11月30日〜12月9日
上海から電車で1時間半かけて、日帰りで蘇州に行った。
蘇州は「東洋のベニス」と呼ばれている水郷の街で、世界遺産に登録されている庭園群があるところだ。
私たちは、レンタサイクルで、4大庭園と、北塔と盤門に行った。
4大庭園のうちの3つは、建物があって池があって、似たような感じだったけど、
「獅子林」だけはちょっと違った感じで、岩でできた迷路がたくさんあった。
だんな(昭浩)はすっかり気に入って、迷路に入っては迷い、それを楽しんでいた。
私は、それらの庭や、建物の1つ1つよりも、街全体の雰囲気
―ちょっと都会的なところから庶民的なところまで―
を自転車で周ることによって存分に味わえたことがよかったと思う。
蘇州でサイクリング
自転車に乗ってて気付いたことは、車のクラクションと自転車のチリンチリーンのことだ。
それまでは「そんなにならすなよ。うるさいなー。」
と思っていたけど、後ろから鳴らされるということは、私の存在を分かっていくれているということだから、逆に安心していられる。
気付かれずにぶつかられたほうがこわいので、クラクションもチリンチリーンも必要なんだなって気がした。
そして、私もだんな(昭浩)もチリンチリーンと鳴らしながら、中国人と一緒に自転車を走らせたのだった。
帰るころには、お尻が痛くなっていたけれど、とても楽しい一日だった。
今日は上海最後の日なので、雨が降っていて、行き方もよく分からなかったけれど、がんばって上海動物園へ行った。
動物園はとても広くて、途中に池や鳥が放し飼いの所があった。
見たかった揚子江ワニ、パンダ、華北虎と華南虎、そしてゴールデンモンキーも見ることができて満足だった。
だんな(昭浩)はなぜか大きい亀が一番良かったと言う。
変わった人だ。
私は、パンダとゴールデンモンキーが良かった。
パンダって見ているとなんかぬいぐるみを着た人間みたいでおもしろい。
一生懸命笹を食べている姿がまた人間っぽい。
ゴールデンモンキーは、金色の毛並みの中にある灰色の顔が、何か特別な、崇高なものを見た気にさせる。
華北虎と華南虎は違いが良く分からなかった。
上海はここ2、3日ずーっと雨。でも、早朝は降ってなかったので、だんな(昭浩)はバンド(外灘)を走ったらしい。だけど、その後、私もだんな(昭浩)もお腹の調子が悪い。
11:00頃、広州行きの列車に乗った。列車の中で、だんな(昭浩)はトイレに行きまくっている。
私は少しずつ回復してきた。
広州には、翌日の昼ごろ着いた。私はすごくお腹がすいていたけれど、
だんな(昭浩)は相変わらずお腹の調子が悪いらしく、食欲がない。
仕方がないので、お昼はぶっかけ飯を買ってきて部屋で食べ、
夜は広州駅前でおいしいものを見つけて一人で食べた。
「食は広州にあり」なのに、かわいそうに。
午後、香港行きのバスに乗った。
バスで香港に行くと、まず中国出国でバスから降りて荷物を持って行き、
またバスに戻って少し進むとすぐ香港入国のために荷物を持ってバスを降りなければならなかった。
これは、香港返還前も、返還後も変わらないらしい。
荷物が重い私たちにとってはつらかった。
香港に入ると、車線は右から左に変わる。
そして、街も、建物もきれいな気がする。
街を歩いている人々は、中国人が多いけれども、欧米人の姿も目立つ。
そして、話す言葉は、英語がちらほら聞こえる。
私たちは、九龍塘でバスを降りたのはいいけど、右も左も分からず、
MTR(地下鉄)に乗るまで時間がかかった。
地下鉄尖沙咀駅で降りると、そこは香港らしく、大きな看板が道の両脇に所狭しと並んでいるような所だった。
その風景に圧倒されながら、目的の宿のあるビルに入った。
そこで、客引きのおばちゃんにつかまり、いろんな所を見せてもらって、一番安いドミトリーに決めた。
夜、友人のアンセアに電話すると、すぐ会おうということになって、
夜9時に待ち合わせて、ナイトマーケットを歩きながら、いろんな話をした。
だんな(昭浩)はまだお腹をこわしたままで、弱っていたためお留守番だった。
彼は夜景を見たがっていると話したら、「すぐそこだよ」と歩いて連れて行ってくれた。
そこは100万ドルとまではいかないけれども、きれいな場所だった。
クリスマスのイルミネーションがきれいだった。
明日はだんな(昭浩)も来れるだろう。
アンセアのだんなさん、ゴーン君がドライブに連れて行ってくれた。
まずは、香港島のスタンレー(赤柱)とレパルスベイへ行った。
スタンレーには、油麻地から移された古い柱が何本か立っていて、赤い文字で何やら同じ文字が、それそれの柱に書かれていた。
下の2文字は「質屋さん」の意味だとゴーン訓が説明してくれた。
レパルスベイは、きれいな砂浜のビーチだった。
映画「慕情」の舞台でもある。
その映画は見てないけれど、いつか見た時に分かるようにしっかりと見ておいた。
(でも、きっと忘れてしまうんだろうなあ。)
海の向こうに、いくつか島が見えていたけれど、無人島らしい。
仕事が終わったアンセアと合流して、ゴーン君の両親宅へ行った。
そして、香港ディナーをごちそうになった。
ゴーン君の両親は、言葉は分からないけれども、とてもにこやかで、やさしそうで、いろんな料理を勧めてくれて、私たちはお腹いっぱいになった。
だんな(昭浩)もすっかりお腹の調子が良くなっていたので、満足げだった。
夕食後、2つの橋が見える夜景がきれいな所へ行った。
空港へ行く橋と、新興住宅地みたいなところへ行く橋が見えた。
ちょっと寒かったけれども、きれいだった。
その後、油麻地に行き、また、ナイトマーケットを歩き、おいしいデザートをいっぱい食べた。
香港では、何を食べてもおいしいので、とっても幸せ。
翌日も、ゴーン君は仕事が休みだからと、いろいろ案内してくれた。
まず、中国のお寺に行った。線香を持って、お参りの仕方を教えてくれた。
おみくじをガラガラいわせてお願いしてから、引いている人が何人かいた。
次に、地下鉄で香港島に行き、小さなお寺とか、香港公園とに歩いていった。
香港公園は、アンセアたちも結婚した時に写真を撮った所で、今日も何組か、ドレスを着て写真を撮っていた。
婚姻届を出す所があるらしい。
ここは緑がいっぱいで、都会のオアシスという感じ、
周りに高層ビルが立ち並んでいて、日比谷公園を思わせる所だ。
コーズウェイベイまで歩いて、アンセアと合流して、最後のスペシャルディナーを食べ、
最後のしめは、ビクトリアピーク。
ケーブルカーで山の上に登っていくと、
これぞ100万ドル!
というべき夜景が、そこに広がっていた。
アンセアとゴーン君には、本当にいくら感謝しても足りないくらいお世話になった。
2日間のお休みを私たちのためにフルに使ってくれたゴーン君。
仕事の後、毎晩遊んでくれたアンセア。
そしておいしいディナーを作ってくれたゴーン君のお母さん。
笑顔で迎えてくれて、後片付けを一人でしてくれたゴーン君のお父さん。
本当にありがとう。
楽しかった香港とも、今日でお別れ。
後ろ髪を引かれながら、KCR(電車)で広州へ向かった。
KCRは車内もトイレもとてもきれいで、しかもオレンジジュースなんか出してくれる。
冷房が効きすぎて寒いくらいだったけど、快適な旅ができた。
出入国も、乗る前と降りてからなので、バスのようなわずらわしさはない。
でも、広州駅で降りた瞬間から、もう「中国」って感じで、戦いが始まった。
エスカレーターは押すな押すなの人だかり。
中国に入った瞬間から、みんな人が変わったようだ。
広州は、他の中国の都市と比べると、香港に近いところがあって、
料理の味も洗練されているし、コンビニはセブンイレブンがある。
でも、多くの人々は、他の都市と変わらず、貧しくて、貪欲で、
前へ前へ進もうと、とにかく必死で生きている気がする。
そして、薄汚い、怪しげな男たちが、いつも広州駅前をたむろしている。
香港は、多民族国家だ。
(正確には、一つの国ではないので、多民族地帯かな)
インド・アフリカから欧米人まで、多種多様。
その中で、中国人は埋もれている気すらする。
返還後は、中国から香港に移住したい人が多いようで、不法滞在が多いとゴーン君も言っていた。
表面的には、香港は返還前と変わらない生活と送っているように見えるけれど、少しずつ変わっていくのかな。
雨が激しく降っている中、午後から広州の市場へ出かけた。
雨のせいか、市場は思ったほど活気がなく、人も少なくてがっかりだった 。
食材のコーナーを過ぎると、観賞用の亀とか、魚とかがあった。
でも、さっきの食材用の亀とどう違うんだろう?
観賞用とはいっても、この亀たちもいつかは食べられてしまうのかな?とか考えていた。
中国の人は、犬も猫も食べるのだ。
お昼は、広州の有名な飲茶の店で食べた。
いろいろ見て選べるのはいいけれど、失敗したものもいくつかあった。
夜は、だんな(昭浩)念願のハトを食べた。
でも、頭がついていたので、そのハトの目がずーっと私を見てる気がして、こわくてあまり食べられなかった。
今まで、チキンとかビーフとか、そんなこと思ったことはないけれど、感謝しなければいけないなと思った。
このハトが私を飢えから救ってくれたのだ。
そう思って食べるようにした。でもこわかった。