をしてうそをつくので、信用できない。
そして一番ムカつくのは、金を返して欲しいなら、便をキャンセルしろとばかりにチケットを取り上げようとした、今日の係りのバーコード頭のひげおやじた。
まあこんな風にいろいろあったけど、私たちはやっとルレナバケへ向けて飛び立つことができたのだ。これでよしとするしかないか。
飛行機は雪をいただいたアンデスを越えた。最初は右側の方が景色がいいなと、左側に座った私たちはうらやましく見ていたけど、アンデス越えはどちらもすばらしかった。でもちょっと右側の勝ちかな。山、山、山で3列くらい連なったものがずずーっと続いている。壮観というか、圧巻と言おうか、とにかく素晴らしかった。
アンデスを越えると急に雲だらけになって、下の景色が良く見えなくなる。たぶんその下が、熱帯雨林。しばらく飛んでから着陸するのかと思いきや、ちょっと旋回してさらに飛んだ。着陸失敗か?
次に、下が雲で何も見えないのに車輪が出た。ひょえー。こわいよー。こんな状態で着陸かよー。そのうち森が見えてきて、ずんずん近づいてきて、草の上にずどんと着陸した。
ほっと、安心するのはまだ早かった。そこはまだルレナバケじゃなかった。ルレナバケの空港が視界不良で着陸できなかったらしく、そこから近いReyesという小さな飛行場だった。飛行場からルレナバケまではバスで1時間くらい走った上に、10ボリビアーノ払わされた。バス代だって。ちょっとおかしいんじゃないの?
荷物も追加料金を取られ、飛行機も目的地に着かずに追加料金を取られ、散々だ。もう二度と乗らないぞ、TAM航空め!
寒かったラパスとは違って、ルレナバケは暑かった。久々に汗をかきながら町を歩き、明日からのパンパ(湿原)ツアーを決めてきたのだった。(映子)
朝9時にツアー会社のオフィスに集合して、すぐに出発できるのかと思ったら、一緒に行くイスラエル人たちが、なぜかイミグレに行ったために1時間も待たされた。最悪のスタートだった。
メンバーはイスラエル人4人とイギリス人1人、そして私たち。昨日の飛行機でもほとんどがイスラエル人だったから、イスラエル人と一緒になることは十分に予想できたことだ。だけど人が悪すぎた。
彼らはとにかくうるさい。車の中でもいきなりハッパを吸い始めてガイドに注意される。あんまり関わりたくない。気にしないようにしようと思った。一応自己紹介だけはした。
国立公園の入り口で、いろんな会社のツアーの人に会った。1時間遅れたけど、あんまり変わらないみたい。ごはんもみんな同じようなところで食べた。そこからはボートでキャンプする場所まで行く。
動物を探しながら・・・といってもそんなに真剣な感じはしない。カメを見ても止まらずに素通り、ピンクのイルカも軽く流した。しかし、サルのところでは、完全に餌付けされていて、みんなでバナナをあげるのだ。こんなことしていいのかな。生態系への影響を考えると、ていうかそんなことは詳しくはよく知らないんだけれど、なんとなく、悪いことをしているような気がして、私はそれに参加することができなかった。それは、小さな黄色いサルだった。
しばらくしてキャンプ地に到着。そこにはカプチーノモンキーがいた。さっきより野生に近く、警戒していたけれど、ここでもガイドのレイナンドがバナナをやった。
夕方5時ごろサンセット・バーへ行った。太陽はまだ高い。ハンモックでくつろぎながらサンセットを待ったけど、雲が多すぎてほとんど見えなかった。サンセット・バーはツーリストがたくさん来てにぎわっていたけど、サンセットが見れないんじゃ意味ないな。(映子)
ガイドのレイナンド、すべてこいつにやられた。僕たちはどうもガイド運が悪いようだ。
朝コテージを出発、川をボートでさかのぼる。河イルカが現れる。3,4匹はいる。しばらく河イルカを見た後、さらに奥へと進むが途中でボートは引き返す。
他のツアーのボートが逆方向からやってきた。お互い止って、ガイド同士話をしている。そして僕らのボートはやってきた他のツアーボートについていくことになった。
ダメだなこりゃ。金魚のフンみたいだ、これじゃ。
でもこの時はガイド・レイナンドへの失望しているような余裕はなかった。とてもトイレに行きたかったからだ。
この日は厚い雲が空をおおっていて、とても寒く、自然とトイレもちかくなっていたのだ。川を遡っていった先は湿原地帯で上陸できるようなところはない。僕の場合、最悪舟の上から立ちションという手もあるが、映子は徐々に追い詰められていった。もうにっちもさっちもいかないくらいテンパった頃、前を進むボートが上陸できそうな場所にボートを着けた。これで僕らは救われた。
スッキリした僕たちはそこでアナコンダを探しはじめる。くるぶしくらいまで沈むどろどろの湿原はとても冷たく歩いているだけでつま先から冷えてくる。
みんなバラバラになってアナコンダを探している。探しているといっても真剣に探しているのはガイドだけで、みんな下を向いてただ歩いているといった様子。結局、アナコンダは見つからなかった。
ところでアナコンダって何だ?見つからなかった後で聞くのもなんだが、イスラエル人のハガーにたずねてみた。
「大きな蛇で人間をひとのみにするのよ。」と言っていた。
「アナコンダはこのあたりにいるコブラのことやで」
と自信ありげに僕に語っていた映子を信じた僕は何だったのだろう。
まあどちらにしてもヘビらしきものどころか生き物なんて何も見つからなかったのだからいいんだけど。
ガイドのレイナンドは、今日は雲っていて寒いからアナコンダは表には出てこないんだ、と言っていた。
他のツアーがその場をあきらめて他の場所へ移動しようとしたので、金魚のフンの僕たちもついていく。
天気が悪かったのでアナコンダはいなかったのか・・・すべては天気のせいと誰もが思った時、また別のツアー会社のボートと遭遇した。アナコンダ2匹にアリゲーターも見たらしい。
何だって!うちらのボートの人間は誰もがそう思ったに違いない。イスラエル人たちは半ギレでレイナンドに言った。
「何で向こうはアナコンダ2匹も見れて、こっちは見つからないんだ。ワニだって見てないぜ。」
ガイドのレイナンドはバツが悪そうに答えた。
「運だ。運が悪かったのだ。」
そして、今度はアナコンダ2匹見たというボートの後をついていく。まかれないように必死についていく。途中イスラエル人のシャッハーが帽子を飛ばしてしまった。拾いにいくのかと思ったら、その気はまったくなし。拾いに行ってくれ、と言っても、
「もう沈んでしまってない。気をつけろ!」とやや逆ギレ状態。僕ら一同あきれるばかり。
このガイドはダメだ。最悪だ。誰もがそのことを確信した瞬間だった。その日は結局何も収穫はなかった。
あえていえば、ピラニア釣りの時に、僕がナマズを釣ったことぐらい。これだって外道だから収穫といっていいのかどうなのか・・・。アナコンダはともかくとして、僕にとって一番の目的であるカピパラを見られなかったのが何よりも不満だった。(昭浩)
いよいよツアー最終日。朝早く起きて日の出を見に行く。雲の上から出てきた太陽を見てからワニやカピパラを探しに行くが成果なし。朝食を食べに行った後、もう一度、動物を探しに行った。食事係のおばちゃんも同行して動物探しを手伝ってくれた。
いきなりカピパラ発見。10匹ほどの大家族で川に水を呑みに来ていた。人間並みの大きさを想像していたが、幼児くらいの大きさのネズミだった。
昔から一度は見てみたいと思っていたカピパラとの初対面に僕は感動していた。なのに、他の人はカピパラにはあまり関心がないらしく、やる気なし。写真も撮ろうとしない。映子も同じだ。何、ひとりで興奮しているの?とやや軽蔑のまなざしだ。
カピパラの後、ワニ探しにうろうろしたが、結局ワニは見つからなかった。そして、最後のピラニア釣りタイムとなった。レイナンドは実はピラニアのいるポイントを知らなかった。違うツアー会社の持つコテージに行ってピラニアのいるポイントについて聞いている。そうしてレイナンドが連れて行ったところはピラニアどころか、ナマズのアタリすらなかった。そこに河イルカが現れた。
イルカのいるところにピラニアはいない、これはガイドどころか僕たちツーリストですら当然知っているここらあたりの常識である。
「レイナンド!イルカがいるからここにはピラニアいないんじゃないの。」
ハガーがスペイン語でレイナンドにそういっても全くボートを動かそうとしない。そして相変わらず何のアタリもなく、だんだん僕らはシラケてきた。
「サンセット・バーの近くにピラニアがいるはずだから、そこに行きたい。」
そう強く主張してようやくボートを動かしてくれた。サンセット・バーの近くで他のツアー客がピラニアを釣っているのを見たからそう言ったのだが、ホント使えないよこのガイド。
サンセット・バーの近くでボートを止めて、糸を垂らす。アタリがビンビンある。 しかし、釣りを経験したことのない我ら一行はオケラであった。ガイドのレイナンドはひとり小さなピラニアを2匹釣って得意げだったが、客である我々一行はシラケるばかりだった。
いよいよツアーも終わり、ボートでルレナバケの町に戻るばかりである。その途中、ワニを発見。一緒に乗っていた食事係のおばちゃんが目ざとく見つけてくれたおかげである。
それから僕たちは何回かワニに遭遇した。これもおばちゃんのおかげだ。ガイドのレイナンドはおばちゃんがワニを見つけてはワニ目がけてボートを突っ込ませ、ワニに逃げられるという失態を繰り返すばかり。ハッキリいってアプローチが下手なのだ。普通ワニが逃げないように静かにゆっくり近づいていくものだが、レイナンドは違う。とにかく突っ込む。真正面からボートで突っ込んでいったら、そりゃあみんな逃げてしまうって。僕たちのボートの後は、ワニなんかみんな水の中へ逃げてしまうから、後から来るツアーの人にとってはホント迷惑な話だ。
ルレナバケの町に戻ってから、イスラエル人たちと一緒にツアー会社のオーナーに文句を言いに行った。
「レイナンドはトウシロじゃねーか。ありゃプロじゃないよ。」
そういう僕らに対し、オーナーはすっとぼけていた。
「いや、あいつはいいガイドなんだけどなあ。おかしいなあ。」
とおハナシにならない。
アナコンダ以外の動物は見れたし、何よりカピパラが見られたので僕たちの目的は達成されたワケなんだけど、やはりガイドがもっとマシだったらなあ、という思いはなかなか消えることはなかった。 (昭浩)
「どうしてここに住んでいるの?」
その問いに、ロンは少し声をひそめて言った。
「それは、話せば長くなる。聞きたいか?」
彼はバイオチップのパンフレットみたいなのを見せてくれた。バイオチップとは個人情報をインプットしたチップのことだ。それを皮膚の下に埋め込み、それによって人間を管理するシステムを作り上げようという地球規模のプロジェクトがあるらしい。
世の中がバイオチップによって管理された統一国家というものが出現すると信じていて、そのバイオチップから逃げるためボリビアのジャングル付近に住んでいるのだという。追われたときにジャングルに逃げ込めるのがいいらしい。不思議なおじさんだ。
午前11時ごろだった。そろそろかなあと思ったら、前方に自転車が走っている。そして僕らの乗ったバスは一台の自転車を抜き去り、砂ぼこりをその自転車に浴びせて去っていった。
自転車をこいでいたのは、さんしんチャリダーのはじめさんだ。
さんしんとは沖縄の弦楽器で胴に蛇皮を張った三味線である。はじめさんはそれをいつも自転車に積んで、世界を回っているサイクリストなのである。ユーラシア大陸を6年ほどかけて自転車で横断したツワモノだ。今回はメキシコを2003年4月に出発して、ひたすら南下しているその途中とのことだ。ボリビアまで1年3ヶ月くらいたつことになる。すごいなあ、と思う。
僕たちがバスにのって8時間くらいでいけるところを4日も5日もかけていくのだ。途中、宿も何にもないようなところでキャンプなんかしながら、毎日もくもくと自転車をこぎ続けるっていうのは、どういうのだろう。僕にはまったく想像つかない。
はじめさんとはルレナバケの町で会った。
ルレナバケにはロンという変わったアメリカ人がいる。ルレに来て1年半、バナナパンケーキを売って暮らしている。僕たちはこの不思議なおじさんに家に招待された。ロンの奥さんが日系のハワイ人なので日本人びいきなのだ。そしてロンの家に居候していたはじめさんとそこで会った。
はじめさんは本物のニシキヘビの皮をはった15万円もするさんしんを持ってきて、僕らに沖縄の歌を披露してくれた。アマゾンで聞く、さんしんと沖縄の歌、なかなかじーん、とくるものがあった。
そして、別れをつげて、お互い今日ルレナバケを出発。昨日の話だ。
・ ・・・・それから1週間後。
僕たちがラパスを出発する日、そろそろ宿を出ようかなという時にほこりまみれのはじめさんがやってきた。1週間かかってちょうど今ラパスに着いたところらしい。
僕たちがもうラパスを出るというと、全身ほこりまみれのまま、さんしんを取り出し、そして歌ってくれた。ずっと砂ぼこりを吸っていたため、のどが痛そうだったが、島唄を歌い、最後に蛍の光で見送ってくれた。
これは長いこと旅している旅人のたんなる感傷なのかもしれないが、さんしんと日本の歌による見送りには、うるうると心が震えるものがあった。
はじめさんありがとう。気をつけて、南米縦断してください。 (昭浩)