2月1日〜2月12日
2月1日〜7日
アンティグアと並んでスペイン語の語学留学で有名なケツァールテナンゴ(シェラ)。ここで、私は1週間だけ語学留学することにした。
留学にあたっては、1,2週間やったところで、そんなにしゃべれるようになるかなあとか、どうせやるならみっちりやったほうがいいかなとか、いろいろ悩んだのだけれど、大学の時第2外国語で学んだスペイン語を一通り復習しなおしたい、と思ったのと、アンティグアで勉強していたひろこさんを見て、もう一度授業と言うものを受けてみたいな、と思ったので決めた。
朝9時、ホームステイ先へタカさんと2人で行く。急に変更になったので、この間会いに行ったアントニエタのところではない。相手の名前も家族構成も何もわからないまま、クリスティーナというおばさんが部屋を用意してくれて、タカさんは帰っていった。
ちょっとしたゲストハウスみたいなところだった。中庭が広く、たくさんの人が住んでいる感じがする。クリスティーナに聞くと、8人だと言っていた。朝ごはんにコーヒーとタマーレスをもらって、持ってきたパンも一緒に食べた。
それから中庭に椅子を出して日記を書こうとしていたら、女の子1人と男の子2人が現れた。女の子は犬を抱いたまま近づいてきて、
「コモ・テ・ジャマス(名前は?)」と私に聞いた。私は答え、そして聞いた。
「アストゥリアス」と彼女はこたえた。かわいい女の子だった。
「ジェイソン」と犬を指して言う。そして向こうにいる男の子を指して、
「エリック」と教えてくれた。
その後どこかに行ってしまい、私は再び暇になった。あんまりにもヒマで、ずっとここにいても頭がおかしくなりそうだったので、出かけることにした。
パルケ(公園)に行ってみた。民芸品を売る露店がたくさん出ている。日曜だからかな。くるっと一周してみた。
「あ」
スペイン語学校で会った、日本人の女の子だ。
でも向こうは気づいてないのかな?と思ったら通り過ぎかけたとき向こうから追いかけてきた。そして2人でそこをまた一周した。
私にとっては2周目だけど、話しながらだったし、とにかくヒマで孤独だったので、その2つが解消されて良かったと思った。
フルーツを食べながら座って話した。
「遊びに行きましょう」とか、「誰かを見つけて遊びましょう」と彼女は言うが、どうやら通りすがりの誰かを捕まえて話して、スペイン語の勉強がしたいらしい。
とても熱心なのはいいことだと思うが、彼女の真意が私にははかりかねた。
でもおもしろいからまあいっかと思ってつきあうことにした。昼から会う約束をして、一度家に戻った。
昼食は家に戻るとすぐに用意されていた。家族と一緒に食べた。
会話を聞き取ろうとするが、なかなか難しい。と、そこに電話がかかってきた。以前ここにステイしていた、ドイツ人の学生かららしい。大学生のようだ。家族みんなが順番に電話に出る。私もこんな風に電話するくらいに仲良くなれるのだろうか?たったの1週間で。
ドイツ人の学生からの電話で、クリスティーナは涙ぐんでいた。彼女はどうやらお手伝いさんのようだ。
ヘススという名の男の子はご飯を食べ終わると一人一人に「グラシアス(ありがとう)」と言ってほっぺにチュっとキスしていく。
わおっ、どうしよ。そう、私にも来たのであった。
かわいかった。
みんなするの?と思ったら、女の子、アストゥリアスもおばさん、おばあさんもしなかった。私もするのかと思ってどきどきしていたので、ちょっとホッとした。
さっきパルケで会ったゆっこさんに誘われていたので、アントニエタの家へ行った。会話の練習のためである。
アントニエタはさりげなく間違いを正してくれるし、ゆっくり話したりもしてくれる。
ただ、エルビアという友達が来てからは、2人の話が弾んで、というか早くてなかなか聞き取れず、さらに紅茶と満腹のせいで眠くなってきた。
その後、ゆっこさんのファミリアの家へ寄ってから再びパルケへ。買い物をして、マリンバの演奏を聴いた。暇なようでいろんなことがあった、長い一日だった。
夕食は、エリックと2人、なんか気まずい。「どこ出身?」と聞かれたけど、すぐ会話終っちゃった。まだまだこれから、がんばろう。
朝7時半におきてご飯を食べる。ヘススとアストゥリアスのお母さんのベアトリスとおじいちゃん、おばあちゃん、クリスティーナがいた。みんな優しい。ベアトリスは仕事に行くような格好をして出かけていった。(お医者さんらしい。)
私はゆっくりと準備をして、8時45分に出かけた。ゆっこさんは校長先生に教えてもらっていた。私はしばらく日向ぼっこして先生を待った。私の先生はパティ、22歳の若い女の子だ。
最初は文法ではなく、文章を読むのと会話。
文章はわりと簡単だったけど、会話をするのが難しい。
休憩の間は、生徒がみんな日本人なのでどうしても日本語で話してしまう。タカさんは、「スペイン語で会話して」と言うが無理。
2時間目は文法。これは結構ためになったと思う。
今まで思い込みで覚えていたのとか、きちんと整理できた。教え方はうまいと思う。
彼女は時々退屈そうにしているが、別に疲れてはいないそうだ。
昼食のために家に帰ると、ヘススとアストゥリアスが帰ってきた。
ヘススはさっさと食べ終わって行ってしまった。アストゥリアスは食べ終わるとみんなにキスをした。もちろん私にも。
昼からは学校で課外活動がある。
今日はスペイン語の単語を作るゲームだ。まあまあ楽しかったけど、時間が思ったよりかかった。というのは、そのあと、映画を見に行こうとゆっこさんと話していたからだ。
小さな部屋に大画面のテレビがある、そんな喫茶店の片隅の一室だった。
映画はすでに始まっていた。スペイン映画で、途中から出し、内容についていくのに大変。
でも最後まで飽きることなく見れたのはやっぱり面白かったからかな。
ゆっこさんは、「すっごく面白かった。」と言っていた。そんな彼女が私は結構好きである。スペイン語の勉強になったかどうかはわからないけれど、なかなか楽しめたので良かった。(映子)
今日は私の誕生日だった。
いつものように7時半に起きると、クリスティーナとおばあちゃん(ベルタ)が迎えてくれる。ベアトリスとおじいちゃんと一緒に食べた。
今日もいい天気、9時前には学校についてみんなと雑談。そして9時にレッスンが始まった。
今日のパティはゲームをしたそうだったけど、昨日もやったし、私はいやだった。もっとしゃべれるようになりたいのだ。会話会話、実践あるのみ。家では全然しゃべれないけどね。
そんな訳で会話がいいと言ったものの、テーマは何?と言われて、うーん??昨日映画を見に行ったから映画ということにした。少し苦しかったがまあ何とかなった。
休憩時間に、ケーキ登場。みんなにお誕生日のお祝いをしてもらった。
スペイン語で誕生日の歌を歌って、ケーキを食べた。何だか思ってたより幸せな誕生日だなあ。
後半の文法では思ったより進んだ。過去形いっぱい。こういうのが使いこなせればなあ。
昼の課外活動は織物教室。女の子は結構はまる人が多いという。
確かにこりだしてやると面白いかも。でも今の私は別に?って感じだった。
家に帰って、夕食を食べていると、ベルタの息子のエドワルドというおじさんが登場した。
彼はいろいろ話しかけてくれるのだが、はっきり言ってよく分からなかった。
夜、映画を見に行ったが、スペイン語で、英語の字幕付で、私って英語もスペイン語も中途半端だなあと実感してしまった。
どうしたらどちらもぺらぺらになれるのだろう? (映子)
今日のベアトリスは早かった。おじいちゃんとベルタとクリスティーナはいつもいてくれるので安心する。昨日映画を見ているときとても寒くてちと風邪気味だ。学校に行くと、パティも風邪気味だった。
今日のテーマは旅、にした。するとなぜか恋愛話も飛び出した。
グアテマラでは、結婚前に一緒に住んだりできないし、家に行っても中に入れないのだそうだ。だから外で手をつないだり、キスしたりするんだと。
日本人の男はFrioだそうだ。「寒い?」いやいや「冷たい」だな。人前でそんなことしないし、好きとか言ったりしないからかな。
昼食で家に帰ったとき、おじいちゃんと少し話した。
「エドゥワルドのお父さんね?」と聞くと、5人子供がいると言った。ベアトリスも彼の娘である。人間関係が少しずつ分かってきた。
エリックとは相変わらず会話はない。クリスティーナはいつも世話を焼いてくれるので一番話しやすい。
今日の課外活動はダンス教室。パティが先生で、男女1組になってメレンゲを踊った。難しい。3つくらいのパターンを覚えて最後に通して一度にやるのだけど、手も足もこんがらがってきた。
家に帰ってから少し眠った。これは風邪だ。つらい。夜はいつもより寒くなかったけど映画にいくのもやめてずっと寝ていた。(映子)
今日ほど朝起きるのがつらいことってないかも知れない。でもがんばった。学校でうがいをした。パティも相変わらず調子が悪そうだ。
今日はちょっと社会的な話題をということになって、売春の話をした。
グアテマラでは特に国境の辺りで若い女の子の売春が多いとか、日本はどう?と聞かれて、なかなか難しいが、何とか思うところを話した。
会話って難しいな。でも会話が上達するためにはやっぱり会話しかないんだよな。苦しいけれどやるしかない。
課外活動は山登り。カゼっぴきの上に山に登るのは少々きつかったけれどまあカゼっぴきでも登れる程度の山だった。最後の岩ごつごつのところはハードだったけれど。景色はなかなか良かった。
夕食後、お風呂に行って温まってから、ひろこさんとゆっこさんがワインバーで誕生日のお祝いをあらためてしてくれた。もみ上げの長い、四角い顔したギター引きのオヤジを連れてきて、一緒に歌ってくれた。とてもうれしかった。(映子)
今日が最後の授業である。しかし、最後の宿題もできてなくて朝仕上げた。絶対無理だと思っていたけどできた。それは今までの旅の経緯をスペイン語で書くというものだった。
今日は会話の時間はなく、いきなり文法で、休憩の後は少し勉強してからテストがあった。テストは90点だった。そしてパティと握手してから別れた。短い間だったけど、どうもありがとう。
午後は料理教室。グアテマラ料理、ペピアンを作った。少々辛かったがおいしくできた。その後、映画を見に行こうかと思っていたけれどやめた。まだ風邪気味なのに無理してまでイタリア映画をここで見る必要はないなと思ったのだ。
夕食はめずらしく、アストゥリアス、ヘスス、エリックと一緒だった。テレビでドッキリカメラみたいな、いろんなおかしな瞬間を写したものをやっていた。
一緒に笑っていたら、トスターダスの上のチーズが鼻息で飛んで笑われた。しかし、グアテマラ人ってこういう番組好きだなあ。みんなケラケラ笑っていた。(映子)
朝、まだ布団の中でうだうだしているときから、アメリカ人の声がした。そういえば昨日、「アメリカーノが来た。」と言っていたな。
見たらびっくり。かなりのおじいちゃんなのだ。しかもスペイン語がまったくできないので、英語で通している。少し通訳してあげた。
彼はヘススに「英語が話せるとどこにでも行ける」と言っている。アメリカ人ってほんとそうだよな。考え方がアメリカ中心。くやしいけれど確かにそれは1里ある。でも「どこでも」なんていうのはアメリカ人の「おごり」にすぎない、と思う。それをここで知るといいのに、と思う。
さて、今日はもう授業はなくて課外活動のみだ。
バスに乗って、とことこ出かけた。織物の街を通り過ぎて、さらに走り、ヘンピなところで下りて少し歩く。そこからピックアップトラックでサンアンドレスシェクルの町に着いた。
この街ははっきり言って何もない。色とりどりのカラフルな教会が2つと、工事中の土の道。すぐに見終わって、帰りのバスに乗った。
ここで事件発生。ひろこさんが「トイレに行きたい。」と言い出したのだ。どうしてもいきたいらしく、1人で降りるとまで言い出した。
ちょうどその織物の町、サカテカスにバスが止まっていたので、エイベルは「みんな降りよう。」といって降りた。
そこは土曜日がマーケットで待ちはとてもにぎわっている。マリアッチの演奏なんかあって楽しい感じだ。しかも織物のみに工場みたいな、機織り機が2台あるところに連れて行ってくれて、フルーツ酒も買うことができた。何だかラッキーしちゃったな。
家に帰って、今日は最後の夜だ、何が出るかな?と思ったらフルーツだけ。ちょっとがっくし。
でもクリスティーナとは今日お別れだった。少し寂しかった。
「また戻ってきたら、ここはあなたの家よ。」と言ってくれた。涙でそうだった。また来たいよー。
その後、ひろこさんとゆっこさんとワインバーで待ち合わせしたのに、ワインバーがしまっていてカフェでお茶した。まずいグアテマランデザートを頼んでしまった。
ゆっこさんはなかなかこない。9時過ぎにやっと現れた。そして男性陣が続々と現れて一緒にのみにいくことになった。今日はお別れ会。12時くらいまでみんなで飲んで話していた。(映子)
今日はいよいよファミリアとお別れである。
アストゥリアスはミサに行くので早々にご飯を済ませて、「フェリス・ビアヘ(いい旅を)」 と言ってチュっとしてくれた。
もう一度戻ってきて、「ムイ・フェリス・ビアヘ(とってもいい旅を)」と、チュっとしてくれた。
昨日からやってきたアメリカ人のじいちゃん、マイクことアーサーは相変わらずとんちんかんで、私がもう行くと言っても、「シー・ユー・レイター(また後で)」なんて言っている。
もう戻ってこないよーというとやっとハグしてお別れ。ベルタ、グアダルーペ、そしてエリックとお別れして出発した。
「気をつけて。」「いつ戻ってくるの?」なんて言われると別れがつらくなる。
そして学校に行くとゆっこさんとひろこさんがいた。大将を見送って、ゆっこさんにお別れを言い、私たちもやっとのことでパッキングを終えて、ひろこさんとタカさんに見送られて出発した。(映子)
今、僕たちが滞在しているシェラ(ケツァールテナンゴ)という街は、グアテマラ第二の都市であるが、ツーリストにとっては温泉以外にこれといった見所があるわけじゃなく、まあはっきりいってしまえば退屈なところだ。
はじめてこの街にやってきたときほんとうにこれから先どうしようかと思った。というのは、映子はここで語学学校に通うつもりでいたからだ。彼女は大学でスペイン語を第二外国語として勉強していたのでそこそこしゃべれる。だから必要ないんじゃないか、と金をケチりたい夫は思うのだが、映子は語学学校で勉強するってことがどういうものか一度体験したいらしい。
ケチな夫は語学学校にはいかない。2人分の学費はもったいないし、それに映子が学校で教わったことを自分に教えてもらえば映子の語学留学も2倍に生きてくる。
さて困った。ヒマだぞ。1週間何をすればいいのだ?温泉に入るといったってたかが1時間だ。
そんな時、彼が現れた。彼の出現によって僕の一週間が決まったといっていいだろう。
彼、テラダさんは、2000年にアコンカグア、2002年にマッキンリーを登頂。しかも単独でだ。
キリマンジャロやモンブランも登っている。山岳部にも山岳会にも所属したことがなく、独学と気合でこれまで山を登ってきたツワモノだ。
南米最高峰アコンカグアに登ったという人には何人も会ったことがあるが、マッキンリー登ったという人には初めて会った。
アラスカという極所にある山なので、登山条件は極めて厳しい。かの植村直己さんもこの山で行方不明になっている。
そのテラダさんから山に登ろうというお誘いがあったので、さっそく山登りに行くことになった。
メンバーは僕とテラダさんと同じ宿に泊まっていたサオリちゃんそしてガイド役としてスペイン語学校の先生をしているバイロン。
チカバル火山はシェラの近くにある山で、この辺りに住むインディヘナの人々にとって聖なる場所。標高は2700m、シェラが2200mくらいだからそれほどの高度差はない。
山の入り口の村までバスでいって、そこから登る。
山登りは久しぶりだったので、ゆっくりゆっくり体の様子を見ながら歩く・・・と、あれれ、着いてしまった。2時間も歩いてないぞ。登山というよりハイキングだな。
山の上は森に囲まれた火口湖になっていて、天空に浮かぶ湖、といった雰囲気でなかなかよかった。
山の麓の村の人々や子供たちもぜんぜん観光ズレしていなく、素朴だったのがとても新鮮だった。
もの足りなさはあるにしてもなかなかいいものであった。
山頂に書かれていた標高は1700m。どうやらガイドブックの記載は間違いだったらしい。
1700mというと僕らが出発したシェラよりも低いということになる。
約2時間登ったのに500m低い、それは登ったといえるのか?それだけがひっかかるな。(昭浩)
今日は映子31回目のバースデーである。去年はスーダンのメロウェ、一昨年はラオスのシーパンドンだった。
2年連続してちょっとした田舎でのバースデーだったが、今回はスペイン語学校でということもあり、にぎやか。多くの日本人やグアテマラ人に祝福されて映子はさぞシアワセだろう。
僕なんか、去年がゲリラ地帯に近いエチオピアとケニアの国境、一昨年はタイしかもその時は映子が一時帰国してしまっていた。地味なバースデーを送っている。まあいいやそのことは。
旅に出る前まで誕生日には、おいしいレストランを予約し、なにがしかのプレゼントを渡したりして、カップルの誕生日らしきものをうまく演出できていたと思う。
しかし、旅先ではそのようなことは難しい。
誕生日にあるとうれしいアイテム、うまいメシと気の効いたプレゼントというのが難しいのである。
こういうものは食とモノにあふれた先進国のみ手に入り安いもので、それ以外の国では難しいのである。メシはともかくとして、プレゼントに関しては渡したところでお荷物になってしまっては逆に喜ばれない。
旅に必要なもの・実用的なもの・軽いもの、と条件がかなり厳しい。というか必要なものはたいてい日本からもってきているからそんなもの探すのは無理だ。それに旅のお金はすべて2人の共有となっていて、プレゼントを買うといっても2人のサイフからお金が出るので、本当に必要でなければ貰う本人も手放しに喜べないのだ。
誕生日の時、他のカップルの旅人はどうしているのだろうか?とても興味あるところだ。
僕たちはどうしているかというと・・・ちょっとこういうことを書くのは恥ずかしいのだけど・・・チケットをプレゼントしている。
チケットといっても手作りのもので、例えば、洗濯します券、だとか、マッサージ券、とか、おつかい券、とか種類はいろいろあるけど、だいたいそんなものだ。小さい子供が母親などに送る、肩たたき券のようなノリなのである。
これはもらう方もかなりうれしい。
僕なんかは洗濯が嫌いなので、洗濯券をもらうと大変ありがたいし、疲れているときにマッサージしてもらえるのもいい。もちろん、頼めばそんな券なんてなくてもしてくれるのだろうが、券の効果は大きい。
してもらう側の気分が違う。堂々と洗濯やマッサージといった「仕事」が頼める。
「ねぇ お願いだからマッサージしてくんなぁーい?」
とネコなで声で卑屈になってお願いする必要がないのだ。
「券を使うからマッサージに励め!」
と強気に頼める。ちょっとでも手を抜こうものなら
「こらこら手を抜いちゃイカン。もっと魂こめて仕事しなさーい。」
とちょっとエラソウに言うこともできる。
する側の意識も変わる。
「なんでこんなことをしなきゃいけないんだよ。やってらんねーな、まったく。」
とつい思ってしまうようなことも
「これは仕事だからしっかりやらねば。」
とこうなるのだ。
このチケットはたいてい回数券になっていて使い切ってしまえばそれまで。ただの紙切れになってしまう。
でも、それらは大事な宝物だ。
僕たちがモノにあふれた日本に帰れば、多分ふたりとも物欲のままに、あれが欲しい、これが欲しい、となって誕生日になれば何かモノを欲しがるに違いない。
洗濯機のあるところでは、洗濯券なんて有り難味ないし、「マッサージ券くれるんだったらマッサージ屋にいく金くれよ。」なんてことにもなりかねない。
旅が終って何年もたって、旅のこともすっかり遠い想い出になった頃、たまたま押入れ引き出しのなかからこのチケットが見つかったとき・・・懐かしくそして温かい気持ちになるんじゃないだろうか。(昭浩)
標高4220m、中米で最も高い山タフムルコに挑む。
3日前に軽いハイキングはしているものの1年以上山を登っていないので少しドキドキする。でも登山口の標高が2990mと高いのが救いだ。で標高差が1200mだけだからなんとかなるだろう。
登りはじめて最初の1時間、山登りで一番シンドイ時間帯だ。荷物の重さや登るペースがうまくつかめないからだ。
僕の登山ペースはかなりゆっくりなほうなのだが、みんなは結構ペースが速い。特に欧米人は速い。
しかし、本当に山に登り慣れている人は別として、欧米人は往々にして、ペースは速いけどすぐ休憩する、そんな人たちが多い。一緒に登ったノルウェー人とスイス人グループもそうだった。彼らは30分ほど登るとすぐに休憩する。はじめはイキオイいいんだけど後半バテていた。
みんなのペースが速いとついついペースアップしたくなるが、ガマンしてゆっくりゆっくり登る。
3時間ほどでキャンプ地に着いた。キャンプ地の標高が4090mと富士山より高い。もっと苦労するかと思ったら意外とあっさり着いちゃった。
昼食はすべてガイドとポーターが用意してくれるので、しばしのんびり。昼ごはんはパンとチーズとハムそれと大量のアボガド、けっこう腹いっぱいになる。
夕方、タフムルコの隣の山に登る (タフムルコは双子峰でその低い方の山) 。
頂上からは一面雲海が広がる光景が広がっていた。
下界の景色はまったく見えないが、雲の上に住んでいる仙人のような気分だ。
日が暮れると急に冷えてきた。ガイドは火をおこしてくれていて、その焚き火のまわりで夕食。夕食はカップラーメンとフリホーレス(豆)。昼よりしょぼい。
夕食の後も寝るまでその場を離れられない。トレーナー、フリース、カッパ、ニット帽、マフラー、タイツなどなど、僕の最大級の防寒体制にかかわらず、火から離れると5秒で凍える。
就寝直前まで焚き火の前で粘り、9時ごろ寝袋に潜り込む。
しかし、山の上で焚き火なんてしていいのか?キャンプ地に生えている松の木を切って燃やしていたけど、それって日本じゃあり得ないよなあ。その恩恵にあずかったおかげで凍えなくて済んだのだけど。(昭浩)
夜暗いうちからタフムルコ頂上に向けて出発。
僕はあまり山頂で御来光ってやつにこだわりがないので、もっと寝てたかったのだが、集団行動だからしかたない。
暗いし、寒いし、風はあるしで、オレなんでこんなことしてんだろう、って気になる。
頂上到着。オレンジの地平線に遠く山のシルエットが影絵のように映る。
眼下には雲はなく、霞がうっすらと白絹のようにかかっている。
しばらく待っているとそこに一片の光が現れる。
日の出だ。
持ってきたロン(ラム酒)で乾杯する。限りなくシアワセな瞬間だ。
遠くにアグア火山、フエゴ山、サンペドロ山、サンタマリア山などのきれいな山々が見える。
フエゴ山にいたっては噴火している噴煙まで見える。
今、僕は中米大陸で一番高いところにいるんだ。そう思うとちょっと誇らしい。
今回の山登りは、まったく予定にない突発的なものであったが、とても楽しい山行であった。いつもふたりで旅しているので、男同士の山の世界というのはとても新鮮だった。
そして、山登りの後の温泉は最高にキモチよく、山登っているときは、ダルイだの寒いだの思っていたこともすっかりトンでしまって、山登りはいいなあ、だとか、今度はどの山に登ろうか、と思い巡らし、いっそのこと南米最高峰アコンカグアでも登っちゃおうかな、なーんて調子にのってムフフと湯船のなかでホクソエンデいた僕なのであった。(昭浩)
タフムルコ登山データ(協力:木本さん)
タフムルコ火山 4220m
ツアー会社/カクチケルツアー(KAQCHIKEL TOURS)/7a Calle 15-20, zona1 Tel:702-5572 Hostal Don Diego
料金/1人35ドル(280ケツァール)
料金に含まれるもの/登山口までの送迎(ただしツアー人数が8人以上、8人以下の場合公共のバスを乗り継いでいく)
テント、寝袋(すごく大きいが暖かい、登山時は自分で持つ)、ガイド、
一日目の昼・夕食、2日目の朝食(登山時みんなで分担して持つ)、手袋やニット帽も貸してくれます。
自分で用意するもの
水4リットル(スーパーで1ガロン(3.7リットル)が100円以下で売っている)
行動食(ビスケット、あめなど)
一日目の朝食(山の手前の町サンマルコスのバスターミナルで休憩するのでそこで食べてもよい)
防寒具(寒い、特に頂上で日の出を見るとき。0度前後の用意が必要)
懐中電灯かヘッドランプ
着替え(汗をかくので必ず)
お金は50ケツァール(750円)くらいしかもっていきませんでした。
(残りのお金や貴重品はエルケツァールのロッカーに入れていきました。)
1日目の行程
ツアー会社前集合6:00 → 寝袋、手袋、フードなどを借り、食料を分担してバックパックに詰め出発6:30 → 7:50サンマルコス・バスターミナル(20分休憩)8:15 → 9:15登山口9:15 → 9:40登山開始 → 12:40キャンプ地到着(4090m)
キャンプ地到着後、昼食をとりテントを張る。その後フリー
16:10タフムルコとなりの山に登る。登りで20分くらい。
17:45夕食
2日目の行程
朝5時起床5:15 → 6:10頂上
6:30日の出(この時期2月ごろはほとんど晴れる)
6:45くらいから下山(キャンプ地へ) その後朝食
朝食後、テントを片付けて荷物まとめて下山
8:30頃下山開始 → 10:30頃登山口到着
登山口11:00頃 → 13:30カクチケルツアー(ケツァールテナンゴ)到着
こんなこと自分で言うのもなんだが、僕は自分のことを結構バリバリ動きまわる活動的な人間だと思っていた。
ところがどっこい、そうではなかった。
映子と別居してからというもの、山登りに行った日は別として、ほとんどダラケきった生活をしている。
こんなこと決して自分で認めたくないことだが、実は僕は映子に常にケツをたたかれていたために活動的になっていただけで、本質は自堕落な奴なのかもしれない。
朝起きて、台湾人のやっているエンパナーダ屋にいって中華風エンパナーダ(焼き肉まんのようなもの)を買って宿に戻る。
もちろん朝食のつもりで買ってきたのだが、そのエンパナーダにからめられたピリカラ特製しょう油ダレが絶妙に効いていて、ただ朝食として食するにはもったいなく感じ、いてもたってもいられなくなり、ついついビールを買ってきてしまう。
そして朝から酔っ払いのヒトとなってしまうのだ。
今日はガマン、と思う時もある。
しかし、一緒に山に登ったテラダさん、この人も朝から酔っ払いのヒトで、水がわりとばかりに朝もビール、昼もビール、もちろん夜もビール、とやっているので、結局一緒に飲んでグダグダしているということになる。
宿はスペイン語学校に隣接しているので、すぐ隣の建物のなかでは映子をはじめとする何人かの生徒と先生が一生懸命授業に励んでいる。その脇で2人の酔っ払いがいつもよたまわっているのだ。
「顔、マッカッカだよ。なに朝から酔っ払ってんの?」
映子があきれて僕ら二人酔っ払いに近づくこともあるが、でもちょっと距離を置いている感じがするのは気のせいだろうか。
酔っ払いは、3時か4時頃になると、決まって温泉につかりにいく。毎日だ。
そこで、アルコールをいったん抜いて、それからまた新たに飲み始める。温泉もキモチいいが、温泉後のビールもまたサイコーなのでやめられない。
たまにはこういうのもいいなあ、とすっかり沈没ムードのシェラ滞在なのであった。(昭浩)
映子がスペイン語留学している間、宿泊も別だったし行動も全く別だった。
こうなると2人の間のニュアンスは微妙に変わってくる。
24時間365日ずっと行動を共にして身内というよりも自分の分身といった存在であったはずの相手が、自分に一番近い他人のように映るのである。
僕の側から見ると、あっち側の人間になってしまった印象を受けるのだ。
言い換えれば身内ではなくなっているそんな感じなのだ。
そりゃそうだ。毎日、今日は何する?だとか、メシ何食べようか?といったお互いのコンセンサスが必要の日々だったのが、まるっきり自由になったのだから。
その日何しようと自由、何食べるのも自由、朝から飲んだくれるのも自由、すべてが自由なのだ。
まさに一人旅状態。そういう時間はこの旅のなかでは貴重だ。
僕は映子が留学している間、そんな貴重な時間を十分楽しんだ。
毎日酒を飲んで酔っ払って温泉に入っていただけかもしれないが、本人がとことん楽しんだのだから誰も文句はあるまい。
そんな日も今日でおしまい。1人の時間よサヨオナラ。
「ひとりぼっちでさみしかった?さみしかったんでしょ?」
映子は僕がひとりぼっちでさみしかったと本当に思っているらしい。そしてそれを喜んでいるらしい。
なんと頭のなかがお天気なヒトなのだろう。まあいいや。
とにかく、僕らはまた2人に戻って動き出すことになった。目指すはウエウエテナンゴという町だ。
それにしても久しぶりに持つバックパックは重い。
ウエウエテナンゴという町に着いて、バックパックを宿に置いて、早速遺跡観光に出かけた。
ダラケた生活の後なのになかなかいいフットワークだ。よしよし。
遺跡に関しては「・・・」であるが、旅人復活第一日目としてはいいスタートではないだろうか。(昭浩)
コンクリートで固めた階段のようなサクレウ遺跡。こんな修復ってあり?
「同じ道を引き返すのはイヤだ!」
そう言ってガイドブックにも載っていないような超ローカルルートに固持し続けたのは映子である。
「えーそんな田舎道を通ってメリットあんの?ゲリラや強盗とか危険ちゃうの?それに乗り換え多くて面倒ちゃう?」
ヘタレな夫がそういっても聞かない。一度いいだしたらきかない恐ろしい女だ。
僕たちはウエウエテナンゴという町からコバンという町を目指している。
直行バスなんて気の効いたものなんてない。バスか乗り合いピックアップトラックを乗り継いでいけばなんとかなるだろう。
しかし、一日でどこまで行けるのか、たどりついた途中の町や村には宿泊施設があるのだろうか、まったく見当がついていない。それでもガイドブックにしばられない旅というのは、ちょっとした冒険心をくすぐられるものだ。
ウエウエテナンゴを出発したバスは峠を登り、山の尾根づたいを走り、谷あいの村へ下り、そしてまた登る。
道は舗装されておらずいつもガタゴトしていて、しかも埃っぽく排ガス臭い。
途中のサカプラスという村で乗り換えるたのだが、そこからは超満員で、人でぎゅうぎゅう詰めの車内で立ったままバスに揺られる。
こんな時いつも思うのだが、旅だなあ、と思う。そんなバスの旅が楽しい。
快適すぎるバスでは旅ではなく移動なので、早く目的地につかないかなあ、あーヒマだなあ、といつもソワソワしている。
それに対し快適でないローカルな場所での旅は、ここは一体どこなんだろう、今日はどこまでいけるのかあ、といつもワクワクしている。
それに、ガタゴト道のほうがよく眠れるのである。ワクワクしているのになぜ眠るのだ?そういう質問は無視するとして、本当によく眠れる。飲み水に睡眠薬でも盛られたのではないかって思うくらい。
ウスパンタンという町についたのは午後3時ごろだった。これより先に進むのは難しい。
一緒にバスを降りたグアテマラ人は、今日はここで一泊だ、と言っている。
「明日、コバン行きのバスは何時出発ですか?」
その僕の問いに役所のおじさんは平然と答えた。
「朝の3時じゃよ。」
「ゲゲッ・・・」
つらいけど楽しい、でもやっぱりつらいかな、それがローカルな旅だ。(昭浩)
朝と言うよりまだ夜中、真っ暗な中、星がきらきら。2時半頃宿を出た。
本当にバスは3時に出るのか?と思いながら教会の前に行ってみると、同じ宿にいたバックパッカーらしき女の子がいた。
宿の人はここで待つようにと言っていたが、他にもバスターミナルがあるらしい。
そこまで歩いていこうとすると、前方から別のバックパッカー登場。
彼はどうやら彼女と同じオランダ出身らしく2人でぺらぺらしゃべった後、ターミナルには何もないことが判明。
4人で教会前へ戻る。そこで、バス待ちをしている人に聞くと、2ブロック歩いたところにコバン行きのバスがあるという。行ってみると本当にあった。そしてわりとすいていた。
しかしそのバス、3時になるのを待たずに出発した。確かに教会の前も通っていった。
次の町に着いたのが、3時くらいだったと思う。こんな時間にもうオレンジジュース屋が出ていた。
バスは真っ暗な山道を走る。きっと景色がいいんだろうなと2人でしばらく話していた。なんとなく、眠れなかったのだ。しかしそのうちやっぱり眠ってしまった。
バスの中は、気づくと立っている人がいるくらいいっぱいだった。私は何度も窓ガラスに頭をぶつけながら、かなりよく寝てしまった。
コバンにつくともう夜は明けていたけど、まだ朝の6時半。宿は2軒断られて、やっと見つけた3軒目。朝食までに一眠りし、朝食を食べて、さらに眠った。
その日の夜、金縛りにあった。
眠り始めてすぐに、夢のようなものを見たのだ。
座敷わらしみたいな子供と手をつないでいた。両手をぎゅっとつないでいたら、子供の手のツメがくいこんできて、痛いと思ったら、その手をぐるぐる回された。そして動けなくなった。きつくつながれた手が痛い。
「あきちゃん、助けて。」
と言えるまでにしばらく時間がかかった。
その後、あきちゃんも同じように金縛りにあった。
犬の首輪に手を挟まれて、ぐるぐる回されたらしい。
何だか似てるな。これって、この部屋に何かいるのかな?それとも私たちが疲れているだけなのかなあ。(映子)
朝10時のバスに乗り、ビオトポ・デル・ケツァールへ行った。
1時間くらいで到着。道はいいし、ラクチンである。
なのにあきちゃんは、なぜか疲れていた。宿の庭を少し散歩しただけでヘタれて寝てしまった。
昼食後、ケツァールの森へ入った。入り口で係りのお兄さんが、ケツァールの鳴き声のマネをしてくれた。おおっ、何だか見れそう。期待が膨らむ。
私たちはきちんと整備された遊歩道を2時間半歩いた。
鳥の声がたくさん聞こえる。ハチドリもいた。リスもいた。でも、ケツァールには会えなかった。
森林浴だけは十分にできたから、アルファ波は出たかな?そんなケツァールの森だった。(映子)
僕は宗教を信じていないが、神様はいるんじゃないかと思っている。
そしてそのいるんじゃないかと思っている神様と約束していることがある。
「僕は自由だ。」
これが神様との約束だ。
だから自由の象徴である鳥ケツァールはぜひ見ておきたい。でも見れるだろうか?
朝6時前、日もまだ出ていない宿の暗い庭に出た。
もちろんケツァールを見つけるためだ。
暗いからこれじゃあケツァールがもし仮にいたとしてもわからないんとちゃうん?
そんな疑問もわくが、ケツァールを見たい一心のこちらとしては落ち着いてお天道様がのぼるのを待っていられないのである。
「あっ 飛んだ。」
確かに黒い影が木から木へ飛んだ。尾が長い、ケツァールでは?
でも暗くてよくわからない。
しばらく観察する。色は黒っぽい。緑じゃない。しかもくちばしが赤。なんじゃそれ?
ケツァールじゃないような気もするがはっきりとよくわからない。
(その黒い鳥をケツァールってことにしておこうか。)
そんなズルい思いもよぎる。
いい加減待ちつかれてきて、ケツァール待ちもそろそろおしまいにしたい。
空も明るくなり、しまいにはその黒い鳥もどこかへ飛んでいってしまった。
一緒に待っていたドイツ人のピーターはあきらめて部屋に戻り、映子は山のほうへ散歩に行ってくるといって僕を置いて歩き出してしまった。
あーだめか・・・クィーン クィーン、ケツァールの鳴き声らしきものは森の中から聞こえるが、鳥の姿はまったく見えない。
僕は目をつむり、ケツァールの姿を頭のなかに想像してみた。そしてその頭の中のケツァールにたずねた。
「せっかく会いに来たのにどうして現れないんだ?」
「人間の前に現れたってロクなことないだろう?」
ケツァールはこたえた。
「そんなこと言うけど僕はまだ君の写真ではない本当の姿を一度だって見たことないんだよ。」
そして目を開けた。何もとまっていない大きな木だけがそこにあった。
すると突然そこに長い尾の鳥がやってきた。少し光沢のある緑色の長い尾の鳥、それはまぎれもなくケツァールだった。
まだ近くにいた映子を呼んだ。部屋に戻っていたピーターも呼んだ。
しばらくケツァールは僕らのたっているまわりの木のあたりを飛び回ったあと、森の奥へといってしまった。
「ケツァールと心の中で会話をしていたんだ。するとケツァールがやってきたんだ。」
ケツァールが現れる直前に頭に浮かんだケツァールとの会話を映子に話した。
「(そんな話を)うまく作ったナ。ドラマ仕立てかい?」
映子はドライに聞き流す。
「だからケツァールには何度もありがとうってお礼を言っておいたよ。」
僕がそういうとこれまたシュールに返される。
「いるんだよねー、こういう勘違い野郎。」
まあいいや。念願のケツァールもみられたことだし。
僕たちはその日、ケツァールの森をあとにし、ホンジュラスとの国境近くの町チキムラへと向かった。
チキムラはこれまでいた高原地帯とは違って、水シャワーが気持ちいい極暑の町だった。(昭浩)