10月30日〜11月4日
大雁塔と小雁塔に行った。
大雁塔のあるお寺に着いたけどなんだか思ったより小さくて、あれっ?て感じ。
でも、近づいてみると大きい。以前見たことのあるパンフレットのとは違う。
本物だ。
大きさと迫力に感動。
中に入って塔に登っていったんだけど、登りの大変さとは、うらはらに景色はいまいち。
曇っているせいもあるけどぜんぜん見渡せない。
これには、少しがっかりだった。
大雁塔は、玄奘がインドから持ち帰った経典を保存するために建立されたので、
塔の裏にその業績を説明している建物がある。
展示された地図の玄奘がたどった道筋を見て、
昔の旅はもっと大変だったのだろうなと思いをはせていた。
小雁塔は、すごく小さい塔を想像していたので、その大きさにちょっとびっくり。
雷で15層(15階)が13層(13階)になったとはいえ立派。
修復されていないのか古いまま残っている感じ。
一番上は、屋上みたいに外に出れて、ここから景色が見渡せる。
大雁塔のように窓から見るのとは、全然違う。
その後南門に行き、西安の街を見下ろした。
小学校の頃から歴史によく出てきた唐の都長安。
どんなところだろう?
って、ずーっと思っていたところにこうして来ることができて、
すごく幸せな気がした。(映子)
西安で一番大きいモスク(イスラム教寺院)清真大寺へ行った。
中国のモスクってどんなものだろう?
と思っていたら、
やっぱり造りは、中国っぽくて漢字もいっぱいある。
でもところどころにアラビア文字があったり、偶像がないところがイスラムっぽかった。
大きい礼拝堂の緑色した瓦屋根の向こうを時々鳥がバタバタと飛んでいく。
その姿とだんだん晴れてきた今日の空がさわやかでいい感じだった。
午後からは、重慶に向かう。
旅行会社に頼んでやっととれた切符は、途中駅の成都まで。
必死で抗議したけど、「列車に乗ってから変更できるからNo problem」と言われた。
それならどうして最初からとれないの?と思ったけれど
、
言ってもらちがあかないので、そのまま列車に乗り込んだ。
中国のシステムはいまいち理解できないものがある。(映子)
朝早く成都に着いた。
成都までの切符しか持たない私たちは、車掌室みたいなところへ行って、お金を払って変更手続きをした。
旅行会社の人が言ったとおり余裕で「No problem」だった。
今までで一番長い(28時間)列車の旅。でも、本を読んだり、
音楽を聴いて歌ったり、絵ハガキ書いたりして快適に過ごせた。
駅に着くとすぐにタクシーに乗って、ロンリープラネットに載っていたホテルに向かった。
重慶の街は、今までに行った中国のどの都市よりも都会という感じで、洗練されているという印象を受けた。
街はごみが落ちてないし、そのせいか、ごみを捨てたり、タンを吐いたりしづらい雰囲気がある。(映子)
夕方、旅行会社の人が迎えに来てくれて、三峡下りへ出発した。
港は怪しげな雰囲気が漂っていた。たくさんの船があって、なんかだまされて違う船に乗せられそうな感じ。
言葉が分からないので余計にそう思った。
だいたいこの三峡下りを手配した旅行会社の人だって信用していいの?という気にさせられる。
船に乗った。8人部屋の同室は中国人5人。家族っぽい集団だけど実態は不明。
三峡下りの船の料金について筆談で彼らと話をした。
彼らは、350元でチケット買ったらしい。
490元で買った私たちに、値切らないとダメと言われた。
中国ではいつでもどこでも値切るのが当たり前らしい。
フェリーのトイレは、パンフレットで見た洋式のきれいなトイレとは全く違っていて、
溝の上に仕切りがあるだけだった。
しかも、水が少ししか流れてないので、だんだんと汚くなっていき、
私の心は憂鬱になるばかりだった。(映子)
三峡下りの船シャワーの水は、茶色く濁っていた。あれは、きっと揚子江の水にちがいない。(昭浩)
三峡下りは、揚子江の中流を船で下るというもの。
三峡下りの3日間のクルーズのうち、切り立った壁に囲まれた絶景を拝めるのは3日目だけ。
2日目の今日は、川沿いの名所を2・3時間止まっては、そこに上陸し、観光する。
僕が知っているのは、三国志の劉備が最期を遂げた白帝城だけ。
その「白帝城」には、夜の10:00に着いた。
山の上でライトアップされている。城というよりお寺といった感じ。
劉備が孔明に最期に息子を託したところでは、三国志の面々の像が祀られていた。
最期のシーンをいろいろ想像せずにはいられない、そんな寂しげな夜の白帝城だった。(昭浩)
小三峡へ行った。
小さいボートに乗り換える場所に着くと川の水の色はすでにきれいな緑色だった。
そして絶壁と絶壁の間に橋がかかっていて絵になる風景だった。
だんな(昭浩)は、三峡下りは高いからやめようか、とか弱気なことを言っていたこともあったけど、
やっぱり来て良かったと思ったし、ここに来れたことを幸せだと思った。
岩肌が出ている断崖、草や木が茂っている崖、ブロックを積んだような崖などいろいろあった。
小三峡は、カメラにおさまりきれないほど壮大で、きれいだった。目に焼き付けようと思って一生懸命見ていた。
この景色も家も畑も沈んでしまう。
ここに暮らしている人はどうなるのだろう?
そしてそれを中国の人たちは、どう思っているのだろう?
ここで見た景色も出会った人々のことも一生忘れないようにしたいと思った。(映子)