2月8日〜2月17日
昨日バス停の宿に泊まって、今朝6時に起きた。
バス停は閑散としていて、バスに乗るような乗客らしき人は1人もいない。
だんな(昭浩)が近くの店の人たちに聞いた情報によると、8時ごろベトナムとの国境の町、ラクサオ行きのバスが通るという。
止まるわけではないようだ。
そして、8時ごろ通りすぎようとするバスをつかまえて乗り込んだ。
地元の人たちでいっぱいのそのバスは、5時間くらいでラクサオに着いた。
そこからは、トゥクトゥクだ。
結構お客さんが乗っていて、すぐに出発しそうなトゥクトゥクのお兄さんと交渉してすぐに乗り込んだ。
そのトゥクトゥクに乗っているのは、ベトナム人ばかりで、私はもう国境を越えてしまったような気分になった。
一緒に乗っていたイスラエル人は、
「ラオスの人は静かで良かったのに、この人たちは世界一うるさい。」
と言っていた。本当にそのとおりで、彼らはしゃべりっぱなしだった。
ここまで、順調に来たと思っていたのに、なんと途中でタイヤが2回もパンクした。
1回目はスペアのタイヤに変えてすぐにまた走れたけれど、2回目はもうスペアがない。
一番よくしゃべっていたベトナム人カップルともう1人の男の人はすぐに違う車をつかまえて乗っていってしまった。ちゃっかりしている。
私たちは待ちぼうけ。
イスラエル人は車をヒッチハイクしようとして失敗。
そのうち、別のトゥクトゥクが1台来てスペアのタイヤを降ろしてくれた。
そうして、無事国境にたどり着くことができた。
国境は霧雨が降っていて、見通しが悪いうえに寒かった。
ラオスからの出国はスムーズだった。
ベトナム入国は、奥まで行って書類をとってきて、また戻って列に並んでと、めんどくさくて、ややこしかった。しかも係員がたくさんいるのに全然仕事をしないので、時間がかかった。
そして、やっと入国したと思ったら、今度はミニバスのおやじたちとの交渉だった。
これが思っていた以上に大変だった。他に公共の交通手段がないので、彼らは私たちの弱みに付け込んで、めちゃくちゃにぼったくろうとするのだ。
まず、最初に60ドルとか、40ドルとか言ってきた。
2人の値段にしても高すぎる。イスラエル人は、「彼らはクレイジーだ」と言って、キレていた。
もう交渉する気も起こらない様子で座っている。
そして、「バスが6時にあるらしい」と彼がいうので、私たちも、一緒に待つことにした。
客引きは執拗に「How much(いくらならいいんだ)?」と聞いてくる。
私は最初「3ドル」と言ってみた。笑われた。
でも、何回もそのやり取りを繰り返しているうちに、やつらの言い値は下がってきた。
「1人10ドル」から、「3人で20ドル」、「3人で15ドル」まで下がった。
私たちは、ここまで下がればいいかなあと思ってしまったけれど、イスラエル人恐るべし。
ここからの粘りがすごかった。
どうしても、「3人で12ドル」と言い続け、時には「3人で9ドル」とまで言っていた。
結局2時間粘ってやっとドライバーが「3人で12ドル」でOKと言った。
体はものすごく疲れていたけれど、交渉で興奮したのか、車に乗っても全然眠くはならなかった。
国境から2時間くらいで、ビンという街に着いた。
駅でも、バス停でもない、右も左もよく分からないところで降ろされた。
近くのホテルで道を聞いて、バスターミナルまで歩いていった。
するとハノイ行きのバスが今にも出ようとしている。迷わず飛び乗った。料金はまたしてもイスラエル人の交渉のおかげで5ドルから4ドルになった。
途中何度か止まりながらも、バスはハノイへ向かった。
バスのお兄さんに起こされたのは夜中の1時半だった。もうハノイに着いたらしい。私たちは何もわからず、寝ぼけたまま、バス停で降ろされた。まわりには、怪しげなバイクタクシーの客引きばかり。幸い近くに宿を見つけたので、とりあえずそこに3人で泊まることにした。長い長い国境越えがやっと終わった気がした。(映子)
国境のベトナム側にたむろしているベトナム人には、役割分担があって、ひとつは、車のドライバー(英語があまり話せない)、もうひとつが外国人と交渉する交渉代理人(英語が話せる)である。僕がずっと観察するところによると、ベトナム人はだいたい1人3ドルが相場。交渉代理人は、それに料金をのせて話をまとめる。多分のせた額をドライバーと山分けするので、たくさんのせればのせるほど代理人もドライバーも得をするというわけ。しかもムラ社会であるベトナムでは、客を取り合うためにドライバーどうし、代理人どうしが競争のため値引きするってことがないので、さらに、僕たちには他の交通手段がないので選択肢もないため、非常にハードな交渉であった。だんだん暗くなってきて、たくさんいた乗合タクシーも少なくなってくると、一瞬「国境で野宿」も覚悟した。無事ハノイまでたどり着いたのは、すべて顔の怖いイスラエル人のおかげ。感謝感謝。(昭浩)
これはおもしろかった。
人形の動きがコミカルでかわいい。
噂に聞いていた龍は、水をふくやつと火をふくやつがあった。
火をふくとはいっても、口に花火をくわえているだけだ。でも、激しく登場して、勢いがあった。
その他の話では、釣りをしている人が、魚に引っ張られて水の中に落っこちて、泳いでいるのがおもしろくて、思わず笑ってしまった。
クロールだけでなく、背泳ぎもするのだ。欧米人にもおおうけだった。
どうゆう仕組みで動かしているのかなあと思っていたら、最後に奥から、下半身水につかったまま人が出てきたのでびっくりした。(映子)
とてもクリエイティヴだなあと思った。
水上という舞台設定も独創的だし、水の上という舞台でしかできない人形の動きが興味深い。よく考えたものだと感心するばかりだった。(昭浩)
1泊2日のハロン湾ツアーに行った。エアコン付きの立派なバスにちょっと感動。4時間くらいで船乗場に着いた。そこからハロン湾の奇石群は遠くに見えていた。
船が動き出して、だんだんと岩が近づいてくると、ものすごくたくさんの島々があることに驚く。ガイドの説明によると1969の島、ガイドブックでは2000とか3000とか・・・。中国の三峡下りを思い出したり、桂林ってこんな感じかなと思ったりしたけれど、よく考えてみれば、ここは海なのだ。久々の海だった。
島は幾重にも重なって見えていた。島々というより、山々という感じだった。そして、島の下の方の岩は、波で浸食されてへこんでいる。和歌山の円月島のようなものもあり、亀みたいなものあり、おもしろい。全部ではないと思うけれど、それぞれに名前がついているらしい。思っていたよりもその範囲は広く。船は約4時間かかってカットバ島に着いた。
カットバ島では、夕食を食べて寝るだけだった。本当はトレッキングとかすればおもしろそうな所なのに、真っ暗でもうどこにも行けなかった。そして、私たちは、まだ国境越えの疲れが取れていないのか、すぐに眠りについた。
翌朝はのどが痛く、体調があまりよくなかった。しかも寒い。今日は船の中で、座って景色を眺めるだけにした。ハロン湾は今日も曇り。でも、ハロン湾には曇りがよく似合う。そんな感じ。少し絵を書いてみた。ハロン湾ツアー自体は、船で島に行って帰ってくるだけであまりメリハリはなかったけれど、景色は良くて、そのいい雰囲気は存分に楽しめたと思う。
宿に戻ると、部屋を予約してあったはずなのに部屋がないと言われ、オーナーの家の1室に泊まることになり、歩いてそこまでいった。と思ったら、やっぱり部屋が空いたと、言われて移動し、疲れが倍増した。明日はテト(旧正月)だから、どこも宿はいっぱいなのだ。
日付が変わる少し前に目覚ましがなった。今日はテト(旧正月)だ。ハノイの5つの湖で、花火が上がるらしい。ちょっとベランダからでも見えないかなあと、階段でウロウロしていた。すると、スタッフの男の子が現れて、「上に上がりたい?」と聞く。「Yes!」と答えると、なんとはしごを上がっていって、屋根の上に登った。私が最後に登ったので、登っている途中で12時になり、花火の音が聞こえた。私は、後ろに見える遠くの花火に、先に気付いた。上にあがると、すぐ近くのホアンキエム湖の花火がすごく大きく見えた。空が曇っているので、半分くらい雲の中だった。でも、すごくきれい。4ヶ所の花火が見えた。15分間花火は上がり続けた。赤・青・黄・ピンク・オレンジ・・・シンプルな形のものが多かった。ハノイの夜も街も結構見渡せた。すごく幸せだった。私たちはラッキーだ。体調はあまり良くなかったし、寒かったけど、最後まで見た。花火の後、少し外の様子を見に行ってから、眠りについた。
朝10時ごろに起きた。外にでてみると、昨日の混雑ぶりとは対照的に、とても静かだった。お正月なので、店もほとんど閉まっている。日本のお正月と似ている。仕事を休み、家族が集まって祝うものなのだ。おかげで私たちは、道端に出ているお店で、ベトナムのうどん、フォーを食べるしかないのだった。(映子)
テトは日本の正月と似ている。テト前日は、日本の年末を思い出させる慌しさだし、湖で花火をあげて、湖近くの仮設舞台では何やらイベントをやっているのはお台場を想像させる。正月になれば、たいていの店はクローズし、人通りも少なくなるところなんか都内の正月そっくりだ。テト初日は、親戚なんかにあいさつ回りをしているベトナム人も見かけるし、お年玉を子供にあげているベトナム人もいる。日本と似ているとところがたくさんあるってことが、新鮮な発見だったし、僕はアジア人なんだ、と意識させてくれる。テト前日、日本の門松みたいなものなか、みかんの小さい木みたいなのが町のいたるところで売られ、ながーい竹をもってかえっているベトナム人もよく歩いていた。あれはいったいなんだったんだろう。(昭浩)
ハノイからバスで1時間、そこに舟乗り場がある。舟といっても手こぎの舟で、4人ずつくらいで乗るのだ。舟は田んぼと田んぼの間の用水路みたいな浅い川を進んでいった。まわりの景色は、ガイドはハロン湾に似ているといっていたけど、どうかな?どちらかといえばラオスのバンビエン。でも、本当はほかのどこでもない、ここだけの良さがあるのだ。私はそう思った。田んぼの向こうに山々がいくつもぽこぽこ見えて、なんだかのどかでいい感じ。水墨画の世界とか言われているけれど、私には緑がまぶしかった。
舟が着いたところから、寺まではものすごく長い道のりだった。石段を登り、時には降りて前へ前へと進んでいく。そんなコースが延々と1時間半くらい続くのだ。つらかった。400段の石段と聞いていたので、ぽんぽんっと連続で登っていくのかと思っていたので、この道はなかなか歩きごたえがあった。汗だくになりながら歩いた。
到着してみてビックリした。洞窟だった。入り口の大きい洞窟への階段を下りていくと、中に寺のように、仏像ではなくて、人の像のようなものがいくつもまつられている。すごく神秘的で、荘厳な雰囲気だった。外から差し込む光がまたきれいだった。
帰り道は、下りが多くて楽だった。そして、帰りの舟も、夕暮れの中いい感じで進んでいった。でも、舟を下りるとき、こぎ手のおばさんに多額のチップを要求され、いやな気分になった。この人たちは、チップの意味を分かっていない。金額はこっちが決めるものだ。今までのいい気分が台無しになった。一緒に乗っていたベトナム人と同じ額を渡して舟を下りた。
10世紀頃、ベトナムの都だったホアルー、そして、舟に乗って洞窟をまわるタムコック、この2つがニンビンの観光名所だ。古都ホアルーには、2つの寺が残されていて、それぞれ当時の皇帝をまつっている。お寺自体は、古い感じがしたけれど、2つとも瓜二つといえるくらいそっくりだったこと以外、特に印象に残った所はなかった。
タムコックは3つの洞窟という意味で、その名のとおり、3つの洞窟を舟でまわるのだ。昨日と同じような舟なので、またいやな思いを最後にするのか・・・と思うと最初はあまり楽しめないでいた。今日の景色は本当に水墨画だった。少し雨が降ってきたりしてよけいに白黒になってくる。岩山が迫力あって力強く、昨日とはまた違う。水は茶色く濁っていて、ときどきどぶ臭い。
1つめの洞窟に舟で入ったときは、びっくりした。舟から降りて洞窟に入るのだと思っていたからだ。そして、1つめの洞窟が一番大きい。入ってみると、中は暗い。洞窟は途中で曲がる。すると、外の明かりが見えてくる。その瞬間が好きだ。ちょっとした探険のようで楽しかった。
2つめ、3つめと洞窟をくぐりぬけて舟は進んだ。そこから折り返した後、舟のこぎ手の1人がみやげ物を売り込んできた。舟の上で、逃げ場のないところで、売り込むのが手らしい。私は全く興味がないので無視した。舟を降りるとき、舟のこぎ手は予想どおりチップを要求してきた。昨日のパヒュームバゴダの時は少しうろたえたが、今回はスムーズだった。あらかじめふたりで打ち合わせした額のチップをポケットに用意し、それを取り出してこぎ手に渡してすばやくその場を立ち去った。今日は、舟のこぎ手のおばちゃんたちに囲まれずに済んでよかった。
ベトナムの歴史は、戦争なしには語れない。少しでもベトナムを理解するために、軍事博物館へ行った。なぜか中国人の団体観光客が多かった。フランスとの最後の戦いである、ディエンビエンフーの戦いのジオラマは中国語で上映されていた。ベトナム戦争の終結の場面、サイゴン陥落のジオラマもあった。ここは、誰も人がいなかったので英語で上映してもらった。でも、難しくて、理解度は30%くらいだった。英語も歴史も、まだまだ勉強が足りないと感じた。
庭の所には、爆弾の殻や、戦車、飛行機のぐちゃぐちゃに壊れた残骸などが展示されていた。だんな(昭浩)はそれを見ても全然リアリティが感じられないと言っていた。私は、これでフランスと戦ったのかとか、アメリカはこの爆弾を落としたのかとか思って見ていたので、それらと一緒に記念撮影している中国人の気持ちは理解できなかった。人それぞれにいろんな見方があるものだ。そうやって、笑って写真を取れるくらいに平和になったということなのか。
そのすぐ隣に、ハノイ宮殿から移されたという旗の塔があった。上に登るとハノイ市内が一望できる。上から見ると、ハノイの街は思っていたより緑が多い気がした。そして、高い建物は少ない。
ベトナムの英雄、ホーチミンが今も静かに眠っている、ホーチミン廟へ行った。ベトナムに来て、ハノイで初めてホーチミンの顔を見た時は、誰だろう?このおじさん?と思ってしまったくらい私は何も知らなかった。でも、中国でよく毛沢東のポスターやグッズを見るように、ホーチミンは、ベトナムで最も有名な人、そして尊敬されている人なのだ。
小雨が降る中、列に並んで、中に入るのを待った。中に入るときは、帽子を脱いで、静かに入らなければならない。警官が、厳重に見張っているのだ。ホーチミンは、ひんやりとした部屋の中で光を受けて、静かに眠っていた。本物はやっぱりすごい。何か特別な、オーラを感じた。
裏にホーチミンの住んでいた家があった。高床式で、部屋から池が見えるのがいい感じ。シンプルだけどきれいな家だった。同じ敷地内に、わりと最近建てられた博物館もあって、ホーチミンに関する写真や、手紙の展示がたくさんあった。全体的にアートな感じで、美術館と呼んだ方がいいかもしれない。若き日のホーチミンの写真もあった。でも、いまいち彼の生い立ちなどがよく分からない。ここでも、勉強の余地ありだなと感じだ。
「You have one more day in HANOI」と宿のお姉さんに言われた。フエ行きのバスが、朝7時に出ると思っていたら、夜の7時だったのだ。仕方ないのでもう一度部屋に戻って、チェックアウト時間の12時まで寝ていた。これからどうしよう?
せっかく時間ができたので、髪を切りに行くことにした。美容院に行くと、5分くらい待たされて、美容師らしき人が現れた。少し小太りだけど、カリスマ美容師のような貫禄がある。
シャンプーはお姉さんがしてくれた。日本の美容室より、イスの傾きが少なくて、顔に水が垂れそうで不安。そして、耳に水が!!と思ったけれど、これが入りそうで入らない。お姉さんの爪が、地肌にゴシゴシきてる感じ。なかなかワイルドだ。終わってからも、一応タオルでふいてくれたけど、水がぽたぽた垂れるくらいにぬれた状態でカット台へ。
カリスマ美容師は、「Can you speak English?」と聞く。「Yes」と答え、細かい打ち合わせかと思ったら、「Same style. Little bit.」と言う。同じ髪型で、少しだけ切るのか、それが無難だなと思って、「Yes」と答えた。彼は慣れた手つきで、じゃんじゃん切っていった。本当にLittle bitか?と思うくらい、思い切ったカッティングだった。でも、たくさん切ってくれた方が私はうれしいので、彼に任せることにした。しかし、切っている間も、あごから水がぽたぽた落ちる。そして、顔には髪の毛がつきまくっている。なのに、切り終わってからも、流そうとはせず、いきなりドライヤー。しかも半がわきのまま仕上げへ。前髪のところで「Little bit?」と聞かれた。もう少し切ってくれるらしい。迷わず「Yes」と言った。その後、スタイリング剤をつけて、ちょっとウエットな感じで終了。彼はとても満足げだった。私は、洗面で顔を洗わせてもらった。Tシャツにも髪の毛がいっぱいついてしまったけれど、髪型はまあまあのできだと思う。さすがカリスマ美容師である。