4月29日〜5月17日
ポカラからカトマンズへ戻った。カトマンズで借りていた寝袋を返し、日本人のお姉さんが経営している旅行代理店に遊 びに行った。そこのお姉さんは、僕たちがほとんど売上に貢献していないにもかかわらず、ローカルな情報をたくさん教えてく
れる。お姉さんの人柄を慕ってか、日本人がだれかしらそこで、旅の話や世間話をしている。僕らが、トレッキングの話を お姉さんとしていると、横にいた日本人の男の子が突然叫んだ。
「あっ!思い出した。」
「中国の麗江のラピュタカフェでカツ丼食べてましたよね?」
そりゃ、たぶんラピュタカフェで、カツ丼を食べた記憶はあるが、なんで?
「僕、その時横の机で漫画読んでたんですよ。なんか二人がカツ丼食べているの印象に残っているんですよ ね。」
そういうこともあるんだね、長く旅をしていると。
夜には、3年ほど前一緒に仕事をしたことがある佐野君と会う。彼が、アジアを旅していたことは、人から聞いて知っていた。たまたま 知り合った旅人が佐野君と友だちで、彼のメールアドレスを教えてくれた。早速メールをすると、トレッキングから帰った日にメールが
来ていた。ちょうど今カトマンズにいて明日の早朝チベットに向かうという。そうして、たくさんの偶然が重なった結果、夜中に彼が僕ら の部屋を訪ねてきたというわけだ。
仕事で知り合った人とカトマンズで、こうして再会するのって、とても不思議な気分だ。それまでほとんど仕事のことが話題だった人と 今度は旅の話で盛り上がるなんて…。話したいことがいっぱいあるんだけど、話し尽くせない。一瞬の再会だった。
旅をしていると旅先で知り合った人や日本人の知り合いに偶然出会ったりすることが多い。この広い世界で、しかも人が一生のうちで出会える人の数というのは、物理的に限られているのに、そんな再会があるなんて、つくづく人との出会いは、偶然ではなく必然なものだって思えてならない。(昭浩)
僕は、キレた。
ウンコをした後、日本では紙でお尻をふくが、ここネパールではお尻を手で洗う。当然僕たちも中国を出て以来その習慣は変らない。通常トイレには、手でお尻を洗うために手桶というものが用意されている。
その手桶が部屋のトイレになかった。かわりに、僕が置いた記憶のない、僕のマグカップがトイレに置かれていた。映子に聞いてみると、僕のマグカップを、お尻を洗うための手桶がわりにしたという。僕が、コーヒーや紅茶を飲むマグカップをお尻洗いの手桶にするとは、なにごとだ!!と僕は怒った。色違いマグカップを持っているのに、使うんなら自分のを使ってほしいものだ。
怒りもおさまったので、インドのビザを申請しに行く。インドのビザは、まずテレックスの紙2枚を提出し、申請用紙をもらうのに2時間並ぶ。そして、テレックスクリアランスと呼ばれる意味不明の手続きのため1週間待つ。そして、1週間後の午前中にまた2時間並んで申請をして、夕方ビザを受け取る。インドの役所ってなんでこんなにめんどくさい手続きが多いのだろう。しかも、見ていると要領が悪く、書類さばきが遅いのでえらく待たされる。ビザをとるのも大変だ。
カトマンズは、和食はもちろん韓国、タイ、イタリアンなど、いろんな国の食べ物が、かなり高いクオリティでしかもそこそこ安くで食べられる。だから、毎回の食事は、大きな楽しみのひとつであり、今晩何を食べるかというのは、僕たちの間では、検討すべき最大の案件であった。その日の夜は、韓国料理を食べにいこう、ということになった。
「韓国料理屋に行って何食べるの?俺はプルコギを食べようと思っているけど 」
「私もプルコギって決めてんだ。」
「じゃあ、そろそろ行くか」
「ちょっと待って、買ってきたティカつけていくんだ。」
映子は、昼間に街中で買ってきたティカ(ヒンズー教徒がよくつけている眉間につける朱のこと)を額につけて出て行こうとしている。
「これ、かわいいでしょう?」
「そのティカってどういう意味があるの?」と僕が聞くと
「神の恩恵を示すものらしいよ。神といってもヒンズーの神だけどね。」
「ヒンズー教の神様の恩恵をつけて、プルコギみたいな牛肉焼いたの食べたらバチあたるんじゃないの?」
「・・・」
牛肉とヒンズー教の恩恵どちらをとるか・・・映子は、迷わず牛肉をとったのは、言うまでもない。つけたティカをさっさととって出かけていった。(昭浩)
後日談:この日からすでに1ヶ月以上たつが、その後一度もティカをつけたことはない
今日は、インドのビザ待ちの期間。この機会にカトマンズ観光である。映子がいきいきしている。彼女は、とても観光が好きなのだ。ガイドブックや歴史の本を読んで、まず行く予定の観光ポイントを「予習」する。そして、「予習」した場所に行って、現場を検証する。これが楽しいようだ。僕には、信じられないことだが、映子は、小学生のときから今に至るまで、勉強が好きで、勉強が趣味の人なのだ。少し変っている。だから、旅立つ前には、「予習」も兼ねて、旅行主任者の勉強をし、その試験をクリアしてから来ているから徹底している。
今日の目的地は、ボダナートとパシュパティナートのふたつの寺院。ボダナートは、四方を見つめるブッダの目のある大きなストゥーパで有名なチベット寺院。13年前も「大きいなあ」と感じた記憶があるが、再度見ても予想以上に大きく感じる。パシュパティナートは、火葬ガートのあるヒンズー寺院でお寺のなかは、ヒンズー教徒しか入れないので、ツーリストは、火葬ガートを眺めている。ここでは、やはり、当然なのであるが、人が焼かれていた。普通の焚き火にしか見えない。これが、人が灰になる瞬間というものか・・・。やがて灰は川に流される。(昭浩)
スワヤンブナート、ここは、山の上にブッダの目の入ったストゥーパの立つ、ネパール最古の仏教寺院。下から見上げる、その姿はとてもかっこいいのだが、山の上まで登って見上げてみると…うーん、やっぱり少し離れたところから見た、小山の上からカトマンズを見下ろすようにたっている姿がいい。
スワヤンブナートから小山を下りる階段の出店でタイガームービングゲームを買った。もともと買うつもりはまったくなかったのだが、バイヤーのおやじが粘り強く売り込んでくるので、少しずつ欲しくなってきたのだ。古くからあるネパールの伝統ゲームという言葉が興味をひいた。ルールがまったくわからないのでバイヤーのおやじにゲームをしながら教えてもらう。階段で座り込んでやっていると、だんだんギャラリーが集まってきて、こうやったほうがいい、いやこのコマはこう動かした方がいい、とまわりがアドバイスしはじめる。途中からは、仕事中の警官が俺と勝負しろといわんばかりに僕の相手になった。ルールやコマの動かし方をマスターした僕たちは、その後レストランや宿でタイガームービングゲームやっていたが、必ずネパーリーのギャラリーを集めた。集まったネパーリーのなかでゲームをするのは、楽しかった。僕らがコマを動かすたびに、そうだそうだ、とうなずく者、いやそれはちがう、と嘆く者、コマを勝手にちがうところへ動かしてしまう者、勝負を挑んでくる者、みんないろんなリアクションをする。このゲームシンプルだけどなかなか奥が深く、ネパーリーと一緒に遊べるいいゲームなのである。(昭浩)
今日から1泊2日のラフティングツアーである。ネパールは世界的なトレッキングスポットであると同時に世界屈指のラフティングスポットでもあるのだ。僕たちは、いくつかある川のなかで、カトマンズからそれほど離れていないところの激流であるボテコシ川を選んだ。
ツアーメンバーはイスラエル人5人とイギリス人カップルと僕ら、それとスタッフ。2ボートだったので、当然の流れで、僕たちはイギリス人カップルと同じボートになった。ジョーは、顔も体も細長い逆三角形をしていて赤ら顔でまさにニンジン。その彼女サラは、うさぎに似ている。ふたりは、ニンジンとうさぎというなんとも相性のよさそうな感じのいいカップルだった。僕とニンジンがボートの一番前方、映子とうさぎちゃんがボートのまん中、キャプテンが最後尾というポジションだ。
さて、いよいよ激流に突入。のっけから瀬の連続。瀬のなかでも、キャプテンが「ホールド オン」というまでは、漕がなければいけない。しかし、漕ぐどころか、もうすでにボートから落ちそうな勢いだ。これは、3年前に行った利根川のラフティングの難所と呼ばれるくらいの瀬が当然のごとく次々と現れる。「これだー!このスリル!これこそラフティグだー!」と血が沸くような興奮を覚えた。
激しい流れは、僕らを休みなく翻弄する。それでも少しずつバランスのとり方も慣れてくる。僕の対面に座っているニンジンは、相変わらずフラフラしていてバランスが悪い。陸上でもバランスが悪そうだから仕方がない。危ないなあ、と思っていると、やはり落ちた。スキューバーダイビングで、後ろ宙返りするように海に入っていくバックロールエントリーのような感じで、きれいに川に落ちた。気がついたらニンジンは必死にボートにしがみつこうともがいていた。たいした瀬でもなかったので、ニンジンは「ノープロブレム」と言って笑っていた。
ボートがまっさかさまに落ちていくような瀬をなんとかくぐり抜けて、クリアしていくのだが、今日最大の難所では、またニンジンが落ちた。今度は、まな板の上から転がり落ちるようだった。その瀬では、半分ボートの中に水が入って、ボートは浮いているんだか、水の中にあるんだかわからない状態で、チラと後ろを見ると、映子がプールの中で暴れている子供のようにゴムボートのなかで振り回されている。ニンジンもがんばって耐えていたのだが、ころころと川の中へ転がっていった。キャプテン曰く、今の瀬は、前回来たときは、乗っていた全員が川の中へ落ちた、と言っていた。ニンジンだけで済んだのは、ラッキーだったのかもしれない。(昭浩)
ラフティングの余韻がまだ残っている。楽しかった。もっともっとやりたい。ラフティングをもっと他の激流で挑戦してみたい。カヤックスクールでネパールの川を下れるスキルを身につけ、カヤックでも激流に挑戦してみたい。川下りだけじゃない、カトマンズには、講習をしながら7000m峰を登るという登山講習コースもあったりする。この国は、僕にとって、やりたいことがたくさんありすぎて困る、そんな国なのだ。
>僕は、この国ととても相性がいいのだと思う。相性がいいというニュアンスより「合う」という表現のほうがいいかもしれない。僕は、タイにいたときに自分の旅のスタイルに疑問をもったことがあるが、「合う」場所ではそんな疑問なんてもつ隙すらないんじゃないかって感じた。ようするに疑問を感じるような場所は、その人に合っていないだけで、スタイル云々じゃないってことだ。それは、旅だけじゃなく他でもいえることだと思う。
(昭浩)
今日は、インドビザの受取日。ビザ発行を待つこの一週間は、居心地の良いカトマンズでダラダラとした毎日を送っていた。ビザ待ちという理由にかこつけて、だらけた毎日を正当化していたところもあったので、いよいよビザを受け取ってしまうとカトマンズをそろそろ出なきゃいけない、と後ろから何者かに背中を押される気分になる。もう少しカトマンズにいたい、でもここを立ち去る日が近づいていた。(昭浩)
トレッキング中に仲良くなったポーターのシュリーの家に夕食を招待された。ポーターをやっているネパール人がどこでどんな生活を送っているのか興味があったのでとても楽しみにしていた。彼には、兄一人、姉二人がいて、お姉さんはすでにお嫁にいっている。お兄さんは、インターネットカフェを経営していて、観光シーズンには、ガイドや通訳のような仕事をしている。
>家は、カトマンズの中心から歩いて30分くらいのところにあった。小学校の体育館くらいの畑をはさむように二軒の3階建てレンガと木で造ってある家が、シュリーと彼の親戚の家だ。8畳くらいの長細い部屋ひとつが1フロアの細長い家屋だった。3階の彼の部屋に通されて、そこでいろんな話をしながら、自家製ダルバート(ネパール料理の豆カレー定食)をごちそうになった。全てのネパール人が365日欠かさず食べるこのダルバート、やはり客人をもてなす時もダルバートなのである。ダルバートは、ネパール人のソウルなのである。
シュリーたちとの話で興味深かったのが、カーストについての話だ。最近カーストについて異をとなえる人も増えているというが、カーストによる文化や習慣はネパール人の生活の中に密着しているので、カーストをなくすことはもちろんのこと、違うカースト同士の結婚もいまだ難しいという。もし、違うカーストや外国人と結婚したら、シュリーは一族から去らなければならないだろう、と言っていた。(昭浩)
カトマンズにはペーパークラフトのお店がたくさんあって、注文すると名刺も作ってくれる。和紙のような厚めの紙で、両面を使って、2人の名刺を作ることにした。そこのお店にはデザインを持っていったり、校正したり、何度か足を運び、ブラジルサッカーチームのロナウド似のお兄さんとも顔見知りになった。
その名刺が今日午前中に仕上がるというので、取りに行った。仕上がったのを見てびっくり。思わず「オーマイゴッド」と言ってしまった。“映子”が“英子”になっていたのだ。「これは違う。私の名前じゃない!」
と言うと、ロナウドは違いがわからない様子で、
「これは、あなたが最初に書いてきたものと同じだ」
と言っている。私はキレそうなり、私が持ってきたデザインを見せてくれといったけれど、ここにはないとロナウドは言い、私の怒っている姿を見て、ディスカウントすると言い出した。
「これは私の名前じゃないから、使えない」
と言うと、困った様子で、どうしたらいい?と言われた。
私もどうしたら言いかわからなかった。やり直すといっても、明日カトマンズを発つので、おそらく間に合わないだろう。すると、ロナウドが、
「わかった。夕方までに直せるようにやってみる。夕方もう一度来てくれ」
と言うので、あまり期待もしてないけれど、その場は立ち去った。
そして、夕方、もう一度いってみると、まだできていない。そこで、30分くらい待った。やっと届いた名刺をロナウドは自信たっぷりに見せた。それは、“英”のくさかんむりをとって、横に日へんをつけたバランスの悪い“映”だった。
「これは違う!」
と言っても、ロナウドにはわからないらしく、袋に入れて渡そうとしている。
「日本人にとって、漢字はとても大切なんだ。これとこれは違うよ!」
と私が書いた漢字を見せて、何度も主張したけれど、向こうも一度直しが入っているからか、ディスカウントしようとすらしない。私は覚悟を決めた。
「こんなものにお金は払えない。あなたには、2つ選択肢がある。名刺はここに置いていくからデポジットの500ルピーを返すか、お金はこれ以上払わないけど、私たちが名刺を受け取るか」
すると、ロナウドは、
「Take it!(持っていけ)」
と名刺をこちらに投げるように渡した。
せっかく仲良くなりかけたロナウドとこんな形で終わってしまったことと、名刺のお粗末な出来、ダブルショックのまま、カトマンズ最後の晩餐をした。(映子)
絶滅の危機に瀕しているインドサイが見られる―それが、チトワン国立公園の最大のポイントであろう。はじめて、ここで野生のサイを近くで見た時は興奮した。その、大きくて鎧をつけているような姿、動物園のサイとはちがい、こちらが少しでも変な動きをしたら、時速40キロのスピードで突進してきそうな緊張感を常に漂わせている。サイに襲われそうになったり、近づいてきたりしたら、木に登って逃げる。そんな、エキサイティングな体験をここでしたことがあったので、今回もサイを見にチトワンまでやってきたのだ。
観光客が年々増えているため、宿やサファリを企画するツアーエージェントは、増える一方で、競争が激しい。観光客を紹介すれば、いくばくかの紹介料がもらえるため、カトマンズにいても、バスに乗っていても、いろんなところでいろんな宿を紹介される。彼らは、パンフレットに自分の名前を書いて渡すのだ。チトワンの公園内は、危険なため個人では、なかなか中に入れないため、ツアーエージェント業がもうかる。ホテルなんかにも必ず直営のツアーエージェントがあって、宿代よりもツアーに申し込ませて商売しているのだ。そして、必ず宿に着くと、チトワンでのいろいろなツアーをパーケージにしたものを必死に売り込んでくる。まあ、どこで申し込んでも同じだったらこの宿でまとめてたのんじゃおうか、ってなぐあいに簡単に申し込もうとしたが、なんとなく気が進まないので様子を見てから決めることにした。結果的にパッケージツアーに申し込まなくて大正解だったのだが、それでもよくぼられたものだと思う。
サイは、よほど運が悪くなければ必ず見れるし、何度みても、近くで見るサイは、精悍でカッコイイと思う。それが、見れただけ幸せなのだが、宿や宿のツアーエージェンシーの人はウソばかりつくので、どちらかというと不愉快な思い出のほうが多い。次に来るときは、チトワン国立公園内にある高級ホテルに泊まって王様気分を味わいながらサファリライフをエンジョイするのだ、と心に誓うのだった。(昭浩)
■チトワンでのアクティビティの料金について
チトワンのアクティビティの料金は高い。宿で申し込むとかなり割高(下記参照)。さらにパッケージにすると驚く程割高になる。パッケージ=安いと思ったら大間違い。ドサクサにまぎれて高くなっているケースが多い。下記は、2002年5月時のもので、料金の単位はルピー(1ルピー=1.74円)。チトワンに行く人がいたらぜひ参考にして欲しい。
3泊4日のパッケージの内容 | 料金 | ※単位:ネパールルピー |
公園入園料(1日500×2日) |
1000 |
パッケージの場合、公園にはいるのは、1日で十分なのになぜか2日分のチケット |
エレファントライド(公園の外) |
800 |
安いところで550ルピー。公園内は1000ルピー。詳細は下記参照。 |
カヌーツアー(1時間) | 500 | 安いところで230ルピー賛否両論あり |
ジャングルウォーク | 500 | 安いところで250ルピー。これがメインイベント。 |
牛車で行く小象見学 | 250 | どうして牛車でいかなきゃいけないの? |
ヴィレッジウォーク(タルー族村見物) | 250 | 行ってないのでわからない |
カルチャーショウ(タルー族によるスティックダンス) | 150 |
近くの宿の庭でやっていたのをタダで見たけど・・ |
サイトシーイング(宿のまわりの散歩) | 150 | これでお金をとるのはサギだと思う |
バードウォッチング(公園の外) |
250 |
鳥は、ジャングルォークの時見れると思う。しかも公園の外 |
宿泊代(1部屋100Rs×3泊) | 150 | これは、格安。バス付きでこの値段は普通ない |
バス代(160Rs:ポカラまで、ジープ代込み) | 160 | カトマンズまでも同額。ツーリストバス |
ご飯代(1食100Rs×9食) | 900 | 宿のごはんは、高くておいしくない。 |
合計 | 5060 | ひとつひとつのツアーの料金を足した合計 |
ドル換算(1ドル=77ルピー) | 66ドル | 上記料金をドルに換算した |
パッケージ料金 | 70ドル | なぜかパッケージの方が高いのは、おかしい。 |
カトマンズでの料金 | 100ドル | カトマンズで頼むとやはり高い |
エレファントライドは、ガバメントの象しか公園内には入れないので、ホテルのツアーの者は、全て公園の外。宿側の営業トークは、「ガバメントのエレファントライドは、1時間しかなく、川を渡るのに往復40分はかかるので(実際は往復10分くらいだと思うが・・)20分くらいしか公園内でエレファントライドできないから、サイと出会うチャンスが少ない。こっちの方は、2時間半あるからチャンスは多い」しかし、サイのところまで象に乗って1時間以上歩くので、実際は、宿手配のエレファントライドも30分くらいしか、動物探しはできないのだ。公園の外にもたくさんサイはいるとはいうけれど、それは、なんとでもいえるからね。それに、長時間象に乗っているのは、結構苦痛である。ガバメントのほうが少し値段は高いけどいいんじゃないだろうか?
カヌーツアー&ジャングルウォーク
カヌーツアーは、チトワン国立公園のなかの川、なかなかジープや人の足でいけないところをカヌーで行くものと思っていたが、全然違う。公園の境界線を流れている川を少し下るだけ。片側は、人の住んでいる村や畑がひろがっている。そんなところなので、動物やワニをお目にかかれるとは思えない。そして、カヌーを降りた所から、ソウラハ村に戻るようにジャングル(森)の中の道を帰る。これは、チトワンでのメインのイベントと言えるが、ガイドの腕、動物を探し出せるセンスと経験によって、見られる動物の数も変ってくる。
パッケージには、宿代、交通費、ホットドリンク代、上記表のイベントがついているが、僕らにとってあまり興味深いものが少ない。しかも、公園に入るイベントが少ないのに入園料を2日分払わされるところもいまいち納得がいかない。
個別のオーダーよりもパッケージの方が割高になるのもおかしな話で、よくわからないまま、食事、宿泊全部込みだから、いっかって感じでオーダーするととんでもないことになる。ただでさえ割高な料金を積み上げた金額よりさらに高い、おそろしいことである。しかし、それは、実際に現地にきて見ないとわからないことで、チトワンに来たばかりの時や、カトマンズにいては、よくわからないまま申し込んでしまうのが、現実だ。
宿の人は営業にたけていて、もうすぐに申し込まないと、明日のブッキングができない、とかいったり、町のエージェントはよくお金だけもらって、翌日ガイドが来ないといったトラブルが多いから気を付けたほうがいいとか、いってできるだけ、着いたらすぐに申し込ませるようにするが、そこは、強引に外に出かけていって、情報を集めた方がいい。
僕らは、パッケージにはしなかったものの、ちょっと高かったが、カヌーツアー、ジャングルウォーク、エレファントライドを宿で申し込んだ。しかし、カヌーツアーとジャングルウォークの内容、ガイドの判断力の悪さ、動物を探そうとあまりせず早く帰りたがるガイドの態度などあまりに内容が悪い。
13年前とつい比較してしまうが、その時のガイドは20歳前の小僧だったが、必死にサイを探していたし、ガイドも動物探しを楽しんでいた。今のガイドは、動物探しより、客探しに必死のようだ。
昨日チトワンからポカラに着いた。13年前に出会った旅人を思い出す。
「目玉焼きはどれですかのお」
隣のテーブルから日本語が聞こえてきた。ウエイターは、僕のテーブルにやってきて彼は何と言っているんだと尋ねて来た。
「そっちのテーブルに行っていいですかのお」
「ええ、どうぞ」
僕たちは、一緒に朝食を食べることになった。
>「私は、今年で85歳になるんですが、これがはじめての一人旅なんです。」
「へえ、すごいですねえ」
「子供たちから猛反対されたんですがね、どうしても死ぬ前に一人旅ってやつをしたくてね、家を出てきたんです。昨日インドからバスで来たんですが、8時間もバスに乗ったら、下痢をしちゃいましてね・・・この年でデコボコ道を長い時間乗るのはこたえます。」
当時の僕には、そのおじいさんは、輝いて見えた。スッゲーかっこよかった。自分が85歳になってもあのおじいさんのようでありたい。あれから13年たつが、元気だろうか・・・あのおじいさんのあの時の少年のような笑顔を思い出すとむしょうに、またあのおじいさんに会いたくなる。(昭浩)
ここポカラは、湖と美しいアンナプルナ山群が一望できるところ。トレッキングや近くの山へのハイキングをしなければ、することがないのだ。のどかで、景色の良さだけが取り得で、観光ポイントは極めて少ない。しかも、このところ雲が多く、アンナプルナの山々も見えない。ごはんを食べるときだけ、外に出て、あとは部屋でゴロゴロしていることが多い。しかし、今日は、午前中降っていた雨がやんだので、午後から自転車を借りてサイクリングに出かけた。デビスフォールという小さな滝やチベット避難村、昔の市場があったオールドバザール、これといったとこではないが、まあまあ楽しめる。
サイクリングから戻った頃、晴れた。ようやく、聖なる山マチャプチャレが全貌を現した。アンプルナ1,2,3,4、さらにはマナスルまで見える。よく絵葉書にもなっている美しいパノラマだ。夕日があたってピンク色に染まっている山もある。ずっとずっと暗くなるまで眺めていた。多分これが、ネパールで見るヒマラヤの見納めになるだろう。(昭浩)
僕らの話題といったら、朝、昼、夜、とくに夜ごはん何を食べるかについてと、インドのどこを見て回るかについてだ。インドについては、わずか1ヶ月半の期間で行きたいところがふたりともたくさんありすぎて、どこを削るのかでいつも議論をしている。そうして何もしない1日は過ぎていく。
ただし、厳密には、何もしなかったわけではなく、明日向かうルンビニへのチケットを買うためにいくつかの旅行代理店をまわったり、僕なんかは、ブッダの生まれ故郷に行くため、わざわざ丸坊主にしてきたのだ。しかも、丸坊主にした床屋でちょっとやられてしまった。店に入る前に値段を聞く。ヘアーカット50ルピー(87円)。安い。そして、坊主頭にしてもらう。ヒゲもそってもらう。頭や首をマッサージしてくれる。サービスがいいなあと感心していながら、眠ってしまった。うつろな意識のなか背中もマッサージをしている。途中で起こされて足もマッサージするか?と聞かれた。うん、と答えようとしたら、後ろに座っていた映子が、「これお金かかるんじゃないの?確認したら?」というので、確認すると、床屋のおやじは、裏から675ルピー(1175円)
伝票を持って来た。
「ヘアーカットは50ルピーだけど、マッサージは別だ、さあ払え」と床屋のおやじは言ってきた。
「俺は、聞いていない。50ルピーとしか聞いていないから50ルピーしか払わない」
ととぼけると相手もだんだん険しい顔になって返した。
「お前は、マッサージを受けるかといったらYesといったのだ。だから払え。それじゃあ、75ルピーディスカウントしてやろう。600ルピー払え」と迫る。
しかたがないので、こちらも妥協することにした。
「マッサージ代を払うつもりは全然ない。でもせっかくのマッサージだからお前にチップをやろう。ヘアカット代と合わせて100ルピーだ。この100ルピーを受け取るか、もしそれがイヤなら俺と一緒に警察へ行って白黒つけよう。」
迫真の駆け引きで店主に迫ると、
「オーケーオーケー ハブ ア ナイス デー サー」といって急に礼儀正しいネパール人になった。
ネパールといえども気がぬけないのである。これからやり手の多いインド人相手にやっていけるのだろうか?(昭浩)
ルンビニは、ブッダの生まれたところ。教会で結婚式を挙げ、初詣は神社に行く、とくに、何かを信仰しているわけではない僕にとって、ブッダの生まれたところがどんな意味をもつのかは、あまり理解できない。ネパールからインドに向かう途中にあるので、ちょっとついでに寄っていくか程度の興味なのである。
ここは、もともと何もなかったところである。たまたま、アショカ王の建てた石柱が発掘されて、そこがブッダの生まれたところってことになって、それから一躍スポット浴びた所。そこを、東京都庁を設計した日本が誇る建築家丹下健三のつくったマスタープランと呼ばれる計画にそって、ルンビニのエリアが作られている。今まさにそのエリア造りの途上にある。マスタープランどおり完成するとそこは、水と緑のあふれるお寺のテーマパークのようになるだろう。いろんな国が今お寺を建築中である。しかし、全てが完成するのは、見た感じあと30年以上はかかりそうだ。
中心には唯一の観光資源であるアショカ王の建てた石柱とブッダを産み落とした時につかまったとされる菩提樹とその時沐浴したといわれる沐浴所があるが10分で見終えてしまう。あと今のルンビニにあるのは、雑草と森、造りかけのお寺だけ。ひどく暑いがなにもない、それが僕のルンビニの印象。でも、僕はここルンビニがとても気に入った。
僕たちが泊まったところは、ネパール尼僧寺というお寺。朝と夕方は、尼僧によるお経が聞こえる。巡礼者用の宿泊施設とレストラン、そしてそれ程大きくない経堂とハスの浮かぶ池、すべてが素朴なこのお寺。ここがよかった。なにしろ落ち着く。心が平和になる場所なのだ。経堂でひとり座禅を組んで瞑想をする。だんだん心のうねりがなくなり平穏な気持ちになる。その後見るものが新鮮ですばらしいものに見える。
本当は、もう一週間くらいいたかったのだが、僕たちはそこで二晩お世話になってインドへ向かった。林のなかに沈む夕日を見ながら食べた尼寺のダルバートは、最高においしかった。(昭浩)