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ペルーの旅行記3 クスコマチュピチュ・チチカカコ

 

5月18日〜5月31日

クスコ到着早々、タクシードライバーともめる  5月18日

窓の外は満天の星空だった。夜が明けると丈の短い草がコケのようにはえる起伏の大地があった。チベットのような景色だった。ずっと山道が続いた。雪をてっぺんに抱いた山が見えた。けっこう高い場所をバスは走っている。
ナスカからクスコへの道。はじめてペルーを旅した1990年、その時このあたりにはゲリラがうじゃうじゃいてバスで通ることができなかった。ゲリラによってバスが襲撃されるということがあってからバスが走らなくなってしまったためだ。そんな超危険ルートと呼ばれていた道を僕たちは走っていた。ずいぶん旅行しやすくなったものだと思う。

午後3時、クスコの町に着いた。バスターミナルから宿に向かうタクシーでもめた。
タクシードライバーがこちらの行きたい場所まで行かないというのだ。タクシーに乗る前に行き先と値段は交渉によって決められていたのに。もしそこまで行きたいのならもっと金を払えという。誰が払うかってんだ。僕は怒って言い返した。
「そこまで行かないのなら、俺たちはここで降りる。そして、金は一銭も払わねぇ。」
「金を払わないのはまずいよ。」とリマから一緒のトシくんは弱気だ。
関係ねぇー俺はここで降りる、と言って僕はさっそうとタクシーを降りていった。
というのはウソで、タクシーの運ちゃんはあきらめて目的の場所まで車を走らせたのだった。
その間、ドライバーは、「日本人はマロ(悪)だ。フジモリもマロだ。もうペルーに来るな。」などと悪言を吐いていた。
クスコは標高3300mの町。空気の薄さをモロ感じる。坂も多い。セントロから宿までは坂を登っていかなければならないので、これがキツイ。そして寒い。底冷えがする。鼻水も出てくる。
クスコ、印象マロだな。(昭浩)

クスコの中心アルマス広場。すっかりこぎれいになっちゃって

インカトレッキング断念 5月19日

クスコの町はだいぶ昔と様子がかわっていた。カテドラル周辺ではインディヘナ(先住民)のふとったおばちゃんたちが民芸品を売っていたものだが、今はいない。すっかり垢抜けてしまったクスコ、広場のまわりにはツーリスト向けのこぎれいなレストランと旅行代理店が並ぶ。そして、レストランの客引きがいっぱいいる。今は当時のように危険ではないが、ツーリスティックすぎるのも困ったものだ。インカのカラーが少しずつこの町から消えていっているそんな気がした。

その日いくつかの旅行代理店をまわった。インカの道をトレッキングしたいと思っていたからだ。インカの道を歩いて、最後にマチュピチュでゴール、そんなインカトレッキングがツーリストに人気なのだ。しかし、ショッキングなことに6月5日まで予約でいっぱいとなっているらしい。
インカの道は数年前から人数制限されていて、今年は1日500人しか入れないことになっている。すでに観光シーズンである乾季に突入しているため、予約で2週間待ちという状態が続いているのだそうだ。値段も去年まで3泊4日170ドルだったのが、230ドル〜とはね上がっている。そんな話を聞いてすぐにやる気をなくした。自分でも驚くほど一瞬にしてモチベーションがしぼんだ。インカトレッキングへの情熱は実はたいしたものではなかったらしい。やっぱりトレッキングするならネパールだな、そんなことを考えていた。(昭浩)

インカといえばかみそりの刃も通さない石畳
さて12角の石はどれでしょう?でも12角あるからってなんでちやほやされんの?

馬で4つの遺跡をまわる  5月20日

クスコの街から宿の裏の坂道を登って、サクサイワマンに着いた。ここでチケットを買った後、馬に乗って周辺の遺跡をまわるのだ。最初に声をかけてきたオヤジは、「25ソル(800円)」とかめちゃくちゃ高い金額を言ってきたので、軽く無視した。何も知らなければ、そんなに高い金額じゃないと思ったかもしれない。でも、「10ソル(320円)」だと聞いていたので、このオヤジはだめ、すぐに却下となったのだ。

次に現れた若者は、「12ソル(384円)」だというので、お、こりゃあいいぞと、すぐに決めてしまった。しかし、それでよかったのかな?何だかとてもみすぼらしい馬だった。しかも全然走らない。それもそのはず、馬使いの兄ちゃんが、歩いてついてくるのだ。他の2人の馬は、私の馬よりは立派に見えたけど、それでもやっぱり、馬使いの兄ちゃんが歩いているのに、走ることはできないのだろう。ていうより、この馬たち体力ないのかな?

サクサイワマンの遺跡見学は後回しにして、周辺の遺跡へ向かった。まずは、ケンコー。ジグザグ、ギザギザの岩の遺跡。大きな岩はただの岩ではなくて、洞窟があって、中に椅子みたいな、台みたいなものがある。皇帝の玉座と生贄の台らしい。小さな遺跡ではあるが、結構楽しめた。

次はタンボマチャイ。聖なる泉と呼ばれているだけあって、どこからともなく水が湧き出ている。とっても冷たーい水である。反対側の丘に登るとまた景色がいいな。向こうの遺跡、プカプカラも見えた。そのプカプカラは、少し赤っぽい石で作られた遺跡だ。周りの山々の風景と調和していい感じである。

馬のほうは相変わらずで、パカパカ順調に行っているときはまだいいけれど、足元の悪いところでつまづいたりするので怖い。時々気まぐれに走るのも勘弁して欲しい。ただ、その走りは長くは続かないけれど。
馬乗りもそろそろ終わりに近づいてきた頃、馬使いの兄ちゃんが、「プロピーナ」と言い出した。プロピーナとはチップという意味、つまり「チップをくれ」ということだ。まだ終ってもいないのに、だ。元々あげようと思っていたのに、向こうから言われると何かいやだ。あげたくなくなってしまうのはひねくれてるかなあ。それでも当初の予定通りにチップをあげた。

最後に見たサクサイワマンは、今日見た中では一番大きな遺跡で、見ごたえがあった。クスコの街が、プーマの体で、このサクサイワマンがプーマの顔の形をしているらしい。歯の部分がギザギザになっている。これは分かりやすい。石はインカの石組み、かみそり1枚も通さないといわれるくらいにぴったりくっついた、例のヤツだ。しかし、かなりでっかい石もある。

クスコは街自体が世界遺産で、インカの石組みの壁が残っていたり、神殿があったりするけれど、ちょっとはなれたこれらの遺跡を馬で巡るのも、街中とは違った感じで楽しいので、お薦めである。(映子)

大きな岩が目印のケンコー。このすぐ近くにも遺跡らしいところがある
この水がどこから来ているか、いまだにわかってないらしい
タンボマチャイからプカプカラを望む。周りの山々の風景が、すばらしい
これが私のボロ馬。表情も覇気がなく、今にも倒れそう
サクサイワマンのギザギザがプーマの歯。プーマの顔の部分だけとはいえ、結構大きな遺跡
インカ王国の首都クスコ。青い空に赤い屋根が映える

ニセ金の出回るペルー  5月21日

ニセのお金がこれほど出回る国というのはありそうでなかなかないもんだ。
エクアドルからペルー国境を越えたところで僕たちはバイクタクシーにのった。アジアにあるトゥクトゥクのようなものだ。そこでお金を払うとこれはニセモノだ、といってコインを返された。これが、はじめてニセ金との出会いである。その時何がどうニセものなのかわかるわけがなく、ただただ???だったのである。

銀行で両替して手にしたペルーのお金は多分大丈夫だとして、問題はおつりでもらったお金である。ババ抜きのようなもので、いつババを引かせられるかわからない。ババを引いてしまったら、その引いたババをいかに他人に引かせるか、なのだが、外国人である僕らはやはり不利だ。どれかババかわからないからだ。仲良くなったペルー人に教えてもらったりするが、わかるようでよくわからない。ニセものと本物を並べればわかるのだが、そういう機会はなかなか訪れなかった。

というのは、ニセと判断されたものでも、他で使う時には平気で使えたりしたからだ。ニセものなんてものは実はあんまりなくて、ただ人々が疑心暗鬼になっているだけなのではと思えてくる。ババを引くかどうかは運しだい。ニセモノを見破ることのできない僕らは、諦めて、あんまり気にしないようにした。北部の街チクラヨではかなりマジマジと紙幣なんかはチェックされたが、クスコあたりにくると全然ノーチェックなのだ。

ある日、クスコにいたとき、僕は自分の持っている1ソルコインを机の上に並べて見比べてみた。ヒマでやることがなかった時に、ふと思いついた行動だった。
すると何枚かの1ソルコインのなかで明らかに違うものが混じっている。しかも1枚ではない。7,8枚あるうちの半分くらいがどうやらニセらしい。でも、どっちがニセでどっちか本物かが判断つかない。クスコに長く滞在していたフジくんに尋ねてようやくどちらが本物か判明した。

写真を見て欲しい。明らかに違うことがおわかりだと思う。左の字の細いほうが本物で右がニセモノ、あれ、逆だったかな? 
コインはかなりニセが流通しているみたいだ。いっぱいニセコインつかんじゃった、トホホ・・・とは別に思わない。1ソル=32円たいした額ではない、ハハハ・・・と笑い飛ばしたわけでもない。なんて国だ、と少しあきれたのだ。

1ソルのニセ金を作って作ったほうは儲かるのか、多分儲からないだろう。そんなコインをわざわざ作ってご苦労なこったい。そして、そんなニセコインが普通に使えてしまうペルーという国にも恐れ入る
やはり1ソルでもババはババなので、僕はできるだけ手放そうと優先的にニセモノを使っていった。そこは、ノーマルな人間の心情だろう。ところがあまりに普通に使えるので、ニセとか本物にこだわるのがバカバカしくなったのである。たしかに、国境に近い北部のほうは、ニセ金にたいして敏感だった。でも、このあたりでは、すっかり普通の金として認められているのである。ニセものであっても一般の人々に認められれば本物になりうるのである。

しかし、こういうことがあった。宿代をドル現金で払おうとした時だ。この国では観光国らしく、ドル現金で払える宿やお店があったりするのだ。20ドル紙幣を出したら受け取ってもらえなかった。端がほんの少し、0.1mmくらい破れていたのだ。そんなもの破れているというのには語弊があるくらいで、破れているうちに入らない、そのくらいのもんだ。しかし、完璧なドルでなければダメらしい。カラーの新しいタイプの20ドル札にもかかわらずだ。
ニセ金にはおおらかななのに、本物のドル札には神経過敏だ。ちょっとでも手荒く扱われたドル札はこの国では使うことができないのだ。
カネはカネにあらず、カネは信用なり、そんな言葉が頭をめぐった。(昭浩)

左が本物、右がニセもの?…使えるんだからどっちだって一緒か。

ドロボウ市 5月22日

毎週土曜日に開かれるドロボウ市に行った。ドロボウ市とは人から盗んだものが商品として売られている市だ。盗品を売るなんてまったくヒドイ話だ。そんな市があるからドロボウが多いんじゃないの?

市はガラクタ市のようなものだった。空きビンや金具、クギみたいなものなんかまで売られている。こんなもの売れるの?
中には、こいつは盗品にちがいないというものがやはりあって、スイスナイフ、デジカメ、一眼レフカメラ、時計などけっこういいもの、新品同様のものまで売られている。マリアというネーム入りのバックパック、これなんかも間違いなく盗品だろう
僕らの持っているデジカメよりよさそうなものがあったので値段を尋ねてみると、なんと200ドル!盗品にそんな値段をつけるのか!なんてひどい奴なんだ。

ドロボウ市にはドロボウも多くいるらしいので自分のカバンやデジカメをしっかり守りながら露店の間を歩き回る。こんなところで盗まれたらすぐに露店に商品として並んでしまうことだろう。自分の盗まれたものがドロボウ市に並んだらそりゃショックだろうな
ドロボウ市をあとに、僕たちがさらにドロボウに対して用心深くなったのはいうまでもない。(昭浩)

ピサック   5月23日

ミニマチュピチュと呼ばれるピサック。山の上の遺跡だ
インカ道を歩いて、点在するピサック遺跡をまわる。ミニインカトレッキングだ
インカの時代の段々畑。のどかな光景だ
ピサック村のマーケット。インカチェスが安い!

オリャンタイタンボ遺跡を見る  5月24日

朝からケンカしたのは、あきちゃんが、
「今日は曇っているから、マチュピチュ行きは明日にしよう。」
と言い出したのが始まりだ。

私はいやだった。計画を変えることが。雨が降るとは思えなかったし、待つといってもいつまで待つのだろう?雨が今降っているなら、「仕方ない、明日にするか」、と思えたけど、曇っているだけで行くのをやめるってどういうこと?
結局は私の意見が通って、出発することになったけど、それでよかったと思う。オリャンタイタンボ遺跡についた頃は、もう晴れていた。

遺跡は、結構よかった。段々畑の間の階段を登っていくと、岩壁にへばりつくように建っている建物、見張り小屋や、神殿跡があるのだ。オリャンタイタンボの小さな村も見渡せた。インカ時代の水路をいまだに使っているこの村。浴場跡も残っている。水はちょろちょろだけど出ていた。

遺跡見学を終えると、アグアスカリエンテスに向かった。電車のチケットは、さっきは「ない」と言われたけれど、6時過ぎにチケット売り場に行くと、なぜかあっさり買えたのだ。無事アグアスカリエンテスに到着し、明日はいよいよマチュピチュだ。(映子)

ここを要塞として、人々はスペイン人たちと戦った
オリャンタイタンボの水路は今でも使われている

マチュピチュ 5月25日

夫婦になって、いやそれ以前からも、これだけは避けたいと思っていたことがある。
ペアルックだ
ついにその禁断を犯してしまった。僕はマチュピチュを訪れるにあたって、「INKA KOLA」のロゴの入ったTシャツを着ていた。インカコーラとはペルーにあるまずい清涼飲料水のことでそのブランドTシャツは人気が高く、どこのお土産やさんでも売られている。マチュピチュ=インカの遺跡、それにちなんでインカコーラのTシャツとは、とてもベタだと自分では思うが、ふと映子を見ると、彼女もいつの間にかインカコーラのTシャツを着ているではないか。
「あんたマネせんときーなー」
「そっちこそ、マネすんなよ」
「めっちゃ恥ずかしいわ」
「こっちこそ恥ずかしいわ」
言い争いはするものの、お互い決して譲ろうとせず、結局ペアルックでのマチュピチュ訪問になってしまった。

マチュピチュはやはり素晴らしかった
険しい山の上にある空中都市、そのロケーション、切り立った急峻な山の景色とそこにある都市遺跡、自然の雄大さとインカの神秘、最高に美しく協調し、最高に美しい構図で迫ってくる。

僕たちはそんなマチュピチュにのっけから感動しつつも、足早に遺跡を通りぬけ、ワイナピチュへと向かう。
ワイナピチュとはマチュピチュの背後にたつ尖頂のことだ。いったことがない人は写真をみてもらいたいのだが、このワイナピチュ見たところ恐ろしく尖っている。こんなところ登れるの?とさえ思えるのだが、ここも遺跡のひとつで、こんな細い峰の上のほうにもインカの段々畑があったりするから驚きだ。
ワイナピチュの頂上は、ちょっとでも端のほうにいくと落っこちそうでとても怖い。それだけに素晴らしい眺めが360°見渡せるのだ。

ワイナピチュを下りたあと、そのとなりにある小山にも登ってみた。ここの小山、マチュピチュが近くから見下ろせてなかなかいい。観光客が僕ら以外に誰もいないというのもまたいい。静かにマチュピチュを上から眺めながらその雰囲気に酔える

そこでしばらくマチュピチュに見惚れながらほっこりと佇んだあと、いったん小山を降り、日時計、主神殿などをサラっとみて、インカの橋を見に行った。
マチュピチュからインカの道を15分ほど歩いたところにインカの橋はあった。丸太をかけただけの橋だった。インカの橋を越えてさらにインカの道は幻のインカ都市ビルカバンバへと続くといわれている。だから万が一敵が侵攻してきたときのために、すぐに丸太をはずして、敵がやってくるのを防げるしくみになっている。
しかし、そうでなくてもここから先に進むのは難しいと思う。なぜなら、インカ橋付近のインカ道といったら、直角に切り落ちる絶壁に、わずか50cmほどの道があるだけなのだ。すれ違うこともできないし、ちょっとつまずいただけではるか先にある崖下まで落っこちてしまう。もちろん観光客もいくことはできない。インカ道恐るべしである。

僕らは次にインティプクというところを目指した。これはインカ道をインカの橋とは逆方向、すなわちクスコ方面にいったところにあるちょっとした遺跡である。
マチュピチュからクスコ方向のインカの道は毎日何百人もの観光客が通るトレッキングルートだけあって、幅広のしっかりとした石畳の道だった。
インティプクは遺跡そのもの自体たいしたことはない。ただそこから見るマチュピチュが素晴らしい。ちょうどマチュピチュを遠くから見下ろす感じで、ワイナピチュやそのとなりの小山から見下ろすのとはまったく逆方向から見ることになるので、眺めがまた全然違う。ワイナピチュからの眺めが、めまいのするような高度感のなか真下にマチュピチュを見下ろすのに対し、こっちは斜め下のほうにマチュピチュを見るのである。悠然と空を飛ぶコンドルの視線でマチュピチュを見るかのごとくだ。

僕の確信に近い自論であるが、マチュピチュは少し離れた場所から見るのがいいと思う。遺跡のなかにはいって壁に囲まれてしまうとそれはマチュピチュだかなんだかわからない。まわりの景色と一緒になってこそマチュピチュは美しい。

僕らがこれまで訪れた遺跡のなかで特別にすごいなあと思ったところは4つある。アンコールワット、ヨルダンのペトラ、グアテマラのティカル、そしてここマチュピチュだ。そのなかでもマチュピチュの素晴らしさは格別なものだと僕は思っている。
そのあまりの素晴らしさにすっかりペアルックであることを忘れていた。(昭浩)

朝日のなかのマチュピチュ。その後ろには切り立つワイナピチュがそびえる。左奥にある小山もオススメポイント
遠くには雪をかぶったアンデスの山々。下をみれば深い谷。ロケーション最高だね
ワイナピチュの先に立つ!下を見ると、ちと怖い
崖っぷちにわずか50cmの幅のインカ道。そこにかかる丸太橋、それがインカの橋
インカの道。マチュピチュまでの道は幅広の石畳の道。インカ時代の幹線道路

クスコに戻る  5月26日

朝4時ごろ起きる。実はちょっと寝過ごしたので、4時半に宿を出ようと思っていたのに出れなかった。でも、駅のチケット売り場に行くと、昨日はムゲに「フルだ。」と言っていたおじさんが、「キャンセル待ちのリストがある。」という。昨日そう言えっつーの!ムカッと来たけど、待つしかない。
5時半過ぎても何の動きもない。大丈夫かな?今日帰れるんだろうか?最悪歩いてオリャンタイタンボまで行くか・・・

いろいろ考えながら待っていたんだけど、結局出発の時間になってやっとチケットを売ってくれた。ペルーの鉄道はよくわからない。すぐチケットはない、フルだと言われるけど、ねばってみることだ。次の日になるとチケットはあったり、キャンセル待ちがあったりするものらしい。マチュピチュが人気なのか、旅行者が多いのか、チケットが取りにくくなっていることは確かだ。特に安いチケットは人気がある。それを逃すと、値段が2倍、3倍するチケットを売りつけようとするのでたちが悪い

オリャンタイタンボまで来れば、もう駅前にバスがたくさん待機しているので、ラクチン、簡単にクスコに戻れる。オリャンタイタンボとアグアスカリエンテスの間もバスがあれば、こんなに苦労しないんだけどなあ。だからこの間を線路沿いに歩いていくという旅行者も結構いるのだ。(映子)

太陽の神殿  5月27日

クスコでの必見ポイント、太陽の神殿。ジパング少年という漫画ではこの神殿の下にビルカバンバ地下迷路の道があるということになっている。本当だったらすごいけどね

カテドラル 5月28日

僕は敬虔なクリスチャンだ。カトリック系の大学を卒業し、クリスマスにはミサに参加し、結婚式も教会で挙げた。キリストの血とされるワインを好み、教会で祈ったりもする。バリバリのクリスチャンだ。
・・・というは、まったくのウソで、結婚式は教会で挙げたけど、多分葬式は仏式の予定。神社で祈り、お寺で祈り、イスラム圏ではアッラーの神に祈ったこともあった。インドではシヴァ神を拝み、嘆きの壁ではユダヤの神に願いをつぶやき、チベット密教寺院では五体投地までした。自分に幸福をもたらしてくれれば、何にでも祈る超優柔不断無宗教男、それは僕のことだ。

だから、中南米でもいろんなカテドラルや教会を訪れていては祈っている。カテドラルだけじゃなく、聖なる場所やパワードプレイスに行っては、聖なる気を吸い、パワーをもらう。自分勝手ご都合主義いいとこどり男、それも僕のことだ。

話は大きくそれたが、僕が言いたかったのは、僕たちは今日クスコにあるカテドラルに行ったってことだ。
そのカテドラルには、おおっ、とウナルものがあった。「最後の晩餐」の絵だ。ここの最後の晩餐のなかで、皿にのっているのは、なんとクイ、そうネズミだったのだ。インカ料理であるクイが最後の晩餐とは、インカ帝国の首都だったクスコらしいではないか。

ローカル色あるカテドラルでこれほど感銘を受けたのはエチオピア以来だ。エチオピアの教会に描かれたエンジェルがアフロヘアーだったのにはたまげたが、こっちのネズミもなかなかインパクトあるじゃないの。
日本の教会にはそういうのってないのだろうか?最後の晩餐に鍋が描かれてもいいんじゃないか。
だからというわけじゃないが、クスコでの最後の晩餐は、鳥鍋を宿のみんなと作って食べたのだった。(昭浩)

クスコ〜プーノ高原列車の旅 5月29日

これまで何度も何度も言ってきたことだが、僕は鉄っちゃんだ。 鉄道が好きで鉄道に乗っていれば幸せを感じるタイプの人間だ。だからクスコからプーノへの移動は迷わず鉄道。バスの3倍以上の金額はするけど迷わず鉄道なのだ。しかも、この路線に乗るのは2度目と来ている。鉄道に対する偏愛のないノーマルな妻にややあきれられている。

8時クスコ発なので早朝7時に宿を出る。かっしーさん、あっこちゃん、オーストラリア帰りの不思議君に見送られて宿を出発。こうやって見送られて宿を出るのっていいもんだ。ありがたいことだと思う。

僕たちが乗ろうとしている列車はツーリスト専用列車だ。昔はローカルの人たちと同じ列車に乗れたんだけど、今外国人が乗れるのはこれだけ。しかも料金はイジョーに高くなっている。ただはるかに車内での治安はよくなったとはいえる。
昔は居眠りでもしようものなら高確率で荷物は消える運命だったのに、今はその心配はまったくない。ポリスも各車両にいたりする。
上の網棚にも余裕で荷物が置ける。それは南米では画期的なことだ。ちなみ僕らは移動する際、車内に持ち込む手荷物は必ずひざの上に抱いている。昼夜問わずだ。それに比べてこの車両の油断しまくりのムードはなんなんだ。一眼レフカメラをテーブルの上に置きっぱなしでトイレとか行っている人だっている。

しかし、いくら安全になったとはいえ、現地の人の全くいない列車って魅力に欠ける。列車の旅というのは少なからずその国その土地の人々の生活の一端が垣間見えたりするのが楽しいはずではないか。
モザンビークの鉄道なんて垣間見えるどころのさわぎではない。モザンビーク名産のキャッサバを駅に着くたんびにモザンビーク人のすべてが片っ端から買っていき、しまいには列車内からトイレにいたるまでキャッサバに埋もれる。真っ黒なモザンビーク人と茶色のキャッサバの生生しい記憶がしっかりと大脳のシワとなって刻み込まれる。それくらいモザンビークのキャラクターってやつを見せつけられるのに、ペルーどうした?

列車はウルバンバ川に沿って走っていた。このウルバンバ川、マチュピチュの近くをとおり、そのうちアマゾンへとつながっている。そして、このあたりにアマゾン川の源流があるのだ。川はだんだん細くなっていき、途中から線路から離れていて、源流である山のほうへと消えていった。
4314mこの路線最高所であるラ・ラヤ駅に着いた。富士山よりはるかに高い。アルパカが放牧されているのどかな風景。雪山が遠くに見える。

夕暮れ時、湖が見えてきた。チチカカ湖である。いよいよペールの南端も近い。列車で迎えるサンセットというのは、人を感傷的にさせるものらしい。必死にまわったたくさんの遺跡・・・そういうものが思い出される。もうすぐペルーの旅も終わりなんだなあと叙情的な車窓をみながらしみじみとした気分に浸っていた。(昭浩)

この小川はアマゾンになり、そして大西洋へとそそぐ、まさにアマゾンの源流
車窓からアルパカ、これぞペルー高原列車の旅の景色だ
高所にあるラ・ラヤ駅。ちなみに日本の最高所駅は野辺山駅である
僕らの乗ったツーリスト専用列車。通称ブルートレインと呼ばれる

チチカカ湖の島をめぐる1 ウロス島・アマンタニ島編 5月30日

チチカカ湖に来ている。僕はこの湖に神秘的なものを感じる。
それはチチカカという名前の響きのせいでもあるし、標高3800mというアンデスの高地というロケーションのせいでもあるし、インカ帝国発祥の地といった歴史のせいでもある。
でももうひとつ理由がる。UFOだ。チチカカ周辺はUFO目撃多発地帯なのだ。日本では北海道と淡路島がグンをぬいてUFOの目撃が多いが、そんなのオハナシにならないくらいチチカカ湖は多い。あるUFO学者の説によるとチチカカ湖周辺に宇宙人の基地がるともいわれている。だからUFOを探しにチチカカ湖の島をめぐるツアーに参加した。
何がいいんだかわからななかったが、チチカカ湖のツアーよかったよ、と行った人みんなが言うのでいってみよう、それが表向きの理由だが、僕の中ではUFO探しという野望に燃えていたのだ。これは映子にも内緒だ。ここだけの話にしてほしい。

まず、にウロス島というところにいった。ここはトトラと呼ばれる葦で人工的に造られた島だ。ここがすごいのは、浮いているということ。たくさんの雨が降って、チチカカ湖の水かさが増えても、水没しないように、浮かしてあるのだそうだ。わざわざ湖の上に住まなくてもと思うが、何か理由があったのだろう。
ボートからウロス島に飛び降りると、たしかにふわっとした感触だった。振動を湖の水が吸収しているそんなやわらかさだった。

島の建物の多くはこの島の材料であるトトラでできていた。移動手段である小舟もトトラでできている。このトトラ根っこのほうは食用にもなり、しかも噛んでいるだけで歯磨き効果があり、風邪にも効く薬でもあるらしい。なんてやつ、トトラ。せっかくなので食べてみることにした。淡白な白ネギといったところ。あまりうまくない。

浮いている島のうえには家だけじゃなく、教会が学校や展望台まであった。隣の島ではバレーボール大会をやっていた。島にクッションがるので、回転レシーブ、ダイビングレシーブなんかしても痛くなさそう。それどころかバックドロップやブレーンバスターで投げられても多分きかないだろう。
この島おもしろいことに移動できるらしい。たまに動かしたりするらしい。島ごと湖の上をさまようことができる、なんか楽しそうだ。

次にアンマンタニ島というところに行った。この島は浮いていない。
ノーマルな島だ。島に着くと、白いブラウスに黒巻きスカートと黒のスカーフというイデタチのたくさんの村の女たちに迎えられる。僕たちはこの村の人々の家に今日はホームステイするのだ。ノルマという女性の家が僕たちの泊まる家。
ホームステイというと、うるるん・・・とかいった現地の人々のふれあいを感動的に描くいかにもやらせ的番組にあるような、インディヘナとのふれあい、そんなイメージがわいてくるが、実際僕ら泊まる部屋は、外国人ように作られた別棟の部屋だった。なんだかんだいって、うるるん・・・することを期待していたのでちょっと残念

宿についてから、遅めの昼食まで1時間ほど時間があった。何もない島なのでとてもヒマだが、そこから眺める湖とその向こうの雪山の景色がいいので、ぼんやり景色をみているた。ノルマの息子であるガキがひとり僕らの目の前で歌ったり、踊ったりしているので、途中から景色どころではなくなったのだが・・・。

島の人々はシャイだ。あまり積極的にこちらに話しかけてこない。多分元々閉鎖的な土地柄なのだろう。金になるからツーリストを泊めているだけで、本心は外国人なんか相手にせず静かに暮らしたいのかもしれない。それでもこちらからありがとうと何かの礼をいったときに返ってくる静かな笑顔がとても素敵だ

夕方、聖なる場所である島の頂上に登った。そこで僕らは美しい夕日をみた。神秘の湖の夕日らしく、オレンジに湖の水を染め、山の影を水平線に残しながら、太陽は沈んでいった。

夜、島の集会所のようなところでパーティがあった。バスケットコートひとつぶんのささやかな集会所だ。ダンスパーティがあるときいていったのだが、まあ言うなればツーリスト向けダンスの集いといったところ。
村の男がフォルクローレを奏で、それに合わせて踊る。僕たちは、やってらんねぇなあ、と斜に構えてやる気なし。UFO探しにいかなきゃいけないし、いつバックレようかタイミングをはかっている
そんな時、泊まっている家のノルマやノルマの小さな妹やらが、僕らを踊りに誘ってきた。女性に踊りを誘われるというのは悪い気はしないものだ。もちろん踊った。しかし、踊っていてどうも気になることがある。誘ってきたはずのノルマや少女が楽しそうじゃないのだ。しかも、一緒に踊っているのに目を合わそうとしない。多分、彼女たちにとってもここでの踊りは本意ではないのだろう。旅行会社からそうしろといわれているから、泊り客を踊りに誘っているといった風なのだ。

はじめ、しぶしぶ、まあつきあってやるか、そんな消極的な態度でのぞんだダンスであるが、ステップがなかなかうまくできないので、だんだん必死にステップに励みだす。なかなか難しい。でも、やっているうちにだんだん楽しくなってきた。調子にのって、ノルマをくるくる不器用に回したり、逆に回されたり、そんなことをしているうちに、たまに笑ってくれたりして、いい感じになってきた。ピース!

適当なところでダンスホールを出て、宿に戻ることにした。UFO探しという重大な使命が僕にはあるのだ。外は幻想的な世界だった。月の光をチチカカ湖はきれいに映していた。月光を映す湖はいろんな音を吸収し、無音の静寂をつくっていた。 (昭浩)

すべてが青・蒼・藍、チチカカ湖、そんな世界
葦でできた浮島、ウロス島。そしてここに来たからには跳ぶしかない。ジャンプ!ふわりとした感覚が足に伝わる
アマンタニ島ののどかな光景。心洗われる、そんな光景を僕たちはながめていた
チチカカ湖の夕日は僕たちをオレンジ色に照らしながら沈んでいった
ダンスダンスダンス。踊っていればそのうち楽しくなる、それがダンス

チチカカの島をめぐる2 タキーレ島編2 5月31日

昨夜は月のチチカカの魅惑に惑わされてUFOのことはすっかり忘れていた。
・・・というのはたんなるいいわけで、実は寒くてとてもじゃないけど悠長にUFOなんて探してられなかったのだ。
もうひとつ小さい時UFO研究家だった過去を持つ僕にいわせれば、UFOというものは探すものじゃない。あれは呼ぶものなのだ。UFOを呼ぶには時間がかかる。標高3800mのチチカカ湖でUFOなんて呼んでいたら凍え死んでしまう。寒さのためチチカカ湖でUFOを探すという企画は早くもゆきづまりつつあった。

そんなことよりも僕らを朝から悩ましていることがあった。チップである。
アダルティな旅行者を目指す僕らは、国によってだけど、ケースバイケースでチップというものを、あげるよう心がけている。言い方を変れば、チップというものを上手にあげられるようなアダルティになろうと努力をしているといったほうがいいかな。チップというものはそういう習慣がない日本人にとって当然苦手なものだと思う。僕なんか、あげるべきかあげないべきか、あげるとしたらいくらくらいなのか、いつも悩んでしまうものだ。チップなんていう習慣なかったらいいのにと何度も思ったもんだ。
感謝の気持ちは気持ちだけじゃなく形に表したほうがいい。」
チベットのカイラスに一緒にいったスイス人のセドリックがいった言葉だ。僕はそのときはじめてそれまで忌み嫌っていたチップの習慣に対して、そんな考えもあるんだ、と思い直したのだ。

チップってその国では習慣で払わなければいけないものだから払う、そういうのはイヤだ。なんか払わされているって感じがシャクである。あくまでもこちらの感謝の気持ちを伝えるものでありたい。またそれによって逆にサービスの悪いところでは、たとえそれがチップの習慣のある国であったとしも、それは断固として払わない。チップによって相手もハッピーであり、こちらもハッピーになれる、そうなれば理想的だ。

きれいごとをさんざんぶってしまったが、さて、どうしよう。悩んでいる。ここアマンタニ島のような素朴な人々にチップを渡していいもんだろうか。それによって、スレてしまったりしないもんだろうか?それよりも彼女たちが作る手編みのニット帽なんかを買ってあげたほうがいいんじゃないだろうか?
彼女たちが作った帽子は100%気に入ったものではなかった。でも悪くない。微妙なところ。値段はやや高い。いくら感謝の気持ちがあるといっても言い値で買うのにはちょっと・・・といったところだ。結局値切って買おうと試みたけれども、その値切り交渉がうまくいかず、イヤーな雰囲気になり、チップを渡すタイミングもすっかり失ってしまった。そして、そのまま出発の時間となってしまった。
考えに考えたあげく最悪な結果になってしまった。これまでのアマンタニでのいい思い出を汚してしまった気がした。とてもやりきれない気持ちだった。

僕らはノルマに連れられて急ぎ足で船着場に向かった。その途中で、それは全く場違いなところだったけれど、先を急ぐノルマを無理に止めて僕らは言った。
「グラシアス。エスタモス ムイ コンテント。」
(ありがとう。僕たちはとても満足だよ。)
そしてノルマの手のなかに小銭をいくらかおいた。
明るい笑顔が返ってきて、僕らは救われた。アマンタニ島には澄んだ想い出だけが残った
それから僕たちはタキーレ島に向かった。

タキーレ島はインカ時代の風習を今でも守っているところだ。インカの3つの掟、怠けるな、盗むな、ダマすな、これは今でも村の掟でもある。それに、自動車や自転車は使わない。要は車輪というものを使わないのだ。それだけじゃなく、ロバも使わなきゃ。犬もつかわない。インカ時代からのこだわりのようだ。
他にも独特の風習というのも残っている。タキーレ島の男は例外なくニット帽がかぶっていて、既婚か独身によってかぶる手編みのニット帽の種類が違っている。またそのかぶりかたによって、彼女がいるのかいないのかというのもわかる。男女の交際の風習も独特だ。独身男性でもし気に入った女性がいたら小石をぶつける。女性がもしOKならその小石を拾い、ダメなら拾わない。そうやってカップルができていくらしい。
また、こんな習慣もある。男の場合だけだが、道端で友達同士が出会ったら、お互いに持っているコカの葉を交換する。そのため男性はみなコカの葉をいれる袋を腰にぶらさげていて、そこにはたくさんのコカの葉がはいっているのだ。だから、自分の名刺を持たない営業マンがいないように、コカの葉をもたない男はこの島には存在しないのである。

昼食を食べていたレストランはちょうど道に面したところにあったので、僕らはご飯を食べている間、ずっと道行く人々を観察していた。興味津々である。
「この人既婚やで」
「この人彼女募集中や」
噂話をする関西のおばはんさながらに、そんな勝手なことを言っていた

少ない往来のなか、たまに通る人がいたりして誰かとすれ違いそうになったりすると、これはチャンスとばかりにドキドキしながら観察したものだ。本当にコカの葉を交換するのか?それが僕らの興味の的であった。
僕たちが実際に見たものは、コカの葉を相手に渡し、渡されたコカの葉を口のなかにいれて、ほおばりながら世間話をするタキーレ島の男たちの姿であった。
なんとも刺激的なタキーレ島から帰ってきたときはプーノの町はもう日が暮れようとしていた。そして、それは、たぶんこれからしばらく見ることのないペルー最後の夕暮れだった。(昭浩)

群青のチチカカ湖、ユニークなタキーレの人、インカの時代から残る文化、どれも印象的だった
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