3月9日〜3月11日
サンライズは再びアンコールワットへ。
バイクタクシーの兄ちゃんは、3日連続の早起きに少しうんざりしていた。
でも、私たちにとってはこれが最後の日。
アンコールワットは何回行ってもいい。
今日は西池から見ていてバッチリ見えたので、だんな(昭浩)は大満足。
私は、いつもと違ってオレンジ色の太陽にちょっと裏切られたような、あれれ?という感じだった。
アンコールワットの周辺の遺跡は、かなりたくさんあって、今日は、とにかくたくさん周った。
チャウサイデボーダ、トマノン、タケウ、タプローム、バンテアイ・クディ、東メボン、タソム、ニャックポアン、プリアカン。
どこもそれぞれに良かった。途中で暑くて何度もくじけそうになった。
でも、今はたくさん行って良かったなと思う。
最初行くつもりなくて、意外と良かったのが東メボン。
ここは、レンガ造りで、他の所とは違う雰囲気が良かった。
タケウは、作りかけで完成してないのに、すごく規模が大きくてびっくりした。
タプロームは、広くて、行き止まりが多くて、迷路みたい。建物に木がくいこんでいて、そのくいこみ方が半端じゃない。
最後のプリアカンは、二層構造の建物もいいけど、それ以外にも、神々と阿修羅の彫刻、そしてレリーフが良かった。 サンセットは、アンコールワットの建物の上で。
今日はきれいに見えたのに、係りの人に「Go Down」と言われて、夕日と一緒に自分も下りていったので、ちゃんと見れなかった。
最後なのに残念。せめてサンセットまで待ってくれればいいのに・・・。(映子)
アンコールワットのサンライズの写真を撮るなら、西池からが一番いいと思う。多くの団体ツアーの人たちが参道の横でサンライズを待っているが、そこからだと見るにはいいが、写真を撮ろうとすると、望遠レンズでも持っていない限り、アンコールワットが小さく写ってしまって、ウンコみたいな写真になってしまうのだ。
初日はそれで失敗した。
ホームページにウンコを載せるわけにはいかないので、最終日の今日(3日券を僕たちは買った)、もう一度アンコールワットに日の出の写真を撮りにいった。
思う存分写真を撮ったので、その日はもう十分満足であった。
その後、惰性でまわった遺跡が予想に反して良かった。
アンコールワットとバイヨンを見たら、その後の遺跡はしょぼいものに見えるだろうと思っていたが、どれも個性があって、それぞれ雰囲気も違うので良かった。
しかし、暑い。
この暑さは尋常ではない。
毎日、午後からは昼寝をしているので遺跡をまわるのは午前中だけにしているのだが、それでもこの暑さはこたえる。
願うことなら、1週間券を買って、日の出から10時まで観光、そのあと一流ホテルでランチを食べ、プールサイドで昼寝、そして、夕方にサンセットを見に行く、そんなノーブルなアンコールめぐりをしたいものだ。(昭浩)
日本人12人でミニバスに乗って、ベンメリアへ行った。
ここも、アンコール遺跡の1つだけれど、離れていて、わりと最近開放されたらしい。
チケットはいらなかった。
道は途中まで舗装されていたけれど、途中から、穴ボコボコの土の道。結構揺れたけど、前の席だったし、よく寝ていたので大丈夫だった。
車から降りて、しばらく歩いていくと、崩れかけた建物に、木が生えている。
そこがベンメリアだった。
正確には木の力によって壊された建物といった方がいいだろう。
入り口から中に入ると、崩れた石が積みあがっているので、中の空間はほとんどない。
いきなり石を登っていかなければ、前には進めないのだ。
なぜか子供たちが案内してくれる。
ここにアプサラがあるよ、とか、亀の彫刻とか、顔が彫られている所とか、教えてくれる。
中は、幻想的な雰囲気だった。
他の遺跡とはちょっと違う。少し薄暗くて、でも木々の間から光が入ってきて、不思議な空間だ。
そしてまた、迷路のようでもあった。案内してもらわないと、どこに行っていいのかわからなくなる。
すごく広くて、もしかしたら、アンコールワットよりすごい所だったのかも?と思わせる。
でも、自然の力には勝てないのだ。
ここは、自然と人工的なものとが共存しているようだ。
少し石が落ちてきそうで、危なげな所もあるけれど・・・。
全体が木に覆われているので、遺跡の周りは木陰ができて涼しい。
でも、すぐ近くには、地雷がたくさんあるらしい。
撤去したというマークや、地雷危険!のマークがあちこちにあった。
案内してくれた子供たちには、お礼にアメをあげたけど、後で、だんな(昭浩)に「ワンダラー(1ドルくれ)」と言ってきた。
少しさみしい気がした。(映子)
僕は、どちらかというとアニメ映画とか見るほうで、とくに冒険ものが好きだ。
だから、このベンメリアを見た時は、興奮した。
そこに、ラピュタがあったからだ。
くずれた石の遺跡に木やコケがまとわりついている。
ベンメリアは、他の遺跡と違って、観光するように整備されていないので、くずれた石をよじのぼり、跳び越え、くぐりぬけながら、迷路のような遺跡を探険していく。
ラピュタの主人公になった気分だ。
この遺跡のまわりには、まだ撤去されていない地雷がたくさんあるようで、小道すぐ脇には、地雷が埋まっていることを示す4本の杭がたっている。
まわりを見渡しても、そこらじゅうに地雷が埋まっているようだ。
うっかり立ちションベンもできやしない。
地雷に囲まれたラピュタは、幻の国の遺跡のように思えた。
あと、遺跡のそばにある有料トイレは、いい商売だなと思った。(昭浩)
プノンペンでの失敗にもめげず、また自転車をレンタルして、地雷博物館へ行った。
そこをつくったアキ・ラーさんには会えなかった。
そこには、庭にも、建物の中にも、たくさんの地雷があった。
そして、内戦の様子を描いた絵があった。なぜか写真よりもリアリティがあった。
アンコールワットのところで戦っている絵があった。そんなこと、何も知らずに行ってたんだなあと思った。
カンボジアの内戦の歴史は、とても複雑で、ガイドブックの「カンボジアの歴史」のところを何回読んでも、理解できずにいたけれど、アキ・ラーさんの冊子を読んで、少しはわかった気がする。
彼は、私と同じ年なのに、すごい、えらいと思う。 地雷で死んでしまう人や、足をなくしてしまう人がたくさんいるのに、クメール人は、お金がないからというような理由で、何もせずにいる人が多いらしい。
その中で、クメール人であるアキ・ラーさんが自ら地雷を撤去してまわって、この博物館をつくってがんばっている。
彼は前向きに、自分ができることを精一杯やっている。博物館の入場料も取らず、寄付とガイドをしてためたお金でここを維持しているのだ。
それなのに、警察はお金を払えと言ってくるし、つかまったこともあるそうだ。
今、私にできることは、この戦争の歴史を勉強し、地雷の現状を知って、それを1人でも多くの人に伝えることじゃないかと思った。
でも、これが簡単そうに見えてなかなか難しい、というのも事実だ。(映子)
アキ・ラーさんは、小さい時からポルポト派で戦士として育てられ、ベトナム軍と戦うのだが、ベトナム軍に捕らえられてからは、逆にベトナム軍(ベトナム軍撤退後は、カンボジア政府軍)としてポルポト派と戦う。
そんな彼が、両親が処刑されたときのことや戦争中のこと、現在に至るまでのことを自叙伝の冊子のなかに語っている。
内戦時代のことを語るのは、カンボジアではタブーであるため、彼のその冊子は、ポルポト派のなかの世界がどんなものなのか、実際の戦争時のエピソードなど、決して他のところで知ることのできない内容だった。
そして、内戦のことを端的ではあるがとてもリアルに感じられるものだった。
彼の、人々に伝えたいことがあり、人のためになしえたいことがある、その姿勢には心打たれるものがあった。(昭浩)