2月13日〜2月21日
■ムンツェル8:30→ツァンダ15:30
大きな景色だった。標高5000m近くある小高い大地を走っていると、これまで見たことのないような景色が現れた。遠くまで続くように見えた広い大地が裂けているのだ。アメリカのグランドキャニオンを思わせるようなヒダヒダに裂けた谷間が無数に重なり、遥かかなたに見えるヒマラヤ山脈まで続いている。谷底は深くて見えない。地の果てといった言葉がぴったりな場所。僕たちはその雄大な奇景を見下ろす大平原に立っている。大地の果てまで来てこれからどこへ向かうのだろう、と思っていると、ランドクルーザーはその谷の底へと下りていった。ツァンダの町はこのヒダヒダの地の底にあるのだった。(昭浩)
昔、グゲ王国という王国があった。インドとチベットを結ぶこの場所で交易をして栄えたのだろう。ツァンダから1時間程谷間を走ったところに王国の中心であったツァパランの町はある。ある日、ツァパランの町は地下水脈の変化から捨てられてしまう。数百年もの歳月を経て、その面影をのこしているのがグゲ遺跡だ。
このグゲ遺跡は日本人にはあまり知られていない遺跡だが、中国人にとって憧れの地であり、カイラス以上に人気がある場所だ。
岩山に宮殿、お寺、住居が掘られて、山そのものがひとつの町となっている。岩に穴を掘って作った道や階段は立体迷路のようで冒険心をくすぐる。そこを歩いているだけで楽しい。頂上にある宮殿からは、この岩の町とその先に広がるグランドキャニオンのような谷が見下ろせる。その景色に浸ってしまう。(昭浩)
■ツァンダ9:00→ムンツェル16:00
今日から帰路につく。カイラスとグゲ遺跡をまわったので、今回の西チベット旅行の目的は果たせた。この先エベレストベースキャンプにも立ち寄ったりするが、気持ちとしてはメインディッシュを食べ終えてデザートを待つ気分。ツァンダの谷から出て、今まで僕らがいた大地の裂け目を見下ろす。しわしわのオーロラが集まったような岩壁が無数に重なっている。朝の光のなかで陰影がよりその裂け目を浮かび上がらせていた。
車の揺れはあいかわらずひどいものだったが、僕たちは車の中でよく眠った。そして、来るときに泊まったムンツェルの村に戻ってきた。(昭浩)
20日間の西チベットの旅で今日訪れるティルタプリという場所は、とても楽しみにしていた場所だ。ここは、チベタンにとってカイラス、マナサロワール湖とあわせて西チベット3大巡礼地。僕たちにとっては待望の温泉地なのだ。今日こそは、10日以上洗っていない体を洗い、薄黒く汚れ、カピカピに固まったかかとの角質を落とすのだ。かばんの中に水着と石鹸とシャンプーをしのばせてティルタプリに向かった。
ティルタプリに着いて、入場料を払ってゲートのなかに入る。「温泉、温泉」きょろきょろ。「温泉?どこ?」チベットの温泉につかって旅のアカを落とすというささやか夢は、30秒もしないうちに儚く散った。
ポコポコと水が沸いているだけの、大きな水たまりのようなところだった。しかも、柵で囲われている。その水たまりからチョロチョロと流れているお湯でチベタンたちは洗濯をしている。この日のためにわざわざ水着を持ってきたマヌケな僕たち二人は、そこで立ち尽くすのであった。
ティルタプリにはリンセルという石がとれる。この石は体の中の悪いものを体の外に排出してくれるらしい。それは、簡単に見つけることができる。白くて正露丸よりひとまわり小さい薬のような不思議な石だった。そのリンセルを一生懸命に見つけようとしているチベタンたちの姿がとても印象的だった。(昭浩)
朝5時に目が覚めた。下着が濡れている。「もしや…」旅に出てから二度三度と粗相をしている僕は自分が信用できない。もう一度チェックするとパンツはそれほどでもなく、むしろズボンのほうが濡れている。ニオイもない。なんと、11日ぶりの雨が昨日から降り続き、天井から雨モリ。ポタポタと落ちる水滴は見事に僕の股間にヒットしていた。映子やアメリカ人のジョンからは「ションベンもらしたー!」と冷やかされる始末。こうして情けない1日ははじまった。
昨日のうちにティルタプリからマナサロワール湖に来ていた。今日は休養日なので1日ここでゆっくり過ごす。マナサロワール湖畔にも温泉がある。昨日のティルタプリの温泉には失望したが、今回はちゃんと人が入れる温泉のようだ。20元(300円)と日本の銭湯なみの料金もとられるが、男女別になっているのはもちろん、温泉小屋のなかは、個室のお風呂が並んでいた。体と頭を洗い、ついでに洗濯を終わらせ、湯船から出ようとした時、お湯といっしょに大量のコケが流れてくるではないか。腐った海苔のようなくさいニオイのコケを下半身にモロに浴びてしまった。コケは、僕の股間に絡みつき完全には洗いきれない。そのニオイは温泉を出た後もとれないでいる。はたして僕の体はきれいになったのだろうか?(昭浩)
■マナサロワール湖8:50→バルヤン19:00
はじめてカイラスを目にした時から9日がたった。そして、今日カイラスとのお別れなのだが、あいにくの曇り空で全く見えない。僕は本当に数日前にカイラスをコルラしたのだろうか?あの時の出来事が夢の中のことのようにふわふわとして現実味を帯びていない。今の僕にはランドクルーザーの揺れだけが現実だった。
来た道を戻る。景色は変わらない。草原と山と湖が続いているだけ。正直だるい。やることがなくてヒマだ。でもなぜだろう、滞在しているより動いている方がいい。僕は好きだ。多分前世は農耕民族じゃなかったのだろう。昔占い師に言われた。
「あなたの前世は船乗りです。」
その言葉を思い出し、「オレは船乗りだから移動が好きなんだ、じいさんも船乗りだから海の男の血も引いているわけだし…うんうん。」とひとりで納得しながら風景を眺める。でも船乗りなのにどうして内陸ばかり旅しているのだろう、そんなどうでもいいことをひとり考えていた。(昭浩)
■ バルヤン8:30→サガ16:00
チベットの風景は静止画だ。車で走っていても見える景色はずっと変わらない。車が止まれば、草花がみんなでじっと息をひそめているかのようにしんとしている。音のない世界。広い大地がすべての音を吸収している。
ときおりナキウサギが視界の端を横切る。チベットの子供たちが僕らに向かって手を振る。静かに止まった絵の中で、その姿は活き活きとし際立つ。
来るときは下痢ピーで常に下半身に意識が集中していた僕だが、体調が復活した今の僕にはチベットの風景がこのようにとても美しく感じられる。健全な体に健全な魂が宿ると昔の人はいったが、まさにそのとおりだ。(昭浩)
■ サガ9:30→ティンリー18:00
サガからエベレストベースキャンプの入り口の村ティンリーに向かう。フェリーで川を渡り、来た道とは違うルートでネパールとラサを結ぶフレンドシップハイウェイに向かう。ここも湖と山が美しい風景だった。(昭浩)
■ ティンリー10:00→エベレストB.C16:00
エベレストベースキャンプ。僕にとって興味深い場所だ。山登りが好きな僕は、エベレスト登山のドキュメンタリー番組をよく見ていた。中国側から登る場合、このエベレストB.Cの様子がよく映し出される。世界最高峰を目指すクライマーたちが準備をし、クライマーを支えるスタッフたちがクライマーを見守るところ。エベレストはもうすぐそこにあるのだ。
しかし、今は雨季。雨が降っていてなにも見えない。途中の峠からは、エベレストやチューオーユー、マカルーなどの8000m峰が一望できるはずなのだが残念ながら空は灰色の雲に覆われている。でも、僕はこの地へ来れたこと自体とてもうれしく思う。その日は、みんなでビールを飲み、地元の若者の奏でる楽器に合わせて踊った。標高5200m、アルコールがよくまわる。フラフラになって眠りについた。(昭浩)
■ エベレストB.C13:00→ラツェ20:00
朝6時。今日も雨。エベレストは雲の中。「雨季だから仕方ないか」と自分を納得させる。寒いのでまた寝袋にもぐりこむ。1時間おきに外に出てはチェックするがエベレストは見えない。あきらめておそい朝食でも食べようとしたとき、雲が徐々にあがっていき、エベレストの一部が見えはじめた。やがて、エベレストのピークも含めたエベレストの1/3が現れた。山の全貌は見えなかったが確かに世界で最も高いピークはそこにあった。
僕は興奮した。その写真をとるために、ベースキャンプのすぐ横にある50mくらいの丘に急いで登る。慌てて登ったので、丘の上に着いたときは息が思うようにできず呼吸困難でその場にうずくまってしまった。このときは本当に死ぬかと思った。そこに、はじめから丘の上にいた中国人の若者たちが虫の息の僕に写真を撮ってくれと容赦なくカメラを渡してくる。一枚写真を撮ってあげると、一緒にいた他の人たちも次から次へとカメラを僕に渡してくる。しかも6台も。シャッターを押し続けた。中国人の写真を撮っているうちに、僕はシャッターチャンスを失った。中国人がお礼を言って、その場を立ち去る頃には、新たに出てきた雲がエベレストを覆い隠そうとしているところだった。その後、しばらくエベレストが雲のなかから顔を出すのを待ったが、二度とエベレストは現れなかった。
「これだけ死にそうになりながら必死に登ったのに…。中国人の写真を撮るために登ってきたんじゃないのに…。くやしい…。せっかくの貴重なチャンスを…」
やり場のない悔しさを胸に僕は山を下りた。
その日の夜は悔しさを発散しに(?)クラブにいった。チベットのナイトクラブは健康ランドの大宴会場にテーブルとソファ、天井にミラーボールがあるといったつくり。入場料はなく、飲んだビール代などオーダーしたもののお金だけ払えばいいことになっている。そこの舞台ではしばらくカラオケが続く。カラオケといってもお店のスタッフらしき人が歌うのをお客が飲みながら聞いている。カラオケの後はお店の人によるショータイム。ショーは、衣装を着たデブのおじちゃんや化粧の濃いお姉ちゃんたちが曲にあわせて踊るといったもの。それが終わると急にチャイニーズテクノがかかってディスコタイムがはじまる。僕たち日本人5人とスイス人のセドリックは舞台に上って踊った。ここは標高4000mのラツェの町。こんなところで、ビールを飲んでいるのにも関わらず踊れるってことが驚きだ。カトマンズからラサに来る途中にもこの町に来たが、そのときには考えられなかったことだ。この一ヶ月のチベット滞在で僕の体は酸素の吸収効率がよくなったのだろう。今のコンディションでマラソンをやったらきっといいタイムがでるにちがいない。(昭浩)
密教というものにとても興味を惹かれる。人にはなかなか教えられない、でもとても役に立つ「奥義」みたいなものがいっぱい、その教えの中にありそうだからだ。その密教を重視しているサキャ派の総本山、サキャ。ここのお寺で、なによりも興味深かったのが、お寺の中に地獄の部屋があることだ。お寺の中に地獄が、どうしてなのかはよく知らないが、それはとても自然なことのように思えた。地獄部屋は、暗くまわりの壁には地獄をイメージした炎のようなものが無数に描かれ、奥には鬼のようなのが立っている。ろうそくの灯に照らされそれは不気味に映る。
ここのところ続いている雨の影響か、かなりひどい道を時には川の中を突っ走りシガツェに向かう。シガツェは、1ヶ月前に来た。そのとき見ていなかったパンチェンラマのサマーパレスに行った。ここには、現在のパンチェンラマ11世の写真が飾られていた。まだ子供だ。パンチェンラマ11世というのは二人いる。1人はチベットが選んだパンチェンラマで今獄中にいるらしい。写真のパンチェンラマは中国政府の選んだパンチェンラマ。チベット人の多くは表舞台にいるパンチェンラマについては複雑な思いがあるようだ。それは、いろんなところで、例えばレストランやホテルなどで、パンチェンラマ10世の写真が飾られているのはよく目にするが、11世の写真を飾ってあるところは皆無であるところからもうかがえる。このあたりの話は少しデリケート。(昭浩)<
■ シガツェ11:30→ギャンツェ14:00
僕たちのパーティは13人いる。スイス、オーストラリア、アメリカ、フランス、そして日本人の多国籍チームだ。みんな不思議と仲がいいが、一緒にごはんを食べるときは大変である。ベジタリアンもいれば、肉を欲しがるオーストラリア人もいるし、肉は好きだけど豚肉は嫌いというアメリカ人もいる。日本人は中華を食べたがり、欧米人はラサ以外のチベットなんかにありもしないウェスタンフードを探し求める。そんな連中を仕切らなければいけないのが日本人。レストランを探していて「飯店」という看板の前を平気で通り過ぎようとする欧米人に漢字メニューを理解することは不可能。僕たち日本人がメニューやウェイターの言うことを通訳し、みんなの意見をまとめてオーダーする。なかには、「何でもいいよ」、なんていいながら、食べ終わってから、「オレの好きなものがなかったから、オレはハッピーじゃなかった」なんていう人もいたりする。料理をシェアして食べる習慣のない人たちと中華をシェアするってのは、なかなか大変なのだ。
「今夜は最後の夜だから、みんなで一緒に食べにいこう」とスイス人が提案したが、やはり、「安くておいしい中華を食べたい」という僕たちとホテルの高くてまずい「ウェスタン料理を食べたい! ノー モア チャイニーズフード!」という欧米人と意見が別れ、結局みんなバラバラで食事をすることに。やれやれ。(昭浩)
■ ギャンツェ9:00→ラサ16:00
ようやく長い旅が終わった。20日間ぶりに都会に戻ってきた。この日をどれだけ待ち遠しいと思ったことか。“ラサに帰ったら食べたいものリスト”を作っていたくらいだ。おいしいものが食べたい、ホットシャワーを浴びたい、洗濯もしたいし、メールチェックもしなきゃ…やりたいことがたくさんありすぎる。
その日の夜、みんなで打ち上げをした。ガイドのタシも招待した。彼はこの仕事をはじめて1年とガイドとしては未熟だ。カイラスより西へ向かうのも今回がはじめて。しかも13人パーティと旅行代理店はじまって以来の大人数。仕切るのが下手で、至らぬ点ばかりが目立つガイドだったが、誠実さと一生懸命さと子供のように純粋なキャラクターがみんなに愛されていた。仕事はできないが、彼はそれ以上に大切なものをもっていた。タシはいつでも僕らの側にたって尽力していた。打ち上げの最後に「僕はみんなと一緒に行けてとてもハッピーだった。」と少し目を潤ませて言っていたのが心に残った。(昭浩)
カイラス20日間ツアーは、私にとって本当に忘れられない、そして忘れたくない、いい思い出だ。まず、メンバーがよかった。日本人5人、スイス人3人、アメリカ人3人、オーストラリア人1人、フランス人1人、みんなそれぞれに旅をしてきて、このツアーで一緒になった。個性的で、楽しい面々。一緒に過ごすうちに少しずつ、チームワークみたいなものが出てきた気がする。今までの旅の話をするのも楽しかった。最後の方で、みんなでグループメディテーション(瞑想)をしたことが印象に残っている。
そして、カイラスコルラの3日間。3日間とも結構きつい歩きで、ぐったりしていた。でも、ネパールのトレッキングで、私は1つ学んだことがあった。それは、標高が高いと、予想以上に疲れるということ。少々値段が高くても、ポーターを雇ったのが正解だった。しかし、峠越えだけではなくて、ほかの2日間も思ってた以上にアップダウンが多くて疲れた。それでもネパールのトレッキングで、泣いちゃうほどつらかったことが、私の支えになっていたと思う。
さらにグゲ遺跡。ここは、歴史がよく分からなくても、素直に「いい!!」と思えるところ。青い空に映える遺跡がとても素敵。周りの景色も最高。道は悪いけれど、ここまで来たらぜひ行って欲しいポイントの一つ。
逆にがっかりしたのは、ティルタプリとマナサロワール湖。両方「温泉」があるということを売り物にしているが、全くお話にならない。和歌山には、西日本最大の露天風呂があるのだ。そこを見せてあげたいくらいにお粗末。それくらいでなければ、とまでは言わないけれど、この2つを温泉とは呼んで欲しくない。
カイラスに行ってよかった。カイラス自体もよかったけれど、それ以上にそれまでに出会った景色、人々のことは、一生忘れることはないと思う。(映子)
ここチベットではいまでも鳥葬をやっているところがある。それを見に行くツーリストも多い。見に行く場合ランドクルーザーを1台チャーターすることになるので、まず一緒にいくメンバーを集める。メンバーが集まったら「死体待ち」をする。鳥葬は毎日やっているわけではなく、当たり前のことだが、誰かが死んではじめて行われる。カイラスから戻ってきたばかりで疲れてはいたが、たまたま今日「死体」があって、しかもメンバーがそろっているので、僕たちは鳥葬の行われるディクティンゴンパというラサから片道4時間程のお寺に向かった。出発したのは、早朝3時。前の日12時まで飲んでいた僕らにはちょっとつらかった。
鳥葬が終わったあとレストランで遅い朝ごはんを食べた。鳥葬を見たあとじゃ絶対肉は食べられないだろうなあ、と思っていたが、メニューには肉入り麺しかなかった。しかたなくそれをオーダーした。意外にもペロリと肉入り麺を食べられたのが驚きだった。
途中、ガンデン寺という有名なお寺に寄ってラサに帰った。小高い山の頂上あたりにゴンパや集会所、僧侶の住居などがへばりつくように建っている。山そのものがひとつのゴンパのようだ。ここもチベット仏教のどこかの派の総本山であるが、すでに夕方だったので巡礼者はひとりもいない。巡礼者のいないゴンパはさみしい。(昭浩)
いつも、はためいているタルチョ
今日は静かに待っている
霧雨煙る山の上
鳥は静かに待っている
死に人たちを待っている
死に人たちが刻まれるのを待っている
曇った目をした家族たち
見守る中で砥いでいる
たくさん集まるハゲタカたち
見守る中で砥いでいる
切り刻むために砥いでいる
大きなナタの刃を砥いでいる
袋からごろりと出たもの
それは人間
振り下ろした刃の先にあるもの
それも人間
皮がはがれムキだしになったもの
それが人間
人間たちに囲まれて
ハゲタカたちは競っている
頭を血だらけにしながら
突っつくことを競っている
食べることを競っている
人間を食べることを競っている
飛び散るしぶき
それは人間
残された骨たち
それも人間
最後に骨まで砕かれて鳥たちに食べられる
それだって人間
頭蓋骨をハンマーで砕いた僧侶は
魂は天国へ行ったのだよ、と
天を指して笑った
僕たちは長い西チベットの旅から休む間もなくラサを出発した。カイラスから戻った翌日、鳥葬を見にいった。そして昨日は、ゴルムド行きのチケットを買い、30時間のバスの旅に備えてお菓子やパンなどの食料の買い物やら、洗濯やら、メールチェックやら、バタバタとしていた。急いでラサを出発したのにはわけがあった。僕たちのパキスタンビザの入国期限が8月10日までなのだ。これから少し急ぐ旅になりそうだ。
中国の寝台バスは久しぶりだ。以前乗ったタイプとは違い、1人用ベッドがタテに3列に並んでいる。僕たちのベッドは、ふたりとも2段ベッドの上段で、映子が進行方向右、僕が左側の窓側と離れ離れになってしまった。せまい寝台だったが、それにも徐々に慣れてきた。「乗る前に想像してたのより、快適じゃん。これなら36時間もいけるね。」なんて話していた。思考にふけり、音楽を聞き、疲れたら眠る。僕たちは1000キロのラサ〜ゴルムドのバス旅を楽しんでいた。このときは、まさかあんなことに巻き込まれるなんて思いもしなかった。(昭浩)