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パキスタン旅行記 北パキスタン・フンザ

8月8日〜8月18日

パキスタン入国 8月8日

パキスタン人たちの荷物の多さには閉口させられた。
カラーテレビ、トースター、カセットデッキ、毛布、その他にも重たそうなたくさんの袋の数々。バスの天井に載せる。1mくらいの高さまで積み上げても全部の荷物が載りきれず、後部座席の1/3くらいをつぶして荷物置き場にしている。乗っている客より明らかに荷物の量の方が多い。荷物のエキストラチャージが安いため、この国際バスをトラックがわりにして、中国からいろんなもの輸入しているのだ。
昨日2時間かかってバスに積まれた荷物を、中国側の国境で、X線を通すためだけに全部降ろし、また同じバスに積みなおす。これで3時間ちかく待たされる。非効率きわまりない。

僕たちは、荷物の多いパキスタン人をほっておいてさっさと荷物をX線に通す。その後で係員による荷物チェック。映子と中国人4人は、パスポートチェックで終わりだったのだが、この時なぜか僕だけバッグを開けさせられ、中身をチェックされた。
「ブック?ブック?」
と中国人係員は訪ねるので、僕はいくつかのガイドブックを開けて見せる。
中国人係員は両手で縦にウェーブを描くように手を動かし、女性の体を示すジェスチャーをした。エロ本がお目当てらしい
「ねぇよ、エロ本なんて!」
そう日本語で吐き捨て(実際にはつぶやいて)、バックパックの中身をしまった。
 この辺境の国境地帯で欲求不満なのはわかるし、確かにパキスタンはイスラムの国だからエロ本は持ち込み禁止だけど、それにカコつけて日本人からエロ本巻き上げようなんて不届きな奴。日本の男はエロ本持っている、と思われているのだろうか。それも情けない話だ。それとも僕がエロ顔だったのか。それはもっと情けない。
こうして、タシュカルガンの街で出国手続きを済ましていよいよパキスタンに入る。ここからパキスタンのイミグレーションまで、バスで6時間。その間の景色は見ていて全然飽きない美しさだった。

フンジャラーブ峠が国境線になっている。中国側の方はなだらかな高原のような地形ののどかな景色。放牧しているヤクが見られる。パキスタン側に入ったとたん、急峻な谷間の道に変わる。高い山と山に挟まれているため、景色には広がりがないが、谷を削る激しい川の流れのつくる景色は迫力がある。

フンジャラーブ峠を越えるとカラコルムハイウェイは、急な山道へと様相が変化する。そして、いよいよパキスタンだ

夕方6時ごろスストに着いた。ここのイミグレで入国手続きを済まし、晴れてパキスタン入国。このスストの町にはツーリストは1人もいない。一緒のバスに乗ってきた中国人たちはアフガニスタンにビジネスで行くため、急いでバスを乗り換えて行ってしまった。自分たちだけがこの町に置き去りにされたようだ。少し不安になる。
パキスタンでは、最近物騒な話題が多かった。イスラマバードで白人ツーリストが撃たれた、とか、アメリカンスクールで乱射事件があった、といったテロ絡みだ。タリバンの残党がパキスタン北部に来ている、といったウワサも耳にしていたので、途中どこかでテロに遭ったらやだなあ、とこの時は本気で心配をしていた。(昭浩)

スストからグルミットへ 8月9日

バスがない。国境の町スストから2時間ほど下ったところにあるグルミットの村に行くバスがない。グルミットのさらに先にある北パキスタン最大の街ギルギットへのバスは頻繁に出ている。バスといっても大型バスのことではなく、いわゆるワゴン車のことで、乗る人がいっぱいになったら出発するというもの。だから途中の村までは、行く人は少ないため、バスがないのだ。ギルギット行きに乗せてくれてもよさそうなのだが、ギルギットに行く人を常に優先させてしまうので、結局僕らは乗せてもらえない。
朝からずっと待ちつづけ、午後3時過ぎにようやくバスが来た。長い時間待つということにもこれから慣れていかなければならないのかもしれない。

ギザギザの稜線をもつ、ロッククライマーが喜びそうな山。山と山の間に横たわる大きな氷河。灰色の岩の谷間。たまに現れる、オアシスのような緑の村落。スストからグルミットまでは、絵葉書のカットのような景色が続く。
「パキスタンいいところじゃん!」
心からそう思った。(昭浩)

グルミットの村。頂上付近には雪の残る険しい山に囲まれている
1m間隔にしか板がついていないつり橋。絶対渡れねェー

グルキン氷河とヒクソン・グレイシー 8月10日

グルミット村の上の丘を登ったところでヒクソン・グレイシーに似た大男が現れた。
「ワタシ、ヌールシャ ト イイマス。」
こいつは絶対怪しいに違いないと思った。

小高い丘から見た村の景色。灰色の山と村の緑の対比がいい

今日はグルミットのまわりをトレッキング。小高い丘に登ってそこからの眺めを楽しみ、氷河を渡り、ボルド湖という湖にいって、グルミットの村にもどってくる。だいたい4時間くらいのコース。昼過ぎには一度宿に戻って、夕方フンザ地方の中心カリマバードに向かう予定だった。しかし、予期せぬ出会いによって、大幅に予定が変わる。

「ニホンゴ ベンキョウ シテイマス。イッショニ アルイテ イイデスカ?」
(怪しい。)
「ワタシ アヤシイモノジャ アリマセン」
(ますます怪しい。)
僕はイエスともノーとも言わなかったが、ヒクソン・グレイシーはついてきた。そして、道案内をするかのように僕たちの少し前を歩く。山と氷河とグルミットの村が一望できる丘の上に彼は案内してくれた。すばらしい眺めをたのしみながらも僕は心の中で「こいつは、はたしていい奴なのだろうか?それとも悪い奴なのだろうか?インドだったら最後にバクシーシといってお金を要求してくるのだが…」と考えていた。

「ワタシ トレッキング ノ ガイド シテマス。K2 ニモ イッタコト アリマス」
(きたきた、やはりガイドだったか…)
「じゃあ、僕らからお金とるの?」
「イイエ」
インドの場合こうやって念を押しても最後には「ギブ ミー サムシング」といってくる。パキスタンも似たようなもんだろうと思っている僕はまだ疑っている。

「ワタシ ノ シスター ガ コノチカク ニ イマス。チョット ヨッテ イキマショウ。」とヒクソンが誘ってきた。
出たー。こうやって人を家に誘って、飲み物に睡眠薬入れて、有り金全部持っていく、いわゆる睡眠薬強盗ってヤツか?でも、警戒はするんだけど断れない雰囲気っていうか、なんとなく大丈夫そうな雰囲気ってあるでしょう。そんな雰囲気のなかでのお誘いをムゲには断れないもので、結局その妹の家とやらにいくことになってしまった。
そこは、山の斜面のあんず農園でおばあちゃんやら小さい女の子やらがあんずの収穫のため働いているところだった。それは、どう考えても睡眠薬強盗するような場所ではなかった。ヒクソンはいい人だった。疑っていてごめんよ。妹の嫁いだ家に行ってみてそれがよくわかった。
その家では、もぎたての甘いあんずとチャイをたくさん出してもてなしてくれた。もしよかったらここに泊まっていってもいいんだよ、とまで家の人は言ってくれた。彼らとは、いろんな事を話した。妹さんのだんなさんは、僕に聞いてきた
「タリバンをどう思う?」
僕が答えに困っていると、彼は言った。
「ファッキン タリバン!」
アメリカは好きか?とまた、たずねて来た。
「アメリカ人はいいと思うけど、ブッシュはアホやな」
と答えると大喜びして
「ノー グッド ブッシュ!」と連呼していた。
なんかパキスタン人の生の声ってニュースとかから伝わるものとは違っている。実際にそこにいってみなきゃ、そこに住んでいる人の考えはわからないものだ。

妹の家に行った後、ヒクソンの親戚の家庭を2軒ほどハシゴした。各家でチャイをごちそうになったら、すっかりお腹はタポタポになってしまった。しかも、すでにお昼をまわっている。

グルキン氷河という氷河を渡る。この氷河の上には土やら小石、どこからか削られて運ばれてきた大きな岩までのっかっていて、氷河には見えない。しかし、実際のその上にのってみると確かに足元は氷で歩きにくい。氷でできたギザギザした小山をアップダウンしながら渡るので通れるルートを見つけるのが難しい。ヒクソンがガイドしてくれなかったらうまく渡れなかったかもしれない。ヒクソンは、氷河には隠れクレパスがあって危険だから絶対ひとりでは行ってはいけない、といっていた。昨年も日本人ツーリストがこのすぐ近くにあるパスー氷河のクレパスで亡くなっている。
グルキン氷河を渡った後、ボリド湖で休憩し、さらに、パスー氷河まで歩いたので、グルミットに帰ってきたのは、夕方7時近くだった。カリマバードに向かうバスはなく、グルミットでもう1泊することになった。
ヒクソンは、何の見返りも求めずに、今日一日8時間近く、僕らと一緒に歩いてガイドしてくれたのだ。帰る途中の道では疲れた僕らのために車をヒッチしてくれたりもした。夜には彼の家に案内してくれてスープとチャイをごちそうしてくれた。最初は疑っていたが、ヒクソンには感謝している。K2にいつかトレッキングに行くときはぜひ彼をガイドにして行こう。(昭浩)

北パキスタンには氷河がたくさん。白く美しいパスー氷河

「ここが、グルキン氷河です。」
と、ヌールシャに言われたとき、「えっどこが?」と思った。

氷河って、真っ白い氷の塊があるものと思っていたから。そこには、真っ黒な氷河があった。氷の上に、土とか、石とか、汚れとか、いろんなものがくっついて黒くなっているらしい。でも、歩いているうちに、その黒い中から少し顔をのぞかせる氷が、「あ、氷河なんだな」と思わせてくれた。そして、氷なので、結構滑りやすくて危ない。
そんなところをガイドしてくれた、ヌールシャは本当に親切な人だった。パキスタン人の印象は、彼のおかげでかなり良くなったといえる。最初はすごく疑っていた自分たちが恥ずかしくなってしまうくらいだった。(映子)

ここは、本当に氷河の上?土や石ころだらけのグルキン氷河

フンザ・カリマバードへ 8月11日

僕がどうしても北パキスタンに行きたかったのは、このフンザに来てみたかったからだ。

カリマバードは、日本の誇る登山家・長谷川恒夫さんの遭難したウルタル山群の麓にあるなだらかな斜面に広がる村。緑が美しく、高いポプラの木がいいアクセントになっている。見上げると雪のかぶったウルタルやフンザピーク、レディフィンガーと呼ばれる尖った岩のピークが覆いかぶさるように立っている。谷の向こう側は7800mのラカポシ峰や7200mのディランが大きくどっしりと構えている。宿は、大きな窓から美しい山がいつでも見ることができる、絶好のビューポイント。大きなテラスではくつろぐこともできる。僕たちは、この場所がすっかり気に入ってしまった。

景色はいいけどやることがない。ここ最近忙しく旅してきた僕らは、はじめ時間をもてあましていた。しかし、ゆっくりとした時の流れに慣れてくると、だんだんそこでボーッとしているのが心地よくなってくる。日が暮れはじめると、今日一日という日がとてもかけがえのないものに思えてくる。幸福な空気のなかに浸されていくようだった。(昭浩)

カリマバードとウルタル山群。忘れられないフンザの景色

イーグルネスト 8月12日

カリマバードから3時間程山を登ったところにカリマバードの村が見下ろせる場所に立つイーグルネストというホテルがある。もちろん宿のあるカリマバードからも大変いい眺めが望めるが、山というものは不思議なもので、高い山を高いところからみると、それはさらに高くそして大きく僕たちの前に迫ってくるものなのだ。それに、なにせ僕たちはヒマなのだから、ちょっとしたミニハイキングくらいしないと一日がだらしのないものになってしまう。

そこは、ウルタルが目の前にせまり、垂直に切り立ったがけの上から村が見下ろせる。鳥になった気分。その崖っぷちの岩の上に立ち、谷を見つめていたりすれば、昔ナウシカを見て感動した少女たちは、ナウシカと自分を重ねあわせてみるに違いない。風の谷のナウシカの記憶があやふやな僕だってそうだ。現実の垢にまみれすっかり濁ってしまった瞳に、少年時代の輝きをとりもどして、その絶景にしばらく酔っていた。(昭浩)

悲しい知らせ 8月13日

今日悲しい知らせを聞いた。
友だちが事故で亡くなった。カトマンズで偶然再会した彼だ。
旅の最後の国タイで交通事故で亡くなったのだ。
僕は、驚き、戸惑い、恐怖し、悲しんだ。
でも、本当は彼の死をまだ受け入れられずにいる。
カトマンズでは、輝いた笑顔でチベットに向かったのが印象に残っている。

僕は、旅人のために首にかかったマニ車を回した。
僕は、彼のために祈った。

グルミットのお祭り 8月14日

ポロと聞けばラルフローレンを連想する。そのロゴは、馬に棒を持った人が乗っかっている。それがいったい何なのかは34年の人生のなかで考えたこともなかったし、知る由もなかった。北パキスタン地方は、ポロの発祥の地。そんなところでラッキーにも僕たちはポロの試合を見る機会を得た。

今日は、カリマバードの隣の村、ヒクソンとの出会いの地グルミットでお祭りがあった。その内容は、村の中央にある広場で、歌や寸劇や踊りを村の人々が披露していく。ひとことで言ってしまえば、村ののど自慢&演芸大会といったところだろう。コントなんかは、地元の人にはウケているが、言葉のわからない僕らにとっては???なのである。でも、最後に行われたポロの試合だけはとてもよかった。

馬にのってホッケーをする、これは難易度の高いスポーツだ。馬を自分の思い通りに動かすのだって難しいし、馬に乗りながら地面のボールを棒で打つなんてのも容易ではない。転がるボールを追って馬を走らせる。馬がボールを通り越してしまったり、相手の妨害、たとえば馬で体当たりしたり、アイスホッケーばりの格闘技に近いあたりをかましたり、そんななかでは、なかなかうまく玉を転がすことができない。選手たちは馬の上で棒をブンブン振り回すので、間違って頭とか体とかを棒で殴ってしまわないかと心配してしまう。人の心配ばかりしていられない、フルスイングしてヒットした玉が観客席に勢いよく飛んでくるのをこっちはよけなければいけない。プレイヤーはいいお年のじいさんばかりだけど、迫力ある熱い戦いだった。

今度ラルフローレンのロゴを見るときは、以前とは違う目でみることだろう。熱いじいさんたちの勇姿が蘇るにちがいない。(昭浩)

雨のカリマバードで旅人とたちと話をする 8月15日

ここパキスタンはアジアを横断する旅人が多いように感じる。それは日本からヨーロッパを目指す人もいれば、その逆に西から東へと進む人もいる。例えば、NOBUさんという1996年から世界を旅している長期旅行者。YOSHIさんといって僕たちとは逆周りで一周している人。その他にもモロッコから東へ向かっているカップルや、中央アジアをグルグルしている女性、僕らと同じ東へ向かっている人などたくさんの旅人に出会った。世界のあらゆるところを旅しているそんな旅人からいろんな旅の話を聞かせてもらった。僕たちのこれからの旅への期待が大きく膨らんでいく。同じ旅人の話はガイドブックなんかよりがぜん説得力がある。彼らの話を聞いて、旅の計画にあらたな場所が加わる。
人と出会い、その出会いによってまた旅が膨らんでいく。ただ計画どおりに進むんじゃない。こんな旅が僕はずっとしたかった。 (昭浩)

ラカポシトレッキング 8月17日

■コースタイム:ミナピン村(7:20)→滝(9:40)→第一キャンプ場(10:00)→ビューポイント(11:40)
ビューポイント(12:20)→第一キャンプ場(13:20)→ミナピン村(15:15)→カリマバード(18:00)

この迫力に勝る景色というのは、世界中探してもそうあるもんじゃないと思う。

カリマバードから車で30分さらに徒歩1時間いったところにある、ミナピン村。そこから4時間以上登りつづけてようやく出会えた。7800mのラカポシと7200mのディラン峰、その間にかかるつり橋のように険しい峰が続いている。これ以上近づくとそのパノラマは僕の視界からオバーフローしてしまう、そんなところに僕たちは立ちすくんでいる。カメラのファインダーにはとうていおさまりきらない大パノラマを前に僕たちはなすすべがない。ラカポシから流れる氷河とディランから流れる氷河が足元で合流して、たくさんの高層ビルがなぎ倒しにあっているように、たくさんの氷の塔が荒々しくそびえ立っている。
「スゲェー」「スゲェー」こんな言葉しか出てこない。感動だ。
ここは、たった一日のトレッキングで超大迫力の景色が見れるすばらしいところだ。北パキスタンを訪れる機会があったら、ぜひ行ってみてほしい。(昭浩)

写真左奥が7200mのディラン峰。右手前には7800mのラカポシ峰があるが、ファインダーにおさまらない

思い出いっぱいのフンザ 8月18日

「ジー」「ジー」
そう呟きながら料理を運んでくる。
僕たちの泊まっているハイダーインという宿のオーナーのじいさんは、みんなから「じぃ」と呼ばれている。それを意識しているのか、そのじいさんはいつも「ジー」「ジー」と言っている。あまり旅人に干渉せず、必要なときにたよりになる。いつでも温かく迎えてくれる。そんなじいさんとも今日でお別れだ

じいさんをはじめとするやさしいフンザの人々、もぎたてのアプリコットを持っていけと持ちきれないほどのアプリコットをくれたり、道を歩いていれば必ず乗っていけと車に乗せてくれる。そんな親切な出会いに満ちた場所
ここには、また絶対来ようと思う。 (昭浩)

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