3月18日〜3月28日
早起きに慣れてきたとはいえ、昨夜早く寝たとはいえ、4時起きはやっぱりつらい。外は月明かりでびっくりするくらい明るい。5時ごろバス停に着くと、すでにゲートは開いていて、バスの中にも何人かいた。いつものような戦いはまったくなく、気が抜けるくらい余裕で席に座れた。それでも出発までに席はいっぱいになっていた。
まだ暗いうちに、5時半ごろ出発。と思ったら、村の中で止まる。人々がどっと押し寄せる。ひえー!!と思ったら、乗ってきたのはほんの少しみたい。そんなこんなで出発は6時くらいになった。
雲がオレンジ色に染まってきた。今日はあきちゃんの誕生日。この記念すべき日に、私たちはまた一つ、国境を越えるのだ。
メガの町に着くと、食事休憩があった。そして、バスは国境へと向かった。国境手前の村は、木の枠組みに土の壁、土の屋根の家々。カラフルな服を着た女たち。そして、わらぶきのドーム型の家に、ビニールシートをかぶせた家々がある村を見た。エチオピアのいろんなところを見てきたけれど、これは初めてだ。
モヤレ到着は9時半過ぎ、エチオピア側の国境で、闇チェン屋と話しながら歩く。いやーなエチオピア人ともさよならだと思うと、笑って話せる余裕も出てくる。国境越えはスムーズ。ただ、少し歩くのが、重い荷物の私にとってはつらい。
10時半ごろには、もう国境を越えてケニアに入った。ケニア側は、荷物チェックすらなかった。ケニアに入ると、家のつくりが全然違う。しっかりしている。3匹の子豚の話でいくと、2人のお兄さんが作ったわらの家や木の家が、エチオピア。弟が作ったレンガの家がケニアという感じ。実際はレンガではなく、コンクリートっぽいけれど。
人々は、バッチリ英語を話し、子供たちは、制服なんか着て「How are you?」とちゃんと言える。うざい客引きがいなくなった。ちょっと歩いただけでこんなに違うなんて・・・。「また別の国に来たのだ」と実感した。(映子)
エチオピアとケニアの国境モヤレからナイロビの北にあるイシオロまでの間は世界で最も危険かつハードなルートのひとつである。
その理由として、まずゲリラがよく出没する。だからローリーには必ずアーミーの人が同乗する。ゲリラが現れたら、そのアーミーがゲリラをなだめたり戦ったりする。もうひとつの理由として、ここでの公共の交通機関であるローリー(トラック)が危険なのである。エチオピアからナイロビ方面に向かうローリーのほとんどは牛を運ぶローリー。牛が荷台に乗るため人は荷台には乗れない。荷台を覆うように鉄パイプがめぐらされていて、その鉄の棒の上に乗る。鉄棒から落ちれば、そこは2階くらいの高さはあるから、着地に失敗したら骨折くらいはするし、牛に踏み殺される、とも旅行者の間ではいわれている。悪路を爆走するローリーの激しい振動と跳ね上がり、そして、赤道直下の日差し、すさまじい砂埃、これらに鉄棒の上で10時間×2日耐えなければならない。
ゲリラに遭う遭わないはその時の運しだいなのでしかたないが、ローリーの鉄棒の上は避けたい。だから、僕は昨日エフ・ケーという名のブローカーをつかまえて明日のローリーの助手席を確保するように頼んでおいた。
朝になるとまず助手席の料金が昨日聞いていたのより3割増しになっていた。ローリーの台数が少ないと値段はつり上がるらしい。不満ではあったがそれでOKして、トラックの助手席に乗り込む。しかし、そのローリーのドライバーに、お前たちの席はないから降りろ、と降ろされる。代わりに少し偉そうにしたケニア人が乗ってきた。
ブローカーのエフ・ケーをクビにして、停まっていたトヨタのピックアップカーを見つけそれでワジヤという町に行くことにした。ワジヤ?どこそれ?そのときの僕らにとってワジヤってそんなところだったがそのワゴンに乗った。もうどこでもいいから流れに乗ったれー!そんな心境だった。
道は悪かった。それは道というより、草木の生える砂地の上の車の通った跡だった。ときたまトムソンガゼルが横切ったりする。道端にアミメキリンがいたときは感動的だった。野生の王国アフリカにやってきたんだ。
途中何度かエンジントラブルに見舞われ、ワジヤについたのは出発して結局9時間ちかくたったころだった。(昭浩)
まだ夜中の朝の3時半に出発した。バスはまったく未舗装のデコボコ道を驚異的なスピードで走る。そしてよく跳ねる。座っている僕が何度も天井に頭をぶつけた。イスにしがみつくしかない。赤土がバスの中を舞っている。ぼんやりとした頭の僕にとってまさに悪夢をみているようだった。
8時間ほど走ったところで舗装道路に変わった。バイオレンスワールドから解放された。
ちょっと安堵すると次は別の心配事が頭をもたげた。ナイロビは大丈夫だろうか?ここ数年のナイロビの治安悪化は著しく、旅行者は強盗の恰好のターゲットらしい。バスの停まるところは治安があまりよろしくないところなので、どちらにしろタクシーを頼まなければいけないのだが、うまくタクシーがつかまるかどうか・・・悪いことを考え始めるときりがない・・・・・・・。
無事に宿に着いた。ホットした。9年前キリマンジャロ登山に来たときは、ダウンタウンに泊まったが、今回はダウンタウンの宿は避けた。危険を避けたといえば聞こえがいいが、ようはビビッたのだ。夜はもちろん外には出なかった。緊張のナイロビであった。(昭浩)
日本人倶楽部というナイロビにある日本食レストランに行った。僕はトンカツ定食を頼んだ。トンカツ、冷奴、お吸い物、つきだしのすき焼き、ご飯がおひつにいっぱい、そんな内容。日本人の僕を満足させるうまさだった。すき焼きのそのダシのおいしさに、汁までぜんぶすすった。日本米のおいしさをあらためて認識させられた。値段も高かったが量も多かったので満足だ。
12時過ぎたころから日本のスーツにネクタイをしめたビジネスマンがたくさんやってきた。テレビのよく見える席に人々は集まってくる。
「すみません。ここよろしいですか?」
「はい。どうぞどうぞ。」
「はじめまして、私こういうものです。」(そう言って名刺をわたす)
「出張ですか?」
そんなやりとりが聞こえる。
テレビではNHKがイラク戦争のニュースを伝えていた。書棚には週刊新潮、SPA、朝日新聞が置かれている。いくつか目を通したがあまりおもしろくない。日本にいたときはこんなものよく飽きずに読んでいたなあ、と思う。
ケニアで日本社会を少し覗いた、そんな気分だった。(昭浩)
昔、日曜の朝「野生の王国」というTV番組があった。子供の僕は夢中でその動物たちの世界へ入っていった。そのときは、野生の王国アフリカは別世界であり、そんなところでサファリに行くなんてことは夢にすら思えないほどあまりにもかけはなれた世界だったのだ。だからサファリカーに乗って、その動物たちの世界に入っただけで舞い上がった。軽やかな空気の中、僕は野生の王国の世界に浸っていた。(昭浩)
朝8時にマサイマラへ向かう。途中で3人合流して、合計6人になった。トムソンガゼルやシマウマが、移動中にも見れるのがうれしい。そのうち眠ってしまった。目覚めると、カラフルなマサイ・マーケットが見える。マサイ人は派手。赤い服が多い。
マサイマラの入り口のゲートで女たちが、みやげ物を売りつけに来る。女ばかりだけどみんな坊主頭で、耳にでっかい穴を開けてビーズのピアスとかしてる。ブレスレットみたいなのがたくさんくっついたやつや、ほかにもアクセサリーをたくさん持って、サファリカーに群がる。耳の大きな穴が珍しくてジーっと見てると、おみやげ物を売りつけられそうになるので、油断できない。
それを過ぎると、シマウマやインパラ、トピーなどの動物が次々と現れ始めた。マサイキリンもたくさんいる。カンムリづるが近くで見れたけど、ガイド兼ドライバーのピーターは気づかず通り過ぎる。アフリカゾウはちょっと遠くに見えた。遠いせいか、思ったより小さい。インド象より耳が大きいかな。色は黒い。
天気がだんだん悪くなってきた。ダチョウとトピーとトムソンガゼルが見えたあたりで、雨が降ってきた。サファリカーも天井を閉めた。雨はどんどん激しくなり、雷もなってきた。動物たちはどうしたかな。逃げたかな。と思ってみると、トムソンガゼルが、止まって、立ったまま、雨に耐えている。動物たちは、逃げないんだ。雨の中、じっとたたずんでいるだけなんだ。そんな姿を初めて見た。
雨のせいで、道が川のようになって水が流れている。そんな中、ピーターは道に迷った。暗いし雨だし、どうしよう?と一瞬不安になったが、なんとか無事たどり着いた。雨が降ったせいかとにかく寒い、そんな夜だった。(映子)
雨上がりの朝の風が心地よい。草のにおい、初夏のにおいがする。そして草原は果てしなく続く。
朝のゲームドライブは、8時出発。まずヌーの群れをみた。ヌーと言えば、お隣のセレンゲティへ移動する「ヌーの大移動」が有名だけれど、私たちが見たのは、移動しないやつ。今はもう、セレンゲティに移動している時期だから、ヌーは少ないのだ。シマウマ、トムソンガゼル、トピー、コクハートビーストなどを見た。さすが野生の王国。動物いっぱいだ。だけどまだ、ライオンを見ていない。
ライオン探しは、難航していた。右側に焼畑なのか、焼かれた大平原があり、それを見ながらしばらく走る。途中で出会った車に聞いて、Uターン。なんとその焼け野原の中へ入っていった。こんなところにいるの?と思っていると・・・いたー!雄ライオンが、キリンの骨の前に寝そべっている。ちょうど食べ終わったあとみたいで、お腹がパンパン。立ち上がったー!と思ったらおしっこ。そしてつづいてうんこも!!みんな大喜び。
昼食後は、象やキリン、そして遠くにクロサイ、最後にまたライオンを見た。今度は雌ライオンと子供2匹。とにかく子供がかわいい。でも小さくてもしっかりライオン顔だった。雌ライオンはいっぱいいた。
夜はキャンプ場で、日本人が合計6人になって、にぎやかだった。明日の朝は早いというのに、10時半くらいまで話していた。空を見上げると、星がたくさん。でも南半球なので、何一つ星座がわからなかった。(映子)
プハーッ プハーッ 水の中に身を沈め、息継ぎのため鼻先を出し呼吸するようすを見ただけで、小躍りしたくなるほど興奮した。僕はライオンよりも断然カバが好き。カバは見かけ愛嬌がある奴だが本当は獰猛。そんな意外なところがいい。威嚇のためウンコを垂らしながら尻尾をぶんぶん扇風機のごとく振り回し飛び散る糞尿で相手をギャフンといわせる、そんなエピソードを聞くと益々興味深い。たくさんの動物を見れたうえにカバに会えて、今日はとてもシアワセな日だった。(昭浩)
出発を早くすればよかったと心から後悔した。今日は朝からいい天気で、空は朝焼けでピンクと水色になってる。朝食を急いで食べたけど、結局出発は8時ごろ、昨日と同じだ。しかも3人だけだと思ったら、さらに4人も乗ってきて、サファリカーの中はもういっぱいいっぱい、昨日よりひどい。
昨日と同じように、ヌー、トピー、シマウマ、インパラなどから始まって、いきなりライオン。しかもたくさんだ。昨日見たのと同じらしい。今日はブッシュの中に入っているけど、子ライオンが見える。その後なんと、クロサイのカップルを見た。クロサイは珍しいのでラッキー。たしか、1,2頭しかいないとか。
しかし、クロサイで運を使い果たしたのか、チーターは見れなかった。なんだかあっけなく、サファリは終わってしまった。楽しかったし、動物もたくさん見れたけど、チーターを見れなかったことだけが心残りだ。国立公園を出てからも、トムソンガゼルやキリンを見た。チーターいないかな。といつまでも探していたけれど、やっぱりだめ。
昼食後、分岐点で4人の欧米人は、乗り換えてナクル湖へ向かった。やっと3人になったけど、もう遅いよ!チーターも見れなかったし、バカピーター!!4日間いっしょだった、ガイド兼ドライバーのピーターだけど、いまいちいつもにぶくて気が利かない。しかも動物を見つけるのが下手なのだ。
サファリ自体は、とっても楽しかった。サファリカーから顔を出して、サヴァンナの風に吹かれているだけで、幸せだった。でも、1日中そうやって風に吹かれていたせいで、のどをやられてしまったらしい。そこからちょっと風邪っぽくなってきて、帰りは少しつらかった。(映子)
昨日今日とかざまっちと一緒だった。かざまっちは、昨日サファリに合流してきた日本人旅行者で3年で世界100カ国を目標に旅をしている。偶然にもかざまっちは、僕と同じ埼玉県立熊谷高校出身だった。驚いた。うれしかった。話も合った。気も合った。動物たちとの出会があった。偶然の出会いがあった。印象深いサファリだった(昭浩)
朝、映子が熱っぽい。吐き気もするという。いよいよマラリアか?すぐにタクシーで病院に行かなければ、というほどでもなさそうだったので日本大使館の医務官を訪ねていった。日本大使館では医療相談以外にマラリアチェックもしてくれると旅行者から聞いたからだ。医務官は外出中で40分ほどしたら帰ってくるという。少しガックリ。医務官が戻ってきた、医務官は会うなり
「医師ではあるが、ここでは診察はできない。保険会社に電話してから病院に行きなさい。」
それを聞いてさらにガックリ。
医務官は話を続ける。日本人が最近マラリアで死んだこと・・・マラリア以外にも腸チフスも気をつけなければいけないこと・・・等々。話が長いので、話の途中、映子は倒れた。
アガカーン病院というきれいで大きなインド系の病院へ行った。結果は風邪。それに過労が重なったのだろう。とりあえずマラリアでなくて一安心。(昭浩)
バスのチケット売り場はダウンタウンのなかにある。行きたくないけど行かなきゃいけない。気合をいれて突入。背後に神経を集中しながら、いかにもこの周辺のことはよく知っている人間のようにけっしてキョロキョロしたりせず、しかも本当に迷ってしまわないように注意深く進む。街のなかは殺伐とした雰囲気。気のせいかもしれないけど。
バスのチケットを買った後は、ダウンタウンのチープな食堂に挑戦だ。おそるおそる細い路地をはいり、ローカルの人々でにぎわっている安食堂に入る。ちょっとこわい。
ダウンタウンを出た。昼間だったら大丈夫なんじゃないか、ちょっと気が大きくなって強気発言。
人に勧めるわけにはいかないが、ダウンタウンのほうが活気もあるし、緊張感もあるし、楽しいと思う。(昭浩)
危険都市ナイロビ。避けたいけどアフリカの旅人にとって避けては通れない場所。そのナイロビを今晩出発する。バス停は治安のよくないダウンタウンのなかにある。歩いて5分の距離だがタクシーを使う。さすがに夜のダウンタウンを全財産かかえて歩く度胸は持ち合わせていない。明日はいよいよウガンダだ。(昭浩)