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ホンジュラス旅行記 コパン遺跡・ロアタン島

2月13日〜2月17日

ホンジュラスの地図

国境越えとコパン遺跡  2月13日

グアテマラのチキムラから朝8時のバスに乗って国境へ行く。ハズだった。が、8時のバスはもう行ってしまったのか?私たちが昨日確認した乗り場へ行くと、そのバスはすでになくて、8時半の安い方のバスに乗った。ホコタンという町で長いこと止まっていたけれど、国境まで2時間くらいで着いた。
グアテマラ側の国境では、パスポートにスタンプを押すおばちゃんに、
10ケツァール。」と言われた。「何で?」と聞くと、
「タックス。」と言う。
でもパスポートにはすでにスタンプを押してもらっていたので、そのまま払わずに通り過ぎた。おばちゃんもその後は何も言ってこなかった。やっぱり払わなくてもよかったのか。

それから歩いて国境を越えた。すると、ホンジュラス側では、
2ドル払え。」と言って、さらさらと一枚の書類を書き上げた。2人分で2ドルだと言う。納得はいかなかったが、おやじがあまりにもしつこいので、払ってやった。
ところが、パスポートにスタンプを押してくれるところで、さらに1人1ドルだと言う。「さっき払ったよ。」と言っても、あっちはカスタムで、こっちはイミグレーションだという。払わないとパスポートを返してくれない。グアテマラに帰れ、とまで言われる始末。ひどい国だ。ここでもやっぱり払わないわけにはいかない。

国境からコパンまでのミニバス。これも20ケツァール(300円)と言ってくる怪しい男あり。20レンピーラ(120円)だろう?と言い張って、20レンピーラ(120円)で乗ることができたけど、すぐにコパンに到着。あれれ?近いなあ。よく見ると、地元の人たちは、10レンピーラ(60円)だった。ホンジュラスに入ってからというもの、やられっぱなし。なんだかヤな国だ。

ただ、宿は安くて居心地が良かった。コパン遺跡も、入場料は高いけれど、雰囲気が良かった。日本人が2億円もかけて修復しただけあって、修復のセンスがいいね。石像、レリーフ、なかなかいいね。一番良かったのは、アクロポリスから見た遺跡。夕方だったのが良かったのか、人が少なくてそれもまた良かった。あきちゃんはといえば、入り口に何羽か飼ってあったコンゴウインコが気に入ったようでやたらと写真を撮りまくっていた。(映子)

高台から見たピラミッドもなかなかいいね。人が少ないのがまたいい
マヤ文字が残る、コパンの遺跡
真っ赤な鳥、コンゴウインコ

去年の2月13日はスーダンからエチオピアへの越境だった。おととしはベトナムでテト(旧正月)のお祭りだった。
どうしてこんなこと覚えているかというと、この日は僕たちの5回目の結婚記念日だからだ。5年前の今日、僕たちはハワイ・マウイ島にあるバナナの葉で葺いた屋根のクラシックな教会でウクレレの調べの流れるなかささやかな結婚式を挙げた。青いハワイの海のそばで誓いの言葉をあげたとき、まさか5年後の今日ホンジュラスにいるなんてまったく想像できなかった。そりゃ当たり前だ。なんてたってホンジュラスだぜ。
そんな記念日なのにホンジュラス人ときたらちびちびと小銭を巻き上げやがって。さんざん抵抗を試みたものの、「グアテマラへ帰れ!」といわれたらこちらとしてはどうしようもない。カツアゲされている中学生の気分だ。

来年の2月13日は何をしているのだろう?5年後の今日は何をしているのだろう?そんなことが容易に想像できちゃうような人生はまっぴらだと思う。そんな風に考えるのは子供じみているかもしれないが、僕がそういう人間なのだから仕方ない。ただボラれたり、カツアゲされたり、そんな結婚記念日だけはごめんこうむりたいものだ。(昭浩)

ロアタン島へ  2月14日

 

7時発のサンペドロ・スーラ行きのバスに乗った。昨日遺跡で出会った、日本人の男の人も一緒だ。あきちゃんは、バスが動き出してからもしばらく彼の隣に座って話していたようだ。他にもう1人、日本人の男の人がいた。
ホンジュラスは緑が豊かだ。グアテマラと同じかそれ以上に豊かな気がする。そんなことを考えながらしばらく景色を見ていたが、そのうち眠ってしまった。いつものことだ。
サンペドロ・スーラでは、ラ・セイバ行のバスが出るところで降ろしてもらったので、乗り継ぎはスムーズだった。11時に出て、ラ・セイバに着いたのは1時半ごろ。思ってたより早く着いてしまった。バスが一緒だったもう1人の日本人男性は、ウティラ島に行くというので、タクシーをシェアして、一緒に港まで行った。
フェリーは4時15分出発だったので、かなり待ち時間が長かった。船が動き出すと、私はいつも写真を撮りたくなる。甲板に出てみた。風が気持ちいい。雲がかかった山々がいくつか見える。
船室に戻ると、本を読んでいたあきちゃんは、だんだん気持ち悪くなってきたのか、横になって眠り始めた。私はずーっと寝なかった。昔、この辺りを航海したコロンブスのことを考えていた。
少し波があって時々揺れたが、たいしたことなかった。終始穏やかな海といった感じだった。穏やかでなかったのは、ロアタン島である。島に着くなり、英語の嵐だし、宿はなかなか空いていない。やっと見つけたボロ宿は、あまり気に入らなかったけど、そこで働いている人たちだけは感じが良かった。(映子)

ロアタン島へ向かう船から見たホンジュラス。緑が豊かだなあ

ビーチについて 2月15日

ビーチは難しいと思う。ビーチというものには相性というものがあるからだ。人によって合うビーチの種類や雰囲気は異なっている。
毎日がパーティ、そんな感じで毎晩ドンチャカやっているバーが並ぶようなビーチが好きな人もいれば、静かで落ち着いた雰囲気のビーチが好きな人もいる。このようにパーティ派かリラックス派かの2つに別れる。
僕はパーティなビーチはあまり好きではない。素朴で雰囲気のあるところが好きだ。

さて、今来ているロアタン島はどうか。残念ながらパーティなビーチである。しかもアメリカに侵されている。カンクンのように完全アメリカ化しているわけじゃあないが、アメリカの植民地になりつつあるんじゃないのか、という印象を受ける。
現地の人々は英語を話し、熱心なスポーツはサッカーではなく野球、ラテンというよりブラックな人々が多い。アメリカ人がロアタン島に土地を買い、ツーリスト向けの宿やレストランを経営している。そのため物価は上昇し、バックパッカーにとっては予算的に厳しい場所となっている。アメリカ人が安上がりにリゾートを味わう場所としてはいいかもしれないが・・・。

とにかく僕たちにとってここロアタン島は相性のよくないところだったみたいだ。奮発して一部屋に12ドルもだしているのに、部屋は窓もなく狭い奴隷部屋だし、安食堂が皆無でほとんどアメリカ人好みのツーリスト向けレストランになっているため毎回食事の時で食べる場所に困ってしまう。
場違いなところに来てしまった。でもどうしてロアタン島に来たのだろう

それはイルカだ。この島にあるアンソニーズ・キー・リゾートではイルカとダイビングができる。イルカとシュノーケリングできるところは世界中にいっぱいあるけど、スキューバダイビングができるのは僕が知る限りここしかない。持っているガイドブックには「バディはイルカ。」というタイトルでこのイルカと一緒に潜れることが紹介されてあった。バディはイルカ・・・なんと素敵な響きなのだ。
その言葉の響きは夢のようなのだが、現実は厳しかった。そのお値段、1ダイブ112ドル+機材レンタル代別途、となっている。75ドルだと聞いていたので、とても驚いた。75ドルでもいっぱいいっぱいなのに、そりゃ無理だ。ということでイルカとのダイビングは断念することにした。

ロアタン島は僕たちに合わない、と書いたが、このイルカと遊べるプログラムを持つアンソニー・キーズ・リゾート自体はいいなと思った。きれいな海に囲まれた砂洲の島の中にコテージがあって、静かに海を満喫できそう。こんなところで、ダイビングとイルカとリラックスできるコテージライフが堪能できたら最高だろう。もちろんお金がたくさん必要なんだけど。
ということでここにいる目的もなくなったので、とっとと明日この島をでることにした。(昭浩)

ロアタン島のビーチ。静かできれいそうに見えるが、実はパーティ
夕日が沈んでいく。今日も一日が終る
道を歩くと、ブーゲンビリアが咲いていてきれい

テグシガルパへ向かう途中の決心  2月16日

ロアタン島で出会った、えりさんと3人でタクシーに乗ってフェリー乗り場へと向かった。6時発のフェリーは早すぎるかなと思ったけど、かえってよかった。ずーっと寝ていたので、一瞬にして着いたからだ。揺れすらもあまり感じなかった。港からバスターミナルまでもさらにタクシーだ。私たちのほかにもう1人、子連れの女の人が1人乗った。
テグシガルパ行きのバスは9時発だった。それにしてもターミナルのトイレは汚い上に2レンピーラ(12円)も取られる。ラ・セイバのフェリー乗り場のトイレはタダだし、きれいだったのに。そのうえ、タダの飲料水もあったぞ。

バスの中から見える景色は、あんまり変わりばえしない。でも、ルワンダで見たようなオレンジ色の花あり、エチオピアで見た紫色の花あり、黄色い花もピンクや赤のブーゲンビリアやハイビスカスも、とにかく色とりどりできれいだった。
昼食休憩の時に、えりさんからスペイン留学の話を聞いて、行きたくなった。えりさんは、今スペインのサラマンカに留学している。そうだ、私もサラマンカに行こう!そう思った。100万貯めたらいけそうだな、いつ行こうかな、どうやったら行けるかな、とバスの中でそればかりを考えていた。
テグシガルパに着いたのは、15時半ごろ。えりさんにお別れを言って、今日3度目のタクシーに乗って宿へと向かった。(映子)

テグシガルパでリラーックス  2月17日

テグシガルパってどこよ?中米を旅行したことがある、もしくわ中米に関心のある人をのぞくフツーの日本人だったらそう思うだろう。どうやらホンジュラスの首都らしい。僕も知らなかった。今でも半信半疑だ。
そんな首都に長居する人はまずいない。たいてい1泊して移動する。しかし、僕らはわざわざ2泊してテグシカルバ観光をした。

テグシバルパ唯一の観光スポットはエルピカッチョの丘だ。大きなキリストがたっている丘の上からはテグシガルパの街が一望できるのだ。ミニバスと歩きで登った丘の上は公園になっていた。公園にはなぜか孔子の像がたっていた。とても場違いな孔子だった。丘の上から望むテグシガルパの街は、さびついた赤いトタン屋根の住居が密集していて、その中心にビルがいくつか立っていた。これが首都か・・・街全体がスラム化しつつあるようなくたびれた印象の街だった。

宿に帰って、僕たちはそこでヨガのレッスンを受けた。なぜホンジュラスでヨガを?それは、泊まった宿で、ヨガの先生をしているというオーストラリア人のウィリアムとたまたま同室になったためだ。ヨガのレッスンは僕たちのほうからお願いした。実は僕たちはヨガ好きだ。本格的にヨガを習ったことは無い。しかし、日本にいた時スポーツクラブでヨガのクラスがあったので、そこでリラクゼーションを目的としたヨガを体験し、けっこうそれにハマっていた。
ウィリアムの教えてくれたヨガはナマスカールと呼ばれるごく基本的なものだった。呼吸法、ストレッチ、リラクゼーションを約2時間の間丁寧に教えてくれた。肩のあたりがすっきりし疲れがとれた気がする。

このマイナーな首都テグシガルパで僕たちが得たもの、それはヨガによるリラックスした体と安らかな気持ちだったのではないだろうか。殺伐として、いかにも治安悪げなこの街にいて、この心の平安はいったいなんだろう。すべてはヨガのチカラだ。たしかにエルピカッチョの丘からの眺めも良かった。しかし、僕たちがテグシガルパに対して好印象を抱いているのは、ひとえにヨガの先生ウィリアムのおかげなのである。ウィリアムはささやくように何度も唱えていた。リラーックス。(昭浩)

教会前の広場で鳩にえさをやる子供
エルピカッチョの丘から見たテグシガルパの街

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