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パナマ旅行記

3月3日〜3月16日

パナマの地図

パナマ入国の長い一日  3月3日

パナマ方面へ向かうバスは、朝の5時と11時。もちろん、私たちは11時を選んだ。しかし来るつもりのなかったウヴィータ・プラヤで、本当にやることがない。そして朝から気が狂いそうなほど暑い。近くのビーチまで歩いてみる。そこはどうやら国立公園らしく入場料が要った。「海はみんなのものなのにー。」と文句を言いつつ、暇に任せていってみた。1ドル(110円)分くらいは楽しんだかなあ。海はそんなにきれいじゃなかったけど。

誰もいない朝のビーチ。爽やかに見えるが、実はめちゃ暑い

11時のバスには、昨日も一緒だったフランス人のセバスチャンとドイツ人の歯医者さんも一緒に乗った。スペイン人カップルもいた。バスはネリーという町まで行ったが、セバスチャンと歯医者さんは途中で降りた。どこかのビーチでもうすぐフルムーンパーティがあるから、といって何度か誘われたが、私たちはもうパナマに行くことに決めていたので、いまさらコスタリカに未練はなかった。
私たちとスペイン人カップルはぎゅうぎゅうづめのバスに乗って、パナマへ向かった。国境まであと18キロだ。

国境越えで少しもめたのは、まずスペイン人の女の人の方。サンホセでパスポートを盗まれて再発行したので、新しいパスポートには入国のスタンプがない。あやうく「サンホセまで行け!」となるところだったが、説明してなんとかクリアー。無事出国。こんな時、スペイン語ができるって強いよな。
入国時、彼らはツーリストカードを買わなくてよかった。出国チケットは要求されたようだけど、これも説明してOKだったみたい。彼らはクレジットカードを見せていた。私たちも真似して、クレジットカードを見せて、「コロンビアに行くチケットをパナマで買う。」と主張したら、大丈夫だった。ただ、ツーリストカードは買わなきゃいけなかった。これが、スタンプを押してくれるところとは違うところにあってちょっととまどう。
私たちが手続きをしている間、スペイン人カップルは待っていてくれたようだ。一緒にミニバスに乗って、ダビッドへ向かった。冷房がガンガン効いていた。さっきまでさんざん暑い思いをしてきたのに、今度は寒い。なんてこったい。

ダビッドに着いた時にはもうまっくら。それでも私たちはボケテに向かった。あと1時間で着くからだ。スペイン人カップルとはバス停でお別れした。ボケテ到着は夜の9時過ぎ。朝はゆっくりだったとはいえ、もうぐったりだった。(映子)

パナマの国境は少しやっかいだ。パナマ入国には出国チケットを持たなければいけないというのがあるからだ。こういうのはパナマだけじゃなくどこの国でも建前上そうなっているところは多いが、陸路で入国時に出国チケットを求めるというのはやっかいだ。

国際バスで入国した場合、帰りのバスチケットまで強制的に買わされるという話はよく聞く。それもパナマシティからサンホセの全区間のチケットだ。20〜25ドルくらいかかる。しかも払い戻しもできない。しかたないのでワイロ10ドルくらい渡して済ませるという方法もあるが、そうすることによって国境の係員が味をしめ、出国チケットの提示を執拗にせまるという悪循環が発生するのだ。
グアテマラ・ホンジュラス・ニカラグアそしてパナマ、中米の国境ってどうしてこういうのだろう。わけのわからないお金やチップやワイロを要求されることが多い。アジアやアフリカではあんまりそういうのないんだけどなあ。やれやれだ。(昭浩)

ボケテの休日  3月4日

ゆっくり、好きなだけ眠れる朝っていいな。もっと寝てやろうと思ったけど、8時くらいには起きてしまった。朝食を済ませ、シャワーを浴びてから洗濯をした。宿のオーナーのルベンはとても親切で、いろいろと世話を焼いてくれる。レストランや見所を教えてくれた。

近くにあるつり橋まで歩くと、川が音を立てて流れていてまわりの山々や公園の花たちがとてもきれい。ここの名物トルーチャ(鱒料理)を探してレストランをまわる。ちょっと高いレストランだったけど、奮発しちゃった。うん、うまい!大満足。

川を渡るとそこにはお花畑が!

ルベンが教えてくれた、「Mi Jardin es su jardin(私の庭はあなたの庭)」というところまで歩いていった。そこは、どこのお金持ちさんが造ったのか知らないけれど、大変立派な庭で、しかもタダで入れる。色とりどりの花々、池、展望台、緑のトンネル、橋、などなど、かなり楽しめる。ハチドリなどの鳥たちも遊びに来ていてまた楽しい。

お金持ちさんのお庭でしばし楽しむ

小雨が降りだす中、途中のコーヒー屋で高級パナマコーヒーを飲んでから宿に戻った。今日は日曜日というか、休日という感じ。ゆっくりできたので今までの疲れが一気に取れた気がした。自分の家みたいにくつろげる宿と、山々に囲まれたこの町がいい。ボケテ大好き。ボケテ最高。(映子)

高級コーヒーショップでお茶する休日

ケツァールの道  3月5日

 寝過ごした。朝5時に起きて6時のバスに乗るはずだったのにすでに6時過ぎ。でもまだ暗い。バタバタと用意をして、なんとか6時半のバスに間に合った。バスに乗っている途中で、夜がしらじらと明けてきて朝日が昇る。まぶしい!
セロ・プンタ行きのミニバスは7時40分発。出遅れたにしてはなかなかいいペースだ。しかしこのミニバス、いろんなところに寄っては人を乗せたり降ろしたりするので、すごく時間がかかる。
たっぷり2時間かかってやっとセロ・プンタ到着。歩き始めたのは結局10時ごろだった。国立公園の入り口まで行くのさえ、遠く感じた。そこに座っている人たちは、「ボケテまでそんなに遠くないよ。」と言っていた。果たして本当だろうか?

ケツァールの道への入り口

小雨の降る中、鳥の声を聞きながら、私たちは歩いた。ここは、「センデロ・ロス・ケツァーレス」という名の道、それは「ケツァールの道」という意味である。深い深い森の中、ケツァールいそう。ちょっとドキドキ。ときどき立ち止まって、じっと耳をすませ、探してみる。
途中で出会った家族の子供が、「ケツァール見た?」と聞いてくる。「見てないよ。」というとちょっと安心したような、落胆したような複雑な表情。1人で歩いてきた男の人も同じように聞く。みんなまだ見てないらしい。

ルベンはこのコースは下りだから楽だと言っていたけど、結構アップダウンがあって疲れてきた。その時、日本人とスイス人のカップルに会った。2人はケツァールを今日この森で見たらしい。それも2回も。デジカメの写真を見せてもらった。この森にやっぱりいるんだ。ちょっと希望の光が見えてきた。でも、彼らが見たというところでしばらく待ってみたけど、現れなかった。もう無理かな。

さらに下っていくと、橋があってその下を川が流れていた。私は上流側と下流側それぞれ写真を撮った。そしてあきちゃんの方を向いてもう一枚。次は2人で撮ろうと思ったその時あきちゃんが、「あ、ケツァール?」と言った。え?振り向いて下流側を見ると、さっき写真を撮った場所にケツァールがいた。それも2羽、オスとメスである。何だかその空間だけが夢の中のようだった。ケツァールの顔ってキティちゃんに似てる。それがわかるくらい今回は近くで見れた。

ケツァールって不思議だ。一生懸命探していると見つからないけど、もうだめかなとあきらめかけたところでいつも現れる。そんな幸せってあるんだな。(映子)

再び出会えたケツァール。今回はかなり近くで見れた

パナマシティへの移動 3月6日

5時半起床。今日も早起きだ。この1週間のうち5日は5時半起きしている。早朝にボケテを出発しパナマシティに向かう。ダイレクトバスなので寝ているうちにパナマシティに着くだろうと思っていたら、バスがエンジントラブル。動かなくなった。アフリカではしょっちゅうこんなことあったけど、中米に来てはじめて。しかし、変わりのミニバスはすぐにやってきた。このすばやい対応になんとなく先進国っぽい雰囲気を感じた。

それは雰囲気なんかじゃなかった。パナマシティにはバーガーキングにマクドナルド、ホリデイ・インにマリオット、大きなショッピングセンターもあった。ここはアメリカかっ。コスタリカの首都サンホセも都会だったけどここはそれ以上。高層ビルだって林立している。通貨はドルだし、歩いている人も白人系が多い。パナマシティがここまで大きくなったのもひとえにパナマ運河の恩恵によるもの。パナマ運河ってもうかるんだな。でもアメリカの属国っぽいニュアンスは常にこの国にはまとわりついているけど・・・(昭浩)

ポルトベーロ  3月7日

中米一治安が悪いと言われているコロンのバスターミナルで乗り換えて、ポルトベーロへ行った。コロンの街は確かに危険な香りがした。黒人が多くて、まるで違う国に来たかのような錯覚を覚える。薄汚れた町並み、ふらふらとうろついているおやじ、汚い服を着ていても無邪気に走り回る子供たち。パナマ運河を造ったのはこの人たちのご先祖様なのである。
ポルトベーロ行きのバスに乗ってきたのもほとんど黒人。音楽もカリブっぽい感じ。サルサのような、明るく軽快なリズムのものだった。そしてカリブ海が見えてきた。風に吹かれながらこの音楽を聴きながらバスに乗っているだけでも楽しい気分になれた。
日曜日なので、みんな家族連れや友達同士で海水浴に行くようだった。

私たちは遺跡である。大砲がたくさん並んでいる要塞、そして何よりも静かできれいな海。コロンブスとその息子も来たという港。遺跡自体よりもこの港全体の雰囲気が、そして来るまでの風景がよかったと思う。
帰りは行きの冷房ガンガンのバスとは違って、ぎゅうぎゅうづめのいわゆるチキンバスだった。でも冷房で寒いより、私はこっちの方が好きだ。(映子)

古い大砲が数え切れないほどたくさん、この穏やかな海に今でも残っている

サンブラス行きのチケットを取る  3月8日

格安チケットが買えることで有名なEVI TRAVELは移転していた。探すのにかなり苦労した。もう見つからないかとすら思った。いろんな人たちに聞きまくって、やっと見つけた。看板すら出てないのだから、聞かなきゃ分からない。
サンブラス諸島行きのチケットはすぐ取れそうだった。お兄さんが、「サンブラス?すぐ取れる、OK!」みたいな口ぶりだったからだ。ところが、実際に調べてみると、金曜日までいっぱいとか。今日は月曜日。あと何日待てばいいのか・・・。
それでもあきちゃんは、どうしても行きたいようなので、金曜日のチケットを取って、サンブラス諸島へ行くことにした。

すぐにサンブラスに行くつもりでいたので、当初のパナマシティでの予定はいっぱいいっぱいだったのだけれど、これでかなり余裕ができた。今日はパナマ運河に行くのはやめた。
3時にチケットを取りに行くと、1時間待たされた。ガイドブックにも書いてあった。「公式なパーティーなどに行く時は、1時間遅れていくのがエチケット」と。1時間遅れはパナマの常識なのか。私たちが待っていると、親子っぽい女2人組みがやってきた。彼女たちもサンブラスに行くらしい。

宿で出会った女の子も、「明日からサンブラスへ行くけど、マラリア大丈夫かしら?」と言っていた。それを聞いて、「チケット取れたんだ、いいなあ。」と私たちは思った。マラリアはもう経験済みなので、私たちにとってはぜんぜんこわくはない。薬も持っているし。「大丈夫じゃないの?」と人ごとのように言ってしまった。

それにしても、サンブラス諸島、すごい人気だ。ますます楽しみになってきた。(映子)

パナマ運河 3月9日

 

まだ10歳にもなっていなかった頃だと思う。「 パナマ運河は水の階段」って聞いた。水の階段????そのまま25年の歳月が経ち、そして今日パナマ運河にやってきた。
午後の方が船はたくさん通るということなので、パナマ運河のミラフローレス水門へは昼ごはんの後いくことにしたものの、気がはやる。昼ごはん食べているうちにどんどん船は通過してしまうんじゃないか、のんびりしている場合じゃないんじゃないか、そう思えて仕方ない。

最寄りのバス停からミラフローレス水門まで歩く。途中2本の運河らしきものが見えた。意外と狭いなあ、そう思ったがあえて口に出さないようにした。
つり掘りみたいやん。」
黙っている僕の隣で映子が子供の夢をブチ壊すような一言を放った。この女は、なんてことをいうのだ。

ここの水門には観覧席というものがあって、そこから船が通過するのを見ることにした。運河の水門は大型船がぎりぎり通れる幅しかない。大型船がパナマ運河ぎりぎり通れる大きさに造っているためだ。
貨物船が水門にはいってくる。水門は3つあって、その水門で水をせき止めたり、水を抜いたりして、2段の段差の運河に船を通していく。ここミラフローレス以外にも何箇所か水門がある。その水門を経て、大西洋側から来た船は、水の階段を上り、山を越え、そして水の階段を下って、太平洋へと向かうのである。大きな貨物船が山を越えて、今僕らの目の前を通り過ぎていく。傍を通過する巨大なビルディングのような船だ。

船が通過するのを見ているだけなのだが、意外と飽きずに見ていられる。1つの船が通り過ぎるのに約20分かかる。僕たちは2時間もずっと子供のように船が通り過ぎる様子をただただ見ていた。    (昭浩)

1、大きな貨物船が水門へと入ってくる
2、水門が開く
3、水位が下がって、船も下がる。
4、無事水の階段を一段下りたあとの船。もう一段降りたら太平洋
5、太平洋へと旅立つ船

カスコ・ビエッホ 3月10日

カスコ・ビエッホとはパナマシティの旧市街のことだ。スペイン時代の名残を残す町並みは、パナマではパナマ運河の次に観光客の集まるところ。どうでもいいけど、ここも一応世界遺産。

どうでもいいと書いたけどホントはどうでもいいことなんてなくって、世界遺産だったら行かないわけにはいかない、ハズスわけにはいかないと思っている。
世界遺産と聞くと目の色かえてくまなくまわろうとする世界遺産好きの人を見ると「ケッ世界遺産フリーク野郎が、ユネスコやテレビに踊らされているだけじゃん。」なーんて心のなかで悪態ぶってつぶやいてしまうのだけど、かくいう僕もかくれ世界遺産フリークだったりする

カスコ・ビエッホに行くため、旧市街入り口のだいぶ手前でバスを降り、そこからしばらく歩行者天国の商店街を歩く。
この商店街あたりは大丈夫だと思うが、商店街をはずれるとそこはスラム街で危険らしい。カスコ・ビエッホも要注意とガイドブックには書いてある。
だから商店街を抜けてカスコ・ビエッホに近づいたら、僕たちは人とすれ違うたびに振り返ってすれ違った人をニラミつける。そうしろと情報ノートに書いてあったからだ。しかし、人が多すぎてそんなことやってられない。いちいち振り返ってニランでいたらバカみたいじゃん。2回ほどやってみてバカらしくなってやめた。

カスコ・ビエッホ地区に入ると警官はたくさんいるしツーリストも多い。なんだ安全じゃん。さっきまでニラミきかして歩いていたのは何だったのだ。ひょいと道をはずれて危険な方へと足を踏み出そうものなら、ピッピーと警官に笛を鳴らされ注意を受ける。観光地としての管理を徹底しようというパナマ観光局の姿勢がうかがえる。そういえばカスコ・ビエッホの街中の建物はあたらしく壁の色なんかを塗り返したりしてこぎれいな街へとなりつつある。だんだんとテーマパークのような街並へとなるのだろうか。(昭浩)

大都会、パナマシティをカスコ・ビエッホから望む
コロニアル調の街並み、カスコ・ビエッホ

パナマ・ビエッホ 3月11日

 

ビエッホって何だろう?よく中米で出てくる。ニカラグアのレオン・ビエッホ、昨日のカスコ・ビエッホ、そして今日がパナマ・ビエッホ。きちんと調べたわけじゃないけど、たぶん古い町ということじゃないかな。まあいいや。

今日はパナマ・ビエッホに来ている。パナマにはふたつのビエッホがあって、観光地としてはユネスコ世界遺産であるカスコ・ビエッホのほうが有名だ。パナマ・ビエッホのほうには訪れないという人も多い。そのパナマ・ビエッホにあえて僕たちが訪れたのにはワケがある。

パナマ・ビエッホもいずれ世界遺産に登録されるだろう、というヨミがあったからだ。パナマ観光局がパナマ・ビエッホのポスターを作って積極的に売り込んでいる・・・ということは、今は申請中でそのうち世界遺産になる可能性が高いということだ。カスコ・ビエッホより古く歴史的価値の高い点から考えても当選確実だろう。だからこのチャンスにパナマ・ビエッホに行っていないと、しまったぁ、と大後悔するにちがいない。だからハズスわけにはいかない場所なのだ。
僕はカクレ世界遺産フリークだ。それは前述した。しかしただの世界遺産フリークではない。ふっふっふ、ちょっと計算高い世界遺産フリークなのだ。
パナマ・ビエッホにつくと・・・ユネスコ世界遺産のマークがあるではないか。あれっ、ここ世界遺産になってたの?

ところで前置きが長かったが、パナマ・ビエッホはいかがだったか。
それはここではあえて言わない。街の廃墟の遺跡であるとだけいっておこう。興味ある人、世界遺産大好きな人はパナマに来て自分の目で見るのがよろしかろう。(昭浩)

パナマビエッホに桜のような花が咲いていた

サンブラス諸島 3月12日

 先住民クナ族が民族衣装、ライフスタイル、文化、など今も昔と変わらぬものを引き継いで暮らす南国の楽園。珊瑚でできた島。まぶしく光る白砂。透き通る海。そんなイメージばかり先行する。

午前6時発の飛行機の中でパナマシティの高層ビル群を眼下に見ながら遠足に行く時の小学生のように期待に胸を膨らませていた。15人くらい乗りの小さな飛行機、ゆれると聞いていたが、たいした揺れもなく、1時間ほどでカリブ海の上空を飛んでいた。島のまわりは珊瑚の海特有のきれいなグリーンさらにそのまわりにクリスタルブルーをたたえた海があった。ちいさな島々が見えてきた。飛行機は飛行場だけでもういっぱいいっぱいの飛行場とホテルしかない島に到着。

ホテルの人が迎えにきていたボートでナルネガ島に向かう。ナルネガ島には、木とヤシの葉でつくられた家がびっくりするくらいの密度で建っていた。ウォーターワールドという映画ででてくる水上の町のようだった。
パンとジャムとコーヒーというシンプルな朝食を済ませ、散歩に出かける。島の中心にある広場を抜け、細い路地を入っていくとあれっ人の家に入ってしまった。大通りといっても幅1.5mくらいの島のメインストリートを進むと、あれっ?1分で島の端についてしまった。

かなり小さな島らしい。1周5分くらいそんなもんだろう。しかし1周するのにどのくらいかかるかなんて誰もわかりはしないのだ。なぜなら、家々がすべて海に面してたっているため島を1周することはできない。島の中心から広場からちょっとだけ道が伸びているだけ。車はもちろん走っていない。自転車さえも必要ない。甲子園球場よりはるかに小さい島なのだ。そしてこの島は密度が濃い。家がとても密に建っている。道が狭い分東京以上の密集度だと思う。おまけに今日と明日はサンブラス諸島対抗バスケットボール大会があって他の島からプレイヤーがたくさん集まってきているので人口密度も高い。やたらとにぎやかな島だった。

密集した家々の上にたくさんの旗がたっている。5月にパナマで選挙があるために島にはいろんな政党の旗だらけ。バタバタと風になびいている。南国の風にはためく政党の旗というのが複雑な気持ちにさせられる。
しかも、ここはパナマから独立自治権を1915年から勝ちとっているクナ族の島。旗たてている場合かクナ族、そういいたくなる。

 クナ族の女性の衣装は特徴的で、ショートカットの髪に朱色のスカーフを巻き、柄の巻きスカートに薄手のシャツのお腹あたりにモラと呼ばれる色とりどりのアップリケを重ねてつくった模様の布を巻いている。さらに腕から手首にかけてとひざから足首にかけて派手な色のサポーターのようなものを巻いている。
パナマシティで民族衣装姿を着て歩いていたり、民芸品を売ったりしているのを見かける。サポーターを巻いたクナ族をはじめて見たとき、「忍者か?」と思ってしまった。なんとなく忍者っぽいのだ。一見サポーターのように見えたそれはすべてビーズでできていた。

 僕はサンブラス諸島に行ったら島中忍者だと思っていた。実際、島に来て見ると女性のなかでも民族衣装姿はその半分くらい。ここでも都会的なものに惹かれるものと、保守的な人と分かれるようだ。男はみな普通の格好をしているので、おおざっぱにいって島の四分の一が民族衣装といったところ。
しかし思うに、この島で決定的に他のパナマや中米と違うのは、メスティーソと呼ばれるスペイン系混血や白人系、またはカリブ海沿岸に多い黒人系の人々がまったくいないことだ。ツーリストを除く全ての人みなモンゴロイドの血が流れていることが容姿に表れている。バスケットボール大会でにぎわっている広場を見渡す限り、ここはフィリピンの島にいるのではないか、という錯覚に陥る。パナマにはとうてい見えない。ちょっと不思議な感じがする島だ。

島と書いたが、ここは島というよりクナ族の集落といった印象が強い。密集した家は、木の骨組み、竹を編んでできた壁、ヤシの葉を葺いた屋根、床は砂のままで、人はハンモックで眠る。
島のほとんどが家屋によって埋められていて海に出られるところは3箇所くらいしかない。島で唯一のビーチはホテル前の砂浜だけで、幅20mくらいの広さしかない。しかもとうてい泳ぐ気にはなれない。なぜなら、この島では、すべてトイレは海に突き出した桟橋の上にあって、そのトイレが20mおきくらいにあるからだ。違う言い方をすればトイレに囲まれた島ということもできる。海はパブリックトイレ。これじゃ泳げないよ。

散歩すれば5分で終ってしまい、きれいにみえる海がすぐそばにあっても泳げない。
僕たちの唯一の居場所はビーチにつらされたハンモックのみである。ここで僕らはヒマだなあといってはブランブランし、隣のハンモックでくつろいでいる映子と押したり引いたりしながらブランブラン。「オレは忙し屋だからこんなヒマな島向いてないよぉ。」とグチってはブランブラン。本を読みながらブランブラン。貧乏ゆすりのかわりにブランブラン。ヒマだ、やることがないと文句を言っている割に居心地よさそうにしてハンモックを離れず、その日一日の多くの時間をハンモックの上で揺れて過ごしていた。

映子はここでの生活を「奴隷生活」と命名した。こわれて開かない木の窓(その窓を壊した張本人は僕なんだけど)、そして電気もないので昼間でも真っ暗な部屋。ごはんはマズく、食べていると貧しい気持ちになってしまう。他で何かつまみ食いしようと思っても店らしい店は島にはない。ビールとコーラくらいは買えるけど食べ物がない。

ヒマでおいしいものが食べられなくて、それってかなりキツイのだけど、そのわりにふたりともやたらくつろいでいて、リラックスしていて、夜なんかもぐっすり眠れたりして、この島についていいんだかよくないんだか、よくわからないでいる。(昭浩)

サンブラス諸島に到着!あいにく、空は曇っていた
これがナルネガ島。小さな島に家が密集している

ペロ島  3月13日

 朝7時くらいからバスケットボール大会が始まった。もちろん、外は6時くらいからうるさい。昨日は昨日で、夜10時になったら真っ暗というのを期待して、ベッドに寝転んで待っていたが、1つのジェネレーターはずっとついていたので明るかった。ただ、それが切れたのはいつだか知らない。それまでに眠ってしまったのだ。
バスケットボール大会がいよいよ盛り上がりを見せている中、私たちはシュノーケリングへ出かけた。「行き先はどこ?」と聞いても答えてくれなかったので知らないけど、小さなモーターボートでいざ出発。

波が思った以上に高くて、船はよく揺れるし、しぶきもすごい。ボートを運転している兄ちゃんも、「危険だ。波が高くてこれ以上行けない。」というようなことを言っている。こわいので、救命衣を身に着けた。
高い波が来るたびに、こわくてこわくて祈るような気持ちだった。
「大丈夫、大丈夫。」と自分に言い聞かせたり、
「無事に着きますように。神様お願い。」と祈ってみたり。
島は近くに見えているようでなかなかつかない。やっとついたかと思ったら、そこを通り過ぎてまた大海原へ出る。

そしてやっとたどり着いたのが、ペロ島だった。ガイドブックにも載っている、シュノーケリングにいいというきれいな海の島だ。そこで、早速シュノーケリング。まず、沈船のところへ行ってみる。オヤビッチャなど、魚がいるにはいる。 
でももう少し離れたところのほうがきれいだった。魚がいっぱいいたし、珊瑚もきれい。脳みそみたいな珊瑚のほかにも、植物みたいなのや、イソギンチャクっぽいのもあり。ちょっと竜宮城を思わせる美しさだった
帰りの船は、行きほど怖くはなかった。さっき無事に着いたし、一度水の中に入っているというのも強みだった。(映子)

美しいペロ島ビーチ
ここに住んでいるのか、出張してきているのか、ペロ島でお土産を売る人々

サンブラス諸島の奴隷生活  3月14日

今朝も続々と新たな客が現れた。しかもみんなブルジョアジーだ。そして、私たちは、奴隷のような窓もない、電気もない1階の角部屋に泊まり、まずくて少ない奴隷ご飯をみんなとは別のところで細々と食べている。
この島の生活は悪くなかった。夜はぐっすり眠れるし、毎朝きちんとうんこがでた。朝の散歩も夜の散歩も楽しいし、ハンモックでダラダラするのもいい。

ただ、このホテルサンブラスは、どうかと思う。予約の時、「3食付で1泊15ドル(1650円)」と言っていたのに、着くなり、「ボートの遠足付35ドル(3850円)」だと言うし、どうしても15ドル(1650円)だと言うと、奴隷部屋に格下げだ。食事も35ドル(3850円)の人たちとは違う場所で、違うものが出される。つまりは奴隷メシに格下げだ。
これで15ドル(1650円)というのも、内容的には決して安いと思えるものじゃない。この奴隷のような生活に15ドル(1650円)も払うのだ。ちなみにボートの遠足は、3ドル(330円)で行ける。

それから、この島の人口密度の高さと、海に面したトイレにはびっくりだ。おかげでこの島どこへ行っても泳げない。今日は欧米人カップルが泳ごうとしてた。でもすぐやめた。
夜は、「珊瑚をいっぱい取ってきてかざっている公園」へ行った。誰が造ったのだろう?こんな乱獲許されるのか?
ここでは、これでいいのか?と思うことがたくさんあった。この島はこれからどうなっていくのだろう?(映子)

ペリカン島の風景はパラダイスのように美しかった

サンブラス諸島脱出 3月15日

南の島には相性があるのかなと思う。
少数民族クナ、透き通る珊瑚礁の海、白い砂・・・僕がサンブラス諸島のPR広告を作るとしたらかなりいいものをつくれると思う。素材としてはたいへんいいものをもっている、けど僕にはあっていなかった。ただそれだけ。残念だけど。
僕はハワイのほうが好きだ。サンブラスのほうが海きれいだし静かでのんびりしているけど、物価が高くて喧騒のハワイのほうが僕らにはあっている。

「ワンダラー、ワンダラー」と少女がしょぼい貝殻を売りに来る島の東端(ここを僕らはワンダラー海岸と呼んでいた)、西端には乱獲した珊瑚が飾られた小さな公園(乱獲公園と映子命名)、そして海につきだした便所と便所にはさまれたネコの額ほどのビーチ(通称ウンコビーチ)、この3つがナルネガ島で唯一海に面した場所。その3つを散歩する5分間ウォーキングと宿での奴隷生活、それも終わりだ。たぶん東京より人口密度の高いであろうこの島でハンモックの上だけがくつろぎの場所。そんな日々ももう終わりかと思うとなつかしいような気にすらなる。
しかし、そんな旅の旅情なんかよりもパナマシティでの食べ物への期待のほうがはるかにまさっている、それがサンブラスを去る時の僕の心情だ。

すっげぇネガティブなこと書いているイキオイで書かせてもらうと、僕らはやっぱり少数民族っていうものに合わないのだ。ぶっちゃけ少数民族とふれあおう、仲良くしようなんてハナから思っちゃいないし、友達少ない僕としては日本人だけでもいっぱいいっぱいなのだ。まあそれはいいや。
とにかく、僕らにとってサンブラス諸島は特別な島ではなかったってことだ。
しかし、この島はうまくやればかなり楽しめるし、充実した島ライフを堪能できるとも思っている。僕たちはやりかたを間違えただけだったのかもしれない。

これから行く人のために、サンブラスを楽しむためのポイントを挙げてみる。
ひとつは、2泊3日で十分。3泊4日だと長すぎる。一日中ゴロゴロできる人ならいいが、そうでなければ2泊3日に限る。ふたつめは、1泊35ドル(3850円)・3食+ボートトリップ付のコースを選んだほうがいい。部屋とごはんの質が上がるだけで印象は大きく違うものだ。でも15ドルと35ドルはあまりにも違いすぎる。これは悩みどころ。
さらに言えば、サンブラス諸島には島がいっぱいあって最近じゃ他の島にも宿はできているんだから、あえてナルネガ島にこだわる必要はまったくないと思う。ナルネガ島はサンブラスのなかでも都会のほうだから、もっと人口密度の少ないところのほうが楽しめるんじゃないだろうか。あくまでも行ってみなきゃわからないことなんだけど。

「サンブラス諸島行ったんだって。よかったでしょう。あそこみんないいって言うもんね。」
旅行者からそういわれると正直ツライ。そんなとき顔は笑顔でごまかしているけど、心のなかではとても複雑な気持ちでいっぱいなのだ。(昭浩)

採ってきた珊瑚をたくさん飾っている乱獲公園。
海に突き出したトイレ。これがこの島にはたくさんある。これでも泳ぐ?

海外から荷物を送る  3月16日

パナマシティから日本に荷物を送った。はじめベリーズで荷物を送るつもりだった。そのためメキシコではいろんな民芸品を買いこんだ。しかし、ベリーズの小荷物送料が高かったためパナマまでがんばって思い荷物をもってきたのだ。
パナマから船便は5キロで48ドル。日本にいる人はこれを高いと思うのか安いと思うのか興味深いところだ。安くはないけどまあ我慢できるレベル、これが僕の意見だ。スペインやポルトガルだったら5キロで40ユーロ弱くらい、インド、パキスタンあたりだったら2,3千円そんなもんだったと思う。

僕らは旅をはじめて最初の半年くらいは全然荷物を送らなかった。海外から荷物を送るのってとてもたいそうなことのように感じていたからだ。それに本当に届くのかという不安もある。しかし、はじめてインドから荷物を送ってしかもきちんと届いてから味をしめた。荷物送付後のバックパックの軽さもさることながら、それまで一生懸命荷物を増やすまいと買いたいものも買わずに我慢する必要がないんだという、縛りから解き放たれたような気分は一度経験してしまうとやめられない。
インド、パキスタン、シリア、エジプト、エチオピア、南アフリカ、スペインで3回、ポルトガルともう10回も送っている。送られている実家はさぞ迷惑なことだろう。

旅のなかでは極力荷物は増やさず身軽というのがベストだと思うが、必要か必要でないかにかかわらず、なぜかだんだん増えていくのもの。人はモノを買わずにはいられない生き物だということを、旅をしていて知らされる思いだ。(昭浩)

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