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南アフリカ共和国旅行記 アフリカ縦断・ケープタウン編

 

5月30日〜6月10日

南アフリカ入国  5月30日

マプトでバスに乗り込んだときからすでに変わっていた。
フカフカシート、道路からの振動を吸収しているエアーサスペンション、エアコンの効いた車内、開かない窓ガラス。座席も通路をはさんで2列3列横5人座りから2列2列の横4人座りへとかわり、そのぶんシートの幅も広くなった。
これまでのバスならフロントガラスにひとつやふたつヒビが入っていたもんだが、そんなもの新型バスには当然ありゃしない。
快適なバスっていいな、と思えたのは最初のうちだけだった。快適すぎて眠れない。ある程度ガタゴト揺れてくれたほうがよく眠れた。次の町や村では何が買えるかなと楽しみにしていた車上での買い食いも窓が開かないとあってはできやしない。そもそも、窓越しにものを売る売り子もいない。バスの上で買ったキャッサバのフライ、チキン、串焼き、カシューナッツ、バナナ、ミカン・・・今となっては懐かしい。もっと買い食いしておけばよかった。

国境を越える。南アフリカ側に入るとき、なぜか靴の裏をぬれ雑巾で拭かされる。イミグレで少しもめた。日本人は3ヶ月のビザがもらえるはずなのに1ヶ月しかくれない。窓口の黒人の係員は僕が一生懸命説明しても聞き入れてくれない。なんかイヤな感じ。

南アフリカに入ると景色が少しかわる。それまで雑草がボソボソ生えた野放しのサバンナだったが、かわって整備された大農場が広がっていた。延々と続くサトウキビ畑、1本1本整然と並んでいかにもきちんと管理されているといった様子のオレンジ畑。放牧地帯にもしっかり柵がされている。牛や羊が道路に出てきてその度にバスが止まるということはもうない。

途中で停車したガソリンスタンドはスーパーマーケットが併設されていた。中にはおいしそうなものがきれいに並んでいた。野菜、肉、ジュース、雑貨などなど。それらはこれまでのアフリカのお店みたいに、ただ置かれている、というのではなく、ディスプレイされているといった感じ。購買意欲を刺激される。飲み物コーナーでは、先進国以外ではあんまり見ることのない、紅茶のペットボトルやスポーツドリンクなんかも置いてあった。

バスが進むにつれ、ある不安が頭をもたげてくる。それはヨハネスブルグのことだ。アフリカ最大の都市ヨハネスブルグ、ここのタウンタウンは世界で最も危険なところとして有名なところ。少し歩いただけで十中八九強盗にやられ、ボコボコにされて身ぐるみはがされる。そのヨハネスのど真ん中にあるパークステーション。ヨハネスブルグ中央駅とバスターミナルの入った複合施設。そこは警備はいるというものの油断はできない。

ヨハネスブルグまであと何kmと標識が見えるたびに僕らはおびえた。遠くに高層ビルが見えたときすぐにそれがヨハネスブルグだとわかった。その大都会の中心部へとバスは入っていく。殺伐とした北斗の拳の世界をイメージしていたが、実際はたくさんの人でにぎわう活気のある下町の雰囲気。もちろん、そこにいるのはほとんど黒人だったが・・・ここにいる人たちはやられないのだろうか?

パークステーションも危険だから行くな、とガイドブックには書いてあったが、建物の中はたくさん警備員や警察がいて大丈夫そう。僕らのようなツーリストは見かけなかったが、白人、インド系、中国系、黒人・・・いろんなタイプの人々が電車やバスを待っていた。僕たちはそこでケープタウン行きのバスに乗り換える。もう日も暮れてすっかり暗くなった頃ケープタウン行きバスは出発する。大都会だけど夜の街にはほとんど人の姿はなかった。ゴーストタウンのようだった。(昭浩)

ケープタウン 5月31日

暑いアフリカを抜けたのだなと感じた。バスのなかで、ありったけの衣類を着込んでいるのに寒い。こんな寒さを感じたのはヨルダン以来。かなり南に来たということか。朝8時ガソリンスタンドの電光掲示板に表示された気温は8℃。吐く息も白い。冬じゃんこれじゃ。暑いのもイヤだけど寒いのもイヤだ。

寒さも落ち着いた昼過ぎケープタウンに着いた。この街のシンボルテーブルマウンテンは想像していた以上に大きく美しかった。そのすそ野に広がるビル群、美しい自然のなかの都会、それがケープタウンだった。

カイロからケープタウン、アフリカ縦断最後の街へ来たというのに心からの喜びはないのはどうしてだろう。それは物騒になる週末にケープタウンに着いたので、宿に着くまでは安心できないぞという緊張感のためか、喜望峰こそがゴールだからまだまだという気持ちからか、感動する心が磨り減ってしまったためか、単に疲れているだけなのか、わからない。

人通りの少ない土曜の午後の街はヤバイ雰囲気が漂っていた。実際ヤバそうなヤツがからんできたり、安全そうなセブンイレブンでも少し頭がおかしい変な黒人に物をせびられ追いかけまわされたりした。これまでも黒人に囲まれて旅してきたけど、この国はそのなかでも特に身の危険を感じる。

危険を感じつつも夜ごはんを食べるため外に出た。宿から歩いて3分ほどのところにある寿司屋にいった。スシを食べるのは日本を出て以来だから1年半ぶりということになる。ダシの効いたつゆに浸かった揚げ出し豆腐、油の乗ったトロにサーモンのニギリ、ネタも大きい。食べたとき、「こんなウマイもの毎日食べていたいねえ」なんて言ってたけど、全部食べ終えてしまうともうスシはしばらくいいや、おなかいっぱいでもう十分って気になる。あれほど夢みたスシなのに、すっかりそれまでのスシに対する情熱も冷めてしまっている。薄情なもんだ。

「あれほど待ち焦がれた日本食だけど、食べてしまうと、あれっこんなもの、って感じがする。旅していると日本食がとても美化されてしまっているけど日本へ帰ると、旅先での食べ物もあれはあれでよかったなと思うよ。」
1年間の旅を終えた友人が帰国後送ってくれたメールの内容を思い出す。
マラウィ、モザンビークと1ヶ月近くチキン&ライスばかりだったので、もうそのテのものはごめんだと思っているが、そんなものも懐かしく、あれはあれでうまかったと思える日が来るのだろう。(昭浩)

近くの公園から見えるテーブルマウンテン。のどかそうに見える街だが・・・

ウォーターフロント 6月1日

美しい街だ。ケープタウンは今回の旅での最も美しい街ランクの2位以内に入る。イスタンブールといい勝負、甲乙つけがたい。特に今日行ったウォーターフロントエリアから見るといっそうその美しさが引き立つ。ウォーターフロントはお台場より少し規模を大きくしたようなショッピングモール。小さなヨットハーバーに面したデッキにはレストランが並んでいて、そんなところもお台場と似ている。目の前には、レインボーブリッジではなくテーブルマウンテンがある。ずっしりと大きくそれでいてきれい。人の目を惹きつけてやまないその姿。港の爽やかな感じとテーブルマウンテンの雄大な感じとがたいへんよくマッチしていて、それは風光明媚という一言では片付けられない魅力あふれた光景だ。

おしゃれなレストランのテラスでその景観を楽しみ、その雰囲気を堪能した。モールでは新しいズボンを買いかえた。Tシャツはあいかわらず薄汚れていたが、つぎはぎだらけのズボンが新しくなるだけでだいぶ気分は違う。モザンビークまではそんなこと気にもならなかったが、ここはそういうことが気になってくるところなのだ。

ウォーターフロントは日曜日ということもあって家族連れでにぎわっていたが、それとは対照的にダウンタウンは人気がなく、シンナーでもやっているのかフラフラした黒人がストリートにちらほらいるのが気味悪く、危険な空気が流れていた。(昭浩)

ウォーターフロントから見たテーブルマウンテン。見てるだけで心が軽やかになる

ケープタウンであった日本人 6月2日

ケープタウンはアフリカ南端の街だけあって、宿にはけっこう日本人が滞在している。僕たちと同じくアフリカ縦断を終えた人たちも多い。ケープタウンでチケットを買い、あるものは南米大陸を目指し、あるものは日本に帰るため一旦バンコクを目指す。

大将
はじめて会ったのがシリアのパルミラ。その後、シリアのラタキア、レバノンのベイルート、ヨルダンのアンマンで会い、エジプトのダハブではいっしょにさざえを採った。それからスーダンのハルツーム、エチオピアのゴンダール、ケニアのナイロビ。最後のケープタウンでは、大将がパリへ飛ぶため空港へと向かう直前、ばったりとちょうどチェックインしてきた僕らと会った。9回も会うとは、僕らの旅のなかでは最高記録。パリからロンドンに行き、アメリカに行ったが、もしかしたら中南米でもまた会うかもしれない。

内山さん
最初に見かけたのはラオスのヴァンビエン近くにある洞窟のなか。はじめて話をしたのが、ラオスのサワンナケートのバス停。旅のルートはだいたい同じで、内山さんのほうが僕らより先を進んでいたが、ジンバブエのハラレで3ヶ月くらい沈没しているうちに僕らがケープタウンで追いついた。まさかケープタウンでばったり会うとは思っていないから、お互いびっくり。1年4ヶ月ぶりの再会だった。
フラフラとよってくる黒人が嫌いらしく、ケープタウンのダウンタウンで黒人に往復ビンタをかましたという。勇気あるなあ。

りゅうすけくん
ケープタウンに語学留学のためにやってきた慶応大学生。ホームステイ先が決まるまで同じ宿で泊まっていていっしょにごはんを作っていた。坂口憲二似の美男子で笑うと崩れた顔に愛嬌がある。なぜケープタウンで語学留学なの?という疑問を初め持ったが、よく考えれば、アメリカやオーストラリア、イギリスに比べ物価も授業料も安い。日本人があんまりいないから日常生活でも英語を話す機会が多く、語学習得にはいい環境。さらに景観のすぐれたケープタウン。なかなかいい選択だと思った。語学留学の理由は、彼の深いところからくる意志の表れで、自分の夢に向かってあきらめずに前向きな姿勢は見習わなきゃいけないなと思った。ホームページはりゅうすけくんの人柄がよくでている。

石塚夫婦
私たちと同じようなルートで旅をしてきたけれど不思議と今までに会ったことがなかった。(どこかですれ違っているかもしれない・・・)だんなさんは、最近日本から送ってもらったデジカメが自慢らしく、とてもうれしそうに見せてくれた。奥さんは小柄な人で、会うと「どうもどうも」とあいさつしてくれる。

タクくん
会社をやめて、日本各地や世界をサーフトリップしている。J-BAYでサーフィンを2ヶ月やったあとケープタウンにやってきた。虫歯が気になるらしく、いつも歯を磨いている。喜望峰にいっしょにいったときも歯を磨き、テーブルマウンテンの上でも歯を磨いていた。いきつけの歯医者はヤブだ、といいながら歯医者を変えようとしない。ケープタウンで別れた後、ナミビア、ザンビアとまわり、日本のヤブの歯医者のもとへ歯の治療のため帰っていった。

りゅうすけさん
寅年生まれのバーテンダー。相模大野出身。南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカといままでいろんなところを旅してきた。アフリカもチャドとかカメルーンなど人と違ったところに行ってる。職業柄お酒が好きで、いっしょにワインを飲んだ。

ちなつさん
年は私の一つ下。南アフリカから南米に行って帰ってきたところ。コロンビアでは友達が撃たれて怪我をしたとか、それでも一番好きな国だそうだ。これからナミビアに行ってエジプトに飛んでから南下、アフリカ縦断予定。

ケープタウンの宿キャット&ムースの食堂。ここにいろんな旅人が集う

シーポイント  6月3日

シーポイント、いい名前だ。海の近くの落ち着いた感じの宿を探したい私たちは、宿探しのためにシーポイントへ行った。ところが、そこには期待していたような宿はなかった。それどころか、町の雰囲気自体が想像していたのとちょっと違う。老人が多く、若者はあまりいない。そして、治安もダウンタウンより良いのかと思っていたら、怪しげな人が結構いる。その上、海沿いの遊歩道は人影もまばらで、あまりきれいではなく、うんこくさい。ここでしばらく過ごしたいとはとても思えなかった。

もう昼ごはん食べて帰ろう、と思っていたら、インターネットが1時間10Rのところを見つけた。そこのコンピューターは、1台日本語が入っていた。おじさんはとてもいい人で、もう1台はご飯を食べている間に使えるようにしてくれた。おかげで3時間もやってしまった。それでもロングストリート沿いのインターネットカフェの3分の1の値段だから、ここまで来るバス代を入れてもやっぱりお得である。そのことにだけ、とても満足して帰途に着いた。(映子)

ケープタウンの治安は比較的マシだといわれている。でも本当にそうなんだろうか?

今日、駅で人が刺されていた。警官と野次馬が刺された人を取り囲んでいたが、その隙間から腹をさされた白人が倒れているのが見えた。たくさんの血も構内のフロアーに散っていた。
昨日はダウンタウンで銀行強盗があった。
ザンジバルで会った日本人の旅行者はシティバンクのカードをATMで奪われた。(暗証番号を盗み見していたらしい)

通りを歩いていても変な奴が近寄ってくる。そんなときは通りを渡って大きく迂回し、半径3m以内に変なのがはいってこないようにしている。公園ではたくさんのリスがいたり、ダウンタウンからも見上げるとテーブルマウンテンがあったりして、爽やかで平和な雰囲気もあるのだが、油断はできない。
だんだんとケープタウンの治安も悪くなっていると聞く。いい街なだけに残念に思える。(昭浩)

ケープ半島一日ツアー   6月5日

いよいよ憧れの喜望峰である。わくわくしながら出発した。

ホウト湾からドイカー島へ、小さな船で
アザラシを見に行く
ボルダーズビーチのペンギン。ヒョコヒョコ歩く姿が超かわいい
 

喜望峰へと向かう。自転車で海沿いのバスコダガマのクロスのところまで行った。最初から海が見えて、とても気持ちのいいサイクリングロードだった。時々車も来るけど、私たちは気にせず快調に飛ばしていった。海と平原が広がっているその景色は、全然期待してなかったけど、最高によかった。

ランチの後、やっと喜望峰を見る。ケープポイントから見たその姿は、絵葉書よりも全然きれい。天気が最高によくて、海は吸い込まれそうなくらい果てしなく青かった。そこから歩いて喜望峰へ。ディアスビーチを下に見ながら、整備された道を歩く。風がとても強くて、寒くなったり、日差しが強くて、また歩いているうちに暑くなったりする。がけっぷちのところで、ツアーのみんなが休憩していた。ここが先っぽ?喜望峰の看板は?と思っていると、どうやらこの下らしいと判明。

喜望峰・・・多くの者がこの地に憧れ、そしてここを目指して長い旅をする

急な坂道を下っていって、やっとアフリカ最南西端に到着した。今までアフリカを縦断してきたいろんな思い出が走馬灯のように・・・というのを想像していたけれど、実際はもっとあっさりしたもんだった。というのもみんなはさめているのか、そこに着いてすぐに写真もロクに撮らずに、バスに乗ってしまったのだ。私たちはもっと感傷に浸りたかったのに・・・。こうして、「アフリカ縦断」と呼ばれている旅はあっけなく終わりを告げた。(映子)

やっと着いた。CAPE OF GOOD HOPE看板のところで急いで記念撮影

テーブルマウンテン  6月6日

テーブルマウンテンのテーブルの上はどうなっているんだろう?そんな好奇心で登り始めた。といっても途中まで(麓まで)タクシーで行った。私とあきちゃんと、昨日も一緒にツアーに行ったタクさんの三人だった。
岩ごつごつの登山道。急なところもある。スタートから景色がよく、振り向けばいつも町を見下ろせた。汗がじわじわでてきた。あきちゃんは、すでに汗びっしょりだ。(いつものことだが)
さっきのタクシーの運ちゃんは、勘違いしてるのか登るのに3時間かかるといっていたが、1時間半でテーブルの上に到着した。そこは、テーブルとしては大きいが、平原としては小さいという感じで本当に平らだった。しかし、歩いてみると結構な広さがあって見晴らしのいいポイントがいっぱいあって、結局3時間くらいそこにいた。

まず、ケープ半島全景がケープポイントまで見渡せて感動。そして、テーブルの上で最も高いところまで歩くと、ロベン島の方が見える。さらに歩いてケーブルカーステーションまで行くと、整備された遊歩道がある。そこを歩くと、ダッシーというマーモットみたいなやつが2,3匹出てくるし、景色はどこも良い。切り立った崖の向こうにケープ半島、そして右側にライオンズヘッド、ケープタウンの街、そしてまたテーブルマウンテンの崖が見える。もういいかげんお腹すいてきたけど、いつまでも見ていたい景色だった。この日の海の青さを忘れないようにしようと思った。長い道のり、アフリカを縦断してここまで来れたんだという実感がやっと少しわいた瞬間だった。(映子)

テーブルマウンテンよりケープタウンの街を望む。遠くにはロベン島も見える
このあたりでよく見かけるダッシー

アパルトヘイトの影響の残るこの国 6月8日

アパルトヘイト(人種隔離政策)をはじめて聞いたとき、ひどいことをするもんだと思った。南アフリカの白人はなんてひどい奴らなんだ。お前たちは何様のつもりじゃ、そんな憤りを覚えたものだ。
しかし、この国に来てみるとどうか、あらあらここに住む白人たちはみんなフレンドリーで親切。それに比べて黒人は通りでシンナーやって、うつろな目つきでフラフラと、そして物をたかりに寄ってくる。
人種隔離するのは絶対によくないと思うが、人種隔離される側にも問題があるんじゃないかって思えてくる。確かに黒人の中にはいい奴はいっぱいいる。一生懸命がんばっている黒人には本当にがんばってほしいと思う。だけど、ロクでもないのが多いのも事実。

BMWやワーゲンなどのきれいな乗用車にのっているのはほとんどが白人。ミニバスタクシーにぎゅうぎゅうに押し込まれているのは全員黒人。道を走り行く車を見ていてもこの国の状況が端的に見えてしまう。力仕事はほとんど黒人。マネージメントの仕事は白人、必ずしも全部ではないけど概ねそんな感じだ。
バスや電車にのっていると、明らかにアパルトヘイトの名残とわかる黒人居住区が見られる。アパルトヘイトは廃止されている今、黒人はそこに住まなきゃいけないなんてことはないけど、結局引越しもせずにいるから黒人居住区は昔のまま残っている。それと同様アパルトヘイトの影響はまだまだ残っているんだと思う。

僕は、この国の白人と黒人を見ていて、ふと日本が気になるときがある。最近外国企業が日本の銀行や自動車会社を買収したりしているが、日本もうかうかしていると西欧人にやらてしまうんじゃないか、そんな不安がよぎる。西欧人は合理的で礼儀正しいんだけど、ずるいなあ、と思うことがしばしばある。とっても悪意のある言い方をすると、この国では黒人が働き白人が搾取している、そんな風にもとらえられてしまう部分が少なからずある。日本も同じような状況にならないとも限らないと少し危惧してしまうのである。(昭浩)

南アフリカ、ワインランド 6月9日

ワイナリーをめぐる旅・・・日本にいたころからあこがれていた。おいしいワインをテイスティングしながら探す、ぶどう畑の広がる牧歌的な景色のなかワイナリーをめぐる、そんな旅だ。

最初に訪れたワイナリーは別称「空の中のワイン畑」と言われるところ。ごつごつとした山々に囲まれた谷あいの段丘のうえ、浮かぶようにぶどう畑が広がっている。そのブドウ畑のぶどうから作られた地ワインをテイスティング。白と赤3種類ずつのワインを飲み比べる。
次に訪れたワイナリーは、高原の牧場を思わせる感じのところで、そこの緑が鮮やかな芝のガーデンで5種類のワインをテイスティング。雰囲気だけで酔ってしまいそうな自然に囲まれた場所でいろんなワインが飲める幸せ、極楽とはこういうことを言うのだろう。

僕はあまりお酒が強くないので、好みでないワインは一口飲んだらあとは捨ててしまう。映子はそんな僕をやや軽蔑の目で見ながら、
「村上家(映子の実家)では酒を捨てるのなんか許されへん!酒の一滴は血の一滴や!」と言っては全部飲み干していた。

昼食のときも、グラスワインをオーダーして気持ちよさそうに飲んで、
もう最高に気分ええわ。ここにうちのおとん連れてこなあかんわ。」
と上機嫌。僕はコーラを飲みながら、テンションあがってやたらしゃべりまくる映子の言葉に相槌をうつばかりある。

昼食の後、移動する車のなかで30分ほどふたりとも眠った。
気分悪いわ。」
3番目のワイナリーに着くなり映子が言った。昼ごはんのとき赤かった顔の色が青くなっている。
「あかん、トイレ行ってくるわ。」
そういってトイレに行って吐こうと試みた映子だったが、吐けずに気持ち悪いまま午後のワイナリーめぐりへと続いた。
3番目のワイナリーで8種類、4番目のワイナリーで6種類のワインをテイスティングできたのだが、映子は手がつけられない状態。見るのもイヤみたい。楽しみにしていたチーズのテイスティングも不完全燃焼。
終始調子を崩さず、最後にはチーズをばくばくとテイスティングして、ちゃっかりおいしいブルーチーズとカマンベールを買っている僕を、映子は驚きのまなざしで見ていた。
映子は宿に戻ってからも気持ち悪いといって、ごはんも食べずにベッドへと向かったのだった。(昭浩)

ぶどう畑が広がるワインランド
緑のなかでワインをテイスティング。このときまでは絶好調だった・・・

メトロ 6月10日

メトロと聞けば誰だって地下鉄と思う。しかし、ここ南アフリカでは近距離列車のことをいう。ステレンボッシュへの行き帰りはこのメトロを使った。はじめこのメトロを使おうかどうしようか迷った。危険じゃないのか?そんな懸念があったからだ。ヨハネスブルグ〜プレトリアのメトロでよく強盗が出没する話は有名だが、ここケープタウンではどうなんだろう?

何年か前に子供がこのメトロのなかで殺された。その両親がメトロを訴えて、裁判で両親側が勝った。それからは警備を強化しているので、今は大丈夫らしい。本当かな?

3日前はじめてメトロに乗った。ビクビクしながらできるだけ変な人の乗っていない車両を探した。誰もいない車両に乗り込む。隣の車両への扉は錠がかかっていてしまっている。ドアがしまるとそこは密室となる。それがなんかこわい。次の駅で黒人のおっさんがのってきて僕らをドキドキさせた。
途中の駅でセキュリティの人が何人か乗り込んできた。彼らは弓を持っていた。別の駅にもセキュリティの人がいて、その人たちは棍棒を持っていた。たくさんのセキュリティがちょくちょくいるので大丈夫そうな感じではある。

今日のセキュリティはさらに頼もしいものだった。車内に6人くらいで勢いよく流れ込んできて、
「我々は危険な人間を探している」
といって女性以外の乗客に対しボディチェックをはじめる。外人の僕も例外にもれずボディチェックを受ける。彼らは防弾チョッキを着て、腰には銃を携帯している。こいつは頼もしい、と喜んでもいられない。やはりメトロは危険なのかなあ?そんな疑問も湧いてくる。セキュリティがいっぱいいるから安全ともいえるし、それくらいセキュリティがいないといけないくらい危険ともいえる。

それにしてもはじめに会ったセキュリティはどうして弓なんかをもっていたのだろう。小学生が作ったようなしょぼい造りで、矢のやじりはとがった石がくっついていたが・・・(昭浩)

アフリカ縦断を終えて

 アフリカを縦断するということは僕たちにとってひとつの挑戦だった。
アフリカ大陸を陸路で縦断するなんてことは、ロケットにのって月旅行にいくのと同じくらい途方もないことのように感じていたものだ。

日本で旅行の計画を練っているときは、マラリア、寄生虫、強盗、ゲリラ、困難な移動といったいろんなマイナスな要素が僕たちを不安にさせ、踏み出すことを躊躇させた。
やろう、と決めた。一歩踏み出した。気がついたら喜望峰にたどりついていた。終わってみるとそんな感じ。

アフリカの旅は労が多い割りに見所が多くない。
しかし、時たま魂が揺さぶられるような感動や出会いが訪れる。身を削るようにして旅したアフリカでの苦しみや傷だってやがて旅の記憶へと変わり、強い印象を与えたままいつまでも心に残るだろう。

確かなことは、苦難や喜びも含めて二人でアフリカ大陸を共有したってことが僕たちにとってなによりの財産だということだ。

ごめん。ウソ。最後の言葉はウソだ。
正直いうと、そんなこと今の本心ではない。いつかそんなふうに思えたらいいなあ、最後の言葉はそんな希望である。
これで僕たちの一生に一度のアフリカ縦断の旅が終わった。

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