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カンボジアの旅行記1 プノンペン・シェムリアップ・アンコールトム

3月3日〜3月8日

カンボジアの地図

カンボジア(プノンペン)へ   3月3日

 

 プノンペン行きのバスは1時間半遅れて、10時ごろに出発した。国境までの2時間、ほとんどずーっと寝ていた。だんだんと道が悪くなってきた気がする。時々、窓に頭をぶつけて目が覚める。
 出国手続きは、ツアーの係員みたいな人がパスポートを集めて、まとめてしてくれた。20分くらい待って、やっと出国。でも、待ってるだけだったので楽だった。重い荷物を再び背負ってカンボジアへと歩いた。カンボジアゲートは、アンコールワットを模した作りだった。ベトナムゲート越しに見える、そのゲートはとてもいい感じに見えた。でも、そこで写真を撮ろうとして、見つかると止められるのだ。
 カンボジアへの入国はスムーズで、プノンペンへ行くバスも、どれか決まっていたので、交渉をする必要もなくて楽。今回の国境越えは良かった。プノンペンまでの道は、聞いていたとおり悪路。道に大きな穴がいっぱいあいていて、車も体も飛びまくった。そんな中で寝ていたので、またしても窓に頭をぶつけること数回。だんな(昭浩)の頭ともごっつんこした。周りの景色は、走っても走っても変らない。乾いた大地に少し草が生えていて、時々高い木がぽつぽつ立っている。アフリカっぽいな、と私は思った。行ったことないけどアフリカってこんな感じじゃないかなと思った。(映子)

陸路での国境越えもこの旅で3度目。3度目ともなるとあまり緊張感がない。しかも、シェムリアップからバンコクまでのバスチケットを買っているので、国境越えてからもなにもしなくていいので楽。楽にこしたことはないが、国境越えるんだったらもう少しドキドキしたいのが本音だ。(昭浩)

べトナムとカンボジアの国境
ベトナムを出国して、カンボジアのゲートまで15分程歩くゲートの向こうはカンボジア

トゥールスレン刑務所   3月4日

 だんな(昭浩)が、めずらしくここに「行きたい!」と主張した。私は、実を言うとあまり気が進まなかったのだ。カンボジアで起きたポルポト派の大虐殺の跡がリアルに残されているというこの刑務所に、少し怖い気がして、「行こう!」とは言い出せずにいた。
 多くの人が殺された所、拷問を受けた所、独房、そして殺された人々の写真が、数え切れないくらいたくさん・・・。どうしてこんなことが起こってしまったんだろう?小さな子供たちまで、なぜ殺されなければならなかったんだろう?私の中で、なぜ?なぜ?という思いばかりが渦巻く。わからないことが多すぎる。本当のことを知りたいと思った。いろんな本を読めば、答えが見つかるかな。歴史を学んで、本当のことを知って、これからの将来のことを考えていかなきゃいけない、そんな気がした。
 夕方、自転車でワットプノンへ行った。プノンペンの名前の由来になっているところだ。でも、何てことない、丘の上の寺だった。丘の上にも下にも、物乞いの人がいる。足のない人とか、かわいそうだと思うけれど、何かをあげることがその人のためになるのだろうか?(映子)

ポルポトの粛清については、テレビを通して知ったと思う。その時の僕は、カンボジアの人ってみんな残酷で凶暴なんだって勝手なイメージを持った覚えがある。今だって、カンボジアには得体の知れない怖さみたいなものを感じたりする。僕の勝手な先入観が拭いきれていないのかもしれない。しかし、旅をしてカンボジアの人と接してみるとみんないい人である。やさしいし誠実だし・・・。ポルポト派は、残忍な拷問をし、多くの人を殺したのだけど、彼らのことをすごく特別な人間だとは思えなかった。僕らも同じような残忍な部分、狂気じみた部分ってものを内包しているんじゃないかって思えるんだ。それに、ポルポト派で拷問を行っていた人のなかには、本当はそういうことをやりたくなかったけどやらないと自分が拷問にかけられてしまうからやっていた、っていう人だって絶対いたと思う。親切で誠実で信用を大切にする人種と思っている人も多い日本人だって、南京大虐殺の時には、1日に何人の首を切れるかをゲームのように競いあっていたのだ。
 トゥールスレン刑務所の拷問部屋は、部屋に鉄製のベッドが1つ置いてあって、拷問された人の写真がパネルになってはってある、そんな部屋がいくつも並んでいる。写真のパネルは、黒くこげたような人が写っていた。モノクロ写真なのでわかりにくいが、黒こげに見えるのは、大量の血にまみれているのだろう。しかも、今、目の前にあるベッドに繋がれて横たわっている写真だ。パネルとベッドただそれだけなのに、ただそれだけだからか、その部屋からは伝わるものは多い。部屋の中の空気は、独特の気をもっていて、ずっと中にいるのはけっこうきつい。(昭浩)

プノンペンの街
首都プノンペン
プノンペンの寺
プノンペンの名前の由来の寺
プノンペンの寺にいた猿
ワットプノンにいた猿たち

王宮とシルバーパゴダでの失敗  3月5日

 今朝は、ものすごく気合を入れて早起きして、自転車を借りて6時ごろに出発した。王宮が開くまで、しばらく時間をつぶし、8時きっかりに中に入った。よく手入れされていて、きれいな庭があった。いたるところにガルーダがある。「繁栄」を表しているそうだ。奥のほうは王様が今も住んでいるので、入れない。

カンボジアの王宮
カンボジアの王宮
カンボジア王宮の壁画
カンボジア王宮の壁画

 シルバーパゴダは、その名の通り、なんと中の床が銀だった。びっくり。そして、金色の仏像の後ろに、エメラルド仏が!!初めて見た。半透明の緑色。まさにエメラルド。光り輝いている。金色の仏像の方が大きいけれど、エメラルドの方が高価な感じがした。そして、ミニカイラス山を一周し、建物の周りの壁画を見たり、ストゥーパを見たりした。

プノンペンのエメラルド寺
銀の床にエメラルド仏、必見

 王宮に入ってかれこれ2時間くらいだった。自転車を置いていたところに行くと、な、ない・・・・。まわりのバイクタクシーの兄ちゃんや、入り口のPOLICEに聞いてもダメ。時間があまりなかったので、先に博物館に行った。
アンコール時代の遺跡、お宝がたくさんあるんだけど、私たちは、自転車を盗まれたショックでかなりへこんでいて、あまり集中できない。足早に見てまわり、また現場に戻って、自転車を探した。入り口のPOLICEにもう一度言って、探してくれるようにたのんで、歩いて宿に帰った。宿のオーナーは、もう一度一緒に探しに行ってくれたけど、やっぱりなし。結局、タダで借りれた自転車なのに、1台30ドルも払うことになった。タダほどこわいものはない。私たちは、かなり油断していた。ベトナムからカンボジアに来て、「カンボジアの人はいい人だ」と、安心しきっていたのだ。これからはもっと気を引き締めたい。(映子)

自転車を盗まれたのには、ヘコんだ。本当に。東南アジア旅してる最中の30ドルってものすごく痛い。感覚的に日本だったら3万円をなくしたくらいのショックの大きさだ。それが、2人だからその倍。

シェムリアップへ船の旅  3月6日

 船は定刻どおりに出港した。船の上は、風が強く、今日に限って曇っているので、寒いくらいだった。でも、だんだんと太陽が出てくると、少しずつ暑くなってきた。日差しが強くて焼けそう。
川沿いの家とか、水上生活者を見ながら、かなり進んだ後に湖に出た。とても広いので、茶色の海という感じだ。両側に水平線が見えるので、湖の真ん中を走っている気がしてしまう。ガイドブックを読むと眠くなってきて眠り、起きたらまた読んでまた眠り、それを繰り返していた。
 そうこうしているうちに、だんだんと陸が近づいてきた。でも、陸までは行かず、手前にとまっている小舟に乗り換えるらしい。すでにその小舟には、ゲストハウスの客引きがたくさん乗っている。プノンペンで勧められたゲストハウスの人たちもいて、私たちの名前を書いた紙をもっている。そこへ行こうとしたけれど、人がいっぱいいて、なかなか動けない。みんな一斉に荷物を取りに行こうとしている上に、客引きも乗ってくるし、どの舟にのればいいのかわからない人もいるしで、大混乱。小舟に乗り換えると、ベトナムのメコン川クルーズのような川を進んでいった。やっと陸に着いたと思ったら、今度は車でガタゴト道、それでも、シェムリアップには1時半ごろついた。こじんまりした町だった。(映子)

シェムリアップ行きスピードボートの屋根の上
スピードボートの屋根の上
シェムリアップ行きスピードボートの屋根の上で眠る映子
寝てるの?本読んでるの?
シェムリアップへ向かう小舟からの眺め
小舟に乗り換えシェムリへ
シェムリアップへ向かう小舟からのながめ2、集落が出てくる
少しずつ町っぽい雰囲気になってきた

「魚はやっぱりトンレサップ湖にかぎるな」
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」の主人公のセリフだ。カンボジアにある巨大湖、トンレサップ。
ニューズウィーク誌によるとカンボジアの食べ物の1/3だか2/3だか忘れたが、とにかくとても多くの人がこの湖に頼って生きているのだ。
トンレサップ湖への興味は尽きない。
スピードボートから見た湖は、大きかった。
日本の琵琶湖よりもちろんはるかに大きかった。
岸は片方だけ遥か先に見えるだけで、うねりのない海にいるようである。なにもないのでしばらく見ていると飽きてくる。
スピードボートの天井では、強い風に常にあたっているのだが、日ざしも強いので、ちょうどぽかぽかした陽気のなかにいるよう。
横になると気持ちがいいのでいつしかウトウトと眠っていしまう。
バスに比べて料金は高いが、シェムリアップまで早く着くし、景色と昼寝が楽しめるのがいい。(昭浩)

アンコールワットとアンコールトム   3月7日

 サンライズを見に、アンコールワットへ行った。空は曇っているように見えたので、今日はムリかなとあきらめかけたその時、アンコールワットの向こう側から真っ赤な太陽が少し顔を出した。すごくきれいだった。アンコールワットの中には入らず、すぐにアンコールトムへと移動した。
 アンコールトムの中でも一番大きい、バイヨンは宇宙の中心と言われているだけあって、迫力があった。観世音菩薩の顔がそれぞれの塔についていて、表情が違っているのがおもしろい。それだけかと思っていたら、実は、まわりのレリーフがすごかった。カンボジアのクメール人、ベトナムのチャンパ軍、そして、中国人ときちんと描き分けているところがすごい。人も動物も木もとても細かくて、精巧だ。そして、人の表情や顔立ちがそれどれに違うのもおもしろい。

バイヨンのクメールのほほえみ
バイヨンのクメールのほほえみ
アンコールトムのバイヨン
昔のクメール人が表現した宇宙の中心

次に王宮の前の象のテラス。ここの象が、正面向いて3頭並んでいるところがかわいい。そしてここもレリーフがすばらしい。象がすごくたくさんいる!(レリーフの中に)そして、ライ王のテラスのレリーフ!!今日はかなりレリーフにやられたという感じ。石でこんなにすごいものが作れるなんて、しかも何百年も前に。全部見るのにかなり時間がかかった。
 夕方、アンコールワットへ行った。ここもレリーフがすばらしくて、ひとつひとつ見ていると、バイクタクシーの兄ちゃんに会って、彼がガイドしてくれた。お互いにつたない英語で、説明したり、質問したり、彼のおかげで、かなり理解できた気がする。サンセットは曇っていて見れなかったけど、アンコールワットを満喫できた1日だった。(映子)

少し離れたところからみたアンコールワットが好きだ。ワットの中心まで来てしまうと、あのアンコールワット特有のシルエットは当然見ることができない。遠目に見たアンコールワットは、強いオーラを発している。美しさのなかにある不気味さみたいなものが感じられる。アンコールトムのバイヨンは、またアンコールワットと違う雰囲気があって、ここもけっこうお気に入りだ。バイヨンのその遺跡のなかで、その空気というか、その空間そのものに、古代クメール的宇宙の場みたいなものがあって、それをすわって感じているだけで心地よく、しかも無限の宇宙からの啓示でも受けるんじゃないかって気になってしまうのだ。なにも啓示はなかったけど。(昭浩)

バイヨンの中
バイヨンの中
バイヨンの回廊にあるレリーフ
バイヨンの回廊にあるレリーフ
三頭の象がかわいい象のテラス
三頭の象がかわいい象のテラス

バンテアイ・スレイとクバール・スピアン 3月8日

 今日も暗いうちから起きだして、サンライズを見に行った。バイクタクシーの兄ちゃんおすすめのスラスランへ。真っ赤な太陽が、雲の中からだったけど、きれいに出てきた。そしてそれが湖に映ってとてもきれい。大満足だった。バイクタクシーの兄ちゃんに「日本の日の出と、カンボジアの日の出は同じ?」と聞かれて、「日本は太陽がオレンジで、カンボジアは赤。」と答えた。
 そこから、バンテアイ・スレイへ向かった。道は舗装されていて、意外とすぐに着いたなと私は思ったけど、だんな(昭浩)は「遠かったなー」と言っていた。
 入り口の門の上からいきなり立派な破風。思わずシャッターを切った。その先にもたくさん、たくさんあった。浮き彫りは彫りが深く、また赤土の色をしているのできれいだった。バイクタクシーの兄ちゃんがまた、説明してくれた。でも、聞いていたとおり、有名な「東洋のモナリザ」は見れなかった。わかっていたけど、残念。少しくらい遠くからでも見えないかなと思ったけど無理だった。建物の中心にあるので、その建物の中に入らないと無理なのだ。

 バンテアイ・スレイのレリーフ
バンテアイ・スレイのレリーフ。ここの浮き彫りは文句なくすばらしい

 次にクバール・スピアンへと向かった。この道はひどい。舗装されてなくて穴ぼこだらけ。すごく遠く感じた。そして、そこに着いてからさらに歩いて、登ること約20分くらいかな。暑いし、つらい道のりだった。やっと滝が見えたけど、何もなさそう。さらに登っていくと、水が流れている下に、彫刻があった。水の中の遺跡なのだ。横にもたくさん、シヴァ神とか、ヴィシュヌ神、そして仏像っぽいのもある。雨季は、そこも水の中になるらしい。なかなか雰囲気のあるいい所だった。苦労して登った甲斐があった。
 サンセットは、プノン・バケンへ行った。そこは、山の上の遺跡なので、眺めがすごく良くて、そこから、アンコールワットも、西バライも見えた。そして、サンセットも、雲の中に沈んでいったけれど昨日よりは見れた。(映子)

 バンテアイスレイは、一番肝心なところが入れない。東洋のモナリザはもちろん、バンテアイスレイならではの浮き彫りのレリーフが近くで見ることができないのだ。ガイドブックでは見られることになっているから、最近入れなくなったのだろう。触ったらポロリと欠け落ちそうに深く精巧に彫られているから、多分人が触れないように、肝心なところを立ち入り禁止にしたのだろう。でも、それが見れなきゃ、わざわざ遠くまでバンテアイスレイ見に来る意味はないと思うのだが・・・。(昭浩)

クバールスピアンの渓流
雰囲気がいいクバールスピアン
クバール・スピアンのレリーフ
このレリーフも雨季には、水流のなか

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