10月12日〜10月19日
あれから2年たつ。出発するまでは2年も旅を続けるなんてまったく想像の圏外のことだった。今は、日本での生活がなんだか違う世界のことのように思える。かといって遠い世界って感じじゃなくて、どこでもドアみたいに、ドアひとつ隔てればそこには以前僕たちが所属していた日本社会があって、そのままスッと、まるで外回りからもどってきた営業マンが自分のオフィスにドアから入っていくように、ごく自然に入っていけそうな、そんな身近な距離感も失われてはいない。
本当にたまたまなんだけど、今日はコロンブスがはじめて探検に向けて出発したセビリアの町に着た。
ポルトガルからここまでの道のりは大変といえば大変だった。ポルトガル人の誰もが、街のツーリストインフォメーションの人でさえポルトガルからスペインへのバスについて何も知らないのだ。バスターミナルのスタッフさえ知らない。ポルトガル人ってよほど内向的で国外にでないのかスペインがきらいなのか知らないけど、それにしてもなぜ知らぬ?
多分、バスターミナルに来るだろう、ということで待っていたらスペイン行きのバスはやってきた。というか、やってきたバスに片っ端から、このバスはスペインに行くのか、って聞いたのだ。
苦労して大好きなスペインにやってきたのだが、大きな感動はなかった。物価が高い!とくに宿代が高い。ポルトガルなら1泊二人で25ユーロ出せば立派な部屋に泊まれたのに、セビリアのユースはドミトリーで1人18ユーロ、2人なら36ユーロもする。しかも受付のおっさん超感じ悪い。
セチガライなあ、これが久しぶりにスペインに戻ってきた感想である。(昭浩)
アルカサル?なんじゃそれ?どうやら昔のイスラム支配時代からの王宮らしい。これが意外と良かった。久しぶりにイスラムの幾何学模様を見たのが良かったみたい。これもあまり見すぎると飽きてくるのだが、新鮮に思えるうちはとてもいいものだ。
でもやっぱりセビリアのなかで一番印象に残っているのはフラメンコ。こじんまりとした中庭の舞台で、ギターの調べに手と足で打つタンッタンッという響き、そして激しい踊り。その迫力と伝わる熱いものにシビレた。(昭浩)
この町は気に入った。迷路のような古いアラブの町。しかし、壁は白塗りで、窓辺には観葉植物や花がきれいに飾られている。さすがヨーロッパ、アラブのような土臭さはなく洗練されている。ベースはイスラムだけど見事にヨーロッパ風にアレンジされている。簡単に言えば、イスラムと西欧文化のみごとな調和である。
歩いていて楽しい町。小径からは玄関越しにきれいな中庭が覗き込めるようになっていて、いろんな模様のイスラムタイルや緑でデコレートされたパティオが見て楽しめる。また、そのパティオ自体がレストランとなっているところもある。
気に入っているのは町並みだけじゃない。ここの観光の目玉であるメスキータ、これには驚いた。
このメスキータとは、昔モスクだったところを、スペイン人がレコンキスタのあと、強引に教会に変えてしまった一応教会ということになっている大きな建物のことである。中にはいると元モスクだった天井高の広い空間に無数の白と赤の縞々アーチが目に入る。白赤白赤白赤白赤・・・・運動会の赤い玉と白い玉が宙に舞う「玉入れ」がそこかしこで行われているように、無数の紅白が視界のなかに現れる。なかにいるだけでなんだかめでたい気分。ということもあって、大変印象の強いコルドバなのであった。(昭浩)
ユースホステルが嫌いだ。いや嫌いになった。
なぜなら高い。しかもプライベートなスペースが少ない。混んでいたりしたら最悪だ。客がだまっていてもよく来るからか、ぞんがいな対応だったりすることが多いのも気に入らない。
ヨーロッパをふたりで旅するなら普通の宿に泊まったほうが断然いい。ユースよりたいていは同額かもしくは安い値段でこぎれいなプライベートルームに泊まることができる。貴重品や荷物の管理も楽だし、安全だし、くつろげる。宿の人も感じがいいところが多く、ホスピタリティってやつを感じる。
でもこれまで何度もユースを利用してきた。とくにヨーロッパに来てから。それは、ユースは安い、と勝手に思い込んでいたからだ。ヨーロッパに来たらユース、そんな先入観もあった。さらにもうひとつ。僕たちはスペインのガイドブックというものを持っていない。でもなぜかユース情報だけは持っている。ユース以外の宿の情報はまったくなく、その土地の地図すらないのである。だから必然的にユースに泊まっていた。
しかし、セビリアでキレた。あまりの高い宿泊費と受付のおっさんの横柄な態度に、もうガマンならねぇ、とブチキレたのだ。
セビリアで1泊した後、僕たちは変わった。情報なんてなくても、地図なんてなくても、いい宿を探し出してやる!そう決めたのだ。セビリアではウロウロとなんとなく足の向くまま歩き、そして宿を見つけた。コルドバでも適当にバスを降り、迷路のような小道を本当に迷ってしまいながらも野生のカンで安くていい宿を探しだした。今日なんかは、すっかり野生のカンにも自信がついてきたのか、探す前から、いい宿は見つかるにちがいないといった確信に近い予感めいたものすらあった。
そしてその予感は当たった。なんとなく気になる看板が遠くに見えたので、入ってみると、どんぴしゃり、眺めもよく、きれいで居心地いい、しかも予算内、まさに理想的な宿であった。
野生のカンで宿探しをするときのコツというものをあげるとすれば、予算を決めることだと思う。安くていい部屋、それが見つかればベストだが、安いというのがどれだけ安いということなのか、それが不明確だったり、安ければ安いほどいい、といったように曖昧だったりすると、なかなかうまく見つけられない。あとは信念と確信ってやつかな。
今夜はちょっと宿探しの達人にでもなった気分なのである。(昭浩)
アルハンブラ宮殿、そこは私にとって特別な、憧れの地だった。初めてスペインへ行ったとき、次は絶対行こうと誓った場所でもあった。南の方、アンダルシア地方はいいという噂を聞いて、まさにあの歌同様、アンダルシアに憧れていたのだ。
そして今日、晴れてそのアルハンブラ宮殿を訪れたわけだが・・・
一言で言うと期待はずれだったのだ。確かにイスラム文化の装飾は素晴らしい。カルロス5世が作った建物のしょぼさと比較してもそれは明らかだ。そして大使の間はアラブの王とイサベル女王が会って、アラブが降伏するという話し合いがなされたり、コロンブスに航海のための資金を渡したりと数々の歴史的な出来事の舞台になった、まさにその場所なのだ。
私自身、何をそんなに期待して行ったのかはわからない。ただ何かが違っていたのだ。セビリヤのお城も、コルドバのメスキータも期待していなかっただけに感動した。期待しすぎたのがよくなかったのだろう。ただ、このスペインの大地に確かにイスラム文化は息づいていて、栄えていたんだということはよくわかった。そしてここグラナダが、その最後の砦だったということをよく心に刻んでおこうと思った。
展望台から見たアルハンブラ宮殿はよかった。この地を追われたアラブの王が、別の山の上から宮殿を見て涙したというのも十分想像できた。
「アルハンブラ宮殿の思い出」ってどんな曲だったっけ?と思ったけど、思い出せない。周辺にいるギターマンは、じゃんじゃんとやっているが、英語の曲ばっかりで全然ムードがない。「アルハンブラ宮殿の思い出」とか弾いてくれればいいのに。(映子)
僕がグラナダで最も好きな場所は、アルバイシンというエリアにある広場だ。ここからアルハンブラ宮殿が見下ろせる。
本音を言えばアルハンブラ宮殿には少しがっかりした。なかの装飾に大感動するものと思っていたので、いつ感動しようか、構えたまま宮殿めぐりが終わってしまった。こんなこと言っちゃあみもふたもないんだけど、宮殿なんぞもともと僕にはあんまり興味がないのだ。昔の庶民の暮らしや文化というものには興味が持てる。庶民の自分と照らし合わせられるからね。当時は大変だったんだなー、だとか結構いい暮らししてんじゃん、そんなことを感じたり。それに比べ貴族の生活はピンとくるものがない。それどころか、心のどこかで、貴族趣味を忌み嫌っている。
広場はいい。庶民のものだ。今日はカスタネット売りのおばちゃんが太った体をゆらせてフラメンコを踊っていた。ノリノリだ。お尻もゆれている。
アルバイシンの上のほうにはサクロモンテと呼ばれるエリアがある。そこはジプシーの住むエリアで、今でもクイバと呼ばれる洞窟式住居跡が残っている。今でもジプシーは穴の家に住んでいるのかと期待していったが、どうやらジプシーたちは観光客相手にフラメンコのショーなどやって稼いでいるのか、普通の家に住んでいた。普通の家のなかには元の穴住居をフラメンコの舞台として使っているところもある。
散歩の途中、入ったバルで、軽く1杯のつもりだったのが、おいしそうなあさりのワイン蒸しに心を奪われてしまい、結局、美食と美酒に酔っ払った怠惰な午後を過ごすことになってしまった。夜は夜でタコ料理とジューシーな手羽先とパエリヤと白ワイン。こんなシアワセなスペインをもうすぐ去ると思うとつらい。でも、このままスペインにいてどんどん太ってしまうのもつらいとも思うのだった。(昭浩)
ポルトガルから再びスペインに戻ってきて1週間、僕たちはずっと「スペイン」を探していた。結論から言えば近いものはあったが、探しているものは見つからなかった。
僕たちの探す「スペイン」とはバスク地方でスペイン人と一緒に生活したときに感じたスペインだ。バルをはしごし、友達とたわいもないおしゃべり、おいしいタパスや料理、そしてワイン、それの繰り返し。楽しい繰り返し。
僕たちがこの1週間行ったところはあくまでスペインの観光地であった。ただ観光するだけならツアーだろうが個人旅行だろうが変わらない。スペインの生活文化、食であったり習慣であったり、そういう領域を覗き込もうとする時に、スペイン人の友達と一緒にいるのといないのとではその差は超大だ。スペイン人はいいバルを知っているし、いいレストランも知っている。その地方で何がおいしいいかも知っているし、地元でもないのにどういうところにいいお店というのがあるかなぜかわかる。
少し傲慢な言い方かもしれないが、僕たちはバスク地方では普通の旅行者では経験できないスペインの旅ができたのだと思う。それは本当に幸運なことだ。
今日ジブラルタル海峡の町アルヘシラスに着いた。幸運だったスペインの旅が終わる。映子はスペインから離れたくない様子。お次がアラブじゃ気ものらんのだろう。僕は久しぶりの異文化の国に行くので少し気持ちが高ぶっている。(昭浩)