僕はドキドキしている。今イスラエルに向かっているからだ。
自爆テロが怖くてドキドキしているのではない。パスポートのハンコにドキドキしているのだ。パスポートにイスラエルのスタンプを押されやしないだろうか?それが心配のタネ。イスラエルのスタンプがあるとイスラム国であるスーダンに入国できない。
CNNニュースでやっていたとおり、入国チェックが厳しいらしく、キングフセイン橋で1時間以上またされる。イスラエル側の国境にはイスラエル人の係員がたくさんいた。兵隊の人たちだろうか。防弾チョッキを着ている。僕たちの持っていた荷物はすぐに係員によって持っていかれた。僕たちは金属探知機を通される。通る前に上着を脱がされ、マネーベルトまでとらされた。映子が金属探知機を通るとピー!となって、靴まで脱がされていた。イスラエルのパスポートコントロールでは意地の悪そうな若いお姉ちゃんが高圧的に質問してくる。
「どのくらいイスラエルにいるつもりだ?どこに泊まるのか?いくら持っているのだ?仕事は何している?今は休みなのか?」
そしてさらに同じような質問される。
「いつヨルダンに戻るんだ?」
「12月26日(さっき1週間イスラエルにいると答えたのにまだわからねーのか)」
「何日間イスラエルにいるのだ?」
「だから1週間だっつーの」
映子にいたってはもっとひどい。
「No Stamp Please」(スタンプを押さないで)」
と2回も言っているのに、こんなことを言われたそうだ。
「DO YOU WANT ME TO STANP ON YOUR PASSPORT ?( パスポートにスタンプを押して欲しいか)」
ストレスが溜まる。実際、パスポートにスタンプを押された日本人ツーリストに何人かあったし、ひどい時には入国させてくれないうえに、“DENIED(入国拒否)”のスタンプを押されたツーリストもいた。最悪である。イスラエルに入国できないばかりか、それじゃアラブ諸国も入国できない。
入国早々これだから、イスラエルはむちゃくちゃ印象が悪い。
乗合タクシーに乗って、エルサレムの旧市街へ。「アラブじゃんここ」はじめに思ったことだ。もっとユダヤ人ばかりかと思っていたよ。そこで僕の頭の中は混乱する。いったい誰がパレスチナ人で誰がユダヤ人でどういう人のことをイスラエル人というのだろうか?ここに住んでいるパレスチナ人の国籍はどこになるのだろう?イスラエル国籍のパレスチナ人っているのだろうか?もしいたらそういう人には選挙権があるのだろうか?税金は、パレスチナ人からも徴収しているのだろうか?まったくの謎だ。
エルサレムの旧市街は大きなスークのようだった。車は通れない。商店街がひしめきあっていて、ときたま教会やら、イエスゆかりの場所に出会う。そして、歩いていると、周りの雰囲気が急に変わるのである。イスラム地区にはやはりアラブ系の人ばかりなのだが、ユダヤ地区にはいると、黒い帽子に黒いマントのユダヤ衣装の人しか見かけなくなる。キリスト教地区は西欧人ぽい感じの人が増える。
いろんな人が同居して、いろんな宗教が同居している。まさにそれがエルサレムだった。(昭浩&映子)
激しい雨の中、アラファト議長の家に行った。トルコのアンタルヤで出会って、ここエルサレムで再会した“帝王”も誘って3人で出かけた。
ウエストバンクへのチェックポストを越え、パレスチナ人の町ラマンラに入る。冷たい雨がしきりに降ってくる。ラマンラの町自体は、普通のアラブの町といった様子。ここでもよくインティファーダ(イスラエルに対するパレスチナ人の抗議運動)があって、イスラエル軍と衝突するらしい。ラマンラの町の中心から少し離れたところにアラファト議長の家はあった。家のまわりは、イスラエル軍にめちゃくちゃに壊されたまま残っている。アラファト議長の家のまわりだけは、マスメディアを意識してか、新しく立て直したりしないのだそうだ。
「アラファトに会いたい。」
「プレジデント アラファトのことか?」
(おおっ アラファトはプレジデントだったのか!と一同驚く)
「会えるかどうかわからない。ちょっと待て」
アラビア語しかはなせない守衛はそんな感じのことを言った。
守衛の小屋には写真の束があり、それらはすべてパレスチナ一般市民とアラファト議長との2ショット記念写真だった。
(おおっ、これはイケルかも?)
しばらくそこで待っていると今度は英語の話せる兵士がやってきて、プレジデントと会うのは難しいという。しかし、毎週金曜日の12時から記者会見があるはずだ。
「プレスコンファレンスないの?」
と聞くとわりとおおきなホールのようなところに連れて行かれた。そこにはプレスの人たちがいっぱいいて、僕たちはどう見ても浮いていた。みんな記者らしい黒や茶、灰色系の地味な服を着て、カメラマンや撮影クルーと同行しているのに、僕たちといったら、僕が緑で映子が青、“帝王”は黄、全身派手な蛍光色のカッパ。小さなデジカメ持って、ふてぶてしく記者会見会場の一番前の席に座っているどう見ても怪しい3人。
「君たちはジャーナリストか?」
「NO」
「君たちここにいても何もないよ。プレジデントに会いたいならアポイントをとってから来なさい。」
そう言われても、なんとなく引き下がれず、12時までその会場の隅っこに移動して待っていた。12時になると、ジャーナリストたちは、バタバタとアラファト議長のオフィスに入っていった。私たちはむなしくその場を去って、冷たい雨の中エルサレムへ戻ったのだった。
エルサレムに戻った僕たちは、旧市街を観光することにした。ヴィアドロローサ、これはイエスが十字架を背負わされてから処刑され昇天するまでの道のりで、毎週金曜日にはこのヴィアドロローサにそってパレードが行なわれる。しかし、今日は雨で中止。しかたなく、自分たちだけでまわる。イエスが十字架背負ったところや、イエスが閉じ込められた洞窟に入り、イエスがつまづいたところ、聖母マリアが十字架を背負ったイエスを見送るところなどを見て、最後にはゴルゴダの丘があったといわれる聖墳墓教会へとつづく。
聖墳墓教会には当然のことながら敬虔なクリスチャンたちが、祈っていたり、泣いたり、いろんなところに口づけしたりしていて、3色の派手な雨合羽姿の僕たちはどうみても場違い。だけど、十字架の立っていた岩をさわったり、棺をさわったり、とやや気後れしながらもやることはやった。クリスチャンじゃないので、涙が出るほどの感動はないが、実際にエルサレムの地のイエスゆかりの地を訪れることによって、イエスにまつわるいろんな逸話が少しだけリアルなものに変わったと思う。このエルサレム、少し歩けばイエスのゆかりの場所があちこちにあるので、歩いていてなんか楽しい。(昭浩)
エルサレムはキリスト教の聖地でもあるが、イスラム教の聖地でもある。エルサレム旧市街にある岩のドームと呼ばれるモスクがそうだ。ここは預言者ムハンマドが昇天したところである。しかし、イスラム教徒でない僕たちはなかに入れない。どうしてかは知らないが2年程前からイスラム教徒以外は入れなくなった。それでも中に入ろうと試みてみたが、イスラエル兵に止められ、結局断念。イスラム教徒に入るなと言われれば納得できるが、なぜユダヤ人であるイスラエル兵に入場拒否されなければならないのだ?
オリーブ山に登って、そこから岩のドームを見て満足するしかないのか・・・
オリーブ山にもいくつかイエスにまつわる教会がある。そのなかで一番気に入っているのが「主の泣かれた教会」。ここの祭壇の向こうはガラス張りになっていて、ガラスの向こうに岩のドームが見えるのだ。イスラム教の聖地である金色に輝くドーム、それを借景した教会。エルサレムならではのシーンだと思った。(昭浩)
朝、晴れてる!と思って勇んでオリーブ山へと出かけた。今日も帝王(昨日の日記参照)と3人で出発。しかし、オリーブ山が見えてきたときに雨が降り出した。そして、寒い・・・。
最初に訪れた「マリアの墓教会」では、祈っている人、儀式をしている人たちがいた。下っ端みたいな男が、出て行けみたいな身振りをして、あきちゃんと帝王はすぐに引き返そうとした。でも、偉い人が、「Welcome!」と言ってくれたので、入れた。入ってみると、2つ儀式をやっていて、1つが終わるとマリアの棺のところまで行けた。教会の中には、たくさんの絵があった。きれいだった。神聖な感じがした。
万国民の教会、主の泣かれた教会、主の祈りの教会、そして昇天教会へ行った。主の泣かれた教会は、岩のドームが見えて景色がいいうえに、古いモザイクが残っているのもよかった。昇天教会には、イエスが昇天するときに残したという、足跡があった。しかし、そこを管理しているムスリムのおやじは、いい人か悪い人かわからなかった。それを見るのに、1人5シェケル払わされたからだ。
シオンの丘にあるマリア永眠教会は、新しく、天井や壁のモザイクがきれいな教会だった。その下にある、洞窟みたいなことろも面白かった。
私が個人的に面白いと思ったのは、ダビデ王の墓だ。あきちゃんと帝王は、ユダヤ教徒がかぶる、キップと呼ばれる帽子を頭に乗せ、私は、スカーフをかぶる。それが楽しかった。お墓で楽しいなんてちょっと不謹慎かもしれない。中ではユダヤ教徒が祈っていた。
それから、最後の晩餐の部屋と、鶏鳴教会へ行った。鶏鳴教会では、聖書に載っている出来事の説明があちこちにあって楽しい。ペトロがイエスを知らないとしらばっくれているシーンがあった。(映子)
ヤドヴェシム、ユダヤのホロコースト博物館へ行った。ユダヤ人迫害の歴史がパネルになって展示されていた。僕が気になったのは、その博物館で展示されているものではなくイスラエル人兵士だ。若い兵士の集団がいくつかのグループに分かれて来ていた。たぶんなりたての兵士のための新人研修のようなものなのだろう。全員機関銃を肩から下げている。兵士で混みあっている中を、ちょっと失礼、といって人ごみをかきわけくぐりぬけようとすると、銃身や銃口がやたらと自分の体に触れてしまう。あんまり気持ちいいものではない。
そして、博物館を出たあとの兵士たちの表情だ。やたらみんなやる気になっている。モチベーションがあがっているのがわかる。
「俺たちがやらなきゃ、自分たちがやられる。俺たちがやらなきゃ、展示されているパネルのような悲惨な目に自分たちがあう。」
そんな表情だ。
彼ら若い兵士のエネルギーは決して平和に向かうベクトルではないように感じられた。(昭浩)
僕たちの泊まっている宿には、若きジャーナリストの卵やボランディアの人たちがたくさん集まっている。ボランティアとはパレスチナ解放を求める団体のことである。彼らは、インティファーダのある場所に行って、その現状をビデオに収めたり、肉の壁となって、イスラエル軍の攻撃をまさに体をはって防ぐという。彼らに写真やビデオを見せてもらった。たまにニュースでみる、戦車に石ころを投げている様子やイスラエル軍の威嚇射撃、イスラエル軍の戦車などがそこには映っていた。イスラエル軍とパレスチナとの衝突はウエストバンクのいたるところでやっていて、しょっちゅう死人が出ている。ガザ地区では毎晩のように銃撃戦をやっている、と若きジャーナリストは言っていた。
ニュースなどの映像でインティファーダの様子を見てもリアリティがまったく感じられないのだけど、ビデオを取ってきた人から直接話を聞きながらその映像を見るとだいぶ現実に近いことのように感じられる。このあたりの抱える問題は数多くあるが、イスラエルに来て、これらの見え方が変わったことだけは事実である。(昭浩)
朝、嘆きの壁での成人式を見に行った。ユダヤ人のいつもと違うコスチュームが面白い。頭に黒い小さくて四角い機械みたいな装置を着ける。同じように腕にも着けていた。そして、成人式を迎える少年が、おしっこ行きたいみたいに揺れながらお経を読む。そして、お経を散々読んだ後に、楽しそうに手をたたきながら歌っていた。最後にあめを投げて、成人式は終わり、結構長い。成人式といってもまだ13歳。全然子供だ。これから、兵役とかいったりするのかな。母親なのか、私の隣で、泣いているおばさんがいた。うれしいのか、悲しいのかわからない。
ユダヤ人とは、不幸な民族だと思う。一人一人はいい人が多いのに、なぜか一部の悪い人ばかりがクローズアップされる。ダビデの塔で歴史を見ながら、ユダヤ人もアラブ人も、元は同じじゃないかと思った。元々そこに住んでいて、ユダヤ教の伝統を守っている人が、ユダヤ人と呼ばれ、イスラム教に改宗した人がアラブ人と呼ばれるんじゃないだろうか。私にとっては、見た目で区別をつけるのが難しい。個人のアイデンティティーの問題じゃないかな。
ダビデの塔は、オリジナルなものはなくて、すべて後から作ったもの。歴史の説明はわかりやすいが、イスラエル側なので、一方的な感じがする。パレスチナ人が見たらどう思うだろう。来ているのは、ユダヤ人の子供たち。昨日ヤドヴェシェムに来ていた兵士を見た時と同じような複雑な気持ちになった。(映子)
ユダヤ人には、アレキサンダーという名前が多い。昔、アレキサンダー大王が来たとき、自分の像を作ろうとしたが、だめだといわれた。(ユダヤ教では、刻んだ像を作ってはいけないからだと思われる) そのかわりに、長男にはアレキサンダーという名前をつけるように決めたらしい。
僕はクリスチャンではないが、人並みにクリスマスは祝う。旅に出るまえの何年かは毎年カトリックの教会に行って、クリスマスミサに参加していた。クリスマスイヴに教会で聖歌を歌っているだけでも気分がいいものである。
そして今年のクリスマスはベツレヘムだ。自爆テロや乱射事件のニュースを聞くたびにブルーな気持ちになった。なんせベツレヘムはパレスチナ自治区のなかにあって、よく危険度4が外務省から出ていた場所だからだ。今年の11月イスラエル軍が聖誕教会を包囲してしまったときは、いよいよダメか、と絶望的な気持ちになったものだ。
それだけに聖誕教会のなかにはいったときの感動はひとしおであった。ぼろい建物、イエスが生まれた馬小屋の雰囲気のままつくられた教会。クリスマスにイエスの生まれた場所に来ることができた。多分こんなチャンス二度と訪れないだろう。しかも、トルコのアンタルヤで知り合った友達とエルサレムで待ち合わせ、約束通り一緒に来れた。
僕たちはクリスチャンではないので聖誕教会のクリスマスミサには参加できなかったが、
同じベツレヘムにあるプロテスタントの教会で、いろんな国々から来たクリスチャンたちと共に聖歌を歌い、クリスマスを祝った。僕は今年のクリスマスを一生忘れないだろう。(昭浩)