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シリア旅行記2

 

12月7日〜12月10日

ベイルートからダマスカスへ12月7日

まったく緊張感のない国境越えだった。シリア入国2度目だということもあったし、ベイルート〜ダマスカス間というのは、たいへん頻繁にダイレクトバスが出ていて、ローカルの人々の行き来も激しい路線。国境のイミグレは混んでいて並ぶのに時間がかかるが、出入国は簡単。ひと山超えれば、もうそこはダマスカスなのである。近いけど、ダマスカスはベイルートとは、明らかに違う。洗練なんて言葉は似合わない。アザーンの似合うイスラムの街であった。レバノンではTシャツで過ごせたのに、ここダマスカスではフリースが必要である。しかも、雨が降っていて寒い。なんかじめじめしていていやな感じ。ベイルートとは対象的だ。(昭浩)

ゴラン高原 12月8日

ゴラン高原とは中東戦争でシリアがイスラエルに負けて失った場所だ。そのゴラン高原にクネイトラという町がある。今現在国連管理下にある微妙な町である。意外と気軽にツーリストはその町にいくことができる。
パーミットをとってワゴンバスを乗り継いで向かう。途中から国連職員がバスに乗り込んで一緒にクネイトラまでいくことになる。
クネイトラはゴーストタウンになっていた。バイオハザードというゲームをやったことのある人ならあのゲームのパート3の舞台となった全滅した町を思い浮かべてほしい。あれよりひどいかもしれない。町のすべてが破壊しつくされていた。ベイルートで見た戦争の傷跡は逆に今のレバノンの力強さをそこから感じたが、このクネイトラからは脱力感と虚無感だけを感じる。たまに通る車は、国連の監視車だけだった。(昭浩)

クネイトラ
ぼこぼこに破壊された建物ばかり並ぶ

雨のダマスカス   12月9日

増えた荷物とお土産を日本に送ろうと箱に詰めて、さあ出かけようと思ったら、雨が降ってきた。「明日にしようか」なんて言いながら、朝食を食べていると小ぶりになってきたので、出かけた。
中央郵便局では、2キロまでしか送れない。私たちの荷物はなんと6.7キロ!!箱に行き先を書かれて(もちろんアラビア語で)、訳もわからずそこへ向かった。郵便局のじいさんは、「タクシー、ゴー。セルビス、アンダー、ザ、ブリッジ。」と言う。どうやら、「タクシーでも行けるが、セルビスだと橋の下から乗れ。」と言っているようだ。
橋の下でとりあえずセルビスを待っていたけれど、読むこともできない場所に、どうやってたどり着けるのだろう?同じようにセルビスを待っているおじさんに、聞いてみた。するとおじさんは、「ここで待て」というジェスチャーをして、一緒に待ってくれた。どうやらおじさんはその近くまで行くらしく、一緒に乗って行ってくれた。
セルビスを降りてから、少し歩いた。とてもわかりにくい場所だった。私たちだけだと到底たどり着けない場所だ。いろんな人に聞いて、助けてもらって、やっとたどり着いた。
帰りのセルビスも、とにかくたくさん、いろんな方面行きが通るので、わからん!と思ったが、片っ端から、行き先を叫んでセルビスを止める。運良くマルジェ行きに乗れて、博物館のとこで降りることができた。

博物館は、とても見ごたえがあった。でも展示の仕方がイマイチでわかりにくかった。一番良かったのは、ドゥラ・エウロポスのシナゴーク壁画。壁はもちろんのこと、天井にも色鮮やかな壁画がきれいに残っていた。ざくろとか、魚とか、花とつくしみたいな植物の絵もあった。今回私たちは行かなかった、ユーフラテス川の方にも行ってみたいなと思わせる。他には、パルミラやウガリットからの出土品が充実してた。イラク国境近くの村マリからの出土品もなかなか面白い。ウガリットからビブロスと同じ青銅の兵士が出てきてるのが興味深い。どちらもアルファベットの発祥の地と言われている場所だ。
イスラム教が入ってきた頃から、陶器の色はとても鮮やかになる。ブルー、グリーン、混ざったような色・・・。そして、コーランも展示してあった。

夕方、ウマイヤドモスクへ行った。雨がまた降ってきた頃だった。すでに暗くなってきていて、ライトアップされたモスク、流れるアザーン、祈る人々、とても雰囲気のあるところだった。さすが、世界最古のモスク。(本当かな?)外側の金が入った絵は、とてもきれい。これは、明るい時に見たほうが良かったかもしれない。でも、雨のダマスカスのモスクの姿は、私の心の中に今でも残っている。(映子)

僕はモスクのなかの雰囲気が好きだ。そのなかでもとりわけここウマイヤドモスクのなかは良かった。
モスクのなかというのはガランとしていて基本的になにもなく、このモスクも例外ではない。モスクのなかに足を踏み入れるとそこにはなごんだ空気に包まれていた。そこにいるだけでなんだか身も心も落ち着く。このモスクはいいエネルギーをもっている。
広いモスクのなかで額を床にこするように祈る巡礼者もいれば、横になって寝ている人たちもいる。ピクニックのように家族で輪になって食べている人もいる。昔からモスクのなかはこんなふうだったのだろう。イスラム教第4の聖地は、ゆっくりとした時間が流れていた。(昭浩)

ダマスカスのスーク
ダマスカス旧市街のスーク。400年の歴史があるとか
ダマスカスのウマイヤドモスク
ウマイヤドモスク。柱はローマっぽい。のんびりした雰囲気

ボスラと夜のローマ劇場  12月10日

今日も朝から雨、でも出発だ。バスターミナルまで歩く。思ったより遠い。ダラー行きのバスは、今にも出ようとしてたみたいで、あきちゃんが人波にもまれて見えなくなった時、向こうから叫んでいたらしい。でも私は見えないし、聞こえないからわからない。親切な兄ちゃんが、違う所へ案内してくれて、何とか乗れたけど、二人は険悪な雰囲気になっていた。いつものケンカである。やれやれ。
バスの中で、 眠っているうちにさっきのことなどすっかり忘れ、気づいたらダラー。そこからミニバスに乗り換えて、ボスラへ行った。
ボスラを訪れる観光客は少ないと思う。だけど、ここはかなり立派な遺跡だ。そして世界遺産でもある。特徴としては、ローマ遺跡なんだけど、柱とか、石とか、遺跡全体が黒いのだ。ローマ劇場と、そこに隣接しているお城、なんとその中に泊まることができる。(昔の兵士の宿泊所だったところに泊まることができる)他にもモスクや教会、ハマーム(トルコ風呂)、門、円柱が立ち並ぶ通り・・・。見所がたくさんあった。そして、驚いたことに、その遺跡の一部というようなところに、人が住んでいる。コリント式やイオニア式の、ローマ遺跡の柱を壁の一部にした家がいくつかあるのだ。

この町に観光客があまり来ないのはいいことなのかもしれない。古いコインとか、ポストカードを売ろうとする人がたまに現れるが、人はわりといいみたい。果物屋のおじさんは、最初は高い値段を言っていたが、「お金がない。」と言うとただでハマームのカギを開けてくれた。お菓子屋のお兄ちゃんは、「チキンが食べたい。」と言うとお店まで一緒に来て注文してくれた。

今日のハイライトは、なんと言ってもこのローマ劇場のお城に泊まること。夜、ライトを持って、管理人さんに見つからないように探検した。別に見つかっても大丈夫かもしれないけど、なんとなくこそこそしていたのだ。夜のローマ劇場は、周りが明るいので、ライトなしでもOK。黒い劇場にステージの白い柱が浮き立って見える。もう雨もやんで、空には雲の切れ間から星が見えていた。私は、この日のことを一生忘れないと思う。(映子)

誰もいない夜のローマ劇場は、なかなか神秘的。しかし、夜、誰もいない遺跡を歩くのは、夜の学校を歩くのより怖い。一人じゃ絶対いけない。(昭浩)

ボスラの宿のローマ劇場
ローマ劇場。なかなか立派。月明かりだけの夜の劇場もロマンチック
 世界遺産ボスラの街
ボスラの街並。遺跡だけど人も住んでいる。黒っぽい石で作られている
 ボスラの住む人々の家
ボスラにある人の家の壁。遺跡である柱も使われている
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